複雑・ファジー小説
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- ガラスの靴に、接吻を。 【完結】
- 日時: 2017/11/13 00:25
- 名前: 亜咲 りん ◆1zvsspphqY (ID: 0wn7Mpgp)
- 参照: 接吻は、くちづけ、とお読みください。
初恋が忘れられない。亜咲はそういう人です。そういうものを、詰め込みました。
【episode1】 >>01
【episode2】 >>12
【episode3】 >>29
*epilogue >>39(トーシ様よりいただいた挿絵を掲載)
□ ライアーブルー
>>40
□ あとがき >>41
*
完結 2016.11.18
*
親愛なる天使に。
- 淋しさをあなたで埋めて ( No.31 )
- 日時: 2016/11/23 21:02
- 名前: 亜咲 りん ◆1zvsspphqY (ID: Fbf8udBF)
- 参照: https://t.co/IDQi29FShL
死体を見たとき、怒られる、と思った。誰に? なんてことはもちろんわからなくて、ただただ逃げようと思った。あたたかいところへ。アルの元へと。それはいけないことだった。
ぼんやりとした意識の中、いろんな音が飛び交っていて、気づけば私は暗い夜道をみんなで歩いていた。月が綺麗だった。死んでしまった秀明が落ちてきそうなくらいに。
アルは青白い顔をしていて、赤い髪はところどころ汚れていた。荒んだ目だった。そりゃ、死体を見れば、誰だってそうなると思う。アルが何度もトイレに嘔吐していたことは、かろうじで覚えていた。
私は吐かなかった。どことなく胸が気持ち悪くて胃液が飛び出しそうだったけど、結局は何も出なかった。湧き上がってくるのはひたすら喜びばかりで、今はもう死体なんて怖くなかった。あれはものだ。動かなくなったものだ。ガラスの靴の効能か、と苦笑いした。
「……カレー食べたい」
だからその一言は、無意識に出たものだった。懐かしい、優しい父親の辛いカレー。私は苦手だったけど、何故だか無性に食べたくなった。
戸惑うみんなと一緒に家に帰って、辛いカレーを食べた。口から火が出そうで、思わず吐きそうになってしまった。アルと雫さんは多分、死体を思い出すのだろう。しきりに水を飲んだり顔を赤くしたり青くしたりしていた。今日のことは一生のトラウマになるんだろうな、と思った。
その後はアルが色々なことをきいてきて、少し焦った。何もされていない、と言えば嘘になる。それでも、アルを傷つけたくなくて、私は何も言わなかった。言えなかった。
結局雫さんが訥々と自供して、しん、と沈黙が流れた。雫さんは、自分が弱かったのだと言った。弱かったら人を殴ってもいいのか。蹴ってもいいのか。そんな言葉はカレーと一緒に呑み込んだ。
「……水に流そう」
アルは静かにそう言った。それは確かに良いアイデアで、この上なく幸せへの逃げ道だった。今日の死体のことも、この間までの雫さんの私に対する態度も、秀明のことも、全部忘れる。そして取り戻すのだ。何もかもを。
「俺たちは、幸せになるために生まれてきたのだから」
その言葉に、思わず涙が出そうになった。
幸せってなんだろう。ベッドの上で、考えてみた。
平和な家庭に生まれて平和に生きる。それが幸せなのだと、私は思っていた。だとしたらもう手遅れなのではないだろうか。私は普通の家庭に生まれることができなかった。
それでも幸せになれるのだとしたら、それは大人になってからのことのような気がした。普通の人と結婚して、普通に子供を産んで、穏やかに歳を重ねて死ぬ。それなら私でも、今からできそうだった。
そのためには今、何が必要か。
「さようなら、初恋」
アルを忘れることだった。
**
お風呂に入ってドライヤーで髪を乾かし、私は階段を上った。そして自分の部屋の前を通り過ぎ、アルの部屋へと向かう。こんこん、とドアをノックし、ノブに手を伸ばした。
「おいっ、どうした……んだよ」
奥から慌てたように、アルが飛び出してくる。白いシャツとジャージを着ていて、お風呂上がりだとわかる。私の方は白いワンピース型のブラウスを着ていて、下にはスパッツを履いていた。なぜこの服装を選んだのか。特に意味は無かった。
