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神様とジオラマ
作者: あまだれ ◆7iyjK8Ih4Y  (総ページ数: 65ページ)
関連タグ: ファンタジー 能力もの 
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 万事は悪い方向に向かっている。と、そう、白い男に会ったあとに根拠も無く思ったものだったが、それが間違ったことではなかったと、今、確信した。

 露木がマンションを訪れてからすこしたったある日、私は、猫を抱えて、何となく、どことなく、悲しいような寂しいような感情に目眩を起こしていた。
 御影はというと、タイプライターを叩くことも止め、ふらりとどこかへ出かけることが多くなっていた。仕事が多いのだと、零すのを聞いた。吉祥天が死んでから、何か、街も人も、どこか変わってしまったように感じられる。外気に混じって、何かが巣食っている。
 潔白の壁に背中をもたれて、だんだんと秋めいてきた大気を吸いこんだ。世界が、この小さな私の部屋を連れて暮れていく。腕の中、紺色のブラウの布越しに、眠る猫の温かさが伝わってくる。背を撫でる私の手のひらに広がる、柔らかな毛並み。そして、小さな心臓の鼓動。

 心臓が止まるとは、どういうことだろう。
 当たり前に続いていたことが、ある日ぴたりと、やめてしまう。死んでみたいと、御影や、露木や、吉祥天や、死ぬことのない存在は、一度は感じたことのあるだろう。不老不死の薬を放棄した老夫婦とはちがって、彼らには選択の余地はなかった。
 どんなに死を望んでいたとして、その者にとっての死が幸せなことだったとして、それでも、それは悲しいことだと思う。
 吉祥天が死んだ。それは、悲しいことだと思う。あの妖艶な、吐き戻しそうな甘い雰囲気も、嫌いではなかった。もう、いない。きっと御影や露木は、私よりもっと悲しい。

 きっかけはそんなことだった。悲しみ。寂しさ。喪失感。
 開け放した窓から入ってくる、夜のはじめの、秋のはじめの冷たい風のせいで、どうしようもなく、それらが肥大化した瞬間だった。
 涙の粒が、猫の背に落ちるのが見えた、その瞬間だった。たしかに腕の中にあった温かさが、蝋燭の火が吹き消されたように、煙を残して消えてしまった。
 猫が、消えてしまった。
 消えてしまった。私は手のひらを見て、手の甲を見て、腕にまだ残っている温もりを摩り、ああ、と、ひとり声を上げた。どうして。

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