複雑・ファジー小説

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ガラスの靴に、接吻を。 【完結】
日時: 2017/11/13 00:25
名前: 亜咲 りん ◆1zvsspphqY (ID: 0wn7Mpgp)
参照: 接吻は、くちづけ、とお読みください。

 
 初恋が忘れられない。亜咲はそういう人です。そういうものを、詰め込みました。


【episode1】 >>01

【episode2】 >>12

【episode3】 >>29

*epilogue >>39(トーシ様よりいただいた挿絵を掲載)

□ ライアーブルー

>>40


□ あとがき >>41





完結 2016.11.18






親愛なる天使に。
 

Re: ガラスの靴に、接吻を。 ( No.16 )
日時: 2016/09/25 00:05
名前: 亜咲 りん ◆1zvsspphqY (ID: AxOVp0E5)

 
「いってきます」

 今日はきちんと弁当の中身をチェックして、家を出る。中身はもちろん入っていなかった。昨日の夜、雫さんは私をまるでゴミを見るかのような目で睨みつけていた。今日はもしかしたら殴られるかもしれないな、と思いながら、コンビニへ向かう。アルは珍しく寝坊したため、私1人で。
 一瞬雑誌コーナーに行ってファッション雑誌を買いたいという欲に駆られるも、そんなお金も無いので諦める。私のお小遣いは月に2000円。お弁当が無い日は月に4回くらいあるため、とても他に回せそうにない。ちゃんと食べないと、アルに怒られてしまうから。
 そんなことを考えていると、おにぎりコーナーに辿り着いた。私の大好きな梅が売り切れている。なんてこった。希望もクソもない。仕方なく、昆布のおにぎりとおかかのおにぎりを取ろうとしたら、

「やあ、奇遇だね。今日は1人?」

 と気色の悪い声が聞こえて、思わず私はおにぎりを落としてしまった。

「……奇遇ね。じゃあ、私はこれで」
「待って。おにぎり落としたよ。はい」

 いつものようににやにやと笑いながら、チェシャ猫がおにぎりを拾う。渡された2つのおにぎりが先ほどまでと違って、恐ろしく気持ちの悪い物に見えた。

「ありがとう。じゃあ、2度と会いませんように」
「わはは、キツい冗談だなぁ。ちょっと」

 一体何が楽しいのか目を細めて、踵を返す私に近づいてくる。彼の目は細すぎて、黒目が見えない。というか、見えているんだろうか。そんな馬鹿げたことを考えていると、いつの間にかチェシャ猫が私の耳元に口を寄せていた。

「一昨日と昨日は大変だったね」

 ぞくっ、と背筋が震える。
 昨日。私が叫んだ日。
 一昨日。私が吐いた日。
 もしかして、こいつは知っているの?

「どうしてあなたがそのことを知っているの?」
「んー? 僕がチェシャ猫だからさ」

 きききっ、と猫のように笑う。その姿はどう考えても気持ち悪かったけど、黙っておく。もしかしたわざとなのかもしれないから。

「そんなの理由になってないじゃない」
「仕方ないじゃないか」

 そう言って、ポケットから突然青いイヤフォンを取り出して、私の耳にはめ込んだ。彼の手汗が付いたそれは、酷く温かい。
 彼の突飛な行動はいつものことだ。でも、今まで、こんな風に触れてくることはなかったのに。

「……なに?」
「……いーや、やっぱりなんでもない」

 しかし、種明かしはまた今度、と訳のわからないことを呟いて、すぐにそれを引き抜く。きゅぽっ、と音をたてて、青が抜けた。私の中のなにかも抜けていった心地がしたのは、気のせいだろう。
 私は気色の悪い猫を振り払い、レジへと向かい始める。それも、高速で。

