ダーク・ファンタジー小説
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- アビスの流れ星【完結】
- 日時: 2018/03/11 22:01
- 名前: Viridis ◆vcRbhehpKE (ID: vGcQ1grn)
♪
過去を振り返れば何もなく、現在に累々と折り重なるは屍の山。
それでも未来を見据え、撃鉄に指をかけ、握り締めた刃を振り下ろす。
生きるため生まれて来た若人たちの瞳には、流星のように儚く、そして力強い光が揺れていた。
——これは記憶喪失の少女にまつわる、鮮烈な闘いの記録である。
♪
■登場人物
>>2
□本編
◇1章「後ろから墓標が追い立てる」>>1 >>3 >>6 >>7 >>8 >>9 >>10 >>11 >>12
◇幕間「フミヤの日記・1」>>13
◇2章「飛体撃ち抜き、額穿つ」>>14 >>15 >>16 >>17 >>18 >>20
◇幕間「フミヤの日記・2」>>19
◇3章「空から影が降りてきた」>>21 >>22 >>23 >>24 >>25 >>26 >>27 >>28 >>29
◇最終章「Shooting star in "Abyss"」 >>30 >>31 >>32 >>33 >>34 >>35 >>36 >>37 >>38 >>39 >>40
◇Epilogue「誰かが私に『生きろ』と願う」 >>41(2018/3/11 New!!)
■Twitter
◆筆者近況・更新報告など⇒ @viridis_fluvius
◆ハッシュタグ⇒ #アビスの流れ星
お久しぶりです。
以前は「紅蓮の流星」という名前で活動していました。
お陰様で完結まで辿り着きました。万感の思いです。
ひとえに私を支えてくださった諸氏と、ご声援くださった読者の皆様のお陰です。
本当にありがとうございました。
- Re: アビスの流れ星 ( No.34 )
- 日時: 2018/03/02 21:46
- 名前: Viridis ◆vcRbhehpKE (ID: vGcQ1grn)
29
「苦戦しているようだな、スギサキ」
肩越しに俺を見ながら、シドウはそう言った。背中からバハムートの巨大な翼を生やして。翼の根元には、酸素を供給するための装置もついているらしかった。
「お前っ……シドウ、何だその背中のは?」
「これか?」
曰く、少し前に俺が倒したバハムートの翼をそのまま加工したものであるらしい。
完全な空中戦闘用装備らしい。全く新しいタイプの装備なので、今日ようやく完成したのだという話だ。
本当にバハムートの翼をそのまま切り出した形状であり、一人の人間が背負うには些か大きすぎる気もした。
「こんなカタチで役に立つとは思いもしなかったがな」
相も変わらず抜け目が無いというか。
「それで平気なのか?」
「何がだ?」
「バカが……怪我だよ」
何しろコイツは昨日腹に風穴を開けられたのだ。内臓をかなり痛めているため、しばらく戦線復帰は困難だという話も聞いていた。
——実際は、聞くまでも無く平気じゃないことはわかってる。
しかしシドウは平然とした様子で、思い出したように相槌を打った。
「ああ。何、フミヤ如きに付けられた傷で、私がくたばる訳無かろう?」
苦笑がこぼれる。こいつはそういう奴だったっけ。
シドウは真っ黒な空を見上げた。
フミヤはあの一面を覆う黒い雲の中に居るらしい。——アビスと一緒に。
シドウ曰くバハムート程の飛行能力と、酸素と体温を確保するための手段があれば、あの高度まで到達するのは容易い。
となれば、やるべきことは一つだけだ。
「俺も行くよ、シドウ」
「ダメだ」
