複雑・ファジー小説
■漢字にルビが振れるようになりました!使用方法は漢字のよみがなを半角かっこで括るだけ。
入力例)鳴(な)かぬなら 鳴(な)くまでまとう 不如帰(ホトトギス)
- ガラスの靴に、接吻を。 【完結】
- 日時: 2017/11/13 00:25
- 名前: 亜咲 りん ◆1zvsspphqY (ID: 0wn7Mpgp)
- 参照: 接吻は、くちづけ、とお読みください。
初恋が忘れられない。亜咲はそういう人です。そういうものを、詰め込みました。
【episode1】 >>01
【episode2】 >>12
【episode3】 >>29
*epilogue >>39(トーシ様よりいただいた挿絵を掲載)
□ ライアーブルー
>>40
□ あとがき >>41
*
完結 2016.11.18
*
親愛なる天使に。
- 愛は雨とともに。 ( No.21 )
- 日時: 2016/10/14 17:40
- 名前: 亜咲 りん ◆1zvsspphqY (ID: d4UJd1Wm)
鳴り響くアラームの音で、目が覚める。目覚まし時計ではなくスマホのアラームなので、私は布団から身を乗り出し、スマホのロックを解除した。
そうして寝ぼけ眼をこすっていると、ふいに昨日の出来事が蘇ってきて、思わず頭を抱えてしまう。悪夢のような、雨。窓を開けると、もう雨は降っていなかった。雨がトラウマになってしまいそうだな、なんて思ってしまった。
どうしてあんな愚かな真似をしてしまったのだろう。後悔だけが降り積もる。
あのときの私は正気では無かった。そりゃ、はじめは抵抗したけれども、そもそもなぜ不用心に知らない男の家に入ったのか。逆らえなかった、というのが正直なところなのだと思う。あのにやにやとした軽薄な男は、簡単に人を怯えさせる。あの目には、逆らえない。怖い。
ふぅ、とため息を漏らす。目を閉じると、少し気分が楽になったような気がしたのだ。
落ち着いてきたところで、スマホの画面を見る。そうして電源をつけると、ついついインスタグラムやTwitterに手が伸びてしまった。
悪い癖だな、と思いながらもTwitterのアイコンをタッチし、画面を開いて文字を打ち込む。
『おはよー』
しばらくすると、優月から反応が来た。
『おはよう(* ^O^ *) 今日の数1の宿題できた? 見せて!』
「……なんだよ」
いつもは何の反応もしてこないくせに。
ふとフォロワー数を見ると、私は10ほどしかいないのに対して、優月は200もいる。それらすべてがリア友なのかどうかは知らないけれど、優月は友達が多い。化粧も上手くて、面倒ごとを上手に躱す。宿題だって、いつも私にばかり頼っている。
私なんか、ただの道具なのだろうか。
優月は高校でできた友達だ。まだ出会ったばかりだから、仕方ないのかもしれない。
「頑張らなくっちゃ」
そう呟いて、私はベッドから起き上がった。
「アナーっ!」
登校早々、思った通り、優月が泣きついてきた。
「はいはいわかったってば」
「わー、ありがと!」
私が数1のノートを手渡すと、優月はにこにこと笑って、自分の席に戻ってゆく。相変わらずまっすぐな黒髪とぱっちりお目目が可愛い。もちろん、影山さんには敵わないけど。
辺りを見渡すと、彼女はまだ来ていなかった。良かった。昨日のことを思い出してしまいそうだから。
まだ下腹部の辺りが少し痛む。乱暴で、手加減の無い犯され方をしたからだろうか。全然気持ち良く無かった。みんな嘘つきだ。
「ねえ、優月」
「何?」
私の問いかけに、真っ白なノートを睨みつけながら優月は応える。
「……やっぱりなんでもない」
「そう? それならさ。私今忙しいの。あんまり話しかけないでね」
ふい、と素っ気なく彼女はシャーペンを動かす。私がノートを貸したんだぞ、という言葉が喉元まで出かかったけれど、我慢する。
彼女はさばさばしていて、物事をはっきりと言う性格なのだから、仕方ない。それに__
「あ、優月おはー」
「朝から大変そうだね、優月」
どたどたと、優月の周りに女子が集まってくる。この間、影山さんに突っかかったときに後ろで構えていた女子達だ。
「美紀、夏菜子おはよーん。だって、宿題とかめんどいしぃー」
「とか言うあたしも終わってない(笑)やんなきゃ」
