複雑・ファジー小説

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H・T・S・Sに生きる
日時: 2018/02/22 19:40
名前: 梶原明生 (ID: 7yy7LYdx)  

H・T・S・Sとは何か。紐解くとこれは小説と言うよりも私、梶原明生の赤裸々な自史と、平成29年、2017年11月5日に神からの啓示を受けた(と言うより単なる閃きですが。汗)このシステムの構築を描いた物語です。この題名は「Held Taktiken Spirituell System 」であり、読みはヘルド タクティケン スピリチュアル システムです。英訳だとわかりやすいのは、「ヒーロータクティカルスピリチュアルシステム」和訳すると「英雄的戦術信心体系」になります。これだと「何のこっちゃ」になるので、英訳の方がまだわかりやすい(言いやすい)かも知れません。要は「(メタル)ヒーロー活動を中心にその補助となるマイルドな特殊部隊トレーニングや空手拳法の鍛錬を取り入れ、その上にスピリチュアル(自分が信心してきた神仏思想等)な精神を加えていくみたいな体系(システム)。」なことです。決して怪しい宗教ではありません。現に、超神精仮面戦士キャバンとして、青い金属スーツで街の自警活動を約8年に渡って行ってきました。(00レンタル掲示板に掲示中)また、このシステムは、スピリチュアル部分をどけて行っても構いません。(ある程度の倫理観あるなら)さぁ、小説として自史としての梶原明生ワールドへようこそ。

Re: H・T・S・Sに生きる ( No.10 )
日時: 2018/05/21 12:51
名前: 梶原明生 (ID: 99wOCoyc)

…その後はほぼダブルデート状態でフェリーから本土に着いた時はあちこち行楽して回った。夜はゲーセンに寄ったりカラオケしたりして、修学旅行二日目の夜を迎え、ルートインホテルでダブルの部屋二つで泊まった。「お泊まりなんて、初めてだね。」「そうだね…」真美がベッドに座ってそのまま仰向けになりながら呟いたから俺は隣で同じく呟いた。自然と目と目が合う。互いに誘うわけでもなく、唇を重ねた。本気になりそうな時、ドアのベルが鳴る。「真美タンっ、遊ぼー。」加賀美さん達だ。拍子抜けしたが、結局この日も何事もなくゲームとお喋りで一夜を明かしたわけで…帰りの特急では皆で爆睡してた。こうして真美と加賀美さん達との夢の一時は終わった。だが、問題はその後だった。先生方は結局先生方の見方であり、事を荒立てたくない校長先生方も、証拠を突きつけても「知り合いの女性だった。」と白をきるばかり。やがて加賀美さんが言ってた市議会議員の叔父様も登場し、二学期の秋は論争の秋へと突入した。しかし、相手が18歳以上であったことや、先生方が罪を認めて正式に謝罪を入れたことや、不良達が逮捕されたことにより、戦いに幕が降りて行った。そして冬のクリスマス。山下達郎の歌が街に賑わってた頃、その歌詞のように、「君はきっと来ない 一人きりのクリスマスツリー♪」になってしまった。「24日の19:00にデパート前のクリスマスツリーで待ち合わせよう。 」と約束したのに。これには加賀美さんも激怒して、二人の部屋に呼んでくれてありがたかったが、真美は終始彼女に電話越しに怒られていた。「あんたまさかあの男と寄りを戻したんじゃないよね。」その言葉にはギクリときた。後で加賀美さんから聞かされたんだが、彼女がうちの高校に転入したのも、失恋のせいだった。当時告白した相手の先輩には彼女がいたらしく、ショックで全日制の高校を退学。そして生徒会で美化委員に抜擢され、その後、俺と出会った。失恋されて優しい彼に出会うと恋に落ちやすいと聞いたが、まさか自分がそれだとは露ほども知らないことだった。正月が明け、加賀美さんの尽力によりようやく学校に来た真美。二人の思い出のホールで話し合いたいと言われて加賀美さん達と向かった。ロビーで座り、話し合いを始める俺。終始泣かれながら「ごめんなさい。先輩が私を必要としてくれたの。酷い浮気をされて別れて、私しかいないって言われたの。だから…」離れて聞いてた加賀美さんが…続く。

Re: H・T・S・Sに生きる ( No.11 )
日時: 2018/05/21 13:48
名前: 梶原明生 (ID: u7d.QD9m)

