複雑・ファジー小説

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すばる【完結】
日時: 2021/01/31 17:58
名前: 厳島やよい (ID: l/xDenkt)
参照: https://www.kakiko.cc/novel/novel2a/index.cgi?mode=view&no=5710

 あいつが不幸になってくれたおかげで、僕は幸せでいられる。
 だれかが死んでくれたおかげで、わたしたちは生きている。


       ◇

■ もくじ ■

1.『アオイ』>>1-5
2.『ミドリ』>>6-10
3.『スバル』>>11-16

本編>>1-16  あとがき>>17 あとがき(2)>>18


■ おもな登場人物 ■

 雨宮あめみや 昴琉すばる …二十二歳、男。地元のレストランチェーンで働いている

 相馬そうま あおい …二十歳、女。翻訳家になるのが夢。予備校生

 相馬 みどり …アオイの母。未亡人

 雨宮 千嘉ちか …スバルの四つ歳上の兄


執筆開始 2020.8.22(書き直し二回目※)
執筆終了 2020.9.11
投稿   2020.9.13 〜 2020.9.28

イメージソング 『EGO』小林未郁
イメージエンディング・原作※イメージソング 『Time Forgotten』Brian Crain & Rita Chepurchenko
 ※あとがき(2)>>18参照


■ おしらせ、その他 ■

 2020年冬小説大会 複雑・ファジー部門で本作が銅賞をいただきました。
 応援、投票してくださった皆様、ありがとうございました。

 URL参照『祈りの花束【短・中編集】』にて掲載、本作の前日譚・番外編『Chika』完結済みです。





 暴力表現や若干の性描写などがあるため、苦手な方は閲覧をお控えください。
 また、本編中の文字化けは意図的なものです。ご了承ください。
 
 

Re: すばる ( No.14 )
日時: 2020/10/17 15:18
名前: 厳島やよい (ID: l/xDenkt)


 三年生に進級してすぐ、アオイが不登校になった。去年から学校でいじめられていたらしい。
 わたしは、クラスでも部活でも同級生にいじめられたけど、無理やり学校に通わされつづけていた。それが当時、辛くてたまらなくて、近所の川に飛び込んで死のうとしたことがある。結局、痛みが怖くて飛べなかったけど。

「アオイがいてくれるだけで、わたしは、きょうまで生きててよかったなあって思うの」

 死にたいと願うのがどれほど苦しいことか、わたしは知っている。
 アオイにはあんな思いをしてほしくなかった。


       ■



 中学卒業から一年後、進学した隣町の私立高校で、昔よく遊んでもらったおにいさんにそっくりな男子生徒を見つけた。昼休み、彼は窓際の席で机に向かって課題を進めていて、申し訳ないかなと思いながらも、わたしはそばに近づいて声をかけた。

「すぅ、くん? わたし、アオイなんだけど、おぼえてる?」

 少し遅れて、彼が顔を上げた。やっぱり似ている。でもずいぶんまとう雰囲気が変わったな。
 レポートの記名欄に並ぶ角張ったきれいな文字も、漢字ははじめて知ったけど、記憶に残るそれと一致している。だから、きっとすぅくんだと思ったのに。

「……さあ。人違いじゃないですか」

 あっさりそう言われて、また意識の外に追いやられてしまった。

「アオイちゃん、ちょっと」

 うしろから呼ばれたので振り向くと、部屋の端のほうで三年生の女の子が何人か固まっていて、手まねきしていた。もう名前を覚えてくれたらしい。
 なんですかー、と彼女たちのもとへ駆けていくと、そのうちのひとりが声を落として訊いてきた。たしか、北野さんだったっけ。

「あなた、雨宮くんの知り合い?」
「えっと……ちいさい頃の友達に似ていたので、確認したんですけど、人違いだったみたいで。それがなにか?」
「去年、あなたみたいに声をかけた男子がいてさ、悪気はなかったらしいんだけど、あんまりしつこいからトラブルになったことがあってね。ちょっと思い出しちゃったの」
「そうなんですか」
「十月くらいだったっけ、たしか。お兄ちゃんがいるとかいないとか……だよね」

