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神様とジオラマ
作者: あまだれ ◆7iyjK8Ih4Y  (総ページ数: 65ページ)
関連タグ: ファンタジー 能力もの 
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*35*

「さあ」

 指を指されて私は傘を持ち上げた。リボンを解けということらしい。片方を引っ張ると、するりと滑らかな音を出して白いリボンは私の手の中に落ちる。

「それは結んでおこう」

 彼は私の左の手首で蝶結びを結った。随分、布が余る。途中で解けてしまわないだろうか。
 束縛から放たれた黒い傘が腕を揺らして、今か今かと開かれる時を待っていた。
 落ちたら拾えばいい。そうだ。持ち手の上、最も頑丈な骨に手を添え、上に押し上げる。手に走る重み。束縛、寧ろ呪縛を解く重みであろう。
 傘が開いた。私は息を飲み込んだ。
 ああ、なんて。傘の内側から放たれる光をなんというべきか。それはまるで、神の慈悲のような。あの夢のような。英知である。まごうことなき神の創作物だ。
 肩に手が乗った。酩酊感を忘れて御影を見る。

「いい物だろう? 君が使えればもっと、それは素晴らしい物になれる」

 そうか、急げと。
 私は扉をみた。くすんだガラスが無表情に帝釈天を守っている。脆弱に。愚直に。
 私は開いた傘を、扉に向けて振った。目の内に描くのは雷雨である。君は耐えれられない。
 稲光が波打ちながらガラスの上を走った。雨が扉を打ち、風が隙間を強引に押し入る。ガラスが割れる。欠片が舞って、金属の枠がねじ曲がった。

「上出来だね」

 良い感覚だった。大きく息を吐き出した。疲労感は微塵もなく、寧ろ信じられないほどのエネルギーが私の中で渦を巻いているように思えた。
 前へ運ぶ足の下でガラスの破片が音を立てて呻いている。御影の足音も後ろからついてくる。
 あの趣味の悪い照明は点いていない。窓の無い暗い廊下に玄関からの朝日を受けて埃が輝いている。

「二人、来るね。僕もちょっとは頑張るけど、主に君が……」

 彼が言葉を言い終える前に、私は足を止めた。両脇の病室の扉が乱暴に開く。
 狐面が御影の言った通りに二人、病室から出てきた。竹刀の学ランの彼は竹刀を前に構え、セーラー服の彼女は小柄なナイフを掴んだ右手をこちらへ向けた。前置きは要らないようだ。私も彼らにならって、傘を構える。横目には御影は半身を切って指を折り、彼らを煽る仕草が映った。

 御影はナイフを握った彼女の腕を軽く蹴り上げた。ナイフが落ちる様子を眺める暇もなく、竹刀が飛んでくる。選択の権利はないようである。
 とっさに伸びた傘で竹刀を弾き返した。長く黒い前髪を被った彼の狐面が揺れ、体勢を立て直す。彼には何が似合うだろう、私は思いを巡らせてみる。竹刀は四方から狙う。屈強な傘で弾き、避け、私の脳の裏には太陽が現れた。

「殺す必要はないよ」

 御影の声は小さくも廊下に響いた。ちらりと視界に捉えた彼は、座りこんで倒れた少女の長い髪をいじりながら呑気に笑っている。
 舌打ちを零して、彼の狐面に傘の先を向ける。日陰の彼。ほんの少しの慈悲の気持ちで、矛先を竹刀を持つ手にずらした。彼は被害者だ。
 砂漠の昼下がりのように。皮膚が煙を揺らして焦げる音がしてからすぐに、私は傘を、雨をはじける位置に戻した。竹刀が床で跳ねる。

「雑魚がいっぱい来るね。全部の相手はしなくていい、夕月。君は先を急げ」

 息つく間もなく。次々開く扉の音を聞きながら、御影に向けて頷いた。

「幸運を祈る」

 彼は軽く手を上げた。私はくるりと踵を返して、黒い廊下の奥へ足を一歩伸ばした。軽く体を浮かせて走る。背中に吹かせた風が足を速める。
 氷。前を塞ぐ狐面の学生の群れに向け、慣れぬ武器を何の疑いもなく握る手に向けて放つ。一つ一つ、確実に凍傷が刻み込まれていく。痛かろう。帝釈天が知らず与えた痛みである。
 なおも立ちはだかる彼らの間を縫って、エレベーターの前に辿り着いた。上へ行くボタンを押した。扉はすぐに開いた。
 狐の化粧を施された細い目がこちらを見ている。鉄の箱の中から、彼らを見つめる。武器で埋まる床の上、赤い手をだらりと下げて、彼らはこちらを見ている。
 扉を閉めた。彼らは仮面の奥で何を思うだろう。

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