コメディ・ライト小説(新)

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透明な愛を吐く【短編集】
日時: 2019/03/16 19:19
名前: あんず ◆zaJDvpDzf6
参照: http://www.kakiko.cc/novel/novel2a/index.cgi?mode=view&no=4705

 この透明な指先で、君への透明な愛を綴ろう


***

こんにちは、またははじめまして。
あんずと申します。

明るい話から暗い話まで、何でもありの短編集です。続きやおちはあったりなかったりします。
更新速度は遅めですが、楽しんで頂ければ幸いです。

*お客様*

 *Garnet 様
 *一青色 様
 *いろはうた 様

2016年4月9日 執筆開始


*目次(予定含)*

▼透明な愛を吐く >>008

▼青い記憶に別れを >>004

▼君の消えた世界で >> ???

▼悪役と手のひら >>006

▼春を待つ、 >>007

▼降りそそぐ、さようなら >>009

▼向日葵の揺れる >>012

▼水飴空 >>015

▼星の底 >>016

▼憧憬 >>017

▼COMMUOVERE >>019

▼HIRAETH(未完) >>020

***

*その他*
現在、ダークファンタジー板にて「シオンの彼方」を執筆中。

『白銀の小鳥』のリメイクを始めました。
リメイク終わり次第旧コメライ板の『白銀の小鳥』は削除する予定です。

▼2017.11 旧コメライ板よりスレッドを移動しました。

▼2018.3.18 #1推敲版を再投稿しました。

▼2018.3.28 #3を一時削除中にしました。

Page:1 2 3 4



Re: 透明な愛を吐く【短編集】 ( No.16 )
日時: 2018/07/30 19:01
名前: あんず

#9 『星の底』
 
 
 笹の葉から垂れ下がる細長い紙面を見て、私は思う。また、夏が来る。たったそれだけのことで、心臓が早鐘を打つ。笹の葉よりももっと上、そこに黒よりも深い夜色の空が広がっている。
 
「何か書く?」
 
 後ろから聞こえた声に首を振った。紙をつまむ指を放して、弾く。その瞬間、誰かの願い事を載せた紙切れが勢い良く宙を舞う。ぷつり。あ、と声を上げる間もなく、そのまま風が攫っていく。幸せになりたい、そう刻まれていた誰かの文字が遠く遠くへ飛んでいってしまう。瞬きの間に。
 
「あーあ。何してんの、嫉妬?」
「違うよ」
 
 柔らかそうな長い薄茶の髪が、ひょいと視界の端に現れる。細い指先がじっと短冊の消えた先を指差した。それから笑う。誰かの願い事、もう空まで届かないよ。そう言って、あまりにも嬉しそうに笑う。耳に響く優しい声。誰かの願い事が息を止めた。きっと、そのことが嬉しくて仕方がないのだ。
 輝くように笑いながら、その真白な手が短冊を吊るした。薄いピンク、彼女が好きな色。そこに書かれているだろう、可愛らしい丸文字を覗き込む。やめてよ、と頬を膨らますような声がした。それと同時に、黒インキで書かれた文字が目に入る。そこに書いてある言葉に、思わず笑った。口元が緩んで息が漏れた。それから、そばにあった短冊とペンを手に取る。
 
「やっぱり書く」

 何それ、とからかうような声を無視して、細いペン軸を握りしめる。願い事は本当は、いくつもいくつもあった。けれどここに書く言葉は一つ、もう決まった。
 目を閉じて、軽く深呼吸をした。開く。紙を走っていく黒インキ。少しだけ鼻につく、油性ペンの匂い。真後ろの海岸から聞こえてくる、磯の匂い。誰かが捨て去った、数本の酒瓶から漂うアルコールの匂い。
 きゅっと掠れた音を立てて、ペン先を離した。きれいに真ん中に並ぶ文字に満足して、短冊を夜空へと掲げてみる。薄いピンクの向こう側に、遥かな濃藍が透けていく。私の手の中の紙切れを覗き込んで、彼女はなんとも言えない、苦笑にも似た表情をした。その顔を見て私は笑う。得意げに。手元の短冊が、風にさらわれそうに震えている。
 