「そんならアナに見せてもらいなよ。この子、宿題いっつもやってくる真面目ちゃんだから」
「アナ? あ、おはよ」
ここに来て、ようやく私の存在に気づいたらしく、美紀が私に挨拶をする。それは優月と違って軽いもので、なんだか悲しくなった。
そんな気持ちは胸にしまい込んで、私は慌てて口を開く。
「良かったら、私のノート貸すよ」
「え、マジ? じゃあ、優月の後、貸してー」
「じゃあ私も」
「ふふ、いいよ」
笑って頷く。こんなことは、いつものことだ。頼りにされるのは嬉しいことだから。
「あれ、無い……」
鞄をごそごそと探るも、ノートが見つからない。どうしよう。もう3時間目の授業が始まっているのに。
教科は……数1だ。そういえば、朝から優月に貸してたんだった、と、先生が黒板の方を向いている隙に優月の席に近づいて、とんとん、と背中を叩く。
「優月、ノート返して」
「あー……ごめん、他の子に貸しちゃった」
「誰に? 美紀ちゃん? 夏菜子ちゃん?」
「別のクラスの子」
「……えっ」
口元に手を当てて、ぱちりと目を開く。それじゃあ私はどうすればいいの。これから宿題点検があるのに。
「まあ、1回くらい宿題忘れたって大丈夫だって。アナ、いっつもちゃんと出してるじゃん」
「そういう問題じゃない、と思うんだけど……」
「わかったわかった。今日、コンビニで何か奢ってあげるから!」
少々バツの悪そうな表情で、私に手を合わせて懇願してくる。まあ、仕方ないか。私はため息をついて、頷いた。
「今度から気をつけてね」
「うん、ほんっとーにごめん!」
片目を瞑って、優月は頭を下げてくる。少々てきとうな感じがするも、誰にでも間違いはあるものだから、今回は諦めよう。
私はそそくさと自分の席に戻り、頬杖をついてぼおっと黒板を眺める。
優月は友達が多い。私なんかよりもずっと。だから逆らっちゃいけない。逆らったら、私は1人になってしまうから。
「宿題点検するぞー」
先生の大きな声が響き渡る。チェックメイトだ。大人しく怒られよう。1人になることに比べれば、そんなことは大したことじゃない。
**
「いつも思ってたんだけどさ、あいつウザくない?」
「あ、私もそう思ってた。なんかキモい」
「てかクソダサい。私服もなんかダサいし」
「おまけにメイクもなにあれ。猿?」
「まじで言えてる」
「明らか慣れてないよね。もしかして高校デビュー?」
「ありそう。必死に頑張ってる感じが逆にカワイソウ」
「うんうんかわいそー」
「きゃはははは」
「んで、どうする?」
「んー、いきなりはカワイソーだし、もうちょっと仲良くしといてあげようよ」
「そうだね。待ってあげよー」
「もう少しだけ、ね」
- 愛は雨とともに。 ( No.22 )
- 日時: 2016/10/15 17:43
- 名前: 亜咲 りん ◆1zvsspphqY (ID: /PzKOmrb)
「今日は影山休みなんだねー」
「ねー。なんか空気がすっきりしてる。快適」
すずしー、と優月が手を扇ぐ。彼女は私がトイレに行っていた間にどかっ、と私の席に座り、我がもの顔でお弁当を食べていた。周りには美紀と話したこともない子がいて一瞬躊躇うも、私は近くの椅子を取って、腰を下ろした。
「影山、なんかムカつくよね。ちょーっと綺麗だからって、舐めてる感じ」
「わかるそれ。昨日アナも言ってたし。ね、アナ?」
「あ、うん」
お弁当を机に広げながら、私はこくりと頷く。あのときは、他の子に唆されて思わず掴みかかってしまった。ムカついていたことあって、少し酷かったかな、という実感がある。まあ、別に私は悪くない。
「あいつ口数少ないし、話しかけても涼しい顔でスルーしたりするし、なんなの? コミュ症? 障がい持ちなの?」
「……それは言い過ぎじゃない?」
さすがにその発言は酷いと思って、会話に再度入り込む。一瞬空気がぴり、と冷え込むも、優月がにっこり笑って、またもう1人の子と話し出した。
「まあ、そんな子と誰も話したくもないし、ぼっち確定だよね。ざまぁ」
「放課後あいつどこで昼食べてるんだろ。トイレとか?」
「ウケる。前に流行ってた便所飯じゃんそれ」
これがお昼ご飯、か。悪口が飛び交う昼食の中、私は少々眩暈を覚えた。
そういえば、彼女はどこでご飯を食べているか、私は知らない。今度千代田に聴いてみよう……
って、なんでそこで千代田が出てくる?
