複雑・ファジー小説

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ガラスの靴に、接吻を。 【完結】
日時: 2017/11/13 00:25
名前: 亜咲 りん ◆1zvsspphqY (ID: 0wn7Mpgp)
参照: 接吻は、くちづけ、とお読みください。

 
 初恋が忘れられない。亜咲はそういう人です。そういうものを、詰め込みました。


【episode1】 >>01

【episode2】 >>12

【episode3】 >>29

*epilogue >>39(トーシ様よりいただいた挿絵を掲載)

□ ライアーブルー

>>40


□ あとがき >>41





完結 2016.11.18






親愛なる天使に。
 

赤毛のリン ( No.11 )
日時: 2016/09/15 19:17
名前: 亜咲 りん ◆1zvsspphqY (ID: 9/mZECQN)

 
 私はアン。赤毛だから、アン。けれども、みんなは私のことをリンと呼ぶ。なんでかな。

 朝、目が覚めると私はいつもベッドの上にいるのです。なんだかとてもきれいな夢を見た気がするけれど、それを振り払って起きます。リンは良い子なのです。
 そして、おとなりで一緒に寝ていたくまさんにおはようのごあいさつをします。ママから誕生日にもらった、大事な大事なお友達なのです。
 そうしてリビングに行くと、いつもエルフお姉ちゃんがソファに座っていて、なにか四角いものを持っています。それはぴかぴか光って、面白い。リンも欲しいって思ってしまう。リンはいけない子なのです。

「エルフお姉ちゃんおはよっ!」
「ぐえっ」

 ばあっ、とエルフお姉ちゃんに飛びついて、朝のごあいさつをします。お姉ちゃんの長い髪が揺れました。お姉ちゃんの髪は私の赤い髪と違って金色で、とてもサラサラです。美人で可愛くて、リンの自慢のお姉ちゃんなのです。でも、お姉ちゃんは、なぜだか苦しそうに息を吐いていました。大丈夫かな、と思いながらも、リンはくまさんをぎゅ、とします。

「……お、はよ、リン……」
「うん! くまさんも、おはようって言ってるよ」

 あ、距離が近かった。リンは1歩下がって、きちんとおじぎします。リンはきふじんなのです。

「おー、リン。今日ははやいな」
「あっ、アルお兄ちゃんもおっはよー!」

 リンと同じ赤い髪のアルお兄ちゃんがリビングに入ってきました。すぐさま飛びつきます。ものすごく背が高いのにひ弱なお兄ちゃんは、床に倒れ込みました。リンは力持ちなのです。
 お兄ちゃんのお腹の上で、くまさんもごあいさつします。

「ん!」
「うーん、わかったわかった」

 お兄ちゃんは笑ってくれました。お兄ちゃんはとってもかっこいい。リンの自慢のお兄ちゃんなのです。

「相変わらず、笑わない子ねぇ」

 いつの間にか、ママもここに来ていました。すっごく怖い顔でエルフお姉ちゃんを見ています。いつもいつも、ママはお姉ちゃんにひどいことを言うのです。

「少しくらい、笑ったらどうなの?」
「おい母さん、そんな言い方っ……」
「私はあなたをわざわざ引き取ってあげたんですからね」
「わざわざって……」
「アル」

 リビングに険悪な雰囲気が流れます。

「あの人ったら、とんでもない『お荷物』を残していったものだわ」

 そう最後に吐き捨てて、ママは出ていきました。

「エルフ……ごめんな」
「別にいいのよ」

 お兄ちゃんが震える声で言います。その言葉にふるふるとお姉ちゃんは涼しげな顔で首を振っていたけど、その顔は泣きそうに歪んでいるような気がしたのです。
 リンは俯くお兄ちゃんとお姉ちゃんにぎゅ、と抱きつきました。

「ん、リン?」
「……なんでもないよ」

 ぼそり、と呟きます。
 アルお兄ちゃんは、そんなリンの頭を撫でてくれます。エルフお姉ちゃんも、リンの背中をぽんぽんと押してくれました。

 ママの言っていることは、リンには難しくてよくわかりません。だけどリンは、こんな風に、アルお兄ちゃんとエルフお姉ちゃんと一緒にいたい。これからも、ずっと。

「だいすきだよ」
 
 そっと呟いて、さらに強く抱きついてみせます。
 この2人はリンが守ってあげるんだ。だってリンは、強い女だから。
 

episode2 ( No.12 )
日時: 2016/11/14 22:52
名前: 亜咲 りん ◆1zvsspphqY (ID: LYNWvWol)

