ダーク・ファンタジー小説
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- 昨日の消しゴム
- 日時: 2013/10/19 00:49
- 名前: ryuka ◆wtjNtxaTX2 (ID: hzhul6b3)
「———— かかる異様の者、人に見ゆべきにあらず。」
遥か記憶の彼方。
あの時、はじめて人を好きになった。
初めて彼女に逢った日は、とても風の優しい日で。
ただただ、やわらかな陽ざしが澄んだ空からふりそそいでいたと思う。
そんな記憶も、今となっては他人のもののよう。
幸せだった遠い日々は、思い出すたびに薄れていくばかり。
いっそのことなら、はじめから出会わなければ良かったのだろう。
今はただ、何も感じぬ孤独の中で、
人外と成り果て、血の匂いを求めて彷徨うだけ。
……今は昔、忘却の物語。
◆壱、ソノ者、人ニ非ズ。◆
>>1 >>7 >>8 >>12 >>13 >>14 >>15 >>16 >>17 >>18 >>22
>>23 >>24 >>25 >>26
◆弐、蛇愛ヅル姫君◆
>>29 >>32 >>35 >>36 >>37 >>40
>>41-43 >>45-47 >>50-56
◆参、鬼ノ記憶◆
>>57-
- Re: 昨日の消しゴム ( No.11 )
- 日時: 2012/07/15 00:22
- 名前: 王様 ◆qEUaErayeY (ID: X..iyfAg)
- 参照: https://twitter.com/#!/ousama2580
>>10
うーっす!
- Re: 昨日の消しゴム ( No.12 )
- 日時: 2012/07/21 00:20
- 名前: ryuka ◆wtjNtxaTX2 (ID: LWvVdf8p)
- 参照: 前作の校正。
ねぇ、とギーゼラが振り返った。「風が冷たくなってきたわね。」
そう言って楽しそうに海風に目を細める彼女の笑顔は、確かにちょっぴり魔性で、魔女らしくて、綺麗だった。
「うん、もうすぐ海神が騒ぎ出すね。」
◇
目が覚めると、まぶしかった。
柔らかな光の中、小鳥の鳴く平和な音以外、何も聞こえない。
—————— きっと、今は昼頃だろうな。
ぼんやりとした意識の中で、それだけ思った。
ここは、どこだろう?
ここはどこかの部屋のようで、畳の美草の上品な香りがやんわりと漂っている。なぜか自分の体は真っ白な布団で覆われ、横に寝かされていた。
まるで自分自身、死んだのかと思ったくらいに静かで、平和な気持ちだった。
しばらくぼうっとしていると、部屋の向こうから軽い足音が聞こえ、誰かが部屋の中に入ってきた。戸を用心深く引く音が、スーっと聞こえた。
反射的に腰の太刀に手を伸ばしたが、太刀がない。……抜かれてしまったか。仕方がないので相手を刺激しないために、寝た格好のまま相手を見据えることにした。もちろん、右手は懐の短剣へと伸ばして。
「あ、起きていらっしゃったんですか。」
そこに立っていたのは、年は十七、八くらいの女の子だった。張りつめていた警戒心が一気にほどける。緋色の帯をなびかせた、長い黒髪の綺麗な子だ。こちらの視線など一切気にせず、その子は話を続けた。続けた、というより、いきなり物凄い勢いで言葉を叩き出した。
「びっくりしたでしょう?今朝ね、水を汲みにいったら、あなたがそこの辻で倒れてたの。あなたあんまり悪い事しそうな顔じゃなかったからね。拾ってあげたんです。ああ、さすがに太刀は危ないから抜かせてもらいましたけど。」 そう言うと、その子は無邪気に笑った。
「……なんだかよく分からないけど、ありがとう。」
そう答えると、その子は嬉しそうににこっと笑った。
「今、飲み物持ってきますね」
そう言い残して、その子はパタパタと部屋から出て行った。見た感じ、裕福な家の子みたいだった。