「……情報を聞き出すには、また痛い思いしなきゃいけないのに」
「ん、何? なんか言った?」
「いや、なんでもない」
どうやら口に出ていたらしく、私は慌てて首を振る。整えられた眉を少し上げて、優月がつまらなさそうにおかずを頬張っていた。そのピンクグロスの塗られた唇を見て、ふと、私は聞いてみる。
「ねえ、優月」
「何?」
「優月って、えっとその……エッチとか、したことある?」
周りには男子もいるので、小声で尋ねる。
優月は派手で、そういう事情にも明るそうだ。恋愛経験もいつも話を聞く限りは豊富そうで、頼りになる気がしたのだ。
「もちろんあるよ」
やっぱり。
「それって……痛い?」
下腹部の痛みを感じながら、私は恐る恐る尋ねた。
「んー、はじめてのときはすんごい痛かったけど、そっからはそうでも」
「そうなんだ」
「何? アナ、まだ無いの?」
「そういうわけじゃないよ」
「だよねー。高校生にもなってまだ経験無しとかマジありえないんですけど。恥ずかしすぎ」
どくん、と心臓が跳ねた。ははは、と笑うアナが、急に恐ろしく見えてくる。
この間まで無かったということを知ったら、彼女は何と言うのだろうか。
「よくスポーツだって言うじゃん? 避妊さえすれば問題無いって」
「それはあっさりしすぎー(笑)でも、気をつけないと、妊娠しちゃうじゃん?」
「まあ、そんときはそんとき?」
「ウケる」
恥ずかしげもなく、2人は会話を続けてゆく。
私がおかしいのだろうか。今までもそう思ったことはあったけれど、きっとそうなんだろう、とまた自分を律した。
ぴろりん、とスマホが鳴る。食事中に見るのもマナー違反だけれども、なんとなくこの現実から逃げたくて、私は通知を見る。
『放課後、また来て』
千代田だった。アイコンにはご丁寧に、「千代田千晶」とある。私の連絡先を、なぜ知っているのか。背筋がゾッとしたけど、とりあえず無視しておいた。
2人にとって貞操観念がそんなにも緩いものなら、こういったことは、日常茶飯事なのだろう。妊娠さえ気をつけておいたらそれでいい。あいつはなんでも知ってそうだ。情報が欲しい。
そういえば昨日、アイツは避妊具を付けていただろうか。
「……まさか」
そんなわけはない。感触でわかるだろう、きっと。
うん。大丈夫。
**
「なんかさ、あいつ処女じゃないらしいよ」
「え、ガチで。嘘でしょ」
「私もそう思ったー。絶対見栄張ってんだって」
「だから、その後『処女なんて恥ずかしい』とか言ったら、すっごい怯えてて(笑)」
「やっぱり(笑)」
「カワイソー(棒)」
「彼氏とかいないんだろうなー。ブスはカワイソー」
「カワイソー(棒)」
「あはははは」
「数1のノートも返さなかったけど、そういえば怒られなかったなー。宿題やってこなかったらけっこう成績響くっていうの、知らないのかな?」
「コンビニで手を打ったからでしょ」
「軽っ」
「ほんとそれな」
「この前も私がちょっと挑発したら、影山に突っかかりやがったし、なんなのあの子。私に嫌われたくないとか、そんな感じ?」
「マジウケる」
「あはははは」
「……まーでも、そろそろ限界かな。ウザいしキモいし」
「そうだね。充分待ったし。私らって優しいよね(笑)」
「優しい優しい(棒)」
「ちょーーっとだけ壁みたいなん作ろうよ。近寄んなウォール?」
「いいね、それ」
「いじめとか言われたら嫌だし、ほんのちょっとだけね」
「おっけー」
「り」
「「「「「「「あはははは」」」」」」」
眩暈が、する。がしゃん、とスマホと何かが、放課後、夕日のさす廊下に転げ落ちた。
- 愛は雨とともに。 ( No.23 )
- 日時: 2016/10/16 16:02
- 名前: 亜咲 りん ◆1zvsspphqY (ID: YxUxicMi)
マネージャーの仕事を終え、ふう、と一息ついて部室を出ようとしたところで、私はリュックを教室に置いてきたことに気づいた。スマホだけ持ってくるなんて本当、馬鹿だと思う。
放課後の学校はオレンジに包まれていて、しんみりとしている。廊下に差し込む光に紫が混ざっていないところを見ると、嗚呼、夏が来たんだな、と痛感した。暑い暑い、身勝手な夏。
夏は失恋の季節。私はいつだって、夏に敗れてきた。そして今年も__
「……好き」
3階の廊下を歩きながら、そっと呟く。あんなにかっこよくて、おまけに彼女がいない男の子なんて、この世に2人と存在しないだろう。しかも、人当たりの良い好青年だなんて。
そうだ。私は諦めたくないから、千代田を受け入れた。契約に応じた。決して、チェシャ猫に__蛇に囚われたわけじゃない。
あのスマホの連絡に従って、この間もチェシャ猫のところへ行った。もちろん痛くて、私は虚ろに宙を見つめることしかできなかったけど。千代田を受け入れる度、私はこころが凍りついて、何も考えられなくなるような感じがした。
「はやく帰ろう」
自分が元いた場所に戻るんだ。はやく。
誰もいないだろう、と鷹をくくっていた教室には、灯が点いていた。誰かが消し忘れただけだろうと思いながらも、私は一応、遠慮がちにドアを開く。
「だよねー」
「あはははは」
3人ほどの人影。その人影は笑い声をあげて、机に座っている。3人の制服の着こなし方を見て、私はその3人が優月たちであることに気づいた。
私もその中に入ろうとして、ドア越しに呼びかけようとする。
「ゆづ__」
「いつも思ってたんだけどさ、あいつウザくない?」
しかしそのまま、私は固まる。影山さんの悪口だろうか。参加するのは忍びない。昔から、あまり悪口は好きじゃないから。
「あ、私もそう思ってた。なんかキモい」
「てかクソダサい。私服もなんかダサいし」
私服? 少なくとも、私は影山さんの私服を見たことが無い。憎たらしいほどスタイルが良いから、だいたいの服は似合うと思うんだけれども……そんなにセンスが無いのだろうか。
「おまけにメイクもなにあれ。猿?」
「まじで言えてる」
影山さんは、メイクをしてきたことはない。そりゃ、メイクが必要ないくらい目が大きくて、肌が綺麗だから。でも、プライベートではメイクをしていたんだろうな、きっと。
「んで、どう……」
「んー、いきなりはカワイソーだし、もうちょっと……しといてあげようよ」
そこだけ急に小声になって、聴き取れない。今頃になって、人目をはばかりはじめたのだろうか。なんだか私がここで聞いてる時点で、遅いような気がするけども。
その後も悪口は続いていく。
「なんかさ、あいつ処女じゃないらしいよ」
「え、ガチで。嘘でしょ」
美人はそういうところまで疑われるのか。そりゃ、男が寄ってくるもんね。
「私もそう思ったー。絶対見栄張ってんだって」
「だから、その後『処女なんて恥ずかしい』とか言ったら、すっごい怯えてて(笑)」
「やっぱり(笑)」
「カワイソー(棒)」
そんなことを言ったのか。私は顔を顰める。やっぱり、この悪口大会に参加しなくてよかった。私もついこの間まで、処女だったのだから。
「彼氏とかいないんだろうなー。ブスはカワイソー」
「カワイソー(棒)」
「あはははは」
影山さんは、確かに彼氏はいなさそうだ。美人すぎて逆に近寄り難い。あれ。さっきと矛盾している?