 
 私はエルフ。わたしはシンデレラ。
 青は蒼く、碧く、私のこころを冷たく染め上げる。
 こんぺいとうは私の気も知らないで、無邪気に可愛らしく踊る。
 嘘と虚構に塗れた愛は、雨とともにやってくる。
 豚に真珠を与えても、壊されるだけ。

 さようなら、希望。もう2度と会うことはないでしょう。





*・・・・・・・・・・*

○ episode2【吐息】

Elf? No, Cinderella. >>13
>>14-16
こんぺいとう >>19-20
愛は雨とともに。 >>21-24
豚と真珠 >>25-26
さようなら希望 おかえりなさい絶望 >>27
番外編『花の温度』 >>28
 

Elf? No, Cinderella. ( No.13 )
日時: 2016/10/23 16:45
名前: 亜咲 りん ◆1zvsspphqY (ID: 2Ib.wHIE)

 
「今日から一緒に暮らす子だよ」

 そう言って、父さんは、その少女を連れて家に帰ってきた。

「仲良くしてあげなさい」

 穏やかな声で、父は囁く。出迎えた俺は驚きで玄関に立ち尽くすも、父はただ微笑んでいるだけだった。
 抜けるように白い肌、プラチナブロンドの髪。少女は日本人ではなかった。長い前髪と、少女が下を向いているせいで顔立ちはよく見えなかったが、俺と同じ10歳くらいだろう、と感じた。
 ただ、少女はひどく痩せていて、小さかった。まるで綺麗に仕立てられたワンピースの方に着られているみたいで、格好悪い。
 そのとき幼かった俺は__何も知らなかった少年は、そんな風に感じた。

「おい、お前」

 父に繋がれている左手がぴくりと震え、少女が少し顔を上げる。

「……私?」
「そうだよ。お前以外に誰がいんだよ」
「では、あなたは私に話しかけてくれたの?」

 ぼそぼそと呟く少女は、繋いでいない方の手でワンピースの裾をぎゅっと握りしめる。その仕草にどこかデジャヴのようなものを感じて、俺は首をひねった。

「……なんで、呼ばれたのは自分じゃないと思ったんだ」
「……だって、私は」

 けがらわしいものだから。少女は震える声で続けた。それまでずっと微笑みを崩さなかった父の表情が、ぴしゃりと歪む。

「……大丈夫。君は綺麗だよ」

 父は少女の隣でしゃがみ、少女の頭を撫でた。その拍子に前髪が揺れ、おでこになにか紫色のものが見え、ぞっとした。
 あれは、まさか……

「……おい、お前」

 俺が呟こうとしたとき、少女がさらに顔を上げた。少女の瞳が覗き、こちらを見つめる。見開かれた大きな瞳は、透き通るほど青かった。
 その瞳に吸い寄せられるようにして、息を吐く。そのままその奥へと意識を奪い去られる心地がして、思わず瞳を閉じた。
 そのとき、突然少女が呟いた。

「あなた……アル?」

 吐息混じりに吐き出されたその名前は自分の名ではなかった。しかしその名は、幼かった俺の胸に、不思議なほど深く染み込み、離れない。
 そして俺も、なぜか心の奥底から溢れ出てくる名を呼んだ。

「エルフ……?」

 その日から、俺は「アル」、えるは「エルフ」になった。



**

「おい母さん、再婚ってどういうことだよ!」
「言葉通りの意味よ。私、秀明さんとずっとお付き合いしていたから」

 母さんは、白々しく嘯く。雨の中、急いで帰ってきたらこれだ。勘弁してほしい。
 俺は母さんから違う香りがしていることに薄々は気がついていたけど、それは最近のことだった。あんまり息子を舐めないでほしい。
 再婚は、考えていなかったわけじゃなかった。でも、まだその時じゃない。
 俺はろくでなしの母親に叫んだ。

「でも、母さんずっと父さんのことを愛してるって言ってたじゃないか!」
「……ああ」

 そんなこと、と母さんは面倒くさそうに長い前髪をかきあげる。

「あんなの、嘘に決まってるじゃない。死にゆく人に呪われたら嫌だもの」
「嘘……?」

 俺は、これが本当に俺の母親だろうか、と首を傾げた。
 父さんは、これ以上無いくらい優しい人だった。エルフを引き取り、忙しい中、休みがあればそれを必ず俺たちとの時間に費やしてくれた、とても子供思いの人だった。それなのに、そんな人をなぜそんな風に吐き捨てられるのか。

