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神様とジオラマ
作者: あまだれ ◆7iyjK8Ih4Y  (総ページ数: 65ページ)
関連タグ: ファンタジー 能力もの 
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*53*



 悪い間を割いて、音無が口を開く。

「ところで」

 駄菓子屋の奥、いつも彼女が出てくる場所。招かれ、小さな四角いテーブルをはさんで、柔らかい色の木の椅子に俺は座っていた。

「……本当に唐突なんだけど。私、お話を書いているの」
「オハナシ?」

 青い花が描かれたカップから、紅茶の香りが天井へ登っていく。
 聞き返したのはほかでもなく、俺がその言葉を知らなかったからである。

「そう、オハナシ。知らないか、そうだよね。今までに知ってる人なんて、会ったことないもの。不思議だけど……」

 俺はテーブルクロスの薄い藍色のギンガムチェックを眺めながら、聞いた。

「そうね、お話っていうのは、一つの娯楽ね。……ああ、ここにはあまりほかの娯楽はないのかな。オンガクもエイガも……知らないでしょ。今度教えてあげる。いつかね。
 それで、それは人が作るのよ。こことは別の世界を、想像して、伝えるの。それがお話。そこには知らない人達がいて、そこで事件が起こったり、または知らない人が恋に落ちたり、その人がまた別の知らない世界に迷い込んだり……」
「あんまり、よく分からないな」
「そう? とにかく素敵な物よ。ここじゃない、どこか別の世界。わくわくしない?」
「…………」

 わくわく。可愛らしい語感だな、と、ふと思った。
 考え込んでいるように見えたのか、音無は取り繕うように言った。

「定義はいいのよ、楽しいことが最初に来るべきで」
「そうか。……それで、その、オハナシが?」
「相談があるの」

 息を吹いてから紅茶のカップに口をつけ、手を温めるようにカップを持ち直して、音無はもう一度息を吐いた。吐息も白く、宙に消える。ここは冬の寒さを感じさせない、温かみのある部屋だ。

「そのお話をね、本にしないかって言われたの」
「ホン」

 口に出して、言ってみる。これもまた、聞いたこともない言葉だった。

「紙の束ね。束といっても、一枚一枚ばらばらじゃなくて……。ああ、上手に説明できないや。とにかく、人が楽に読めるようにするのよ」
「オハナシを読んでもらうためのものなのか?」
「そうね」

 彼女は俺の知らないことばかり知っている。

「見たこともなかったんだけど、やっぱり、ここにも本はあるみたい」

 独り言のようだった。そして今日は、分からないことばかりを言う。彼女と俺のどこに違いが生まれるのだろうか。いや、俺だけでなく。音無はこの世界の誰とも同じでない。そうかもしれない。

「俺で相談に乗れるだろうか」

 なにせ無知だ。ひとりで結論を出すこともできるだろう。しかし、彼女は笑った。

「逆」
「逆?」
「露木くんだから相談しているのよ」
「…………」

 紅茶を一口飲みこんだ。

「その人はね、古本屋をやっているんですって。でも、この街に古本屋なんて見たことないでしょ。露木くんが本を知らないんだから。不思議な人でね……何というか。長く話をしたはずなのに、顔も、声も、格好も背丈もあんまり覚えていないの」
「へえ」

 俺と同類だろうか。考える。何か害がある力だったら、対処をしなくてはいけないが。

「明るいねずみ色っぽい人だったかな」
「分からない」

 よく、いい表現を思いついたような顔をしたものだ。彼女はくすくすと笑う。

「どこで聞いたんだろうね。樹にしか話したことがないのに」

 それなら樹が、と言おうと思ったが。

「樹は他の人に言ったりしないと思うよ」先回りをされてしまった。
「そうか。……その、本にするか迷っていると?」
「うん。あんまり信頼できるような人じゃなさそうだし……どうしよう」

 また、ため息を吐いた。

「オハナシを人に……何と言うんだ? 聞いてもらいたい、という気持ちはあるのか」
「それが、あんまり。でも、とてもいい作品だからって言うのね。本当にどこで聞いたのか」

 考えて、いや、深く考えるまでもなく、俺は答えを出した。

「やめておいたほうがいいんじゃないか」
「どうして?」
「信頼できないのなら。それに、そのオハナシは音無と樹の物だろ。その間に他人が入る必要はない」
「そう。……そうよね」

 音無の声には少し、決意の色が見えた。少し、安心する。危険な橋を渡られては俺の気苦労が増えるのだ。

「断ることにする。だってこの話は、私と樹と、それから露木くんのものだもんね」
「え?」
「露木くんにも、話してあげたいから」

 照れの混じった笑顔だった。

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