複雑・ファジー小説
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- H・T・S・Sに生きる
- 日時: 2018/02/22 19:40
- 名前: 梶原明生 (ID: 7yy7LYdx)
H・T・S・Sとは何か。紐解くとこれは小説と言うよりも私、梶原明生の赤裸々な自史と、平成29年、2017年11月5日に神からの啓示を受けた(と言うより単なる閃きですが。汗)このシステムの構築を描いた物語です。この題名は「Held Taktiken Spirituell System 」であり、読みはヘルド タクティケン スピリチュアル システムです。英訳だとわかりやすいのは、「ヒーロータクティカルスピリチュアルシステム」和訳すると「英雄的戦術信心体系」になります。これだと「何のこっちゃ」になるので、英訳の方がまだわかりやすい(言いやすい)かも知れません。要は「(メタル)ヒーロー活動を中心にその補助となるマイルドな特殊部隊トレーニングや空手拳法の鍛錬を取り入れ、その上にスピリチュアル(自分が信心してきた神仏思想等)な精神を加えていくみたいな体系(システム)。」なことです。決して怪しい宗教ではありません。現に、超神精仮面戦士キャバンとして、青い金属スーツで街の自警活動を約8年に渡って行ってきました。(00レンタル掲示板に掲示中)また、このシステムは、スピリチュアル部分をどけて行っても構いません。(ある程度の倫理観あるなら)さぁ、小説として自史としての梶原明生ワールドへようこそ。
- Re: H・T・S・Sに生きる ( No.45 )
- 日時: 2019/04/20 15:57
- 名前: 梶原明生 (ID: SKF4GgT1)
2015年 7月26日…… 掲示板を開くとこんな投稿があった。「何故キャバンさんは握手会とかやらないんですか。やってくれたらうれしいのに。」言われてみればそうだなと感じ、この書き込みに感銘を受けた。見渡せばヒーローもローカルヒーローもグリーティングに握手サイン会は当たり前だったことに気付いた。「ここは試しにやってみますか。」ということで、自警活動の傍ら、駅周辺でフリップ裏に書いた「キャバン握手撮影会」を片手にやってみた。意外と盛況で、やってみて良かったと実感した。「親睦を深めるのもキャバンの勤めだな。」と使命感に 湧いた1日だった。…続く。
- Re: H・T・S・Sに生きる ( No.46 )
- 日時: 2019/05/09 20:04
- 名前: 梶原明生 (ID: 0zy7n/lp)
2015年 10月20日 「上原美優さんを訪ねて」……06:30起床。念願だった種子島旅行に出た。これで三度目だったが、以前の失敗のおかげでか、道筋と計画性に自信があった。最寄り駅より特急に乗り、乗り換えを要しながら約5時間。桜島を臨みつつ鹿児島中央駅に再びロスコ社のブーツで降りた。相変わらず観覧車が眩しく聳えてる。谷山駅に着くと、タクシーで谷山港へ。プレハブの事務所でフェリー「ハイビスカス」の切符を買うとまた再び七ツ島マーケットでお弁当購入。そして18:30時、ハイビスカスに乗船。しかしここで思いもよらない海の現実に出会う。これまではほとんど夏に種子島を目指してフェリーに乗っていた。よくよく考えれば夏は海は穏やか。しかし秋冬は、もっとも海の波が荒れやすい時期。雑魚寝の部屋が3〜4メートル上下するような事態に、大袈裟ながら「この船沈むんじゃないか。」と恐怖心すら感じた。しかし…平然としてる皆さん。「ああ、地元ではこの揺れは当たり前なんだ。」とわかって少し赤面する自分。そこで安心して寝るとこれまたビックリ。揺れが一切気にならない。「ああ、だからフェリーは雑魚寝したほうがいいのか。」と実感した瞬間だった。やがて21:00過ぎにハイビスカスは西之表港に入港。三度目の種子島到着だった。「相変わらず甘い香りの島だな」と感じてしばし落ち着いた空気を吸っていた。三年ぶりの種子島なだけに、以前初めてここへ来た時は経費の都合上サテライト(前項参照)に泊まったが、既にこの時サテライトは経営悪化に伴い閉店していた。やむなく奮発して某ホテルに泊まらざるおえない。やがてしばらく歩くと立派な佇まいのホテルが…和室に通され、広い部屋を贅沢ながら満喫した。明日、21日は待ちに待った美優さんへのお墓参り。床についてもなかなか寝られない一夜を過ごした。…続く。
- Re: H・T・S・Sに生きる ( No.47 )
- 日時: 2019/05/21 16:17
- 名前: 梶原明生 (ID: W4UXi0G0)
