複雑・ファジー小説
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入力例)鳴(な)かぬなら 鳴(な)くまでまとう 不如帰(ホトトギス)
- ガラスの靴に、接吻を。 【完結】
- 日時: 2017/11/13 00:25
- 名前: 亜咲 りん ◆1zvsspphqY (ID: 0wn7Mpgp)
- 参照: 接吻は、くちづけ、とお読みください。
初恋が忘れられない。亜咲はそういう人です。そういうものを、詰め込みました。
【episode1】 >>01
【episode2】 >>12
【episode3】 >>29
*epilogue >>39(トーシ様よりいただいた挿絵を掲載)
□ ライアーブルー
>>40
□ あとがき >>41
*
完結 2016.11.18
*
親愛なる天使に。
- 雨音に紛れて ( No.6 )
- 日時: 2016/09/18 21:12
- 名前: 亜咲 りん ◆1zvsspphqY (ID: VhCiudjX)
きゅ、きゅ、と体育館の床を擦る心地よい音がする。それと同時にだん、だんとボールのよく弾む音が聞こえた。
男子バスケ部の練習だ。背の高い男子たちが、必死にボールを奪い合っている。
「こっち!」
赤髪の少年が乱暴にパスされたボールをキャッチし、離れたところからシュートする。ばしゅっ、と心地よい音をたてて、ボールが入った。
「よっしゃ!」
本当に楽しそうに、大声でガッツポーズをする。赤い髪から滴り落ちる汗が、きらきらと輝きながら落ちていった。少年の名前は有栖川 留衣。私の好きな人だ。
「お疲れ様!」
汗だくになっている男子たちにタオルとスポーツドリンクを渡していく。汗臭かったが、これもマネージャーの仕事。笑顔を欠かさない。
「ありがとう」
そう言って私の差し出したタオルを受け取ったのは、留衣くんだった。いつもは下ろしている赤みがかった髪を今はかきあげている彼は、とても綺麗な顔立ちをしていた。
「今日もばんばんシュート決めてたね」
「おう。今日は調子が良くってさ」
「いつもは調子悪いの?」
「俺はエースだから調子悪くても決められるのー」
そんなことを自信満々に言う彼は、全然嫌みったらしくない。むしろそれが当たり前で、思わず頷いてしまうような明るさを持ち合わせていた。にひっ、と笑う笑顔は快活で、こちらまで笑顔になってしまう。
スポーツドリンクを渡しながら、
「今度の試合、頑張ってね」
と激励の言葉をかけると彼は、
「もちろんさ。マネージャーもよろしく!」
と言って私たちに手を振って、部室へと帰っていった。そう、私たちに。結局私は彼にとってその他大勢と同じなんだな、と感じてちくり、と胸が痛んだ。
初めて彼を見たのは、入学式のとき。
桜の木の下で笑う留以くんは誰よりも輝いていて、格好良かった。
バスケ部に入ると聞いてマネージャーになったものの、彼は見た目通りの人当たりの良い明るい青年で、さらに好感が持てた。
誰とでも分け隔てなく話す彼はその容姿も相まって人気で、今までも何人かが告白している。しかし、
「ごめん。俺、そういうのあんまわかんなくて」
と申し訳無さそうに言って、いつも断っていたらしい。私はそんなことを聞く度に、彼女がいるんじゃないの? と思っていた。
彼が毎日とある女子と登校してきているのは知っている。いつでも一緒に登校してきていて、じつは同棲してるのでは? と噂になっているほど。
私も以前、彼と彼女が歩いている姿を目撃した。そうしたら、隣で歩いていたのは、クラスの無愛想な女だった。一目でハーフとわかる外見で、無駄に美人。正直、2人はお似合いのカップルだった。
でも、彼にひとめぼれしてその噂を聞きつけたねちっこい先輩が彼女に真相を迫ったところ、違う、とはっきり応えたらしい。ならなぜ一緒に登校してくるのか。彼女はそれについての一切を語らなかった。
悔しいけども、化粧を塗りたくって精一杯可愛く見せている私に勝ち目はない。それならせめて愛想だけでもと、私はバスケ部のマネージャーで、日々彼をサポートしている。