「では、おにぎりを買ったら僕と仲良く登校……」
「さよなら」
「ですよねー」

 ははは、と力無く笑って、彼が遠くなっていく。押しが強いのか弱いのか、イマイチよく掴めない。
 チェシャ猫とはそういうものよ、と、シンデレラが眉を顰めていた。



**

 教室のドアを開けると一斉に視線が集まったが、気にせず自分の席に座る。

「今日は1人なんだ……」
「別れたとか?」
「やだ、やっぱり」
「チャンスじゃない?」
「狙っちゃう?」

 ひそひそと、風に運ばれてそんな声が届けられる。別れるだなんて、私たちははじめから付き合ってなんかいないのに。まあ、同棲している、との噂は本当のことなんだけども。
 アルは馬鹿だが、イケメンだ。当然、女子にモテる。中学生の頃に1度、どこからか一緒に暮らしているという情報が漏れ、私の体操服がトイレに捨てられていた。そんな感じだ。
 もちろんアルにはそのことを言っていないため、今でもなぜ一緒の家に住んでいることを隠さなければいけないのか、とハテナマークを浮かべている。
 早く出ていかなくっちゃ。あの優しい父親のいなくなった有栖川家を出て、全てをリセットするんだ。そして、全部忘れるの。この気持ちを。
 ふいに、視線を感じた。好奇心でも悪意でもない、不思議な感情。
 顔を上げて目線を泳がしていると、1人の女子と目が合った。木村杏奈だ。
 窓際に1人でぽつん、と立ち、私を見つめている。その瞳は、どこか虚ろだった。
 なんだろう。気味が悪いな。
 しばらく見つめていると、はっ、と目を見開き、そそくさと自分の席に戻っていった。
 変だな、と思いつつも、担任が入ってきたので、一旦思考を中断させる。
 友人と喧嘩でもしたのだろう。きっとそうに違いない。
 

Re: ガラスの靴に、接吻を。 ( No.17 )
日時: 2016/09/25 02:15
名前: 三森電池 ◆IvIoGk3xD6 (ID: 0K8YLkgA)

こんばんは。すごく非常識な時間に失礼します。感想を書きに来た、三森電池という者です。
りんちゃんとはツイッターで仲良くさせていただいているから、改まった口調で書くの、なんか不自然だね笑

単刀直入に言うと、私は、この作品がめっちゃ好き。更新されるたびに読んでるし、そのたびにりんちゃんすげえなって思ってる。単純に文としてレベル高いよね、カキコでも指折りだと思う… 選ぶ言葉のひとつひとつが、ダークな世界観を引き立たせてる感じ。りんちゃんの書く物語は、誰にでも書けるような物じゃないし、少なくとも私はこんなに凝った設定思いつかない。興味を引くプロローグも、センスが溢れてて、品があってお洒落。褒めるとこばっかり…笑
こんなに抽象的な感想じゃ私が物足りないので、好きなところを抜き出して語る、みたいなことしてもいいですか。これ書いてる私は深夜だからか知らないけどすごく語りたい…)^o^(

エルフとアルが仲良くしてるの、ほのぼのするね。最初のほうはシンデレラの影を感じる以外は、普通の学園ものみたい。だけど、日常的な生活風景にはイレギュラーな「エルフ」と「アル」の呼び方に、この人たちは何かがあるんだ、と思わざるを得ない感じ。周りからそんなに嫉妬されるなんて、アルくんは相当かっこいいんだね…。エルフからしてみるといい迷惑だろうけど、だけどもやっぱり、私もかっこいい男子と同棲したいんですけど……(本音)

散々ツイッターでも喚いたけど、私、チェシャ猫こと千晶くんが、この作品で一番好きなのね笑 狡猾で、つかみどころが無い感じ。エルフには冷たくあしらわれてるけど、私は彼が一番好きなんだ…)^o^( こういう戦局をかき乱していくようなキャラクターにとことん弱い。彼が今後どんな風に登場人物と絡んでいくのか、すごく気になる。そして、そんなチェシャ猫くんとは違って、アルくんの純粋男子な感じ、素敵だね…。相合傘ってやっぱり、どうしても片方は少し濡れちゃうから、それに気付いてちゃんと気遣えるアルくんは、中身までイケメンかよ。この辺りはすごく平和な気持ちで読んでたんだけど、ふとした時に出てきた、「ガラスの靴」ってワードに、二人はこのまま幸せにはなれないんだなって思った。りんちゃんは上手いね…( ;∀;)