「……あんた、最低だな」

 心から呟く。

「なんと言われようと、私はこの人と結婚します。死人に口無し、と言いますから」
「だから別に約束を破ってもいいって言うのかよ。ほら、エルフもなにか言ってやれよ」

 あまりにもムカついたので、俺はエルフの方を振り返った。すると、エルフは件の彼に近づかれていて、何事か耳元に囁かれている。彼女は声を出すこともできないようで、固まっているようだ。頭にかあっ、と血が上って、思わず秀明、と呼ばれた男の肩を掴んで、エルフから引き剥がした。

「おい、あんた! うちの姉に何やってんだよ」
「あ、いや。少し挨拶をしようと思って……」

 俺は男に拳を掲げて、威嚇する。俺のエルフに勝手な真似をするんじゃねぇ!

「だからといって、あんな近くで挨拶することないだろ!? エルフ、大丈夫か?……エルフ?」

 そこで俺は、エルフの様子がおかしいことに気づいた。元々大きな目をさらに大きく広げて、ただただ一点を見つめている。必死に首を振るおじさんをその辺に投げ捨て、俺はエルフに近づいた。

「……ぁ」

 俺がエルフの肩に手を置くと、彼女は何事か呟く。瞬き1つしない彼女を真っ直ぐに見つめて俺は、

「どうした?」

 と、できるだけ優しく訊ねた。

「いやぁああああああぁぁああっっっぁああああぁああぁあぅあぁぁああああぁぁああぅぁぁああっ」

 ものすごい叫び声だった。どこか悲しげで、悲痛な叫び。時間が止まってしまったかのように、誰も動けなくなる。エルフは自身の耳を両手で塞いで、奇声を発しながらリビングを出ていった。

「待てよ!」

 急いで追いかける。エルフは足が遅い。どこに行ったのかはすぐにわかった。エルフはトイレのドアを開けっ放しにして、便器に頭を突っ込んでいる。しばらく掃除していなかったであろうトイレは、物凄い匂いがした。

「嫌だ嫌だ嫌だどうしてここここのせかいにあのひとがいるのいやだどうしておいかけてくるのやめてっていたのになんでやめてくれないのねえどうしてなんでわたしになにもしないでこわいのねえこわいよ」

 ひたすら呪文のように、なにかを呟いている。いつもの冷静沈着な彼女とは大違いで、俺は頭がくらくらとした。
 震える彼女を必死に便器から引き剥がし、その細い身体を抱きしめる。

「落ち着け、エルフ!」

 骨ばった背中をぽんぽん、と撫でる。彼女はまるで子供のように喘いでいた。トイレの水とエルフの甘い香りが混ざりあって、凄まじい匂いがしたが、気にせず彼女を抱きしめ続ける。

「エルフ?????ちがうちがうわたしのなまえそんなじゃない????わたしのなまえちがうどうしてやめてわたしはあなたじゃない出ていって私から出ていけえぇえぇえぇぇ」

 彼女は何かと格闘するかのように、俺の胸の中で暴れた。訳がわからない喚き声が、俺の耳にダイレクトに響く。手加減の一切無い音声は、イヤフォンの音量を間違って最大にしてしまったときと同じくらいのダメージだった。
 エルフが俺の胸と腹に、爪をたてる。それが酷く痛んだが、俺はさらに強くエルフを抱いた。
 その間も彼女は髪を振り乱して、叫び続ける。なんだ、エルフはどうしてしまったんだ。

「どうしてなんでどうしてなんどもなんどもだれなのわたしは






シンデレラ」

 その言葉を最後に、彼女はぷつり、と糸が切れた人形のように目を閉じた。

「おいっ、エルフ!?」

 必死に肩を揺らす。しかし、彼女は意識を失ってしまっているようだった。
 ほっ、と力が抜ける。その瞬間彼女が後ろに倒れそうになり、慌てて受け止めた。そして、だらしなく彼女の口に垂れた唾液を拭う。