いくら美人とはいえど、あそこまで無表情で、彼の話をつまらなさそうに聞いていれば、いずれは私にもチャンスが出てくるだろう、なんて思いながら。
「ねえ、アナ」
教室でお弁当を食べながら、優月が話しかけてくる。アナは、私の名前、「杏奈」を文字ったニックネームだ。
「なに?」
口の中にまだご飯が残っているため、もごもごと返す。優月は遠慮が無い。
「留衣くん、まだ狙ってるの?」
ほら、また今日もこうやって私の心にダメージを与えてくるの。
「なにかいけない?」
「だって、もうチャンスが無いじゃん」
「そうとは限らないし」
やけくそで口に卵焼きを運びながらそうこたえる。こっちの気も知らないで……
「でもさ、今日だってすんごい親しげに『える』『留衣』って呼びあってたじゃん」
「そう? 留衣くんはともかく、影山さんの方はすごい不機嫌そうだったけど」
そう言って、今朝の光景を思い出してみる。楽しそうだったのはやはり彼だけだった。輝かんばかりの笑顔を彼女に向けていたのは。
「それに、あんな美人と付き合ってたら、その後の彼女なんて誰でも霞んじゃうよ」
「見た目だけがすべてじゃない。それから本人は付き合ってないって言ってるじゃん」
「わかんないよー。もしかしたらもう……」
その後に続く言葉があまりにも下卑じみていたので、私は優月の頬をむに、と挟む。やだー、やめてよ、と笑う彼女とは対照的に、私の手は震えていた。
「まあ、絶対乗り換えた方がいいよ。ほら、サッカー部の関口先輩とかさ……」
手を離すと、優月は再び嬉嬉として喋り出す。目を爛々と輝かせる彼女の姿は、恋する乙女というより、モンスターを追う狩人のように見えた。
みんなみんな、こうやって次々に男を変えていく。優月だって、はじめは留衣くんが好きだったはずなのだ。それなのに……
私は女子のこういうところが嫌いだった。
ずっと想っていたっていいじゃない。好きなんだから。
**
「あ、雨だ」
下駄箱に行く途中の廊下の窓から、しとしとと雨が降っているのが見える。朝に天気予報で雨が降ることを確認していたので、傘の準備は抜かりない。それに今日は体調が悪いので、帰ろうとしていたところだ。雨にまぎれて、さっさと帰ってしまおう。
と、下駄箱で靴を履き替えていたところだった。外から声が聞こえ、思わず外に出る。
留衣くんだった。傘からちらりと赤い髪が覗いている。1人、だろうか。今なら一緒に帰れるかもしれない。
そう思って、踏んでいたかかとを急いで真っ直ぐにし、傘をさして雨の中へ飛び出したとき。
彼の隣に誰かがいるのが見えた。背が高くて脚が長くて、白い。そして長いプラチナブロンドの髪……
「っ」
アイツだ。いつも彼の隣にいる、目障りで無表情な女。今朝、冷たい瞳で私を見ていた、影山える。なにか、すごくもやもやとしたものが体の奥を支配した。
留衣くんはいつも部活で、彼女と帰ることはなかった。彼女も待っている様子はなくって、やっぱり朝だけの関係なんだろうと思っていたのに。
遠ざかる距離。マネージャーになったことで近くなったと思った距離が、どんどん遠くなっていく。雨が彼らを包んでいて、私はどうしても近づけなかった。
ばしゃん、という音をたてて傘が手から離れ、小さな水たまりの上に堕ちる。大粒の雨が私に降りかかった。
「……うそつき」
そんな言葉がぽろん、と溢れて、雨滴になる。もう私はびしょ濡れだった。
「お困りですか」
気色の悪い声が後ろから私を呼ぶ。と同時に、私の体に何かが覆いかぶさった。
振り返れば黒い傘と、にやにや笑い。私よりも少し背の高い、まるで猫のような男子がいた。
「あんた、誰?」
呆然として、なにも考えられない。
私の間抜けなその声に、彼はさらに笑みを深めて、こう呟いた。
「協力してあげよう、君に」
- 雨音に紛れて ( No.7 )
- 日時: 2016/09/18 21:19
- 名前: 亜咲 りん ◆1zvsspphqY (ID: VhCiudjX)
くるり、と差し出された真っ黒な傘が回る。傘に付いていた水滴が辺りに飛び散り、私の悲しみを吹き飛ばした。
