複雑・ファジー小説
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- (合作)闇に嘯く 3話【執筆開始】メンバー急募中!
- 日時: 2018/02/10 14:46
- 名前: 闇に嘯く製作委員会 (ID: lmEZUI7z)
- 参照: http://www.kakiko.info/bbs2/index.cgi?mode=view&no=8423
本小説は風死、狐、末端ライター、noisy、みすずによる合作です。
5人とも多忙の身でありますので、更新速度は早くはありませんが、どうか寛容な方々見守ってくだされば我々にとっても力となりましょう。
製作メンバー一同、知恵を結集し設定を造りあった作品です。出来うる限り皆様を楽しませようと頑張りますので、よろしくお願いします。
題名の件に関するカキコミ >>56
序幕————
行けども行けども、生きている人はいない。茜色に染まる夕暮れ時でなお、路上を覆う赤黒い液体、すなわち血液は目立つ。
誰もが事切れ、絶望に顔をゆがめている。誰もが五体はバラバラで、腸を吐き出し見るも無残に死滅しているのだ。
「神様、たすけてっ! たすけてよっ!」
走る少年とも少女とも取れる子供は叫ぶ。高い声が震え悲壮感を増す。誰も答えるものなどいない。しまいに子供は血に足を取られ、転倒した。痛みに涙を流しながら這いつくばるが、途中で動くのをやめる。
「小僧。悪(にく)いか。いな、小娘かも知れんが、とりあえず聞こう。この惨状を引き起こした犯人を殺せるなら嬉しいと思うか?」
「……何言ってんだ?」
どこからともなく、音もなく現れた渋い声の男。赤の世界にあってなお紅い衣に身を纏った野生的な顔立ちの偉丈夫(いじょうふ)。その人物の言葉が理解できず、子供は怪訝そうに口を動かす。絶望的な状況に心が動揺して、単純な言葉しかでてこない。
「俺がやったと言っている。我が名は世界。貴様は良い目をしているな。この絶望の中で反骨心に溢れているぞ。繰り返す。俺は世界、お前の住む町の全てを破壊した男だ。悪かろう、殺したかろう。なぁ?」
愉悦を含んだ男の唇は口裂けのように釣り上がり、恐怖ばかりが膨張していく。全身から大量の汗が吹き出てくるのを感じ、子供はこれは夢だとついに目を伏せた。しかし世界と名乗った男はそれを許さず。閉じた目を強引に上けながら、子供を背負う。
「名を何という。目を背ける振りをするな。貴様の中にある、強大な野心を俺は見逃していないぞ。そうか、これでは足りぬのか。あぁ、足りぬらしいぞ。なぁ、もう1人の世界よ」
「良い良い。では、見るが良いぞ。そちの世界が完全に消え去る様を」
「あっ、あぁ……」
独り言のようにつぶやく男の声に答える、人間のものとは思えない声。見上げるとそこには、到底見逃すとは思えない、強大な白銀の狐が宙を浮いていた。それに向かい、野性味溢れる男は跳躍する。
「そらっ、見ておれ。このひと吹きでそちの世界は、塵も残らず消えるぞ……」
軽く息を吸う。大気が揺れ、口腔から熱波がもれる。勢い良く狐が息を吐き出すと、それと同時に巨大な青白い炎が発射され。発射され——町に着弾。強大な渦を発生させたかと思うと、巨大な塔が如き火柱を上げ、次いで大海の荒波がごとく大地を蒼炎が飲み込んで行く。
飲み込まれた後は何も残らない。空にある雲すら食らうように、炎のアギトは大地を人を家を手当たり次第に食(は)み無と変えていく。弔いすらさせてはやらない、と無慈悲に。ただ生き延びてしまった子供は受け入れがたい現実に呆然とするしかない。
「許さない。俺は……あんたらを許さ、ないっ!」
「そち、名は?」
うわ言のように糾弾する子供に狐は問う。
「三重松潮(みえまつうしお)。あんたらを殺す、男の名前だ」
涙ながらに彼は宣言する。自らの名を、そして自らの宿業をそれと定め。3人兄弟の長男に生まれた責任感と、この故郷を強く愛した愛慕の情を胸に迷いもなく。その様を見た世界は笑みを浮かべ、2人とも一瞬で姿を消した。
————
木漏れ日の明るさに夢はかき消され、夢の中では小学生程度だったろう男、潮は目を覚ます。
「夢、か。今日も1日が始まるな」
カーテンを開け、10年前の悪夢から醒めた潮は目を擦る。今日も1日が始まる。命がけの戦いの朝だ。鏡に映る自らの顔を眺める。昔のあどけなさは最早微塵も感じられない、精悍で少し厳しさを感じさせる戦士の顔。それなりの修羅場を潜り抜けてきたと実感する潮。
「だが、まだ、まだ足りない。世界には全然遠い」
歯噛みするようにそう言って、彼はベッドから起きあがった。
————序幕終了
序幕は、風死がお送りしました!
注意事項
1.更新速度は決して早くはありません。ご了承ください。
2.少しグロテスクな表現などが含まれると思われます。ご了承下さい。
3.保留中も感想やご指摘はOKです。むしろよろしくお願いします。
4.物語に関係ないことや広告、荒しはご法度です。
以上です。
本編目次
第一話『徒波に響く』 狐執筆
現状更新レス
>>1 >>2 >>3 >>4 >>5 >>6 >>7 >>8 >>9 >>10 >>13 >>14 >>15
>>16 >>17 >>18 >>19 >>20 >>21 >>22 >>23 >>24 >>25 >>26
第一話完結
第二話『暗く寒い夢の中で』 風死執筆
>>27 >>28 >>29 >>30 >>32 >>34 >>36 >>37 >>40 >>42 >>44
>>45 >>46 >>47 >>49 >>51 >>53 >>54 >>55
第二話完結
第三話『Unforgiven』 noisy執筆
>>58
お客様
書き述べる様
更新開始日:2015 5月5日 1話 執筆開始
2015 10月29日 2話 執筆開始
2018 1月30日 3話 執筆開始
- Re: (合作)闇に嘯く 2−15更新 2017 7/10 ( No.51 )
- 日時: 2017/08/18 20:45
- 名前: ダモクレイトス ◆MGHRd/ALSk (ID: 0RpeXsSX)
痛みを臨界点を超え、強烈な爆発が起こったような感覚が体の内部から起こり、潮の意識は完全に消し飛ぶ。
◆◇◆◇◆◇
構築されていく。粉砕され崩壊した物が、時間を巻き戻されたように割れ目もなく元通りに。自分の体が再生していくのを眺める潮。内臓や血液、骨がパズルのように組み込まれていく様は現実味がなくて眩暈を覚える。まるで人間じゃないみたいだ。
体の再生が終了すると、その器に自分が引き寄せられていく。そして依代と融合する。まるで魂が肉体に糸で縫合されたような感じだ。到底、まともな人間の製造法とは思えない。そもそも、それに普通があるのかすら分からないが。
「体が動く……だと?」
怪訝に目を細め潮は、立ち上がり体を解す。先ほどまで自分で体を動かせず、視覚と痛覚しか許されない無力な状態だったので、違和感を覚える。何より長時間、全く体を動かせなかったというのに、ほとんど違和感がない。ストレッチの必要もない位だった。