「それでいいの、願いごと?」
「うん。これがいいの」
 
 何か言いたげな顔をして、はくはくと口を動かしてまた閉じる。どこか滑稽な彼女を尻目に、私は背を伸ばして笹の葉へ触れた。私が届く、一番高いところへ短冊をくくりつける。風になびく、二人分の短冊。こうすれば夜空からもよく見えるでしょう。そう言うと、ようやく彼女は口元を緩めた。
 
「よくばりめ」
 
 それにつられて笑いながら、額を小突く。別にいいのだ。よくばりでも、傲慢でも。日頃の行いからしても、天の河が私の願い事を聞いてくれるとは思えない。だからせめて、一等よく見える場所へ飾っておこう。思いがけず、天上の彼らに届いてしまうくらいに。ずっと遠くに。
 
「行こうか」

 呟きとともに、そっと重ねられた手を握り返す。うん、一言返事をして、風に吹かれる緑に背を向けた。人気のない海の家のような廃屋。遠い昔には人がいただろう寂しさが、その場に澱んでいる。角に立てかけられた、とっくに古びたこの笹は、幾人の短冊を吊り下げただろう。どれほどの人が、この緑に願ったろう。
 さくさくと軽い砂を踏む。繋いだ手を揺らしながら、呼吸の音ばかりが小さく響く。目の前に広がる海は、真っ暗に私達を待っていた。
 
 ✱
 
 一緒に死のうと、誓いあったことがある。もう昔々、私達が、あの鬱屈とした青い場所にいた夏。大人になった気でいたのに、制服を身にまとった窮屈な時間。陰湿になっていく青春。きっとあの頃、みんな苦しかった。進路に悩み、友人に悩み、何もかもに悩み、空気は澱んでいた。

「二人で、かえろうね」
 
 彼女の細い指が、私の手を握りしめていた。その白さと、食い込んだ爪の丸みばかりを覚えている。かえろう。帰る、返る、孵る、還る。彼女の声はゆっくりと滲みて、私の脳みそに絡みついた。死にたい、よりも、もっとずっと穏やかな約束。この息の詰まる夏から、逃れるための言葉。遠くへ、優しい場所へ。見つめる目に一つ頷いて小指を絡めた。懐かしい旋律とともに、約束が紡がれていく。見えない糸が私達を繋いでくれる。
 その約束は、危うい年齢の誰もがするかもしれないありふれたものだった。死にたい。そればかり呟いて、手を繋いでいたかった。そして私達の場合、少しだけ、他の人よりも本気だった。それだけだった。だから約束はまだ息をしている。何故だか、そう確信していた。いつの日か、いつか、かえるのだ。
 
 その「いつか」は、唐突に来た。中身のない、空っぽの自分の腕を抱きしめた瞬間。自分を満たすものが潰えた感覚。ああやっと。縋るものはもう、あの言葉しかなかった。古びた約束が脳内を埋め尽くす。
 痛む体を引きずって、震える手で握りしめた金で切符を買った。手のひらに移った金属の匂いが鼻を刺す。訝しげにこちらを見る警備員から目を逸らしながら、人気のない改札を通る。機械から戻ってきた少し温かい紙切れを、ぶかぶかのスウェットに大切にしまった。この小さな切符が、私をずっと先まで連れて行ってくれる。そう思えばポケットが少しだけ、温まる気がした。
 薄暗いホームのベンチに座ってから、ようやく携帯の電源をつけた。ぼうっとした人工的な光で腫れた腕が闇に浮かぶ。あんまり良い眺めじゃない。長袖でも持ってくるんだった。半袖を無意味に伸ばしながら、なんとなく携帯を持て余す。小さく震え続ける指で、ボタンを一つずつ押していく。時代遅れのカチカチという音が心地よかった。
 