「僕の名前は千代田千晶。そうだなぁ。チェシャ猫とでも呼んでよ」
にい、と口角を上げて、彼は囁く。薄い唇から大きな白い歯がちらりと覗いた。右耳のピアスが牙のように光る。……食べられてしまいそうだ。
「協力って?」
不信感を抱きつつも、尋ねる。彼のカッターシャツと茶色の髪が雨に濡れ、水が滴り落ちた。
「決まってるじゃあないか」
そう言って、くっくっくっ、と魚が呼吸できなくて飛び跳ねているみたいに彼は笑う。なにこの人。気持ち悪い。
彼は内緒話でもするかのように口元に手を添え、話し出した。
「君、アルくんのことが好きなんでしょ?」
「アル?」
「おっと失礼。有栖川くんのことさ」
口元を細い指で隠しながら、彼は微笑む。薄い唇の端が手からはみ出た様子がまるでピエロみたいで、本当に気色悪かったけれども、私はなぜだか彼から目が離せなかった。
「僕は知ってるよ。あの2人がどんな関係なのか、そして、彼女が何者なのかも」
「!?」
しかしその言葉で、私の態度は一変する。ぐわっ、と目を見開き、彼に近づいた。
「……本当に?」
「うん。僕は嘘をつかないよ」
疑い深い私は、笑みを崩さない彼の目をまっすぐ見つめる。彼の一重の目はどこか濁っていて、一切の感情を読み取れない。けど、私はその瞳の闇に吸い込まれそうになった。
「なら……」
その誘惑を必死に振り払い、ごくり、とつばを飲み込んで口を開く。
「おおっと、まだだよ」
言葉を続けようとする私の口元に彼は手を当てて遮る。彼の皮と骨だけのような指が私の唇に触れて熱を帯びた。
「僕は協力してあげよう、と言ったね。でも、僕は見返りも無しに協力してあげるお人好しでもない」
見返り、ときたか。協力して「あげる」と言いながら何たる言い草だ、と思ったけど、それはすぐに霧散する。逆に言えば、見返りを与えるだけで、協力してくれるのだ。でも、本当に信用できる? こんなやつに何がでこる? 再び見つめると、彼はますます笑みを深め、私の目の奥を覗いてきた。そのとき、私はぞくり、となにかが背筋を這い登るような感触を覚えて__
「……私はどうすればいい?」
気づけばそう呟いていた。彼のこころにぽっかりと空いた深淵。瞳の奥は果てしない闇が広がっている。どうやら私はもう、その闇に囚われてしまったようだった。
それに気づいているのか気がついていないのか、彼もまたぐっ、と顔を近づけて、
「僕と、付き合って?」
と、ニヤニヤ笑いを崩さず、私の耳元で囁いた。熱い吐息が耳元に吹き込み、またしても蛇のように、なにかが私の身体を這い回る。脳が痺れた。
「失恋した者同士、傷を舐めあおうよ、ねえ」
顔を離し、彼は舌なめずりをする。長い舌はまるで蛇のようで不快感がせり上がったが、不思議なほど美しく見えた。
「……失恋? あんたも?」
彼は失恋、いや、恋をするような人間にはとても見えない。
「うん、そうだよ。影山さんにあんなにアプローチしてるのに、なんでだろうなぁ」
口調はとても軽いのに、恐ろしいほど凄絶な笑みがその雰囲気をぶち壊す。
「そんなことよりも、雨はしばらく止まない。ほら、僕の傘に入ってよ」
しかしすぐに、歯を剥き出しにした獰猛な笑顔が嘘のようににやにや笑いへと戻って、彼は私を手招きした。ただ入って、と言われただけなのに、私の身体は勝手に動く。まるで機械のように彼の隣に並び、歩き始める。
「これで僕達も相合傘だよ」
何を言うのか。相合傘なんて、本当に好きな人としかやらなきゃ意味が無いじゃない。
私がなかなか同意しないので、にぃ、とまたしても笑みが変わる。
「ね、嬉しいよねぇ?」
まるで私が嬉しがるのが当然のように、彼は呟いた。いや、そう感じることを、強制しているらしかった。
「それにしても酷い雨だ。ここからなら僕の家の方が近いはずだよ。一休みしていくかい?」
そんな身勝手な申し出。いつもの私なら「嫌」と答えるはずなのだが、彼の暗い闇に包まれた目で見つめられると、
「……うん」
と頷くことしかできなかった。
**
「ほら、入って」
