複雑・ファジー小説
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- AnotherBarcode アナザーバーコード
- 日時: 2020/12/07 18:30
- 名前: ヨモツカミ (ID: 6fVwNjiI)
- 参照: https://www.kakiko.info/profiles/index.cgi?no=12746
生きていれば。生きてさえいれば、いつか幸せになれると思っていた。
私だって、生きてても良いんだって。誰かと一緒に笑う事も出来るんだって。
そんな夢を、見ていた。
それが幻想だとわかっていても。私達は望まずにはいられなかった。
普通に朝を迎えて、普通に誰かと過ごして、そして普通に1日を終えて、普通の明日を待つ。そんな幻想に酷く焦がれたところで、永久に叶うことはないのに。
………………………………
これは、継ぎ接ぎバーコードとは別の、もう1つの話。
こんにちは、ヨモツカミです。以前からオリキャラ募集して、話だけ練ってたのですが、ようやくスレ立てすることができました。
本編では明かさなかった事とかオリキャラ募集で投稿頂いたキャラなどが主に活躍します。つぎば本編も読んでいるともっと楽しめるんじゃないでしょうか。本編読んでなくてもなんとなくわかるような説明も入れるつもりですが。
【目次】>>15
よくわかんない投稿の仕方してるので、1レス目から見るとかじゃなくて、目次見たほうがわかりやすいと思います。
【キャラクター関連】
登場人物詳細その1>>16
桜色の髪の少女>>1 ロスト>>21
ロティス>>2 レイシャ>>24
アイリス&シオン>>6
【軽い説明】
群青バーコード
青色の、通常のバーコード。モノによっては人の役に立つかもと考えられている。バーコード駆除の為の兵“カイヤナイト”は群青バーコードで構成されている。
翡翠バーコード
緑色の、失敗作を意味するバーコード。暴走しやすかったり、力が使えなかったり、ヒトとして機能しなかったりする。大体はすぐに処分される。
紅蓮バーコード
血のような赤色の、殺人衝動をもつ、特に危険なバーコード。うまく使えば兵器として使えるため、重宝されたりもしたが、基本的に危険視されており積極的に駆除される。
漆黒バーコード
全てを吸い込む様な黒色。殆ど謎に包まれている。本当のバケモノだと恐れられている。
ハイアリンク
バーコード駆除専門の軍隊。基本的に人間で構成されているが、その中にバーコードで構成された特殊部隊“カイヤナイト”がある。
【お客様】
メデューサさん
2018年2月6日スレ立て
- Re: AnotherBarcode アナザーバーコード ( No.35 )
- 日時: 2021/01/06 20:16
- 名前: ヨモツカミ (ID: gnqQDxSO)
【二次創作】 No.05 堂々たる殺意より
僕らを繋ぐ鎖は、きっと首に絡まっていて、逃れようと藻掻くたびに自分たちの体を傷つけ合うのだろう。
先輩に出会ったのは、放課後の誰もいない科学室だった。科学部の部員は僕を含めて一人だけで、高一の僕が今年入らなかったら消えていた部活だ。僕は別に、科学に興味があったわけでもなく、そこに入って部長になることで、内申点を稼ぎたかった。つまり科学部は僕にとってただの都合のいい場所で、将来的に何か人に偉そうにお話できる実績が欲しかったから入っただけの、利用し合う関係ってところだった。
一応部員としてそれっぽく白衣に手を通してみて、それっぽく実験器具もいじってみたが、やったことといえば、アルコールランプでカルメ焼きを作って遊んだくらい。中々美味しくできて、悪くないと思った。
その日は確か、誰もいないはずの科学部に来たら、先輩がいたのだ。顔も名前も知らない、と言えば嘘になるが、筑紫丹兎(つくしにと)という男と顔を合わせるのは、確かに初めてであった。顔を見た瞬間、心臓が口から飛び出そうになるくらい驚いた。何せ、僕の方は彼を一方的に知っていたのだから。
でも、この世界では知らないことになっていたから。顔は忘れたくても忘れられないくらいよく知っていて、名前はここでは違うのだろうと考えて。なんでもないような素振りを努めて、こんにちは、なんて話しかける。科学部に幽霊部員なんていないし、学年カラーからして彼が三年生の生徒だということは分かった。じゃあ、忘れ物でもした生徒なのだろう。そう思いつつも、科学部に見学にでも来たんですか、って声をかけた。
先輩は何も答えずに、何かぼやくだけだった。変なやつ。そう思っても口に出さずに、親切に科学部の説明なんてした。本心を言えば、早くこの部屋から退室して欲しくて、なんで君がここにいるんだ、の言葉を噛み殺して。
部員は自分しかいないこと、だから僕が部長であること、普段からまともな活動はしていないこと、そこまで話しても先輩は不思議そうな目で僕を見ているだけだった。全体的に色素が薄くて消えそうなのに、でも力強い目をしている男。小柄な僕をぼんやり見下ろす彼も、それほど背は高くない。ああ、何も変わらないんだなって、近くに歩み寄ったときに思った。
そろそろ面倒になって、ちょっとカマかけてみようか、なんて考えたのが悪かったのだと思う。
「ねぇ……久しぶりだね、ニック」
「は? 誰? ボクはあんたに会ったことなんか……」
ずっとぼんやりしていたくせに、急に大袈裟に驚いた様子で返してきた。その通り、僕らは初めましてだ。普通に生活していたらもう再び顔を合わせることなんてなかっただろうに。同じ学校に入学してしまったのは、腐れ縁か何かだろうか。
「そうですよ、先輩。初めまして。で、先輩は科学室に何か用でもあってきたんです?」
「なにか?」
先輩は考え込んで、ボクは何しに来たんだっけとか、おかしなことを言い出す。あんたが何の用で来たのか、こっちが知りたいのに。
用が無いなら帰ってくれますか。そう言い終わるか終わらないかのところで、急に。
先輩が僕の首を両手で掴んできた。そのまま押された僕は、後ろの壁にゴツン、と後頭部と背中をぶつけて。僕の首を掴む先輩の指に、はっきりと力が込められた。要するに、首を絞められていた。
う、とくぐもった音が漏れただけで、上手く声が出ない。正面から、的確に喉仏の辺りを親指で圧迫される。放せ、と声を上げたいのに、上手く行かない。次第に呼吸が苦しくなっていって、かは、なんて意味のない吐息が溢れる。
遊びで首を絞めることは普通にあるけれど、それだったらこの辺りで開放されている。けれど先輩は一向にやめる気配がない。それどころか、ギチギチともっと強く喉を圧してくる。先輩の腕を制服の上から掴んで、引き剥がそうとするも、どうやら自分の力では及ばないらしい。
「がっ……ぁ、ぐ、」
視界がチカチカと明滅する。いよいよ本気で放してもらえないと命が危ない、と自覚して、どうにか身をよじるのに、先輩は更に強い力で押さえつけようてしてくる。ひゅ、と喉から変な音が鳴る。
こいつ、僕を殺す気だ。明確にそう思い始めた辺りでは、もう腕に力が入らなくなりだしていて。唾液やら勝手に出てくる涙で酷い顔をしていたと思う。
