ダーク・ファンタジー小説

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アビスの流れ星【完結】
日時: 2018/03/11 22:01
名前: Viridis ◆vcRbhehpKE (ID: vGcQ1grn)





過去を振り返れば何もなく、現在に累々と折り重なるは屍の山。
それでも未来を見据え、撃鉄に指をかけ、握り締めた刃を振り下ろす。
生きるため生まれて来た若人たちの瞳には、流星のように儚く、そして力強い光が揺れていた。

——これは記憶喪失の少女にまつわる、鮮烈な闘いの記録である。





■登場人物
>>2

□本編 
◇1章「後ろから墓標が追い立てる」>>1 >>3 >>6 >>7 >>8 >>9 >>10 >>11 >>12
◇幕間「フミヤの日記・1」>>13
◇2章「飛体撃ち抜き、額穿つ」>>14 >>15 >>16 >>17 >>18 >>20
◇幕間「フミヤの日記・2」>>19
◇3章「空から影が降りてきた」>>21 >>22 >>23 >>24 >>25 >>26 >>27 >>28 >>29
◇最終章「Shooting star in "Abyss"」 >>30 >>31 >>32 >>33 >>34 >>35 >>36 >>37 >>38 >>39 >>40
◇Epilogue「誰かが私に『生きろ』と願う」 >>41(2018/3/11 New!!)


■Twitter
◆筆者近況・更新報告など⇒ @viridis_fluvius
◆ハッシュタグ⇒ #アビスの流れ星

お久しぶりです。
以前は「紅蓮の流星」という名前で活動していました。

お陰様で完結まで辿り着きました。万感の思いです。
ひとえに私を支えてくださった諸氏と、ご声援くださった読者の皆様のお陰です。
本当にありがとうございました。

Re: アビスの流れ星 ( No.24 )
日時: 2018/02/20 20:08
名前: Viridis ◆vcRbhehpKE (ID: vGcQ1grn)




19



 羨み。妬み。嫉み。僻み。偏見。虚言。差別。孤立。エトセトラ。エトセトラ。エトセトラ。
 五年前に事故で家族と両脚と左腕、左目を失って、身体の半分を化け物に挿げ替えて、自在に動かせるようになるまで血反吐を吐いて這い蹲って立ち上がってからというもの、俺は思いつく限り人間の暗黒面を一身に受けてきた。
 生き延びる、ただそれだけを念頭に戦い続けてきた結果は、自分以外の、いわゆる普通のスペックの隊員達の死。それから自分への責任転嫁。
 だからだろうか。人間と言うものが灰色の石像に見える分、特にレイダーに対しても何ら憎しみを感じることもなかった。或いは、最初っから殺意剥き出しで襲い掛かってくる彼らのほうが素直なのかもしれない。こっちも問答無用で殺していいから助かる。
 アイカワは唯一、心の壁という隔てをあっさりぶち壊し、俺に歩み寄ってきた人間だった。彼に対する信頼からなのか、彼の部下達も俺の孤立を気に留める様子は無かった。
 彼らの死までも自分のせいにされても困るから、相変わらず任務は一人でこなしていたが。
 そして——それはある日のことだった。
 任務を終え、包帯を巻き直し周りを見渡してみたところ、何かの気配を覚えた。
 5年も戦い続けていると、そういうものは直感で悟れるようになる。
 無論確証はないからと、包帯を巻いたままだった。ビルとビルの間を、足音を立てずに歩く。気配の方向へ行くと人間の死体の山。
 まず居住区でもないはずのそこで、それだけの数の人間が死んでいることにも驚いたが、視線は何より満月を背にして頂点に佇む影に釘付けだった。
 新種だろうか。人のような狼のような、腕から刃の生えた白銀のレイダーの姿があった。
 その頃、既にコードネーム持ちを一体……ナーガというレイダーを倒した経験のあった頃だった。そして、その白銀のレイダーは、ナーガと並ぶ雰囲気を纏っているように思った。
 強い——それも相当に。直感した。
 当然のごとく臨戦態勢をとる。
 討伐する自信はあった。
 しかし、その後に起こった事態は想像もつかなかった。
 砂塵が巻き起こって、レイダーを取り巻くように風の渦。突風。視界が狭まって、それでも視界から奴を捉え逃がさないようにと薄目を開けている。
 小さな疾風の嵐は、辺りに浸透して。
 風が鳴り止んだ頃、死体の山の上に立っていたのは、レイダーではなく一人の少女だった。
 灰色の髪で、水色の瞳の。
 少女は黒いパーカーと黒いショートパンツを着用しているという風貌。黒いブーツを穿いていた。
 彼女はしばらくの間、呆然と空を眺めていた。
 こちらにも気付かず、ただ呆然と。視線の先にはアビス。まるでその奥に潜む何かをじっと見つめるように。
 表情には、恐ろしいまでに何も映し出されていなかった。