…真美に突っかかる。「あんたいい加減にしなよ勝手だろ。今更私たちを裏切る気。彼の身にもなってみなよ。可哀想だよ。」今にも殴らんとする彼女を制した。「待った。やめてくれ加賀美さん…真美、どうしても別れたいのか。後悔はないんだな。」「うん…」「わかった。ただしこれが最後だ。戻ってくるんなら今のうちだぞ。俺と再び付き合う気があるなら。ただし、ここから別れを宣言したら後戻りはないからな。いいんだな。」しばらく沈黙する真美。それは30分とも一時間とも感じられた。実際は5分かも。…そして出た決断は「ごめんなさい…」だった。「あんたね、見損なったよ。」「加賀美さんっもういいんです。」俺は強く彼女を制した。「 真美。なら後戻りはないからな。最後に今まで夢を見させてくれたお礼に握手させてくれないか。」「…うん。 」力無く答えながら彼女の細く冷たくなった手を握った。思えば告白して彼女になってくれた時も、手を握ってくれたっけ。「もう 終わりだね 君が 小さく見える」という誰かの歌詞が聞こえてきた気がする。まさにそれだった。以来真美は学校に来なくなった。絶交した加賀美さん達も彼女のことは語らなくなった。その分、卒業式に向けて足利進君が励ましてくれた。そして待望の卒業式。空手拳法同好会も、学校への登校も、この日を境になくなると思うと、苦しかった学業と生徒会が妙に名残惜しかった。六年間の生活の一部が消えるわけだから無理もない。学校中庭中央台で、加賀美さんを進君と同時に手を差し伸べて、二人で引き上げたのは奇跡に思えた。そしてお高く映った卒業写真は、三人の最高の思い出となった。それからというもの、仕事と拳法に明け暮れながら、加賀美さんと進君が卒業後に開いた雑貨店に毎週遊びに言って、入り浸る日々が続いた。しかし、仕事の都合で転勤となり、しばらく台解市を離れなければならなくなった。それから数年後。再び台解市に戻ると、雑貨店は消えていた。二人は新天地を求めて自分と 入れ替わりでふるさとを旅立っていたと進君のお母さんに聞かされた。彼らの幸を祈らずにはいられなかった。諸行無常とはまさにこれだろう。その後、自分の中にふつふつと煮えたぎる中学生の頃から抱えていた、ある志に悩まされていた。先に書いたあの「ヒーローへの憧れ」である。そして元自衛官の父故にその遺伝子を受け継いだ「ミリタリーへの憧れ。」この相対する3つの物事に、翻弄されていたあの頃。…続く。

Re: H・T・S・Sに生きる ( No.12 )
日時: 2018/05/21 13:53
名前: 梶原明生 (ID: u7d.QD9m)

…ついに、それに向けて準備段階に走った。

次回「2005年」に続く。

Re: H・T・S・Sに生きる ( No.13 )
日時: 2018/05/25 20:29
名前: 梶原明生 (ID: 87ywO7pe)

「2005年」

この年から自分史を書き始めた。仕事と家との2往復な変わり映えない毎日において、ふと取り留めておきたいことがあるはずだと思えてきたからだ。会社がなくなり、転職を余儀なくされたのも影響している。この翌年2006年から目まぐるしく色んな出来事があった。先ずは4月30日(日曜)、うとうとしていた時に突然啓示を受けたがごとく、「キャバンスーツ」のデザインが浮かんだのだ。青、水色、銀を基調とした全身金属製スーツを。その日のうちに書き下ろせた。しかしこの時は羞恥心が勝り、まだ素直に実行のgoサインは出せなかった。その代わり、それ以外のものは着手した。5月5日(金曜)生まれて初めて初期自作戦闘胴衣を着て、三位一体(BDU、タクティカルベスト、ベルゲンリュック)で夜間耐久行軍に出かけた。所謂レンジャー訓練に似たことをしていたわけで。(本職の方すみません。あくまで真似事程度です。汗)しかしこの耐久行軍自体始めたのは2004年あたりだったので、失敗続きの中ようやく成功したのがこの年でした。汗だくで朝を迎える頃には、戦闘訓練と行軍を終えて山の頂上で旭を迎える。そして山神様と神々に感謝の祈りを捧げる。最高の一時です。それが終わるとコンロでレトルトおかずとご飯を温めて、そのお湯で赤出汁味噌汁とコーヒー(または紅茶)を作る。至福の一時です。こうして民間人服に着替えて下山し、荷物は帰宅して置いてきてから、昼間に温泉に浸かりに行く。これもまた疲れが取れて癒やされます。こうして無事耐久行軍は終わったわけですが、5月13日には、この言葉が突き刺さりました。「継続は力なり」…次回「11月26日セルフォン」に続く。

Re: H・T・S・Sに生きる ( No.14 )
日時: 2018/05/29 01:31
名前: 梶原明生 (ID: 87ywO7pe)

「11月26日セルフォン」

この日、初めて携帯電話を買った。それまでもチャンスがなかったわけではないが、基本アナログタイプの自分にはなかなか手を出せる代物ではなかった。しかし必要性からやむなく手にした。翌年2007年 5月4日〜5日にかけて、恒例の耐久行軍と戦闘訓練に初めて携帯電話を投入。夜闇の山間部では唯一心強いアイテムとなった。通常通り行軍を始めたものの、この日初めて民間人(?)と接触。暗視ゴーグル越しなので、姿は見えないものの、咳払いで察知した。「何でこんな時間にこんな山で人が…」と思ったが、民間人との接触は厳に禁じていたので(野性の証明じゃありませんが笑)引き返すことに。広場で体力錬成と戦闘訓練だけして翌朝早くに下山。後で知ったことだが、その「咳払いの主」は新進気鋭の写真家だったと、とある広報で知った。夜行動物の写真活動していた場所と期日がピッタリ合っていたのでわかった。以降徐々に偶然なのか、夜間登山者が増えたようで、耐久行軍しづらくなってきたのは明らかだった。なのでやり方を若干変えなければならなかった。…続く。


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