一方で今までの理不尽な展開から考えると、これから何かが起こるのは明白だろう。当たりを見回す。周囲に目をやれば、黒の嵐。まるで暗夜の鴉模様かと思えるほどの、完全に一色で統一された世界。光源がないはずなのに、なぜ周りを見渡せるのか違和感を感じる。
「これだけ殺風景だと、集中力もそがれるな」
本来なら状況も分らないのに、その場を動くのは好手とは言えないが、そこに留まっていても全くメリットはなさそうだと判断する。溜息を付きながら、歩き出す。懐に手を入れ符を探すがどうやらないようだ。どこを探しても護符や術具の類は見当たらない。
『得物もねぇな。参ったね。となると敵に襲われたとして俺ができそうなのは、肉体強化して格闘するか、逃げるくらいか』
状況を理解して、潮は舌を打つ。格闘術の類には自信がある。先述の通り、凪たちほどではないとはいえ、兵学校では常にトップクラスだった。肉体強化の術式に対しては適正も高く、そこらの妖怪なら拳で吹っ飛ばすことも可能だ。世界のような怪物が出てきたら、流石に逃げることすらできないだろうが、一応の保険にはなる。自分が無手による格闘術に優れていることを、潮は心から感謝した。最も、この世界で死ぬほどの痛みを食らったところで死ぬことがないのも、分かっているのだが。
とりあえず、大抵のことに対する抵抗はできると考え歩く。無論、周りへの警戒は怠らず、いつでも迎撃ないし逃走できる構えは崩さない。何かしらのアクションを起こさなければ、何も起こらないということだろう。先程までが完全に受け身であったのに対し、今回は動けるのだからそう受け取って良いはずだ。
本当は現状において無力な自分が嫌で仕方ない、潮自身の理想も少なからず含まれた意見なのだが。精神的に疲労が滲んでいる状態では、そんな分析をできるはずもなく。只管に真っすぐ進む。何かを忘れ去りたいかのように黙々と。
「……広い、のか? もう、直進して十数キロ程度は歩いてるよな? まっすぐ歩いているはずだ……それなのに何一つ変わり映えがない。くそっ、堪えるぜ」
無意味な独り言。無心で歩き続けたが、行けども行けども黒一色なのだから、辟易もするだろう。加えて潮はここに来た瞬間から、相当に精神を酷使していたのだから。黒一色の距離感も狂う空間だ。時間間隔とてまともではない。
どれだけの時間を掛けて何キロ歩いたかなど推量できるはずもないのだが、緊迫の糸は残酷なほどに時間の感覚を長くし、彼に焦燥感と妄想を生む。この空間は果てがないのではないか。もしかしたら、自分はここで朽ちる運命になるのでは。心臓が不規則に波打つ。周りが無音のせいで、本来は小さいはずのその音は、銅鑼の一撃がごとく耳朶に響く。
「畜生! 何かあるんだろ!? 俺はここだっ! さっきまで見たいに嫌がらせがしたいなら、幾らでも相手をしてやるからっ!」
今までの所業を思い出す。只管に昏く不快な海を落ちていく世界。妖怪を信じた故に、自分と子供の死という悲劇を生み仲間すら殺した展開。生何もできず家族を殺され、その痛みを共有する夢。或いは妖怪と共存しようとした結果、全ての人類が根絶やしにされた未来。妖怪への慈悲などをかけ、戦いが長引いた末、ついには食糧難となり自戒する人類などというシナリオもあった。
他にも幾つもの世界を見てきた。焼き切れるほどの痛みと、絶望、無力感の嵐の中で、ただ悲嘆の声を胸中で漏らし、痛みに悶絶するしかなかった自分。意思があっても動けず、無論理への介在は許されず。人間の精神が砂のように崩れそうになるが、しかし壊れない。そんな究極の拷問を受けているかのような状態で、初めて提示された自分が行動できる状況。
「それが、ただ歩き続けるだけなんてあんまりだろう」
声を張り上げる。半ば自棄だ。どのような空間か。解決の糸口を探す余裕など彼の心には残されていない。そもそも彼自身、猪突猛進なほうだし、術を解く技能を余り習得していないタイプだ。相手から分かりやすい提示がなくては、途方に暮れてしまうのも無理はない。
普段の平静な状態なら、もっと冷静に周囲を観察し何かしら考案することもできただろうが、ことこの状況下では無理だ。彼はこれまでに1ループ数時間には及ぶだろう、苦行の世界を幾百と繰り返している。とうに判断力はそがれている。
「潮よ、わが息子。何と情けない声を出すか」
『この……声は!?』
喚き散らす潮の耳に声が響く。よく知っている、しかし久しく聞かないしわがれた声だ。それはもう二度と聞けないと思っていた声。そう既にこの世を去っている人物のものだ。二度と帰れぬ望郷の念に駆られ、涙腺が緩む。本来なら訝しむものだが、彼の辟易として枯れた花のように萎えしぼんだ心は、猜疑の念が働かない。声の主を反芻するより早く、振り向く。
「父上……えっ、いや、何だよこれ? 凪、守!? 恪次さんに平正さんっ! 岸辺のじっちゃん……皆」
目線の先には、故郷で親しくしてくれた人々が、猥雑に並んでいる様があった。100以上居る人々は、皆見覚えのある者達だ。
- Re: (合作)闇に嘯く 2−17執筆中 ( No.53 )
- 日時: 2017/08/21 00:28
- 名前: ダモクレイトス ◆MGHRd/ALSk (ID: 0RpeXsSX)
「やれやれ、大きくなっても相変わらずの弱虫みたいだな」
目の前の光景は現実ではない、ということは理解している。胡蝶の夢のように、淡い幻想だ。触れれば殴られたガラス細工のように、砕け散るだろう。だが、潮にはそれを嘘だと否定することはできない。黒の空間に浮かぶ彼らの色と姿が、リアルすぎるのだ。父が語る言葉1つ1つが胸に響く。しゃがれた、年輪を感じさせる熟成された声は、彼の記憶にこびり付く父のもののままで。
頼りないコルク栓でせき止めていた、寂寥感の濁流が体中を駆け巡り肌を震わす。在りし日の風景が脳内に浮かぶ。6歳だったガキの頃、田んぼの畦道で駆けっこをして、田んぼへと転がり落ち泥だらけになって、畑仕事をしていた老婆に助けられ、自宅へ上げてもらい暖まで取らせてもらったとき。近所の子供同士で集まって野球をして、岸辺家の硝子を割ってひどく怒られた記憶。あれは9歳位だったろうか。
「しても、ほんに成長したのう、横顔など現役の陰陽師だった時の父上そっくりじゃぞ」
「俺なんてまだまだですよ岸辺のじっちゃん……」
脛まで届きそうな長い白髭を蓄えた老人の声に、潮は恥ずかしそうに答える。確かに言われてみれば、最近誰かにもそんなことを言われた記憶があったが、むず痒い。父はと言えば、陰陽連でも上層まで至り、華々しい戦歴もある人物だ。今の実績に乏しい自分とは雲泥の差があると、彼個人は冷静に分析している。
「栗谷のお団子を物欲しそうに見ていたおぼっちゃんがねぇえ。正規の陰陽師として戦っているなんて、嬉しいことだよ!」
「ちょっと、恥ずかしいこと思い出させないでくれよなっ」
恰幅のいい豪快そうな栗谷夫人の声に、昔のことを思い出し顔をしかめる潮。思えば恥ずかしいことばかりだった。肝試しでお化けが怖いと一歩も動けなくなって、母におぶられて家に帰ったこと。チャンバラごっこでは年下の弟に、いつも勝たせてもらっていたり、貧乏の子供でもないのに、すぐに卑しく涎を垂らす。思い起こせばキリがない。