そして、アナのパートに入るわけだけど、すごくおこがましいこと言うと、私はいつもアナのポジションの女なんです。彼女みたいに友達多くないし、マネージャーやれるほどの技量もないけど、でも私はアナに似てる。好きな人には一途なのに、結局他の奴に利用されちゃうところとか。私はチェシャ猫が一番好きだけど、共感して感情移入してるのはアナの方かな…。アナが今後辿る道を、私も通るような気がしてる。だから、正直アナの末路を知るのはすごく怖いんだけど、それでも私はこの作品を読むのをやめない笑 

episode2に入って、ちょっと雰囲気変わった。episode1で確かに感じていた恐怖がついに角を出してきた感じ。前世とかが絡んできて、ついにシンデレラが姿を現す。なんとなく感じてたけど、チェシャ猫くんはやっぱり只者では無かったし、エルフたちの前世のことも、すごくぼんやりとだけど、解ってきたかんじ。
みんなが無事にハッピーエンドを迎えられるように、私は全力で応援したい。せめてエルフとアルとリンだけは、幸せになってほしいな…(;´・ω・)

全体的に表現が綺麗で、まるで一本映画を見た後のような気持ちになりました。りんちゃんの文章、すっごい好きだなあ。絶対完結まで見守ります。
続き、楽しみにしています。突然の長文と散文しつれいしました……)^o^(

コメント返し ( No.18 )
日時: 2016/09/26 23:31
名前: 亜咲 りん ◆1zvsspphqY (ID: hd6VT0IS)

 
>>17

 ありがとうありがとうありがとう。初コメだからめっちゃ嬉しいです。VIP待遇にさせてもらいます……

 文章はまだまだだな、と思ってるよん。指折りだなんて、多分手が足りない気がするぞ。
 設定はりちうむちゃんの方が凝ってると思う。失墜とか、ゆっくり失墜していってるけど、私の場合は展開が急だから、お恥ずかしい。見習いたい。
 ただ、世界観はめっちゃこだわってます。現実なんだけど、どこか幻想的。それがモットー。
 そういうツッコミどころは、完結後にまとめてぶっ込んでほしい笑 楽しみにしてます。

 人気ね、彼笑 私も書きやすいから好き。
 物語からはイレギュラーな存在のようで、1番大事な存在。彼は、平和をのぞまない。そんな感じ。
 アルも、ある意味書いてて楽しい。あの純真っぷりは、自分でも「ありえねぇ」みたいに思ってて、まあ、いいよね笑
 相合傘は女子とやったときの体験談が元になってたりします。
私「傘忘れたから入れて〜」
友「えーよ。入り」
私「いぇーい」
私(肩に雨がかかってくる)
友(無言ですっ、と傘を私の方へ向ける)
私「いっけめええええええええん」
友「フッ」
 こんな感じ。イケメンだ。
 ガラスの靴、というワードをそんな風に思ってくれてだなんて。こちらとしてはびっくり。あんまり深読みしなくていいのよ……汗汗
  まあ、幸せにはなれないことは確か、かしら。

 ごめん。次はやっぱりチェシャ猫くんです笑 変更に変更を重ねてごめんなさい。
 ときどき、りちうむちゃんは、数奇な運命を辿ってきたのかな、と思う。そうじゃないとアナに感情移入なんかできないと思うし、ましてや自分に重ね合わせることもできないと思う。私の偏見かな。聞き流しちゃって。
 アナは残念ながら、1番不幸になります。ごめんなさい……

 episode1は、登場人物紹介みたいな感じ。だれだれがこうして、こうなりはじめたよ、みたいな。episode2が悲劇(?)のはじまりで、episode3で終わっちゃう。そんなつまらない物語です。
 前世って聞くと、最近話題のとある映画を思い出しますね。……歌いません笑
 うっすらとエルフの過去も見えてきたと思う。アルとエルフの苗字は違うし、そこで気づくこともあると思う。そのepisodeも書こうかな、と思っているので、お楽しみに(?)。
 残念ですが、きっとBad Endだと思われます。メリーバッドエンドと言えなくもないかな。とにかく、後味の悪い最後になりますよろしく。
 リンは、今思えばいらなかったかも笑、というキャラやから、どうしましょう。……番外編で、また。笑