「……眠れ、なくて」
声が震えていた。眠れないのは事実。けれど、本当は嘘だ。私は今からこの恋心を捨てるために、アルに1度だけ触れるのだ。
「一緒に、寝てもいい?」
「……は?」
案の定、アルは素っ頓狂な声を出した。
「隣でねむるだけだから」
「いやでも……」
「今日だけ。……お願い」
上目遣いに見つめる。アルはしばらく目線をきょろきょろとさ迷わせていたけど、はぁ、とため息をついて、部屋に入れてくれた。
少し酸っぱいような、男の子の匂いがする。アルの匂いだった。そばにいるだけで心地よい、あたたかい香り。チェシャ猫の体臭は拒絶反応を起こしたからきっと、これはアルだけなのだろうと思う。
「クローゼットの布団、借りるね」
「……お、おう」
「いいの?」
「いやよくないけど、開けるのはいっこうに構わない」
「……そう」
遠慮なくクローゼットを開ける。エロ本ががさがさっ、と落ちてくるのを期待したけど、そんなことは無かった。少し残念に思いながらも私は布団を取り出して、アルのベッドの隣に敷いた。
「……ベッドで寝ても……」
「それはさすがに申し訳ないから」
「……そうか」
そわそわとしながら、アルがベッドに潜り込む。私も布団に滑り込み、目を閉じた。ぴっ、という音がして、灯が消えた。後には暗闇と静寂だけが残る。それは、秀明を思い起こさせた。
「……なあ、エルフ」
瞑想に入ろうとしたところで、アルが話しかけてきた。
「なに?」
動揺を出さないようにとびっきり気を遣いながら返す。
「この家に初めて来たときのこと、覚えてるか?」
「……覚えてる」
そりゃもう、一生忘れられないくらいまでには。幸せに触れたのは、あれが初めてだったから。
「あの頃のお前は荒んだ目をしていて、正直何を考えているかわからなかった。それでも、日に日にお前は元気になって、明るくなった」
どうして急にそんなことを言うのだろう。頭が混乱してしまう。
確かにあの頃の私は幸せを知らなくって、孤独だった。あの優しい父親のことを思い出す。すべてはあの人のお陰。そして、アルとリンのお陰だった。
「だけど、お前は最近、何か変だ」
「そう?」
「ああ」
「……そう」
ふぅ、と息を吐く。呼吸の仕方を忘れてしまったようだった。
「……ねえ、アル」
「……なに?」
「アルは、私のこと……」
ぎゅ、と胸に手を当てて、呟く。
「……すき?」
沈黙が下りた。それはそれは痛々しいほどの沈黙で、私の胸が張り裂けそうになる。私のほんの一欠片の勇気。アルを諦めるための、唯一の方法。
「……嫌いだ」
1拍遅れて、低い声が返ってくる。途端に、アルが遠ざかったような気がした。目の前が真っ暗になる。私は小さく笑みを浮かべた。
「そう」
噛み締めるように、その言葉を呑み込む。
わかっていた。シスコンでもあるまいし、アルだって年頃の男の子。私なんか恋愛対象にも入らない。こんな冷たいだけの女。彼にはもっと明るい人が相応しい。
こうやって初恋を終わらせて、私は幸せだ。この上なく幸せだ。さあ、幸せになろう。アリスと名のつかない苗字の人を探し出して、いつかそんな人と結婚しよう。この家族に迷惑をかけないように、私は出てゆこう。
不意に、頬を何かが伝う。涙だった。あたたかなそれは、ガラスの靴とはまったく真逆のものだった。
ああ、そうか。私はアルに、すきだと言って欲しかったのだ。当たり前だ。すきだったんだもの。
寝返りをうって、アルに背を向ける。そうしなければ、縋ってしまいそうだった。
そのとき、涙よりもあたたかいものを背中に感じた。
「……なんでだよ」
「……アル?」
アルがベッドから下り、私の背中に触れている。苦しげに何事かを呟いて、私の肩に触れる。
「どうしたの、アル」
「どうしたもこうしたも!」
そう叫んで、彼は私を抱きしめた。そのままアルも布団に落っこちる。背中に感じた鈍い痛みは、何故かあたたかかった。
「俺は……お前なんか嫌いだ」
「うん、知ってる」
「お前なんかいつでも俺に冷たくて、優しさを見せてくれない」
「そうね」
「それでも……すきなんだよ、なぁ!」
胸がどくん、と跳ねる。す、き? アルが私を??