「数1のノートも返さなかったけど、そういえば怒られなかったなー。宿題やってこなかったらけっこう成績に響くっていうの、知らないのかな?」
「コンビニで手を打ったからでしょ」
「軽っ」
優月たちが腹を抱えて笑っている。何がそんなに面白いんだろう。こんな悪口の、どこが。
「この前も私がちょっと挑発したら、影山に突っかかりやがったし、なんなのあの子。私に嫌われたくないとか、そんな感じ?」
「マジウケる」
「あはははは」
ウケないし。ぜんっぜんウケない。
「影山さん」に? どういうこと。優月たちは、一体誰の話を。
「……まーでも、そろそろ限界かな。ウザいしキモいし」
「そうだね。充分待ったし。私らって優しいよね(笑)」
「優しい優しい(棒)」
優しくないって。あなたたちの優しさは、悪口を言うことなの?
ふらふらと、私はドアから離れる。なんだろう。眩暈が、する。
「ちょーーっとだけ壁みたいなん作ろうよ。近寄んなウォール?」
「いいね、それ」
「いじめとか言われたら嫌だし、ほんのちょっとだけね」
「おっけー」
「り」
「「「「「「「あはははは」」」」」」」
無情にも響く笑い声。思い通りに動かない表情筋を固定するために、私は顔を覆った。磨かれた廊下に、手に持っていたスマホが勢い良く落ちる音が響き渡る。
「……あれ、今何か音が」
「え、もしかして今の聞かれて……」
優月たちが気づく前に、私は駆け出した。できるだけ音をたてないように、はやく、はやく。
涙が溢れてくる。だって、確かにあれは……
私の悪口だった。
最初から最後まで、私のことだったのだ。
階段に辿り着いたところで、私はしゃがみこんで膝を抱える。
「……馬鹿じゃん」
こころの声が漏れる。
メイクが崩れるのにも構わず、私はぐしゃぐしゃと手で涙を拭った。マスカラとかファンデーションとかが溶けて目に入って、ものすごく痛い。けれどもどうせ、私はメイク下手の猿なのだ。すっぴんは、もっと酷いことなんて、私が1番知っている。
どうして気づかなかったのだろう。彼女たちの言動はずっと前から少しおかしくて、私はそれを、まだ慣れていないからだと思っていた。いや、思い込もうとしていた。
けれども、蓋を開けてみればどうだろう。真実は単純明快。彼女たちは最初から、私のことなんて友達とは思っていなかったのだ。
クラスの中心で笑い合えて。憧れの恋バナだって。帰りにコンビニやファミレスに寄ることだって。
全部全部、嘘だったのだろうか。
「……ウケる」
ウケないし。ぜんっぜんウケない。
私は馬鹿だ。私は彼女たちとは違う世界の住民だった。黒い羊が白い羊にまじるために、白い粉を纏うのと同じ。私は、私は。
顔を上げて、1人ため息をつく。
なんだかもう疲れた。夏という身勝手な季節は私の努力を一瞬でずたずたにし、壊した。メイクだって、持ち物だって、恋愛観だって、悪口だって、慣れないことを、頑張ってやってきたのに。
これ以上、こんなに惨めに生きてゆきたくない。貞操とか、こころとか、もうどうにでもなれ。
るるるるるるる。階段に、私のスマホの音が鳴り響いた。確かさっき廊下に落としてしまった筈だけど、無意識に取ってしまったんだろうか。いつの間にか、私の隣でぶるぶると震えていた。おまけにその音は、電話だ。
知らない番号。いつもならば無視を決めこむが、今はもうなんか面倒くさいので、応じてみる。どうせどこかの企業からだろう。階段の静かさが嫌になってきたところなので、私はスピーカーモードにしてやった。
『もしもし。やあ、元気だよね? それは良かった。君が元気じゃないと僕は困るんだ。いつもいつも不健康そうな顔をしているから心配してるんだ、すごく。あ、君のことをブスと言ってる訳じゃないんだよ。勘違いしないでね。彼女と比べたら君が劣るのは当然だから____』
静けさを駆け抜ける、言葉の奔流。千代田だった。
私は一言も喋っていないというのに、彼はずっと喋り続けてゆく。気色の悪いことばかり。
だけど、その気持ちの悪い独り言は、沈みこんだ私のこころに不思議と心地よく響いた。
『僕らに許された娯楽はセックスだけ。子供はまだ大人にはなれないんだ。時々ね、僕はどうして大人になれないんだろうって思うんだ。大人になればタバコもお酒も女だって味わえるのに子供は駄目だって言うんだよ酷いよね。身体だってもう大人なのに』
大人と子供。千代田は不思議なことを言う。私たちは、もう大人なのだろうか。こんなに未熟で、未発達なのに。
とりあえず、言いたいことはわかった。こいつは私の身体を求めているのだ。それなら、この間無断で手に入れてきたであろう連絡先で、ぽん、と送ってこればいいのに。