 りちうむちゃんに褒められると死にそう。もう、天へ行って、小説書けなくなっちゃう。続きは……頼んだぞい……笑
 散文だなんて。ん? 散文ってなに?笑
 年内には完結の予定なので、また暇なときにでも見てやってください。


*ありがとね。
 

こんぺいとう ( No.19 )
日時: 2016/09/28 22:48
名前: 亜咲 りん ◆1zvsspphqY (ID: hd6VT0IS)

 
 そっと青いイヤフォンを耳につけて、スマホを操作する。流れてくるのはクラシック。鉄琴(Glocken)の音がどこか不思議な雰囲気を醸し出す、美しい音楽だ。
 世の女性もみんなこうであればいいのに、と何度思ったことだろう。
 女性たちは、下品に笑い、粉を塗りたくってその顔をさらに醜悪に魅せる。
 この世で美しいのは、彼女だけだ。



**

 まっすぐに見つめられた瞳は酷く虚ろで、光が無い。はじめは事後のせいかと思ったが、しばらくしてもそのままなので、僕は彼女にのしかかったままの姿勢で彼女に話しかける。

「今日は何の情報がほしい?」

 彼女の体がぴくりと震え、ようやく目に光が戻った。やっと自分の置かれている状況に気づいたようで、急いで起き上がり、白い布団で身体を隠す。アイプチの効力が切れ始めたのか瞼が変になっていて、僕は思わず笑ってしまいそうになってしまった。

「……なぜあなたは影山さんのことが好きなの?」
「そんなことでいいの?」

 ふんっ、と鼻で笑う。
 もうこうやって肌を重ね合わせるのは3回目だろうか。1回目の「なぜ」はこの行為についてだった。まあ、僕がそう解釈しているだけだが。
 2回目は「なぜ、有栖川くんと影山さんは毎日一緒に登校してくるのか」だった。それには、「一緒に住んでいるから」と答えた。案の定、彼女は喚き、うるさかったので、「2人は姉弟だから。それも血の繋がない」と付け加えた。それで少しは納得してくれたようだったから、これ以上の説明はいらないだろう。

「僕が影山さんを好きな理由? 簡単だよ。綺麗だからさ」

 僕を受け入れてくれた彼女に対して、最大限の感謝を込めて僕はその質問に答える。

「……やっぱり見た目?」
「当たり前じゃないか。僕も男だ」

 それに、と一旦口を閉じる。これを言えば、お前は変態か、と言われてしまいそうだな、と思ったが、はっきり言ってやる。

「彼女だけが、僕にはっきりとした嫌悪感を向けてくるんだ」
「……あんたって、どM?」

 やっぱり、そう言われると思った。僕は苦笑した。
 ちらり、と白い壁にぶら下がった時計を見ると、すでに時刻は7時を回っている。

「今日はこれで終わり。折角だから、夕食でも食べていくかい?」
「別にいらない。帰る」
「おー、辛辣」

 まるで汚物を見るかのように僕を見つめ、彼女は服を着ていく。だったら来なければいいのに、彼女はかれこれ3回も僕の家に来ている。
 なんだよ、君こそドMじゃないか。
 くっくっ、と笑いを我慢している間に、彼女は僕の家を出ていってしまっていた。

「……淋しいなぁ」

 ぽつり、と呟いてみる。家には親もいない。僕はこれで、いつものように、1人きりだ。
 青いイヤフォンを耳に押し込んで、静けさを部屋の隅に追いやる。スマホを操作して、お気に入りのあの曲を流した。
 どこか軽やかに鈴の音のような音をたてて、鍵盤が踊る。静謐で、荘厳で、凛々しい。まるで、彼女のように。
 今日僕と寝た女が、みんな大好きタンポポだとしたら、あの彼女は高貴なバラだ。噎せ返るような美しさと、雪のような静けさを持った、遠い人。
 きっと、くるみを割っても同じものは出てこないだろう。