先輩は自分が人を殺すかも、という自覚でもしたのか。やっとのことで解放されると、僕は床に座り込んで何回も咳き込んだ。息を吸いたいのに、喉につっかえた空気が吐き出される。
ぜいぜいと呼吸を繰り返していたら、大丈夫か、なんて先輩が聞いてきて、お前がやったくせにと思いつつも小さく頷く。
「そんなつもりなかったんスよ、何故か急に気持ちが抑えられないくらい暴力的な思考になって、そうしたら、君にこんなことを……」
ああ。やっぱり先輩には前世の記憶がない。でも前世の怒りを体が覚えていたらしい。
先輩の仲間たちをみんな殺した。仲間のふりをして、騙して。ある日惨殺した。そして先輩は復讐に燃えて。でも達成できなかった。
僕は世界の常識から弾き出された異質な存在で、要するに死という概念を持っていないバケモノだったから。先輩は復讐のために何度も僕を殺したけれど、僕はその度何度だって生き返った。
彼の仲間たちを惨殺して、だから殺された僕は、その都度生き返り、そして殺されて、生き返って、繰り返した不毛な闘いは結局終末を得ることはできずに。先輩は、僕のことを命を落とすその瞬間まで色濃く恨み、怨み、呪い続けただろう。
その因果なのか。僕達はこうして来世で出会ってしまった。
ニック。タンザナイトの隊長。漆黒バーコード。不老不死のバケモノ。それが前世での僕らで。
でも、この世界の僕はただの人間だ。殺されれば、普通に死ぬ。一度の苦痛で終われるなら、悪い気はしない。死にたいする恐怖なんてもう、残ってはなかった。それでも、ニックの方は違うのだろう。
僕を殺したくて、堪らないのだろう。こうして転生して、僕のことなんて忘れてしまっても尚、魂に刻まれた怒りが突き動かす。きっと筑紫丹兎という少年は、この激しい殺意とは無縁の生活を送ってきたはずだ。僕と出会ったことで、魂に刻まれた憎悪が呼び出されてしまったのだろう。
「君に。君に殺されてしまったほうが、君は楽になるのかな」
嘆息を混ぜ混んだ声で口にする。先輩は目を見張るばかりだった。
「こ、殺す気なんて無いッスよ、だから、さっきのは事故で……」
先輩は自分の掌を、何か信じられないものでも見るみたいに見つめた。それから僕に怯えたような視線を向ける。殺されかけたのは僕なのに、なんでそんな顔されるのか。
それが気に食わなかったから、僕は嘲笑を混じえて言う。
「事故? あんなに本気で殺そうとしてきたくせに、無責任だね。先輩は初対面の後輩をつい殺してしまいそうになるようなサイコ野郎なんですね?」
「違……だから、急に気持ちが抑えられなくなって、理由は、わからないんだ……ああ、ボクはなんて恐ろしいことを……」
少しからかい過ぎただろうか。それに、これ以上対面していると、また殺そうとしてくるかもしれない。次にそうされたときも生きていられるかはわからなかったので、さっさと部屋から先輩を追い出した。
首にはくっきりと痣が残ってしまっていた。
それから一週間ほど経って。どういうわけか僕らはまた一緒にいた。
「ちゃんと謝りたくて」
それが先輩の言い分だった。放課後に人気がない屋上に呼び出されて、浮かない顔をした彼がそんなことを言ってくる。僕としては、この状況が少しだけ怖かった。だって、今ならこの屋上から簡単に逃げられないし、また殺されかけたなら、今度こそ死ぬだろう。別に、前世の境遇のせいで死ぬのは慣れた。でも、生物として本能的に、死は恐ろしいものだ。抗いたいものだ。それに今の生活は気に入っている。簡単に死にたいとは思わない。
「その、謝る前に、あんたに色々聞きたいことがあるんだ。こないだからボク、変なんスよ」
「僕からすると最初から変だけどね。何?」
先輩は少し迷うような素振りを見せたものの、思い切って言葉にする。
「海原真理亜(うなばらまりあ)先生、いるじゃないスか。国語の美人な教師。あの人のことが、やけに気になったり、」
「……恋愛相談かい?」
「違うから! 他にも、今までどうでも良かった生徒のことがやけに気になったりするんだ。名前だって知らなかったし、初めて見るのに、そんな気がしなくて、懐かしかったり、その、凄く近寄り難い感じがしたり……アンタのことみたいに、身に覚えのない感情が湧くんスよ」
この学校には、他にも僕の前世に関わる人間が何人かいる。それらが関係しているのかもしれない。海原先生だって、前世では先輩……ニックと共に行動をしていた、タンザナイトの副隊長だった。僕と顔を合わせたときに少しの動揺も見せなかったから、おそらく彼女にも前世の記憶はない。でもなんの因果なのか、僕らは同じ学校にいる。変な気分だ。
「ちなみにその気になる生徒ってのは誰なの」
一応確認しておこう、と訊ねてみる。
「一年の夏目朱(なつめあけ)、あと同じクラスの倉見憂威(くらみうれい)だ。夏目さんのことは懐かしい感じがして、倉見のことは見てると何故かイライラする。倉見はすごくいいやつなのに……」
夏目朱。アケ。それもまた、タンザナイトに所属していた少女だ。彼女までこの学校にいるとは知らなかった。それから倉見憂威。クラウスという名前の、僕と一緒に行動をしていた男だ。
アケの方は知らないが、クラウスは前世の記憶はない。最初に会ったとき、僕が思わずクラウスと呼んで呼び止めたが、人違いだよ、と笑われたのだ。だから、確かに記憶はないはずだ。
倉見先輩は記憶がないはずなのに、何故か若い体育教師である十影徹(とかげとおる)によく懐いている。十影先生の前世も、僕らと行動をともにしていた男、トゥールだ。彼には前世の記憶があるらしく、僕や倉見を見た瞬間に、泣き出しそうな顔をしていた。僕はまだしも、倉見に記憶はない。それを知ると、十影先生は寂しそうに笑っていたっけ。
「君は。なんか。知ってるんじゃないッスか?」
「さあね。僕には関係ないでしょ」
「そんな……なあ、教えて下さいよ、ボクは、なんなのか……」
僕が彼を無視してその横を通り過ぎようとしたら、喉元を軽く掴まれた。殺気は感じない。それでも、教えない気ならこうする、とでも言いたいのだろう。
どうせ彼はただの学生。もうあの頃みたいに命を奪う勇気なんてないに決まっている。それに僕だってもう何度も死ねない。だから首を掴む掌がどれだけ意味をなさないか、よくわかる。
呆れたように肩をす竦めつつ、僕は先輩を睨みつけた。
「脅しのつもり? そんなことしたって、教える気はないよ。知らなくていいことだってあるんだ」
「その言い方。何か知ってるんスね」
「聞いても君には理解できない。君が僕のこと殺したいほど恨んでるなら尚更、話すべきじゃないよ。僕はニックのこと──」
はっとして口を噤んだが、かつての名前で呼んでしまったのは、もう取り返しがつかない。先輩は真剣な眼差しで僕を見つめ続けている。ただ、知りたい。それだけなのだと。
先輩は。ニックは、前世の記憶はないようだが、クラウスみたいに完全になくしているわけではないらしい。僕のことを殺そうとしたのが何よりの証拠だ。掠れた記憶の断片で、かつての知り合いを見るたびに、小さな違和感を覚える。喉につっかえた魚の骨みたいに、異物感を残すそれら。アケやマリアナや、クラウスに僕。彼らをどんな気持ちで見ているだろうか。
仕方ない。僕は首元に触れていた先輩の腕を振り払って、静かに語った。
