複雑・ファジー小説

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ガラスの靴に、接吻を。 【完結】
日時: 2017/11/13 00:25
名前: 亜咲 りん ◆1zvsspphqY (ID: 0wn7Mpgp)
参照: 接吻は、くちづけ、とお読みください。

 
 初恋が忘れられない。亜咲はそういう人です。そういうものを、詰め込みました。


【episode1】 >>01

【episode2】 >>12

【episode3】 >>29

*epilogue >>39(トーシ様よりいただいた挿絵を掲載)

□ ライアーブルー

>>40


□ あとがき >>41





完結 2016.11.18






親愛なる天使に。
 

豚と真珠 ( No.26 )
日時: 2016/10/24 21:43
名前: 亜咲 りん ◆1zvsspphqY (ID: hd6VT0IS)

 
 幸せだった日々はもう戻ってこないのだと、確信した。公園の月に誓って、もう私は死のうと思った。
 幸せに生きようと努力したつもりだったけれど、どうやらダメだったようだ。私の頬に、涙が伝っていく。
 豚の涎で濡れていたパジャマが夜の風で冷えて、冷たい。それはやっぱり豚の体液なんだと思うとすごくぞわりとしたけど、今はもうどうでもよかった。
 公園にはもちろん誰もいなくて、ただただ私の咽び泣く声が醜く響いて、少し恥ずかしく思う。まるで子どもみたいだ。今までにも、こんなに泣いたことは無かったのに。

「……どうして、私ばかり」
『それはあなたがエルフだからよ』
「だからこそ、幸せにならなければいけないのに!」
『……そうね』

 それっきり、なぜかシンデレラは黙り込む。そういえば、私が襲われていたとき、なぜか彼女はガラスの靴を持ち出さなかった。

『強く、生きて』

 ぽつり、とシンデレラが呟いた。その意味はよくわからない。私は強くなるために、こころを捨てた。ガラスの靴にくちづけした。それなのに、どんどんこころが脆くなって言っている気がするのは、何故だろう。ねえ、シンデレラ。私はまだ幸せになれないの?

 その後の返答は一切なく、私は諦めて砂場の近くにしゃがみこみ、1人泣いた。いつもの私なら出てもすぐに止まるはずの涙が止まらなかったのだ。仕方ない。
 あのクソ親父はどうなったのだろう。アルが多分気づいて、半殺しにしてるんじゃあないだろうか。そう思うと少し気分が明るくなって、涙が引いた。アルは太陽だ。私とは真逆の存在。
 そして、雫さんがあんなに酷いことをするだなんて、思わなかった。あんな豚と愛を交わすほど、私のことが嫌いだったんだろうか。考えれば考えるほど意味がわからなくて、私は混乱する。なら死ねば? なんて思考が無限ループして、死にたくなった。今度こそ幸せになるために生まれてきたはずの私は、どんどん不幸になっていっている。滑稽だった。
 前世の記憶はほとんど無いけれど、幸せになれなかったことはよくわかる。私がこうやってここにいるのが、何よりの証拠だ。輪廻転生。人も動物も、回っている。私はそれに自我を持って人間に戻ってくるだけの存在なのだから。

