コメディ・ライト小説(新)
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- 透明な愛を吐く【短編集】
- 日時: 2023/05/23 18:01
- 名前: あんず ◆zaJDvpDzf6 (ID: DUUHNB8.)
この透明な指先で、君への透明な愛を綴ろう
***
こんにちは、またははじめまして。
あんずと申します。
明るい話から暗い話まで、何でもありの短編集です。続きやおちはあったりなかったりします。
更新速度は遅めですが、楽しんで頂ければ幸いです。
*お客様*
*Garnet 様
*一青色 様
*いろはうた 様
*友桃 様
2016年4月9日 執筆開始
*目次(予定含)*
▼透明な愛を吐く >>008
▼青い記憶に別れを >> 改稿中
▼君の消えた世界で >> 改稿中
▼悪役と手のひら >>006
▼春を待つ、 >>007
▼降りそそぐ、さようなら >>009
▼水飴空 >>015
▼星の底 >>016
▼憧憬 >>017
▼COMMUOVERE >>019
▼HIRAETH(未完) >>020
▼前略、親愛なる彼方へ >>021
▼Litendrop(#7改稿) >>024
▼銀色のさかなの夜 >>027
▼月の墓 >>028
▼カニカマの夜 >>029
***
*その他*
▼2017.11 旧コメライ板よりスレッドを移動しました。
▼2018.3.18 #1推敲版を再投稿しました。
▼2018.3.28 #3を一時削除中にしました。
▼2019.7.14 #13を修正しました。
▽2018. 夏の小説大会にて金賞を頂きました。
▽2019. 夏の小説大会にて銀賞を頂きました。
- Re: 透明な愛を吐く【短編集】 ( No.25 )
- 日時: 2019/10/22 21:15
- 名前: 友桃 ◆NsLg9LxcnY (ID: E616B4Au)
こんばんは。友桃です^^
コメライを開いたらちょうどこのスレが上がっていて、あんずさんの短編だ!と思って再び来てしまいました。
で、前に感想残した時と同様、作品と関係があることから無いことまで色んなことを考えてしまったので、たぶんまた何言ってるかわからない感想になると思いますが、ごめんなさい。
空は宇宙を透かすから、あれは透明なんだ。
という一文が、とても印象的でした。
理科の授業かなにかで空の色の原理を習ってしまったせいで、空が宇宙を透かしているという絵的な発想がなくなってしまっていたなということに気づいてちょっと残念な気持ちになったり、空が宇宙を透かしていると考えた瞬間に、なんていうんでしょう、今私たちがいる地球と宇宙との境界線が一気になくなって、地球の空気が宇宙の一部になるような不思議な感覚を味わいました。
すみません、意味わかんないこと書いてますが、ほんとに読みながらそういう想像をしました笑
あと白って難しい色ですよね。
作品の中に日の光が印象的に出てくると思うんですけど、色をテーマに「日の光」という言葉を見ると、最初にぱっと浮かぶのは「白」で、そのあと「日の光はいろんな色が混ざり合った結果白になってる」ってこれも理科か何かで教わったことが思い浮かぶんです。そうすると、白ってなんにも染まっていない透明な色のくせに、何色にでも簡単に染まるし、むしろ色んな色がまざりあってでもできてしまう色だっていうイメージが個人的にはあるので、透明な白でいたいと言う語り手に対して、存在がすごく不確かな、危ういイメージを持ちました。
まーたなんか変なことばっかり書いてしまった気がしますが、とても楽しませてもらいました。
長文すみませんでしたm(__)m
更新がんばってください。
- Re: 透明な愛を吐く【短編集】 ( No.26 )
- 日時: 2020/04/16 19:32
- 名前: あんず (ID: V9.d7PSD)
> 友桃さん
まず、返信がとても遅れてしまい申し訳ないです。某SNSもそうですが、一段落付いたので改めて返信させて頂きます。
拙作ですが、読み終えたあとに何か残るものがあったなら、とても嬉しいです。私はひたすらに読後が軽くなるように念じて書いていますが、考えを巡らせ何かを想起するものになっているなら、それはそれで(私としては)面白い話を書けたのかなと思います。
空は透明だ、というのは以前からたまに使っていた言葉で、自分でも気に入っています笑 幼い頃に空が青くなるのがひたすらに謎で、散乱などの用語や原理も曖昧に覚えているので未だに不思議だなと思います。レイリー散乱などの用語の響きは好きなんですけど……笑
むかし、地球に膜がない、上にあるのは空気の層で、明確な壁がないと知ったときに同じように思いました。この空は宇宙なんだな、というこれまた曖昧な認識でしたが、創作には役立ったように思います。
私も光としての白と色としての白の別が好きです。全部の光を混ぜたら白、色としての白は白なのに、と考えると混乱しますが、その複雑さが妙に好きです笑 よく純白な羽、純白な心を無垢に繋げることがありますが、友桃さんのコメントで確かにそれは不安定な感覚にも繋がっていくのかな、と考えたりしました。
こちらもとても楽ませて頂きました。素敵なコメントありがとうございました!