「おい」

 声をかける。返事と反応は無い。

「おい」

 声量を上げてもう一度。だが、返事と反応は無い。

「おいっ!」
「うぇえ!?」

 無視していたわけではなく、本当に聞こえていなかったようだ。
 呆然としていたようだ。いきなり声をかけられて驚いた、という風に、少女は少し飛び退きながらようやっと俺の方を向いた。

「え、えぇと……ドチラサマデスカ?」
「それはこっちの台詞だ。何者だ、お前」
「え、あ、わ、私?」

 私は……といいかけて、少女は口をつぐむ。

「……誰でしょう?」
「フザけてんのか?」
「わっ、ちょ、まっ。ちがっ、違います!」

 構えた銃口の先を彼女から逸らさないまま、次の言動を待つ。

「その、分からないというか」

 嘘を言っている目じゃない。というか初対面だが、はっきり言って嘘をつけるような人種……いや、レイダーに見えないというか。
 化け物たる彼女は、しかし動揺して怯えた目つきで俺の様子を伺っている。
 しかし、そのとき、俺はもう、引き金を引けるような気がしなかった。正直なところ、嘘をついているかもどうでも良かった。

 こいつは……俺と同じ化け物で、俺と同じ人間だ。

 元よりレイダーに嫌悪感を感じなかった所為なのか、殺す気は失せていた。
 服の胸元に埋め込まれているマイクに向かって、言う。

「こちらスギサキ。少女を一名保護した」

 端的に言えば興味を持った。目の前で、人間に化けて見せたレイダーに。
 以上が、俺が彼女をクラヴィスに匿った経緯である。
 それから程なくして、俺はオーストラリアに派遣され、更にその半年後にアイカワが死んだと報告を受けて日本へとんぼ返りする。
 まさか突き詰めればそれがフミヤと、彼女を連れ込んだ俺の所為になるとは思わなかったが。
 何しろフミヤが屋上で、ようやく居場所が出来たと言ってくれたあの日——俺も同じ事を思ったのだから。死んでも口に出して言ってやりはしないけど。
 俺と同じのフミヤ、簡単にくたばるとは思えないシドウ。
 ようやく信頼できる奴らに巡り会えただなんて。



Re: アビスの流れ星 ( No.25 )
日時: 2018/02/21 20:10
名前: Viridis ◆vcRbhehpKE (ID: vGcQ1grn)




20



 訓練や喧嘩のたびに刃を重ねた。
 当然ながら、アレはじゃれ合いだったのだと再認識する。

「……チッ!」

 左右右下左突突右左上右下突右右突右下十字。
 目も眩む二刀はかつて赴いた北方のブリザードを想起させる。いっそブリザードならマシだったろう。
 自然に殺意は存在しない。しかし目の前の男は間違いなく俺に殺意を向けて手数を繰り出す。
 廊下を押し切られてゆく。上下左右の逃げ場は無い。フィールドが悪い。
 益してや相手はシドウ。剣術だけであれば向こうが上手など知っている。
 ならば弾丸で撃ちきれば良いと思えど、引き金すらも引かせないと言わんばかり。
 一刀流だけで受けていれば刃吹雪に呑み込まれるのは道理。
 見ろ俺の頬に赤い一筋がまたひとつ。二の腕にまたひとつ。
 自身の首に入ろうとした一閃を受ける。読まれていた。
 無意識の呻き声が出た。全身を後ろへ引っ張られる感覚がしてから気付く。
 腹部を思い切り蹴り飛ばされた。
 バウンド。一転。二転三転。受身を取って両肘と両脚で廊下について。