 輪の中で、席についてお弁当を食べているべつの女の子が、北野さんにたずねた。

「そうそう、雨宮くんここで爆発しちゃって、びっくりしたよね。それから何か月も休んでて、単位足りなくて留年。一年遅れて入学してるから、今年で十九歳になるはずだよ」

 そっか、それでいまからあんなにレポート頑張ってるんだ。

「なんか病気だか障害があるらしいって聞いたけど、そのせいだったのかな」
「あー、この学校だとたまによくいるよねー」
「どっちだよ」
「あたしのお姉ちゃんもそうだから」

 いろいろ訳ありな人が多いんだなあと思いながら、さっきコンビニで買ってきたフルーツジュースをストローで吸った。果汁百パーセント、濃縮還元。
 彼女たちは噂話を楽しむわけではなく、あくまでも疑問を解消するためとか、彼のことに限らず、わたしが知らずにだれかの地雷を踏んでしまわないようにと言ってくれているみたいだった。現に空気にはそこそこの重みを感じる。

「あのー、そのとき声をかけた男子っていうのは」
「ああ、あいつねぇ、もういないよ。転入してきて二ヶ月くらいで都内に転校したの。雨宮くんのこととは関係なく」
「に、二ヶ月!」
「それもたまによくいるよねー」
「だからどっちだよ」

 あっはっは。北野さんのとなりで「たまによくいる」女の子がショートヘアを揺らして快活に笑う。彼女はいちごオレの五百ミリパックから、ずこここーー、とストローで残りを飲みきると、満足そうにまた微笑んだ。

「あたしらも一回くらいは、みんなにここに来た理由とか訊いちゃうんだけどさー。あんまり言いたそうじゃなかったら、踏み込まないであげてね。アオイちゃんなら大丈夫だろうけど」


 それから、約半年後。
 雨宮くんもわたしも平日はほぼ毎日登校していたし、校内行事に参加することも多かったのだけど、とくに話す機会もないまま時間だけが過ぎてしまった。
 無理やり昔のことを掘り起こすつもりはないけど、このまま雨宮くんが卒業してしまったらと考えると、やっぱり全部諦めるなんてできなくて。こういうのをジレンマというのかななんて思いながら、放課後になったキャンパスでのろのろと帰り支度を進めていた。ら。

「えーっ、入賞! すごいじゃん」

 前にあるキャンパス長のデスクでノートパソコンの画面にかじりついている、OGの榎本先生が声をあげた。そのそばには雨宮くんが立って恥ずかしそうに辺りを見回している。わたしと目があってもすぐに逸らされてしまった。
 わたしたちのほかに何人か残っていた生徒も一瞬、何事かとふたりに視線を送っていたが、出入り口や廊下で待つ生徒たちに呼ばれてすぐ出ていってしまった。わたしが口を出すことじゃないけど、あんまり他人と関わっていないもんなー。

「やっぱり私の目に狂いはなかったんだね、まあ素人なんですけど」
「大したことじゃないですよっ。こんなに小さく載ってるし」
「それほかの受賞者に失礼でしょー。ていうか初応募でいきなり最優秀賞なんてなったら、こっちが怖いわ」
「たまにはいるんじゃないですか?」

 たまによくいる、のかと思って身構えてしまった。例の三年生が頭の中で笑っている。とりあえずわたしも前に出て、ダメ元で輪に混じることを試みた。

「あのー、二人とも、何かあったんですか?」

 振り返ったふたりの表情が、まるで対照的なのでおもしろい。

「スバルさ、私のすすめで応募したフォトコンテストで入選しちゃったの!」
「ふぉと?」
「ほら、後ろの壁に貼ってある行事のときの写真。今年の分からほとんどスバルが撮ったやつなの。キャンパス長が直々に、撮影係やってほしいって」
「……すこしだけ趣味でやってたので」
「あ、なるほど。そうだったんだぁ」

 これまでのささやかな疑問が解決した。
 さっきから小躍りしそうな勢いで喜んでいる先生が、パソコンの向きをくるりと変えて画面を見せてくれる。「これこれ」指さしたところをクリックすると、作品が拡大表示された。

「……わ、すごい」

 一瞬、絵画かと思った。
 生垣の真っ赤なハイビスカスが咲き誇る中、白い肌と麦わら帽子がきれいに浮き立つ、思いきり笑っている先生。視線の先でだれかと話していたワンシーンなのだろう。場所の心当たりはあった。