「どうしてずっと、気づかないんだよ!」
赤い髪が私の頬に触れて、責めるようにくすぐる。そして、ようやく私は彼に好意を向けられているのだと理解した。
今まで、どれだけこうやって抱きしめられてきたことだろう。私は、ずっと認めないでいた。自分の幸せのために、アルを見ないでいた。なんて自分勝手な女だろう。それでも……
「私のこと、すきなの?」
「当たり前だっ!」
より一層強く抱きしめられる。涙が溢れ出して止まらなかった。
何が隣で寝るだけだから、だ。私は最初っからこれを望んでいただけじゃないか。何が初恋を終わらせよう、だ。私はこころの何処かで気づいていたはずだ。好意に目を背けて、ここまで来てしまった。初恋は、実らない、なんて言葉は嘘なのだと、私はこころの何処かで信じていた。
そして、私は自分からアルの唇に自らのそれを押し当てた。アルは驚いて身をよじって離れようとしたけれど、もう止まれない。
「そばにいて」
月が覗き見しているような、そんな夜だった。
- ようこそ、闇へ ( No.32 )
- 日時: 2016/11/16 18:09
- 名前: 亜咲 りん ◆1zvsspphqY (ID: hd6VT0IS)
降りしきる雨の音で、ぱちり、と目が覚める。真っ白な天井が見えて、嗚呼、そうだここは有栖川家なんだった、と思い当たった。そして、強く、生きたいと思った。強く。
隣ではアルはもう目を覚ましていてベッドにおらず、すでに6時を回っていることが窺えた。
んーっ、と伸びをして湿気を吸い込み、少しだけ笑う。気持ちの良い朝だった。なぜかシンデレラが何も話しかけてこない。それどころか、存在すら感じられない。ガラスの靴はどこへ行ってしまったのだろう。でも、もう必要ないだろう。そう、思えた。
ベッドから出たところで、裸であることに気づいて、急いで下着を身に付ける。パジャマもその辺に脱ぎ捨ててあり、昨晩のことが思い返される。
幸せな夜だった。少し、涙が溢れ出た。
「……あ」
洗面所に向かおうとしたところで、ばったりとアルに鉢合わせする。顔を合わせた瞬間アルは顔を真っ赤にして、
「お、おはよう」
とだけ言った。その姿が可愛らしくって、私は笑った。けれども、そのままの表情で鏡を見ると、私の口角はぴくりとも動いていない。
まだまだ私のこころは冷たいままだった。それでも、いつかアルがこのこころを溶かしてくれるような気がした。
微かな期待を持って、1日が始まる。
まずはじめに感じたのは、景色が違うということだった。いつも俯きがちに歩いていたからだろうか。背筋を伸ばして歩くと、視界がとてもクリアになって、なぜか道端に季節外れのたんぽぽを見つけた。雨風に揺らされながらも、健気に生きている。生物は、みんな幸せになるために生まれてくる。だからあなたも幸せになって、たんぽぽさん。私はしばらくの間、自分の傘をたんぽぽにお貸しした。
これ以上ないくらいの曇り空なのに、不思議なほど空が明るく見えて、周りの人間の幸せが疎ましくない。じめじめとした雨のような、奇妙で幸福なあたたかさに私は包まれていた。
ふと気まぐれに、ぽとりと消しゴムを落としたクラスの子に、できるだけ穏やかにはい、と消しゴムを手渡すと、相手はたいそうびっくりしたような顔で、それでも、
「ありがとう」
と小さく笑った。どきり、とする。今までと違った反応で、どこかむずむずとしたのだ。
その後も、クラスの子の用事を手伝ったり、できるだけ明るく返事をしていると、途端にクラスの子の雰囲気が変わった。皆一様に不思議そうに首をかしげながらも、誰も私を悪く言わないのだった。