なぜ、と問う前にシドウは俺の言葉を遮った。
「急ごしらえだからな。生憎と翼は一人分しか無い」
「でも俺を連れて行くことぐらいは……!」
「成層圏とはいえ、かなり上空だ」
幾ら装備があるとはいえ、両脚と左腕に左眼以外は生身の俺が、果たして呼吸も怪しい状況で戦えるのかという話だ。
足を引っ張れば、それこそ最悪だ。
歯を食いしばっていた。武器を握った両手を握り締めた。
けど、だったら。
「……シドウ」
「何だ」
シドウに背を向けて、遠くから迫るレイダーの軍勢を見据える。
「——ここは、俺が引き受けた。アンタらが戻ってくる場所は、俺が守っておいてやる」
今自分に出来ることを、やるしかないじゃないか。
「良いか、アンタが居なくなったらフミヤが悲しむんだ。絶対に2人で戻って来い」
振り向くことはしなかった。
ふん……と鼻で笑って、シドウもまた黒い空を見上げたのが伝わった。
「言われなくても」
大きな旗を振り上げたような音が聞こえた。
きっと翼を広げた音だ。
そして羽ばたく音。突風が俺の背後から吹き荒れて、髪を揺らす。
シドウは真っ黒な空に向かって一直線に飛び立っていった。
自分でも何を言って、何をやってんだと思う。
沢山ヒトが死ぬ原因を作っておきながら、偉そうなことを言って。
軽率な考えでしでかしたことの後始末まで、こうしてシドウに頼ろうとしている。
自分は自分で思っていたよりも、ずっと無力で、無知で、弱い奴だ。
それでも今から償うことは出来るだろうか。
きっとあのクラヴィスには、俺と同じように、たとえみっともなく足掻いたって仲間を失いたくない、そんな奴が他にも沢山居るはずだ。
今までさんざ迷惑をかけっぱなしだった代償、というワケじゃないけど。
仲間の大切さを知ってしまってからというもの、どうにも非情になりきれないらしい。
仲間なんてしがらみは、鬱陶しくて、邪魔臭くて、うるさくて、ばかばかしくて。
そのくせ何よりも心の支えになりやがる。
お陰で、守りたいなんて思ってしまうのだから厄介この上ない。
「全くこれじゃ死ねないよなぁ」
死んだら守れないから。死んだらきっとフミヤは泣くから。
そして同じような繋がりが、この世界中に散らばっている。きっと人間である以上は誰もが、本人が気付いていようといなかろうと、誰もが持っている。
そう考えるだけで、守りたいと思えた。
守りたいと思えるだけで、死にたくないと思えた。
死にたくないと思えるから、今ここで戦える。
「ありがとう、2人とも」
一人呟いて、左眼を覆う包帯をほどいた。風に流されて、包帯は遠くへ飛んでいく。
本来白目であるべき部分が黒で、瞳が蒼いこの瞳。見ただけで異常だとわかってしまうから、隠し続けてきたコンプレックス。けれどもうきっと包帯は必要無い。
サーベル二本と銃を二挺、高く放る。それが回る速度も、迫るレイダー達も、全部が全部遅れて見えた。
銃を一瞬だけキャッチ。引き金を引いてまた放る。次いでサーベルをキャッチ。レイダーの急所を深く切り裂いてまた放る。繰り返す。繰り返す。繰り返す。何度でも。
ここは何があっても俺が守り抜く。だから。
「絶対——戻って来い」
- Re: アビスの流れ星 ( No.35 )
- 日時: 2018/03/05 16:33
- 名前: Viridis ◆vcRbhehpKE (ID: vGcQ1grn)
30
次に意識を取り戻すと、アビスが私の顔を覗き込んでいた。どうやら私は……彼或いは彼女に膝枕されているらしい。
アビスは目を細めて柔らかく微笑んだ。どうやら今まで気を失っていたようだ。
「アビス……私はどのくらいの間気を失っていたの?」
「そんなに長くはないよ」