「エルフ!」

 遠くの方から私を呼ぶ声が聴こえた。思わず振り返ろうとするよりも前に、その主が私の身体を背後から抱きしめる。

「いやっ、離してっっ」

 先刻のことを思い出して、思わず全力で振り払おうとしてしまう。しかし、男の力は強く、また、それは私の知らない男ではなかった。

「……いや、離さない」
「アル……?」

 ぎゅ、とあたたかくアルが私を包む。それがまた恐怖を煽って私はガタガタと震えたけど、彼は決して私を離そうとしなかった。

「ごめんな。気づいてやれなくて」
「う、ん。大丈夫」

 震えが止まらない私は、上手く回らない舌で返す。アルは私の肩を掴んでこちらへ振り向かせた。

「ひどい顔して……辛かっただろう?」
「……うるさ、い」

 ぷい、と顔を背ける。なんだかアルの顔を見ると安心して、震えが治まってきた。いつもと変わらない端正な顔立ちだ。

「……エロ秀明なら、一発殴って家に強制送還させてやった」
「そう。……ありがとう」

 真剣な表情でアルは私を見つめると、何もかもを呑み込むように、静かに頷いた。

「母さんもきちんと締めといたから、とりあえず家に帰ろう」
「待って」

 私を立たせようとするアルに静止をかけ、今度は私からアルにしがみついた。

「もう少し、このままで」

 ぐっ、とアルの背中に手を回し、こちらから強く抱きつく。びく、とアルは身を縮こませたけど、またすぐに私をひし、と抱きしめていた。
 彼の胸にふと柔らかいものが当たって、そういえば、今私はブラをつけていなかったことを思い出した。今更だった。もういい。アルは私の弟なのだ。血は繋がっていなくても、幼い頃から側にいれば、それは家族になる。姉を好きになるはずなんて無い。

「……好きよ」

 あなたが好き。今も昔も、私はあなたに恋をしている。そんな言葉は、この綺麗な嘘みたいな月にさえも、聴こえやしない。
 けれど。幸せになるためにはもうあなたを愛してはならないと、シンデレラは言っていた。
 だったら。これでもう、終わりにしようか。

『あなたは幸せになるために生まれてきたのよ』

 シンデレラは、あの日と同じように、それだけ呟いた。



**

 家に着くと、雫さんがソファにもたれ、項垂れていた。

「謝れよ」
「……」

 不機嫌そうに眉を顰め、アルの言葉を無視し続ける。

「母さん」
「……」
「母さんは最低なことをしたんだぞ!」
「……うるさい」

 歯をむきだしにしてまるで狼のように唸るアルを逆に睨みつけ、雫さんは捲し立てた。

「女手一つであなたたち3人を養うことが、どれだけ大変かわかる!? 子供なんて、ただお金を浪費していくだけの役立たずじゃない! だったら、生かしてやる代わりに好きなようにしたっていいでしょ?」
「父さんは優秀な警察官だった! 入院こそしていたけど、貯金もかなりの額だったって、葬式のときにきいたぞ!?」
「そんなものっ、すぐに無くなってしまいました!」

 歯軋りをして、雫さんはアルに反論する。だけど私は知っている。優しい優しい父親が私たちの未来のために残してくれたお金は、全てホストクラブに消えていったことを。

「えるもねぇ、拾ってやったんだから少しは……」
「もういい」

 その後に続くであろう罵倒の言葉を聴きたくなくて、私は2人の間に割って入る。いつの間にかリンが、私の隣で心配そうにぬいぐるみを抱いて立っていた。
 沈黙の中、私は口を開く。

「もういいです。私が出ていきますから」
「っ、エルフ!」
「要するに、私が邪魔なのでしょう? それなら出ていきます。本当は高3になるまでは、と思っていたのですが、そこまで言うのならば出ていきましょう。ただし、時間をください」

 手短にそう言って、頭を下げる。アルは呆然と私のそんな姿を見つめていた。

「……わかったわ」
「ありがとうございます」
「ちょ、ちょっと待てよ」

 慌ててアルが私の肩を掴もうとするも、私はその手を振り払い、彼の方へ向き直ってこう呟いた。

「いいんだよ、これで」

 そうしてくるりと背を向け、リビングを出てゆく。憂鬱だ。豚の臭いのする部屋を早く片付けなきゃ。アルは私を呼び止めようと叫んでいるけど、私はもう振り返らない。

 あなたのお陰で私はあたたかさを知りました。愛を知りました。でもそれはもう終わり。あの抱擁は、月だけが見ていたのだから。

「幸せになろう」
 

**

「ああぁあ、許してくれ僕は悪くないっっ、あいつが誘惑してきたんだァっ。君だってそう思うんだろう?? なあ、そうだろお??? なら同じ男としてここは許してくれないか??? ほらかかかかかかかか金ならあるぞいくらでもやるからな? な? だからだから、だからぁっっ、殺さないでくれえええええええええええええええええええええええぅ? お