「潮ってばよぉ、俺のバッドぱくってさぁ」
「ぼっちゃんはそれはもう、腕白だったのですが今では随分落ち着いたようですな」
「潮殿、ちゃんと掃除はできていますかな? 昔から潮殿は整理整頓が苦手で」
久しく再開した者たちに掛けられる、取り留めもない言葉。まるで過去に戻って、理想の未来を歩み始めているような感覚が、去来し潮は微苦笑を浮かべた。こんな風に自然な雰囲気で、目の前にいる者達と取り留めのない触合いをしたいと何度願ったことか。
「潮お兄ちゃん、泣いてるの?」
自分より頭二つ分小さい、整えられた髪型の優し気な少年。眼尻の辺りや鼻筋が自分によく似ている。弟、凪だ。潮は突然の言葉にしばしの間、茫然とするが表情を取り繕う。
「なぁ、凪。嬉し涙って奴もあるんだよ」
「じゃぁ、何で喜んでいるの?」
「そりゃぁ、お前。皆に会えたからさ」
穏やかな口調で、凪の質問に答えていく。それと同時に、何か背中をぞわりと這うような感覚が襲う。
「僕たちは皆死んじゃっているんだよ? 8年も前に……こんな偽りに現を抜かしている場合じゃないんだよ」
「凪。何を」
不安の感覚が、現実として脳内に浮かぶ。当然の帰結だ。彼らは本当は当の昔に死んでいる。おそらくは自らの中にある記憶を使い呼び起こした幻ではなく、何らかの術を使い顕現させた地縛霊の類だろう。
できる限り言動や行動を強制しなかったのだとしたら、大人が大半である住民を考えれば、怨嗟の叫びを上げることもないと考えられる。しかし精神的に未熟であり、実の弟でもある凪がそうとは限らない。
「こんな泥沼に足を救われて、永遠の牢獄を僕達と彷徨う!? 駄目だよ潮お兄ちゃん、死者と生者は交わるべきじゃないって、里の皆なら知っているよね……お兄ちゃんは何を思って生きているの?」
喧嘩で負けを譲って上げるほど理性の利く、優しい弟が冷静を失い捲し立てる。彼の言うことは正しい。この手の幻術は牢獄を意味する。情に絆(ほだ)され、その手を握ったり優しさに溺れれば、感情の糸に絡まり抜け出せなくなるのだ。
「……なぁ、凪。お兄ちゃんな。最低な兄貴なんだ」
「潮、お兄ちゃん? どういうこと?」
唇を千切れるほどに強く、噛みしめる。拳を巌が如く握りしめ鋭い息を吐く。そして潮は訥々と喋りだす。周りの者たちは何れこうなるだろうとわかっていたのか、冷静な風情だ。正直、潮としては助かる。当惑する弟を見据えながら、潮は口を動かす。
「俺はただ憎しみで今まで生きてきたんだ。だから、悪党の甘言に騙されて、こんなところまで迷い込んじまったんだなぁ。それなりに陰陽師として経験も積んで、大体のことは1人乗り切れるなんて思いあがってたんだ……」
瞼が熱い。涙が伝っているのが分かる。知識も経験も足りない愚者が、自分を過大評価して歩を進めた結果がこれだ。もし冷静な判断力があれば、そもそも話の起点からして、潮個人で逃走などできるような物ではないと分かる。何せ情報を提示した相手が四天王の一角である、檜扇祝幻だったのだから。
そして案の定、対象と接触した瞬間、格上だと理解した。とはいえ、対象が1人なら油断を誘い、逃走も可能だったろう。実際、接触した者以外の、協力者はそれなりに遠くで呪術を発動させようとしていたのだから。目の前の対象に集中しすぎる潮1人だったからこそ、正常な判断もできず相手の誘いに乗り惨敗。仲間も信じず嘘をついて、1人でノコノコと所定の場所に訪れた愚鈍さを呪う。
「潮お兄ちゃん? 何で泣くの? お兄ちゃんは正しい判断をしたと思うよ? もしお兄ちゃんと立場が逆だったら、僕だって復讐を誓うし、行き詰っていたら誘惑に手を伸ばしてしまう。そして、それが怪しいものだと分っていたら、仲間の手なんて借りないよ」
物分かりが悪すぎる、凪の言葉に潮は瞠目する。昔から聡明な子供だったが、魂だけの体となってから、色々なことを考えてまた成長したのだろうか。何せ、地縛霊は眠ることはなく、その場にとどまり続ける故。できることと言えば、思考の海に溺れるか、生前を悔い泣き叫ぶかが大半だ。しかし逆を言えば、それだけ長い間、陰陽師の浄化を受けることができず、怨嗟に身を窶(やつ)してきたということだ。
「潮よ。迷いに満ちた目を、儂が見抜けぬはずもなかろう。行き詰っていたのは分かっておる。お主が標的と見定めた相手は、この陽明京において4体しか存在しない最強の力達だ。正攻法ではどれほど修行をしても敵わぬだろう。それこそ優秀な仲間を何人持ったところで、決め手に欠ける」
世界。それは陽明京において、最大級の力を持った怪異が一角。陰陽連が妖怪の駆逐という行動に出ることを、躊躇わす楔のような存在。その力は巨大で、彼らの攻撃は街を廃墟と化し、その足は、10里を一瞬で駆ける。摩訶不思議な妖術を駆使し、彼らにはこちらの攻撃は通じないとすらされる生ける伝説。
もし彼らの一角を討伐するとしたら、陰陽頭と四天王を中心に、精鋭で固めた大隊を編成し、それでなお十全に準備を整えねばならないだろう。つまり如何に足掻いても通常の陰陽師の身では、勝つのは不可能。1人で挑むなど愚の骨頂。何せ通常の攻撃など当てることすらままならないのに、命中してもほぼ無効なのだから。
「父上、如何に俺とてそれ位のことは分かっているのです」
「ふっ、そんなことは此方も承知だ。お主は我が息子ゆえか、思い立ったら一直線の阿呆だが、自分の実力を履き違える奴ではないからな」
父の言葉に潮は歯噛みする。自分の能力を正確に計れるなら、復讐の道になど手を染めていないはずだ。分別もつかない少年時代に覚悟したことゆえ、百歩譲ってそれは無効として、千里達所か復讐の協力を受諾している都子にも、内緒で敵地に向かうのは擁護のしようがない愚かさだ。如何に心優しい弟がそれを否定しても、それが大半の人間から見た事実だと思う。
「湊(みなと)様。すみません。私から潮に言いたいことがあるのです」
「百合、そのように改まる必要はないだろう? 存分に話すが良い」
父、湊の横をかき分けるようにして、百合と呼ばれた女性が現れる。手入れのされた射干玉の長髪が特徴的な、痩身の儚げな雰囲気を漂わせる美女だ。昔と変わらぬ優しい瞳に潮は吸い込まれ茫然とする。
出雲の民達の中に、母の姿を見なかったから、彼女は実は生きているのではないか、などという他愛無い夢想に浸っていたから故なのだが。優美な所作で潮の前に立つ、女性を見て僅かに表情を歪ます。
「分かっています。復讐の道にその体を窶(やつ)し、辛かったことでしょう? それでも貴方は私達へのせめての手向けとして戦ってきたのですね……でも、もう良いのです。我々は世界への復讐など望んでいません。我々が願うのは、貴方が過去の妄執から解き放たれて、自らの幸せを掴むことですから」
聖母のように優しい言葉が身に染みる。偽りのない本心なのだろう。彼女は嘘をつくと、眼尻が少し上気するので、分かるのだ。恐らくは長い年月で、世界への恨みも風化したのか。それか最初から死を受け入れていたのかも知れない。後者だとしたら、地縛霊として長い年月をここにいたことを考えると、」後者が正しいのだろうか。
