ダーク・ファンタジー小説

■漢字にルビが振れるようになりました!使用方法は漢字のよみがなを半角かっこで括るだけ。
 入力例)鳴(な)かぬなら 鳴(な)くまでまとう 不如帰(ホトトギス)

宵と白黒
日時: 2022/04/02 15:05
名前: ライター (ID: cl9811yw)
参照: http://www.kakiko.cc/novel/novel6/index.cgi?mode=view&no=20128

 名前も記憶も、すべてに平等なものなんて有り得ない。

───────────────────


こんにちは、ライターと申します。心と同一人物です。
内容に外伝が関わってくるので、そちらも覗いて見て下さいね。上のリンクから飛べます。(複ファです)よろしくお願いします。

#目次

最新話    >>61
まとめ読み  >>1-
頂きものとか   >>40>>46

◐プロローグ(>>1)
《Twilight-Evening》 

◐第一章 名(>>2-6)
《Phenomenon-Selves》
 一話:殺し屋(>>2-4)
    >>2 >>3 >>4
 二話:双子の少女たち(>>5-6)
    >>5 >>6

◐第二章 あくまでも(>>7-15)
《Contracted-Journey》
 一話:依頼(>>7-9)
    >>7 >>8 >>9
 二話:始まり(>>10-15)
    >>10 >>11 >>12 >>13 >>14 >>15

◐第三章 本当に(>>17-23)
《Switch-Intention》
 一話:はすの花は、まだまだ蕾のようで(>>17-18)
    >>17 >>18
 二話:時の流れは、速い上に激しい(>>19-23)
    >>19 >>20 >>21 >>22 >>23

◐第四章 だからこそ(>>24-56)
《Promised-You》
 一話:花開く時は唐突に(>>24-26)
    >>24 >>25 >>26
 二話:想い、思惑、重なり合い(>>27-32)
    >>27 >>28 >>29 >>30 >>31 >>32
 三話:信ずるもの(>>33-41)
    >>33 >>34 >>35 >>36 >>37 >>38 >>39 >>40 >>41
 四話:自由と命令(>>42-45)
    >>42 >>43 >>44 >>45
 五話:終幕(>>47-56)
    >>47 >>48 >>49 >>50 >>51 >>52 >>53 >>54 >>55 >>56

◐エピローグ(>>57-)
《Essential-Self》
 1話:追憶、あなたを(>>57-61)
    >>57 >>58 >>59 >>60 >>61
 2話:現下、あなたに(>>62-)

 3話:


【以下、読み飛ばして頂いても構わないゾーン】
#世界観
▽現代と同じレベルの文明が発達している。
▽真名
 本名とイコールではない。
 本名はいわば認識番号であるが、真名は己を構成するものだからである。これにより、力を使うことができる。(身体能力の強化であったり、発火であったりといったもの)
 真名を奪う力をもつ者も存在する。真名は奪われると記憶を喪失し、当然力も使えなくなる。真名は付けられるものではなく魂に刻まれるものであるため、この世の誰もが所有している。本名を知らぬ者も、真名は知っている。



◆8月30日
大幅に加筆修正。
◆9月13日
2020年夏大会、銅賞いただきました! 読んで下さってる方、応援して下さってる方ありがとうございました!
◆2021年1月24日
2021年冬大会、金賞いただきました! 二回もいただけるとは思っておらず……ありがとうございました!

Re: 宵と白黒【第四章完結】 ( No.57 )
日時: 2021/08/05 19:05
名前: ライター ◆sjk4CWI3ws (ID: cl9811yw)

エピローグ 《Essential-Self》
1話:追憶、あなたを

 あれから、一年と半年ほどが過ぎただろうか。
 いきなり倒れたリフィスは力の使い過ぎであったようで、特段後遺症などもなく、もう普通に暮らしている。高層ビルの最上階から力頼みで飛び降りるなどという無茶をしたことは、さすがにブランたちから怒られてしまったが。
 キュラスの一族がどうなったか、というのは、レンはあまりよく知らない。というか、特段知りたいとも思わなかったというのが正しいだろうか。
 シュゼたちはどうやら夢を追いかけることに忙しいようで、別れを告げたのは昨日のことだ。