アビスは穏やかな声で答えた。どういうワケだか落ち着く声だった。
「アビス」
彼、或いは彼女の名前を呼ぶ。私の声も、自分で驚くほど落ち着いた声だった。
彼、或いは彼女が私の生みの親だからだろうか。
「なぁに?」
「アビスは、これから何をするの?」
「地球を食べる」
「……地球を、食べる……」
ゆっくりと反芻して口に出す。
ニュアンスは伝わった。彼或いは彼女にとって惑星は食べ物であり、エネルギー源なのだ。
「ニンゲンのみんなが、ずっとレイダー……僕の分身を殺し続けたお陰で食べるのに手間取っちゃって」
アビスは私の頬に優しくそっと手を添えた。
「そろそろ何か食べないと、本当にもう、死んじゃいそう」
アビスは焦っているらしかった。
彼、或いは彼女多くの星を食べて宇宙を放浪してきた。
だけどこのままでは、他の惑星に飛び移ることも出来ないのだそうだ。
だから食べようとしている。
彼或いは彼女の話では、外では見る見るうちにアビスの黒い星が広がって空を覆っていっているらしい。黒い雲が完璧に地球を覆ったとき、地球はアビスに取り込まれてしまうのだそうだ。
当然みんな死ぬ。死んでアビスの一部になる。
「大丈夫、フミヤは生かしておいてあげる。ずっと一緒だよ」
「アビス」
「なぁに、フミヤ?」
——アビスを押し倒して、その細い首を思い切り絞める。
だけどアビスは涼しい顔をして、だけど無表情で、静かに私に問いかけた。
「フミヤ、何のつもり?」
「ごめんねアビス。私……今から裏切る」
ぽん、とアビスが軽く床をはたいた。
嫌な予感がしたので考えるより先に全力で飛び退く。
案の定、先程まで私が居た場所貫くように白い槍が床から生えた。
アビスはゆっくり立ち上がった。それから真っ黒な瞳で私を見据える。彼或いは彼女はそのまま私から目を逸らさずに指を鳴らした。
鉄が鉄を打つような音が幾つも重なって響くと同時に、周りの景色が一変した。白い槍が縦横無尽に足元も、壁も上の方も走り回って辺りを覆って、アビスが立っていた場所が大きく隆起する。
アビスは静かに私を見下ろして、私もまたその視線に応じる。
「アビス……私は君を殺すよ」
軽く念じると私の右腕は、銀色の刃が生えた、化け物の腕に変わった。
確かに私は、レイダー……化け物で、悪魔なのだろう。
私のせいでたくさんのヒトが死んでしまったのも事実なのだろう。
きっと私は沢山の不幸を振り撒いてきたのだろう。
だけど——。
「地球を守りたいの?」
眉一つ動かさずに繰り出されたアビスの問いに、私は黙って頷いた。
「どうして? フミヤはレイダーなのに。何でニンゲンの味方をするの?」
「違うよ」
アビスは、目を丸くした。
確かに私はアイツから生まれたレイダーだ。化け物だ。
でも。
アイカワさん達と過ごしたあの日の私は。
シドウさんとスギサキと空を眺めたあの日の私は。
シドウさんとスギサキのじゃれ合いを苦笑いしながら見守っていたあの日の私は。
一緒にご飯を食べて、シドウさんの食べる量に呆然としていた私は。
スギサキと一緒にシドウさんにイタズラしてやろうと企んでいたあの日の私は。
実行直前にバレて結局スギサキと一緒にこってりしぼられたあの日の私は。
シドウさんのハードすぎるトレーニングに音を上げていたあの日の私は。
3人で空を見上げて、ずっと一緒に居られますようにと——流れ星に祈ったあの日の私は。
数え切れない、沢山の思い出の数々を日記に記した私は。
あの二人を、あの居場所をこんなにも愛おしく思っている私は。
あの二人から、たくさんの大切なものを貰った私は。
沢山の思い出をくれたあの場所を守りたいと思っている私は、誰に何と呼ばれたって——!