かはっ」
「お前がいくら豚のように、芋虫のように汚く這いずり回っても、それはお前を殺さない理由にはならない。
まあ、いいじゃないか。おやすみ。

また、会えるんだから」
 

さようなら希望 おかえりなさい絶望 ( No.27 )
日時: 2016/10/25 20:57
名前: 亜咲 りん ◆1zvsspphqY (ID: hd6VT0IS)
参照: 過ぎ去る幸せに、ご挨拶をしましょう。

 
 朝目が覚めて、普通に学校へと向かう。涼し気な顔で朝食を食べるエルフを尻目に、俺はリュックを背負った。リンはゆっくりご飯を食べ、母さんはもう彼女に嫌味も言わないで、ただただ洗い物をしたり、メイクをしたりしている。きっと、エロ秀明との結婚も無しになるのではないだろうか、と勝手に邪推した。
 学校へ着いたら自主練習をして、自分よりも早く学校で準備していたマネージャーにタオルをもらう。真っ白な体操服には、『木村』とあった。どこか笑顔が空虚な、平凡な女の子だと思った。
 授業中はぐーすかと寝つつも、ある程度は真面目に過ごし、友人と語らい、怒られない程度に馬鹿騒ぎを起こす。そうしてお昼ご飯を食べていたら女子に呼び出され、告白された。返事はもちろんNOだ。俺には好きな人がいるから。
 授業が終わるとまた部活で、汗を流し、ボールに目線を集中させる。運動をすると悩みも吹っ飛んで、少し気分が晴れた気がした。このまま恋心も吹き飛ばしてくれたらよかったんだけどな。そんな単純なものではないから。
 日が傾いて暗くなったところで練習を終え、校門を出た。コンクリートの道で季節外れのたんぽぽを見つけて少し微笑んでしまったのは、俺だけの秘密だ。
 近所のおばさんが小さな犬を連れて散歩をしていたが、糞の始末をしていかなかったのでげんなりした。どうしてこんなに無責任な大人がいるのだろう。母さん。
 父さんは、とても優しい人だった。この世の全ての人が、父さんのように穏やかであれと、どれほど願ったことだろう。世界は優しくないのだ。

 いつもより少し平和な生活。それが何より幸せで、守るべきものだった。昨日はそれを拒絶されたような心地がして、不快だった。エルフがこの家を出ていく必要なんて、まったくない。それどころか、いつまでも居続けてほしい。本気でそう思っていた。
 戸籍上は姉であるエルフとは、恐らく母さんが死なない限り、結婚できないだろう。母さんは必死で反抗し、またエルフを傷つけるに違いない。昨日のようなことは、もう絶対にあってはならないのだ。
 かといって母さんにはまだ逆らえない。養ってもらっている身で、そう強く言い出せないのが事実。俺がもっと強かったら、大人だったら、エルフを守れたのに。そんなことばかり考えた。
 
「『強くなりたい』」

 とある少女漫画の主人公のように、呟いてみる。エルフが好きだった漫画だ。よく覚えている。
 父ならその漫画を見たことが無くても、こう言って笑ったことだろう。

「『”なりたい”じゃなくて”なる”んだろ。自分で』」



**

「は?」

 母さんの言った意味がわからず、思わず間抜けな声が飛び出す。

「だから、秀明さんのアパートまで行ってきて」
「なんで?」
「昨日から連絡がつかないの。もうとっくに仕事は終わってる筈なのに……」
「残業じゃないの?」
「……とにかく、心配なのよ」