しかしまあ、なんと不用心な人だろうか。行き倒れの男を拾って、それでいて更に家の中に置いておくなんて。
しかし少なくとも、この家には他に安心できるだけの下人が何人もいるのだろう。だってあの少女の細腕だけでは自分をここまで運べはしないだろうから。
それにしても、さっき少女が発したあの言葉。
“あんまり悪いことしそうな顔じゃなかったから”
あの無邪気な笑顔はそこから来るのか。
それにしても、あんまり悪いことしそうな顔じゃない、……ね。
思わず、間が抜けすぎていて笑ってしまった。本当になんて不用心な人なんだろう。なんて馬鹿な人なんだろう。
だって、俺は。
昨日の夜、ひとを、殺そうとしていたのに。
◇
「ふうん。土我さんって言うんですかぁ。」
この、目の前で茶碗をすする女の子の名前は由雅というらしい。もちろん、土我というのは俺の名前じゃあない。親切にしてくれたのに申し訳ないが、あちらの素性が分からないのに本名を語るのは馬鹿な行為だと思った。
「あのさ、由雅ちゃん。親切にしてくれてありがとう。でも俺、先を急ぐから。太刀、返してくれないかな。」
「もう行くんですか?行き倒れてたのに。」茶碗を盆に戻した、由雅の表情が僅か、陰った。
「うん。」
「そうですか……」
少し、残念そうな笑顔で由雅は縁側を指さした。
「縁側に置いてある籠、あるでしょ?そこに土我さんの履物と、背負ってた荷物、それに太刀も包んで入っていますから。あと、お節介かもしれないけどおにぎりも握っておいたのが入っていますから。良かったら食べてくださいね。」
何も嬉しくないはずなのに、由雅は嬉しそうに笑う。無邪気な笑顔に裏があるのではないのかと勘ぐってしまうのは、きっと俺の根性の悪さのせいだろう。
「ありがとう。これ、おいしかったよ。」
「道中気を付けて下さいね」
俺が支度し終わると、由雅は家の外まで出てきて見送ってくれた。満開の花のような笑顔で手を振って、さようなら、と言ってくれた。後ろを振り向くのもなんだか照れくさかったので、振り向かず、歩きながら手を振って答えた。
しばらく歩いて、もう由雅も由雅の家も見えなくなっただろう距離まで来た時にはじめて後ろを振り向いた。もちろん、目に見えるのは甍を争うように立ち並ぶ高く知らない人たちの家々ばかりだった。
……あの子は、由雅は、どうしてそんなに笑えるのか。そもそも、道端に倒れていた全く知らない男になんでこんなに親切にしてくれたのか。
そ ん な 、 こ と は 愚 問 だ
冷たい理性が、少し熱くなり出した思考に水を差した。
そうだ、何を関係のないことを。きっとあの女には何か目当てがあるに違いないのだ。主様のためにも、妙な道草を食うわけにはいかない。
————— 辻風が、裾を乱す。
◆
「あーあ。行っちゃったな。あの人。」
由雅は客人が去った後の道を仰ぎながら言った。退屈だ。また、退屈になる。
その時、庭で水を撒いていた初老の男が声をあげた。
「そんなに退屈ですかいな。」低い、含みのある声である。
「あはは、鴨。じじいには分からんだろうなぁ」由雅は大きく伸びをして答えた。バキバキと、体中の関節が大きな音をたてる。……昨晩は、さすがに遊びすぎた。
鴨と呼ばれた男は由雅の隣に立って、遥か遠く、ずっと同じ方向に伸びている道を眺めた。あの、土我と名乗った若者はもう見えない。
「由雅はんも物好きでんなあ。あんな行き倒れの男なんざ、拾ってなにが楽しいのやら。」
「うん?別にいいではないか。退屈なのだよ、私は。」
鴨は愉快、愉快、と呆れた様な笑いを残して、庭に戻っていった。……ったく、どこまでも腹の立つじじいである。これだから頭の固い年寄りは嫌いなのだ。
あーあ。本当に、つまらない。