「帰ったら、なにかしたいことがあるのでしたよね」
 
 目を閉じて、静かに回想に耽っていた少年は、ふっと顔を上げた。目線の先の澄み切った冬の空は、どこまでも青い。
 そのまま視線を横に滑らせれば、彼女のハーフアップにまとめたダークグレーの髪と、ライトグレーの毛先が風に吹かれて揺れていた。日が沈んだ直後の空のような群青の目が、優しげな光を湛えて真っ直ぐにレンを見つめる。

「うん。まず謝って、あと……会いたい人もいるし」

 そっと左手首に目を向ける。今でこそ薄くなってはいるけれど、消えない傷跡だ。

「そう。……ならば、湿っぽい話は止めましょうか。そうですね、明るい話……ああ、訛りが抜けてきてます、貴方のことば。これでは貴方とノーシュ様の区別がつかない。困ったものです。喋り方を変えてみませんか、貴方の国では西の方言が有名でしょう?」
「無理ですよ。そんな上っ面だけのことをしては、その地域のひとに怒られてしまう。それに、貴女が主の声を聞き違えるコトなどないでしょ?」

 レンの軽口に微笑んで、リフィスは頷いた。
 あの後、病院のベットで目を覚ましたリフィスは、泣いた。自分を責めるのでもなく、主への怒りでもなく、ただ、ルクス・キュラスという人間をいたんで泣いたのだ。
 でも、もう彼女は立ち直った。レンにとって立ち直ったように見えているだけであって、本当はそうでないのかもしれないが、この豊かな表情と煌めきを灯した目が、それを真実だと証明しているように思える。
 『自分の秘書になってくれないか』というノーシュの誘いに、ようやく答えを出したのも、それが理由なのだろう。
 くすくすと笑い声が二人の間に零れ落ちた。彼女は彼女なりの答えを、あの時出せたのだろう、と思う。
 不意に閑静を切り裂いて、列車の警笛が響き渡った。それと共に流れるアナウンスは冬の空気を伝ってハッキリと耳に届く。レンはゆっくりと目を瞬かせ、笑った。

「定刻通り、です───行きますね」

 そう言ったレンは、リュックサックをしっかりと背負い直した。くしゃりと笑うリフィスの唇が、ゆっくりと動くのを見詰める。
 
「お互い、幸せになれるように頑張りましょうね」
「はい。貴女もどうか、幸せであって下さい」

 ふっと互いに一礼。一生の別れという訳ではないだろうが、もう当分会うことはないだろう、そう思って。
 時間にしてみれば、それは一瞬だった。だが、彼らにとってはいつになく濃い一瞬だった。刹那視線が交錯して、互いを見つめる。
 リフィスは、満面の笑みを浮かべていた。

「さようなら、リフィスさん」
「ええ。ありがとうございました、レン」

Re: 宵と白黒 ( No.58 )
日時: 2022/03/27 22:05
名前: ライター ◆sjk4CWI3ws (ID: cl9811yw)

 それでも次の瞬間には、レンはくるりと身を翻す。数段高くなっている列車に乗り込んで、そっと窓際の席まで移動した。
 四人がけのボックスシート。一人きりでそこに座る。贅沢だな、と思って苦笑して、取り敢えずリュックサックを隣に置いた。暖房の暖かさが身に染みて、吐き出す息はもう白くない。
 窓際に座っているから、リフィスがまだホームに居るのが見えた。真っ直ぐに彼女がこちらを見上げてくるのが目に映る。
 そっと手をあげて、振ったのが分かった。気をつけて、と口元が動いたのが見える。レンもまた、ゆっくりと手を振った。またね、と口を動かす。
 列車が動きだして、がくりと体が揺れた。徐々にスピードを上げて、ホームは遠くなっていく。しばし余韻に浸るように目を閉じたレンに、横合いから声が掛かった。

