ダーク・ファンタジー小説 ※倉庫ログ

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それはきっと愛情じゃない。
日時: 2014/05/10 22:03
名前: 柚々 ◆jfGy6sj5PE (ID: lMBNWpUb)

多くの方ははじめまして。
ごきげんよう、です


「それはきっと愛情じゃない。」は、
が受験勉強の最中にちまちまと描いていくであろう道筋のひん曲がった青春物語です。
テーマは、シリアスというよりはライトよりなのかもしれませんが、もしかするとただの恋愛物語だったりするかもしれません。
だからって複雑・ファジー板に行けって言うような目で見ないでくだ以下略。


・「自分の名前の大切さを知る物語」になる予定。きっとみんな幸せになれる。
・コメントはのメンタルを殺傷しない程度でお願いします。
・読みやすいようにある程度の改行は施してあります。
・ネチケットは守ってね。
・少なからずグロ描写がらあります。苦手な方は気をつけてください。


*


登場人物紹介 >>1(9月29日 編成・更新)

0 冒頭は悪に占拠され >>2 >>3 >>6 >>12 >>13 >>18 >>19 >>20 >>21 >>22 >>23 * >>24
1 そしていつもの月曜日? >>27 >>28 >>29 >>30 >>33 >>34 >>37 >>38 >>39(8月10日 更新)


*

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Re: それはきっと愛情じゃない。 ( No.35 )
日時: 2011/10/29 00:22
名前: 柚々 ◆jfGy6sj5PE (ID: DgbJs1Nt)

*
 

 僕の名字は伊南。
 小学生の頃には安倍くんやら、安藤くんやらが僕を一番の座から引き摺り下ろしてくれていたけれど、中学に上がった途端にクラスがこれまでにない程ちぢに分かれて、名字が『あ』で始まる奴とめぐり合えなくて、だから強制的に出席番号一番になった。
 当然、窓側の一番前の席が僕の居場所となった。その場所は一見、先生の視覚に入るものだと自惚れていたところ、その考えは一瞬で崩壊した。
 数学の時間も。英語の時間も。理科の時間も。社会の時間も。実技の時間も——僕はいつも先生の目に留まるらしく、席を立って教科書を読むように促されたことが多々あった。

 ——おい伊南、この問題を解いてみろ
 ——じゃあ伊南くん、この文を訳してみて
 ——伊南、とりあえず塩化銅のイオン式考えてとけ
 ——それじゃあ伊南、タイ王国の正式名称を答えてみろ
 ——伊南くん、肉じゃがの作り方を黒板に書いて

 正直うんざりする。腐れ縁の友達には腹を抱えて笑われるし、発言することが多いものだと先生に誤解され、二者懇談では「まさかお前がこんな奴だったとは」と腕を組まれた。
 席替えの日を待ち続ける日が始まろうとしていたそのときだったと思う。
 国語の時間。
 教師の名前は桃瀬璃央。
 綺麗な容姿をしているが、僕は何度もそれに騙されてきた被害者であった。人を見た目で判断すると痛い目を見る。
 ベージュのチノパンに、淡い花柄のジップ付きのシャツ。

 ——えっと……じゃあ——誠くん。この文に使われている表現技法は分かるかな?

 彼女は唯一、僕のことを名前で呼んでくれる先生だった。
 表現技法なんて分かったもんじゃない。けれど一つだけ、彼女は他の先生とは違うということだけが心に残った。挙手もしていないのに指名されることに腹立たしく思うことがなくなったのは彼女の影響だと思う。僕はすっぽりと穴に落ちて、彼女しか見えなくなってしまったみたいで。他の生徒にいじられて、顔を真っ赤にしている彼女は最高に可愛くて。彼女のことを考えると顔がにやけてきて、彼女の方もきっとそうだったら良いと考えることが多くなって。国語の時間が楽しみで仕方なくて。そして仕舞いには——僕が彼女へ向ける視線には、次第に色がついてきた。それが何色なのか、言わなくても分かることだろう。ずっと隠してきたけれど、よく考えれば隠す必要なんてどこにもなかったじゃないか。
 恋とは、甘くて苦くて酸っぱくておいしいもの。
 国語の授業の時間にそれを教えてくれた彼女のことを、僕は今、愛してやまない。
 赤信号さえも突っ切って、大好きが止まらないんだ。