──かえりたい。
 
 たった一言送った。果たしてまだ使えるのか、それすらも分からないメールアドレス。SNSのアプリばかりのこのご時世、お飾りの電話帳の片隅でくすんでいた文字列。もう何遍も見返して、いつしか覚えてしまった。
 返信は、きっかり五分後に来た。心のどこかで期待をしていて、それでも来ないかもしれないと怯えていた。それなのにあっさりと、私を待っていたようにメールは届いた。体が大きく震える。届いた返信を覗くのにまた、長い長い時間をかける。息を吸って、吐いて、それでも決意が固まらないから目を閉じる。そのまま、ボタンに指を滑らせた。カチリ、と伝わる小さな音に薄く目を開ける。
 
──かえろう。

 彼女の文字が、そこに静かに並んでいた。戻ってきた言葉に視界がぼやける。安堵にも似た、どうしようもない寂しさで気持ちが悪い。それでもほっとした。画面の向こう、どこかにいる彼女の時間もまた止まっていたことに。私達は同じ時間、ぐずぐずと這いつくばって生きていたのだ。確かにあの約束は息をしている。
 何かに祈りたかった。ひたすらに許しを戀いたかった。もしも返事が来なかったらどうしていただろう。一人きりではきっとかえれない。夏の日からは逃げられない。分かっている。だからこそ今、だれかに祈りたかった。
 示し合わせたように来た終電を踏み締めながら乗り込んだ。ぼんやり光る画面を、滲む視界で何度も読む。並ぶ文字が消えないように、何度も何度も。ふと、窓の外へ視線を投げる。誰もいない車内が規則的に揺れる。生温いエアコンの風が足元を撫でた。彼女へ近づいていく。現実が遠く褪せていく。
 夏が来る。もうすぐそこまで、迫っている。
 
 ✱

 足元に揺らめく水が肌を包んだ。風は生温い吐息のように吹いている。生きているみたいだ。想像よりもずっと温かい海を、手を繋いで歩いていく。転ばないように一歩ずつ。水面は闇の中でもお喋りに煌めいている。月明かりがこんなにも夜を照らすことを、初めて知った。
 
「宇宙に願って叶うならさ、海だって、叶えてくれそうだよね」
 
 鼻歌まじりに聞こえてくる機嫌の良い呟き。波の音がざあざあと響くなか、その声はよく通った。目線は海に。なんとなく追ったその先の水面に、思わず口をつぐむ。宇宙だ。鏡面のように光を跳ね返す濃藍に、天の河がそのまま映り込んでいた。急に足元がなくなったような不安と、星に向かって沈んでいくような錯覚。上と下、手を伸ばした先でさえ、どこまでも宇宙が透けている。二人、星の中を泳いでいる。
 
「……叶いそうだね」
 
 そうでしょ。今度は彼女が得意げに笑う。ふやけた柔らかい指先に力が篭もる。海がひたひたと、腰の高さまでも濡らしていく。砂浜はすでに遠い。足元が今にも滑りそうになる。何もない。思わず震えて、それでも漠然とした安堵が胸に広がっていた。だから大丈夫だと、根拠もなくそう思う。
 
「ね、どうせなら海にも願い事しようよ」

 突然、彼女が顔を上げた。良いことを思いついたとでも言うように手を叩く。
 
「さっき笹に吊るしたのに?」
「星にも海にも伝えたほうが叶いそうでしょ」
 
 よくばりめ。さっきの仕返しに言い返した。弾けるような笑い声が二つ、浪の上を滑っていく。つられるように空を見上げた。滅多にお目にかかれない、教科書の写真と似た天の河。満点の星空というのは、こういう空を指すんだろう。綺麗だなんだと言うよりも、吸い込まれそうで怖くなる。宇宙は思っているより美しくなんかないよ、そう呟いて頬が緩んだ。この気持ちもまた、安堵だった。
 幸せになりたい、誰かが書いたあの願いも、海へと落ちていっただろうか。幸せになりたい。途方もなく大きな、漠然とした祈り。願った誰かが幸せだといい。自分のために思う。私の願いも彼女の願いも、同じように海に溶けて、きっと叶うといい。私だって、幸せになりたかった。
 