『すみません、相席よろしいですか?』

 少女の声だ。しかも、秋津の言葉の。ふっと顔を上げて見てみれば、まず目に入ったのは大量の荷物だった。それから、上級学校──それもかなり古くからある──の生徒が着るような紺地に白の着物と、長い黒髪が目に入る。
 その持ち主であろう少女は、レンの目の前のシートを指さしていた。辺りを見回すと、もう既に座席は埋まりかけている。数席空いている所もあるが、恐らくこれらの荷物が邪魔なのだろう。

『良いですよ! どうぞ……』

 さっとリュックサックを自分の膝上に載せて、レンは微笑んだ。彼女に荷物を置いてもらうように前の席を指し示す。
 隣の席にゆっくり腰を下ろした少女に、レンは心配げに問いかける。

『あの、僕席移りましょうか? やっぱり窮屈かなって』
『いえ、このままで大丈夫ですよ。ありがとうございます。……私、高梨の一族の人間なんですが、あなたはどちらの?』

 一族、と小さくレンは反芻するように呟く。この着物から薄々察せられていたが、やはり相当名家の令嬢なのだろうか。あの一日が一瞬フラッシュバックしかけて、瞬いていた。
 閑話休題それはともかく。秋津には未だ一族を名乗るひとが居るのだ、と少し新鮮な思いを抱きながら、ゆっくりとした調子で少年は言う。
 
『井上の──清和の流れを汲んでる井上の者です。あの、伺いたいことがあるんですけど構いませんか……?』
『ああ、なるほど。伺いたいこと、とは? お答えできるものは限られてきますけれど』

 人の良さそうな笑みを顔に浮かべて、彼女はそう言う。
 
『ええと……。命風神社の宮司さんはどうなりましたか?』
 
 その問いを発するのに、数瞬の躊躇いを必要とした。分かりきっているようで信じたくないようで、それにしては心は冷めているようでもある。
 そんなレンの心の内を知らないままに、彼女はゆるく瞬いてから口を開いた。

『ああ。継承の式典には私も参列しましたよ。とても綺麗な長い髪の方で──そう、妹君の方だったのよね』

 最後に付け足された一言が、レンに現実を叩きつけた。心の奥底でそれは理解していたはずだったのに。
 
『ありがとう、ございます』 
 
 震え声で口に出したその言葉と共に、つうと頬が濡れてゆく。季節は冬だからだろう、先程までは太陽は透明であったはずなのに、射し込むそれはもう斜陽だ。冬らしい、濃く澄んだ夕の色が、彼の左半身を照らしていく。
 その様子に焦ったのか、慌てた声がする。
 
『え……!? あの、すみません私、なにか気に障ることを』
『いえ、大丈夫です。すこし思い出してしまうことがあって』
 
 そう言って誤魔化すように笑っていれば、ゆっくりと列車が減速していくのが感じられる。どうにも彼女と目を合わせていられずに外に視線を投げれば、一番国境に近い駅に車両は停車するようだった。
 駅のホームにすらも落ち葉が迷い込んでいて、その色がやたら目を惹いた。

Re: 宵と白黒 ( No.59 )
日時: 2022/03/27 21:48
名前: ライター ◆sjk4CWI3ws (ID: cl9811yw)


 ふふ、と。かすかに空気が崩れる。薄っすらと、彼女は笑ったようだった。レンが目を向ける。
 
『素敵な方でしたよね。……祭事で一度お話したことがあるのですけれど、とても美しかったのを覚えていますもの』
 
 学校の方でもよく話題になっていました、と続けられて、レンはゆっくりと瞬いた。あまりに身近にいたから気づけなかったけれど、彼女はそういう立場の人間だったのだ、と。そして、それに縛られていることを嫌った人。
 そっと顔を伏せて、く、と膝の上で拳を握る。
 
『そうですね。……そうなんですよ。ほんとうに、きれいなひとだった。何よりも、誰よりもつよくて、きれいで』
 
 ほんとうに、と繰り返す。目線が揺れる。視界にぼんやりと膜が張って、耳鳴りがするような。ひゅ、と喉が軋む。こんなことばかりだ。
 幾度繰り返してもなお、じくじくと痛みを残すそれ。こんなに苦しむくらいならば忘れたままのほうが良かったか。そんなはずがなかった、とレンは思う。たとえ一番じゃなくても、僕はあなたが一番だった。
 そんなレンの様子に、少女は何かを悟ったらしかった。また次の駅に向けて流れ出した景色を見つめながら、声が響く。
 