「やはり手加減は慣れん。難しいな」

 今ので加減してたってか、ふざけんじゃねえ。言ってやりたいが、一言分の体力も勿体無い。
 シドウは右手のサーベルをきりきりと回して、ひゅんとひとつ風を切る。それから両の腕をぶらさげて、軍靴を鳴らしこちらへ。
 余裕綽々め。
 しかし充分に距離を取れた。思いがけず大チャンス到来。ざっとアイツが大股で踏み込んで十歩分。それだけあれば、引き金を引く前に銃身ごと貫くなんて芸当は出来ない、させない。
 手首を回す。コツは知っている。わざわざ前倣えする必要なんてない。そのまま軽い気持ちで引き金を引く。
 機動力を奪えば勝ちは同然。狙うは脚。
 当然シドウは反応する。お得意の投擲も間に合わなかろう。
 駆け出して弾丸を避けながらそいつは迫る。
 その避けるための、時間の隙間を逃がさない。
 もう一挺銃を抜く。
 撃つ。
 撃つ。
 撃つ。
 シドウは避ける。そして俺が思い描いたとおりの俺の正面へ。
 銃を二つとも上に放り上げる。両手に剣。シドウの一撃を受け止める。勢いも相まって重い攻撃を耐え抜いて押し切る。
 珍しく吼えていた。

「ぬ……ッ!?」

 押し切る。
 ここに来て初めて真紅の流星は後ろへよろめいた。単純な力の差であれば身体の一部が化け物な俺のほうが強い。
 反撃の手を緩めない。刹那刹那をここで決めるつもりで一歩。
 銃に持ち替え一射。
 剣に持ち替え一閃。
 銃に持ち替え一撃。
 剣に持ち替え一迅。
 斬る。撃つ。斬る。撃つ。斬って撃って斬って撃って斬って斬って撃って斬って撃って斬って斬って撃って撃って撃って斬って撃って撃って斬って斬って斬って撃って斬って斬って撃って斬って撃って撃って斬って撃って斬って斬って斬って撃って斬って斬って撃って撃って撃って撃って斬って斬って撃って斬って——。
 ——しかし真紅の流星とて伊達ではないらしい。
 弾丸を弾いて切っ先で流して剣戟をいなして鎬で払って。
 思考では到底追いつかない攻防に食い下がっていた。

「上、等ぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおお!」

 上擦った金属音が流水のように響き続ける。弾ける火花。
 サーベルの表面を滑る光は絶えず回る万華鏡の如し。
 小さな小さな笛を鳴らして行き交う自らの浅い呼吸のひとつまでもが、自らの命を繋ぐ手綱だった。
 脚は撒き散らした羽根よりも軽やかに。そして落雷よりも重く。
 考えるより、想うより、ただ眼をしかと開いて鮮烈な光景の全て、たとえ砕け散る鏡の一片までも見逃さないように、時間と空間の概念すらも置き去りにして見据える。
 ただこの両の掌が掴んだ凶器、俺の身を、俺の大切なものを守る道具が、反射と直感と感覚と感性とに合わせて、霹靂と大嵐を巻き起こす、それが今ここにある世界の全てだと、頭の後ろ側の中の、脳の奥の、さらに奥、の奥で把握している。
 自分の世界が自分の両腕の中で暴れていた。正面から見据える相手とぶつけ合う。
 ひとつ閃光が煌いて輝くたび、流れる真紅の星の真っ赤な髪がたゆたった。嵐の流れに逆らわず、ただ流れる。
 鋭い剣の印象を受ける瞳は、深く深く、どこまでも奥深く、そこからどこか遠い場所へ繋がっているかもと思わせるほど、深く紅く。
 死闘。
 しかしとうとう——決定的な瞬間は訪れた。訪れてしまった。
 右脚と左腕を、サーベルが貫通した。
 俺の背の廊下の壁ごと。

「う、げぇっ。っ」

 それから鳩尾に、重い拳。
 サーベルと、銃と、サーベルと、銃が落ちた音。
 ああ、成る程。ダメだったか、と、やけに落ち着いた脳味噌が、ゆっくりと意識を手放していく。