「……一体何があったんだよ、エルフ」

 前にも1度こんなことがあったな、と、俺はエルフの背中と足を持ち、近くの階段を上り始める。俗に言うお姫様抱っこというやつだ。いつもなら思わず悶えてしまうシチュエーションも、今は何も感じられなかった。それほどまでにエルフの身体は軽く、心配になるくらい細かったのだ。
 そういえばエルフの吐瀉物を処理していなかったな。あれだけ吐いていたら、もっと痩せててしまうだろう。欲を言えばもう少し肉付きが良くなってくれれば、なんて馬鹿なことを考えながら、エルフの部屋に入り、ベッドに寝かせる。乱れたピンクのシーツにどきりとしたが、今はまだいけないと自分を抑え、白い布団を華奢な肩までかけた。
 端正な横顔をいつまでも見ていたいと感じたが、トイレを掃除しなければいけないので、俺はドアノブに手をかける。

「……ん、アル……」

 それは小さな声だった。振り返ると、エルフは天井に手を伸ばし、苦しそうに息を吐いている。思わず駆け寄ってその手を握りたい衝動に駆られるも、近づけない。あの手に触れると、超えてはならぬ一線を超えてしまうような、そんな気がしたのだ。
 俺は、弟。恋人では、ない。

「だから、せめて守らせてほしいと、誓ったんだ」

 花の咲く、あの日に。
 だからまだ、わからないままで良いのだと思う。エルフが今日叫んだ理由も、エルフのこころの中も。

「さあて、母さんに怒られにいきますか」

 どう説明しようか。母さんにまた暴力をふるわれないようにしないとな。
 

青 ( No.14 )
日時: 2016/09/22 10:01
名前: 亜咲 りん ◆1zvsspphqY (ID: M0NJoEak)

 
『ね? だから言ったでしょう?』

 ぞっとするほど美しい声が響いて、私は飛び起きる。青い蒼いステンドガラスの天井。


「あれ? ここはどこ。わたしは」
『あなたは気を失ってしまったの。あの男に会ったことで』

 顔を上げると、私がいた。透き通るような水色のドレスに身を包んで、倒れる私の前で笑っている、プラチナブロンドの女の子。

「あのおとこ? だあれ、それ」
『また忘れてしまったの?』

 いけない子ねぇ、と青い蒼い私がちろり、と舌を出す。なんだかわからないけど、とても綺麗だ。彼女は困ったように笑っていた。

『私を頼っていればよかったのに』

 そう言って、彼女は私の肩を掴む。途端に、なにかが流れ込んできて、私は目を瞑った。
 ……なに? 黒い。なにか黒くて……おとうさん? 嫌だ嫌だいやだいやあだあああああ
あああああ

『思い出した?』

 彼女が手を離すと、ぽん、と気持ち悪さが消える。それと同時に、いろいろなものが戻ってきた。
 私はエルフ。そして今の私は、影山える。
 嗚呼、そしてこの青い蒼い私は。

『あの男は確か、2回目の世界の、あなたの父親ね。いえ、私たちの、と言うべきかしら』
「……あなたはいつもこうやって見ていただけじゃない」
『あら、私はあなたの人生が上手くいくように、お手伝いしてあげているだけよ。かれこれ3度も』
「触らないで」

 私の頬に伸ばそうとする彼女の手を、ぺし、と払い除ける。

「私はあなた無しでももう生きていける。今度こそ」
『随分と威勢が良いじゃない』

 その言葉に背筋がヒヤリとして、私は思わず目を瞑る。次の瞬間、私は彼女の前に跪いていた。
 私の目に映るのは、青い蒼い、どこまでも碧い、透き通った大理石と、彼女のガラスの靴。私と彼女の姿が朧げに浮かび上がった。

『あなたは私。私はあなた』
『ずっとずっと昔からそうだった』
『あなたがBad Endを迎える度、私はあなたを蘇らせてきた』

『あなたの苦しみも、感情も、全部私が引き受けてきたのよ?』

 跪く私の髪を、彼女はぐぐぐ、と掴みあげ、獰猛に笑う。私の口から、苦しげな悲鳴が漏れた。

『さあ、私の靴にくちづけて。そうすれば、楽になれるわ』

 ぱっ、と彼女が手を離すと、その反動で私はおでこを強く打ち付けた。額が燃えるように痛んだが、そのまま動かない。動きたくない。そのままの無様な姿勢で、私は歯ぎしりをする。

「私はもう、あなた無しで生きていける」
『戯言を』

 そう吐き捨てて、再び私の肩に手を置いた。あの男の顔が浮かび上がる。脳の奥底に染み付いて離れない、あのクソッタレな父親の顔が。

「ああああああああああああああああああああああああああああっあああああああああああああ」
『あはははっ、苦しいでしょう? 痛いでしょう?』

 またしても彼女が手を離した。すっ、とあの男の顔が消える。もう思い出せないほど遠くに。
 だけど、痛い。いたい。くるしい。にくい。腸が引きちぎられるような、そんな感情。
 気がつけば、私は彼女の靴にキスをしていた。唇が靴に触れた瞬間、すぅ、と冷たさが伝わり、私を覆う。