『───命風神社の代替わりがあったということは、そういうことだとは知っていましたけれど。……すみません、深く立ち入るような話になってしまって。でも、きっと……』
 
 彼女はもう一度微笑んだ。
 
『あの方はきっと、あなたに救われていたと思いますよ』
『え、』
 
 それは、と問い返すよりも早く、彼女は立ち上がってしまっていた。どこか恥じるような早口で、少女は告げる。
 
『──そういうものだということです。……出過ぎたことを申しました。もう着きますから、失礼しますね。ありがとうございました』
 
 彼女が言い終わるのとほぼ同じくらいだろうか、急激に身体が減速を覚える。窓の外に目を向ければ、次の駅が見えてきたところであった。
 
『え、っと。ありがとうございました、こちらこそなんだかすみません』
 
 夕日が当たらなくなったからだろうか、彼女の存外に黒い瞳に目を向けてそう言う。柔らかな、上流階級特有とでも言うべき微笑みを浮かべて、少女はそのまま背を向けた。
 彼女との会話で、なにか救われたわけではなかった。ただ、大切なことに気付けそうな気はしていた。 

Re: 宵と白黒 ( No.60 )
日時: 2022/11/05 01:00
名前: ライター ◆sjk4CWI3ws (ID: cl9811yw)

 △ □ △
 
 本当に久しぶりに吸った秋津の空気は、どこまでも清涼だった。街の中を歩いてみれば、多少変わっているところはあっても大きく変わったところはないように思える。
 ここはそういうところだったと、蓮は久しぶりに思い出した。ある種厳格な空気で、外部の者を受け入れつつも断として変わらない。決定的な変化を拒んで、緩やかに停滞している。
 それが悪いこととは思わなかったし、暮らしにくいわけではなかったように思う。ただ、今はすこしだけ、この国のそんな気質を恨んでもいた。
 しばらく歩いていけば、命風神社の門前町──即ち、蓮の生まれ育った街に到着する。まっすぐ鳥居まで突き抜ける大通りは、昔と変わらず賑やかだった。
 斜陽は背後からさしているお陰で眩しくはない。が、目をあけていられなくてそれを眇めた。胸の中が擦られる。不意の郷愁だった。
 
「どうしようか」
 
 そう呟きながら、どうにも家があったはずの方へ足が向けられなかった。叔父であり、育ての親でもある楓樹にはとても迷惑をかけてしまったはずだから、すぐに帰らなければならないのは解っているのに。
 ただ、会わなくてはならないと感じた。華鈴には妹がいたはずだったから。
 
 ゆるく傾斜のかかった通りを抜けて、鳥居の前に立つ。それは、記憶と寸分違わぬ赤さを持っていた。
 一礼してそこを抜け、こんな時間になってもまだ参拝客で賑わう境内を抜けていく。どこにいるかなんで分からなかったし、もう宮司となったはずの人に気軽に会えるのかすらわからなかったけれど。
 と、人々に紛れて、緑色の髪が揺れる。
 
「あ──」
 
 息を呑む。無意識に目線が追ってしまう。そこだけ空気が違うような気がしていた。二つ結びにされた長い髪と、白を基調にした着物。華鈴と瓜二つのようで、少しづつ異なっている。
 ふっ、と彼女が、誰かを探すように辺りを見回した。目を離せない。
 その黒い瞳と、一瞬で強烈に目が合う。細められ、すぐに見開かれる。
 
「華恋さん、ですか」
「あなたが井上蓮?」
 
 同時に、互いを問う。
 それは、華鈴とはまた異なった声だった。透き通る冬の夕焼けような、どこか冷たさを纏う声が自分の名前を呼んでいる。

「そうですが……。なぜ、それを知っているのですか」
 
 表情に驚愕をにじませながら、蓮は問い返した。蓮の記憶が正しければ、華恋、即ち華鈴の妹と話したことはなかったはずだから。
 華恋は少しためらったようだった。
 
「姉様が昔、よく話してくれてたの。継承が近くなってからは全然だったけれど。……ついてきなさい」
 
 くるりと背を向けて、彼女は屋敷へと歩んでいく。いつも華鈴と会うのは林の中か、あるいは墓所の中だったから、そこへは向かったことがない。
 ゆるやかに昔を回想しながら、蓮は華恋の背を追った。
 