「——私は『人間』だ! フミヤっていう、一人の人間なんだ!」
白い槍が埋め尽くす空間の中で、私は叩きつけるように思いを吐き出した。
アビスは笑いも驚きもしなかった。
ただ私の叫びを静かに聞いた。少し寂しそうな表情を浮かべて、ただ一言。
「そう」
白い槍の海が蠢く。
「でも……僕も死にたくないから」
それから、足元が爆発した。
正確には違う。
大量の槍が足元から飛び出したのだ。幸い咄嗟に飛び退いて直撃は免れた。しかし衝撃で吹っ飛ぶ。宙に浮いた私の体を、もう一本の槍が勢い良くしなって鞭のように叩く。壁まで吹っ飛ばされて叩きつけられる。
呼吸が一瞬止まった。内臓が喉元までせりあがってきたような感覚。
見開かれた視界に槍が鋭く迫る。私を仕留めようと。
おそらく槍が私を貫くのは一瞬。
身体は動かない。
しまった……と思ったとき——。
——視界の端の壁が砕けて穴が空く。
横合いから回転を加えた漆黒と真紅の何かが飛び出す。そして槍の束を弾いた。
真紅の何かは頭髪。漆黒の何かはコート。そして大きな翼が生えている。
その顔は見覚えがある。その顔を見ただけで胸の奥に熱いものが走った。
「おや——足場があるのか。これは好都合だ」
シドウさんは、にやりと口の端を歪めて言った。
- Re: アビスの流れ星 ( No.36 )
- 日時: 2018/03/06 18:44
- 名前: Viridis ◆vcRbhehpKE (ID: CjSVzq4t)
31
「シドウさん!」
彼がぶち割ってポッカリと空いた穴からは、真っ黒な闇が覗いている。
白い欠片が散る中、白い空間に彼は降り立った。
その背には黒く大きな翼。つい最近似たようなものを見た気がする。スギサキが仕留めたバハムートの翼だ。確か使い物にならなくまでボロボロになっていたはずだけど。
「ふむ」
彼は辺りを一瞥すると、ひとつ鼻を鳴らした。
「ここまで到達するのに数分か。性能は上々のようだ」
「な、なんで……ここに……」
確かにあの時、彼は重傷を負ったはずだ。
アビスの話だと、それからまだ三日も経っていない。
「まるで来て欲しくなかったような言い草だな」
「そういうワケでは……!」
むしろ、どれだけ心配したか。どれだけその声を聴きたかったか。どれだけその姿を見たかったか。どれだけ会いたかったか。
その頼もしい背中を、その落ち着いた声を、どれだけ待ち侘びたか。
「フン、あの程度でこの私がくたばるかと思ったか。真紅の流星をなめるな」
彼が傲岸不遜に放った言葉に、思わず涙が溢れそうになって、呑み込む。
また助けに来てくれた。
「大体、あの程度の槍の束で苦戦を強いられるとは情けない」
「えっ」
「あれだけ訓練をつけてやったのに相変わらず実戦で活かせていないな。あの程度いなして距離を詰めるくらいは……」
「あっ……あれでも必死だったんですよ!? 大体あなたを基準にするのが間違いですから!」
ちょっとだけかっこいいって思ったのに台無しだ。ちょっとだけ。
「……さて」
シドウさんが視線で前方を促す。
白い槍で敷き詰められた空間の向こう側で、高台に座ってこちらを見下ろしているそいつを見据えた。
アビスはにこりと笑いかけていた。
「まさかここまでたどり着くなんてね、シドウ」
「予想外だったか?」
「いや。何らかの手段を講じて、結局は僕の許へ来るだろうなとは思っていたよ。だからこそ君を殺そうと仕向けた」
「だが現に私はここに居る」
「そうだね。でも立っているのもやっとなんでしょ?」
「……どうだか」
シドウさんは強がっては見せるけど、辛そうなのは私の目から見ても明らかだ。
顔色が悪く、息切れしているようにも見える。
「余計な心配はするなよ、フミヤ」
彼は言った。
「早く終わらせて帰れば問題ない」
「……そうですね」
私は右腕の銀色の刃を、シドウさんは両方の手に持ったサーベルを構える。
「言ってくれるね」
でも、と言いながらアビスは手刀で空を切る。白銀の槍の海から一本、槍が鋭く突き出してシドウさんめがけて迫る。