「どうしたの誠くん。美術室で待っててくれればいいのに」

 普段、生徒には出入りされない木工準備室の中に桃瀬璃央はいた。狭くてホコリくさい準備室の中を埋める、古めかしい棚の引き出しを開け、そこからデッサン用の鉛筆を取り出している最中だった。
 僕は準備室の扉を閉めて、何食わぬ顔で桃瀬先生の隣に立つ。僕とそうも身長が変わらないからか、そうしただけで彼女の甘い香りが鼻をくすぐる。

 嗚呼。もうだめだ。もうだめだよ。

 抑えきれないよ。
 がまんできないよ。
 ぶつけたいよ。
 殴りたいよ。
 蹴りたいよ。
 縛り付けたいよ。
 そうして動けなくなった彼女を、自分のものにしてしまうのもいいと思うが——ダメだ。彼女にそんなひどいことはできない。
 こうして隣に立っているだけで幸せなんだ。 
 血管がはちきれそうなくらい、僕は彼女を愛しているのかもしれない。



「ねえ、桃瀬せんせー。僕さ、桃瀬先生のことが好きなんだけど」



 彼女の手からデッサン用の鉛筆が滑り落ちた。
 それは芯の方から落ちていって、薄汚い白の床に汚れを増やした。

「ライクじゃなくて、ラブの方で。ねえ、先生は、僕のこと、好き? ラブ?」

 彼女はまばたきをするのを忘れてしまったのだろうか、落とした鉛筆を拾おうとはしない。

「好きって言うか、それを通り越して愛してるかもしれないんだ。先生は僕の気持ちに、ちゃんと応えてくれるよね?」

 動かない彼女の変わりに、僕はその場にしゃがみ込んで、芯の折れた鉛筆を手に持つ。

「嘘はいらないから——正直に答えてくれればいいんだ」

 彼女の手をとり、半ば無理矢理、鉛筆を握らせて。

「それじゃあ、答え、待ってるね」

 僕は彼女に背を向けて、すぐさま準備室を後にした。
 そして。
 準備室の扉を閉めたあと。

「……やっちまったよ」

 胸の鼓動が収まらなくて、結局、朝部活をサボることになってしまった。


*

Re: それはきっと愛情じゃない。 ( No.36 )
日時: 2011/10/30 00:08
名前: 柚々 ◆jfGy6sj5PE (ID: DgbJs1Nt)

>>朝倉疾風さん
進行しちゃったら、BL板に移らないといけなくなるじゃないですか笑
私にはまだ早い領域に入ってしまいますよ笑笑

人を悲しませたり、怒らせたりしてしまった時の罪悪感ってすごいですよね
私はそれに耐え切れず、立場がどうであろうと自分の方から謝りに行ってしまうタイプです;
何かを一つ得ることは、何かを一つ失うことに等しい
なんて言葉、どこかで聴いたことがありますねー。誰の言葉だったかしら…

伊南くんがトーマくんにデレる時は、お酒を摂取しているときだけでしょうb
シュールな笑いがとれていると嬉しいですが;

やっと登場させてもらいました桃瀬先生は…、そうですね、小悪魔系っていうのが正しいでしょうか
彼女の場合は無意識のうちに小悪魔化していると考えていただけたらいいですb
やはり保健室の先生は美人さんに限りますねb

期待されちゃいましたかー。これはがんばるしかありませんねっ
そうも簡単に告白させないつもりですが笑
水野さんは今、本当に苦しい気持ちになってもらっています。おいたわしやー

面倒くさいわけないじゃないですか!
朝倉さんのコメントには、本当に元気や勇気をもらっております><
今回も、コメント本当にありがとうございましたー!!

Re: それはきっと愛情じゃない。 ( No.37 )
日時: 2011/11/02 22:20
名前: 柚々 ◆jfGy6sj5PE (ID: DgbJs1Nt)

*


 胸の鼓動が収まらなくて、結局、朝部活をサボることになってしまった。
 というのは嘘だ。正しく言い換えれば、それは許されなかったのだ。

 僕が準備室の扉を閉めた途端に、再びそれが開け放たれたのだった。
 僕は驚いて、思わず振り向く。そこには、なにやら意味の分からない汗をかき、薄く笑っている桃瀬先生がいた。

「ま、誠くん——」

 桃瀬先生の手には芯の折れた鉛筆が握られている。

「い、今の言葉さ——嘘だよね? そうだよね? だって、だって——」

 こんなに至近距離にいるというのに、桃瀬先生は一向に僕と目を合わせてくれない。
 いやそんなことどうでもいい。
 いま重要なことといえば。

「嘘じゃないよ、嘘なわけないよ……本心だよ」
「でもそんな……だ、ダメよ」
「なんで?」
「ダメなのよ——」
「先生は僕の気持ちに応えないどころか、まともに受け止めてもくれないっていうの?」
「違うわ、そうじゃないわよ。でも、今のはいけないよ——」