- Re: 透明な愛を吐く【短編集】 ( No.27 )
- 日時: 2020/04/16 23:57
- 名前: あんず (ID: XetqwM7o)
#15 『銀色のさかなの夜』
君を時間で表したら夜になるだろうね、と彼は言った。あんなに頑なに着ていたセーターもついに脱いで、そろそろ半袖にすらなりそうな季節のことだった。
夜、と私は鸚鵡返しに尋ねる。そう、とこれまた簡潔な答えが返ってきて、私たちの会話は沈黙へ続いた。よる。見上げてみても、鈍く光る雲のせいでどこかぼんやりとした濃紺しかない。春というには緑が活き活きしすぎた季節だったから、朧月夜とも、春霞とも呼べなかった。ひたすらにおさまりの悪いけぶった初夏、生温い風が肌をぬるりと撫でていく、あの夜だ。
「季節は?」
「秋」
即答だった。秋。てっきり夏か冬、ああいうパキっとした季節が来ると思っていた私は、思わず隣に目をやった。彼はおもむろに空から視線を外すと、しい、と内緒話をするように人差し指を口に添えた。秋だよ、秋だ。蠍から逃げるオリオンが空に現れる、そのほんの少し前の、夜。秋の夜。君によく似ているよ。
そのときの私にとって、秋なんて曖昧で、よく覚えのない季節だったものだから、その会話も首を傾げて終えてしまった。夜、それも秋の、へえ、そんなものに似ているのか。それはその時の生温いけぶった空気と同じくらい、私にとって良くも悪くもない印象しか残さない言葉だった。だからその会話を思い出したのは、実はつい最近のことだ。
その言葉を思い出したとき、私は一人で馬鹿みたいに泣いていた。仕事。友人。恋愛。そのどれもに疲れていたけれど、とどめはビールが美味しくなかったことだった。呆れるようなことだけれど、私にとっては世界一の重大事件だったのだ。仕事帰りに泣きながら飲んだビールが、別に美味しくもなんともない。今までは付き合いで飲むことも、一人で飲むこともあったのに、それが苦い炭酸飲料だと思えてしまった瞬間、何かが音を立てて崩れてしまった。
うそつき。大学生になる前まで飲んでいたオレンジジュースのほうが、実は何倍も美味しいくせに。うそつき。こんなものが美味しいと思うくらい、わたしは成長していて、たくさん忘れていて、ああ、うそつき。
泣きながら飲んでいたくせに、ビールの味にさらに泣いて、泣いて、お会計をしてすぐに店を飛び出した。消えてしまいたかった。たかがビール、されどビール、あんな苦い一杯のために!