「……にげ、ろ……。フミヤ……」

 掠れる声で絞り出した言葉も、当の本人に聴こえるはずは無く。
 ただ少しの静寂を置いた後、サーベルを二つ拾った軍靴の音と、自分の視界が冷徹に遠ざかった。


Re: アビスの流れ星 ( No.26 )
日時: 2020/06/06 01:55
名前: Viridis ◆vcRbhehpKE (ID: XLtAKk9M)




21



 どうにも、今日は調子がおかしい。
 相手がスギサキとはいえ、アレだけの手数を放って仕留めるまでにこれだけの時間がかかるのは。お互いに手の内を知った相手だから、そういうこともあるのだろうか。
 などということを考えながら屋上までの階段をひとつひとつ踏んでゆく。このあたりは暖房設備が無い。よって、自分の口の端から洩れ出る息が白色を帯びて淡く溶けて消えていく。
 昨日の晩は雪が降っていた。フミヤも、雪を見るのは初めてだとはしゃいで——いや、考えないようにしよう。
 ともかく、今もまだ屋上に雪が降っている可能性はあるし、だとすれば足場は悪いかもしれない。この靴にはそういう為の対策も施されてはいるが、肝に銘じておくべきと判断した。逆に、そういう足場……金属製で平ら、雪で滑りやすくなった足場で戦い慣れていない相手、つまりフミヤならば、それを利用することも出来るやも、とも。
 戦場に限らない。イメージトレーニングは、何かを効率的に進めるうえで大きな効果がある。それは自分の精神状態を安定させる意味合いも兼ねて。近頃は、私たちの装備に私たちの精神が関わっている可能性も示唆されているのだから、なおさらおざなりには出来ない。
 さて。
 ちょうど、屋上の直前に辿り着いたので、その重い扉を開いて、仕事へ。

「シドウさん」

 灰色の髪の少女の姿がそこにあった。タイツを穿いているとはいえ、ショートパンツで寒くないのかといつも疑問に思う。
 雪が視界に白く舞い散る中、彼女の色がやけに鮮明だった。
 少女の姿の……レイダーは、酷く不安げな顔をして、柵を強く握り締めていた。

「あ、のっ、私、レイダーじゃありません!」
「自覚が無かっただけだ」

 事実をそのまま告げる。その際の相手の表情の変化を敢えて思考に入れない。予想はついていた。本当にアビスという星がこいつを送り込んだとして、俺ならばその自覚を本人に与えない。相手を油断させるには効率的だからだ。
 スギサキや私のように。
 それからきっと、フミヤ自身にも予想はついたはずだ。
 本人にしばしば訪れる「ぼうっとしていた時間」——その時間に自分がアビスと交信していた。
 そう考えれば、アイカワ大尉が死んだあの日のことさえも、簡単に説明できてしまうことが。

「自覚無しに災厄を振り撒くのではどうしようもあるまい」

 息を吐いて、両手のサーベルをひとつ回して、両手を広げて構える。

「フミヤ。悪いが、これは任務だ」

 相手の表情を敢えて見ない。あれはレイダーだ。倒すべき相手だ。殺さねば、こちらの誰かが殺されるやも知れぬ。現時点であれを確実に屠れるのは私だけだ。私がやらねばならないのだ。
 これは仕事だ。
 これは仕事だ。
 俺が責任を取らねばならない。
 踏み出した。
 踏みにじった雪が舞っていた。
 斬り付けようとしても、フミヤは必死になって逃げる。トレーニングの成果が出ていることを、喜んでいいのか、嘆いていいのか。
 そういえばレイダーだからなのか、コイツのタフネスには半ば呆れるばかりだった。スギサキは燃費が悪いので、俺よりも体力のあるクラヴィス隊員など初めて見たかもしれん。よくもまあ、あれだけのトレーニングについてきていたものだ。半泣きになりながらも。面白い顔をしていたっけ。
 サーベルを投げつける。ああ、狙いがブレていたな、今のは。外す感覚は極めて久しぶりだが、それでもなんとなく解った。
 それにしてもおかしい。
 フミヤを相手に、これだけ手間取るものだろうか。
 というか、いまいち集中していないように感じるな。
 握ったサーベルに現実味を感じない。
 夢だとでも思いたいのだろうか。
 しかし私の甘えに止めを刺すように、フミヤの右腕は化け物へと変化する。
 ……ああ、そうか。
 装備の性能は、装備者の意思によっても影響を受けることがある、そんな仮説が頭の隅を掠めた。
 それによって、いつもより調子の悪い理由に、ようやく納得が行った。

 ——殺したいワケ無いだろう——。

 レイダーだったとしても、私にとって彼女は彼女だというのに。
 居場所だというのに。
 緩みかけた、サーベルを持つ手を、もう一度握り締める。
 ダメだ。私がやらなければならん。
 他の誰かにこいつが殺されたとなれば、私はそいつを殺しかねない!