大きな家だった。急いで中に入りながらも、私は少し恐縮する。私の家はボロいアパートなのだ。この違いはなんだろう、とどうしても考えてしまうあたり、私は貧乏人だった。
しばらく歩くと、2つのドアが見えた。彼はそのドアを指さして、
「ほら、そっちのシャワー浴びてきなよ」
「そっち?」
「僕はこっちのシャワーを浴びるから」
驚いた。2つもシャワーがあるなんて。水道代とか大変なんだろうな、なんてことを考えてしまうのは、庶民の証。お金持ちはやっぱりすることが違うんだな。
とはいえ、すぐに中に入り、雨に濡れた服を脱いで、シャワー室に入る。脱衣所もシャワー室も広くてカビ1つなく、とても綺麗だった。
じゃー、と雨や汚れを落としながら、私は目を閉じる。
あれは魔性だ。猫なんて名乗っているけど、正体はきっと蛇。もちろん人間であるはずなんだけども、私の本能がそう告げていた。
一通り流しきったので、シャワーを止めて外に出る。テキトーにタオルを手に取って、身体を拭いた。しかし、髪をぱんぱん、と拭き始めたところで、やっと私は気づく。そうだ、服が無い。
貸してもらおうにも彼は今シャワーを浴びているし、制服を着ようにも、濡れていて着れない。おろおろとしていると、
「あ、そうじゃん。体操服がある」
と閃いた。私って天才。
意外と中までは濡れていなかったスクバから体操服を取り出し、着る。そこでブラジャーが無いのにも気づいたが、それはもう、諦めるしかなかった。
「シャワーどうもありがとう」
ブラが無いことを気にしつつも、先に出てきていた彼にお辞儀をする。
「服、それ着たの?」
「え、うん」
「……ふーん」
どこか不満げな様子ながらも、彼は私に「ついてきて」、と階段を上り始めた。
「あの、私、もう帰りたいんだけど……」
「帰る?」
階段を上りきったところで、ははっ、と彼は笑う。
「どうぞ?」
そして、近くにあったドアを開け、私を招き入れた。私はそれを躊躇して、1歩踏み込んだ地点で止まる。
彼の行動の意味がわからなくて、はあ、とため息を吐き、彼を見つめた。
「あのさ、本当に私……」
「帰れるとでも思ってるの?」
低い声で呟く。瞬間、腕を引っ張られ、私は部屋に引きずり込まれた。そのままドアが勢いよく閉められ、彼はガチャ、と鍵をかける。
「ここまで来たんだよ? もう拒否するなんて、言わないよね」
背中にはベッド。私はベッドに押し倒されていた。気持ちの悪い笑みを浮かべながら、彼は私の腕を掴む。
「やだっ、い、たい、やめ……」
腕が引きちぎられるほど強い力でぎゅっと握られ、私は悲鳴を上げた。頭が漂白されるほどの痛みが襲いかかる。それでも彼は腕を離さず、ニヤニヤと笑っていた。
「しょうがないよね」
全部、あの子のせいなんだから。
その言葉を合図に、彼は私にさらに顔を近づけはじめた。
- 猫になりたい蛇のお話 ( No.8 )
- 日時: 2016/09/18 21:35
- 名前: 亜咲 りん ◆1zvsspphqY (ID: VhCiudjX)
「千代田くん、プリントある?」
突然、僕の席の前から話しかけられた。顔を上げれば、僕に怯えた目を向ける小柄な女の子。どうやら少し寝ている間に授業が終わっていたらしい。今は……周りのがやがやとした様子を見るからに、お昼休みだろう。
「んー、ごめん。何のプリント?」
白々しく机の中を覗く。4時限目の授業が何だったかのかまったく思い出せず、僕はごそごそと引き出しを漁った。
「……数学1のプリントだよ」
「OK。あった」
プリントは案外すんなりと見つかったので、すぐに取り出す。白い紙に記号のような、なんともいえない文字が見えた。いや違う。僕の字だ。相変わらず汚いなぁ、と思いながら、一応完成していたプリントを、彼女に手渡した。微笑みを浮かべて。
「どうぞ」
彼女がプリントを受け取った瞬間、彼女の指が僕の指に触れた。
「あ、ありがとう」
僕から目を逸らして、彼女は小さく呟く。その瞬間彼女は気丈に振る舞っていたが、明らかにびくびくとしていた。
「じゃあ、よろしくね」