 震える桃瀬先生は、ついにその言葉を言った。

「——さっきの告白、訂正してくれないかな…………」

 あ。ああ。そういうことか。そこまで、嫌だったのか。
 なぁんだ。
 じゃあ僕の初恋はこれで終了ってことで、ここで新しい人を見つけて恋をしろってことか。
 それは、意味の分からない数式を解けを言われることよりも、理解不能の英文を訳せと言われることよりも、習っていない範囲の用語を言えと言われることよりも、分かるわけのない長い名称を答えろと言われることよりも、作った事の無い料理について語れと言われることよりも——

 辛い。

 目尻が丁度良い位にほぐれてきて涙が溢れた。
 もういいや。
 両手で顔を覆い、もういっそ泣いてしまって、最後に彼女に甘やかせてもらおう。そうしたらきっと最後に良い夢でも見られるんじゃないかな。と考え、まさにいま目を閉じて溢れた涙を零そうとしたときだった——

「だって、さっき、扉の向こうに、女生徒がいて」

 鼓膜を貫くのは、愛した人の涙声。

「ずっと、こっちを見てて。だから私、怖くて。さっきのがバレたら、誠くんに何があるか分かんなくて」

 僕は反射的に彼女の手を握り、先ほど短い間だったが居座っていた木工準備室に再び入った。
 そして今度は、ちゃんと扉を閉めて、そして最後に鍵をかけた。
 がちゃん。
 という音に、彼女はぴくりと肩を震わせた。不安そうに僕を見る彼女の瞳には、僕と同じように涙が浮かび上がっていた。その涙を見た途端に、先ほどの出来事が脳内で再生され始めた。

 僕の告白を聞いている最中。桃瀬先生は、まばたきはもちろん、呼吸さえもしていなかったのではないか。
 中途半端に口を開けて、脱力しきって、大きな目を見開いて。でもその瞳は、本当に僕を見ていたのだろうか——?
 僕の後ろを通り抜けて。
 準備室の扉を見ていたのではないだろうか?
 もしかしたら、準備室に入った時に完全に閉めたと思い込んでいた扉は開いていたのではないだろうか?
 じゃあ扉のスキマには、何があった?
 彼女は先ほど『扉の向こうに女生徒がいて』と言った。

 その女生徒って誰。

 誰なんだ。
 もしかしてもしかして?

 ——いや。

 推測だけで物事を語るのは良くない。本当に良くない。
 今の僕に与えられた指名は、泣き出してしまっている桃瀬先生の涙を止めることだろう。木工準備室に二人っきりで、その上先ほど密室と化したこの場において、僕にできることと言えばそれぐらいしかない。重要なのは、どのようにして彼女を泣き止ませるかだ。ただ安心させるだけでは僕の恋心に毒である為、少しくらいハメを外して、自分の為にも彼女に言おう。優しく囁く天使か何かのように。そんなものこの世に存在しないことくらい分かってはいるけれど。

「先生」

 呼びかけても桃瀬先生はうつむいたまま。顔をあげる気配は見られないならば作ればいいだけのこと。
 僕は桃瀬先生の華奢な肩をつかみ、百パーセント強引に棚に押し付けた。強引という表現を使ってしまったけれど、桃瀬先生は一切の抵抗を見せなかった。
 力の入っていない彼女の体を動かすのは簡単なことで、呆気なく棚と僕にサンドイッチされてしまった彼女。

「せんせ」

 再び呼びかけると、彼女は体を大きく跳ねさせて、やっと僕を見た。
 涙の溜まった瞳。見た瞬間に彼女の精神がいまどんな状態なのかが手に取るように分かってしまった気がする。
 おびえきった桃瀬先生に、僕は優しく語り掛ける。

「あのね、ももちゃん。僕は大丈夫だよ。ももちゃんに告白したことがこの町に広まっても悔やんだりしないよ——むしろ誇らしい。好きな人に告白するのって相当勇気がいるけどさ、僕はあんまり勇気とか出してないんだよ。なんでか分かる? 口に出すのも恥ずかしいんだけど、その勇気でさえ、ももちゃんが僕にくれたものだからなんだ」