「かつて、僕らは仲間だった。だけど、僕がそれを裏切って、君の仲間たちを殺した。僕を許せない君……先輩は、この世界で僕と出会ってしまって、かつての恨みとか殺意だけ残ってしまったから、だから僕を殺したくて仕方がないんじゃないかな」
「仲間。仲間……だった。裏切られた。……そう。か」
先輩は、言葉を噛み砕いて、それからやけにスッキリしたような顔で微笑んだ。なんでそんな顔をするのかわからなくて、思わず僕は警戒する。
「土屋仁(つちやじん)。ボクと。友達になってくれないスか」
「いや、この流れでその台詞はおかしいって」
***
学パロつぎば、やってみたかったんですよね。続きがあるかもしれないし、ありますよ当然。
- Re: AnotherBarcode アナザーバーコード ( No.36 )
- 日時: 2021/01/31 18:25
- 名前: ヨモツカミ (ID: 4SWfsvrw)
【二次創作】 No.06 刃
雨が彼を濡らしていた。彼の目の前にいるのは、半分瓦礫となった建物の下で雨をしのいでいる二人の男の影。二人の体からは水たまりができるくらいの赤い血が流れている。その血だまりも、押し寄せる雨のせいで地面の上に滲むように広がっていた。
入り口付近で、もうこれ以上動けないとばかりに弱弱しい息を吐き出す二人を、少年は外から眺めていた。着ている服が全身に、真っ黒な髪が額や首筋に張り付く気持ち悪さも忘れるくらいに鮮烈な光景だった。
すぐさま二人の容態を確認する。濡れた体のまままずは細身の体の男に駆け寄った。上体を抱き上げると、特徴的な金色の瞳をほんの少し光らせて、大丈夫だと応えて見せた。
「馬鹿! 全然大丈夫じゃない!」
包帯は無かったものだろうか。確か、大きなカバンに詰め込んでいたはずだと思い出した。抱きかかえていた男の状態を、もう一度ゆっくり地面の上へと戻して、もう一方の男へと駆け寄った。
もう一人の男は同じように傷だらけである。靴に雨と混ざった彼の血液が染み込んだ。白かった靴底が、泥と埃に塗れた汚い朱に染まる。はは、やられちまったと自嘲するように笑うその男が開いた口からは蛇のような二股の舌がチロチロ動くのが覗いていた。
彼の腕をよく目にしてみる。特徴的な鉤爪だったものは砕けるように折れ、腕を覆う鱗は禿げたり裂かれたりして肌はもうボロボロだ。尻尾は切られたのか自ら切り離したか知らないが、先の方が失われている。
彼が背もたれにしているそれこそが、旅立つ際にまとめた携行食糧と応急手当の用品とをまとめたものだった。底の方が血に汚れてしまった鞄のチャックを開けて、中を物色する。一番下の方に入れている服は後日捨てるとして、何とか上の方に見つけたなけなしの消毒液とガーゼ、包帯とを取り出した。
目の前の二人が、決して人間ではないというのが今日この瞬間においては救いだった。この状態でまだ息があるなら止血すれば明日にはある程度傷が塞がっているはずだ。以前この爬虫類のような男に教わった通りに、綺麗に包帯をその体に巻き付けた。勿論、消毒もしてからだ。
すぐに先ほどの少年の方へと戻る。今度は彼も目を覚まさなかったせいで、背中に冷たいものが走ったが、穏やかな寝息が聞こえてきたことからまだ大丈夫だと悟った。むしろ抵抗しない分だけありがたいと、そちらも手当てをする。
むしろ彼の場合、意識があり続けた場合に不意に能力が暴発して透明化してしまう方が怖かった。そうなれば手当てもし辛く、その間に取り返しのつかないことになってしまうかもしれない。
両者の処置を終え、ようやっと少年は安堵の溜め息をついた。見れば、先に手当てした鱗が特徴的な男はさっきよりも幾分かましな顔色をしている。
「誰だ。誰がやった……答えろ、トゥール!」
いつもより低い声で少年は尋ねた。その声は、今呼びかけられたトゥールが、かつて少年から「生きろよ」と呼びかけられた時のものを思い起こさせるほどに、揺れていた。こんなに動揺した彼の声など聞くのはいつ振りか、など考える。思えば、思ったよりもこの少年とも時間を共有しているのかと理解した。
目を血走らせ、詰め寄る少年。こうなったらこちらの言うことなど聞かないだろうなとトゥールは諦めた。観念するように、自分たちをこうした男について語りだす。
「紅蓮バーコードだ」
「カイヤナイト連中じゃなくて紅蓮か……分かった」
「待ってくれ」
今にも飛び出しそうな勢いの少年を呼び止める。噛み付きそうな勢いで、縫合痕のような黒い線が走った顔が振り返った。
「何だよ! 僕を止めるな!」
「今俺たちが襲われたらひとたまりも無い。情けない話だが、護っていてくれる方が有難い」
嘘だ。ピット器官も備えたトゥールは、近くに自分たち三人以外の熱源がないと分かっていた。加えて、命からがら隠れるように逃げた自分たちを追って、見当違いの方向に去った紅蓮バーコードがしばらく此方に戻ってこないであろうことも。
全ては、目の前の少年が一人で突き進まないように吐いた嘘だった。けれどもそんな理屈、いともたやすく論破される。
「馬鹿! 今ここで襲われた方が危ないだろ! 怪我人二人庇う余裕なんて僕には無いぞ」
「それもそうか……」
「絶対死なない。知ってるだろ?」
少年の言葉に、トゥールは今度こそ返す言葉も無かった。肯定する代わりに、敵のいるべきはずの方角を少年に伝えた。
「……ジン」
「何だよ、まだ何かあるの」
「不味いと思ったら、俺たちなんて忘れて逃げろよ」
「……心配すんな」
不愛想に吐き捨てる。そのまま、二人の方に背を向けて、今度こそ振り返らずに走り出した。
水溜まりを踏む音が遠ざかる。トゥールは手持ち無沙汰に、口からその二股の舌に、顔を出させた。まるで空気を舐めるように動かして。
雨の昼下がり、埃っぽくてかび臭い、嫌な味がした。
バシャバシャと、川のようになった水溜まりを逆流するように、トゥールが指示した方向へと走り続ける。きっと嘘はついていないはずだ、それゆえ彼の言葉を信じてジンは走り続けた。彼ら二人の血と、灰色の水とが染み込んだ靴は重たくなっていて、土踏まずも痛くなってくる。
泣き言なんて言うな。自分を叱咤する。見た目は児童に過ぎず、言動もよく子供っぽいと言われる彼だが、実際には百有余年の生涯を既に歩んでいる。辛いことなんて今まで星の数ほどにあった。痛くて苦しいこともいくらでも経験してきた。だからこの程度の疲労、なんて事ない。
それに、あいつらはもっと痛かったはずだ。ぼろぼろになった二人の様子を思い返す。全身に赤い線が走り、自分が浸かるほどに血を流した二人。弱弱しく笑う青年の顔が、無残にも削がれた鱗の肌が、テープを再生するみたいに脳裏に現れた。あれと比べたら、こんな痛みなど。
周囲の安全を確保するために、ジンと残る二人とで、二手に分かれて周囲を散策していた。その時に二人は、破壊衝動に飲み込まれた紅蓮バーコードと出会ったのだろう。
傾斜がかかった道の上を、やはり雨水はジンの方へ向かって流れていて。どうせならこの水流だけじゃなくて、時間まで逆流してしまいたかった。もしかしたら、何も変わらないかもしれない。けれども自分さえいればあの二人があんな目に会わなかったかもしれない。そう思うと、居合わせなかった過去が、針の山のようになって彼の心を抉るように突き刺さる。