そして気づいた。クラスの子が私を勝手に奇異の目で見ていた訳では無いと。私が勝手に彼女たちを馬鹿にし、どうせ私をいじめるんでしょ、と決めつけていた。誰よりも私を蔑んでいたのは、私だった。
世界は思っていたよりも優しくできているのだと、この日初めて知った。
アルはやっぱりすごい。私にあたたかさと幸せを教えてくれる。
幸せが戻ってきた気配がした。秀明が死んだことで、物事が好転してゆくような感覚。いや、違う。アルが幸せを振りまいているのだ。いつも以上に。アルは幸せの化身だと、ずっと前から知っていた。
あの夜の私を見つめる瞳はどこか好戦的で、アルの違った一面を見ることができた。鍛えられた身体にもう1度触れてみたい。そう考えたところで、今度は私が真っ赤になってしまった。
いつもよりも軽い足取りで、家路を急ぐ。そういえば、私は出てゆく、と宣言していた。もうそんなものも必要ないんじゃないか。けれども、これはけじめ。それでも……離れたくないなぁ。なんて思った。
「明日天気になーれ」
そんな声が聴こえて、ふと立ち止まる。聞き覚えのある声だった。こつん、と私の靴の踵に何かが当たる。私は立ち止まって、後ろを振り返った。ざあざあ、と、耳障りな雨の音が意識内に入り込んでくる。
「やあ」
「……あんたは」
そこに立っていたのは、チェシャ猫だった。薄い唇を醜く歪ませて、笑っている。辺りを見渡すと、そこはかつて優しい父親とよく来た公園で、いつの間にこんなところに来てしまっていたのだろう、と首を傾げた。
「……何か用?」
警戒しながら、私は尋ねる。チェシャ猫はふらりふらりとこちらへ1歩1歩近づいてくる。その足取りはどこか危なげで、じりじりと壁に追い詰められてゆく。長い前髪に隠れて、彼の表情はよく見えなかった。
「ねえ、一体……」
「君は僕を裏切ったねぇ?」
がん、とチェシャ猫は片手を壁に押し付けて、私に顔を近づける。雨が降り注いで、あっという間にビショビショになる。俗に言う壁ドンというやつだった。でも、その瞳には甘さなどどこにもなく、ただ虚無だけが広がっている。なんだこれ。まるで……
「君たちの喘ぎ声を1日中聴くことになった僕の身にもなってよ、ねえ」
笑い声とも泣き声ともつかない声。チェシャ猫は、笑いながら泣いている、ような気がした。雨に紛れて、わからなかったけれども。それよりも、今の発言の中に、気になることがあった。
「聴いていた?」
「うん君の部屋に盗聴器を少しばかり」
「……変態っ」
「君もだろお?」
呂律の回らない口調で、チェシャ猫は私の髪を引っ張ってその場に投げ飛ばす。固いコンクリートの地面に落ちた衝撃が、薄っぺらいカッターシャツを通してやってきた。あの頃の痛みがフラッシュバックして、何倍も痛く感じた。
「……なん、なのよ」
「綺麗な髪だねぇ」
そう言って雨に濡れた私の髪を手に取ってすん、と匂いを嗅いだ。その仕草がまるで秀明のようで、ゾッとした。これも盗聴器で聴いていたのだろうか。不快感がせり上がってくる。
彼はいつの間にか手に持っていたはさみで、おもむろに私の髪を切る。私の喉からとうとう悲鳴が飛び出た。
「そうそうそれだよそれそれぇ。君には泣き顔がよく似合う素敵だよ食べてもいいかなぁ?」
なんて気持ちの悪いことを言いながら、チェシャ猫は私の首を絞める。雨に濡れた私の首と彼の手は冷たくって、息ができなくなった。
私、死ぬのかな。幸せになろうと思っていたのに、無理なんだろうか。意識が遠のいてゆく。
いや、でも、本当はどうなんだろう。当たり前だ、死にたくない。どうしたらいい? また幸せを取り戻すには、どうすればいい?
『抗って!』
シンデレラが叫ぶ。久しぶりにきいた声だった。
抗う? どうやって?