「夏の宿泊行事のとき、いつのまにか撮っててくれたみたいでさー、すごくない?」
「たまたま、距離も光の具合もよかったんですよ。ただでさえ人を撮るのは難しいのに。あくまで偶然です。入選も、初心者部門だったから」
「雨宮くんっ」

 思ったよりも大きな声が出て、びっくりした。

「わたし、中学でバドミントンやっててね、部活の先生によく言われたの。偶然で勝つことはあっても偶然で負けることは絶対ないって。雨宮くんのいう通りたまたまだったのかもしれないけど、いまは喜んでいいと思うよ。逆上がりや二重跳びができるようになったときだって、最初は偶然からじゃなかった?」

 わたしたち以外だれもいない部屋が、しんと静まり返ってしまった。見上げた雨宮くんの顔から、表情が薄れていく。
 ど、どうしよう。わけわからないこと言っちゃったな。雨宮くんの運動神経が悪い前提みたいな言い方だし、わたしなんて最後に写真撮ったのまさにあの沖縄の行事のとき以来じゃん、しかも友達との自撮りかご飯ばっかりだしそのくせ偉そうで自分でもむかつくしうわーーーーどうしようどうしよう!
 あと十秒沈黙がつづいたら、ダッシュで帰ってしまおうと思った。だから八秒まで耐えられたのに。

「…………ふっ、そうかも。 ……そうかも。ありがとう、相馬さん」

 口元を隠してくすくす笑いながら、肩を叩かれた。バカだと思われたかな。恥ずかしい。

「スバルでいいよ。呼び方」
「じゃあ……わたしもアオイがいい」
「あのーう、おふたりさん。いや、アオイちゃんはいいのか。スバル、あのさあ」

 いつのまにかまたパソコンに向かっていた先生が、スバルを呼びとめた。

「はい?」
「さっき初心者部門に応募したって言ってたよね」
「ええ、まあ」
「入選したの、何度見ても上級者部門みたいなんだけど」
「     げっ  」

Re: すばる ( No.15 )
日時: 2020/09/26 15:53
名前: 厳島やよい (ID: l/xDenkt)




「お母さん、あのね、学校にすっごくすぅくんに似た男の子がいるの。声をかけたら違うって言われたんだけど、わたし、それでも絶対すぅくんだって思っちゃうから、ときどきどうしてもそう呼んじゃうの。最近、なんて呼んでもいいよって言ってくれたんだけど、やっぱり申し訳ないんだぁ」

 冬休みに入ったある日、学校のクリスマス会で撮ってもらったツーショットをお母さんに見せた。そうしたら、嬉しそうな悲しそうな顔をしながら、スバルのこれまでについての話をたくさんたくさんしてくれた。その子はすぅくんだよ、ずっと黙っててごめんね、と、見たことないくらい大粒の涙をこぼしながら言われた。
 今年の四月、ひさしぶりにスバルの様子を見にアパートへ行ったとき、彼はもう、お母さんのことを忘れてしまっていたそうだ。
 人間の頭はボタンひとつで記憶を操作できるほど、簡単なつくりをしているわけじゃない。ねじ曲げた分のしわ寄せは、必ずどこかに現れる。
 それが必然的に、お母さんやわたしとの思い出だったわけで。

「危うく通報されかけたよ。部屋を間違えたってことにして、すぐ帰ったけど」

 こんなに辛そうな顔をするくせに、彼女は笑い話へ昇華しようとする。
 わたしは、なんにも言えなかった。


       ♪




 月明かりの目に痛む現実に、意識が浮上する。走馬灯みたいなものの再生は、一通り終了したらしい。なんだかひどく疲れた。全身が痛い。バキバキだ。

「俺が、殺したようなものだ、ミドリ以外の女も。実際に殺したのはあいつだけど、そう指示したのは俺自身だ。俺は連続殺人犯なんだよ」

 ぼんやりしていた視界の端に光るものが見えて、その瞬間、僕はめいっぱいの力をこめて兄さんを蹴り飛ばした。頭がうまく回らないから、もうめちゃくちゃに数打ちゃ当たるだろう的作戦でやった。何回か急所にヒットして「んがっっ」運良くナイフまで遠くに飛ばすことができて、僕って「ラッキーだなー」と思う。
 母さんと兄さんに嫌われていても、父さんだけは僕の味方でいてくれた。ミドリさんとアオイちゃんに出会うことができた。友達に恵まれた。頭だけは少し良かった。一時的にでも兄さんを見返すことができた。両親が死んでも、五体満足で生き残れた。絶望から救いだしてくれる人がいた。アオイとまた出会えた。岸くんや店長にも出会えた。
 もう、嫌になるくらい超ラッキーだ。
 なんとか芝生の上に押さえつけた彼の首に、手をかけて、僕はずっと隠していたひみつを告白した。