席を立ち上がると同時に僕が彼女の肩に触れると、彼女は顔を引き攣らせ、走り去っていく。その場から一刻もはやく離れたかったようで、彼女は途中でいくつか椅子を蹴飛ばしていった。
僕はその姿を笑顔で見送る。騒がしいなぁ。そんなに怯えなくてもいいのに。食べてしまいたくなっちゃうから。
『いつでも笑顔でありなさい』
母は幼い頃から僕にこう言った。僕の家はそれなりに由緒正しい家柄で、まあ要するに気高い1族らしい。だから母は、いつでも笑顔で厳しい困難でも乗り越えろ、という意味で僕に言ったんだと思うけど、僕はそういう風に捉えなかった。
僕の笑顔が他の人と違うと気づいたのは、小学生のときだった。5年生の頃、僕に毎日のようにいたずらをしてきた女子がいた。それはとても軽いもので、僕はいつも笑っていて、怒らなかった。しかし、彼女はそれが気に入らなかったらしく、そのいたずらはどんどんとエスカレートしていった。その結果、彼女はついに僕を怒らせることに成功する。
校庭にある花壇はいつも、美化係である僕が水やりをしていた。花は願いを込めれば込めるだけすくすくと育ち、綺麗な花を咲かせる。ばっ、と美しく咲き誇った小さなチューリップは、僕の宝物だった。
それを彼女は、文字通りずたずたに切り裂いた。朝、登校してみれば無残に踏み潰されたチューリップ。中には球根を掘り出されたものもあり、嫌な匂いもした。僕は、チャイムが鳴るまでそこに立ち尽くしていた。
僕は教室に入るなり、彼女に掴みかかり、窓に叩きつけた。がしゃん、とガラスの割れるものすごい音がして、教室中の視線が僕達に集まる。彼女は大きな目に涙をたたえながら、「ごめんなさい」と何度も訴えた。僕の頭は怒りで真っ白になっていて、とても彼女を許すことなんてできなかったけど。
それでも、彼女の涙を見ると少し冷静になって、なんでそんなに怯えてるんだろう、と疑問に思った。しかしそのとき僕たちの足元に散らばったガラスの破片を見て、僕は戦慄することになる。
僕は、笑っていたのだ。それも、歯を剥き出しにして、凶暴に。
その後も何度かそういったことがあり、理解した。僕は笑うことしかできない人間なんだ、と。生まれつきなのかそれとも母の言葉のせいなのかはわからなかったけれど、僕が気色の悪い人間だということはよくわかった。
寝るときも笑っていて、食事中も笑っている。まるで、呼吸をするように僕は笑うのだ。
もちろんその笑みは表面上のもので、本当に楽しいから笑っているわけじゃない。だとしたら、なんで僕は笑ってるんだろう。
チェシャ猫だからかな。
最終的に、僕はそう結論づけた。
**
僕は知っている。今日は、彼女のお弁当の中身がからっぽなことを。どうして知っているのか。それは、僕がチェシャ猫だからさ。
彼女は昼食を我慢できる人じゃない。だから、必ずここに来るだろう。そう、購買に。貧しい公立高校である我が校には、食堂というものは存在しない。食料を確保することができるのはここしかないのだった。
4時限目が終わるまで寝てしまっていたので彼女はもう来ないかもしれない、と思いながらも、購買のすぐそこの階段で待ち伏せる。学ラン……違う。黒髪……違う。彼女はとても綺麗なプラチナブロンドの髪をしている。それが目印だった。
しばらくして、廊下の向こうから真っ白な脚が横切った。靡くプラチナブロンドの髪。彼女だった。
彼女は黒い長財布を片手に、購買の前をうろうろとしている。それもそのはず、購買は今日も大盛況。とても入り込める余地はなかった。
やがて、彼女ははあ、とため息をついた。どうやら諦めたらしい。そのままくるりと踵を返し、帰ろうとする。しめた、チャンスだ。僕は小走りで彼女に近づき、後ろから話しかけた。
「お困りですか、お嬢さん」
彼女の足がぴたりと止まる。プラチナブロンドの髪がさらりと揺れた。
ほんの少し覗き見た彼女の顔は、不快感が滲み出ていて。それはもちろん僕に対するものなんだろうけど、その表情は、今まで女子たちが僕に向けられていたものとはずいぶん違っていて、なんだかどきどきする。
初めて会ったときもそうだった。僕のハンカチを拾ってくれた君は、僕の顔を見て、