 そこで、無理をして笑ってみる。全ては好きな人を安心させる為に。
 意識をすると上手く笑うことのできない自分である為、きっと口元が引きつっていたかもしれないし、ましてや笑えてさえいなかったかもしれない。けれど僕が笑いかけた途端に彼女も微笑んでくれたことから、僕のにっこり笑顔は成功したらしい。
 さて次はどんな言葉で安心させてあげればいいのだろうか、と考えたときだった。
 桃瀬先生の白くて細い指が、僕の頬に触れた。

「誠くん——ありがとう」
「……はい」
「一年しか経ってないのに、誠くんは背が高くなったね。一年生の時は、私より低かったのに」
「そんなことないです。入学した時から、僕の方が高かったですって」
「そうだったかな? 男の子はズルイなぁ……急に伸びちゃうんだもん、ね?」

 心臓が高鳴る。ああいけない。その微笑みは僕の心をわしづかんで、どうしようとしているのだろうか。
 良い雰囲気すぎて困ってしまう。これほど彼女に近づくことができたのは初めてだと思われる。ご褒美にしては出来すぎていて、誰かの策略だと勘違いしてしまいそうだ。いや、勘違いではない——思い上がってしまって、後戻りできなくなりそうだ。しかし後戻りする必要なんてあるのだろうか。桃瀬先生の行動と言い、この甘い雰囲気と言い——これは僕の告白に対しての『イエス』じゃないのか?
 それを確かめる為に、自分の頬に触れる白い指に、自分の指を重ねた。
 そうした時だった。


「ももせえええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッッ!」


 鍵を閉めたこの部屋の扉の向こう。
 曇りガラスの部分から、華奢な上半身のシルエットが覗いている。


「そこから離れろおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッッ!」


 次の瞬間。
 がしゃん、と。
 曇りガラスを突き破って、そこから白い手が飛び出してきた。


*

Re: それはきっと愛情じゃない。 ( No.38 )
日時: 2011/11/08 23:49
名前: 柚々 ◆jfGy6sj5PE (ID: DgbJs1Nt)
参照: (^ω^)すかいぷェ……

*
 

 否、その白い手は、既に白ではなくなっていた。
 曇りガラスの破片が手のひらや指先に万遍に突き刺さっており、流血しているのだ。それは一種の迷彩柄に見える。甘い雰囲気をぶち壊した誰かの赤い血は、準備室の床にぽたぽたと滴る。
 角ばっていない丸い手の甲、細く白い指からこの手の持ち主は女性であることが分かる。けれど、なぜ——何を思ってこんなことをしたのだろうか。まるでホラー映画に入り込んでしまったかのような目の前の現実に欠けた世界に、僕は思わず怖気づいてしまった。

「——まことくぅん」

 曇りガラスの向こう側から、ソプラノの声が聞こえてくる。
 けれど僕は、歯さえもがちついていしまって、その声に答えることができなかった。ただ、血の溢れ出す白い手を見つめて絶句していた。
 するとあろうことか、白い手は血を流してまで開けた曇りガラスの穴からさらに腕を伸ばして、内側から扉の鍵を開けた。そのおかげで、白い二の腕にも曇りガラスが突き刺さり、また新たに血痕が床を汚す。

「——まことくうううぅぅぅぅん」

 僕を呼ぶ声と同時に、曇りガラスから白い腕が引き抜かれた。その瞬間にも尖ったガラスが皮膚を切り裂いていく。けれどソプラノ声はお構いなしに「まことくんまことくんまことくん」と連呼する。
 背中に冷や汗がつたって行く感覚に肩を震わせた。頭が真っ白になって今の自分の顔が青ざめていることが分かる。それほどまでに、ソプラノ声が呼ぶ、本来は処方箋となるはずの自分の名前に焦燥感を覚えた。いや、焦燥感というよりはただの嫌悪感かもしれない。ソプラノ声にどうしても自分の名前を呼ばれるのが嫌で、耳を塞ごうと思ったがどうにも肩が上がらない——それはまるで魔女の呪いに罹ったように、僕の体を蝕んで石化させていく。

「——まことこまことまことくんまこまこまことととくんんんまことくんんんくくまここまことまことくぅぅん」

 そして、鍵を開けられた扉が少しだけ開かれ、そこから傷だらけの白く細い指が覗いた。その指から流れる液体がまた扉を赤く染めた。
 次の瞬間。
 ゆっくりと、扉が開けられた。
 そこには。