「……はは、意味わかんないや」

 ため息を吐きながら、僕はベッドにもたれかかった。だんだんと、思考が変になってきている。好きでもない奴とセックスをしたからだろうか。心の中では彼女を思い浮かべてしまう。
 違う、僕が欲しいのはお前じゃない。

「全部全部、アイツのせいだ」

 そう、全部アイツのせいなんだ。

 アイツは彼女と暮らしていて姉弟で毎日一緒に登校してきていて小さい頃一緒にお風呂も入っちゃったりとかきっとしていてこの間なんか叫ぶ彼女をアイツが看病していたんだ、、、あああああああああああああう。

 1週間前のコンビニでの彼女の顔は、滑稽だった。僕はチェシャ猫だから、君がどこにいるのかも、何をしているのかも、すぐわかる。ほら、今も。
 と思ったら、どうやら僕の耳は外されてしまったらしい。さっきから何も聞こえない。

「そうだ、良いこと思いついた」

 どうしたものか、と悩んでいた僕のところに、ひらめきの神が舞い降りてきた。にいい、と笑って、1人で頷いてみる。外されてしまったのならば、またつけ直せばいいのだ。僕って頭が良い、と自画自賛してしまいそうになった。

 今日も目を閉じて、彼女の姿を想像しながら夢を見る。

 僕が彼女の白い脚に触れられないのも、プラチナブロンドの髪に触れられないのも、いろんなことや、そんなこともできないのは、一体誰のせいだろうか。

「赤髪……」

 お前が、憎い。
  

こんぺいとう ( No.20 )
日時: 2016/09/30 22:36
名前: 亜咲 りん ◆1zvsspphqY (ID: hd6VT0IS)

 
 そもそも赤髪とは、会ったことも話したことも無い。
 だが、一目見てわかる。コイツは違う世界の人間だ、と。整った顔立ちと人当たりの良い性格。赤髪はいつも太陽の下にいた。
 だからといってどうってことはないし、彼女さえ関わってこなければ、僕がアイツを恨むこともなかっただろう。アイツはいつでも、彼女の隣に我が物顔で座っている。
 唯一の救いは、彼女がまだ恋心を抱いていないところだ。このまま、2人の糸を切り裂きたい。そして、僕の糸と繋ぎ合わせるのだ。

「……い、ち……だ」

 遠くから声が聴こえる。男の声だ。うるさいな……僕は彼女の声でいつも起きているというのに。

「おい、千代田!」

 耳元でダイレクトに叫ばれ、ばっと飛び起きる。あれ、ここは……教室?

「俺の授業中に寝るとは良い度胸だなぁ……」
「……それほどでも」
「褒めてなああいっ」

 叫んだ超本人である男がはあ、とため息をつく。黒板には、なにやら数字やらグラフやらが白いチョークで書かれている。そうか、今は数1の授業か。ということは、今俺の前にいる男は、このクラスの担任の水谷だ。

「昼休みに職員室まで来ること」

 整えられた眉をつりあげて、水谷は僕に言い放った。

「はーい」
「間延びしないっ」
「はいはーい」

 ははは、と僕の笑い声だけが響く。普通なら、こんなことがあればくすくすといった軽い嘲りの笑い声が教室中で交わされるはずなのだが、そんな様子はまったく無い。
 水谷はまたため息をついて、くるりと黒板の方へ引き返しはじめた。


「最近ずっと寝ているが、どうした?」
「いや、別に」

 僕は苦笑い気味に首を横に振った。
 職員室は満杯で結局、苦労して探し出した空き教室で僕たちは話をしている。じゃあやらなきゃいいんじゃない? という僕の主張は即座に却下された。かなしいかな。