 ——スギサキに一撃一撃を繰り出すたびに——。

 感情を振り切れ、置き去りにしろ。私は鬼だ。人の皮を被った冷徹な鬼だ。目の前の化け物は殺さねばならない。目の前の者は化け物だ。化け物だ。言い聞かせろ。自分に言い聞かせろ。気を緩めるな。その瞬間きっと、この脆弱なココロに全てを持っていかれる!

 ——胸の奥が隙間無く締め付けられるような気がした——。

 狙いが微妙にブレる。今打ち込めば倒せ得るだろう相手の隙に本能が反応しない。なぜ俺の腕は言うことを聞かん。なぜ上手く動けない。なぜこうも全身が何かで縛り付けられたように重い。ああ、意思か。

 ——それと同じ痛みを今も感じた——。

 きっと今の私は、泣きそうな顔をしている。
 感情に呑まれる前に、この一息で終わらせようと、踏み込んで。
 サーベルの切っ先は、ぴたりと、彼女の咽の直前で止まってしまった。
 それからフミヤの右腕が、私を貫いて、


Re: アビスの流れ星 ( No.27 )
日時: 2018/02/23 18:39
名前: Viridis ◆vcRbhehpKE (ID: rRbNISg3)



22



 自分の咳に、骨の髄から揺さぶられた感覚を味わう。何かと思えば自分は血を吐いていたのだった。
 しばし呆然とするも、状況を飲み込むのは簡単だった。
 私はフミヤに刺されたのだ。
 あまり痛みは感じない。ついでに寒さも。ただ寄りかかってフミヤに触れた部分が、妙に温かく、心地よく感じる。
 寝起きのような、どこか世界が遠く感じられるような漠然とした意識の中、サーベルを手から取り落としたような気がした。
 音は入ってこなかった。
 情けないざまだと思う。生きろと命令しておいて、殺そうとして、この有様で。
 呼吸する。息を吸おうとすると、喉のおくが分厚い鋼鉄に阻まれたかのように詰まった。
 それでも、これだけは言わなければいけない気がした。

「生き延びてくれ、フミヤ」

 世界が傾く。
 それから私は崩れ落ちた。







 未だ痛む腹を押さえながら辿り着いた屋上で見たのは、美しい銀世界と、それを彩る黒い二人と、染みて広がる赤。我が目を疑った。
 簡潔に言えば、雪が降る屋上の中で、フミヤは化け物みたいになった右腕を血に染めたまま呆然と立っている。シドウはその足元で血に沈んでぶっ倒れていた。
 信じられない光景だが、予感はあった。さっき奴が俺と戦っているときから。そして、俺の義手義足を磔にして気絶させるだけ、なんて甘い手段をとった時点で。
 見たくも無かったけれど。
 どちらの名前を呼ぶことすら出来ず、ただ絶句した。
 ほんのちょっとこの場所に居たいと思っただけで。
 なぜ?
 どうして?
 なんでこうなる?
 何か悪いことでもしたか俺たちは。
 ココロの内で狂おしく叩きつけられるように暴れまわる叫びに、しかし回答を下してくれる誰かがこの場所に居るはずも無く。
 視界に立っているフミヤは、空を見上げていた。
 彼女の視線の先は一面の雲、おそらくその向こうにはアビス。

「フミヤ……シドウ……」

 自分でも驚くほど、おぼつかない足取りだった。足を引きずるように一歩を彼女と彼のほうへ踏み出す。
 そのときだった。フミヤの口から酷く平坦で、全く感情のこもっていない声が聞こえたのは。
 後にも先にも、フミヤのそんな声を聴いたのは、それが初めてだった。