「子どもの頃、兄さんが母さんにされてたこと、知ってたよ。僕はあのとき何度も見てたけど、父さんにもだれにも言わなかった。何でだと思う?」

 力が出ないなりに、なんとか両手でその首を握りしめる。なさけない音のする吐息が額にかかってきて、気持ち悪かった。

「兄さんが不幸でいることで僕は幸せでいられるんだって、気づいちゃったからだよ」

 母さんがイカれた感情を兄さんに向けていてくれたから、僕に危害が及ぶことはなかった。無視されて、殴られていても、そんな状態が良くならない代わりに、さほど悪くもならない。半分以上あきらめてあの時を生きていた僕にとっては、それが最善策だった。最良ではなかったけれど、それが平穏を保つための手段だった。
 ひとの不幸で相対的な幸福を得る。だれかの不幸を踏み台に、結果的な幸福を手に入れる。

「僕は、兄さんのおかげでやっと幸せになれた。悪いけど、あんたに殺されるわけにはいかないんだ」

 そうだ。こうして兄さんが接触してくるまでの間、僕が殺されずにすんだのも、ちがうだれかが犠牲になったからだった。罰当たりだろうか、彼らが死んでくれたおかげで自分が生きているのだと、考えるなんて。
 あいつにまたカルボナーラを作ってやらなくちゃいけない。アオイにまた新しい写真を見せたいから、撮りにいかなくちゃならない。ああ、景色だけじゃなくてこんどはアオイのことも撮ってみたいな、彼女さえよければだけど。
 だれかの命でできている、そんな平凡な穏やかな毎日を今度こそ生きるために。また築き上げていくために。僕はまだ、死ねない。……そう考えれば、すこしはミドリさんも許してくれるかなあ。
 ごめんね、守ってあげられなくて。
 わずかに力が緩んだ瞬間を見計らって、兄さんがまた、僕の上に乗ってくる。彼は泣いていた。涙と鼻水でぐしゃぐしゃになりながら、また僕を殴っていた。弱々しく首を絞めてきた。多少は苦しいけど、死ぬほどじゃない。もう、彼には体力も気力も残っていないのだ。
 僕が兄さんを記憶から消した理由が、こうして僕を助けることになるなんて。ひどい皮肉だ。僕の脳みそ、どうなってるわけ? 自分ですらわからない。

「死ぬななんて言わねーよ。頼むから、死にたいんならだれにも迷惑かけずにひとりで静かに死んでくれ」

 目を閉じて、深呼吸して。いちにのさんで、兄さんの顎へ拳を振り上げようとした、そのとき。

「うわああああああああああああああああっ!!」

 どこかから、叫びながら走ってきたアオイが、彼の背中を、は、さし、え? 刺した。
 それはもう、ぶっすりと、流れるように。


 気づいたら、ナイフが刺さったまま、兄さんが僕の上に倒れていて。
 かたわらで、放心状態のアオイが座りこんで、大きく息を切らしていて。
 叩いてもゆすっても兄さんは起きない。胸元と右手に伝う生温かい感触で、今しがた起きたことに理解が追いついた。

「……アオイ、」

 彼の身体をなんとか退かし、熱いほど痛む全身で、アオイのもとに這っていく。

「もう、大丈夫だから。遅くなってほんとにごめんね」

 こんなこと、させてしまってごめんね。
 腕いっぱいにぎゅうと抱き締める。安心したのか、アオイは僕の言葉と同時にやっと、赤ん坊みたいに泣き出した。

「頑張ったね。しんどかったね」

 ちらちらと並んで灯りが瞬く、水平線の彼方まで届きそうな慟哭に目蓋を閉じる。何度も何度も、その背中をさすりながら。
 とつぜんに重たい眠気がのしかかってくる。これで終わりだけど、でも終わりなわけじゃない。
 アオイのこともなだめつつ、ポケットからなんとか無事だった携帯電話を取り出して、三桁の数字をダイヤルした。海沿いだからもしかしたら繋がらないかなとも思ったし、実際にすこし時間がかかったけど、それでも出てくれた相手に百回くらいはお礼を言いたくなった。