『気持ち悪い』
と言ったのだ。
なんて素直な人なんだろう、と思った。女子たちはみんな、そう思っても僕の前では決して言わなかったのに。
今もこうやって僕にゴミを見るかのような目線を送ってくる彼女は、素敵だだった。
だから僕は、彼女のことが好きなんだ。食べちゃいたいくらいに。
- 猫になりたい蛇のお話 ( No.9 )
- 日時: 2016/09/18 21:28
- 名前: 亜咲 りん ◆1zvsspphqY (ID: VhCiudjX)
暑い部屋に、静けさが舞い降りる。もう全身汗だらけだ。顎を伝う滴が汗なのか涙なのか、僕にはわからなかった。
息を整えて、僕は隣で泣いている彼女の方を見る。まだベッドから動けないようで、白い布団が彼女の裸体をかろうじで隠していた。
「どうだった?」
ベッドから起き上がり、問いかける。怒られるかな、と思いつつ、僕はいつものように笑った。案の定、彼女はばっ、と起き上がると、ぼさぼさになった髪を振り乱しながら僕を睨みつけ、
「最悪」
ぼそりと呟いた。
しかし、彼女は痛むのか、すぐに顔を顰めた。優しくしたつもりなんだけどなぁ。ぼりぼりと頭をかきながら、僕はベッドから抜け出した。
「……ねえ」
「ん?」
もそもそと下着と服を身につけていると、彼女が布団で肌を隠しながら、僕に呼びかけた。
「なんでこんなこと、したの」
なんで、か。僕はふふっ、と笑う。
「食べたくなっちゃったから」
今日は彼女に冷たくされて、いらついてたんだ。
僕がそう言い放つと、彼女は口を開けて、もともと間抜けな顔をもっとあほ面にさせた。化粧がとれたら本当にブスだな。しかしすぐに、その表情は怒りに歪む。
「あんたは影山のことが好きなんじゃないの!?」
「もちろん好きだよ。あんな女の子、他にいないし」
「なら、どうして……!」
「だって、1番美味しいものは、最後に食べたいじゃないか」
ぴし、と彼女の表情が凍りついた。胸元を隠していた布団がずるり、と滑り落ちる。意外と大きかったそれが露になって、僕はまた彼女を押し倒そうかと思ってしまった。
にやにやと彼女の身体を見つめながら、僕は口を開く。
「僕は君に情報を提供して、君は僕に身体を提供する。すっごく良い条件でしょ? あ、それに君もストレスを発散できるじゃないか。どう? 協力して……」
その言葉を言い終わる前に、ばしっ、と僕の頬で、心地の良い音がした。いや、僕自身は全然良くはないけど。
彼女はいつの間にかベッドから起き上がっていて、涙と怒りでぐしゃくしゃになった顔を僕に近づけて言った。
「最低」
そのまま布団で身体をぐるぐる巻きにして、床に散らばっていた体操服をすばやく手に取る。ぷい、と僕に背を向けた彼女は、鍵を乱暴に開けて、部屋を出ていった。
「そんなに怒らなくてもいいのになぁ……」
階段を急いで駆け下りる音を聞きながら、僕はため息を吐く。
服を全部着終わったため、僕は乱れた部屋を整頓していく。ベッドの上には血とかなんとかがこびりついていた。
「こんなに汚れちゃって……」
汚い汚い。やっぱり汚い。まあ、顔面からして汚い女だったけど、ストレス発散にはなった。
それでも、物足りない。僕のこころの深いところが、彼女を求めて疼いている。
「ああ、彼女はきっと、あんな女よりももっと美味しいんだろうなぁ」
ふふふ、と舌なめずりをする。白い肌、華奢な身体、長い脚。いつもは分厚いハイソックスに覆われた脚にくちづけられたら、どんなに幸せなことだろう。そんなことを考えるだけで、ぞくぞくっと、身体が震えた。
「きっと、綺麗なんだろうなぁ……」
にやにやが止まらない。こりゃ、まだ眠れそうもないな、とこころの中でため息を吐きながら、僕は快楽に目を閉じた。
**
僕は猫なんだ。自由奔放で、誰にも囚われない。たとえ蛇だと言われようとも、僕は猫だ。猫なんだ。
それに、アリスの隣にいるのはいつも猫じゃないか。それなら、シンデレラの隣にいるのも、きっと。だから僕は、猫じゃないといけないんだ。
僕が猫になれば、君はきっと振り向いてくれる。そうだよね?