『そう、それでいいの。あなたの苦しみは全部、私が引き受けてあげる』

 まるで聖母のように、彼女は微笑む。その姿にはっ、として、私はようやくガラスの靴から口を離した。
 顔を上げると輝く白い歯が丸見えで、本当にこれは私だろうか、と思ってしまう。でも、今はそれどころじゃない。

「……私、私はっ」
『また失敗したいの?』

 耳元で囁かれる。自分の声なのに、全然違う。いつものことながら、私は怒りを禁じえなかった。

『良いじゃない。私はそれでいいんだから』
「私は良くない!」
『あなたの言うことなんてどうでもいいわ』

 本当に興味が無さそうだった。私は立ち上がり、彼女に詰め寄る。

「今度こそ、成功してみせるわ!」

 そう叫んで彼女の胸倉を掴もうとするも、胸元がぐっ、と開いたドレスのため、その手は空を切った。

『あら、じゃあ期待しているわ。頑張って。でも』

 そこで一旦言葉を切って、彼女は宙を掴んだ私の手を握る。ぐぐぐ、と力が込められ、私は思わず悲鳴を上げた。

『いいこと? チェシャ猫には気をつけなさい?』

 そんなことわかってる、と言おうとした循環、彼女は笑いを残して掻き消えた。
 
 
 くわっと、目を見開く。そこは、白い天井。有栖川家の、それも私の部屋の天井だった。
 髪が汗でべとべとだ。ベッドで寝ていた自分の身体を見るとジャージを着ていて、そういえばいつ着替えたのか、と首を傾げる。ぽん、と湯気が立った。いや、そんな、アルがそんなことするはずがない。
 今は何時だろうか。目覚まし時計を見ると、時刻は10時を示していた。窓の外を見る限り、AMだろう。どれだけ寝ていたのか。
 それにしても、家の中がやけに静かだった。そりゃそうか。昨日も今日も平日で、アルもリンも学校だ。とりあえず、リビングに下りてみようと思った。
 昨日の出来事で雫さんは怒っていないだろうか。階段を下りながら今更、そんなことを考えてみる。悪夢のような彼女との会話で、私は、自らの身体に起こった出来事をなんとなく思い出していた。急に叫び出してトイレに行って、きっと気持ち悪かっただろう。帰ってきたら殴られるかもしれない。
 そういえば、私はなんで叫んでたんだっけ。

「っ」

 喉からなにかがせり上がってきた。突然お腹がぎゅるぎゅるとしはじめて、壮絶に気持ち悪い。私は階段を急いで駆け下り、トイレにダイブした。
 便器に顔を突っ込み、げえええ、と吐く。黄色い液体がぶちまけられ、喉が痛んだ。昨日から何も食べていないから、胃液だろう、なんてことはとても考えられなかった。

「……はあ」

 ひとしきり嘔吐した後は、ただただ倦怠感が襲いかかってくる。空っぽのお腹が食べ物を欲しがるようにきりりと疼いたけど、そのままトイレの床に手を付く。
 ガラスの靴にキスをしたのに。まだ足りないと言うのだろうか。
 胸が締め付けられるように痛んで、私は自分の胸に手を当てた。まだまだ未成熟な、小ぶりな乳房。
 どくんどくん、と心臓が力強く脈を打っていることを感じる。大丈夫。

「……痛くない」

 そう声に出してみる。そうすると本当に痛みが消えて、私が私でいられるような気がした。
 

青 ( No.15 )
日時: 2016/09/22 10:35
名前: 亜咲 りん ◆1zvsspphqY (ID: M0NJoEak)

 
「どうしたの? 具合悪そうだけど」

 全身に鳥肌が立った。キッチンで水を飲んでいたところに、ねばちっこい声。あー確か現世では秀明だったか。なんてことを思い出したのは、すべてが終わったあとだったけど。

「昨日も様子がおかしかったよね。ゆっくり休めた?」

 でっぷりとした丸顔に笑顔を浮かべながら、そいつは近づいてくる。まだ結婚していないのになんで家にいるんだろう、という余計なことは言わないでおく。きっと、怒らせてしまう。
 おかしいのは体調じゃなくて、私の頭とでも言いたいの? そんな嫌味を考えられるくらいには、前回よりかはまだ私は落ち着いていた。