柵を断ち切り、自分達のことは忘れて暮らす。それは潮自身も何度か食指を伸ばした選択肢だ。生き延びてしまったことからの後悔と、親しい人達の鎮魂が根底にあり、彼等自身が望んでいないのら、意味のないことだとも考えた。
そう、優しい許しを受ければ、自分の復讐心は容易く風化して砕け散るのだろう、と。しかし、結果は違ったようだ。一瞬揺らぎこそしたが、その根幹は折れず覚悟の樹はまた直立し天を突きさす。
『あぁ、分かった。いつの間にか、いや最初からか。俺は、皆の為なんて謳って、自分自身を正当化していただけなんだ』
「母上、有難きお言葉ですが、結局俺は……」
自分は結局、地獄の業火より煮えたぎる強烈な復讐心という感情を、抑えきれなかったのだ。制御不能のそれは、幾ら正論の微温湯(ぬるまゆ)で消火しようとも、すぐに薄皮のような壁を突き破り再燃する。
身勝手な覚悟だ。しかし、凝り固まったそれはそう簡単に砕けない。なぜなら、それ自体が自らが安寧を得る唯一の方法だと、心の底から誤認しているから。潮がその本音を口にしようとした時。
母と彼の間に何かが落ちた。
それなりに大きな物だ。鈍い音から中身のある空洞ではない物だと判断できる。しかし、周りを見ましても、この殺風景な空間にはそれに該当するものはない。いや、正確にはそれを想像したくない。物はないが、人はあるということを。
「ヒッ! みっ、湊さん!?」
しかし、現実を無視することなどできない。眼前にある物。それは人体の一部。より正確に言えば頭部だ。そう、百合が言う通り、潮の父に当たる人物の首。
「うわああぁぁぁぁぁぁっ! 当主様あぁぁぁぁっ!?」
「どういうことだっ!? 一体誰がっ!」
「やだっ! 血っ、血が掛かっちゃった! 怖いっ、逃げないと!」
蜂の巣をつついたような大混乱が起こった。当然だ。湊の首を刎(は)ねた犯人はこの中に居る。誰もがそう判断するだろう。既に事切れた湊の前にいるのは百合と潮のみ。湊の後ろは人垣で埋められているのだから。
一度死んで魂だけとなった身の彼等は、成仏以外で魂を焼失すれば、二度と輪廻転生の輪に入ることができない。魂の本能から皆がそれを厭(いと)う。ある者は怒声を上げ、老人や子供と言った弱い物を吹き飛ばしながら進む。ある者は混乱の最中足を縺(もつ)れさせ倒れ込み、逃げ惑う人々に踏みつぶされ、絶命する。阿鼻叫喚の有様。
「潮っ! 逃げなさい!」
「母上っ!」
血飛沫が舞う。混乱に喘ぐ人々を問答無用で切り裂く何かが居る。それは確実に潮へと近づいているようだ。助けに行こうにも相手の姿も見えず、混乱が酷過ぎるため手の出しようがない。そもそも、戦闘用の武器や符がないのに、あれ程の速さで人を斬る化物と遣り合うのは無謀だ。
「潮お兄ちゃん! ゴメンッ! こんな酷い事になっちゃって」
「何言ってるんだ、酷い目に合ってるのは皆だろう」
そう言いながら凪が近づいてくる。逃げ惑う人に当て身をして少しでも混乱を緩和し、犠牲を減らそうとしていたようだ。父の死や斬られる知人の姿を見たのに、動揺は少ない。やはり冷静だと潮は思う。そんな凪の功労あってか、相手の姿がチラリと目に映った。
「あれは……あいつは!」
一時も忘れたことはない男だ。紅い衣に身を纏った野生的な顔立ちの偉丈夫。黒の世界に青の長髪が目立つ。忘れようのない、怨敵。
「世界ッッッッッ!」
仇の名を、彼はこれ以上ない大声で叫ぶ。
- Re: (合作)闇に嘯く 2−18執筆中 ( No.54 )
- 日時: 2017/08/25 01:22
- 名前: ダモクレイトス ◆MGHRd/ALSk (ID: 0RpeXsSX)
「世界ッッッッッ!」
叫び、遮二無二(しゃにむに)潮は掛け出す。拳に回せる限りの霊力を収束させ、全力で殴り掛かる。
「三重松潮、覚えているぞ?」
凄絶な笑みを浮かべ、人間体を取る世界は佇む。鬼気迫る潮の表情など意にも返さぬ様子で、あと一歩のところまで迫っているのに、回避するそぶりすら見せない。捉えた、潮はそう思った。必中の間合いだ。もはや今から行動に出ても迎撃や回避はできない。
「潮お兄ちゃん……腕が」
回転している。剣戟の果てに打ち砕かれた刃のように。赤黒い何かをまき散らしながら。世界へと振り下ろした方の腕、すなわち右腕に目を滑らす。ない。肩から下が。理解が速いか否かで、鋭い痛みが、光の速度で体中を駆け巡る。意識が朦朧とし呼吸が荒い。次第に痛みすら感じなくなり、片膝をつく。
「どうした? その程度か。期待外れも良い所だ」
無感動な声で言い捨て、世界は軽く刀を振り下ろす。死ぬ。潮は確信する。だが霊でない分、まだいいのか。否、霊になったとしても、直近の脅威は眼前に居るのだから、変わらない。剣を振う速度が速すぎて、抜いた瞬間すらまるで分らなかった。
この差だ。最早策はない。そもそも、痛みで体が言うことを聞かず。あと一瞬でも時間があれば、痛みを制御して動くこともできただろうが、世界の目の前で膝をついて、それが叶うはずもないのは明白。ただ怒りの形相で世界を睨むしかなかった。しかし潮に死は訪れなかった。
「ちっ! 情けないな。こんな所で諦めてるんじゃねぇよ」
世界の剣を誰かが刀で止めたのだ。刀を水平にして刀の腹を腕に乗せ、全力で。軽く振るった刀でも並みの陰陽師なら抑えきれず死ぬだろう。その点、目の前の男が、相応の実力を有していると分る。
「守? 無事だったのか」
潮は助けた男の名を呼ぶ。
「そうじゃなければ、動いていないだろう。分りきったことを聞くな! 凪ッ! 陰陽術を撃て!」
裂帛の気合とともに、全力で世界の剣を弾く。そして守は凪に強い声で命ず。凪は彼の言葉に1つ頷き、詠唱なしで彼が撃てる最高の術を解き放つ。爆雷が一直線に世界へと飛来し、命中する。その間に守と潮は、その場から離れた。
「すまない、助かった」
「お兄ちゃん、腕……」
ぶっきら棒に礼を言い、潮は目を反らす。仲が悪かった過去の憂き目か、面と向かって会話ができない。随分、年月も立っていて、試練の中で彼が言うほど敵愾心を持っているわけでもないと知って尚。自分はつくづく頑固だ。内心で潮は毒づく。
そんな表情が出たのだろう。それを苦痛によるもの。もしくは腕がなくなったことへの絶望感と勘違いしたらしい、弟の声が耳に入る。
「凪、そんな顔するな。命が繋がっただけ、マシさ」
潮はそれは勘違いだ、と笑いながら言う。実際問題、恐らくこの術が解ければ、外の自分に影響はないだろう。今までの術の展開と違い、この状況下で命を奪われれば、本当に生命活動を閉ざす可能性もあるが。
「なぁ、潮。昔、きつく当たって済まなかったな」
そんな潮の表情を、一瞬凪が覗く。たまたま目が合い、潮は目を反らす。そんな彼に凪は続ける。ぶっきら棒な口調だが、微かに覗く表情は真剣そのものだ。恐らく、ここ以外に言うチャンスがないと思っているのだろう。潮は躯になった人々の血液でできた赤黒い池に佇む世界を眺めながら、呟く。
「……気にするな。俺は気にしてないから」
嘘だ。ずっと、気にしてきた。我ながら頑迷で愚かなことだと思うが、深石コリとして守との関係は長く尾を引いてきた事を、呪縛の中で深く感じた。今や風体は自分より若い守の方が、こんな風に謝ってきたのに恨み節なんて情けない。かと言って、器用な言葉も思い浮かばなかった、と言うのが本音。
