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神様とジオラマ
作者: あまだれ ◆7iyjK8Ih4Y  (総ページ数: 65ページ)
関連タグ: ファンタジー 能力もの 
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*38*

 黒い虫は去って、すっかり温度を失った傘は簡単に閉じられた。念のため、部屋に水を被せて傘を下ろした。
 御影は言う。

「さあ、帝釈天。君は話したいことがあるんだろう?」
「ああ。……どこから話したらいいのか」

 もううんざりだといった顔で、彼女は力なく笑った。狐面を弄ぶ細く白い、幽霊のような指。

「男が……病室に入ってきて」

 長いスピーチの間中、ずっと面を擦っていた。

*

「欲しいか?」

 彼は尋ねた。帝釈天、そう名乗る前のあたしは首をかしげて、読みかけの文庫本を閉じた。
 見知らぬ顔の男だ。少なくとも顔見知りではない。あたしの病室になんの用があるのだろう、そう尋ねる前に、彼はもう一度言った。

「力が欲しいか」

 看護婦が閉めたはずの窓が開いていた。夜風が病室に入ってくる。眠れぬ深夜の、眠気を誘うまでの読書の時間であった。
 この男、どこから入ったのだろう。まさか、窓の鍵を開けて? ……そんなはずはない。ここは最上階である。もう救えない患者の、牢獄である。
 骨ばった手のひらを見つめて、あたしは思わず呟いていた。

「欲しい」

 本当に、迂闊に。彼の何とも言えぬ暖かい雰囲気が、そうさせてしまった。

「それなら、君の求める物を」

 彼が目を閉じてそう言うと、唐突に眠気があたしを襲った。どうしようもなく眠たくなって、閉じそうな目を抑えながら、必死の思いであたしは聞いた。

「待って……名前を教えてよ」

 彼はきちんと、それに答えた。「それから君の名前は帝釈天だ」と、続けて言った。
 薄笑いが濃い眠りの中に消えてく。

 そして、あたしは気がついた。
 ある朝だ。手に火傷を負った看護婦があたしの病室で言った。不注意で焼いてしまって、跡が残ってしまうそうだ。若い看護婦の美しい白い手に、茶色い跡が痛々しく刻まれているのを見て、心から、それは嫌だろうと思った。「治ってくれたらどんなに良いか。神様にお願いするしかないわね」、と、彼女は言った。
 暖色の光が彼女を囲むのを見た。彼女の傷は、次の瞬間には綺麗さっぱり消えていた。
 何度か、そんな事があってようやく気が付いた。
 夢だと思っていたあの男が脳裏に甦って口を開いた。君の力だ、そう言った。

*

「形だけのお見舞いに、三か月に一度くらいクラスメイトが訪ねてくるんだ」

 帝釈天はどこか遠い所を見るような目をしている。

「本当に無意識に、ぽろっと零した願いごとが叶えられてしまうから、噂が広がってしまって……。あたしは思った。教室にぽつんと置いてある、無人の机の存在意義を見つけたんだ。活用する他はないと、そう思った」

 薄く、悲しげに笑いながら。

「皆、少しずつおかしくなっていった。やたらとあたしを……持ち上げるんだ。自分の願いはどうしても叶えられなかったから……あたしはそれに甘えてしまって……」

 嗚咽が混じったか細い声はついに消えた。彼女の懺悔を聞き届けたのを確認し、こちらに一瞥をくれてから御影は尋ねる。

「彼は何と名乗ったの?」

 春風が彼女の短い髪を浮かせている。鳥の声が響いている。

「彼は『神様』だ」

 同じように御影は、やっぱりね、と、目を伏せて笑った。

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