「もぉー……いい、よー……」

 次いで腹の底から響いたぞっとする悪寒。
 ——空が裂けて、アビスがのた打ち回った。
 別にアビスという星自体が激しく動き回ったわけではない。本当に空が断裂したわけでもない。
 空一面を覆う雲が、曇りガラスを拭いたように払われた。
 青空に浮かぶ、その漆黒の星の表面の闇が、無数の大蛇が腹を打ち付けて悶え苦しむように蠢いた。
 地の果てから迫るような遠い轟音。足元からムカデが這いずって上ってくるような嫌悪感。
 五感を通して自分に伝わる、ありとあらゆるものが震えている。
 アビスから真っ黒な何かが生えて、あっという間に大きさを増すのが見えた。
 カタチを視認できるようになったのは、かなり大きさを増してから。無数の腕であるらしいものが地上に向かって折り重なって生えてくる。
 腕は目の前の屋上の、フミヤたちより少し離れたところへ到達すると、更に折り重なって、泥の上から泥を被せていくように溜まって。
 大きな真っ黒の水溜りが出来上がった。
 闇の中に蠢くものがひとつ。うずくまった何かの姿。
 うずくまった何かはもぞもぞと立ち上がる。湯船からあがったときに水が身体から落ちるように、闇もぼとぼと落ちていく。
 それは人間の形をしていた。闇が落ちてゆくと同時に、そのヒトが驚くほど白い姿をしていると知った。

「……あぁぁぁぁぁ……、……うん」

 ヒトの姿は小柄、フミヤと同じかそれより少し大きいくらい。顔立ちは端整で、男か女かは見た目で判別できない。
 白いヒトは首を鳴らす。
 ふわりとした髪も、肌までも、雪に溶け込めそうなほどに白かった。
 しかしその瞳は、恐ろしさを覚えるまでに真っ黒で、深く、一切の光を吸い込んでいた。

「おぉ。すげぇー。これが雪かぁ。うん」

 酷い猫背の白いヒトは、舞い散って降る雪のひとつを手にとって子供みたいな声をあげる。

「やっぱ地球、遠くから見たりフミヤ越しで見るより、自分で来て良かったぁ、うん」

 ところどころイントネーションのおかしな話し方。
 やがてそいつは、全てに呆気をとられている俺を見つける。

「ぬぬ? ぬ、ぬぬぬ? あー、スギサキじゃーん」

 何で俺の名前を知っているのか、とか、疑問を抱く余裕も無かった。

「ちゃんと聞いてる? はな、し方これで間違ってないと思う、けどなーぁ? あーぁ、そっかー、僕はキミタチ知ってるけど、キミタチは僕知らないもんなー」

 ぱちゃりと闇の水溜りを踏む音。小柄で細身の白い、端整な顔立ちの少年は俺に向き直って、腰の辺りで両手を広げて、その名を名乗った。
 数十年前から俺達全人類が憎んで、恐れてきた名を。



「——はじめまして。僕の名前はアビス」


Re: アビスの流れ星 ( No.28 )
日時: 2018/02/24 18:46
名前: Viridis ◆vcRbhehpKE (ID: uFFylp.1)




23



「キミタチが、僕のことをそう呼んでるー、ってだけなんだけどねー」

 えへへ、と苦笑しながら白い——アビスと名乗る少年、あるいは少女が言った。
 雪に染み込んでいくように、彼の、または彼女の足元の闇の水溜りが溶けていく。

「んっとー、スギサキ」

 名前を呼ばれて思わず身構える。

「それから、シドウ」

 フミヤの足元で倒れているシドウの名前も呼ぶ。しかし返事は無い。
 フミヤは呆然としてアビスの方を見ていた。時折見せる、ぼうっとしている時と同じく、口を半分開いた無表情だった。

「フミヤにお世話焼いてくれて、ありがとねー。フミヤすっごく嬉しかったみたいだよ」
「なんでお前がそんなことを?」
「言ってるのかって意味? 知ってるのかって意味?」

 どっちでもいいけどー、と語尾を延ばして。

「僕が、フミヤを作ったから。あとは言わなくてもわかるよね?」

 つまり、フミヤを通して俺達を監視していたのも、フミヤを俺達の元へ送り込んだのも、コイツ。
 嘘だと疑う余地はない。先程コイツが、アビスから降りてきたのは見ていたのだから。
 つまり。