『正当防衛って、知ってる?』
シンデレラがそう呟いたその瞬間、はっとして、偶然近くにあったブロックに手が触れた。そこで気づく。抗える。まだ間に合う。まだ戻れる。あのあたたかい場所へ。
私は飛びそうになる意識を必死に保ちながら、チェシャ猫の後頭部を思いっきり殴った。
「僕は君のことがこんなにすきなのに君は全然僕を頼ってくれなくてあの豚に襲われたときだって僕じゃなくてあいつに助けを求めたよねぇ。どうして?? 僕じゃダメなの?? 僕、豚を殺したんだよ?? 君にひどいことをした男を僕がやっつけてやったあ、
あ?」
ごん、とものすごい音をたてて彼の頭にクリーンヒットしたそれは強烈な一撃だったらしく、チェシャ猫はそのまま地面に倒れ込み、ぴくぴくと痙攣していた。
直前までの言葉で、なんとなく彼のしでかしたことを理解する。荒い息を整えて、私はずぶ濡れの彼を見下ろした。
「あなた、だったのね」
秀明を殺したのは。拍子抜けするほどの真実に、逆に冷静になる。彼は私をすきだと言ったけれど、まるで初耳だった。
私はアルのことがすきだ。彼の狂気とも言える好意は受け止められない。それに、私は今、殺されかけた。チェシャ猫は1度痛い目に合うべきだと思った。
「……逃げなきゃ」
とりあえず、その場から逃げようと、その場に転がっていた傘を手に取り、足を踏み出す。近くに交番がある。そこに駆け込んで、チェシャ猫を連行してもらおう。
そう決心するも、まだ震えが止まらなくって、うまく足が進まない。だから、私の足に何かが触れたとき、私はつまずきそうになってしまった。
「ままままままま待ってよお」
「っっ、離して!」
蛇のように絡みつくチェシャ猫の手を蹴り飛ばし、私はぴちゃぴちゃと水たまりを踏みながら、交番への道を急ぐ。
気絶していたんじゃなかったのか。私が彼の頭にぶつけたブロックは、血が混じっていた。正直死んでしまったと思っていたのに。怖い。こいつは……バケモノだ。
雨はどんどん強くなるばかりで、私の足を遅くさせる。交番は、この先の信号の向こうにある。はやく、はやく。希望の見える、その先へ。
そのとき、前方に黒いカッパを着た人間がいるのが見えて、私は急いで叫んだ。
「危ない、逃げて!」
不思議な言葉だった。前の私ならきっと、退いて、と言っていたのに。
しかし、黒いカッパの主は近づいてくる私をじっと見ている。この雨だから、きこえないのだろうか。それなら、手を引いてでも一緒に逃げなければ。襲われるのは、もしかしたら私だけではないかもしれないのだから。
彼女の手を取って、
「ほら、早、く………」
と呟いた瞬間、お腹に衝撃を感じて、私は立ち止まった。そしてなぜか力が抜けて、その場にへなへなと座り込んでしまう。思わず手を当てると、何かかたいものが私のお腹から生えていることに気づいた。
「……どう、して」
呆然とそう呟くと、黒いカッパを着たその人物は、ああああ、と奇声をあげて、私のお腹からナイフを引き抜いた。しばらくして、耐え難い痛みが襲いかかってくる。
地面に這いつくばるようにして空を見上げると、そこには瞳孔を限界まで見開いた、木村杏奈が立っていた。
- another story ( No.33 )
- 日時: 2016/11/17 17:35
- 名前: 亜咲 りん ◆1zvsspphqY (ID: VozPDcE.)
- 参照: 忘れない。あなたのこと。
お前はみにくく、けがらわしく、いやしい。あの人はそう呟きながら、私の身体を切り裂いた。そう。何度も、何度も。
あの日刻まれた傷跡は、今もなお、私を蝕み続けている。この額に残る痣も。引き裂かれた足も。
癒えぬ傷跡は私のこころを軋ませ、粉々に打ち砕いてしまった。
嬉しい? 楽しい? 幸せってなあに?