 いつしか自然に足が止まった。ブイからブイへ、張られたロープの少し先。もう胸元近くまで水が揺らぐ。それをじっと見つめながら、握った手を痛いほどに繋ぎ直す。ここから先は、戻るための場所ではない。かえるための入り口。一つ踏み出せば足場がないことを、私も彼女も知っていた。そのために来たのだ。
 かえろう。どちらが先ともなく、おんなじくらいの高さの肩を抱きしめる。あの古い夏から少しも変われなかった、細い肩だ。温もりはまだ残っている。互いに縋りつくものはもう、きっとそれしかない。ゆっくりと視線を合わせる。思わず微笑んだ。彼女も。
 とぷん、と拍子抜けするほど小さく柔らかな音を立てて、視界が染まった。
 
 夏が絡みつく。待ち構えていたように、それは私達を縫い止めようとする。逃さない、と言われた気がした。行かないでと、乞われた気がした。それでもその手を振り払って、宇宙へ、飛び込む。
 
 生温い水は、まるで胎内のようだった。覚えているわけがないのに。それでも私は、たった一人の胎内から生まれた。生温い羊水に浮かんで夢を見た。そうやって遠い昔、私も彼女も水に溺れて生まれたのだ。あの温かい場所へかえりたい。孵りたい。そう願ってやまないのは、何も死にたいからじゃない。あの世には行きたくない。この世にも生きたくない。だからかえる。きっと、ただそれだけのこと。
 ごぽり、泡が昇っていく。鼻から、口から、濁った酸素の代わりに透明な水が満ちていく。苦しくて涙が出た気がしたけれど、もう何もかもぼうっとして、それも気のせいだったかもしれない。全部が塩辛くて、甘くて、涙のようだった。わたしは今、涙に溺れている。かたく抱き締めあった手を一つ離して、彼女の腹に右手を乗せた。薄い腹はきっと、すぐに水に押しつぶされてしまうだろう。それでもまだ温かかった。母のようだなと、似ても似つかない、この目の前の女の腹を懐かしく思う。
 
「──、」
 
 彼女の唇がゆっくり動く。もう逃げるほどの空気の塊もなくて、その動きは薄暗い中、月明かりによく映えた。にっこりと笑みを形作る。私の唇も不器用に笑う。もう一度、願い事を呟いた。短冊は今もきっと、あの寂しい緑に揺れている。水はもう、ずっと生温い。
 ぐるぐる、ぐるぐる、頭の中を水が洗い流していく。溶けてしまいそうだ。抱き締めた腕、おんなじ体温。もう一度強く手を握った。おやすみ。囁くように開けた口の中で、水がふよふよ揺れている。海月になったみたいだ。本当になれたらいい。きっとどこまでもかえれる。私達は海の月。夏だってきっと、ここまでは来れまい。そう思うと途端に瞼が重くなった。その中を、誰かをあやすように呟きながら漂う。かえろう。
 今度こそ上も下もない。ただ溶け合うように落ちている。逆さまの星の中をかえっていく。触れた肌は柔らかい。
 
 ひどく、こうふくな気分だった。
 
 
✱✱✱
 

 雑談板の小説練習スレッド「添へて、」さんにて投稿させて頂いた短編です。夏っぽく海のお話です。素敵なお題ありがとうございました。

Re: 透明な愛を吐く【短編集】 ( No.17 )
日時: 2018/08/05 18:15
名前: あんず

#10 『憧憬』
 
 
 夏は死の匂いがします。鮮烈なほど目に染みる青空を覗き込むとき、頭に響く蝉の声に耳を塞ぐとき、火で炙ったようなアスファルトを踏みしめたとき。そこに奴らが潜んでいるのです。こっちを向いて、私に手を振るのです。それに振り返そうとは思いませんが、視界の端に留まるくらいにはそばにいたいのです。いつの日か手を取ったらきっと連れて行ってくれるように。
 目の端に死は滲んでいます。黒い染み、みたいなそれが、じわじわと夏の空を、蝉を、風を暑さをアスファルトを、私、を殺してしまうのです。私はそれを待っています。そんな妄想をしながら今日も道端の小石に躓きました。死にたい、と思わず呟いたのはこの夏何度目だったでしょう。良くないなとは思いながら、もうこれは私には直すことのできない癖のようなものなのです。違うのでしょうか。でも今の私にはどうすることもできません。膝に突き刺さる砂利のような小石が私を少しずつ削って、血液を巡り、私の体には砂が詰まっていくのです。乾くより重く、崩れそうになりながら、夏、私は息をしています。
 