『__ところで君に大切なお願いがあるんだけど、いいかな?』
突然声音が変わって、身体がぴくり、と震える。この感じだと、どうやら私の身体目当てではないらしい。
それでも、どんな要求でも聞き入れようと思った。
蛇に逆らうことなかれ。今の私の味方は、千代田だけなのだ、と思う。
スマホを耳に当て、私は口を開く。
「私は何をすればいい?」
スマホの向こう側で、蛇がにやりと笑ったような気がした。
- Re: ガラスの靴に、接吻を。 ( No.24 )
- 日時: 2016/10/17 22:49
- 名前: 亜咲 りん ◆1zvsspphqY (ID: bL5odoON)
快晴。青く晴れ渡る空を見ても、それしか言えない。それなのに、これはどういう状況なのだろう。
「雨宿りさせて」
有栖川家の前には、ずぶ濡れの女子。それも、木村杏奈がいたのだった。
新たな父がたまに有栖川家を訪れるようになってからしばらく経った。雫さんはあれからはずっと上機嫌で、私のお昼ご飯は無事。お小遣いを消費しなくて済んでいた。
アルも部活に勤しみ、試合に向けて頑張っている。今日もファンに囲まれて、きゃあきゃあと騒がれているのだろう。
夕暮れに包まれた下駄箱で、私はため息をつく。
彼女でも作ればいいのに。そうすればそんな女子たちもいなくなるし、告白だって少なくなると思うんだけれども。
ふと、私はアルの姿を思い浮かべてみる。見慣れた顔だ。すぐに思い出せる。
2重の涼やかな目と通った鼻筋、赤い髪。王子様みたいだな、なんて思う。小さい頃から背が高くって、モテていた。それはそれは嫉妬するくらいに。性格は……出会った当初はとてもつんつんしていたけど、今では好青年、と呼ばれるほどに人当たりが良い。何かあったんだろうか。
こんな格好良いアルが「弟」だなんて、本当、私にはもったいない話だ。
帰り道にある可愛い服屋さんのショーウィンドウに、私の姿が映っている。
気持ち悪いくらいに真っ白な肌、薄い金色の髪、長細い身体、きりっとしたまるで男のような顔立ち。私は全然可愛くない。
王子様の隣にはか弱くて可愛らしいお姫様が必要だ。それは間違っても、私じゃない。
そんなことを考えながら家に辿り着いたところで、彼女と出会ったのだ。
「雨宿りさせて」
「……いや、雨降ってないけど?」
「はやく。風邪引いちゃうから」
「……」
前述の通り、今日は気持ち良いくらいの青空で、今は気持ち良いくらいのオレンジ色に染まっている。そんな中、雨宿り? 雨なんて降ってないのに、なんで濡れてるんだ、と、私は首を傾げた。
「……とりあえず、中に入って。タオルを貸すわ」
「……どうも」
濡れたまま帰すのも良くないので、とりあえず鍵を開けて、中に入れる。今日は雫さんは遅いはずなので、まあ少しくらいなら構わないだろう。
ぽたぽたと水滴が廊下に落ちて、こりゃ後で掃除しないといけないな、と思った。
結局、シャワーまで貸してしまった。
「……ありがとう」
「……いえ」
浴室から出てきた木村さんは、どこか暗い表情でリビングのソファに座り、白いタオルで髪を拭いている。制服は濡れてしまっていたので、体操服を着たらしい。どうでもいいけど、体操服は濡れてないんだな、と思った。
「どうして濡れていたの?」
ずっと気になっていたことを、私もソファに座って問う。正直、彼女とはあまり話したことが無いので、なぜ私を頼ってきたのかわからない。彼女はいつだって、たくさんよ友人と共にいたのに。
「雨が、降ってたから」
ぽつりと呟く。いや、だから雨は降ってないんだけど。
眉を顰める私に気づいたのか、
「降らなきゃいけなかったから」
とすばやく付け足す。ますます意味がわからない。
ぽつぽつと、そして淡々と呟く木村さんからは、私に突っかかったときのような元気の良さが無い。この間の虚ろな目といい、もしかしたら、何かあったのだろうか。
再び私が口を開こうとしたとき、彼女が顔を上げて言った。
「……部屋」
「え?」
「あんたの部屋に行かせて」
意味がわからない。いきなり人の家に押しかけて、何? 厚かましすぎないか、と私は少ししかめっ面で脚を組む。
何かあったのか心配したこっちが馬鹿だった。これだから、女子は嫌いなんだ。
「あのさ。勝手に上がり込んで意味不明なこと言って、おまけにこっちはシャワーまで貸したんだけど。少し控えてくれる? というかもう帰って」
「部屋にちょっと入らせてもらったら帰るから。お願い」
しかし、そう言って彼女は床に座り、突然土下座をした。予想外の展開に、唖然とする。今日の彼女は本当に、意味不明だ。