せめて能力くらいは聞いてくればよかっただろうか。いや、きっと知らない、あるいは分からなかったのだろう。分かっていたならさっき呼び止めた際にトゥールが教えてくれたはずだ。それに、あの二人があんなに簡単にボロボロになるとは考えにくい。特にクラウスは不味いと思えば透明化して逃げられる。そんな彼があれほど手負いになっているということはおそらく不意打ちだったのだろう。
身体中に走った切創。あまり深く考えずとも相手は鋭利な刃物を持っているに違いないと推測できた。さらに考える。手当てしているときにトゥールには打ち身のようなものもあった。おそらくは、槌のようなものすら持っているだろう。
果たして、どういった能力者なのだろうか。それだけ武器を扱えるのなら、大柄な人間のシルエットが思い浮かぶ。特に、硬い鱗を持つ彼の体を易々と貫き、砕くだけの力は最低限持っているはずだ。
ただそれも、普通の人間であればの話。能力を持つバーコードには、常識が通用しない。それは自身もバーコードであるジンが誰よりよく知っていた。何せ彼は、ただでさえ異質なバーコードの中でも、より異質な存在であるのだから。
僕と同じような能力かもしれないな。右手の人差し指と中指とを立てる。どこからとなく現れた、黒い粒子が渦巻いて、真っ黒なナイフとなって指の間に収まった。何もないところからナイフを生み出す能力、それも無尽蔵に。それがジンの能力だった。
同様に、剣やハンマーを作れるようなバーコードがいても可笑しくない。とするとそいつは自分よりも優秀な能力を持つことになるのか。そう思うと、何となく負けた気がして、神経がささくれるような思いがした。そんなことだから、子供っぽいと言われるというのに。
雨が地面を叩きつけるその音は、まだずっと五月蠅いままだった。それ以外の音と言えば、疲弊した己の息遣いと、地面に広がった雨水を足裏で叩いているものくらいだ。雨を吸ったズボンも靴も、普段よりずっと重くなっていて、不死身の彼とは言え足が棒のようになり始めていた。
本当に、こちらに二人の仇は逃げたのだろうかと、今更になってジンは不安になってきた。あの時はあまりに気が動転しており、いつものように我を通さんとする自分にトゥールが諦めたと思ったが、そうでないかもしれない。ジンが手痛い目に合わないように、全くの嘘を告げていたとしたら。
考えるな。少年は強く頭を横に振った。自分の想いを彼は受け止め、それに応えるように真実を伝えてくれたはずだ。自分がまず相手の言葉を信用しなくて、どうして彼が自分のことを信じてくれるというのだろうか。
あの二人を襲った紅蓮バーコード、彼あるいは彼女に出会っていないジンの脳裏に最悪の想定が浮かぶ。これだけ走って見つからない、とすると、もしやまた自分がいないところで、二人はそのバーコードと遭遇しているのではないか。
否定したくとも、しきれない。何せ一度起こってしまったのと同じことだ。再び目を離したすきに手負いの二人がその寝こみを襲われる可能性は十二分にある。むしろ、彼らをあそこまで痛めつけた者よりも、いつ見回りにくるかも分からない、ハイアリンクという統治組織の方がよほど恐ろしかった。
あの二人は僕と違う。ふと気づけば、少年の足は止まっていた。来た道を振り返り、焦点の定まらぬ目でずっと遠くの建物に焦点を合わせようとする。周囲のもっと高い建物に隠れて今は見えないが、その視線の先には明らかに、病弱な少年と爬虫類様の青年とがいる廃墟があった。
身体ごと向き直りかけたその時だった。後方から、厚く張った水を踏みつける音。飛び散った雫がまた地面に広がる水溜まりを打つ高い音がして、雨音の中に反響する。振り返れば、瓦礫の山の陰から現れた、男が一人。
その男は、先ほど見た自分と同じ道を歩む徒、病弱そうな隈の絶えない男と同じぐらいの背格好の男だった。クラウスと同じぐらいかと、弱弱しく笑っていた彼の顔を思い返す。こいつが、あいつらを。胸の内に沸き立つ情動、目の前の男が自分の追ってきた男だと判断するのは容易いことだった。
その手首から先は、能力によるものだろうか普通の肌色の手ではなく、今の空と同じ灰色をした刃が付いていた。刃渡りがその男の座高ほどもあるその剣のせいで、左右の腕の長さが異常なまでにアンバランスだった。何せ左腕は普通の人間の腕である。しかし、あまりに長い、刃物と化した右腕はだらりと伸ばしただけなのに地面を引きずっていた。
そしてその全身、特にその藍色の髪から首、背中、腹へと垂れているのは、未だ乾ききっていない鮮血であった。クラウスの、そしてトゥールの血か。雨で肌寒いと言うに、痩身のその男は上裸で、左胸には真っ赤に染まった同じ長さの線が不規則な感覚、太さで何本も刻まれていた。
- Re: AnotherBarcode アナザーバーコード ( No.37 )
- 日時: 2021/02/13 19:21
- 名前: ヨモツカミ (ID: LHB2R4qF)
「あ、良かった。見つかったぁ」
ニイッと口角を持ち上げて笑ったその男は、黒ずんだ歯を露わにした。煙草のせいなのか不衛生ゆえのものだろうか、汚れて欠けてすらいるその様相にジンは顔を顰めた。痩せこけた顔にはクラウスのものよりも濃い隈を浮かべており、無造作に切られたぼさぼさの黒髪が、雨の中だと言うのに跳ねていた。
力に、血に、殺戮衝動に飲み込まれたバーコード。その苛烈な性格と、彼らの通った道の跡が真っ赤に染まることからだろうか、そう言ったバーコードの胸の印は赤く染まる。紅蓮バーコード、この世にある兵器の中で最もおぞましいと言っても過言ではない。
さっきから次の獲物が全然見当たらなくて退屈していたんだと、その痩身の男はジンに呼びかけた。
「さっきね、二人もいたの。結局逃げられちゃったけど今頃死んじゃったんだろうなぁ」
聞いてもないのに語りだす。先ほどどれほど愉しいことがあったのかを、丁寧に。それはまるで自分自身先ほど楽しんだ悦楽を反芻したいと思っているかのようで。誰よりも自分に言い含めるようにして彼は興奮で身を震わせながら言葉を紡ぐ。
見たことない二人組がいたから急に興奮してテンションが上がってしまった。血を欲してやまないのにここのところ誰とも出会っていなかったため、欲求不満であったのだが、それまでの我慢を認めてくれたのか一度に二つも玩具を見つけることができた。
玩具。そう聞いて、痛くて苦しそうにしていた、その顔をジンは思い返していた。瞼の裏に交互に、金色の光が弱弱しく輝く様子と、大けがを負ってまでも自身よりジンのことを心配してくれた男の血に塗れた腕。瞬くように立ち替わる二人の顔。激しい怒りに、網膜がチカチカする感覚。
気が付けば、少年はその男に飛び掛かっていた。
「お前が、二人を!」
「あっ、何だお仲間? じゃあそう言ってよ」
そしたら早いところ同じところに送ってあげたのに。さっきまで退屈そうにしていた男が、心底面白そうな屈託の無い笑みを浮かべた。狂ってやがる。やはり紅蓮に属する連中はイカれた奴しかいないと、ジンはその事実を再認識した。
男はと言うと、怒りに呑まれた少年とは違い、楽しそうながらも心底落ち着いた声音だった。目の前の玩具を弄ぶのに、最大限活用できる方法は何であろうかと思案している。さっきの連中は後ろから貧弱そうな男を斬って、それを庇うように動くもう一人をいたぶった。弱者を蹂躙する征服感は得られたが、達成感のようなものは何も得られなかった。