「何だよ、随分大人になったじゃないか。まぁ、今の状況から考えれば、当然かもしれないが」
守の方はというと、長い問答をしている場合でもないか、と世界を見据える。本気で納得したわけではないが、完全なる和解を望んでいるわけでもないのだろう。何せ燻っていた感情は癒すには遅すぎて、今目の前には明確な敵がいる。
世界が襲ってこないのは、ひとえに潮の母である百合——優秀な結界術の使い手である——が、強力な結界術を行使しているからに他ならない。しかし、世界相手では長く持たないだろう。むしろ此方が策を練る時間を与えている可能性すら、有り得る。そういう類の戦闘狂だ。
「世界が人間体の内に何とかしないと、俺達は全滅確定だ。人間体の奴は、他の最上級妖怪と比べると幾分スキがあると聞くし、通常の陰陽術で傷をつけたという事例もあるしな」
「その事例は俺も聞いたことがある。態と弱い肉体で、遊んでるのかも知れない、などと言われていたか」
守は領民の躯から拝借したらしい薙刀を潮に渡す。そして陰陽連に籍を置いた者同士としての、相互情報を確認する。しかし世界はこれ以上待ってはくれなかった。世界の体がから深紅の妖気が放出され、結界が揺らいでいく。
「潮っ! 守っ! もはや持ちません! しかし、奴は結界を破るために力を放出している! 今なら防御が疎かなはず!」
百合の絶叫が響いた。潮と守はあらん限りの霊力を得物に篭(こ)め、全力疾走する。両名突きの構えだ。吸い寄せられるように、急所へと武器を放つ。潮は前面から喉仏を。守は後ろへ回り心臓を狙う。更に世界の反撃を警戒してか、凪が超速で飛ぶ雷撃で敵の刀を。
「退屈な特攻だ、つまらん」
心底、落胆した低い声で世界は吐き捨てる。次の瞬間、猛烈な閃光が迸(ほとば)しり、潮の意識は途切れた。
——————————————————
「重い……」
意識が途絶していたのは、時間にして凡そ数秒だろう。戦士として眼前の敵に立ちはだかり、それ以上気絶していたら死んでいる時だ。すなわち二度と目覚めることはないはず。つまり、自分は時間にして数秒程度気絶していた可能性が高い。潮はそう結論付ける。
それにしても妙に体が重い。第一声が間抜けに鼓膜を揺らす。この体中に伸し掛かるような重みは何だ。ぼやけた視界が、回復していき理解する。すぐ横には、百合の相貌。ただでさえ色白な彼女だが、全く生気を感じられない。恐らく気絶した自分の盾となり切られたのだろう。
時に厳しく兄弟を教育し、しかし喧嘩に負けて泣いて帰った潮を優しく介抱してくれた母。街の人たちの中で凪と同率で1番好きだった人。気丈で戦場にて咲く鬼百合ともなる女性と知られていた、自慢の母。狼狽する。自分は何度この無間地獄を体験するのか。もう沢山だと嘆く。
「はっ、母上……母上っ!? 凪っ、凪は!?」
これだけ喚き散らしても、周りの反応はない。戦闘は終わったのだろう。武勇に優れた父も、慈愛に満ちた母も、自分に親しくしてくれた隣人たちももう居ない。数年越しに和解した守も視線を滑らせたすぐ先に横たわっていた。
自分が間抜けに気絶している間に。哀憐に耽(ふけ)るなら、1人でも助けねばと体を動かすが、結果は分かり切っている。冷静になれない自分が情けないと思いながら、まだ体温のある母を退かせ、立ち上がった。
その先には、凪の首を左手に持った世界が佇む。胴体は、どこにも見当たらない。ご丁寧に粉々に切り刻んだのだろうか。叫び声を上げようとするが、先程叫びすぎたせいか、喉が痛くて思うように声が出ない。
「そう喚き散らすな。二十歳超えて、みっともない。凪とやらなら、ほらここに居るよ」
「お前……お前、一体何なんだ」
潮が立ちあがり、弟の首を目にしたことを確認したらしい世界は、愉悦に笑いながら言う。どうやら律儀に潮が立ち上がるのを待っていたらしい。彼は凪の頭を投げ捨て、潮を面白そうに眺める。幾匹もの妖怪を、闇に葬ってきた。だが、分らない。
時々、人と共生したり仲良く会話をする妖怪を見て、頭ごなしに理解できないと否定することもあった。最近だと夜太郎がそれだ。そんな者達と比べれば、世界はとても妖怪らしい妖怪にも見える。
しかし今の潮には、今まで相対してきたあらゆる妖怪を遥かに超える、大悪に見えた。一片の感傷もなく、切り捨てれる対象ではない。理解不能の恐怖に充てられ、体中が総毛立ち足が竦む。まさに怪異。
「我が名は世界。唯の一妖怪さ」
乾いた声音で告げる。そんなことは聞いていない。事もなげに自分を、小さき者とする世界に唯々恐怖を感じ、潮は口を紡(つむ)ぐ。
「死を与え、恐怖の表情に歓喜するなり」
自分を恐怖に落としたいから、周りから殺したのか。何と回りくどく厭らしい奴だ。胸中で潮はそう毒づく。金縛りにあったように体は動かず、容赦なく振り下ろされる世界の刃を、その身で受けた。
「ほぉ、三重松潮。お主、まだ隠し玉を持っていたか。追い詰めた甲斐が……」
筈だった。しかし、実際に切断されたのは世界の腕で、一向に自らが斬られる気配はない。一拍置いて、四十万の中に乾いた音が響く。剣を握った世界の手。斬られた断面が、潮の網膜に焼き付く。誰がやったのか。世界は潮がやったと思っているようだが、少なくとも彼は何もしていない。
「どこを見ているのだね世界君。君の相手は此方だよ」
低めで纏わりつくような女の声。既に領民や家族の霊は全て、世界に斬られている筈だ。腕を切り落としたということは、一度は潮の視界に入っている筈だが。動きが素早すぎて見逃したのか、それとも動揺して、振り下ろされる剣にだけ集中していたのか。少なくとも声のした方には、既に人影はない。
「ふむ。どうやら、相当な高速で移動しているか……だが、捉えた」
そう言うと、世界は跳躍し潮の後方へと移動する。それに伴い潮も世界を目で追う。既に二つの影が交錯していた。深紅の蝦夷錦(えぞにしき)とそれと劣らぬ赤色の狩衣。世界と声の対象だ。二度三度ほど打ち合うと、世界のほうが吹き飛ばされ膝をつく。
「君の力はその程度か?」
「成程。強いな。たった1人で、俺に片膝をつかせるとは!」
声の主。体格の良い妙齢の女性だ。堀は深いが少し翳りの見える、口調に似合わない雰囲気を纏っている。女の安い挑発に、世界は目を爛々と輝かせ迸る妖力で答えた。膨大な力の奔流が、無機質な黒の世界を光で覆っていく。
その力の濁流に身をさらしているだけで、潮の体は消し飛びそうになる。しかし、コンマ数秒で妖力の暴風は収まり、目の前には巨大な影。九つの尾をもった小山ほどもある銀狐——世界——の姿が現れた。
『何て、でけぇんだ』
潮は思わず息を呑む。正に威容。自分が怨敵と定めた相手の強大さを肌で感じる。相対しているだけで、魂を持っていかれそうだ。目など合せたら、間違いなく正気を保てないだろう。幾らこの身を鍛えても、勝てないと本能が喚く。
「せめて一撃で沈むなどということは、お止しよ人間」
世界は変形するや否や、九つの尾全てを目にもとまらぬ速度で伸ばし攻撃を開始する。それは宛ら流星雨が如く降り注ぎ、強烈な地響きを起こす。全弾命中した、そう思った矢先、高速の水流が何物をも貫くだろう名槍と化した、世界の尾全てを切り裂く。