「……私の部屋を見たら、出ていってくれるの?」
「うん」
こくり、と頷く。
まあ、はやいとこ帰ってもらえるなら良いか、なんて考えてしまう。私は昔から土下座に弱い。
「ついてきて」
仕方なく私は立ち上がり、階段へと向かい始めた。
「ここよ」
「ありがとう。お邪魔します」
ドアを開くと、木村さんは突然目を光らせて、部屋に入った。きょろきょろと辺りを見渡し、カーペットの敷かれた床に座り込む。私の部屋に、何かあるのだろうか。
「素敵な部屋ね」
「……ありがとう」
一応礼を言っておいた。それまで虚ろだった彼女の瞳はどこにいったのやら。
しかし、それから彼女は座った状態で動かなかった。一転を睨みつけ、何事かを考えている。
「ねえ、ちょっと」
それがあんまりにも長いので、痺れを切らして私も部屋に入ろうとしたそのとき。
「あ、虫」
「えっ」
彼女が私の後ろを指さして、目を見開いた。思わず振り返ってしまう。しばらく見渡すも、何もいない。これじゃあまるで、「UFOだ!」と言われてそちらに気を取られてしまう馬鹿みたい。と感じて恥ずかしくなってしまったところで、私は前に向き直った。
涼し気な顔を装いつつ、私は尋ねる。
「……いないけど?」
「ごめん、私の気のせいだった」
あっけらかんと、彼女は言った。一瞬イラッとするも、彼女はその場からようやく立ち上がり、部屋を出ていく。
「木村さん?」
「帰ります。ありがとう」
たたっ、と階段を下り、彼女は鞄を持って玄関へと向かう。
「ちょっと!」
「本当にありがとう」
慌てて追いかけるも、ぺこりとお辞儀をして、彼女は軽やかに有栖川家を出ていった。
「……何なのよ」
彼女の行動の意味がわからなかった。
雨宿りさせてくれと言って家に上がり込み、おまけに部屋を見せたら帰る。やっぱり何かあったんだろうか。
まあ私が気にすることじゃあ無いし、特に危害を加えられたわけでもないし、良いか。
私はよくわからないままに大人しく、リビングへと戻り始めた。
**
『どうだった?』
『成功した』
『それは良かったぁ! これから楽しみだねぇ。君も見れるから、また確かめてみてよ。まあ、君はあんなもの見たって楽しくも何ともないか』
『……』
『ははっ、どうしたの。前みたいにもう騒がないんたね。君らしくない』
『……別に。私は、貴方に従っているだけ』
『貴方? ふふふ、僕のことをそう呼ぶんだ。ふーん。こころを開いてくれたの? 嬉しいな。まあ、ブスなんかに慕われても嬉しくも何ともないんだけどねあははは』
『次は? 何をすればいい?』
『……もしかして、君……いや、なんでもない。君のために言わないでおくよ。僕は優しいから。__今日はもう、何もしなくていいよ、また今度連絡する。お疲れ様』
『了解』
ピッ。
- 豚と真珠 ( No.25 )
- 日時: 2016/10/23 16:16
- 名前: 亜咲 りん ◆1zvsspphqY (ID: 2Ib.wHIE)
「今日は秀明さん(豚)のお誕生日なの。だから、食材(餌)を買ってきてちょうだい」
雫さんは、16時に帰ってきた私に確かにそう言ったけれど、冷蔵庫の中にはもうステーキの材料が揃っていることを知っている。
かといって、何も買ってこなければお仕置き、魚なんてもってのほか、どちらにせよBad Endしか見えてこない。無難にケーキでも買ってこよう。確か、冷蔵庫にはそれが無かった。きっと豚野郎も喜ぶはずだ。
そういえば、前世の父親も、ケーキが好きだったらしい。前世の記憶を少ししか受け継いでいない私は、あいつの顔としでかした行為のみしか思い出せない。それだけでも、あいつの情報としては十分すぎるほどだと思う。これ以上、あいつの情報で脳の許容量を消費したくないのだ。
「綺麗だねぇ」
雫さんのいないところで、豚は私に近づいて、髪に触れる。そうしてすん、とその大きな鼻で匂いを嗅いで、うっとりと呟くのだ。
それをもしアルがしたとすればときめくのだけど、なにしろ見た目が豚の豚にやられたら、不快感が込み上げてくる。思わずその場に嘔吐して、逆に「汚いねぇ」と呟かせてみたいと思った。
ただ、ガラスの靴にくちづけをした私は、もうそんなことでは動じない。いくらそんな気持ちの悪いことをされても、少し不快に感じるくらい。私は、私のこころがどんどん冷たく固まってゆくのがどこか虚しかった。
昔はこんな風に、こころを失ってゆくことに戸惑いや悩みを感じることは無かった。あの頃はただただ生きてゆくのに必死で、痛みや絶望やそういうものに耐えてゆくには、そうするしか方法が無かったのだ。