タクシーに乗った気がした。泣きながら運転手さんと話をしたような気もした。けれどはっきり記憶が残っているのは、昔の高校の近くの丘、我らが天体観測部でよく使っていたあの丘で、星を見ていたということ。
そこで唐突に、そう、本当に唐突にあの懐かしい会話を思い出した。ここで話したのだ、確か。だから。
見上げた夜空にはやっぱり星がたくさん詰まっていた。それでも、高校時代のあの頃よりも薄くなったようにも思う。このあたりもどんどん開発が進んでいた。街の灯は、あの頃よりも丘に近づいてきていた。星が遠くなる。星。ああそういえばこれは、秋の、夜空だ。
あ、と声が出た。喉が震える。
秋の空は透明だった。あの会話をした初夏の、ぼんやり淀んだ空なんかとは似ても似つかない青。濃紺が澄んでいる。あれは青だ。いや、あれは海だ。そうだ、海に、銀色の魚が飛んでいるんだ。
秋の空に浮かぶ星の、豊かなこと。それに初めて気がついた。あの初夏の会話から、もう随分と経っていた。私は大人になって、それなりに頑張って、それなりに疲れていて、そうしてそれなりにくたびれた人間に育った。きっと彼もそのはず。彼もどこかで、それなりに生きているのだ。
だから、私がいま秋の空を知ったことも、もう一生伝わることはないし、伝える術もない。ただ、私を秋の空にたとえてくれたことが、私の心に音を立てて突き刺さった。こんなにも。こんなにも。
あかるい豊かな空を、私だとは到底思えないけれど、それでも私は一度、彼の中でこの空になっていたのだ。そう思えるだけでよかった。十分だった。ビールの味が苦かったことなんて、もう頭から消えていた。こんな夜に、酔っ払って丘の上で星を見ているなんて、もちろん疲れきった人間なのだけれど。それは変わらないのだけれど。
帰りみち、友人に電話をかけた。明らかな酔っ払いからの電話にも付き合ってくれる友人は優しい。よし、大事にしよう、酔って大きくなった気持ちでそんなことを思う。
「あのねえ、わたし、次からはオレンジジュースを飲む。わたし、夜だから、秋の。銀色の魚の、海だから。だから、オレンジジュースを飲むよ」
はいはい、と友人の声がした。それを鈍い意識の中で聞いていた。ちょうど自宅の玄関にたどり着いたところで、友人におやすみ、と告げて電話を切る。電気も付けずにふらつきながらベランダに出て、私はもう一度星を見た。
それはもう、青くはない空だった。ここは駅にも近くて、それなりに賑わう通りのそばだったから、灯りは星を掻き消してしまう。それなのに。それでも。空は澄んでいた。夜は透明だった。秋の空は、銀色の魚が泳ぐ海だった。
あれはね、わたし。むかし、高校生の頃、あれはわたしだった空。ふふ。頬が緩む。ありがとう、もう顔もうまく思い出せないきみ!
今度実家に戻ったら、卒業アルバムを見返すから、そのときは名前を見よう。それもきっと、いつか忘れるんだろうけれど。
ベランダから戻り、そのままソファに突っ伏すと、呪文のように頭の中をぐるぐると言葉が巡った。わたしは銀色の海、わたしは透明な空、わたしは、秋、の、夜。
次に飲みに行ったらオレンジジュースを飲むのだ。ビールも飲むけれど、それでも美味しいオレンジジュースを飲む。だって私は、夜だから。銀色の魚がぴょんぴょんと泳ぐ、あの青い海だから。それから、そうだよ、ほら。
その日の夢のなか。銀色の魚と、私と、それからあの彼が、透明で青い海で泳いでいた。秋。澄んだ空気。それは私が彼のなかで、秋の夜だった日のこと。ビールがまだ、遠い魅力的な飲み物で、オレンジジュースに飽き飽きしていた、あの頃のこと……
- Re: 透明な愛を吐く【短編集】 ( No.28 )
- 日時: 2021/01/30 15:19
- 名前: あんず (ID: WpG52xf4)
#16 『月の墓』
きみが死んだら僕が食べるよ、とずっと言い続けてきたのに、彼女はそれを信じていないふしがあった。その証拠に、彼女は事あるごとに墓の話をした。死んだら海に撒いてね、お墓はあの丘の上がいいわ、眺めがいいでしょう。