都から飛ばされて、はや四ケ月。地方ではもっと遊べるかと思っていたが、そうでもない。あるのは結婚話ばかりである。まぁ、おとなしく宮中の言うことを聞いて嫁に入る気などさらさら無いが……結婚なんかしたら、今よりもっと変わり映えのない退屈な毎日を過ごすことになるんだろうな。そんなのは絶対に嫌だ。
あの、土我とやらを見つけた時は少し希望が見えたのだ。これから少しでもいい、心浮き立つような“何か”が起こるんじゃないかと。この退屈な毎日の連鎖から抜け出せるんじゃないかと。
——— 感傷的に、なりすぎたか。
どうせ、決まった人生だ。
何か、起こるんじゃないかなんて、幼稚じみた妄想。
「あーあ!」
大きく、空にむかって叫んだ後、由雅は先程の淑やかな態度はどこへやら、ずかずかと大股で家の中へと戻っていった。
- Re: 昨日の消しゴム ( No.13 )
- 日時: 2012/07/21 00:20
- 名前: ryuka ◆wtjNtxaTX2 (ID: LWvVdf8p)
- 参照: 前作の校正版。
□
その晩、絹商人がひとり、殺された。
次の晩は 若い夫婦が、つがいで、ふたり。
その次の晩は 門人の男たちが、さんにん。
……毎晩、被害者の数は、ひとりずつ、増えていく。
冷たい、霧の夜に、ひとり。
□
最近、殺人事件が続いている。
一日目は一人が殺され、二日目は二人、三日目は三人……そして今日は七日目であり七人が殺されるはずだ。
被害者たちは、年齢も、身分も性別も、住んでいる場所まで何と言って共通点はない。共通点がなく、怨みによるものでも無さそうであるから、何かと巷では話題となっていた。
六回も事件が続くとだいたいの人々は次は我が身と、七人で居ることを避けた。その一方で、勇ましい若人たちは名誉欲しさや好奇心から、わざと力のある者同士で集まり、七人の集団を作っては日が沈むのを待っていた。
やがて血のような鮮紅の陽は落ちて、
真っ暗な夜の闇が降り始めた。
土我は人影の少なくなった外市を急いでいた。
刻々と闇が深まるにつれて理性の錠が外れてくるのが身に染みて分かる。全身が痺れるような昂揚感に押されて、呼吸も苦しいくらいだ。
町人共から噂の破片を寄せ集め、ぼったくりと有名なト占いの怪しげな唐人に未来を尋ね、今宵の惨劇場をやっとの思いで知ることができた。
それから走り続けること一刻半。やっと目的の地に着いた。
月明りの下、土我は怪しく白銀に輝く鋼の太刀をそっと抜いた。土我自身の身分と技量では到底手に入ることはなく、到底扱えそうにもない美しい太刀である。
太刀は、名を草薙と言う。それはかつて神代、倭建命(ヤマトタケルノミコト)が大蛇の尾の先を割いて手に入れたものだと言われていた。
◇
それからしばらくすると、太刀を右手に、一人の男が、ある遊郭の裏地にひっそりと立ち尽くしていた。
店の表側は華やかに着飾った若者たちで賑わっているが、一旦店の裏側の世界に踏み込んでしまえばそこは別世界だった。
確かに賑わっていた。少し前までは生きていたモノたちで。
思わず土我は鼻を覆った。血の、匂いがあまりにも強すぎる。七人分の死体を目の前にして土我は現れるであろう“何か”を物陰にそっと隠れて、待っていた。
大分、切りつけたようで、狭い裏地は足の踏み場も無いくらいに血で染まっていた。その証拠に、布靴越しにも赤色は染みてきたらしく、足先に嫌な液体の感触がした。
しばらくして、ソイツは来た。
大きな満月の下、カランコロン、と大下駄の音を楽しげに響かせながら。
長い銀色の髪に、禍々しい深紅の面。
表情は見えない。ただ、面に描かれた歪んだ笑みが土我を嘲り笑っているようだった。
カランコロン、
コロンカラン、カランカラン。
優しい単調的、まるで子守唄のような大下駄の音は、ちょうど土我の隠れている物陰まで鳴り響くとぴたりと止んだ。