でも今は、あたたかさに触れて。今度こそ幸せになれるのだろうか。大人になる前に血を流してしまった私でも、幸せになっていいのだろうか。
まあそんな希望は、アルへの恋心を自覚したときと、あの優しい父親が死んでしまったことで崩れ去ってしまったけれど。
そんなつまらないことを考えながら、私は駅から少し離れた小さなケーキ屋さんにたどり着く。優しい父親とよく訪れた、優しい味のケーキ屋。ドアを開けると、しゃららん、とベルが鳴って、ふんわりと甘いココナッツの香りがした。
「いらっしゃいませ」
大学生だろうか。小綺麗に整えられた髪が可愛らしい若い女性が出迎えてくれた。おや、と思う。確か前は、40代くらいのおばさんが接客していたのに。
「ご注文は?」
にこりと愛想笑いを浮かべて、女性が私に呼びかける。まだケーキも見ていないというのに、その言葉は早すぎるんじゃあないだろうか。不満に思いつつも、私はとりあえず口を開いた。
「父への誕生日ケーキをこちらで買いたいと思っているのですが、おすすめはありますか?」
豚には甘いものが丁度良いだろう。餌付けだ餌付け。
「誕生日ケーキですね。でしたら、こちらは如何でしょう」
私の裏の声に幸いにも気づくことのなかった店員はガラスのケース越しに、一番下の隅っこの方にある、まあるいケーキを指差した。フルーツがふんだんにあしらわれた、おしゃれなケーキだった。これなら豚にも気に入ってもらえることだろう。
「じゃあ、それで」
「かしこまりました。ロウソクとメッセージカードはお付けしますか?」
「あ……」
そこで口篭る。あいつの年齢を、私は知らない。それに、あいつに何かもらった覚えは無いし、まあいいか。
「いりません」
「かしこまりました。お会計は……」
「ああ、それと」
ケースからフルーツケーキを出した店員が話を進めようとしている脇で、私はお目当てのケーキを探す。優しい父親と来たときよりも、随分とケーキの種類が変わったな、と思う。そういえば、内装も変わっている。あんなところにテーブルは無かった。
しかし、ショートケーキだけは変わらずそこにあった。苺の乗った、白いケーキ。あの人が大好きだったケーキだ。
「このショートケーキを1つ。これだけはここで食べて帰ります」
家に持って帰ったら、怒られてしまうからね。
今までできる限り貯めてきたお小遣いの中から、2000円を取り出す。痛い出費だったけれど、仕方ない。それほどまでに、ここのケーキは美味しかったのだ。大好きだった。
「ありがとうございました」
そう言って、店員が誕生日ケーキを渡し、しばらくお待ちください、と言って、私をテーブルに座らせる。相変わらず2階は無いんだな、と安心して腰を下ろし、ケーキを待った。
「お待たせしました。ショートケーキです」
運ばれてきたショートケーキは、あの頃と変わらない輝きで、私を見つめる。私はそれを、変わってしまった瞳で見つめ返した。
こんにちは、ショートケーキさん。父はもう死んでしまいました。そうして、私もきっともうすぐ死にます。
そんな戯言を吐きながら手を合わせてから、ケーキに切り込みを入れる。小さく切ったショートケーキを口に運ぶと、ふわりとした食感が心地よかった。
でもそれだけだった。
あの頃の優しい甘さはどこかへ身を潜め、このショートケーキはひたすらに甘い。食感ももっとしっとりとしていて、そのケーキは外見だけが一緒の、違うケーキだった。まるっきり違う、別物。
私がフォークを口に含んだまま呆然としていると、
「どうかしましたか?」
と、店員が慌てて近づいてきた。私の他に客はいない。当然のことだった。
「いや、このケーキ、前となんだか味が違うな、と思ったので」
「……!」
偽ることが嫌いな私は、正直にそう答えてしまう。案の定、店員さんは怪訝な表情になったけれど、すぐにはっ、とした表情になり、申し訳なさそうに口を開き始めた。
「実は昨年、ここのケーキを作っていた方が亡くなってしまわれて」
「……え」
「その奥様がここの接客を担当されていたんですが、心労が祟って、奥様も体調を崩されてしまって。今は、奥様の息子……私の夫なんですが、その人と私で経営しているんてす。夫はレシピ通りに作ったはずだと思うのですが……やっぱり、そうはいかないみたいですね」
女性は静かに、そう言い切った。
衝撃だった。わずか数年の間に、そんなことがあったとは。
夕日の差し込む窓を見ながら、私はケーキに手を伸ばす。店員さんは、次の客が来たようで、慌てて接客に戻り始めた。
「……甘い」
優しく無い甘みが、私のこころを締め付ける。
変わらないものなど無い。そう、ショートケーキに言われた気がした。