私は何も知らなかった。あの人は、私にそれを教えてくれなかったから。
あるのは、痛みと苦しみだけ。
消えぬ感情は私のこころを揺さぶり、ぐらぐらと乱していった。
苦しかった。喜びを知ることが。みにくい私が、幸せになんかなれるはずがない。あの人の影がどうしてもちらつき、私はやっと得た幸せを吐き出した。
血と共に吐き出されたものの中に、ぬめりと光る、心臓。こんなもの冷たくなってしまえばいい。凍って、2度と動かなくなれば良いのに。
幸せがこんなにも痛いのなら、こころなんて、最初からいらなかった。だから、私はガラスの靴に接吻[くちづけ]をした。
嗚呼、シンデレラ。貴女に跪いて。
〇 episode0.5【穢れた天使】
「おらぁ、立て!」
まどろむ意識の中、私は腹を蹴られる。痩せて小さい私の身体が宙を舞うその一瞬、小さな窓から差し込む朝日が見えて、ああ、そうか、もう朝か、と感じた。そんな当たり前のことを。
軋む身体を無理やり起こし、私を蹴った張本人を見つめる。
「その目はなんだぁ? 起こしてやったのに口答えするのかぁああああお?」
またしても蹴られた。髪の毛を掴まれ、投げ飛ばされる。ゴミに溢れた床に、私はまるで機械のようにごん、と音を立てて着地した。
「お前は醜い。汚いっ白いっ汚らわしぃ!」
ぐぐぐぐ、と足が潰される。無理矢理に広げられる、私の足。そんなに汚らわしいのならば、触らなければいいのに。
「お前なんかお前なんか……お前なんかこうしてやるぁああああああああああいいあええいえいあえええええいえいおおおおえうえええええええうううううえううあっっっっっっ」
雄叫びを上げて、私を押し倒す。
痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛いっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっあ『大丈夫よ』
私が絶叫すると同時に、ぷつり、と場面が切り替わる。青い場所に、私はいた。
「助けて……」
『大丈夫』
「痛いの……」
『大丈夫』
「苦しいの……」
『大丈夫』
「辛いの……」
『大丈夫。
またガラスの靴にすれば、少しずつ、そんな風に感じなくなるわ』
青い蒼いドレスを着たシンデレラが、いつものように、私に微笑む。あたたかい笑顔。差し伸べられた手。差し出された綺麗なガラスの靴。
それを見るだけで、私は安心した。
そして、私はガラスの靴にKissをする。
すうう、とこころが冷えてゆく。痛みも苦しみも何もかもが私の中で凍りついて、それまでよりももっと固くなってゆく。
『痛ければ、苦しければ、辛ければ、いつでも私の名前を呼びなさい。私はいつでもあなたの傍にいる。いつでもこころを冷たくしてあげるわ』
その声に安心して、私は目を閉じた。
幼い頃の私の意識にシンデレラが現れ始めたのは、父親が私をはじめて犯したときだった。というか、気づいたら私は虐待されていた。
気分が良いときは私に本や教材を与えて学を学ぶことができたけど、機嫌の悪いときは、徹底的に殴る。そんな日常が続いた。
母はおらず、父は毎日酒に呑まれる。ゴミに溢れた狭いアパートが、私の居場所だった。
やがて、私の身体が成長し始めていることに気づいた父は、暴言と暴力を吐きながら、私を辱めた。痛くて痛くて仕方なくて、それまで以上に絶叫した。遠ざかる意識の中、私は叫ぶ。
『助けて』
もちろんその声は誰にも届くはずもなく、ただ虚無に帰るだけのはずだった。
しかし、青い部屋で目覚め、私はシンデレラに会った。
『あなたは1度、人生に失敗しているの』
私にそっくりのその少女は薄いドレスを身にまとって、不敵に笑っていた。どこにも痣の見当たらない白い肌が眩しい。そうして呆然とする私に、朗らかな声で説明をし始めたのだった。
私は前世、「エルフ」という召使で、今のように血の繋がった父親に性的暴行を受けていたこと。そして最後には「アル」という青年との逢瀬が猫のせいでバレて、そのまま殺されてしまったこと。そういったことを、懇切丁寧に教えてくれた。幼かった私は、その話の半分も理解できなかったけど。
『今のままでは、また同じ結果になってしまうわ。だから……手を、いえ、足を貸しましょう』