 まだスーツから着替えもせず、母さんは青白い顔でテーブルに手を付いている。その姿から、昨日のことをまだ心配しているのだとわかった。
 エルフを凌辱したやつだ。俺は正直どうでもいい。

「お願い」

 弱々しい瞳で、懇願される。それはどこかエルフに似ていて。
 女なんてみんな一緒なんだな、と思ったが、なんとなくあれからエロ秀明がどうなったのかは気になってきたので、結局頷いてしまった。

「私も行くわ」
「っ、駄目だ」

 ソファでテレビを見ていたエルフが、こちらを振り返り、不満げな顔をする。

「お前はここで休んどけ。またあいつに何かされるかもしれないだろ?」
「……わかった」

 その言葉に、ほっとした。あいつの力は案外強い。また襲われたら、たまったもんじゃないからな。
 それにしても、昨夜襲われたばかりの男の場所へ行きたいと思うものだろうか。エルフはやっぱり強いな、と俺は思った。


 エロ豚が住んでいたのは、小さなアパートだった。豚小屋にしては小綺麗で、意外と広い。嗚呼、ここに住んでいる全ての人が家畜に見えてくる。悪いのは、アイツだけなのに。
 母から聞いた番号の部屋を見つけ、インターホンを鳴らす。表札には「栄三」とあり、なんだか珍しい豚のような苗字だな、と思った。
 しかし、秀明は出ない。やっぱり残業だろうか。そういえば、何の仕事をしているんだろう。あのデブ加減からして、デスクワークだろうか。似合わない。
 反応が無いということは、寝ている可能性もあるな。そんなことも考えて、俺はガンガンとドアを叩いた。

「エロ秀明さーーん。いたいけな少女を辱めようとした秀明さーんおらぁ」

 近所にきこえるように、わざと大きな声で叫ぶ。我ながら子供っぽいと思ったが、その後も何の反応も返ってこない。
 きっとまだ職場なのだろう。一応鍵がかかっているか確認しようと、俺はノブに手をかけた。
 きい。
 開いた。見事に鍵はかかっていなかったのだ。

「なんだよ……不用心だな」

 これ以上は犯罪行為になると思ったのでその扉を閉めようとすると、ふいに鉄の錆びたような匂いが運ばれてきた。
 もしかしたら、家の中で怪我でもしたのだろうか。だとしたら、この状況でどこかへ行けば、絶対に俺が怪しまれるだろう。先ほどの大声で、俺がここを訪れていることは、近所にバレているだろうから。俺の馬鹿。

「……お邪魔しますよ」

 ため息をつきながら、俺は静かに部屋に入る。意外と片付けられていて、小綺麗な廊下だった。豚にしては。
 それにしても、奥に行くにつれ、匂いが酷くなってゆく。なんだ、この匂い。このドアの向こうからか……?
 異臭の立ち込める部屋の正体を知りたくて、俺は恐らくリビングに繋がるのであろう扉を開いた。

「……っ」

 なんだよこれ。なんだ、これ。
 人がいた。内蔵が飛び出てまるで魚のような人間がいた。真っ赤でまるで林檎のようで、気持ち悪い。細胞が破壊されてゆく匂いがする。そうか、夏だから腐りやすいのか。死体は。あれ、死体? 一体誰の……

 俺は、その場に嘔吐した。続いて、なぜか後ろから悲鳴が上がる。

「っ、エルフ!? なんで」

 そこにはエルフがいたのだ。目の前の惨状に腰を抜かして廊下に倒れ込んでいる。白い髪と肌が、まるで死体のように見えて、俺はまたしても胃から何かがせり上がってくるのを感じた。エルフが生きた人間だとは思えなかった。

「と、とりあえず、、、、警察に……」
「だめ!」

 ポケットからスマホを取り出そうとすると、エルフが素早く近寄って、吐瀉物で汚れた俺の手を握る。

「だめ……おこられちゃう!」
「事情を説明すれば、きっと大丈夫だ! それより、今ここで逃げれば、逆に怪しまれる!」
「だめなの、ぜったいだーめ!」
「エルフ……?」