一閃。
相変わらずの目にも留まらぬ速さで、彼は一撃を弾いて砕いた。
「でも、僕も死ぬ気は無いから」
槍の海が蠢く。
アビスがまた無表情になって、その目つきが変わった。
「フミヤ」
「はい、シドウさん」
私と彼は背中合わせで、にじり寄る無数の槍と対峙する。
「今は地上もひどい有様でな。スギサキが頑張ってくれている」
「では、急がないといけませんね」
「その通りだ」
槍の海がはじけた。
一斉に襲い掛かった槍の束を、刃を振るって迎え撃つ。
「死ぬなよ」
「お互い様です!」
アビスが腰をかけている高台に向かって駆け出す。
何本も襲い来る槍の雨。一つでも喰らえば終わり。隙間を掻い潜って。弾いて。いなして。コンマ一秒毎にぐるぐる切り替わる視界。夢幻の中にいるような感覚。恐怖はきっと麻痺している。
しかし巨大な白銀が突如目の前を遮った。一際大きな槍が先ほど私を吹っ飛ばしたようにしなりをつけて迫ってきたのである。
咄嗟に跳んで避ける。その先に何本もの槍が待ち構えていた。目を見開く。
横合いから飛び出した黒い影に抱きかかえられて事なきを得る。シドウさんだった。
槍をよけて、再度空間の一角に降り立つ。
まだアビスは遠い。
「ごめんなさい、シドウさん」
「構わん」
言いながらも視線はアビスを見据えたまま。
アビスは依然として余裕の態度を崩さない。
でもシドウさんと二人ならたどり着けなくはない。
アビスを倒して、私は帰るんだ。
そうしてまた、今度はアビスの黒い星が消え失せた星空をみんなで見上げよう。今度こそずっと一緒に。
ずっと私はレイダーと戦い続けていくのかと思っていた。
だけどいま、目の前の奴を倒せば全て終わる。
そう思うと、強い希望が持てた。
「確かに強いね」
しかしアビスは言う。
「特にシドウ。君なんてスギサキともフミヤとも違って、正真正銘ただの人間のはずなのに」
だけど、と一息おいて。
アビスは手をシドウさんに向かってかざした。
シドウさんは目を細めて構え直す。
アビスの、かざした手のひらが返され、握り締められて——。
——ガラスが割れるような音が響いて、シドウさんの装備が砕け散った。
彼の目が見開かれ、アビスは口元を歪める。
装備が無い状態の人間は、レイダーに対して無力に等しい。それはクラヴィス隊員に限らず誰もが知っている、周知の事実だった。
- Re: アビスの流れ星 ( No.37 )
- 日時: 2018/03/07 12:55
- 名前: Viridis ◆vcRbhehpKE (ID: .0wZXXt6)
32
目を疑った。
攻撃を受けた訳でもない。手入れを怠っていたなど私に限ってありえない。どこかに不備があった覚えも無い。
それでも私の装備は、アビスの簡単な挙動ひとつだけで粉砕された。
アビスは口の両端を吊り上げて嗤った。瞳は相変わらず深い闇を湛えている。
しかし明確な、突き刺さるほどの悪寒を全身に浴びた。
「フミヤ、避けろ!」
フミヤは咄嗟に反応する。私自身も全力でその場から飛び退く。
一瞬前まで自らが立ち尽くしていた場所に、白い槍の雨が殺到する。
右脚に激痛が走った。
避け切れなかった。右脚の裾が避け、肉が深く抉られる。激痛に思わず少し表情が歪む。
「シドウさんッ!」
「私は良い! 敵から目を逸らすな!」
フミヤの声に応える。
「大丈夫、フミヤを殺すつもりは無いよ」
アビスの声が聞こえた。
「尤も、シドウ。君はあまりに危険だから死んで貰うけど」
そう言い放って白い少年は両手を広げた。
凄まじい音が連続して響いて世界を埋め尽くす。しかし音が止んで、辺りが冷え切ったような静けさに包まれるまでは数十秒もかからなかった。
その静寂は、仲間が死に、レイダーも殺し終えた後にやってくるそれに似ていた。
私は無数の槍に四方八方を囲まれている。数え切れないほどの穂先が全て私に向いている。
避けるビジョンが浮かばない。私はこのとき、きっと死という概念を漠然と理解した。
フミヤが私の名を呼んだ。絶叫じみた声が耳に焼きつく。