差し出された白い足は青いガラスの靴に覆われていて、酷く美しかった。煙草とお酒、日々の暴力で、特にこれと言った意志を持つことができなかった私は、誘われるままに、彼女に口づけた。幸せな心地がして、なぜだか懐かしい、と感じた。
『……あなたは幸せになるべき子なのよ。不幸な星のもとにうまれたばかりに……』
その言葉の意味は、まったくわからなかった。
それからは、気絶する度にその部屋で彼女と会った。父がふらりと家を出ていって一人ぼっちのときにはシンデレラと会話して、淋しさを紛らわせたりもした。
「まるでお母さんみたい」
『……』
思わず呟いたその言葉に返事は無く、シンデレラはただ意味深に笑うだけだった。
彼女はもう1人の私である筈なのに、彼女の考えていることはよくわからず、また、私の身体を乗っ取ることもなかった。後に外に出て二重人格という言葉を知ったけれど、それも何か違うような気がした。彼女は不思議だった。それでも私の安らぎは彼女しかいなかったので、何も言わないでおいた。言葉にしてしまったら、シンデレラは消えてしまうような気がしたから。
「これからも、傍にいてくれる?」
シンデレラは優しく微笑んで、こう答えた。
『ええ、勿論』
そんな会話から1年後のことだった。光当たる場所へ、そしてあたたかさを手に入れることができたのは。
- 溶けぬ赤 ( No.34 )
- 日時: 2016/11/18 18:42
- 名前: 亜咲 りん ◆1zvsspphqY (ID: qbtrVkiA)
黒の中に赤。醜いソレはカッパにどんどんと染み込み、私のこころにまで侵入してきた。雨はただひたすらに希望を見失った私たちを冷たく痛めつけ、体温を奪ってゆく。苦しげに息を吐くと、彼女もまたうめき声をあげた。その口から赤い血が飛び出し、思わずひ、と仰け反る。
「やだ、汚いっっっ」
声が漏れた。尻餅をついた衝撃で、手からナイフが滑り落ちる。赤が地面に落ちて、水たまりの中に消えた。影山は苦しげに、
「な、ん……で……」
「なんでって、、」
かあ、と頭に血が上る。
「お前が私の幸せを奪ったからだよ! 留衣くんだって、友達だって、全部全部全部全部全部!」
お腹から大量の血を流して青白い顔で言う彼女に、私はそう捲し立てた。
苦しみに耐えながらも美しいその顔に、私はキックをお見舞いする。その綺麗な顔が許せなかった。
「私が雨の日にに設置した盗聴器を通して、全部きこえてた。留衣くんをそのお綺麗なお顔で誑かして、いやらしいこと、したのよね???ね?? 死ねばいい」
ナイフを拾って、握り直す。水たまりに落ちたナイフは酷く冷たくって、死にたくなった。昨夜の声を思い出して、怒りを通り越して、憎しみがふつふつと湧いてくる。
私は、留衣くんに選ばれなかった。話したこともほとんどなくて、関わりなんてマネージャーとしてぐらいしかなくて。それでも、彼の姿をずっと見守っていたのに。
だから殺してやろうと思った。冷たいあなたにお似合いの、とびっきりの銀ナイフで。
「お前は人の幸せを喰うことしかできないの?」
影山は虚ろな目でその言葉を聴いて、項垂れた。力が抜けたのか、もしくは失血しすぎたのだろうか。水たまりがもう真っ赤になっていた。汚い。でも、これは留衣くんの色だ。綺麗な綺麗な、赤い髪。決して、影山のような醜いプラチナブロンドじゃない。
「お前が一生不幸でいればよかったのにっ。そうしたら、みんな幸せに過ごせたのにっっっ」
私のその叫び声は、まるで泣いているかのようにもきこえた。そうしてぐったりと血塗れのアスファルトの上に横たわる彼女の白い顔に向けて、ナイフを振り上げる。冷たい雨が。雨が。ただひたすらに、赤を塗りつぶしていった。
どれくらいの時間が経ったのだろう。ふと、ひたすら上下にあげていた腕が誰かに掴まれて、我に返る。
「これ以上はやめてよ。君まで殺しそうになる」
「……千代田ぁ」
ふらふらと私の手からナイフを奪い取り、無表情のまま千代田はもう動かない影山さんの顔を見つめた。はっ、として、私も彼女を見る。そして次の瞬間悲鳴をあげた。彼女のお美しい顔が完全に壊れ、ただの部品になっている。