 まるで子供のように、エルフは喘ぐ。
 そんなエルフの豹変に、俺は逆に冷静さを取り戻した。エルフはうー、あー、と喘ぎ声を漏らすだけで、がくがく震えている。まるであのときみたいだ。俺は戸惑いつつも、汚れた手で、エルフを抱きしめた。なんなんだ。エルフはどうしてしまったんだ。
 それでも必死で気持ちを落ち着けて、警察に通報する。

「もしもし……」

 俺が震える声で説明している間、エルフはずっと俺の胸の中で震えていた。それは泣いているようにも、笑っているようにも思えて、どこかむず痒かった。

 後から考えてみると、その日は不思議な夜だった。幸せがどこかへ旅に出てしまったのは、カーテンの開いた窓からも、どこからも月の見えない、満月の夜のことだった。
 


・・・

*引用
酒井まゆ著「シュガー*ソルジャー4」より、chapter18

花の温度 ( No.28 )
日時: 2016/11/14 22:51
名前: 亜咲 りん ◆1zvsspphqY (ID: LYNWvWol)
参照: 史上最高に短い何故だ

 花畑に行った。父とエルフと俺で。それは、エルフが我が家に来てから2週間ほどのことで、まだ俺が恋を知らない頃のことだった。

「綺麗だね」
「すげー」

 思わず息を呑む。色とりどりの花が咲き乱れる花畑は、幼かった俺のこころを掴んだ。その頃の俺は、普通に戦隊モノが大好きだったが、子供なんて単純。綺麗なもの、可愛いものを見れば、素直に受け入れてしまうのだった。要するに、ませていたのだった。

「える、ほら、お花」
「……おはな?」
「そう。綺麗だね」

 とてとて、と、それまで父さんの後ろについてきていたエルフが、花に近寄る。
 来たときよりもだいぶふっくらとしていて髪の毛も整えられ、白いワンピースを着たエルフはそれなりに見栄えも良い。真っ白ですらりとした手足は、花畑によく映えた。

「……きれー、だね」

 同年代の女子よりも舌っ足らずな声で、エルフが呟く。普段そこまで喋らないから、これだけでも随分とした進歩だと思う。
 それにしても、花が綺麗なのは当然だろ。やっぱりコイツはおかしい。

「はなかんむりの作り方を教えてあげようか」
「おはなのかんむり?」
「そう。それを被ると、誰でもお姫様になれるんだよ」

 そう言って、父さんはシロツメクサを手に取って、器用に丸にし始める。前から思っていたけど、ちょいとうちの父親は女子力が高くないか。一応、いかつい警察官なんだぞ。

「ほら、完成。可愛いティアラだ」

 穏やかに微笑んで、父さんがエルフの頭に出来上がったはなかんむりを乗せる。それはエルフの薄い金色の髪によく映えて、まるで天使みたいだ、と思った。

「おひめさま……」

 うっとりと呟く。本当にどこか異国のお姫様のようで、俺はどこか彼女を遠くに感じた。呼んでも届かない、**……

「お前にもつくってやろうか、アル?」

 いたずらっぽく微笑んで、父さんがそう呟く。

「ばっっ、俺がそんなのつけるわけないだろ!」
「はははははは」

 真っ赤になって言い返す。エルフに見蕩れていたとは、とても言えなかった。
 ベンチに座って、冷たい麦茶を飲む。もちろん父さんが入れたものだ。やっぱりうちの父は女子力が高い。俺は父さんを、呆れつつも頼もしく思った。