だが、既に我を忘れるほどの激情に突き動かされるこの少年はそいつらとは違い、その抵抗を目いっぱい楽しんでから捨てようと決めた。
深く考えることもできなくなるほどに猛る少年は、一秒でも早く殺してやると言わんがばかりに真正面から突っ込んだ。猪突猛進、その言葉がよく似あう。
出会うより前から握られていた真っ黒なナイフを、少年は男へと投げつけた。右腕を振るい、一直線に飛ぶナイフを払いのける。甲高い金属音と共に細身のナイフは地に叩きつけられた。
お返しだと、男は少年の顔の真ん中向かって鋭くその剣を突く。小柄な癖して戦い慣れしているのか、素早い動きでそれを避けた。懐の内にジンが潜り込む。だが、その小さな体で何ができると、隈の後が目立つ目で弧を描いて、嫌らしく笑って見せた。
しかし直後、またもや少年はその手にナイフを握りしめていた。先ほどと同じ形、大きさの黒い短刀。それが己の眼球目掛けて迫っていることに、男はすんでのところで気づく。
一閃、辛うじて顔をずらした男は、頬の肉を数ミリ抉られた程度で済んだ。ただしそれでも焼けそうな痛みが顔の上を走る。どろりと血が流れ出て、降り注ぐ雨と混ざり合った。
舌打ちを一つ、する余裕すらなくて。突き出された短刀、引き戻す際に再び男に牙を向く。手首を返し、刃が首元の方へ向いたナイフをジンは斜め下に引き抜くように手元へ戻す。一歩後退したその男、首の薄皮一枚だけを切り裂く。
容赦はしない。引き戻すやすぐに突く。目に次いでは首、首に続いて心臓向けて突き刺す。刃先が皮と肉とを裂いて臓腑まで達しようとするところを、左腕で何とか男は防いだ。ナイフを握るその腕を掴み、まだ幼いその子供を膂力で抑え込む。痩せ気味とはいえ、それでも子供の体をしたジンよりもずっと力は強かった。
刀を振り上げてもなお慌てない少年の様子を男は訝しんだ。もう後はその首刎ねてやるだけ、そう思ったのに。少年は何も持っていない左手の人差し指と中指とをピンと伸ばしていた。まるで何か細長いものを二本の指で掴んでいるようにして。直後見たことも無い真っ黒な粒が伸ばした二本の指の合間に現れ、収束する。もう二度も見た黒いナイフ、その三本目が不意に目の前に現れたのだ。
尽きぬ刃、これこそが少年の持つ能力かと、男は理解する。自分が剣を振り下ろすよりもさらに早く、そのナイフの刃が、噛み付くように男の首筋へ。
仕留めた。そう、ジンは思った。
しかし、その刃は届かなかった。否、届きはした。しかし男の喉元を貫き、裂くこと能わなかった。何事かと思いナイフを引き戻してみる。一瞬、男の肌に緑色の鱗のようなものが見えた。不味い予感がし、跳び退く。
「何をしたんだ、お前」
「やーだ、教えない」
煽るような言い方。ふざけやがってと、ジンは奥歯を砕けそうなほどの力で噛み締めて。
冷静さを欠いた彼は気づくことができないままだった、先ほどの鱗が常日頃見慣れたものであることに。右手の五指を余すことなくピンと伸ばして、それら全ての隙間に漆黒の刃を生成する。爪のように伸びた四本の刃が一斉に宙を駆け。
肩や腹などを同時に狙う四本の刃、それをたどたどしいステップで避けた男。油断しきったその姿に、左手でも作っておいた四本のナイフを投擲した。
両肩に一本ずつと腹に二本突き刺さる。苦しそうに呻いた男がよろめいた。ざわざわと、男の髪の毛が揺れる。顔を伏せ、うずくまった男を無様だなと鼻で笑った。
いい気味だ。さっきのはまぐれに決まってる。一気に勝負を決しようとまた新たなナイフを両手に一本ずつ作り出す。これで喉と心臓とを裂けば終わり。
「うぅっ、いてぇ……いてぇよぉ……」
嗚咽の声。そうだ苦しめ。泣いて、喚いて、痛みに怯えて、自分のしたこと悔いて死んでしまえ。
詰め寄るジン、顔を上げた敵。振り下ろされる二つの刃が、突然空中でぴたりと止まって。
いつの間にか、目の前の男の髪は、ぼさぼさの黒ではなく、真っすぐな見慣れたものとなっていた。目元に浮かぶ隈はその男本来のものと比べると幾分か薄くなっており、気がふれたような顔は、見慣れた陽気なものとなっていた。
下卑た笑みではなく、見慣れた心安らぐ笑み。その顔は、どう見ても。
「クラ……ウス……?」
「何で、こんなことすんだよぉ……」
痛みに怯え、泣く姿。生きててもいい事なんて何もないのに、死にたくないってもがく姿。どこからどう見ても命乞いするその姿は少年もよく知る彼に見えてならなくて。
ナイフを突き立てることができなかった。手が止まる。胸元のバーコードは、ちっとも緑色なんかしてなくて、全部真っ赤に染まっていると言うのに。右腕が鋭い剣となっていると言うのに。
不意に現れたクラウスの姿に、ジンの頭はパンクして、ぴくりとも動くことができなくなった。
一閃、雨降り薄暗いその視界を、灰色の線が走った。視界が段々傾いていくのが分かる。首を落とされた自身の胴体が見えた。直後、その胴体も再び振るわれた剣によって腰のあたりで両断される。
「あーっ、馬鹿をだますのってやっぱサイコー」
こいつの能力は変身だったのかと、察す。右手の剣は手首から先を剣に変身させたという事か。肺から空気も届かないため、悪態を吐くこともできない。
頭が地面を転がる度に、ジンの目に映る世界もぐるりぐるりと回転した。そして彼の意識は一度、失血と痛みによって死の淵へと沈み薄らいでいく。
聞こえてくるのは、性根の腐った能力者の、下品で粗野な笑い声。こんなところで、そう思いながらも、意識が闇の中に沈んでいくことは、ジン自身にも止めることができなかった。
- Re: AnotherBarcode アナザーバーコード ( No.38 )
- 日時: 2021/03/16 21:47
- 名前: ヨモツカミ (ID: CjSVzq4t)
三つの肉塊に分かたれた少年、その様子に満足したのか、姿を元に戻した男は恍惚とした表情で息を漏らした。次第に弱まる雨は、男の肌を打ち付ける勢いを失いつつあった。彼が愉悦に満たされるのを祝うように、鉛色の雲の隙間から光が差し込む。寒気を感じるような、湿気に満ちたその町中に光が差し込む。
彼にとっては神にすらその遊戯を肯定されたような気分だった。やはり自分の行いは間違っていないと、歪な笑みを晴れ間に向かって浮かべる。光を失い闇に沈んだ少年の目を見た男は、たった今済んだ歪んだ遊びを脳裏に思い起こし、カタルシスを得る。
最高だ、最高だ、最高だ。今日は何てついている日なんだ。二匹の雑魚をいたぶれたかと思うと、そのおまけにもう一つ玩具が得られた。どれもこれも日頃の俺の行いがいいせいだ。
どうせ死んだだろうし、聞いちゃいないだろう。そう思っても、何となく誰かに語りかけたくなった赤いバーコードを刻んだその男は、転がる少年の首を、髪を掴んで目線を合わせるよう持ち上げた。勝鬨を聞くとしたらお前しかいない。二人の倒れた姿を追い、立ち向かうも敗れたお前しか。
懸命に追ってきたんだろうなと思うと、かわいそうに思えてならない。しかし彼は所詮紅蓮バーコード、かわいそうと思えば思うほど、愉快で愉快で仕方ない。駄目だ駄目だ、そう思っても自然に口の端はつり上がって、目の縁が垂れ下がる。