 今朝もホームに突っ立ちながら、遅れた電車を待っていました。待てども待てども、遅延の文字は消えないのですが、私はこの時間がなんとなく好きです。誰もが等しく遅れている。来ない電車を待ちわびながら、不意に手に入れた空き時間に苛立っている。いつも時間が欲しいと叫んでいるのに、こういうときはどうしてか気に食わないのです。私達は人間ですから、というより、この国に生きていますから、予定が叶わないのは罪なのです。
 人身事故を告げる駅員の声も、どこか投げやりにホームに響きました。再三謝る声も遠く、私の後ろでも前でも、しきりに時計を見つめるサラリーマンで溢れていました。私の制服がじわりと汗で濡れていきます。暑いと人は短気になるらしく、舌打ちが灼熱のホームに響き渡り、それがまた誰かに移っていくのです。こんな時に飛び込むなよ、迷惑だな。そう、吐き捨てるような声がします。それに同調するように、同僚らしき人たちが文句を募り、続いていきました。黙っていた人々もきっと、そう思ったに違いありません。私もそうだからです。思ってから、やっぱり少しばかり後悔するのです。
 
 日が違えば、飛び降りた彼、彼女は、私だったかもしれません。隣に立っていたサラリーマンだったかもしれません。朝、ぼんやりと立って一日のことを思うとき。ふと走ってくる電車を見て、あそこに飛び込めば全て気にしなくていいのだなと、そう思う気持ちが私にあります。速度が落ちるより早く、あの鉄の塊にぶつかれば一日はなくなります。明日もなくなります。そうやって全部、ブラックホールみたいに吸い込んで、死が手を伸ばしてくれるのです。
 
 それを羨むようになったのはいつからだったでしょう。私は、自分が壊れる想像をしては安心する人間に育ちました。私より壊れている友を見て安堵する人間となりました。薬の入った注射器を手に、にこにこと笑っていた彼女を、救わなかったのは私です。救うという言葉を傲慢に思うのも私です。彼女がそうありたいならばそうあればいい、ただ、私を巻き込まないでほしい。だから私は救わないのだと、偉そうにしていたのも私です。ぜんぶ私です。見捨てた友が、姿を見せなくなり、みんなの噂の種になり、それも潰え、忘れ去られてものうのうと制服を着ているのも。それを間違っていると思わないのも。
 そうして彼女の手を取らなかったのは私ですが、けれど彼女に伸ばす手がないのも私なのです。私の手は、私自身を抱きしめるためにあります。空いた片手は、いつか死と手を繋ぐためにとっておかないといけません。だから彼女に手向けの花も差し出せません。この手は、彼女を悼むためには使えないのです。それを分かってほしいとは思いませんが、薄情者だと、罵っても構いませんが、私はこうして日々を逃げていきます。
 
 飛び降りた誰かに朝は来ません。その代わり夜も来ないのです。痛かったでしょうか。苦しかったでしょうか。それをぼんやり思うのは冒涜にも似た同情なので、口に出すことはしません。私なんかに分かって欲しい感情など、振り切れた彼らにはないでしょうから。私はただ、それに近しいものをもごもごと想像して、この、黒い染みのような夏を引き摺っていきます。電車を止めた誰か。それを憎々しげに恨む、電車を待つ人々の中で、私だけがあなたを考えているわけではないでしょう。ただきっと、舌打ちを打つ人々よりはうんと少ないでしょうから。この夏だけでも、あなたを覚えています。私は弱く、脆く、臆病者なので、あなたに花を手向けることはありません。この手は、私のための花を手折るのです。ただ、舌打ちをつかれたあなたの、彼岸でのこうふくだけは祈らせてください。そちらがこうふくならば、私もきっと死の手を取れます。私のために、幸せでいてください。この、黒くて暑い、死人のための夏を抜け出したあなたに。
 