あまりに何度も同じ話をするものだから、僕は彼女の灰を海に捨てる夢を繰り返し見た。そんな日は大抵、海の音がごうごうとよく聞こえる日だった。
僕がきみを食べるから、きみの身体は残らないよ。幾度そう伝えても彼女は一向に首を縦にはふらない。その代わりに墓の話をした。お花畑の真ん中がいいわ、約束よ、と一方的に言葉を突きつけて、一人で満足そうに笑うのだ。
彼女が死んだ。あっけなく。夜に寝て、朝に目覚めなかった。それだけだ。本当に眠るように死んでいた。いつも通りに微笑んだままだったので、屍体は生きているようにさえ見えた。頬を何度か突っついて、そこでようやく、ああ死んでいるのだと思った。
自分でも意外なほど、僕は寂しさに襲われた。もういないと思っても現実感がない。空っぽの腹がしくしくと痛む。寂しさは空腹に似ている。
宣言していた通り、僕はばりばりと彼女を食べた。文字通りのごちそうで、躊躇いはなかった。ほらね、食べるって言ったでしょ。小さくなっていく彼女を見ながら心の中で話しかけた。彼女の体には悪い病が広がっていたらしいが、味にはまったく問題ない。人間の病気だから僕には関係ないのかもしれなかった。
残った骨とはしばらく一緒に暮らした。生き物の骨は肉なんかと違ってきちんと残る。まっしろなまま残る。
「死んだら海に撒いてね、お墓は丘の上がいいわ」
けれど骨を見るたび、なぜか彼女の声がした。同じ台詞を繰り返し。彼女は約束には口うるさかったから、たぶんその名残りだろうと思った。果たされない約束は約束のままなのに、彼女にとっては違うらしい。僕は忘れっぽいので何度も彼女との約束をすっぽかしてきたし、彼女もそれを知っているだろうに、全く懲りない人間だ。
はじめは無視していたものの、声はどうにもしつこい。仕方がないので骨を焼いてやることにした。ほんとうはもう少し飾っておくつもりだったのにもったいない。結局は彼女の思うままだ。もうどこにもいないくせに。
ちょうどいい入れ物がないので、そこらに転がっていた盃に灰を入れた。こんなものあったかと記憶を辿って、いつだったか彼女が持ってきたものだと思い出した。焼き残った骨がからんと鳴り、盃の底に灰が積もる。それでも彼女の声はした。
「死んだら、海に撒いてね」
月夜だった。外に出て振り向けば丘には月光が降りそそぎ、花はきらきらと濡れように瞬く。砂浜へ降り立つと海がごうごうとうるさい。真っ暗な水面に吸い込まれそうで足元が揺れる。
こんなところに行きたいの、本当に? それでも変わらず声は響いた。おんなじ言葉だ。いい加減聞き飽きたが、約束を果たすまで彼女は黙らないと分かってもいた。海に行きたいだなんて大ばかだ。
ひたり、手を浸すと海はさざめいた。星が映る。月光はここでも波間に降りそそぎ、やはりきらきらと瞬いた。鬱陶しいほど。
「本当に行くの?」
尋ねずにはいられなかった。こんなにも暗いところだ。僕のそばにいればいいのに。きっとずっと飾ってやれるのに。それなのに。
海に撒いてね、海に。変わらない言葉だった。単調な台詞ではないのに、まるで機械仕掛けのように聞こえる。彼女の声が響くのと同時に、ちょうど海の向こう側、水平線がゆっくりと染まり始めた。
朝が来る。
そう思った途端、突然、朝焼けの海岸を走る彼女の姿がさっと瞼の裏に浮かんで消えた。一瞬。僕の手をほどいて、重たい身体を脱ぎ捨てて、彼女は軽やかだった。僕がけして行けないところへゆく。その手を僕は二度と掴めないまま、小さな背が遠ざかる。
「いやだ」
声がこぼれた瞬間、体中のあらゆるものが逆流した。ごうごうと音をたてて燃える。いやだ。気が狂いそうだった。息を吸おうとした喉から、ひ、と奇妙な音が漏れる。海になど撒いてやるものか。そもそも体なんてもう、とうにここにあるじゃないか。
とっさに盃に海水を汲み、そのまま海と彼女とを一緒に飲み込んだ。背筋が震えるほど不味い。それでも必死に飲み下した。灰になりそこねた骨が喉元を突き刺しても、細かい粉に咽せても、たとえ腹が裂けたとしても構わなかった。うるさい。うるさいうるさい。耳を塞ぎながらうずくまる。どうか彼女が再び話し出す前に、はやく、はやく!