……どうやら、鬼相手に物理的な壁は敵わないものらしい。
奇襲を諦めて、次にどうするかを素早く思考していると、面の向こう側からヒトのものとは思えない低く、ガラガラとした声がした。
「…………久しゅうなぁ」
間髪入れず、土我は太刀を右手に弾けるように走り出す。
バケモノの腹へと目がけて太刀を振るったが、ひらりと右へとかわされた。そのまま勢いに任せて右へと体ごと投げるようにして袈裟切りにするがそれより早く、バケモノは土我の背後に飛び移っていた。
まずい、な。
とっさに身を翻して交戦姿勢を保とうとしたが、既に気が付いたころにはバケモノの爪が肩に食い込んでいた。仕方がないのでバケモノの手首ごとぶった切ったが、腕から離れても手首は自分の肩にがっしりと食い込んだままだった。さらに、どんどん奥へと食い込んでいく。
「ッ……!」
ギリギリ、とバケモノの爪が自分の肉を浸食する。ほとばしる真っ赤な血液が、ぬるりと背筋を伝っていった。
痛みのあまり、喉の奥から意気地のない声が漏れてしまう。
しかしバケモノは俺の目の前に悠然として立っている。手首から先の無いその腕からは、血の一滴も出ていない。
「煮て食おうか……焼いて食おうか……迷う迷う……」
バケモノはさも楽しそうに、それでいて優しい唄でも歌うように穏やかな口調で土我の周りをぐるぐると歩き出す。
「この素晴らしい月夜に、下賤な奴婢が私の相手をしようなどとは。その蛮勇だけは褒めてやってもいいがな」ギギッと更に手首に力が籠る。「どれ、顔を見せろ小僧。」
バケモノは残っている左の方の手で強引に土我の顎を持ち上げた。並ではない殺意を放つ土我の薄色の両眼を眺めながら、ほぉ、と少し感心したようだった。
瞬間、土我の下腹に鋭い一撃が落ちる。
あまりにも強すぎる一撃は、そのまま土我の意識を一瞬で奪ったようだった。
「呆れたわ。飯にもならん。」
泥水と鮮血の混じる汚れた水たまりへと土我を蹴り上げると、バケモノは醜悪な嗤い声を残してどこかへ消えていってしまった。
- Re: 昨日の消しゴム ( No.14 )
- 日時: 2012/07/26 20:35
- 名前: ryuka ◆wtjNtxaTX2 (ID: .pUthb6u)
- 参照: 前作の修正版。
それから、土我が体を起こしたのは空が白み始めた頃だった。
右肩に尋常じゃない痛みを感じた。ズキリと骨まで凍るように痛い。着物の帯を解いて肩を見てみると、円形の入れ墨が入れてあった。よく見るとただの円ではない、蛇が何匹も絡みついた、気色の悪い模様であった。
思い出した。ここは昨日バケモノの爪が喰いこんだところだ。
「はぁ……。」
思わずため息が出る。きっとこれは何かの呪いの一種だろう。
立ち上がると、自分の周りには見知らぬ七人の男女。昨晩の被害者たちだ。むっと鼻につく鉄錆の赤い匂いが吐き気を催す。
地面に落ちていた太刀を拾い上げる。昨日とは違い、死んだようにずっしりと重かった。まだ細い朝日に刃身を照らすと、刀には自分の肩にあったような同じ模様が掘られていた。刀に掘られた蛇の目が、自分を嘲笑うようににやりとこちらを見ていた。……この太刀も、俺と同じ運命を辿ることになるのか。
ふらふらと、平衡感覚の取れない体を動かして、身体と着物の汚れを落とすために土我は川へ赴いた。まだ人々が眠っている間に、あそこに居た証拠は全て消さなければいけない。
川へ着いて水の中へ入ると、心の臓が止まってしまうかと思うほど冷たかった。無理もない。まだ時間が早いのだ。
しばらくバシャバシャやっていると、遠くから歌うような、優しい声が流れてきた。女の声である。
耳を澄ましていると、女の声は遠ざかっていった。まるで水の精が唄っているようだった。よく透き通った、綺麗な声だった。
「土ー我ーさんっ!」
突然、背後から声がした。ギョッとして振り返ると藍色の着物を着た女の子が居た。