□  △  □
 
 通された華恋の自室は、冷たく閑散としていた。まるで生活感のない家具たちが、広い畳敷きの上に置かれている。唯一、壁際の本棚だけが埃を被っていなかった。
 西日は、障子を透かして柔らかな光へと変わっている。仄暗い部屋に蓮と華恋の影が濃く滲んだ。
 
「お邪魔します……」
「座って」
 
 言われるがままに腰をおろせば、華恋も向き合う形でそこに座る。
 白い喉が動いて、息を吸ったのがわかった。
 
「慣習は、変わらなかったの?」

 一瞬、蓮は彼女の言わんとするところを掴みかねた。まっすぐに視線が交わる。
 そして理解した。彼女の言う慣習とは何なのかを。なぜ、華恋がそんな遠回しな言い方をしたのかも。
 影はいよいよ濃くなって、日が沈んだあとの薄青さが部屋を満たしていく。蓮の身体に窓からの光が遮られて、華恋の全身がゆるやかに暗くなる。
 す、と蓮は視線を横へ逃した。 
 
「ええ」
 
 端的な返答だった。
 そう、と華恋もまた目線を木張りの天井へ投げる。そのまま口元が引き結ばれて、また開かれた。
 
「私が……私で、よかったの……?」
 
 薄く、物音ひとつでかき消されてしまいそうなほどに弱い誰何だった。
 彼女の握りしめられた両の手が、なにかを抑えつけるように震えた。が、それは叶わなかったようだった。
 音がしそうなほどの強い意志を伴って、目が合う。
 勢いよく、華恋は蓮の方へ身を乗り出した。肩を両手で掴まれる。
 
「消えるのは私だったはずじゃない、ねえ! どうして貴方止めてくれなかったの、姉様は貴方のせいでいなくなったんじゃないの!」
 
 瞬間、激しい感情の塊が、蓮に叩きつけられる。
 先程までは冷ややかで近づき難いような雰囲気を持っていた彼女が、今は明確に感情を顕にしていた。

Re: 宵と白黒 ( No.61 )
日時: 2022/04/02 01:23
名前: ライター ◆sjk4CWI3ws (ID: cl9811yw)

「そんなこと、言われたって……」

 蓮の、逆光で一段と暗くなった黒い瞳が泳ぐ。じわりと寒気が身体を這い上がって、きつく手を握りしめた。
 若干弁明するような語調を帯びてしまったことに気づいて、それを嫌悪するように口を引き結ぶ。それを良しとしないような、克明な鋭さをもって華恋は彼を見つめていた。
 何を言えばいいかなど、その時の蓮にはわからなかった。わからなかったから、感情のままに吐露してしまったのだろう。
 薄い闇のなかで、わずかな光を反射して瞳がきらりと光った。
  
「そんなの分かんないですよ! 僕だって華鈴さんに消えてほしくなんてなかった、大好きだった! でも止められなかった、……好きだから止めるわけには行かなかった」
 
 突発的に強く溢れ出てきた感情は、思い返して言語化すれば腑に落ちた。
 それを聞いた華恋もまた、同じような表情を浮かべていた。すとん、と両手の力が抜けて、少年の肩の上から畳に落ちる。うっすら埃が舞った。
 その姿勢のまま、顔を俯けて彼女は問いかける。
 
「なにか言ってた? 姉様は」
「好きだ、って」
 
 蓮の予想に反して、華恋はその言葉にあまり驚いてはいないようだった。
 ふ、と唐突に顔を上げた彼女は、そのまま小さな声で呟く。ほかには、と。記憶を辿るように、蓮の黒い瞳が閉じられる。
 