「——まことくん。わたし……やっぱり私、貴方への気持ちを捨てることができなかったの——」

 微かに吊り上げた口の端の片方から血を流し、光の灯っていない目をゆらゆらと泳がせた、

「——やっぱり私、貴方のことが好き。だから——」


 水野早湯さんが立っていた。


「——だから死ねよ桃瀬」

 曇りガラスを突き破っていない方の彼女の白い手には、プラスドライバーが握られていた。
 

*

Re: それはきっと愛情じゃない。 ( No.39 )
日時: 2012/08/10 19:24
名前: 柚々 ◆jfGy6sj5PE (ID: TBWsfUdH)

*


 水野白湯さんの瞳は虚ろで、焦点を合わすことを自らが拒んでいるかのような雰囲気が立ち込める。
 着崩れたセーラー服から漂ってくる花の香りは石化の呪文の如く、僕の体を凍りつかせた。
 細腕から流れ出る赤い雫で既に濡れてしまっているプラスドライバーを軽く手の中でくるくると回すと、その切っ先を桃瀬先生に向けた。
 不規則に落ち続ける赤い雫が、ぴちゃん、と音を立てずに床に弾けた。

「桃瀬センセー。あなた、邪魔よ」

 水野さんの声はどす黒く、どっしりと重たい。
 吐き出された言葉は床にめり込んで、僕らにしか感じることの出来ない地震となった。

「存在が邪魔よ。早くどこかに行って頂戴。じゃないと誠くんと二人っきりの時間が味わえないじゃない……ていうかセンセー、貴方さっき誠くんの頬に触っていましたね?」

 一人でどんどん会話を進めていく水野さん。しかし反論することができないのは、僕だけではなく桃瀬先生も同じだった。僕と違って、水野さんの言葉が向けられている対象の彼女ではあるけれど、肩を震わせたままで一向に口を開こうとはしない。しかし桃瀬先生が何か言葉を発したところで、水野さんはその声に一切耳を傾けないだろうが。
 我を忘れたまま自我の目覚める予兆を見せない水野さんは、一歩僕に近づくと、僕の頬に自分の血をなすり付けた。
 べちゃり。
 生暖かい音が脳に響く。
 首がすうっと冷たくなった。
 「しょうどく、しょうどーくー」と口ずさみながら笑顔で自身の血を僕に塗りたくる水野さんの笑顔が恐ろしくて。おぞましくて。
 僕は叫びだしそうになる気持ちを唇を噛み締めて堪えた。

「いつもの倍以上に男前になったね、誠くん。良かった」

 そしてにこっと彼女は笑う。
 僕の精神はもう限界だった。いままで見たことの無いクラスメイトの行動に、動揺を隠せない。隠せるわけがなかった。
 だから僕は今の水野さんにとって一番してはいけないことをしてしまった。
 気付いたときにはもう遅かった。

「僕に……僕にさわるな……」
「え? なぁに誠くん?」
「僕に触るなって言ったんだよ……聞こえなかったのかよ……」
「さわるな? さわるなってなぁに? ねぇ誠く——」

「うっっっっっるるぅせえええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇんんだよ!!!!!!!!」

 その怒号は誰かの心をぶち壊しただろう。
 恋焦がれて心まで焦がした彼女。
 彼女は。
 そのときの彼女は。
 真っ青な顔つきで。
 実にヒステリックにクレイジーに。

 目をひん剥いて。

 桃瀬璃央にドライバーを向けていた。


「お、おま、おまえのおまえのせいだあああああああアアアああああaaaa嗚呼嗚呼aaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!!!!!!」


 何が起こっているのか理解できなかった。だって。水野さんに向かって精一杯の罵声を浴びせたのは紛れもない僕なのだ。
 なのに、なぜそのドライバーは桃瀬璃央を突き破ろうとしているのだろう。
 一体何の間違いで、水野早湯は桃瀬璃央を殺そうとしているのだろう。
 僕の隣にいる桃瀬璃央は状況を上手く把握できていないようで、自分の顔面に向かってきているドライバーを直視したまま固まっていた。それを避けようと考える瞬間すら石化の呪いに止められた好きな人を守る為に僕に何ができるだろうか。

「aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚!!!!!!!」


 なにがって。
 につかわしくないけれど。
 もしぼくのはんだんであなたがわらってくれるなら。
 できることをしたいんだ。
 きょうをこえてあしたをむかえるために。
 なにもかもなげだして。
 いまあなたをたすけたい——


 助けたい。


*


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