「寝不足なのか?」
「いや、別に」

 眉をひそめる水谷に、僕はまた同じ答えを返す。だって、女の子と一緒に寝ているだなんて言えないし。
 水谷は腕を組んで、またため息をつく。ため息をつくと幸せが逃げていくんですよー、と言いたかったけど、結局言わなかった。

「……まあいい。どうせお前の成績が下がるだけで、俺の不利益にはならねえからな」
「わー、教師の言葉とは思えなーい」
「教師だから一応注意してやってんだよ」

 水谷は声が大きい。鍵も閉められた空き教室で、彼の声はうるさかった。
 ふいに水谷は教室の窓を開け、ポケットからタバコとライターを取り出す。そして窓枠に腕をのせ、手馴れた手つきでタバコに火をつけた。

「……あなた、本当に教師ですよね?」
「おうよ。教師はお前みたいな奴に振り回されて疲れてんだよ」
「むしろこっちが振り回されている気がしますけどね」

 本当に、良い迷惑だ。はやくお昼ご飯を食べたい。
 しかし、それっきり沈黙が続く。僕が授業中に寝ているのはいつものことだし、寝ているなら寝るな、と注意するしかないのだ。
 女子に人気だという精悍な顔つきとタバコの煙。どこか憂いげに空を見つめる水谷の姿は、紛うことなき「大人」だった。
 タバコ、酒、女。考えてみれば、「大人」には娯楽が多い。
 タバコも酒も、子供がすれば警察に補導される。それに、味も対して良くないし、「大人」たちがなぜそれらを好むのか僕にはわからなかった。
 けれど、女だけは別だ。子供が唯一味わえる愉悦であり、もっとも有効な娯楽だと、僕は思う。
 僕たち人間は、なにかに縋りつかなければ生きてゆけない。僕にはそれが彼女、水谷にはそれがタバコだっただけのことだ。

「そういえば千代田、クラスの奴らとは上手くやってんのか?」
「お陰様で」
「嘘つけ。お前の日頃の姿とあの空気見りゃわかる」

 ふうー、とタバコ臭い息を空に吐き出して、水谷は僕を見る。胡散臭いように見えて、意外に鋭い男だ。

「あっちから話しかけてこないので、仕方がありませんよ」
「あのなぁ、たまには自分から話しかけていくことも大事だと思うぞ」
「心に留めておきます」

 留めておくだけですけど。
 案の定、水谷は訝しげにタバコを咥えたが、また青い空を見始めた。そのまま何も喋らないので僕がドアを開けて外に出ると、

「あんま無理すんなよ」

 とのことだった。


**

 ピー。

「もしもし。やあ、元気だよね? それは良かった。君が元気じゃないと僕は困るんだ。いつもいつも不健康そうな顔をしているから心配してるんだ、すごく。あ、君のことをブスと言ってる訳じゃないんだよ。勘違いしないでね。彼女と比べたら君が劣るのは当然だから。それに、僕の親は医者だから薬なんかいつでもあげる。あ、でも死んじゃうお薬だけはやめて。睡眠薬とか飲んで死なれたら、僕は誰かを殺してしまうかもしれないもちろん冗談だけど。麻薬なんかも駄目。子供がそんなもの飲んじゃいけないって、大人に習ったよね? 僕らに許された娯楽はセックスだけ。子供はまだ大人にはなれないんだ。時々ね、僕はどうして大人になれないんだろうって思うんだ。大人になればタバコもお酒も女だって味わえるのに子供は駄目だって言うんだよ酷いよね。身体だってもう大人なのに。え、身長? 僕の家系は小さい人間ばかりだからねえ。これ以上は望めない気がするよあははははだから背の高い人間は死んじゃえなんて思ったり? やだなぁアルくんを殺したりなんかしないよ。君が死んじゃってもそれだけはしないって約束する指切りげんまん。もし破ったら僕の指を切り落としていいよ。赤い血なんてもう見慣れているしとても綺麗じゃないか。もしかしたら失血死するかもしれないけど、そのときは僕はもう死んじゃった後だからそんなことどうでもいいよねあはははははは

 

 

 
ところで君に大切なお願いがあるんだけど、いいかな?」
 


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