**
「私は食材(餌)を買ってきてって言ったわよね?」
ええ、ですから買ってきたじゃないですか、ケーキ(家畜の好物)を。なんてことは、言わないでおく。
「まったくもう。これじゃあ秀明さんの誕生日を祝えないじゃない!」
私の誕生日は祝わないくせに。それに、冷蔵庫にはもう食材が揃っているんでしょう? 白々しい、と私は思った。
「まあいいわ。ケーキは買ってきてくれたんだから、良しとしましょう」
ふい、と雫さんが顔を背け、冷蔵庫にケーキを仕舞う。今日はやけに優しい。普通ならいつも殴られているというのに。
「お疲れ様」
そう言って、雫さんは私を労った。そしてそのまま冷蔵庫からやはり肉を取り出し、調理し始める。
なんだろう。胸騒ぎがする。もしかしたら機嫌がよかったとか? なんて都合の良いことを考えてみる。
優しさを好意だと受け取れないほどに、私は優しくは無いのだ。
「秀明さん、お誕生日おめでとう!」
ぱーん、と雫さんがクラッカーを鳴らす。それを見て、アルもリンも、渋々テープを引っ張る。私はなぜか豚の隣に座らされていて、肩を抱かれていた。脂ぎった手がジャージ越しに熱を伝えてきて気持ち悪い。それでも、雫さんの視線が怖いので、そのまま動けずにいた。
「さあさあ、今夜はステーキよー」
「まじか」
「やったぁ」
ただ、ステーキの誘惑には勝てなかったようで、アルもリンも私には目もくれず、ステーキにがっつき始めた。まあ、アルは少しは私の方を気にしてくれていたけども。
「はい、これが秀明さんの分。そしてこれが……あなたの分よ、える」
些か冷たい声で私の目の前に運ばれてきたのは、特大のステーキだった。今までに食べたことのない程の大きさに、私はくらくらとした。
「……母さん?」
「えるはいつもいつも頑張っているから、今日はご褒美よ。それに、力を付けないと」
ふふふふっ、と雫さんは秀明と目線を合わせて微笑む。アルが怪訝そうな表情でそれを見つめるも、何か思うところがあったのか、結局何も言わなかった。
「えるちゃん、食べよう」
秀明が私の肩をぎゅっ、と掴んだ。痛い。気持ち悪い。
「やめろよ」
アルが掴みかかろうとすると、豚はぱっ、と手を離し、ひらひらと手を振る。まるで、自分は何もしていない、と言わんばかりに。
「今は楽しい食事の時間だよ。楽しもうよ」
どくんどくん、と心臓が動いている。なんだ、この動悸は。いいじゃないか、これで平和じゃない。
どうして今日に限って、雫さんは私に優しかったのか。その理由がよくわかった。
私は今、押し倒されている。足をさすられている。耳を舐められている。胸を触られている。お風呂上がりの火照った私の身体を、ベッドに押し付けている。その豚のような身体は、このためにあるのだとようやくわかった。私を、犯させるために。
「どうして?」
「君のお母さんと約束したんだぁ。私と結婚すれば、娘を好きにしていいってぇ」
気色の悪い声が、耳元で囁く。加齢臭が私の鼻をついた。
「初めて君を見たときはびっくりしたよお。こんな綺麗な女の子を犯せるなんて、僕はなんて幸せものなんだろうって!」
獣のような声をあげて、秀明が私の唇にむしゃぶりつく。息ができない。私の体重の2倍はあるであろう身体は、どうしても押し返せない。私は吠えた。
「ハァハァはァはぁ。どうしたの? 君が犯してほしいって言ったって聞いたんだけどなァ。髪とかを触ってああいう風に突き放されるのは一種のプレイだったんだよね???? ねぇ、そうなんでしょお?」
狂気に満ちた瞳で私の首を締め付け、笑う。豚の唾液が私の首に垂れて、肌がぞわぞわと拒否反応を起こした。
「や、め、て……」
「イイねぇ、その表情。ゾクゾクするよおう」
「離し、て!」
「離さないよォ、今日はずっと、2人で愛し合おうねエ」
「あああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
やっとのことで掴んだ目覚まし時計を、豚の後頭部にクリーンヒットさせ、痛っ、と気を抜かせたところで、私は部屋を飛び出す。
「エルフ、なんかすごい音がしたけどどうした……!?」
途中でアルに出会ったけれど、無視して裸足のまま家を飛び出す。
『嫌いだ』
『人間なんて大っ嫌いだ』
かつて私であったはずのシンデレラが叫んでいる。
昔々、私は痛みと悲しみで真っ二つに裂けた。だとすれば、もう1度同じ苦しみを与えられたとしたら、今度はどうなってしまうのだろう。
必死に走って走って、やっとのことで辿り着いた公園の隅で、私はうずくまって息を整える。
「……っ、アル」
助けて。