「あと、ありがとうって」
 
 うすく目を開けた蓮が、そう言った。
 
「そう……」
 
 短く落ちた華恋の言葉を最後にして、だだっ広い部屋の中を静寂が満たした。
 なにか考えるように目を瞑っていた華恋は、ふっと唐突に笑みを浮かべた。それは花が咲くようなものではなくて、例えば厚い雲の合間からぼんやりと陽光が漏れるようなものだった。消えてほしくないとこちらに願わせるのにも関わらず、ゆっくりとどこかに消えてしまう。
 声が落ちる。
 
「羨ましい」
「……はい?」
「姉様は、恋が出来たのね。私には出来なかったこと……」
 
 華恋は何かを惜しむような笑みを浮かべた。するりと畳の上を白い指先が滑って、暗い青さに沈む部屋の中でぼんやりとひかる。肩口で揺れる緑の髪を、もう片方の手が鬱陶しげに払い除けた。
 恋。刹那、好きだよ、という言葉が、蓮の脳裏に蘇る。夕焼けも、初秋の空気の香りも、指先を掠めていった髪の感触も。
 なにもつかめないような、空虚さが胸を満たした。
 
「恋、って……、相手のことを好きっておもうこと、でいいんですか」
「そうに決まってるじゃない」
「好きなら、なんで……」

 胸の奥、それはこびりついて離れない。諦めていたもののようで、ずっと手に握りしめていたもののような。
 恋と知ってしまえば、それは明確な形を成して重くおもく伸し掛るのだろう。
 
姉様あのひとの心の中なんて私は知らない。でも、きっと姉様はあなたのことが好きだったんだと思うわ。というか、そんな嘘を吐く質ではないでしょう?」
「そうですね。……そう、だったんですね」
  
 僕にはわからなかった、と仄暗い調子で蓮は言う。

「ならこれでお相子よ」
 
 先程の笑みから、少し雲が吹き払われたような表情で、華恋は呟いた。なんの事か分かっていないのだろう、彼は徐に首を傾げる。
 
「残されるのは、私も同じなのにね。……きっと、あなたが一番だったんだわ」
 
 ゆっくりと華恋は、蓮に目を合わせる。何かを惜しむように、そこに何かを見出そうとするかのように。 
 数瞬が過ぎて、彼女はふっと表情を消した。
 
「僕が、一番だった」
 
 その時間があってすら、意味を咀嚼できなかった。それほどまでに衝撃だったのか、蓮はそのまま呆然としている。ああ、と呟いた。
 恋なんかわからなかった。だが今、明確に示されてしまえばどうだろう。色んな感情がぐちゃぐちゃに混ざりあって、絵の具を全部混ぜたら黒になるみたいに、蓮の瞳から涙がこぼれ落ちる。
 その涙にどんな意味、あるいは気持ちがこもっていたのかは、それをまっすぐ見続けていた華恋ですら分からなかった。
 彼女は、ゆっくりと息を吐く。

「時間を取らせてしまってごめんなさい。───ありがとう」
「──こちらこそ、ありがとうございました」
 
 絞り出すような、嗚咽混じりの掠れた声だった。
 
 そのあとどうやって立って、どうやって歩いて境内を出たのか、蓮は覚えていない。
 ただ、屋敷の中から抜けて、まだ山の端にかすかに残る夕日の橙を目にした時、意識が一気に鮮明になったのを覚えている。
 雨が上がったあとのような、爽やかさだけが頭に残っていた。
 しばらく境内を歩いていけば、常緑樹の森と大きな赤い鳥居が目に入る。風雨に晒され続けてなお、その厳粛な赤を保てているのは、やはりここが神を祀る場所だからか。
 社の方へ一礼して、蓮は鳥居をくぐった。その瞬間、すこし苦しくなる。
 それは先程これをくぐったときのようなざらつきではない。昔と同じ、まだあのひとと話していたい、帰りたくないという、ある種子供じみた感情だった。
 それ以上でも以下でもなかった。ただ、どこか救われた気はしていた。
 
「また来ますね、華鈴さん」
 
 そちらに向けて、呟く。
 ふわり、常緑樹の森を、なにか囁くように揺らして。やわらかく、どこか冬の入り口にしてはあたたかい風が吹いた。



二話:現下、あなたに
  >>62-


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