「丸子八奈女(わにこ やなめ)と申す。貴様の命は頂いた」
瞬く間に尾は再生していくが、それ以上の速度で丸子と名乗った女は世界の懐へ入り、胴体に手を添えた。
「何を言っておる……ぐっ!? 何じゃこの術は!? 空間が」
抵抗の言葉とともに、世界の巨体は黒い渦に飲み込まれて、消失した。散り際の言葉から、何が起こったのかは理解できていないだろう。当然ながら遠くから眺めていた潮もそうだ。そもそも、齢1000年とも目される妖怪に分らぬことなど、彼に分る筈もない。
「嘘、だろ。有得ない」
愕然とした様子で、潮は呟く。ほとんど無意識的に出た言葉が、ただ反響した。それ以上は言葉にならず、彼は俯き立ち尽くす。
- Re: (合作)闇に嘯く 2−19執筆中 ( No.55 )
- 日時: 2018/03/10 13:32
- 名前: ダモクレイトス ◆MGHRd/ALSk (ID: xJUVU4Zw)
——有得ない
自らが口にしたその言葉が、耳朶(じだ)に響く。鳴りやまない。大音響と、激烈な熱波が渦巻く最中で、世界が焼失したというなら、まだ納得できたのかもしれない。理解できないのだ。何の抵抗もなく、ただの一撃で静かに焼失した様が。
——幻術は、現実に起こり得ないことはことは、再現できません
思い出す。ある日、百合が自分に幻術を行使した時のこと。何だったか。祖父の葬式の後、死というのを初めて意識して、長い月日悪夢に魘(うな)された時だったか。どんな幻術を使ったのかは思い出せないが、悪夢に震えた彼を哀れに思ったのだろう、幻術は夢想的で当時の彼にも実現不可能と思えた。だから——言ったのだ。
——絶対に無理そうだけど、美しいね
それに一拍と置かずに憂い顔で、頭を振りながら、母は答えた。そう、幻術とは、無限の自由度を持っているようで、不可能なことには制限が掛けられる物なのだ。何か見えない強大な力が、そうなるように働きかけているらしい。即ち、如何に突飛なことでも、幻術であるのなら、逆に絶対実現できることであり、一種の真実性があるということ。
「嘘だ、嘘だ嘘だ嘘だ……」
頭を抱える。自分より遙かに強い師匠が、決死の覚悟で禁術を行使して、ほぼ無傷だった事実。何十人もの手練達が綿密な計画の下に、討伐に向かったが全滅したのは、まさに潮が陰陽連の正式術師になって3か月も経っていない時の事。膨大な罠や人員を用意して、戦術を練り何度となく討伐は行われたが全て無残な結末。それがこんな簡単に終わる。
「信じ難いか? だが、真実だ。何せ幻術というのはどうしてか知らんが、実現可能な事象しか起こせん。眼前で起こっている事を受け入れろ。信じ難かろうが荒唐無稽だろうが、それは起り得る事なのだから」
茫然自失としていた潮の後ろから、纏わりつくような女性にしては低い声が響く。間違いなく、世界を屠(ほふ)った先程の人物。丸子八奈女だろう。その声はどこまでも乾いていて感情を読めない。ただその淡々とした言い様から真実性が増す。底なし沼で溺れていた強烈な渇望が、泥水を突き破り希望を掴むように。
「力が欲しいか?」
丸子から発された言葉は、潮にとって強烈な衝撃だった。幾つもの疑念、利用される可能性。そんな事はどうでも良いほどに。
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目を覚ます。唐突に。視界のぼやけなどはない。幻覚との境界が釈然としない、等と言うこともなく。意識は明確だ。術が解除されると、独特の感覚が有るため、それすらも嘘という事は有得ない。それから解放された事にすら気付けない愚鈍な者は、陰陽連の正規術師になどなれない。 丸子は契約に際して、陰陽連に旨味はないと言っていたが、多くの知識を学び、幾つもの術を習得できるのは、間違いなくメリットだろう。
何せ、自警団等の場合、大半が幻術解除に対する確かめなどできないのだから。実戦を経て、戦闘能力が高い者は多いと聞くが、搦手や索敵など他の要素で陰陽連の術師と大きな差が有るというのが、世間の認識だ。
『契約しちまったな。だが、あの状況だと、冷静に考えてもそれしかなかっただろう』
決して高くない檜性の天井を見詰ながら、潮はそう結論付ける。何せ相手の術中だ。契約が成立しない状態で、生かしておく理由がない。丸子一派の暗部を知ったのだから、尚更(なおさら)だ。丸子から聞くに、目的は陰陽連の転覆とそれに付随する妖怪の撃滅とのことだが。
どちらを行うにも、圧倒的な力が必要なのだろう。裏切られるリスクが有っても、強大な力を持った術者——それこそ、陰陽連最強と謳われる陰陽頭や、妖怪の覇者たる四神以上の——が必要なのだろう。
『何かしらの術で、俺を操作しようとはするだろうが、そう上手くいくと思うなよ』
潮は胸中で呟く。今回は甘言に乗せられ、大した準備もせず敵地に向かい一方的な交渉をさせられたが。今度は違う。冷静に手に入れた力を実らせ、相手方の強制を受けず、利用してでも大願を成就する。胸中でそう叫ぶ。
「お目覚めになりましたか潮様」
右手を突き上げ、強く握り拳を作る潮。そんな様子を穏やかな眼差しで見つめながら、女性が笑う。潮も良く知る声だ。自分の家政婦であり、彼と共に復讐を誓う人物、火坂部都子。
「都子さん、と言うことはここは……俺のアパートか? 俺は一体、どうやって」
良く知っている声ではあるが、これはどういう事だ。潮は怪訝に眉根を寄せる。見回せば間取り等から、自分のアパートで間違いないようだ。考えられるのは2つか。1つは、幻術が解除された瞬間に目を覚ましたように感じられただけで、本当は移動させた後だった。
次に術自体がここで行使されたという可能性だが、そうなると都子自身が、ここに搬送した人物を招いたことになる。そして術の解除を行わず黙して待っていた。最悪の可能性としては、幻術行使に当たる首謀者という可能性も。
「貴方は丸子一派の幻術を受け、直ぐに祝幻様の白影によって此処へ運ばれました。そして私は祝幻様から、この呪具、禁神之月倫(きんしんのげつりん)を渡されたのですわ」
繋がった。最初から全て設定されていたのだ。山に足を運ばせたのは、恐らく潮にそこで術を掛けなければならなかったからだろう。多くの禁術、特に幻術や呪術の類に見られる特徴だ。霊山に宿る神の力が必要というもの。
潮自身大半の霊山や呪い神については知識があるが、あの山が霊山だったとは。これ程の禁術を行使できる霊山なのだから、機密にされた場所なのだろうと考えらえる。そして白影は、影を移動することのできる式だ。誰にも目撃されることなく、気絶した人間を運ぶには持って来いだろう。
ここに運ばれた理由は不明だが、恐らく何かしらの段取りが有ったのだと考えらえる。呪具——強力な呪いや儀式を成立させるに当たって必要な道具で、大抵が1つの呪術や幻術に対応する——を都子が渡された事からも、その推測は間違っていまい。
「と言う事は都子さん、あんたは」
「はい、祝幻様達と私は、手を組んでいますわ」