どうしよう。なんてことをしまったんだろう。私は人を……殺してしまった。だから彼女の顔はただの部品になった。殺すつもりなんてなかったんだ。ただ、刺そうと思っただけで……だから彼女はしたいになった。留衣くんを奪われたことでかっとして思わず……だから彼女はものになった。私は……殺人者だ。だからもう、美しい彼女は2度と戻ってこない。
「ははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは」
ざあああ、と耳障りな雨の音を突っ切って、私の笑い声が響く。
もう取り繕うのはやめよう。彼女は死んだんだ。私の幸せを邪魔する怪物はもう消えた。これで私も幸せになれるんだから。
「ねぇ千代田あ、このこと言ったらぁ、ぶっ殺すよぉぅ?」
千代田の細い手からナイフを奪い返して、今度は千代田に向ける。真っ黒な闇の目がこちらを見つめ返す。ちっとも怖くなんかなかった。だって私も今、同じ表情、してるから。
「言わないよ」
は、なにを、と嘲笑おうとした瞬間、関節を掴まれ、力が抜けた。かん、とナイフが地面に落ちて、あ、と声を出す。ナイフは今や千代田の手の中にあった。
「返しなさいっ」
「どうして? これは僕のものだもの」
薄く笑って千代田が……いや、チェシャ猫が私を優しく蹴り飛ばす。ふわり、と意志を失った私の身体がひとりでに宙を舞った。
「僕が殺したんだ。影山さんのことが好きで好きで仕方なくって、僕が殺した。だから君は関係ない」
尻餅をついた私は、呆然とチェシャ猫の背中を見つめる。意味がわからなかった。私が殺したのに。どうして、あなたは。まさか、庇ってくれるの?
散々迷ってねえ、と話しかけようとするとちょっと後ろを振り返って、
「あれ、君……だれ?」
その言葉で何もかもがわかった。私は黒いカッパを脱ぎ捨てて、逆方向へ走り出した。
服が、髪が、下着が、こころが、全部雨に洗い流されてゆく。そして残ったのは、愛だった。きっと彼もそうなのだろう。どうしても笑いが止まらなかった。
後ろを少し振り返ってみると、もはや原型を留めていない影山さんの顔に自らのそれを近づけ、何事か呟いていた。美しい、と思った。きっと、チェシャ猫は愛する人と死ぬつもりなのだ。
髪を犬のように振り乱して、私は笑う。
「ははははははははははははっ、チェシャ猫に、幸あれ!!!」
- Re: ガラスの靴に、接吻を。 ( No.35 )
- 日時: 2016/11/18 20:07
- 名前: Garnet (ID: tQGVa0No)
こんにちは、がねさんです。がーねっつです。
突撃宣言してから随分時間が経ったような気もするけど、気にしない気にしない()
完結間近でガラスの靴クラスタになるとは……もっと早く読み始めたかった(泣いてる)
リアルなのに夢うつつな感覚、これはもう何と言えばいいんだろう。大好き。語りすぎず、程よい静寂がそこにある感じ。
狂気にぞくぞくするのに、画面をスクロールする手が止まらないのです。亜咲マジック。
あんなに可愛いりんしゃんがこんなお話をさらっと書けてしまうなんて、一体どういうことよ!(笑)
ガラスの靴へのキスがどういう意味を示しているのか、わかったときには何とも言えない気持ちになりました。この上なく悲しいのに、描写が綺麗で、エルフとシンデレラをまとめてぎゅーしたくなっちゃう。
青いガラスの靴、という表現も大好きです。
わたしに画力があれば……ふたりを絵に書きたい……
登場人物は皆好きです。特に、エルフとリン。この姉妹はとても美しい。エルフのプラチナブロンドヘアと青い瞳……うう。
"シンデレラ"も、最初のうちはよく解らなくて、とりあえず許せない存在だったのですが、人間味を感じて(と言うとおかしいけど)呆気なく落ちました(笑) 「まるでお母さんみたい」と言われたところが、印象に残ってる。
チェシャ猫とアナと豚()のクズ具合も良いです。
ああ、もう、何というか、完結してしまうのが惜しいです。登場人物たちには申し訳ないけど、ずっとこの世界を見ていたいって思う。
エルフには、アルと一緒に、幸せに生きてほしかったなあ……。
お花畑の中での結婚式まで勝手に妄想しちゃったのに……ふええぇん…………
もう……むり(語彙力WWW)
終始クソみたいな文字の羅列を投げつけてしまいましたが、ほんとに素敵な物語です。ありがとうございました。
エピローグも全力待機してます!!
失礼しました。m(_ _)m