2015年 10月21日………「上原美優さんへのお墓参り」やはりと言うか当然と言うか、寝られなかったのが祟って朝っぱらから気分悪かった。「おえーっ。」吐ければまだ楽なのに何故か吐けない。頭も痛いと来た。一時間ほど休んだ末、ようやく回復してきたので決心した。「これなら行ける。」ホテルを出て暫く歩いたら西之表の幹線道路に出た。「11:30か。」バスまでまだ一時間もある。しかし行く当てもなく、体力温存のため、ベンチで一休み。と、何の偶然か。陸自ライトアーマー(通称ラブという装甲ジープ)が中種子方面へ走ってきた。「うぉっ。」と小さく興奮しつつも、静かに見送る…はずだったのだが、何故か自分の前で止まった。ほんの一秒だったか、間があったのでつい隊員と目があった。しかし何事もなかったかのように走り去るライトアーマー。「あの間は何だったんだ。…」ふと足元に目をやると、頭隠して迷彩隠さず(違うか。)半長靴にピクセルグリーン迷彩服のズボンをはいていたのを忘れてた。上はブルーのチェックシャツにハンチングハットだったが。「勘違いされたのかな。」しばし恥ずかしがりながらも、バスはやってきた。乗車したものの、軽快に種子島の街を走っていく。やがて抜けると右手にまたもや見渡すばかりの青い海。曇り空がたまにきずだが、それでもこの景色、バケーションは幻想的で美しかった。一生に一度は来るべき場所だろう。バスは一旦山あいの大きな病院を迂回して客を乗降させ、また海岸線に戻って中種子町を目指した。そして「野間バス停」で降り、いよいよ生まれて初めて美優さんが生まれ育った場所に到着。思いっきり深呼吸してから辺りを見渡した。思っていたほどの田舎ではなかった。中流地方都市ぐらいはあるだろうか。ドラッグストアにコンビニ、各商店に住宅街、そして野間バス停すぐのサーフィンショップ。その後目に飛び込んできたのは…中種子中学校の文字が記された支柱。歩いてすぐのところには近代的なデザインの校舎。「ここが美優さんが通った中学校。」感慨深く見るものの、目的はそこではない。「美優さんのお墓参りが先だ。」トボトボと町を歩いて探し回った。しかし、想像以上に町なだけあり探しだせない。秋とは言え、南の島の気温は容赦ない。吹き付ける潮風も今の自分の助けにはならなかった。とうとう諦めてバス停のベンチに腰を降ろしたその時だった。これは小説だからとか表現だからとか一切ない。…続く。
- Re: H・T・S・Sに生きる ( No.48 )
- 日時: 2019/05/27 00:54
- 名前: 梶原明生 (ID: 0zy7n/lp)
…次に話すことは証明できないこととしても、本当に起こったことだ。疲れ果てて、ただバスを待つしかない状態の時、自分の座るベンチの横に、微風と共に誰かが座った気がした。姿は見えない。しかしこの優しい雰囲気、暖かな眼差し、そして腕を引っ張られる感触。間違いないと確信した。「美優さん…」そう、彼女がそこにいた気がしたのだ。「帰らないで。こっちだよ。」そう言われているような気がした。もう一度チャレンジしようと腰を上げ、再び歩き出した。導かれるまま歩いていくと、そこには確かに「藤崎家」と書かれた墓標が…感激の涙と共に、昔懐かしいラブレターを渡した時と同じ甘酸っぱいドキドキ感が蘇ってきた。早速特製にして制式の緑のベレー帽を被り、一歩一歩お墓の前へと近づいた。一礼した後敬礼し、また一歩近づいた。「美優さん、こんなところに入られて…」また悲しみが訪れたものの、再度敬礼し、挨拶の口上をのべた後、踵を返して後ろ髪引かれる気持ちをこらえながら、お墓を後にした。歩く途中「かたちあるもの」という柴咲コウさんの曲が脳内再生された。この曲はあまり聴いたことがなかったのに。…こうして種子島においての目的を果たした。平静な心待ちでバスに乗り、中種子町を後にする。その夜も西之表の某ホテルに泊まり、美優さんも飲んだであろう、種子島特産品「島甘露焼酎」を飲んでしばし旅の疲れを癒やしていた。道着に着替えて追悼の型を演武してこの日は終わった。明日はフェリー「ハイビスカス」が待っている。…続く。
- Re: H・T・S・Sに生きる ( No.49 )
- 日時: 2019/05/30 17:33
- 名前: 梶原明生 (ID: NOqVHr1C)
2015年 10月22日……「上原美優さんへのお墓参り」最終回〜08:15時起床。ぐっすり眠れた体を思いっきり伸ばしながら起き上がった。中居さんからかかってきた電話に出て朝食を運んでもらう。食事を済ませた後、10:20時にチェックアウトして種子島の街を動画に収めた。微かな光、街並み、風の景色、喧騒な道路、などなど全ての風景が愛しく感られた。またいつ来れるかわからないから目と、カメラに焼き付けたくて。…やがてフェリーハイビスカスの事務所に到着。往復切符の最後の切符を渡して待機。いつの間にか50人近くのお客さんが待合いに来ていた。時刻が来て再びあの船尾から歩いて船内に入った。雑魚寝部屋に荷物を置くと、また動画や写真撮影のためにデッキに出る。船内放送が流れてハイビスカスは航行し始めた。暫くした時だった…美優さんの自伝を読んだ人がいたら知ってると思うが、彼女が種子島をフェリーで後にした時、湾の岬の灯台公園で美優さんのお母さんが横断幕を持って見送ってくれたことを。それが30メートルくらい離れた右舷に現れたのだ。「ここだったのかっ。」12年前のお母さんの姿が見えるくらい自伝通りの光景に驚愕と哀愁を感じた。…谷山港に着くと、バスで鹿児島中央駅へ。夕方駅近くの公園で道着に着替え、型の稽古をしたあとビジネスホテルへ。一泊したら特急で鹿児島を後にした。さらば鹿児島。そして美優さん。また会う日まで。
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