頭は焼ききれるかのようで、体中がカッカと熱い。吐き気を堪えながら何とか目を開く。泣いているのだ、と気付いたのは、ひたひたと足元をくすぐる波に涙が落ちたからだった。
いつの間にか地面に転がった盃はとうに空で、声も聞こえなくなっていた。死んだら海に撒いてね。その言葉通り海水と一緒にしてやったのだから、彼女も黙ったのだと思った。彼女がこの体とともにあるのなら、僕ももう叫ぶことなどない。心の底から安堵した。
それでも、たぶん、明日にはいつも通り腹が空くのだ。分かっていた。喉も乾くし、このまま朝日も昇るだろう。いつか彼女を食べたことすら忘れる自分がいると知っている。誰しもが生まれた頃の事を覚えていないのと同じだ。くそったれ。
朝焼けが水平線をいっぱいに埋め尽くす。薔薇色の眩しさを感じながら、目を閉じ彼女を想う。
安らかに眠れ。祈るべきはそれだけだった。どうか安らかに眠れ。
帰ると丘はまだきらきらと光っていた。月はとうに低くなっていたが、今度は太陽が花畑を照らしているらしい。朝露が花びらの上できらめく。思えばこの場所はいつでもあかるい。
海岸で拾った、ずっしりした石を花畑へ放り投げた。植物と柔らかい土がクッションになったのか、音はほとんどしなかった。白く丸い石は花に埋もれて、てっぺんだけがかろうじて見える。刻む言葉もないので、墓標には到底思えない。それが似合いだと思った。ここは墓だけれど墓ではない。名を縛るものはここにはない。彼女はどこにでも行ける。
振り返り海を見た。もうずいぶん高いところにある太陽とすっきりした空の下で、海は静かに横たわっている。あの美しく穏やかな海に彼女はいない。辿り着けなかったのだから。
「ざまあみろ」
頬が自然と緩んだ。
それからいくらか経って、ふと思い出したように花畑を見に行ったものの、いつの間に苔むしたのか飛ばされたのか、とうに石は見えなくなっていた。それきりだった。
- Re: 透明な愛を吐く【短編集】 ( No.29 )
- 日時: 2023/05/23 18:00
- 名前: あんず (ID: DUUHNB8.)
#17 『カニカマの夜』
「美しい夜には美しい酒がつきもの! ねえ、ねえ、そう思わん?」
思わん。聞こえてきた声に心の中で答える。声は出してやらない。出しても多分、この酔っぱらいには聞こえちゃいない。
深夜だった。家から歩いて二十分ほどの海岸、に続く階段の上。
足元には缶と瓶。紙パックの日本酒。頭上にはざんざんと降るような星。目の前には酔っぱらい。それも空のビール瓶を片手に持って、ギターのように構えながら弾くふりをしている、絵に描いたような酔っぱらい。
思わず出たため息に、ふざけたへべれけの笑い声が返る。肌寒い春先。明日は二限。それも必修。最悪だ。
◇
『久しぶりだしご飯でも食べに行こうよ!』
そのメッセージに返答したのがそもそもの間違いだった。ゼミ終わりのぐだっとした怠い空気の中、誘いの言葉が妙に魅力的に思えてしまった。
高校ぶりに会う友人。二人で一回遊びに行って、修学旅行で同じ班で、卒業式に何人かで写真を撮った。そんな感じの。
進学のために県外に出ていたところ、少しの間戻って来たらしい。二人きりで会ってご飯を食べるほどの仲でもなかった(何しろ遊びに行ったのは一度切りだ)が、さほど疑問にも思わなかった。
高校時代の友人という響きは、大学に馴染んでからの方が効く。これはもう本当に。不可抗力というやつ。
だから少し、いやかなり意気揚々と居酒屋に向かったのに。
◇
「久しぶり~! ねえ、私さあ、中退して結婚しないとだから戻ってきたんよ」
開口一番これだった。失敗だ、と思った。失敗も失敗、大失敗だ。
誰が見てもわかるくらい顰めた顔を、けれど相手は微塵も気にしていないらしかった。それも含めて失敗だ。話題を変えることも途中で帰ることもできないに違いない。
よくよく見れば友人の手には中身の減ったジョッキが握られている。すでに出来上がっている。
ため息。座りなよお、と間延びした声に観念して座敷に滑り込むと、友人は即座に注文用タブレットを差し出してきた。適当にサワーの文字をタップすると、目の前から気の抜けたような笑い声が聞こえた。
「サワーでいいの? ほんとに? 居酒屋のなんてうっすいよ、水じゃん」
「私まで酔ったら二人とも帰れなさそうだし」