 私には砂が詰まっています。思い描いた未来から、いつの間にか水は抜けて、崩れゆく夢がこびりついています。死にたいと呟きながら、ほとんどの人と同じように私は生きています。来年もきっと、夏を迎えます。その次もきっと、夏に突っ立っています。奴らは私に手を振ります。視界の端で優しく笑っています。そこには彼女もいたはずです。私が、花を持たなかった友。頭を快楽に溺れさせて、幸せだった彼女が。だからあちらは幸せの国なのでしょう。私もそちらに、いつしかかえります。ふらりと、舌打ちをつかれながら。空を、蝉の音を、私、を、殺してしまう夏の染みが、私の脳みそを染めていきます。まだ、けれどそれは、いつの日か必ず。
 
 遅れていた電車が、眩い夏の暑さに光りながら、ホームに滑り込んできます。それは誰かの死に、立ち止まっていた銀色でした。

Re: 透明な愛を吐く【短編集】 ( No.18 )
日時: 2018/09/06 22:16
名前: あんず

*挨拶とお知らせ
 
 こんにちは、あんずです。
 
 夏の小説大会、金賞を頂いていました! 更新も不定期な拙作ですが、それでも面白いと思ってもらえたなら幸いです。ありがとうございます。読んでくださっている読者様に心からの感謝を。
 
 コメライ板に似つかわしくない話ばかりな気がする短編集ですが、読んで頂けていて驚くとともに嬉しかったです。今度はもっと明るい話を書けるよう精進します。
 
 
 それから、私情なのですが、今年は受験のため年中の更新予定はありません。小説のことももちろん温めつつ、しばらくは勉強に打ち込みたいと思います。そのためにも金賞がとても励みになりました。改めて創作をしていて良かったと思えました。本当に本当にありがとうございます。
 
 これからもどうぞよろしくお願い致します。
 

Re: 透明な愛を吐く【短編集】 ( No.19 )
日時: 2019/02/20 21:54
名前: あんず

#11 『COMMUOVERE』
 
 
 スクラップの音が近づいてくる。耳障りな金属を潰す音が、僕らの命を潰してしまう機械の重さが、壁を隔てた向こう側から聞こえてくる。僕の耳の奥に眠る銀色の巻き貝を、いっそのこと壊してしまいたかった。錆びた収音装置の回路をぷつりと。そうすればこの冷たい音も消えるだろう。きっと安心、できる気がした。
 
 僕らの心はどこにあるだろうね。突然その声を拾ったものだから、僕は思わず息を呑んだ。狭苦しい灰色の空間の中で、その問いかけばかりが色付くようだった。僕の耳を通ったその言葉に応えるよりも早く、口から音がこぼれ落ちる。
 
「こころ?」
 
 それは人間のことかい、それとも。首を傾げて問いかけると、彼女は柔らかく微笑んだ。青い瞳が三日月のように細まる。僕らのだよ、と付け足すように声がした。少しだけ掠れた音だった。仕方がないから当てずっぽうで答えてみる。僕の欠けた演算装置では、望む回答は得られまい。
 
「どうだろう。そうだね、回路かな」 
「言うと思った」
 
 さらり、と煤けた髪を揺らしながら、彼女は微笑んだ。それは喜びの表情に似ていた。人が望みを満たしたときの、口角をあげて目を細めるという動作。
 
 僕らの記憶は一瞬だ。ヒトのようには積み重ならない。心という概念は、僕らの中の一つの回路に収まっている。心臓代わりのデータボックス、そのメモリーチップの導線を少しでも切ってしまえば、僕らは全ての記憶を失くす。それを当たり前だと言えるし、それこそが、僕らの機械たる生き方だとさえ思う。
 
「ヒトの臓器ってね、記憶が宿っているそうだよ」
 
 どこか彼方を見ていた瞳が、僕をもう一度捉える。空調に揺らされた濁った風が、彼女の細い髪の毛を靡かせた。束の間、彼女の腕からネジが転がり落ちて行く。思わずそれを拾い上げた。まだ温かい、彼女の体内の温度制御装置に抱かれていた錆びたネジ。返そうか、返すまいか、迷いながら口を開く。
 