「……本当に、お前がアビスの黒い星そのもの……?」
「さっきから、そうだって言ってるじゃーん」

 もう一度苦笑。アビスはまるで、友人に冗談を言われてへらりと返す風に肯定した。

「ありがとうね、スギサキ。僕の思ったとおり、君はフミヤをクラヴィスまで運び込んでくれた」

 歯噛みする。
 最初から俺はコイツの掌の上だったそうだ。

「それに比べて……あっちに転がってるシドウの厄介ときたら。掃除するのにこんなにかかっちゃうなんて」

 ケルベロスとか、結構お気に入りだったのにあっさり倒しちゃうんだもん、とか言いながら。

「あ、そうそう! 凄かったよ、キミタチがカトブレパス倒したとき! 僕まで見てて楽しくなっちゃった!」
「それで」

 悪気など一片もない様子でアビスは首を傾げる。

「お前は何しに来たんだ」
「フミヤを回収しに」

 にこりと微笑み続けているアビス。その顔立ちだけ見れば、まるで陶磁器で造られた人形のように整っている。
 しかし瞳はどこまでも深く黒く——気分が胡乱になってしまいそうな妖しさを秘めていた。

「回収ってのは?」
「僕はこれからこの星を食べるから、先にフミヤは持ち帰っておかないと、一緒に食べちゃうでしょ?」
「……は?」

 今、なんつった?
 俺がそう問おうとしたのを見透かしたように、アビスは口角を歪めて、一層笑みを濃くした。
 綺麗で、美しくて、身震いする程おぞましい笑顔。

「——もう一度言うね。僕はこれからキミタチの星を食べる」

 無数の雷が落ちたような轟音。
 足元が崩れたかと思うほどの大きな震動に倒れ込みかける。不意に空を見上げた。アビスの黒い星の輪郭が崩れて、どんどんその大きさを増して行く。
 空が食われてゆく。黒い星に。青空が黒に染まっていく。

「スギサキはフミヤに優しくしてくれたから教えてあげるね!」

 激しい震動の中、アビスの声を聞いた。

「レイダーをたくさん送り込んでたくさん人を食べたのは、この星を食べるためのエネルギーを溜めるため!」

 空の闇はみるみる広がってゆく。

「フミヤを君たちの元へ送り込んだのは、より少ないレイダーで、よりたくさんキミタチを食べるため!」

 轟音は、まるでいつぞやのカトブレパスが群れでも成して啼いているかのような。

「だから僕にとって、クラヴィス、キミタチは厄介だったよ! 僕のレイダーをたくさん殺してしまうから! 特にシドウとスギサキ、君はね!」

 空が黒く染まった。
 天蓋となって一面を覆う闇の中に、何かが犇いている。

「でももうシドウは倒れて、君は人間を守ろうという気なんてさらさら無い!」

 気が付くと、目の前にアビスの姿があった。心臓が口から出そうになる。しかし武器を抜こうとする。
 ——腕も足も動かない。

「なッ、……!?」
「ねぇスギサキ」

 目と鼻の先で、アビスが囁く。長いまつげを伏せて、目を細めて、首元に声を持っていくように。

「僕と一緒に来ない?」

 今度は何を言い出すかと思えば。

「さっきから言ってることが……」

 ようやく、腕が動いた。いける!

「わけわかんねえん——っだよッ!!」

 引き抜いたサーベルを振りぬく。
 しかし既に遅く、アビスは俺の遥か前方……フミヤの隣へ退いてにこりと笑っていて。

「お前は何者だ! お前の目的は何だ!」
「さっきも言ったでしょ?」

 アビスは両手を広げる。

「僕はキミタチがアビスと呼ぶ星そのもの! あの広大な宇宙を彷徨い続けて、数多の星を喰らい続けてきた流れ星そのものだよ!」

 一際大きな震動。
 黒に染まった犇く空が落ちてくる。
 黒空に蠢いていたものが、重力に負けて零れ落ちてくる。
 黒い大雨だった。

「フミヤは持って帰るけど、スギサキはどうする? 一緒に来るかい?」
「だから、その一緒に来るってのはどういう……」
「僕と一緒に、アビスに来るかい?」



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