サラリと白状する都子。全く悪びれた様子はない。彼女はとうの昔から気付いていたのだろう。何れ潮は行き詰り、有無を言わさぬ力を求めるだろうという事を。祝幻や丸子との間に、どんな交渉が有ったのかは分らない。ただ、全て彼の為に。否、彼と復讐を遂げる為。
「怖いな。貴女も本気みたいだ」
瞠目する都子の姿が映る。この程度の事なら当然する、とでも言いたげだ。丸子氏等と組むことは、陰陽連出身、それも四大名家の名手ともなれば、相当に重い事の筈だが。恐らく天地神明に誓ったのだろう。地位も名誉もかなぐり捨てて、成就すると。
「潮様、どうやら式との契約をできるようになった様子。次の休日にでも、契りを交わしに参りましょう。私も同行します」
式との契約。それは妖怪を使役するという事だ。それができる術者は、陰陽連でもそう多くはいない。潮は自分の中に、そんな物が眠っていた事に驚く。それと同時に誰よりも妖怪を憎むと宣言したのに皮肉なことだ、と胸中で笑う。
『それにしても、都子さん。それも禁忌じゃないか。普通契約は1人の人間と1体の妖怪で成立する物だ。複数人で狩った妖怪を包括しては、許容量がオーバーして契りを交わした瞬間死ぬからな。確か契約者より強い妖怪を宿しても平気で生きていける、そんな類の禁術……檜扇家のだったか』
復讐者を名乗るにしてはルールに縛られ過ぎてきたようだ。潮は胸中でそう思う。外道にはそれ以上の外道で挑むしかない。例え自身が血で染まっても、そのお蔭で悲劇が減り、笑顔が増えればそれで良いではないか。
——————————————
潮が丸子一族と接触した日から、11日間が過ぎた。その間に4回妖怪討伐の任務を受けたが、何れも悪辣で低俗な下の上程度の徒輩だった。
「はぁ、ったく、今回は派手に負けたぜ」
潮達と別れた千里は、今日入った給料を右手に持って、馴染みの鉄火場に行き惨敗し今に至る。
夜11時半。今は自室——檜扇邸の外れにある一室——香坂(かざか)のお堂と呼ばれる、六角形の部屋だ。形状が特殊なため、敷かれている畳も特殊な形だ。12畳程はある。狭い部屋が言って宛がわれたが、残念ながらこれ以下の部屋は無いらしい。唯でさえ権威を表わす為なのか、広闊(こうかつ)な敷地だ。部屋もそれに合わせて大きくもなるのだろう。
部屋の西側には鏡面が置かれ、東側には箪笥や文机が設置されている。千里は文机に向かい突っ伏す。ここ最近、潮の様子がおかしい。元々馬の合うやつではないが、変化に敏感だと自負する千里はため息をつく。11日前、その日を堺に彼の様子は、一変したように思う。突然の霊力上昇、そして今まで以上に猪突猛進な戦い方。それなのに戦闘時以外での受け答えは、今までより穏やかだ。
あの日、何かあったのは間違いないだろう。しかしそれがどのような出来事なのかは、皆目見当がつかない。何者かに力を譲渡されたのか。だとしたら対象の目的はどんなことで、契約内容はどんなものだったのだろう。場合によっては自分にも降り掛かってくるかもしれない災厄の足音を感じ、千里は歯噛みする。しかし、考えても情報が少なすぎて埒がな。そう結論づけ彼はさっさと布団へと潜り込む。
『2週間近く経つけど、全然慣れねぇ寝床だな』
良く干されて肌触りのいい羽毛布団は、少し硬い湿気たものほうが好きな千里には居心地が悪い。高い天井も開放感が有り過ぎて、圧し潰されそうになる。初日など夜伽の女性が来て、眠れたものではなかったことを思い出す。全く貴族という奴とは反りが合わない。
胸中でそんな事を毒づいていると、どこからともなく白銀の蝶が舞う。今は秋口。少し肌寒い位で、襖など開けてはいないのだが。その蝶に彼は慣れ切っている故か、驚く様子はない。重々しい溜息を吐き、半身を起こす。
「親父か? 何の用だ?」
蝶から脳内へと発せられる情報に千里は頬を引き攣らす。話に寄れば、陰陽連に総攻撃を仕掛けるらしい。場所は陽明京のお膝元。首都巌閃(がんせん)。何を考えているんだ、と声を出しかける。幾ら離れていて深夜であろうと、人がいる可能性は0ではない事を考え、心に言い聞かす。そんな所で合戦をすれば、双方大きな傷を負う。撃退した暁には間違いなく陰陽連は、世界討伐に動くだろう。
「陰陽連の怡土郡に所属する俺の子飼いは半妖で、世界の右腕である塔(あららぎ)の息子でした、か。悪い冗談だよなぁ」
渋面を造り押し黙る千里の耳に声が響く。自らの上司で、この邸宅の主でもある檜扇祝幻の、蜘蛛の糸が如く粘着質に絡まる低い声。千里の全身から、炭酸の泡が弾けるような怖気が走る。ゆっくりとした所作で襖が開かれた。
「祝幻さんよ、何の事か分らないな」
上司と部下の関係とは思えない、軽い調子で千里は白ける。全て話を聞かれたとは限らない。自分の事情を正確に把握しすぎている事は気になるが、唯のまぐれである可能性はある。何かしらの情報を得て、それを探しているだけという希望的観測だ。何せ、千里だと断言はしていない。
「俺を見縊るなよ千里君? 全部分っててここに迎え入れたに決まってるだろ? それにしても塔君もあれだよね? 確かに腕っぷしは半端じゃないけどさ、こんな所にまで連絡飛ばすなんて、頭は悪いよな」
逃げられない。そう、判断する。
「何が目的だ?」
目の前のオールバックをした堀の深い男を睥睨しながら、千里は努めて冷静な口調で問う。それに対して、祝幻は凄絶な笑みを浮かべて。一点の曇りもない、さわやかな笑顔で手を差し出す。
「手を組もうぜ? 陰陽連の情報を流してやる、幹部しか知りようがないような上等な奴だ」
何を考えているのか分らない。訝しみながら、他に手段は無いと判断する。
「良いぜ、乗ってやる」
今この場で殺されたりしたら、敵わない。胸中で呟く。そして祝幻の手を強く握った。強制という名の、盟約の締結だ。
『あぁ、面倒な事になったなぁ』
【完】
第二話『暗く寒い夢の中で』
- Re: (合作)闇に嘯く 2話【終】メンバー急募中! ( No.58 )
- 日時: 2018/01/30 20:20
- 名前: noisy ◆7lGlqurDTM (ID: eldbtQ7Y)
第三話『Unforgiven』
彼は蹂躙せし者である。
呻きと血の泡を吐き悶え苦しむ陰陽師の目に指を突っ込み、陰陽師を引き摺りながら彼は言葉一つ発する事なく歩み続けている。血の滴が点々と地面に伝い、巨大な槍の穂先が引き摺られ血痕を掻き、乱していく。悲鳴が耳障りなのか、眼窩へと更に指を突き入れ、陰陽師の身体を持ち上げると自重で指が更に深々と突き刺さり、妙な痙攣をしながら物言わぬ屍となるのだった。そうして、その蹂躙せし者は漸く訪れた平静に安堵を抱いたようで、短く溜息を吐いた。
遂に動かなくなったその死体、それを放り込んだその先には複数の陰陽師の死体が転がっていた。ある者は槍で首を刺し貫かれ、ある者は首から先が失われ、肉の中に白い骨を晒している。またある者は胸を潰され、大きく凹んでいた。皆が皆一様に血に塗れている。あ、と吐く間もなく死したようだ。骸の群れの中、一人何を思う訳でもなく勝利したという事実すら興味なさ気にその者は槍の穂先を死体の群れへと向けた。
「首の一つでも返してやるかあ」