それにしても、よく追い付いてきたもんだよ。目の前の物言わぬ頭に向かい、賞賛を浴びせる。
「それにしても、よく俺までたどり着いたよなぁ」
その町は元々栄えていた。それゆえ、広い空間に、人なんか簡単に隠してしまう高さの建物が、入り組んだ路地を形成するように立ち並んでいた。せめて自分の進んだ方角くらいは知らなければ出会うことなど無かっただろう。
とすると、誰が教えたというのだろうか。勝利の余韻、そして今度こそ玩具を使いきった寂廖に包まれそうになった彼は希望的な予測を立てた。実のところ、始めに襲った、蛇や蜥蜴のような男と、病弱そうな男の死んだ姿は見ていない。
全身の肌を切り刻まれ、傷から血をボトボト流す彼らは、そのいずれかの能力で透明化した。流れる血は、体表にあるうちは服同様消えるようで、身から離れた途端目に映るらしかった。しかしその場は既に血が水溜まりに滲んだせいで一面真っ赤になっており、どこに潜んだのかまるで分からなかった。かくれんぼは好きじゃない。充分に斬る快感を得た彼は、いずれ死ぬであろう二人など放置して次なる獲物を求めて歩き出したのだった。
もしその二人が生きていたのだとしたら。彼は考える。それゆえこのガキがこっちに来たんなら、その二人は生きているのではないか。バーコードは人間よりずっと傷の治りが早い。人間よりずっと丈夫にできている。今頃は、血が足りないにしても、辛うじて息はあること間違いなかった。
「いいなぁ、いいなぁ。生きてたらいいなぁ、死んでなかったらいいなぁ。二人とも生きてたらどうしてやろうか。あの貧弱そうな男……クラウスってこのガキは呼んでたな。あいつの鳴き声は楽しそうだなぁ。目の前であの蜥蜴男壊しちゃおっか。きっとこいつら仲間想いだから泣くんだろうなぁ。悲しむだろうなぁ。想像するだけで変なとこ元気になってきたなぁ。そういやこのガキ、仲間の姿になるだけで手ぇ止めてやんの、チョロすぎ」
全身くすぐったいような感覚だった。やはり今日は運がいい。楽しむ玩具が再利用可能だとは思っていなかった。エコロジー、俺って何て優しいんだろうとジンの頭を手にしていることも忘れガッツポーズ。固い骨が膝にぶつかり、痛みに舌打ちした。
もうこんなもの要らね、と空き缶を捨てるように放り投げる。
「さーてと、あいつら殺しにいこっと。まぁってってねー」
口笛を吹き、鼻唄をまじえ、上機嫌で歩き出す。少年が元々来た方向にいるのだろうと、そちらへ。
闇の底へと深く沈んだ少年の意識。それはまるで逃げ出せない底無しの沼のようであったが、それは不意に、そして無理矢理に光ある方へと浮上させられた。もう意思なんて死の淵まで追いやられて、後は永劫の無に沈むのみ。そんな所まで至ったというのに、望まぬ生にジンは再び立ち戻される。
弱まり、停止しかけた心臓。それは再び打ち鳴らす力を強くし始め。もう、僅かに痙攣する程度にしか動いていなかった心筋が、全身に血を送るべくいきいきと伸縮する。両断された傷口から溢れた血は、空中でぴたりと静止した。地面の上に雨と混じって散らばった赤い濁流も、その身から溢れた血液だけを精密に分離して、傷口から漏れでる勢いを逆流するように体の中に吸い込まれ始めた。
目から入る光が上手く景色にならず、耳から入る振動は上手く音に変換されなかった。死んだ、そう思ったのに意識がまた浮上して、こうやってゆっくりと鮮明な世界に戻される経験は果たして何度目だったろうか。
こうやってまた生きている世界に引き戻される時、決まって見える顔がある。桜色の髪をした、一人の少女。二人で約束を交わした少女。その約束の期日が本当に来るかは互いに分からない。ただ、二人の存在を永遠にするために決めた一つの約束事。一緒に過ごしていた彼女の笑顔を思い出す。絶望した後、共に悲しさに泣いた夜を思い出す。切なそうに流した彼女の涙、決心したように約束を言葉にしたその声。
あぁ、懐かしいな。まだ声は出せぬので胸の内のみで呟いて。そう言えば、死ぬのはいつ以来か。二人でいた頃は、色んな科学者相手に目の前で死ぬところを見せつけたし、一人でいた頃はよく殺されたものだが、三人になってからはろくすっぽそんな経験は無かった。
彼女と別れたのはいつの事だろうか。誰より大切な人。もしかしたら、自分よりも。
切り離された体が、互いに求め合って、磁石のように引き付けあい、切断面でぴたりとくっついた。傷口なんて元々無かったのではないかと、思うくらいに。後は頭が首の上に乗るだけ、その時だった。
脳裏を過る、もう一つ別の光景。それは、これまで一度たりとも、見たことのない一枚のスライド。どうしてこんなものが。真っ暗だった視界がホワイトアウト、白むその景色の中段々焦点が合うように二つの人影。それが見えたかと思うと、一瞬の後に、目に見える光景は陽光差し込む雨上がりの廃墟に変わった。
どうしてだ。何で、何でお前達がそこにいる。まだ酸素も血も足りていない脳、そのニューロンを以てしてジンが初めに己に詰問したのはそれだった。
朦朧とする意識に、先程の男の言葉が届く。クラウスと、トゥール、二人が生きているかもしれないと見抜き、止めを刺そうとそちらへ向かい始めた。胴体と頭とがくっついて、ようやく世界に焦点が合い始める。追うべき背中は、まだすぐ近くにあった。バラバラになった体は縫い付けられたばかりで今一自由に動きそうにない。倒れ伏した彼は這うようにして前へと進む。
震える手、それを一ミリでも前に伸ばす。あの二人の元へ生かせてたまるかと、少年は躍起になる。ふわふわとした脱力感に包まれ、全然力など入ってくれないというのに。
ほんと、らしくないね。ジンは予想もしていなかった自分の行動を嘆くようにそう呟いた。不死の呪い、それを彼はかけられていた。バラバラにされようが焼かれようが磨り潰されようが、彼は死ねない。いつの間にか殺される前の状態に体が復元されて、生前の姿に戻る。それは、桜色の髪をした、約束の女の子も同じだった。だから彼にとって大切なのは自分が終わりを迎えられることと、彼女の幸せ。願わくば二人揃って死を受け入れさせてもらうこと。
自分よりも幸せになって欲しいと、片時も忘れずに覚えているその姿。だからこそ、死の淵から戻る時もなお、彼女の姿が目に浮かぶ。だと、いうのに。
どうしてお前らの姿が見えるんだ。ほんのちょっとの絶望と、とても大きな困惑、戸惑い。そして幾分かの疑念とに支配される。いつからお前達は、僕にとって大切な宝箱の中に居座っているんだ。心の奥底にしまった目に見えぬ宝箱、その中には彼にとってかけがえのない記憶が、失いたくない人がいて。
あぁ、そうか。ジンは理解した。もういつの間にか、彼らと共に旅だって随分になるということを。彼は納得した、今の自分にとって、彼らと共にあるのが自然だということを。彼は思い返した、傷つき弱った彼らを見て、強い復讐の欲求、憎悪と憤怒にかられる程に、彼らを大切に思っていることに。そして今なお感じていた、あんなゲスに、二人を殺させてなるものかと。
死にたいって口にしたり、幸せになりたいって不幸の中で願ってる。二人とも、生きたいのか生きたくないのか、死にたいのか死を恐れているのか、ちっとも分からない。けれども、生きている。二人とも、懸命に生きてるんだ。幸せになるために、誰のためじゃなくて自分のために。今まで泣いてきた分、これからは笑って報われるために。