「脳のことかい?」 
「そうだけど、違うの。ヒトの臓器を別のヒトに移植すると、そのヒトに臓器の持ち主だったヒトの記憶が宿るんだって」 
 
 何が言いたいのかよくわからない。ただ、それはまるで内緒話をするような声。わざとそうしているのか、それとももう機能が不完全で声が出せないのか、どっちなのだろう。わざとであって欲しい。そう思うくらいには、僕には心という装置への期待があった。臓器の話をしながら、そんな薄暗い言葉を交わしながら。
 
「本当?」 
「そういわれてるけど。本当だといいね」
 
 そうだね、とは言えなかった。彼女の声はあまりにも祈るようだったから。僕らには敬虔な思いすらないというのに、神様すらいないというのに、願うかのようだったから。
 
 彼女の方を見遣る。薄汚れた人工皮膚の白い色、乾いた毛髪の繊維、腹部から見える命たる回路。どこか透明で褪せていて、色のない彼女に色がある。
 破棄確定、の文字が貼られた蛍光カラーのシールが彼女を彩っていた。僕には与えられなかったその紙切れ。目が覚めるような色の、僕らを壊すための文字。たった一枚のそれが、僕らを隔てている気がした。だから仕方ないと思うことにした。彼女が祈ってしまうのも。何かも願ってしまうのも。ヒトの臓器なんて、そんなどうしようもないものに思いを馳せてしまうのも。

 
 ふいに死んだ目をした、作業服のようなつなぎを着た作業ロボットが扉を開いた。腕に巻かれた腕章。彼は僕たちと同じはずなのに、僕らを管理する側にある。けれどその彼も人間に管理されていて、僕らロボットなんて所詮、そんなものなのだった。
 作業員は僕達のいる部屋の隅に近付いてきた。纏う空気はどんよりと重い。隣の彼女が瞬きをした。それがひどくヒトのような仕草だったから、僕の回路はどきりと跳ねた。なんて。驚いたのだ、今のは比喩。
 
 彼女の外れかけた腕が鎖で繋がれる。罪人のような格好で彼女は立ち上がる。がしゃり、鋼鉄の音がする。やっぱりヒトではない。柔らかい臓物の音などしない、僕らの身体はどこまでも機械だ。
 小さな背中が細い扉の向こうへ消えていく。そう思った瞬間、彼女が振り返る。褪せた髪の毛が扉の向こうの光に照らされていた。薄い茶色をしているその髪は、今ははっとするほど美しい金色をしていた。
 
 彼女の瞳が、揺らいだ。淡くかすかに、それでも揺れる。そのまま伏せられる睫毛の輝きばかりを僕は見ていた。扉が閉まる。彼女が、あのヒトのように笑う女が、僕の視界から消え去った。あまりにも祈るような顔、いないはずの神様を知るような顔で。返すタイミングを失ったネジばかりが、僕の指の先で息をしている。
 
 
 ほどなくしてさっきと同じような作業員が、死にそうな顔をして部屋に足を踏み入れた。冷たい枷をはめられたのは、今度こそ僕。無感動なロボットは、彼女にしたことを繰り返すがごとく僕を鎖で繋いで引っ張った。まるで囚人だ。 
 続く道の先に見えるのは修理室。彼女が連れて行かれたのは廃棄部屋だろうから、つまりそういうことらしい。手のひらには古ぼけたネジが一つ残っている。それはまだ、温かい気がした。何かが残っているようだった。そんなはずはないのだけれど。それでも、そうであればいいと僕は願う。
 こっそり持っていたら、修理する僕の体に組み込んでくれるだろうか。多分無理だろう。僕の部品ではないのだから、捨てられてしまうかもしれない。けれど。
 
 目を閉じる。あの、僕らを等しく殺してしまう怪獣の声が響いている。金属の擦れる嫌な音、回路の千切れる別れの音。分厚い鉄の壁の間で、君は何を思うだろう。君の記憶は一瞬で消えてしまう。僕の記憶もヒトの臓器の話も全部、瞬きのうちに。
 