 花畑は綺麗だ。こころが和む。それは、日頃から張り詰めていた思いがんー、と伸びをして広がってゆくようで、気分がよかった。
 そして。

「おはな、きれーなの」

 はなかんむりに手を当てて、エルフははにかんだ。胸がどきん、と跳ねる。まるで花のつぼみが花開くような、可憐で綺麗な笑顔だった。
 なんだこれ。なんだこの気持ちは。

「どうした、アル」
「ばっっっっ、別に、なんでもねーよ」

 不思議そうに俺の顔を覗きこんだ父さんの目線を振り払い、俺はベンチから下りる。エルフはひまわりのように、花畑の中で舞い踊っていた。
 まだ心臓がバクバクしている。エルフと目線が合う度、それは高まっていった。
 きっと、それは花が綺麗なせいだ。そうだきっとそうだ。
 うん。

episode3 ( No.29 )
日時: 2016/11/23 21:03
名前: 亜咲 りん ◆1zvsspphqY (ID: Fbf8udBF)

 
 幸せを、見失いました。

 ばいばい。





*・・・・・・・・・*

〇 episode3【ガラスの靴を、脱ぎ捨てて】

幸福な食卓 >>30
淋しさを貴女で埋めて >>31(twitterにて河原辺のの様よりいただいたイラストを掲載)
ようこそ、闇へ >>32
溶けぬ赤 >>34
 

幸福な食卓 ( No.30 )
日時: 2016/11/14 22:57
名前: 亜咲 りん ◆1zvsspphqY (ID: LYNWvWol)

 
 第一発見者として俺たちは事情聴取を受けた。取り調べではない。あくまで発見時の状況、被害者との関係性、だ。
 当然ながら母さんも呼ばれ、聴き取りを受けた。自分たちに容疑がかかるのを恐れてか、母さんは決して昨夜の出来事を刑事さんたちに教えなかった。正直酷いと思ったが、俺も同じ気持ちだったのでまあ仕方が無い。また少しずつ平和な日常が戻ってくることを祈ろう。
 秀明の方は親類がほぼいなかったようで、妹らしき人が死体を確かめに来て、咽び泣いていた。それほどまでに遺体の損傷は酷く、保存状態も悪かったのだ。それを決心も無しに直で見てしまった俺たちはどうなのだろう。頭にあのときの悲惨な状況が蘇ってきて、俺は聴き取りの最中、何度かトイレで嘔吐した。何も食べていなかったためか出たのは黄色い胃液だけで、その臭いがまた秀明を思い起こさせた。豚の体液だ。
 エルフはずっと放心状態で、刑事さんの質問に頷くばかりだった。しかしその刑事さんが鼻の下を伸ばしながら彼女の身体を舐め回すように眺めていたので、思わず蹴り倒したくなった。エルフはそんな目線にも気づかないようで、ずっとどこか遠くを見つめていた。

 結局帰ることができたのは真夜中で、俺たちはリンを引き連れて、一緒に家路を歩いた。こうしてみると本当の家族のようで、あれ? と感じた。

「夕飯、食べられなかったわね」

 ふと、母さんがそんなことを呟く。母も婚約者としてその遺体を確認したからか、とても気持ち悪そうな顔をしている。それでも人間腹は減るのか、何時間もなにも食べていない胃袋は、ぐーぐー、と空腹を主張するのだった。しかし、今何か胃の中に入れれば、俺は死んでしまうような気がした。

「なあ、母さん」
「なに?」
「……あの人のこと、好きだったのか?」

 母さんは何も応えない。エルフは下ばかり向いていて話相手にならないので、俺は母さんへと目線を向ける。母はとても苦しそうな顔をしていた。

「あんな気持ち悪い豚、誰が好きになるもんですか」
「……はははっ、はじめは優しくて良い人、なんて言ってたのにな」
「……そうねはじめはそうだったのよ。あの人みたいに」

 母さんの目線が遠くへと向かう。今夜も月が綺麗で、あの向こうにきっと冥府があるのだと思った。豚野郎は地獄行きだろう。しかし、死んだ人間を悪く言うのは、今は違うような気がした。
 秀明は、殺されたのだ。