……自分は今まで着物に付いた血を落としていたのだ。川の水はほんのりと赤くなっている。この女にこの状況を見られた以上は、生かしておくにはいかない。
一瞬を置かず、水の中から女の居る川岸へと飛び移り、女の胸倉を掴んで草むらへと張り倒す。草と、女の身体が薙ぎ倒される乱雑な音を川のせせらぎが消していく。
女にまたがって、身動きをできないようにしてから太刀を抜いて、女の細い首筋に鋭い刃先を向けた。
「おのれ何のつもりだ。」
「なんのって、」まだ若いその女の子は、自分の置かれた状況を理解しているのかしていないのか、けろっとしている。「私ですよ、私。由雅です。覚えてないのかなー?」
「ああ、お前か……」全身の力が抜ける。いつか、出会ったあの子か。
気を抜いた瞬間、太刀を握っていた右手にまるですっぱりと切られたような激痛が走った。思わず太刀を取り落とすと、由雅はすぐに、いま落とした太刀の柄を逆手に持って、俺のみぞおちを物凄い勢いで突いてきた。胃袋の中身が、ウッと喉元にまでせり上がる。
突然の攻撃に慄いていると、由雅は勢いに任せて俺を蹴り上げながら、何か呪文のようなものを鋭く叫んだ。同時に、まるで化猫のようにするりと俺の腕の間をすり抜けていった。
「金縛りよ、土我さん。」由雅は勝ち誇ったように ふふん、と鼻で得意げに笑った。「あたしに勝てるとでも思いましたぁ?」
全身が凍りついたように動かない。確かにこれは金縛りだ。
由雅は動けない俺の前に仁王立ちになって、話し続けた。
「だいじょーぶ。あたしは検非違使のお役人に連続殺人事件の犯人さんを突きだすようなマネはしません。ただ、なんでこんなことしたのか話してほしいのよ。あたしはね、退屈なのが一番ガマンできない人なんです。ちょっとでもワクワクするような話をしてくれたら私にしたことは許してあげますよ。」由雅はイタズラっぽく笑った。……言っている事とは裏腹に、笑顔だけは天使のように無垢である。
「ほら、早く話してください。なんなら、また私の家に来ます?」
言いながら、由雅は俺の周りの地面に、木の枝で円を書き始めた。
それから、円のなかにごちゃごちゃと様々に怪しげな模様を付け足していき、最後に円の中心に文字のようなものを書き込んだ。
由雅は書き終わると満足そうにニッコリ笑って、木の枝を円の外へ放り投げた。枝は、大きく半円を描いて川に落ちていく。パシャリ、という水音が後ろで聞こえた。
「閉!」
由雅が大きな声でそう叫ぶと、目の前が真っ暗になった。円の淵沿いに、黒い壁が突然現れたのである。
「乱暴でごめんなさいね。」
由雅が俺の胸倉を女の力とは思えない怪力で握り、黒い壁に向かって俺を押し倒した。
- Re: 昨日の消しゴム ( No.15 )
- 日時: 2012/07/30 22:14
- 名前: ryuka ◆wtjNtxaTX2 (ID: .pUthb6u)
- 参照: 前作の一部修正
「うわっ!?」
黑い壁に触れて瞬間、息が止まるかと思った。肺の中に、物凄く熱い空気が入って、自分が内から破裂してしまうようだった。
それも一瞬で終わり、気が付いたら数日前にお世話になった、あの、由雅の部屋の真ん中に仰向けに倒れていた。数秒すると、由雅の軽い足音が部屋の向こうから聞こえてきた。
「あっ、土我さんここの部屋に居たんですか。よっぽどここに来たかったのねー。」
唖然とする俺に構わずに、由雅はすごい勢いで喋り始めた。
「土我さんはさっき、川で着物の血を落としていました。でも、土我さん本人に外傷があるわけじゃない。あれはあなたの血ではありませんよね? それに、土我さんは泉屋の遊郭亭のほうから来ました。私、今度の事件現場はあそこらへんだろうな〜と思って目星はつけて、見張ってたんですよ。さては、昨晩の被害者は遊郭で遊びまわっていた若衆七人ですね。」