「あの、きゅーきゅーお願いします……けが人が、三人、いるので」

Re: すばる ( No.16 )
日時: 2020/10/17 15:43
名前: 厳島やよい (ID: l/xDenkt)




 田舎に住んでいてよかったなと思うこと、そのいち。外がうるさくない。
 そのに。空気がきれい。
 そのさん。治安はわりといい。
 田舎に住んでいてやだなあと思うこと、そのいち。交通の便が悪い。
 そのに。虫がうじゃうじゃいる。
 そのさん。村八分的な慣習。

「うん、そんな感じだな」

 最後に至っては本気で引っ越しと転職を考えたほどだ。犯罪者の家族というものは、それほど偏見に満ちた目で見られる。
 けれど、どこに行ったって噂は広まるものだし、悪意や攻撃性や、歪んだ正義感にとり憑かれた人間は山ほど存在するわけで。だから僕は、平和よりも暮らしやすさを取ることにした。彼の罪状が罪状なので直接危害を加えられることもないのだ。やっぱり僕は、兄の不幸のおかげで幸せに生きながらえていた。
 店長のお言葉に甘えて、あのレストランでも働きつづけている。客は若干減ったし、ときどき年寄りのクレーマーが僕をやめさせろと唾を吐きに来るけど、がたいのいい男性スタッフが毅然と相手をしにいけば大抵は尻尾を巻いて逃げていく。おもしろいくらいに。あ、田舎に住んでいてやだなあと思うこと、そのわん。じゃなくてよん。男女差別がけっこうひどい。
 豆腐とわかめの味噌汁をすすりながら、朝七時のニュースに耳を傾けた。煽り運転の厳罰化が始まったという旨の原稿を、アナウンサーが読み上げている。

「やっと、かあ」

 思うことならたくさんある。ありすぎて全然まとめられないから、テレビの画面を消して、朝食の残りを腹に収めることに集中する。
 兄さんが搬送先の病院で自殺してから、一年と半年以上が過ぎた。アオイの母親以外を殺していた連続殺人事件の実行犯は、彼の携帯電話に残っていたわずかなメッセージのやり取りから判明し、案外あっさり逮捕されて一件落着となった。相手はSNSで知り合った人間で、じつは県外でも何人かやらかしていたらしい。被害者はすべて、兄さんと面識のある人物。ネットのニュースか何かで読んだけれど、それ以上細かいことは忘れてしまった。
 加害者遺族とはいえ、なんの関係もない見知らぬ人間の死にいちいち胸を痛めていられるほど、優しい人間じゃない。そもそも僕だって殺害未遂の被害者なのである。必要があればひと様に頭も下げてきたが、本心はそれ以外の何物でもなかった。
 兄さんの件に関する難しいことは、もうほとんど弁護士の人に任せることにしている。七年前の事故のとき、お世話になった先生だ。僕がこんな考えなのにも関わらず最善を尽くしてくれて、なんだか申し訳ないなと思う。それが仕事なのだといえばそれまでだけど。
 午前七時四十五分。駅前の小さな噴水近くにあるベンチに荷物をおろして、待ち合わせの相手を待つ。思いのほか暇なので、噴水や近くを通りかかった野良猫たちなんかをマイカメラで写真に収めていたら、あっというまに時間が過ぎていた。

「……す、ばる、おまた、せ」
「全然待ってにゃいよー」

 呼びかけられて、振り向く。スーツケースを転がすアオイが、ちょうど路線バスから降りてきたところだった。

「もう、撮っ、てる……あ、れ? あた、らしいの?」
「あー、今まで使ってたやつ、父さんのでさ。こっちは父さんからのプレゼントで、新しいほう」
「なるほ、どっ」
「あれより軽いよ」
「っお、おぉー」