「……大丈夫です。昨日は少しびっくりしてしまっただけなので」
「ごめんね。急に近づいたりしちゃって」
「いえ……」

 ふるふると首を振ることしかできない。ここで面倒を起こせば、雫さんを怒らせるだけだ。私は漏れ出そうになる吐き気を抑えながら、小太りのおじさんと対峙した。
 見れば見るほど、やはりあの人に似ている。前世の父親に。
 私が拒絶しているのにも関わらず、彼はどんどんこちらに寄ってくる。

「突然だと困っちゃうよね。だからさ、今度からはちゃんと言ってからにするよ」
「……言ってから?」

 不思議なことを言うのね。言ってから? つまりは言ってから近づくということだろうか。昨日のことを思い出して、また吐きそうになる。あの日、彼は私の耳元で囁いたのだ。

「可愛いね」

 そう、こんな風に。

「……っ」

 酸っぱいような、苦いようななんとも言えない匂いがすぐそばで漂って、全身が膠着する。
 恐怖で固まってしまって動けない私に手を伸ばし、彼は笑った。

「君の髪、とっても綺麗だねぇ」

 薄汚れた指が、私の髪に触れる。不快感が喉元を通過し、吐きそうになる。

「……うん、良い香りだ」

 そのまま彼が私の髪に豚のような鼻を近づけて、すん、と吸った。私の肩がびくり、と震える。限界だった。

「……やめて、くださ」
「ああ、ごめん。思わず触ってしまったよ」

 次からはこれも言うようにするね、と彼は髪から手を離す。しかし、また私の耳元に口を寄せて、

「来月に、君のお母さんと結婚するんだ。だから、ずっと一緒にいられるね」

 と言った。
 嫌だ。嫌だ。なんでコイツが。這い登ってくる恐怖と蘇る過去の記憶。私は奇声を上げながら彼を突き飛ばし、トイレに駆け込んだ。


「っああぁああぁあああああぁああぁああああ!」

 吐く。吐く。とにかく吐く。もはや喉でせき止めておけなくなった不快感が、黄色い胃液となって、私の身体から出る。全部吐き出すと喉が酷く痛んだが、私は止まらなかった。

「くそかくそがくそったれえええぃえぇえええええええええぇええ」

 あの男の顔が離れない。むしろどんどん絡みついて、茨のように私のこころを刺す。

『ね? だから言ったじゃない』

 シンデレラが微笑む。まだまだ足りないというのだろうか。
 私はいつまで、ガラスの靴にキスをし続けなければならないの。

「……痛いよ」

 心臓に手を当てて、呟く。まだ私のこころはあの時のように、冷たく戻らないのだった。



**

 トイレから出ると後は自分の部屋でぼおっとしていた。幸いにして、男は私の部屋までは入ってこなかった。
 窓からオレンジ色の光が射し込んでいる。ああ、もう夕方か。
 下の方で、がちゃがちゃっと音がして、だんだんと恐竜が走っているかのような音とともに、部屋のドアが開く。

「……おかえり」
「ただいま……っ、エルフ、起きたのか!?」

 どたどたと、アルが駆け寄ってきた。ベッドにただ座っているだけの私を見て、怪訝そうな顔をする。

「大丈夫だったか!?」

 きっと、玄関の近くにあいつがいたのだろう。妙に心配そうに訊ねてくる。彼は前世でも現世でもいかにも変態、という顔をしているから、わかりやすい。

「大丈夫、何もされてないわ」

 そう、今は。そんな無駄ことは呟かないでおいた。

「……そっか。よかったぁ」

 アルの顔が、安心したように緩む。頬がほんのりと赤く染まり、赤髪がボサボサになっていたため、急いで帰ってきたことが伺えた。

「……ありがとう」

 ベッドにうずくまりながらも、私はできるだけこころを込めて、頭を下げる。

「おうっ、良いってことよ。俺は……」

 何故かそこで口篭った。彼の視線がさ迷う。しかしそれは一瞬のことで、アルはいつものように快活に笑って、こう言った。

「俺は、お前の弟だからな」

 時間が止まったような気がした。もちろんそれは錯覚で、この世界の人はみんな普通に生きている訳で。……ショックだった。

「そうね」

 嘘を吐く。喉元まで再び不快感が迫っていた。
 妙な吐き癖がついてしまったな。まだ痛いよ。
 


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