「まぁ……正解だけど……」よく喋る娘だな。「やったのは俺ではない。」
「へぇ〜。じゃあ、あの血は誰のです?まさか、鼻血だとか言いませんよねえ。」
由雅は可笑しそうにクククッと笑った。
……説明に困る。このまま返り血ではないということで話を進めれば、あのバケモノについて話すハメになってしまう。
返答に詰まる俺を、流し目に見ながら、由雅がまた話し始めた。
「まぁ、話せないんならいいです。ところで、被害者の数は毎晩ごとに一人ずつ増やしていましたよね?あれには何か意味はあるの?奈良の都が栄えている時期にはそういう呪いの形式があったような気がしますけど。」
「随分と博識だな。奈良の都ではそのような呪いの儀式が毎晩行われていたのか?」
「もちろん、私がその時代に生きていた訳じゃないから、詳しくは知りませんけど。文献にはいくつか残っていますよ。」
「お前、文字が読めるのか。」
由雅が ははん、と得意げに鼻を鳴らした。「女だからって馬鹿にしないでくださいよ。私はそこらへんの貴族さんよりは数倍頭はいいですよ。」由雅が得意そうに言った。「で、質問に答えてください。人数の変化にはいったいどんな意味があったの?」
「だから、言っただろう。やったのは俺ではない。お前と同じだ、俺も犯人を突き止めようとしたのだ。」
こんな嘘で、この賢い娘は納得してくれるだろうか。
しかし、由雅は予想に反してそれ以上は言及せず、不満そうにふくれっ面をして見せた。
「なーんだ、せっかく大物を仕留めたかと思ったのに。つまんない。」
「なんでもいいが、早くこの金縛りを解いてくれ。」
「別にいいですけど。変な気は起こさないでくださいね。」
由雅の白い手が、俺の着物の帯へと伸びてきた。ふっと自分に覆いかぶさってきた柔らかい体に、思わずどうしたらいいのか全身が硬直する。由雅の肩から垂れた長い黒髪が、少し頬をくすぐった。どうやら、由雅は俺の背中の帯の結び目を解いているようだった。
「な、何を、」
「耳元で大声出さないでください。別に何もしませんし、取って喰いやしませんよ。ちょっと緩めるだけですから。」
すると、由雅は頭の簪を一本抜いた。
「呪いってね、かけるのは簡単でも、解くのはけっこう疲れるんですよ。……あぁ、面倒くさい。」
言いながら、俺の緩めた帯の先に簪をそっと刺した。
瞬間、由雅の表情が凍った。
「? どうした。」
俺を見上げた由雅の目は、ひどく真剣だった。
「あなた、昨日、銀髪で赤面の鬼に会ったでしょう。」
「会ったが。それがどうした? というか、何故そんなことが分かったのだ。」
「ちょっと失礼します。」そう言うと、由雅は俺の右肩に触れた。ひやりとした感覚が伝わる。「この刺青。あいつのに間違いないわ。うん、この八つ蛇はあいつのですね。」
あんまりにも真剣な声でいうものだから、少し、怖い。さらに、由雅はブツブツと念仏のようなものを唱え始めた。
「……駄目みたい。」
「駄目?」
由雅はまるで墨を流したような真っ黒な瞳で俺を見つめ返した。
「金縛りなら解いてあげられる。でも、赤面の呪いは私じゃ無理だわ。ごめんなさいね。」
そう言うと、由雅は俺の帯に刺した簪を勢いよく抜いた。すると急に、いままで動かなかった体の節々が自由になった。どうやら金縛りは解けたらしい。
「……すごいな。」
「何がです?」由雅が後ろを向きながら聞いた。
「いや、何でもない。」
さっき触れられた右肩を恐る恐る見てみると、由雅が言ったように、確かに刺青の蛇は八匹描かれていた。
「日本書紀。」由雅がニヤリと笑いながら口を開いた。「あれに出てくるヤマタノオロチ……。確か、首が八つある蛇の怪物でしたよね?」
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