 大きさが変わったので、気がついたのだろう。手に持たせてみると、なぜか喜んでいる。

「じゃあ行こうか」

 少しぎこちない動きで、アオイが頷いた。ベンチにまとめておいた荷物を背負い、改札に向かってゆっくり、彼女に合わせて歩いていく。

「た、のしみっ、だねえ。あまみ、おー、しま」
「うん」

 きょうは、目的地についたら早めの夕ご飯を食べて、寝るだけになる。一般的なそれよりもゆったりとした旅だろうけど、僕もそれくらいがちょうどいい。

「高校のときの、榎本先生とハイビスカス。あれを超える一枚が撮りたいなぁ」
「で、き、るよ」

 歩を止めて、アオイが確信に満ちた表情で言った。
 ……時々、ほんとうに時々、彼女の声を聞くのがつらいことがある。こんな風に、いろいろな気持ちをアオイが一生懸命に伝えてくれるとき。思い通りに言葉を発せず、もどかしそうな目をしているのが見ていて少しだけつらい。
 軽度の吃音、緘動。諸々のストレスやショックがもたらした、あの誘拐事件の後遺症だ。幼少期、まったく話せなくなったことがあるらしく、そういう体質なのだろうと本人は言っていた。僕がいるから、またいつかふつうに話せるようになるだろうとも言っていた。後者の意味はよくわからないけれど。

「すぅくんなら、できるよ」

 アオイは、二十一年の人生を、過去を経て。いま、幸せだろうか。どうかそうであってほしい。
 目の前にある、やわらかい笑顔を見つめながら考える。
 相手の感情なんて、思考なんて、わからなくて当たり前だ。ときには相手自身でもわからないことがあるかもしれない。ならば。

「ありがとう」

 まずは僕自身が、いまこの瞬間の幸せをめいっぱい噛み締めることにしよう。
 僕が幸せだと思いつづける限り、アオイもいっしょに幸せなのだ。きっと。




       完

Re: すばる【完結】 ( No.17 )
日時: 2020/09/28 22:33
名前: 厳島やよい (ID: l/xDenkt)



■ あとがき ■


 はじめまして、厳島やよいです。これまでダーク・ファンタジー(シリアス・ダーク)板にて執筆していましたが、今作はストーリーや表現の都合上適さない部分があるため、複雑・ファジー板へ投稿するに至りました。
 過去作の続編を書こうとしていた中、思うように筆が進まず、気分転換も兼ねて書いてみた物語です。絵を描いている合間の休憩にさらに絵を描くなんて……という話を時おり耳にしますが(わたしもよくやっていました)、その小説版を自分もする日が来るとは。おもしろいものです。

 『すばる』は、これまであまり書いたことのない分野・描写を中心に、自分の好きな要素ばかりを詰め込みました。いつもとさして変わらないじゃないか、と感じても、決して間違いではないと思います。笑
 絵描きや物書きを登場人物にしたことはあったけれどカメラマンは昔に一瞬書いたきりだったので、話のメインではありませんが、久々にやってみたいなと挑戦したことのひとつです。その他、くわしくはあとがき(2)にて。

 書いていて楽しかった。自分を満足させるという目標は大きく達成できました。そんな小説の落書きみたいなものを投稿するなんて果たしていいのだろうか、という疑問が残りますが、終わりよければすべて良しということで。
 またいつか、この板で作品を書いてみたいと思っています。


 『すばる』をお読みいただいたすべての方に、感謝を込めて。

2020.9.28 厳島やよい
 
 

Re: すばる【完結】 ( No.18 )
日時: 2020/10/17 15:53
名前: 厳島やよい (ID: l/xDenkt)

※本編の内容が含まれるため、未読の場合は閲覧非推奨
 記録がわりに書いたようなものですが、興味のある方は、ぜひ。

■ あとがき(2) ■


内容
□ 親記事>>0の注釈について □
□ 物語自体について □
□ 登場人物について、好きな要素など □
□ 登場人物について、裏設定など □
□ その他、おわりに □