まだ二人はちっとも報われてなんかない。だから、死なせる訳にはいかないんだ。全くいうことを聞かない体に無理を言わせて立ち上がる。がくがく震えるその足は生まれたての小鹿のようだった。
「行かせる訳っ……ないだろぉ!」
さっき両断され、ようやく再生した喉。その声さえ引きちぎられそうなほどに傷は深かったが、それでも何とか彼は叫んだ。雨音もしなくなった今、静かな町にその声が響く。全てに濁音を適用させたようなガラガラ声。それでもなぉ、その言葉は去ろうとする男に届いた。
怪訝な目で振り替える。ジンの様子を見て目を丸く見開く。それもそうだろう、殺したと思った子供が、また体を繋げて立ち塞がっているのだから。
「この、出来損ないの三流バーコードが……お前なんかに殺されてたまるもんか、お前なんかに殺させてたまるもんか!」
ジンは死の間際に、クラウスとトゥールの笑顔を見た。日々の食事中に、月を見上げながら、美味しいって言って、楽しいって言って、どんな一等星より眩しく光る二人の笑顔が。
それだけじゃない。クリムゾンだと吐露して、不出来な自分に怯えるクラウス。死にたい死にたいって願いながらも、友の幸せを信じて願うトゥール。二人とも尊くて、二人ともいとおしい。あの二人は僕と違う。殺されたら死んじゃうんだ。だから、絶対に行かせる訳にはいかない。
「勘違いすんなよ。あいつらはいつか僕が殺すって約束しただけだ。まぁ、勝手に野垂れ死ぬまでほっといてもかまわないかとは思ってるけど、お前には殺させない」
その言葉は、まるで言い訳しているようであった。守っているのではない、獲物を横取りされたくないだけだって。
でもこれだけは認めてやると、胸の内に思い浮かんだ二人の顔にジンは声かけた。僕は思っていたより長いこと、お前らと一緒に居すぎたみたいだ。
だから、戦うんだ。
- Re: AnotherBarcode アナザーバーコード ( No.39 )
- 日時: 2021/03/17 19:51
- 名前: ヨモツカミ (ID: aVnYacR3)
「お前、今殺したはずじゃ……」
「ご生憎。僕は死ねないんでね」
死なないのではなく、死ねない。終わりない生に絶望したことは一体何度あっただろうか。齢なんて、百を超えた途端に数えることをやめてしまった。どうせ永遠に続くだけ。そうしたら、誕生日なんて虚しくて、何年生きたかもどうでもよくなった。何にも望みが叶わないこの世界で、どんどん我儘になって。背格好だけじゃなくて、人格まで成長が止まっていた気がした。
死にたくないと願っていた時も、死んでもいいやって思っていた時も、早く全部終わりにしたいと思う今も、何をしてもそれは訪れない。頭を潰しても。心臓を貫いても。細切れにしても。煮ても、焼いても、凍らせても、腐らせても、溶かしても、磨り潰しても。気づいた時には元の姿で目を覚ます。痛みだけはしっかり体に残っていて。
「死なない? さいっこーの玩具じゃないか!」
今しがた考えていた、クラウスの目の前でトゥールを殺すと言う残酷なアイデアなど忘れて、壊れることのない玩具に感激する。この少年さえいれば、断末魔も、死の間際の絶望も、痛みに無くあられもない声も、全部全部ずっとずっと楽しむことができる。
さっきは三つに切り分けたから、今度は頭を潰してみようか。そう思った彼は、刃物を形作っているその右手を変形させ、今度は大きな槌を作り出した。金属製の、人間の頭蓋など易々と砕いてしまいそうな代物。バーコードの体でなければ、あの男の細い腕では持ち上げられそうにないほど、巨大だった。
振り上げ、足元の地面に振り下ろす。威力を確認するように。派手に音を巻き上げ、地面には亀裂が走った。あれで僕を殴ろうってのかと、理解はとっくにしていたが、過激な破壊衝動にジンはまた眉をひそめた。
だが、さっきよりずっと動きは緩慢だ。そんなもんで、僕に追いつけると思うなよ。ナイフを作り、その手に握る。再生したばかりの肉体が上手く動くか確認して。信号の伝達に齟齬が無いことを確認して、地面を蹴った。
差し込んだ太陽の光に当てられ、飛び跳ねた水滴がきらきらと戦場を彩る。ばしゃばしゃ音を立てて、飛沫を背後に残しながら、ジンは男へと詰め寄った。
ゆっくりと、重みで体をふらつかせながら、大きな槌を振り上げて。その重みにそのまままかせるよう、下へと振り下ろす。ブレーキをかけるジン、目の前で、亀裂が入っていた大地が今度こそ砕け散る。夥しい灰色の破片が互いの顔を切るように打つ。血が頬から流れ、線を描いたかと思うと両者すぐに完治した。
武器を振るったというより、振るわされたといった具合で、まだ身動きが上手くとれない男に畳みかける。
突いて、引いて、斬って、刺して。黒い刃の残像が、線を描いて駆け抜ける。陽の光を受けて怪しげな光を放ち、次から次へと畳みかける。初めは左手で適当にいなし、ナイフを見極めて回避していた男だったが、次第に面倒に感じて右手の変身を解いた。自分の動きを制限するようなハンマーは消えて、初めのような剣に戻す。
瞬きですら気を抜けない剣戟。少年が矢継ぎ早に攻め立てる。目を潰そうと、胴を裂こうと、腕を切ろうと、臓腑を貫こうと。突き、斬り返して、迫る刀を受け止めて。右手が塞がる。押し負けそうになりながらも歯を食いしばった。ついで左手にまたナイフを新生。自身の腕が邪魔で切りかかれないが、代わりにそのナイフを弾いた。刀で押し込む男にまた刃が迫る。舌打ちを一つ、よけようとするも頬を切り裂かれ鋭い痛みが走った。
隙が出来、右腕の剣に込める力も弱まる。押し返し、バランスを崩させた。その喉引き裂いてやる。小さい動作で詰め寄り、その首にナイフを突き立てた。しかし、金属の板に阻まれるような感覚。細く、簡単に破れそうな首の肌を、緑色の鱗が覆っていた。
「トゥールに、変身したのか……」
「ひひっ」
笑い方は、変身した男そのものの意地汚そうな癖があったが、その声は紛れもなくトゥールのもので。目の前に本物の彼が現れたのかと目を疑うほどに精巧な模写だった。痩せこけていたその顔は、今や精悍なものとなっている。狂喜を浮かべただらしない笑みなどでなく、鉄仮面のような淡白な表情。
お前ごときが、真似してんじゃねえよ。固い鱗に遮られているのに、無理やりナイフを押し込んだ。鈍くて嫌な音がして、黒刃は簡単に砕けた。それと同時に、男の首元の鱗もひしゃげた。しかし、変身の異能の重ね掛けにより、怪我をする前の状態にまた戻ってしまう。
鋭い爪を持つ、トゥールの右手が振り上げられて。血濡れた黒光りする尖爪がジンを襲う。跳び退くと、先ほどのように大地を砕く重撃が一つ。さっきよりずっと機敏な動きだと言うのに、同じような威力だった。筋力までマネできるのか。トゥールの強さはジン自身もよく知っている。それゆえこれは厄介だなと感じた。
だが、攻撃が通らない訳では無い。鱗一枚とナイフ一本、それぞれ等価交換で突破できる。こちらのナイフも、あちらの再生も無尽蔵。だったら、先に根性負けした方の負け。僕は不死身なんだ、負けるはずなど無いとジンは意気込んで。