アビスが手を振り下ろすと、全ての槍は私に向かって延びる。
目で追うのがやっとなほどの高速であるはずなのに、目に映る光景の隅から隅までがスローモーションに見える。
数多の鉄骨が重なって落ちるような音と共に、私の感覚は消えていた。
♪
ゆっくりと目を開くと、私はまだ幾本もの白い槍が辺りを覆う空間に居た。その中でも槍の影となっている一角に居るらしい。
どういうコトだ。確かに逃げ場は無かったはず。
「無事みたいですね。よかった……」
掠れた、弱々しい声が聞こえた。声が聞こえたほうに振り向いて、私は心臓を掴まれたような思いを味わう。言葉が咄嗟に出なかった。
横たわるフミヤに、幾本もの槍が突き刺さり貫通していた。
彼女の口からも、傷口からも、赤い血液が溢れ、流れ出している。
「……やっぱり、私は、レイダーだけど……人間だ。だって同じですもん、私の血の色も、大佐の血の色も……」
ちょっとだけ安心した、と言って彼女ははにかんだ。
それから大きく咳き込んで、血の塊を吐き出す。量は致命的だった。
「フミヤ……ッ!」
彼女に駆け寄って抱きかかえる。
幾ら彼女の身体が頑丈といえど、あまりにも凄惨な様相だ。
「クソッ……待ってろ、何とかすぐ帰還する手段を講ずる」
「ダメです」
浅い呼吸で、彼女は声を振り絞る。
「大佐なら……解るでしょ? それまで私の身体は保たない……」
それにアビスがみすみす逃がすとも思えない、と付け加えた。
「だが、このままでは!」
逸るあまり声を荒げる私を、フミヤは弱々しく指をひとつ立てて制する。
「ひとつだけ、地球も……貴方も、助かる方法が……アビスを倒せるかもしれない方法があります」
彼女は苦痛に顔をゆがめながらも、何とか微笑もうとした。
逆に見ていて痛ましい。何度も繰り返してきた仲間の喪失に慣れてなど居ないのだと思い知る。巨大な恐怖が眼前に迫っている。
フミヤを抱く指先は、縋るように力がこもっている。
「私は、化けることに特化したレイダーです。だからずっと、クラヴィスの面々を欺いて、人間でいることが出来ました……」
だから、と一息置いて言う。
——それは私ですら思い付きもしない、最悪の決断だった。
「バカか! そんなこと、出来るわけないだろう!」
「私はっ……」
フミヤは咳き込みながらも、なんとか言葉を絞り出そうとする。
その瞳はあまりに真剣で、思わず口を挟む事が躊躇われた。
彼女は息も絶え絶えに語る。
この世界で生きることの苦痛を。仲間達と何度も死に別れた悪夢の日々を。呵責に囚われ続けた牢獄のような毎日を。
その中で私たちと出会い、そして過ごした日々を。
彼女は途切れ途切れになりながらも語る。
それがどれだけ満たされた日々だったか。どれだけ救われたか。どれだけ愛しい時間だったか。
「……私の世界は、充分救われましたから」
彼女の目は、どこかずっと遠くを見据えていた。
やがてその瞳を私に向けた。どこまでも透き通った青空のように、綺麗な蒼い瞳。
なんと言う皮肉か、瞳孔の深い闇は、まるで青空に浮かぶアビスの黒い星を思わせた。
「大佐もスギサキも、大好きです。愛しています。だから……貴方が生きるこの世界を、今度は私に救わせてください」
気付けば私の頬を、一筋の熱い雫が伝っていた。
「やっと、泣かせることが出来た……」
「五月蝿い」
フミヤは目を細めて、また微笑む。
胸が擦り切れて千切れそうな程に愛しい笑みだった。
- Re: アビスの流れ星 ( No.38 )
- 日時: 2018/03/08 19:19
- 名前: Viridis ◆vcRbhehpKE (ID: sRcORO2Q)
33
槍の影に姿を隠していたであろうシドウは、予想より早く僕の前に姿を現した。
見つからなければこの空間ごとひっくり返して、無理にでも見つけ出すつもりだったけれど。
手間が省けてよかったと思う。彼らを圧倒するには充分すぎるといえ、今の僕には殆ど余力も時間も残されていないから。
「逃げないんだね、シドウ」