「……カレー食べたい」

 ぽつり、とエルフが呟いた。

「カレー?」
「そう。飛びっきり辛いやつ」
「お前辛いの苦手だろ?」
「いいの。食べたい」

 暗い表情で、エルフは母を見つめる。散々今までエルフを虐げてきた俺たちの母親はどこか迷った仕草を見せて、やがて頷いた。

「……食べましょうか」

 どういう神経をしているのだろうか、と思ったが、むしろ俺たちは何か食べなければいけないのだろう。もう何も食べれなくなった人の代わりに、何かを食べる。それはどこか間違っているようで、正しい行為なのかもしれない。そう思った。

「家にある野菜で作ろうと思うけど……良い?」
「構わないよ」

 その後は、黙って道を急いだ。
 
 散々吐いた後に食べたカレーは不味かった。口に何か固形物を入れるとその度に胃液が逆流してきたが、逆に飲み込んだ。2人もそんな感じのようだった。
 そういえばカレーは父さんの大好物だったな、と今更ながら思い出した。優しい人柄なのに、飛びっきり辛いカレーが好きなのだ、と明るく言っていた。大好きだった。俺はファザコンだ。
 別に母さんも嫌いじゃない。エルフには多分、言葉の暴力をぶつけていただけだと俺は思っている。エルフは何も話してくれないので、実際のところはどうなのか、わからなかったのだ。
 しかめっ面で辛いカレーを頬張るエルフに、俺は訊ねてみる。

「エルフは……俺の知らないところで、母さんに何もされてない?」
「……されてない」

 少し間を置いて、エルフは小さく返した。母さんがスプーンを落とす。がしゃん、と響き渡る金属音に驚いてそちらに目をやると、母さんが狼狽えていた。

「……私は」

 何事か言おうとして、母さんは目線をさ迷わせる。

「……虐待していたわ。えるを。殴ったこともある。蹴ったことも」

 頭が真っ白になった。今まで知らなかっまことが明らかになって、俺はショートした。そうして浮かんできたのは何故か憎しみではなく、諦めだった。

「……お前、最低だな」

 こころから、そう呟く。もう何度めのことだろうか。忘れてしまうほど、その言葉は風化してしまっていた。

「ごめんなさい。私が……弱かったから」
「もういいんです。私が出ていきますから」
「違うの……あなたは私と違って……で、それが許せなくて……」

 落としたスプーンをそのままに、母さんはエルフに必死に謝っている。何を今更。エルフがそれでどれだけ傷ついたのか、お前は知らないだろう。俺は自分に苛立っていた。こうなってしまうまでこころが弱くなっていた母親と、暴力を受けていたエルフに気づかなかった、自分の頭の悪さに。

「……水に流そう」

 そう言ってスプーンを拾い上げ、洗い場に突っ込む。蛇口を捻り、食べ終わったカレーの皿に水を注ぎ込む。

「俺は正直、母さんのことが憎いよ。だけど、俺は母さんに養ってもらわないと生きてゆけない。俺はまだ子供なんだ」

 訥々と、しかしはっきりと俺は自分の気持ちを口にしてゆく。母さんのしたことは許されないことだ。だけど、それでも俺の母親であり、リンの母親でもある。そして、エルフの母親でもあったはずなのだ。はじめは。

「だから……やり直そう。秀明も死んでしまった。俺たちは、あいつのことも忘れて幸せに生きてゆくべきだ」

 だって、俺には関係ない。俺は死体を見てしまっただけだ。母さんも、まだ結婚はしていなかった。ギリギリセーフだ。エルフも、幸いにして肝心な部分は無事の筈だ。それでも、そこは許せなかったが。
 それでも、災いの種はいなくなったと俺は考えてしまった。秀明は殺されたとはいえ、俺たちを壊した。秀明を殺した犯人は、きっとそのうち捕まるだろう。俺たちは、平和に生きてゆけばいい。エルフもこれから説得してゆこう。

「俺たちは、幸せになるために生まれてきたのだから」
 


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