□ 親記事>>0の注釈について □

 冬までには書き終わるかなと考えていたものが、一ヶ月もかからずに完結してしまいました。……とはいえ、じつは以前二回書き直しているのです。
 この作品は今年の春頃原型が生まれたもので、ちょっぴりファンタジーなお話になる予定でした。『土曜だけのバカンス』が当時の題名案です(由来は宇多田さんの曲)。そのイメージソングが『Time Forgotten』だったので、執筆中はよく聴きながら作業していました。
 登場人物の名前や話の大筋は大体がそのまま。ただしいまよりもっと短い短編か、SSにする予定で、チカも六年前の事故で本当に死んでいる設定でした。スバルとアオイがある日からふしぎな海辺の夢を見るようになり、その中で死んだ兄と出会い一悶着を起こす……というあらすじです。スバルの父も虐待の加害者側設定、ミドリも殺されず生きていました。
 が、執筆も序盤で一度目の断念。ここでまず、ファンタジー要素を諦めて、チカを生き返らせます。
 二度目の断念は、それから約二ヶ月ほどたった頃の話。
 ……これまでの完結作品では、あらかじめ、ある程度細かく物語の流れを決めてから執筆に取りかかってきました。しかし『土曜だけのバカンス』でも書き直し一回目の『スバル(旧)』でもその作業をすっ飛ばし「書きながら考える」スタイルで挑戦しようとしたのです。
 案の定、失敗。いまの自分には難しい方法でした。ここで、ミドリが殺され、アオイはさらわれます。
 ようやく書き上げた三度目の正直が、この『すばる(改)』というわけなのでした。執筆開始日はきちんと記録していたわけではないため、実際より数日~一週間程度遅くなっている可能性が高いです。

 EDには似合うかなと考え、『Time Forgotten』はイメージEDとなりました。イメージソングとともに作業の助けになった、大好きな一曲です。


□ 物語自体について □

 テーマは『過去を背負って生きること』。ここでいう「過去」が主に何を指すか。
 スバルは、兄と母にいじめられていたこと・家族では唯一の味方でいてくれた父を亡くしたこと・そして、兄が受けていた性的虐待を黙っていたこと。
 アオイは、父の死の前後に寂しい思いをしたこと・世界から取り残された経験・大好きな母を殺されたこと・誘拐された三日間・チカを手にかけようとしたこと。
 ミドリは、子供の頃にいじめられていた経験・愛する夫を亡くしたこと。
 チカは、母から受けていた精神的、性的な虐待。
 無理に乗り越えていくのではなく、あくまでも背負って生きていくものとして。これらを、幸福や不幸と絡めました。

 全体的な構成としては、二周目が初読よりちょっぴり楽しくなることを目標に組み立ててあります。すこし考察ができるようにしてみたり、皮肉っぽいフラグを立ててみたり。(登場人物について、裏設定など と合わせて読んでみても面白いかもしれません)
 細部には、仲の悪い兄弟や、微妙な年の差の関係、それに対しての大きめな年の差、登場人物のことをもっと知りたくなるような日常描写、食べ物の登場場面など、好きな要素を意識して盛り込んであります。だれかに刺さるとうれしい。

 今回は時間軸が、幼少期、高校時、現在とに大きく分かれていて、登場人物の過去編が二段階あるという若干面倒なつくりでした。なるべく冗長にならないよう、不要な箇所は思いきって捨ててみたり、簡略化してみたのですが、それでもまだまだだなあと思います。書いていて疲れたところもありました。


□ 登場人物について、好きな要素など □

・仲の悪い兄弟
  小説の中できょうだい(ふたりの場合)を書くとき、大抵好きなパターンに乗っ取って書くことが多いです。
  兄弟、姉弟は、本気でも照れ隠しでも仲が悪いのが好き。兄妹、姉妹は、友達みたいなノリでも溺愛系でも仲がいいのが好き。
  でも基本はなんでもいいし、双子になるとこのパターンじゃないこともあります。

・微妙な年の差の関係
  大人になれば誤差でしかないけれど、子供のときの一~五歳差ってとても大きい。
  「自分のほうがおにいさん/おねえさんだから」って頑張ったり多少背伸びしちゃうところ、そんな歳上さんを頼りにしている歳下さん、両方かわいいです。(男女の組み合わせはどれでもいい)

・微妙な年の差、に対しての大きな年の差の関係
  片方の幼さ、もしくは大人らしさを際立たせやすかったり、そのギャップを書きやすかったりで好き。十年後、二十年後、旅館の窓際のあのスペースとかで語り合ってほしい。
  こちらも男女の組み合わせはどれでもいい。