 僕らの体はネジ一本の欠損も命取りだ。歯車と小さなネジと、そういうものが少しずつ積み上がって僕らの体が出来上がる。だからこの古びたネジさえ、かけがえのない彼女の体の一部だ。そう考えると、これには彼女の記憶が宿っているような気さえした。そんなはずがないのに思うのだ。彼女のように祈りたかった。例えば、指先がネジを転がす、その先に見える彼女の姿。
 
「……あ、」
  
 そうか。
 
 その時突然、少しだけ、積み上がる人間の記憶というものがわかった気がした。単に、わかったように演算装置がうごいただけかもしれない。理解した、という感情だけが精神回路にもたらされただけなのかもしれない。けれどそれでもよかった。たしかにその一瞬、僕は感じたのだ。
 
 手のひらの上の錆びたネジ。繰り返す繰り返す、錆びた鉄色の巻き貝が拾った彼女の声。彼女はもう忘れただろうか。回路は途切れて、僕のことも彼女からは消えていく。そういう生き方をしている。それに誇りを持つ、僕らはヒトではないことに涙すら流そう。
 僕は機械だから、忘れないことだけが幸いだ。だからその幸いに祈ろう。どうか。
 
 ──僕らの、心が。


 ***

お久しぶりです。数年前の短編の供養です。題名はイタリア語より拝借。

Re: 透明な愛を吐く【短編集】 ( No.20 )
日時: 2019/03/16 22:26
名前: あんず

#12 『HIRAETH』

 
 駆け下りて行く。星屑を上手く踏みながら、階段よりもなだらかな真空を走る。宇宙はひたすら透明な寂しさに溢れたまま、私も涙を落として進む。地球までの道は、もうあまりにも柔らかい光に包まれていた。
 
 彼との記憶を繰り返し思い出した。出会ってから今まで。さっき、金星の前で別れるまで。二人で作った朝ごはんの匂いが、卵焼きの黄色、お味噌汁の温かさ、そういうものが私の心を満たしていった。
 明日からは一人で卵を焼かないといけない。甘い卵焼きも出汁巻きも、もう何通りも作ることはないだろう。でも思わず、作ってしまうかもしれない。何年も何年も染み付いた朝ごはんの景色が、私からしっかり抜け落ちるまでは。煮物は甘いほうがいい。でも、彼は塩気が強いほうが好きだったから、それでもいい。甘くてもしょっぱくても、もう十分私の舌には馴染む普通の味だった。
 
 濃紺が美しい浅瀬色になりながら、蜂蜜色の朝日と薔薇色の朝焼けを溶かしていく。もうずっと、この景色を知っていた気がした。もちろんそんなことはないのだけれど、それはどうしようもなく懐かしい景色だった。きっと地球ができた頃、生命はこの空を毎日見上げていたんだろう。そうだったらいい。だから懐かしいのだ。私も地球に生まれた生き物。彼とは違う、この星に生きるいのち。
 
 もうじき分厚い雲が、この景色と地上を隔ててしまう。眼下の灰色の雲を眺めながら、踏み外さないように空を駆け下りた。科学の色をした人間の世界が、青い星が私を下へ下へと引っ張る。
 途中で通り過ぎた月に兎はいなかった。少し期待していた分、まるで拍子抜けしてしまう。月の上に少し寄り道をしようかとも思ったけれど、とりあえずは帰らなければならない。もうすぐ街が起き出すだろう。生活の匂いが立ち込めたコンクリートを踏むまでは寄り道は無しだ。
 
 帰りがけにお団子でも買っていこう。そうして今日の夜くらい、彼を思い出して食べてしまおう。もう兎のいないかもしれない月を見て、それから、少しだけ泣いてやるのだ。
 そうして忘れる。思い出にする。きっとまた私は月に兎はいると信じられるし、宇宙を歩いたことも夢にしよう。そうすればまた、彼のいない夜空を見上げることもできるだろう。

 
 
 それから、それから、例えばいつの日か。空に梯子をかけた御伽話おとぎばなしなんかを思い出しては、きっとくふくふ笑うでしょう。

  
***
 
 短編の断片。題名はウェールズ語より拝借。
 


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