- 雨、のち、気まぐれに赤。 ( No.10 )
- 日時: 2016/09/18 21:24
- 名前: 亜咲 りん ◆1zvsspphqY (ID: VhCiudjX)
雨が降っていた。黒い雲と、湿っぽい匂い。そうだ。そういえばあの日も、チェシャ猫の笑いのような嫌な天気だった。
「わあ、雨か……」
雨の日はいつも憂鬱になる。外練もできないし、なにより空気が悪い。空からたくさんの汚れが降ってきて、地上にどんどん溜まっていっているんだ、絶対。
とはいえ部活は待っちゃくれない。大会も近いし、俺は仮にもエース(仮)だから、サボるわけにもいかないのだ。
「部活行かないと……ん?」
体育館に向かうために廊下を歩いていると、俺はふいにプラチナブロンドの髪を見つけた。靴を履き替えるその長い足は真っ白で、どこか艶かしい。間違いない、エルフだ。
なんとなく下駄箱へと歩を進めると、昇降口は雨に濡れていた。そういえば朝、エルフは傘を持っていただろうか。今朝のエルフの行動を思い出す。確か教室で別れたとき、その白い腕に傘は無かった筈だ。
でもエルフのことだから、折りたたみ傘くらいいつも持ってきているかもしれない。あいつはそういうところはしっかりとしている。
いや、でもさすがに今日の雨は予測できなかったんじゃあないだろうか。それでもやっぱり毎日持ってきているかもしれないな。あのリュックサックに何が入っているかは、本人以外は知り得ない。まるで秘密の花園だ。
エルフの服の下がどうなっているのかも知らないし、そもそも一緒に暮らしてるけど、一緒に風呂に入ったことも無いし。気になるところではあるけど……ってそういうことじゃなくて。俺は今、傘の話をしているんだった。
「……よし」
俺はぐっ、と拳を握りしめて、自らを鼓舞する。俺は今、折りたたみ傘を持っている。傘は教室にあるが、取りに行かずに、あわよくばエルフと帰らせてもらおう。いわゆる相合傘ってやつだ。
そう決心したところで、俺は時計を見る。どうやらかれこれ10分ほど時間が過ぎ去っていたらしい。雨足はだいぶ強まっていた。
「エルフー!」
昇降口で立ち往生していたエルフに、俺は叫ぶ。くるり、と振り返った彼女はぞっとするほど綺麗で、俺はいつものことながら、少し顔を赤くしてしまった。
それを必死に隠すのも、弟の役目なのだが。
「ん」
「……なに?」
「なにって傘だよ」
「なんで?」
差し出された傘に戸惑いを隠せないのか、彼女はなかなか受け取ろうとしない。くそう、早く受け取れよ! 羞恥心で心臓がばくばくなってて死にそうだ。
「いや、お前傘持ってってないだろうなって思って、渡しに来た」
「……そう。助かったわ。ありがとう」
事情をきちんと説明すると、意外にも彼女はすんなりと傘を受け取ってくれた。やっぱり傘を持ってきていなかったらしい。そしてそのまま、傘をさして外に出ようとする。いやいやいやいや、そうじゃなくってさ。
「待って」
思わず腕を掴んだ。中途半端に開きかけた傘が水たまりに落ちる。驚くほど細い腕と身体は、俺の方へ簡単に引っ張ることができた。ちゃんと食べているんだろうか。まあ、毎日同じものを食べているんだから、彼女がきちんと食べていることくらい知っているけども。
「……なに?」
「そうじゃなくって……」
ようやく我に帰って、俺は言葉を見失う。吸い込まれそうなほど青く、大きな瞳が俺をまっすぐに見つめてきた。こちらを向かせたはいいものの、どう言ったらいいのだろうか。一緒に、帰りませんか……? ダメだ、恥ずか死ぬ。