・登場人物のことをもっと知りたくなるような日常描写
  この作品でいうところなら、スバルと岸くんの会話シーンだとか、ミドリとなーちゃんの会話シーンだとか。
  理想を言うならキャラクターのモーニング(ナイト)ルーティーンなんかを組み込んでみたいものの、物語の流れを邪魔せずに取り入れるとなると、この話ではラスト近くのスバルの朝食シーン程度が限界です。

・食べ物の登場シーン
  本気で読者の食欲をそそるような、いわゆる飯テロ的描写にまでする気はさらさらありませんが。
  どんな食べ物なんだろう、見てみたいな、同じものを食べてみたいな、と思わせられるような登場シーンが目標です。


□ 登場人物について、裏設定など □

雨宮あめみや 昴琉すばる
  二十二歳。
  仮案時の名前は、天宮昴。アオイの名前を漢字二文字にしようかと迷っていたのの、どうもしっくり来なくてスバルのほうに。
  本編ではチカと比べられる描写が多いが、幼い頃から地頭がよく、粘り強さも負けない。その代わりに体力がない。甘いものが好き。

相馬そうま あおい
  二十歳。原案では絵描きさんでした。
  ストレスが主に言葉(発声)に現れる体質。冷たすぎるものや辛いものが苦手で、シンプルめな料理が好き。
  チカを刺したとき、スバルを助ける目的だったのか、復讐の意味だったのか、はたまたその両方かはご想像にお任せします。

相馬そうま みどり
  とくに年齢は決めていない。
  常識人枠、そして聖人枠。健康に気をつかって普段は控えているが、辛いものやジャンクフードが好き。お休み中に資格を取り、医療事務に転職。

雨宮あめみや 千嘉ちか
  二十六歳。元ウェブデザイナー。
  自分の名前が嫌い。女の子でも男の子でもいいように、生まれてくる前母親が考えたという設定。コーヒーが大好き。

●雨宮家、父
  建築家。学生時代から趣味で写真をやっていて、ときどき副業として知人からのみ依頼を受けている。インテリアのこだわりは強い。

◯雨宮家、母
  チカが生まれるまではわりとふつうの人だったが、恋人や夫に依存したり、自殺をほのめかすような発言をすることがしばしばあった。

◯なーちゃん(ナナミ)
  ミドリと同い歳の、父方のいとこ。二男一女の母。子供のころからミドリとは仲良し。玉子豆腐が好き。

◯ミドリの母、アオイの祖母
  男の子の孫がほしかった。家では夫の趣味で柴犬を飼っているが、本当は猫派。何だかんだで飼い犬のことも好き。

きしくん
  年齢的にはスバルと同級生。彼の作るカルボナーラが大好き。味付けのしかたなんかが違うらしい。

●店長
  人が良すぎてときどき損をする。子どもはアオイと同い年の双子の姉弟。

如月きさらぎ 琢哉たくや
  文字化けさせた名前の人。アホの子枠。実家が資産家。父親とはもめている。

北野きたのさん
  以前通っていた公立高校で教師に嫌がらせをされたことがきっかけで、一年生の秋に転校してきた。

◯「たまによくいる」女の子
  小学生の頃から不登校で、原因は自分でもわからないらしい。生まれつき明るい茶髪。


□ その他、おわりに □

 タイトルがひらがなであることに深い意味はありません。
 作品一覧のページを見たとき、カタカナ・漢字率が高いな、文字数も多めだな、と感じたのでひらがなのみの短いタイトルにしてみました。

 執筆自体、過去作ほど熱を入れていたわけではないのですが、2.『ミドリ』は「好きで女に生まれたわけじゃない!」「ミニアオイちゃんかわいい!」という感情を燃料がわりにして書いていました。
 男女差別はやめようとか、暴力はいけません、命を大切にしようとか、そんなことをだれかに伝えるつもりで書いているわけじゃありません。笑 しいて言うなら、いろんな人がいるんだなと思ってほしい。

 基本ストレス発散のために小説を書くことが多いので、楽しいけど、一本仕上げるだけでわりと疲れてしまいます。しばらくはカキコ内の作品を読んだりしながら、のんびり新作を書いていきたいです。

 ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました。



(追記:2020.10.17 本編をざっと校正しました)


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