「帰れる。お金あるし! 奢る!」
「……割り勘でいい……」
はやくも疲れを覚えながら見上げた先の友人は、なんというかまあ、高校時代からあまり変わっていなかった。
髪色は記憶より若干明るくて、メイクもしているのだけれど。あ、あのアイラインの引き方上手い。いいな。でもやっぱり、劇的変化というほどではない。
良かった。これでバチバチにイケてる女になってたら、今度こそ泣いて逃げ出すところだった。
「ピアス開けた? ねえねえねえピアスって痛い?」
「開けるとき?」
うん、と頷いた視線につられて自分の耳たぶを触る。
たまにあることも忘れてしまうセカンドピアス。髪の毛を引っ掛けるとき以外は痛くないと言うと、嘘だあと返された。
ピアスを開けてない人から何十回も質問され続けてきたものだから、この手の回答方法は心得ている。
「耳元で」
「うん?」
「耳元で、ホッチキスを鳴らされる感じ。そしたら穴が開いてるから、冷やして終わり」
げえ、と痛そうに身をすくめる姿に思わず笑う。笑って、安堵する。ようやく会話のテンポを思い出してきた。
これなら話せる。知らず知らずのうち、久々の再会に緊張していたようだった。
◇
テーブルにお酒とお通しが来てようやく一息をつく。忙しなく動く店員さんにお礼を言ってから、待ってましたとばかりに薄いキウイサワーに口をつける。
少しでいいからアルコールを入れないとやってられない。そんな予感がした。ややこしい話の予感が。
「で」
「で?」
「で。聞いてよ」
来た。来たぞ。つい身を硬くする。開口一番に聞こえた話の続きに違いない。
友人のジョッキの構え方からして気合が伝わる。こちらもジョッキを構えた。いつでも口に含めるようにしておかなければならない。酒の場での面倒話の常である。
友人は口を開いては閉めてを数度繰り返すと、意を決したように息を吸った。目をかっと見開く。私の身がさらに硬くなる。
「中退して結婚しなきゃっぽいんよ」
「いやどういうこと?」
「そう、意味わからんくない? わからんよね、わからん」
わからんわからんと言いながら友人はジョッキを煽る。からんと軽やかな氷の音が場違いに聞こえた。
中退。結婚。頭の中で反芻して早々に諦める。だめだ、未知の領域すぎる。
「何、強制なの? それ」
とりあえず放った疑問に呻き声が返る。見れば友人は机におでこを擦りつけながら頷いた。うー、だか、あ゛ー、だか、多分現実逃避をしようとして失敗している、らしい。
「お見合いでえ……」
「お見合い」
「うん、なんか父親の知り合いの子供? とかで? 誰だよそれ。知らんし。会ったことないし」
盛大にため息をつきながら友人がぐいっとジョッキを煽る。空になる。追加を頼もうとタブレットを操作する指先を何気なく見た。
そうして息が止まる。白い薬指に指輪がはまっていた。銀色が鈍く光る。まさか。いやいやまさか。
「その指輪は」
「彼氏にもらった」
うわあ。声が出た。うわあ。もうどうしようもないくらい深刻だ。笑うにも笑えない。ジョッキを煽る。煽る。流し込む。
「いいの別に。もうすぐ別れそうだったし別に」
しおしおと友人はまた机に突っ伏す。私はそれを見ている。
しばらく黙々とお酒を飲んだ。追加注文したサワーも黙って飲む。鬱屈とした雰囲気に店員さんがそろりと料理を持ってくる。ありがとうございます、と返す自分の声が低い。周りのざわめきが余計陰鬱さに拍車をかける。
届いたからあげを見て、これ好き、と友人が呟いた。そうしてぽつりぽつりと話が進む。
曰く。今度パーティーがあるからそこで会う。その後にホテルでお見合いがあるけれど、ほとんどもう決まったようなもの。
曰く。パーティーで着るドレスとお見合いで着る着物を選ぶのが面倒。
曰く。中退は流石に納得できないから、そこは親とも先方とも交渉しようと思っている。
「ははあ」
感心してしまった。何に? 自分の生きる世界との隔絶に。パーティー、お見合い、ドレス。そんな世界があるのか。というか、この友人はそんな世界の住人だったのか。
高校時代にも聞いたことのない話だった。今更言われても困惑が勝った。情報が処理しきれない。アルコールが入っているから尚更。
話の重さに頭を抱えていると、突然がばっと友人が頭を上げた。目が据わっている。ジョッキは三つ空いている。
「ねえ海行きたい」
「は?」
◇