伸ばされた穂先が先ほどまで引き摺られていた目を潰された陰陽師の首元へと伸びていく。ぷつりと皮膚を裂き、肉を越え血管へ届くと血が湧き出てくる。その様子に口角を吊り上げながら、少しずつ少しずつ肉を切り裂いていくのだ。骨へと届くなり穂先を突き入れ、その者はせせら笑う。勝てない者に何故、こうも人間は向かってくるのか、と。無謀は無価値、無理は死を招くのだ。敵意を持ち己の支配地域へ侵入した段階で無謀で無理なのだ、と。
搭の支配地域へと威力偵察を行った陰陽師の小隊から連絡が途絶する事の半日。生存は絶望的であると判断され、陰陽連内部では四天王を召集していた。長机の手前側、向かい合うようにして阿部晴貞と檜扇祝幻。その隣には土御門仁親。その向かい側には火坂部アヤネの姿があった。彼等の頭目である安部時峰の姿はない。恐らくは晴貞から事後報告を受け、それで済ませるつもりだろう。それほどまでに四天王という存在は信頼を寄せられているのだ。
「俺の配下のため、迷惑を掛ける。先に詫びておこう」
「良いって事さー。それよりも搭をどうやって討つか、そもそも討てるのか。兵力を割いた場合の守備は。自身を陽動として、配下の主力を差し向ける。如何にも奴さんがやりそうな事だよ。あっちなんてうち等のやり口熟知してるでしょ」
仁親の詫びを流し、晴貞はやや間延びした声で議題を投げ掛けてくる。祝幻は内心気が気では無かった。千里を泳がせている事実を見透かされているのではないだろうか、と。晴貞の言葉には含みがあるように感じられたからだ。搭は倒せないが仕掛けない限り問題ない。この結論は何十年も前に導き出されており、何故搭がこのタイミングで攻め寄るかという疑問が上がった際に疑惑を投げ掛けられかねない。晴貞の黄色の瞳がじろりと一同を見回している最中、一瞬だけ祝幻で視線が止まり、彼女は含みのある笑みを湛え席へと戻る。
「……今回、塔との衝突に至った経緯を説明させてもらう。その上で各々の判断を問いたい。奴の支配域近辺にて、不穏分子の存在が確認された故、それらの追跡をさせていた。……人間、妖怪、不穏分子。分水嶺を僅かでも越えたならば血を流しかねない任務であった。越境し、攻撃の一つでも察知されたならば全面的な抗争となる事も承知の上でだ。そんな状況下、彼等は越境に気付けずに居たようでな。……恐らくは高度な幻術だろう、地形を偽造し、地理情報も何もかも捻じ曲げられていた。塔の領内を我が物顔で歩いていたのだ、そこに現れていたのは迎撃に現れた塔。結果は成す術もなく、という話だ」
「不穏分子? 私には何も聞かされていない、どういう事?」
仁親の説明に噛み付くアヤネであったが、彼は口を閉ざし語ろうともしない。アヤネの傍ら、琥珀色の瞳が彼女をじいっと見つめ、知りたいか? というような顔をしながら嗤っている。祝幻にはその晴貞の様子が気に入らず、まるで彼女の手の平の上で踊らされているかのような錯覚を覚えた。
「俺の独断だ、一応言っておくが越権行為でも何でもない。なぁ、祝幻」
居直ったような物言いでアヤネをあしらい、彼は祝幻を見据えながら問いかける。斜め向かい、琥珀色の瞳が愉快そうに祝幻を見遣り笑っている。笑顔などなく、腹の底でくつくつとだ。
「……越権行為ではないぜ、俺らにはそれなりの権限ってもんがあるからな」
「権限ねぇ……、あぁいや。こっちの話。兎に角、私は塔討伐を急ぐべきだと思うけどね、交戦期間、睨み合いが長引けば長引く程に内通、間諜、この類の毒を洗わなければ成らなくなる。そうなったら後手に回る、妖怪は人間よりも強大というものだよ」
黄金の瞳がさぞ愉快そうに細められている。その細められた隙間が祝幻を見据えていた。彼女が意味もなく、人を見たりする悪癖は今に始まった事ではない。居心地の悪さこそ在れど、気にする事でもない。
「俺も討伐には賛成だ。弔い合戦ではないが奴の支配域を狭めねば成るまい、本当に討たなければならない者を見失う訳には行かんのだ」
「私はどっちでも良い、勝手に動いて今みたいな事になった訳でしょ。話としては本当に面白くないから」
仁親は討伐派、アヤネは中立を保つ。口ぶりから取るに晴貞は討伐を推す事だろう。既に出来レースのような状況に祝幻は不快感を抱き、顔を顰めた。仮に塔が討たれるような事があったなら、千里の立場は勿論の事ながら自身の身すら危うくなる。既に流された情報、内通の事実、そしてそれを許容したという罪。こればかりは幻術を用いたとしても隠しようのない事柄なのだ。
「そうだな……、俺は反対だ」
浅ましい保身だとは分かっている。黄金色の瞳を細め、さぞ愉快そうに肩を震わせて笑っている白い半妖が憎らしいものに見えた。見透かされているのではないか、という不安がまた去来し、奥歯を噛み締めて晴貞を見据えた。口の中が乾き、どこか息苦しく感じられた。
「晴貞、何が面白いんだ」
「いやあ、君は情に薄いねえって。末端の人間といえども死んだのは仲間だよ? だってのにそれはあんまりでしょう」
半分妖怪の分際で人の情を語る、それが祝幻からしてみると不愉快だった。全てを見透かしているかのような口ぶり、人を不快にさせる事に長けた厭らしい半妖。奇人、変人その類が何を語るか。と憤りを感じ、握り締めた拳が僅かに震える。
「……祝幻、そう猛るな。今に始まった事ではないだろう? 俺は晴貞と同じ意見だが、お前を薄情だとか思ったりはせんよ。落ち着いてくれ。なぁ?」
宥めてくる仁親をきっと睨みつけてしまったが、彼は静かに笑みを湛えていていた。敵わない、と少し惨めな気持ちにこそなりはしたが、戻りつつある冷静に背を推され、はあと溜息を吐く。
「分かった、分かった。やる、やるさ。何人出すんだ? 兵は、どれだけ必要だ」
「本当にすまないな、主力はあくまで俺の配下から出す。お前はそもそも争いたくないのだろう? 少しだけで良い、何なら後方で兵站を担ってくれるだけでも構わない。体裁を保つだけで良い」
「……それで良いのか?」
「あぁ、構わないよ。晴貞、お前はいつも通りだろう?」
「勿論、露払い。雑魚を喰い散らかすだけの話だからね、アヤネはどうする? また私のお守りでもするかい?」
「遠慮しとく。ろくな事にならないし。私は私だけで行くよ。下に被害だしたくないしさ、此処の守りも必要でしょ」
そうかそうか、と仁親は少しだけ嬉しそうに頷いていた。顔も知らない者達のために仲間が動いてくれるのが嬉しくてたまらないのだ。その場での口約束であったが、皆には立場がある。だからこそ二言はなく、それだけで良いのだ。
「じゃ時峰に話つけとくよ、兵を動かすってね!」
やけに張り切った晴貞が席から発ち、あと吐く間もなく外へと出て行ってしまった。その背を見送りながら随分と気安いな、と仁親は笑っていた。
「仁親、今度から気をつけてよ。言えない事じゃないんだし」
「それはすまなかったな、今度から気をつけるとしよう。祝幻! お前にも無理を押し付けてしまったようですまなかった、今度埋め合わせをしたい、予定を空けておいてくれ。頼むぞ」
四天王の中では外見的には最年長である、そんな彼がそうやって怒られながらも笑っていると、どうもそれが父親のようで心なしか長英と重なって見えてしまう事も多々。今もそうで、苦言を呈する気を削がれて薄ら笑いをするしかなくなってしまうのだった。