少し遠くに立っている彼は、コートの下に、どこから取り出したのか黒地に青と銀のラインが入った装備を身に纏っている。
馬鹿だなあ。
僕は全てのレイダーの生みの親であり、全てのレイダーを統べるアビスそのもの。
僕の前では、僕達から切り出された装備など無意味だって、さっき体験させてあげたばかりなのに。
彼に向かって手をかざす。開いた手の平を強く握る。それで彼が纏う装備は粉砕される筈だった。
彼の動きが強張る。その辺りで僕は異変に気付く。
なぜすぐに壊れない。
火花が散るような音が響いて、ついぞ僕が加えた力は逆に弾かれた。
どういうことだと面を喰らった僕は、遅れてもうひとつの異変に気付く。
「シドウ……フミヤはどこ?」
シドウは泣いていた。
口を真横一文字に結んで、凛々しく、気高い面持ちで、鋭く光をたたえた赤い眼光で真っ直ぐに僕を見据えながらも、その頬に涙を伝わせていた。
「シドウッ!」
今更ながら、対レイダー用の装備はレイダーの亡骸で生成される。
なんというコトだ。この男は。
違う——。
——フミヤは自分自身を、彼が纏う為の装備へと変えたのだ。
人間の強い意思は、それらの兵装に影響を及ぼすことがある。
いつぞやフミヤを通して聴いた仮説を思い出す。きっと僕の支配を弾き返したのは、彼の……もとい彼らの強い意思によるものだと理解する。
思えばそうだった。喩え何人喰い散らかしても、喩えどんなレイダーを送り込んでも、ずっとずっと、彼ら人間の意志だけは僕の思い通りにならなかった。
それどころか僕に影響を与えつつある。
「アビス」
シドウが静かに僕の名前を呼んだ。
悠久の時、大宇宙を彷徨って、ようやく僕がこの星で得た、僕に対する呼び名を。
僕を呼ぶ声は、静かで良く通る落ち着いた声だった。
「貴様は……本当は人間に惹かれていたのだろう」
シドウは真っ直ぐに僕を見て、真正面から問いかける。
きっと彼は薄々気付いていたのだ。
「だから今の今まで地球を捕食することを躊躇っていたのではないか? 本当は止めて欲しかったのではないか?」
まったく、彼はどこまでも真っ直ぐに問いかけてくる。
ずっとずっと昔から彷徨い続け、初めてこの惑星に辿り着いて、数十年もの間、君達人間の意志を、君達人間の想いを、喜怒哀楽を、笑顔を、日々を観察し続けてきた僕に。
それはあまりにも残酷すぎる問いだ。
「聞いたところで……どうにもならないのはわかってるくせに」
僕は上手く笑顔を作ることが出来ただろうか。
どうにもならないのは事実だ。この惑星を食べなければ、僕はここで死ぬ。
だけど僕の目的はずっと変わらない。変わっていない。ただ生きることだ。
シドウは目を伏せて「そうだな」と短く答えるだけだった。それから手の平で自分の涙を拭う。
もう一度顔を上げた彼は、とても強い眼差しで僕と向き合った。
その顔だ。
その瞳だ。
その意思だ。
仲間のためなら、仲間の遺志を継ぐためなら、仲間の想いを繋ぐためなら、何度折れようが立ち上がる。
僕は確かに、人間のしなやかな強さと優しさに憧れた。
だから僕はフミヤを作った。
君をこの惑星に放ったのは、僕は感情というものをよく知らないから、彼らに育ててもらうつもりだった。きっとフミヤを通して彼らに触れてみたかった。
そしてフミヤ……君はそちらを選ぶんだね。
「だけど……僕も死ぬつもりはないよ」
背から白い槍をありったけ生やす。いつぞやフミヤを介して覗いた文献で見た、人々の上で君臨するあれらのように。
こんな翼を生やした人型の類を、君たち人間は天使や神と呼ぶのだろう。
大きな翼の威圧にも、鳴り響いて折り重なる槍の轟音にも怖じることなく、シドウは彼岸花のように紅い一対の刃を構えた。
「生憎……私『達』もだ」
彼はそれだけ言った。
皮肉なものだと思う。
僕が喋って君が応える。人の言う幸せがどんなものかは解らないけど、僕はそれだけのことで、今、確かに満たされていた。
白銀の空間の隅まで行き渡った静寂の中で、僕と彼は対峙する。らしくもない感傷に浸る時間は終わろうとしている。
さあ人間達よ——生存競争を始めよう。