酔っぱらいの実行力は時に目を見張るものがある。海風で酔いの冷めた頭で呆然と考えた。夜十一時。辺りは静まり返っている。
会計をして、コンビニでいくつかお酒を見繕って、砂浜に続く階段に座ったのが十時。そのときはまだ犬の散歩の人やランニングの人もいたのに、今や人気は全くない。
缶のサワーと瓶ビールを開けた当人は、砂浜に降りて瓶を掲げている。
ぐだぐだと聞こえる世迷言に適当に返事をしながら散らかった足元を見た。少なくとも美しい夜ではない。確実に。
「あーあ。ピアス開けてやろうかな」
「開ければいいじゃん」
独り言のようなそれに返事をすると、友人はぐっと言葉を詰まらせた。酒瓶を何度か上下に振る。
危ない。酒癖が悪い。ここが街中だったら通報されても仕方ないくらいだ。
思わずやめてよ、というと素直にやめた。代わりにつま先で砂を蹴る。妙にしおらしい。
言葉が通じたことに若干安堵しながら声を待った。
「ピアスはさあ、怒るんよね、親が」
体に穴開けるのはだめだって父親に怒られた、お母さんも怒ってた。そんなに悪い? もごもごと愚痴る声を聞きながら、もう何度目かのため息をつく。
本当に環境が違いすぎる。こんなところで私と飲んでいていいんだろうか。怒られるんじゃないだろうか。
私にはお見合いもパーティーもドレスも世界が違いすぎて分からない。分からないから、愚痴を聞いて飲むくらいしかできない。できない。
「わからん……」
口をついて出た言葉にからからと笑い声が返される。ねえ、と言われて目を上げると友人が酒瓶を掲げてこちらを見ていた。しかも二本。ビール瓶。治安が悪いことこの上ない。
「わからんくていいから! なんでもいいから、また飲も!」
その声に思わず頷いた。頷いてから後悔して、それでもやっぱりもう一度頷いた。
別に愚痴を聞きたいわけでもないし、お酒がものすごく好きなわけでもないけど。でも。
やった、と叫びながら酔っぱらいはくるりと回る。踊っているらしい。千鳥足にしか見えない。
それを見て何故か唐突に泣きそうになった。最悪だ。感傷に浸ってんじゃねえ。自分で毒づく。
最悪だ。私は明日も二限に出て、買い忘れた教科書のために生協に走らないといけないのだ。
「ちょっと、こっち来てよ! 見て! でかいカニ!」
今度は砂浜にうずくまって手を振っている。カニ、と言いながら指差しているが、多分貝殻だ。多分。
自分にも酔いが回って来ている。星が空から落ちそうなほど光る。ざんざんと降る。
どうしようもないな、と思う。そう、結局はそれだけのことだ。二人して所詮はただの学生だ。取り巻くすべてを変える力などないし、脇目も振らず誰かに手を伸ばすのは荷が重すぎる。
お酒が飲めたって無力で、子供で、無敵なんかじゃない。お酒が飲めるのに。高校の頃は、と思う。高校の頃は、それは大人にしかできないことだったはずなのに。
「どれ、カニ」
「これ! これこれ」
重い腰を上げて砂浜に降りる。近付くと小さい影が友人の足元に動いている。
まさかと思ってよくよく見ると本当にカニだった。でかくはないけど、たしかに。カニだけに。
その途端、ざあっと波が来た。その波にさらわれてカニが消える。消えて、濡れた砂浜が残る。
元気でいろよお、と間延びした酔っぱらいの声がする。元気でいろよ。元気で。波が寄る。返る。息を吸う。
「飲むか」
「まじか」
まじだ。胸がいっぱいになって堪らず出た自分の言葉に、さしもの友人も驚く。
飲むしかない。飲んで、くだらないことを喋って、どうせ明日は寝坊して、教科書だけを買いによろよろ大学に行く。そうするしかない。
立ち上がった私に友人はぽかんと口を開けて、それから今日一番の大笑いをした。そのまま思い切り息を吸い込む。叫ぶ。
「ピアスくらい開けさせろー!」
「そうだー!」
酒瓶を揺らす。階段上の空き缶も紙パックも片付けて、今度は部屋で飲み直そう。そういえば修学旅行の写真がスマホに入っている。見よう。見てやろう。
だって私たちはお酒が飲める。無力だけど、今だけ無敵だ。時間制限付きの無敵。
波が返る。カニが走る。家に置いてあるお酒を思い浮かべる。ジン、泡盛、リモンチェッロ、モルト……。
酒瓶がくるりと回る。おつまみはカニカマだ。それがいい。カニカマ、元気でいろよ、海で。
酒瓶がくるりと回る。回る。回る。ふと見上げた先、目の端で、星がひとつだけ流れて消えた。