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第七話 鬼道イリュージョンの影
七月。
昔の不動は強さを求め、周りを傷つけることで自分を確立していた。だが人と触れ合う中で自分のやり方がおかしいことに気づいていた。高校に入ったころからは、まわりにも気を使うようになり孤立することもなくなっていった。
少年のころの彼が強さを求めていたのには理由がある。彼の父は会社に不当にリストラされ、多額の借金を抱え家族全員借金取りに終われるようになった。彼の母親は、こんなことにならないよう不動に「偉くなって見返しなさい」と教えた。
彼は自身の強さでのしあがること以外は考えなくなった。むしろ、積極的に人を傷つけて自らの存在意義を主張した。
そんな彼が今では穏やかな表情を浮かべながら、女性とデートをしている。
仕事と練習の合間に、不動は京香と山にハイキングに出かけていた。気持ちの良い風が吹く。
しかし、絶対に過去は消えない。不動は多くの人を傷つけたことを誰よりも深く後悔していた。彼が風来坊だったのには理由がある。自らの余裕を無くし、どうにかして罪を償えないかと頭を悩ます日々から逃げたかったからだ。
生活に余裕が出たいま、不動はふたたびその問いに悩んでいる。自分がこんな幸せでいいのかと、過去の自分が問いかけてくるような気さえした。
「どう? 綺麗なところでしょ。ハイキングの終点にぴったりだと思わない?」と、京香が言う。
「悪くねえな」
よっこらしょ、と言いながら不動は近くの切り株に腰掛けた。
「ここはね、夜に来ると星がとてもたくさん見えるの」
京香は空を見上げる。
「素敵な風景だよ。少しを手を伸ばせば届きそうだけど、でもすぐに届かないことに気づく……」
「結局届かないじゃねえか。なんでこの場所が気に入ってるんだ? 星なんざどこででも見れるだろ」
「ロマンがあるじゃない。一瞬でも星を掴める気がする、でもそれは儚く短い夢、ってね」
「よくわからねえな」
「せっかく来たんだし、キャッチボールでもしない?」
「やけに荷物持ってると思ったらそれか。ま、いい気晴らしにはなるかもな」
カシミールにて。不動が練習の合間に手伝っていると、米田が入ってきた。
「おう明王、やってんな。キーマカレーひとつ」
「あいよ。忙しいそうだな」
「ああ、まあ、俺のことはいいさ。お前こそ落ち着いたみたいだな。どうなんだ、奈津姫とは?」
「どうって何がだ?」
不動はテレビ中継を見ながら、洗った食器を拭いている。テレビにはペンギンズの選手、栗松がうつっている。
「そりゃあねえぜ。仲は進展したのかってことだよ」
「ああ、何もねえな」
「おいおいずいぶん素っ気ねえなあ」
「別に仲が悪いことはねえが、そういう方向にはならねえだろ」
「お前さんならそういうとは思ってたが、人間惚れた腫れたなんてどんなときにあるかわからねえぜ?」
「どうでもいいな。かー、栗松は相変わらず下手だな。なんでこれでレギュラーなんだか……」
「ペンギンズは層が薄いからな。それに事故があって、一軍の選手はほとんど入院しちまったそうだ」
「事故? 物騒だねぇ。ま、こいつら二軍の選手にとってはチャンスなのかもしんねえがな」
配達の仕事を終え、不動は野口の診療所に寄った。
先日の治療費を受付に渡すだけの用だったのだが、野口は存外暇だったようで不動を見つけるなりコーヒーを出して座らせた。
「ちょいとお前さんとは話したくてな」
「ビクトリーズのことだろ。その前に、治療費が貯まったから持ってきたんだ。あんたにゃ世話んなったからな」
「いらんいらん。それにコアラーズに勝ったらチャラって言っただろう。ステーキでも食べて精をつけろ」
「はっ。あんたほどご立派な人物を見たことねえよ。あんがとな」
「いいさ。それよりチームのことだ。今回お前がキャプテンになったことに、商店街の連中はかなり不満を持ってる。この間も玄武とジモンが練習中に接触して、口論になったしな」
「わかってらぁ。でもあんただって商店街の人間だろ。なんでそんな冷静なんだ?」
「たしかに、今回の件に関して私も言いたいことはある。だからと言って君たち助っ人に不満を持つのは筋違いだと私は思う。それは、商店街の連中も頭ではわかっているんだ。助っ人がチームのために動いてくれてるってことはな。だが、わかってても納得できない部分がある。まったく厄介な生き物だ、人間ってのは」
今日は、商店街で毎年恒例の夏祭りのイベントがある日だった。河川敷では花火が打ち上げられる。
「おっちゃん早くでやんす! もう母さんたちは先に河川敷に行ったでやんすよ!」
「わかったわかった。練習で疲れてっからそう急かすな……」
不動は足を止めた。ゆっくりと左右に視線を動かし、周囲に注意を配る。人だかりの中、目立つのは浴衣の若い女性ばかりだが、遠くの木陰に知っている顔がひとつあった。
「どうしたでやんすか」
「財布を忘れちまった。あとでアイス買ってやっから先に行ってろ」
「まったくおっちゃんはしょうがないでやんすねえ。早く来るでやんすよ? 花火見逃したら怒るでやんすからね」
カンタを見送り、不動は道路の隅に移動してしゃがむと靴紐を結びなおした。
「何の目的があるんだ、辺見」
「お、気づかれてたか。流石だろ、この辺見様の元相棒的に考えてな」
「質問に答えろ。死にたくねえならな」
「ハッ。商店街の一大イベントである夏祭りを潰しに来たんだよ。さっきのガキ、お前にえらく懐いてるな。祭りを台無しにされたらさぞ悲しむだろうな」
「お前……何を考えてるんだ?」
「やめてやってもいいが条件がある」
夜空に花火がうちあげられ、乾いた音が商店街に響く。
「ここはお互いにスマートに行こうぜ。俺はお前が邪魔、お前は俺が邪魔だ。俺が望むのはお前との決着だよ」
「決着か。かまわねえぜ」
不動は腰に隠したナイフに手を伸ばす。
「おいおい勘違いすんな。スマートにっつったろ。俺は次のビクトリーズとの練習試合に、イリュージョンの助っ人として参加する。だからここはお互いサッカーで勝負といこうや」
「サッカー……か」
「ああ、お前と俺の好きなサッカーさ。『7月15日の試合に負けたほうは商店街から手をひく』これでどうだ?」
「問題ねえぜ」
「相変わらずスカした野郎だな。忘れるなよ? 負けたほうはチームから脱退だ……」
走って河原に向かうと、橋の近くで京香、奈津姫、カンタが待っていた。
「おっちゃんおそいでやんす! もう始まってるでやんす!」
「でもよかった、名物の10連発には間に合いましたね」
奈津姫が言うには、商店街の人間が自作した打ち上げ花火10連発がブギウギ夏祭りの名物らしい。
花火が打ちあがる。「綺麗ですね」と奈津姫が言う。「質素だけど、こういう幸せが一番いいのかもしれないですね」
「そうかもな」不動はそう答えてふと笑みをみせた。こうして家族のように花火を見に来ることなど、ストリートで悪童として知られたかつての彼には考えられないことだった。しかし同時に、多くの人を傷つけた自分が、こうも人に優しくされていいのか、という考えが彼の脳裏には常にあった。