「はっきり言ってよ」
エルフにしては珍しく強い口調だった。この状況から早く脱したいのだろう。仕方なく、俺は口を開いた。
「……傘は俺も1つしか持ってないんだ」
「なら、なんで私に」
「一緒に、帰ろうと思って」
ぽかん、と彼女が口を開ける。その姿がいつもの冷たい雰囲気とはまるで違って、ぷい、と顔を背けてしまった。どうしよう。可愛い。
彼女もそれに気づいたのか、すぐに表情を改め、静かに頷いた。
「……いいわ。一緒に帰りましょう」
「ほんとに!?」
思わず彼女に詰め寄る。それでもエルフはいつものように無表情で、なんとも思っていないことが伝わってくる。それでも、一緒に帰れること自体が俺は嬉しかった。
傘を拾ってさすと、彼女は俺を隣に入れてくれる。感動で心臓が止まりそうだ。
「そういえば部活は?」
「ん、サボってきた」
「ダメじゃない」
「いーのいーの。俺、エースだから」
「エースだからこそ、でしょ」
雨の中、俺たちは歩いていく。
彼女にとって、俺は弟。もうとっくの昔から、エルフが実の姉じゃないことくらいわかっているけど、それでも小さい頃から一緒に暮らしてきた家族だ。
けれど。いつからだろう。エルフを愛おしいと思うようになったのは。はじめは俺よりも高かった身長がだんだんと低くなっていって。そして、制服をほんの少し押し上げる微かな膨らみを見て、俺はやっとエルフが女なのだと気づいた。
この気持ちを気づかせてはいけない。有栖川家を壊してはいけない。
だから今はまだ、このままで。
折りたたみ傘は2人で入るには小さく、エルフの肩に雫が落ちた。俺はすかさずそれに気づいて、傘を彼女の方に寄せる。って、まるで俺がプレイボーイみたいじゃないか。言っとくが、俺はまだ未経験で……
「……ありがとう」
「ん」
ほんの少し、本当に僅かに、彼女が微笑んだ。それはずっと一緒に暮らしてきた俺にしかわからないものだったが、まるで特別な宝物みたいだ。その笑顔を見るだけで、俺の心は満たされたような気がする。
彼女はいつからか大声で笑わなくなった。だから、いつかまた、笑わせてやりたい。
彼女の幸せを、どうか俺に守らせてよ、神さま。
**
「ただいま……」
びしょびしょに濡れたまま、俺たちは家の玄関に入る。靴を脱いで、ついでにへばりつく靴下も脱いで、俺たちはまずリビングへと向かった。そういう習慣だ。途中、洗面所で洗濯機に靴下を入れ、エルフのブラ線を見ないふりをしながら、俺たちは廊下を歩いた。いつもは母とリンしかいないためリビングは静かだが、今日はやけに騒がしいな、と感じた。
「ただいま帰りまし、た、よ……」
「あらおかえり、留衣。ちょうど良かった。あなたに紹介したい人がいるの」
ドアを開けると、いつもながらエルフの存在は無視される。いや、今はそれが1番の問題じゃない。
「母さん、その人は……」
呆然として、その人物を見つめた。母の隣に、年配の男性がいたのだ。丁度、死んだ父と同じくらいの年齢の。
「こちら、秀明さん。とっても良い方なのよ」
「……はあ」
にこにこと紹介されても、頷くことしかできない。秀明、と呼ばれた男は、にやにやと薄ら笑いを浮かべながら、よろしくね、と一礼した。
「んで、この人がどうかしたの?」
「ええ。実はね、私」
再婚するの。
俺は、言葉を失った。
『ずっとずっと愛してる』
『あなたのこと、忘れないわ』
あの日、泣いて誓った約束は、もう忘れてしまったのだろうか。再婚なんて、絶対にしないと言っていたのに。
そんな愛の形はまやかしだ、と俺は感じた。
episode1【end】