また両手にナイフを生み出す。迫る爪に、体を翻すようにして回避し、また自分のナイフが届く位置へと潜り込む。
切りかかり、ナイフが砕ける。しかし同様に、相手の表皮の鱗も弾き跳んだ。もう一回、そう切りかかった途端、腹部に強い衝撃。後ろに引きずられるようにして、地面を転がる。男が足裏で突き飛ばすように蹴っていたのだ。肺から無理に息が逆流し、苦悶の表情をジンは浮かべる。だが怯まず、右手に四本のナイフを生成。少年が腕を振り、男に向かって一直線にナイフ達が走る。
ナイフでは貫けそうにもない腕に阻まれて、弾き返されたナイフは空中で回転しながら地に転がる。それでもその隙に跳びかかったジンは、その顔目掛けて蹴りを放った。跳び上がった少年の足が、相手の首を刈る勢いで空を切る。そんなもの喰らうものかと、腕で男は受け止めようとした。
かかったなと、ジンは足の先にナイフを一本生成した。そのままその柄を蹴り飛ばし、ハンマーで釘を打つように鱗に守られた腕に対し深々と突き刺した。今度はあまりに打ち込む力が強かったのか、当たり所が良かったのか、肉まで貫いたその傷からは男の血が溢れ出した。
油断していたところに傷を負い、情けなく、声にもならない悲鳴を上げて紅蓮バーコードの彼はのたうち回った。
ジンはそこで慢心しない。甘えないし、躊躇もしない。振り上げた足を踵から、相手の顔面目掛けて振り下ろす。トゥールの姿をしていても、もう躊躇しない。この男は全くの別人なのだから。踵のところには先ほどと同じように、相手に深々と刺し込むためのナイフが一本。
男は、頭で不味いと判断すると同時に、もんどりうって転がりながらなんとかそれを避けて見せた。コンクリートの地面に打ち付けられたナイフはほんの少し切り傷をつけた後にむしろ自身が砕けてしまう。
転がりながら、何とか地面に座り込むようにして後退し、ジンと距離をとる。開いた掌をジンの方に突き付けて、待ってくれと泣きそうな声で懇願した。
「待ってくれ、こ、殺さないでくれよ」
「何で?」
「お、お前の仲間の顔してるじゃねえか。無理だろ、そんなの。外道にも程があるだろ」
「知らないよ、僕はいつか殺すってあいつらと約束してるんだ」
「な、仲間が死にたくねえって言ってんだぞ、お前……何考えてんだよ」
「君さ、知ったような口聞かないでくれる?」
殺意を隠すつもりのない少年が、男の方へとにじり寄る。一歩、また一歩。その様子に怯える男。トゥールの姿をしたまま、涙を流し、恐怖に顔を歪めて、許してくれ、殺さないでくれと懇願する。
出会った頃の彼の様子をジンは思い出していた。屋上での彼との対話、旅路に出た頃の記憶。彼と交わした言葉を、逐一再生するようにして思い返す。何、これまで生きてきた百年と比べたら思い出すのにさしたる苦労は無い。
「そうだね。……確かに最近は、死にたいだなんて、殺してくれだなんて言わなくなったかな」
でもねと、ジンはより一層眉と眉との間の皺を深めて、怒気のこもった眼光で男を睨む。その姿でそんな泣き言を漏らすのは自分が許さないと言わんがばかりに。
先ほどのトゥールの目を思い出す。傷ついたクラウスのことを、自分のこと以上に心配していた。それは、彼がクラウス想いだと言うことも大きいのだろう。けれども、彼にとっては彼自身のことが、まだあまり大切に思えないのだとジンは気が付いた。クラウスの手当てをしている時にはジンに感謝するようであったが、自分の手当てをしているジンを眺めている時、彼はあまり嬉しそうにしていなかった。
「それでもね、あの死にたがりの大馬鹿野郎は、命乞いなんて絶対にしないんだよ!」
だからお前はトゥールじゃない。断定する少年の声が、晴れ渡った廃墟に響き渡った。
ジンが指をパチンと鳴らす。軽快な音がコンクリートの瓦礫だらけの空間にこだまして。直後、黒い粒が大量にジンを取り囲むように現れた。それら全てが、ジンの周りをぐるぐると回って。時計の針が円周の外を指し示すように、ジンを中心として数十本の黒いナイフのが切っ先を外側へと向けてジンの周囲に円形の列をなす。
無造作にそれらの短刀を、両手合わせて八本握りしめる。右で投げ、左で投げ。瞬く間に、鱗で守られていない胴体に、八本の刃がダーツみたいに突き刺さる。尻餅をついたままの男は避けることなんてできなくて。ただ、刺されたと知覚してすぐに、苦悶の表情を浮かべるのみ。
ナイフを掴んで、投げて。取って、投げて、また大量に錬成して。投げて投げて、取って投げて取って投げてをひたすらに、飽きることもなく繰り返す。高速で宙を走る黒い一直線は、留まることなく二者の間を走り続ける。
立ち向かわなければ。このままだと死ぬと判断した男は、恐れ戦き震える手足を奮い起こし、立ち上がる。
だがそれでも、ジンの猛攻に為す術は無いに等しい。一秒ごとに、己の体に突き刺さる牙が増える。爪に裂かれたような切創が無数に生まれる。両肩は待ち針をさされた剣山のようであり、その腹部は背と腹を入れ替えたハリネズミのようだった。ハリネズミと違うとしたら、その先端が全て自分の肉を貫いていることだろうか。
全身に裂かれるような痛みが走り続ける。頬の肉も抉られ、左の眼球にも突き刺さる。どうせ傷は塞がる、まずあのガキを殺すべきだ。腕と首にはナイフが刺さらない。そのため、その腕を振り回して次々飛び交う黒い短刀の雨の中を直進した。弾かれたナイフが何十本と周囲に飛び散る。
たどり着いた。そう思ったのはその瞬間だけで、身を包むような殺気に背筋を冷やした彼は、誘い込まれたと言う事実に気が付いた。さっきみたいに、少年の周りを囲うようなナイフのストック。そしてさらにその外を走る、数百本のナイフのストック。ここはもしや、奴のテリトリーっではないか。男がそれを察したのは、あまりにも遅く。
少年の握りしめた刃が振り下ろされて。それが首元の鱗を一枚剥ぎ取る。短刀も刃が欠けて使い物にならなくなるが、ジンはもうそのナイフを使い捨てて、次のナイフを取っていた。そんなの観察する暇など与えないとばかりに、左手側の刃が走る。また一枚、鱗と欠けた黒の欠片とが飛んで。
何とか折りたたんだ腕で覆うようにして急所を護る。だが、そんな彼をあざ笑うかのように、腕の上を鱗が一枚一枚抉られる激痛が走り続けた。付け根から切り裂かれる感覚、貫いてそのまま引き抜かれる感覚。鱗が剥げたその隙間から肉に刃が差し込む感覚。不純物を挿入され、新たな変身ができなくなる。もうそこには、新たな鱗は生成できない。欠陥品の自分の能力が恨めしい。
斬られた鱗がまた一枚飛んで。
貫かれた鱗がナイフに刺さったまま捨てられて。
裂かれた鱗が瓦礫のように破片をまき散らし。
刺された肉からは真っ赤な飛沫が視界を染め上げるように舞い散った。
そんな彼の様子を見て、ジンは一切手を休めない。ひたすらに、ナイフを取り、仇へと振るい、用が済んだものは捨てる。そしてまた新しい刃を手に取って。斬り、突き、刺し、貫き、次々と男の鎧を剥ぎ取り丸裸にしていく。
斬って裂いて切って裂いて貫き刺して切って貫いて。斬って斬って刺して貫いて刺して裂いて裂いて刺して。
最後の賭けだと逃げようと背を向ける男。血の雨をまき散らすその足に投擲したナイフ。冷淡に貫かれたその足は、腱を斬られてそれ以上歩けなくなる。
「まだ、終わってないよ」