複雑・ファジー小説
■漢字にルビが振れるようになりました!使用方法は漢字のよみがなを半角かっこで括るだけ。
入力例)鳴(な)かぬなら 鳴(な)くまでまとう 不如帰(ホトトギス)
- アスカレッド
- 日時: 2021/06/11 01:43
- 名前: トーシ (ID: WglqJpzk)
ヒーローって、何だ。
*
《COLOR》と呼ばれる異能力が存在する社会。
瀬川飛鳥は、10年前に自分を助けてくれた『ヒーロー』に憧れながら生きてきた。
高校2年生のある日、飛鳥は席替えで水島青太と隣同士になる。青太は《COLOR》を持たない人間——の、筈だった。
*
閲覧ありがとうございます! トーシです。
今回、初めて小説を書かせていただきます。異能力現代バトルものです。
どうぞよろしくお願いします。
*
目次
(☆挿絵付き ★扉絵付き)
プロローグ カラーボーイ
>>1
第1話 アオタブルー
★>>2 >>3 >>4 ☆>>6
>>8 >>9 >>11 >>12 ☆>>13
(一気読み >>2-13)
第2話 ミクロブラック
★>>16 >>17 ☆>>18
>>19 >>20 >>21 >>22
>>23 >>24 >>25 >>26
>>27 >>28
(一気読み >>16-28)
第3話 ハイジグレー
>>31 >>32 >>33 >>34
>>35 >>36 >>37 >>38
>>39 >>40 >>41 >>42
>>43 >>44 >>46
第4話 シトリホワイト
第5話 ********
エピローグ アスカレッド
*
その他
クロスオーバー・イラスト(×守護神アクセス)
>>10
PV(『闇の系譜』の作者さんの銀竹さんが作ってくださいました!)
>>34
閲覧数1000突破記念イラスト
>>15
閲覧数3000突破記念イラスト
>>30
*
お客様
荏原様
日向様(イラストをいただきました!>>14)
立花様
スペシャルサンクス
藤稲穂様
水様
四季様
しろながす様
*
記録
4/13 連載開始
*
Twitter @little_by_litte
ハッシュタグ #アスカレッド
- 2−8 ( No.23 )
- 日時: 2018/08/11 19:37
- 名前: トーシ ◆zFxpIgCLu6 (ID: qs8LIt7f)
2−8
「瀬川は、死にたいなって、思ったことあるか?」
中庭の隅、校舎の陰になるところで立ち止まった青太は、振り返って飛鳥に問いかけた。死にたい、なんて言葉が青太の口からとても自然に出てきたものだから、飛鳥は一瞬、呼吸の仕方すら分からなくなりそうになった。飛鳥が首を横に振ると、青太は残念そうにするわけでもなく、ただ静かに微笑んだ。
「水島は……そう思ったこと、あるのか」
「——中3の、夏頃に」
微笑んだまま、そう言った。
「オレの《COLOR》が発現したのは、中3の春先でさ。それまでは全然、予兆みたいなのは何もなかったんだ。でも、髪と目には、中学に上がる前から色がついてたから、自分に《COLOR》があるのは何となく分かってた」
「青い色、が」
「うん。オレ、本当は髪も目も青なんだ。今は黒染めにして、黒のカラーコンタクトしてるけど」
「というか、どうして青色のこと知ってるんだ」と青太が不思議そうに訊ねてきたので、飛鳥は耳の後ろをとんとんと指で示して、染め残し、と呟く。青太はそれを見て、恥ずかしそうに笑って、こめかみ辺りから後ろへ髪を掻き上げた。するとやはり、耳の周りで、鮮やかな青色の髪の毛が黒髪に混じっていた。
「どうして、わざわざ染めたり、カラーコンタクトしたりしてるのさ」
「うーん、そうだな……黒髪にしてたら、自分の《COLOR》を忘れられるというか……ああ、多分、受け入れたくないんだと思う。自分に、《COLOR》があるのを」
「受け入れたくない……?」
「中3の、初めて《COLOR》が発現した時、オレ、誤って学校の備品を壊しちゃったんだ。まあわざとじゃなかったし、先生にもあんまり怒られなかったんだけど、その時、もし人に当たってたらどうなってたんだろうって、怖くなった」
青太は自分の掌を見ながら、滔々と話す。本当は『無色(colorless)』になりたかった、と、青太は『あの夜』そう嘆いていた。自分の内にある猛獣を、ひどく恐れて、あの暗闇に飲み込まれてしまいそうなほど弱かった。
「それで、前にも話した通り、それから《COLOR》が暴走するようになった。幸い、誰かを傷つけることはなかったけど……でも、次はどうなるんだろうって、次はもしかしたら、人を傷つけてしまうんじゃないかって、思ってた。その次がいつくるかも分からなくて、毎日怖かった」
瀬川、と青太が手を差し出してくる。飛鳥は、青太に初めて助けられた時のことを思い出した。あの時飛鳥は、つまらない意地に邪魔されて、青太の手を取らなかった。もしかしたら、その行動は青太を傷つけたんじゃないか。そう思うと、飛鳥は今ここで青太の手を取ることすら怖くなった。
飛鳥がためらっていると、青太は差し出していた手を引っ込めてしまった。
「……情けないけど、オレ、今でも自分の《COLOR》が怖いんだ」
「水島、違うんだ。これは」
「瀬川」
何も言わないで、と青太は縁のない自分の片手を強く握った。
「瀬川が、オレの《COLOR》を認めてくれてるのは知ってるよ。それでもやっぱり、怖いって、思われてるんじゃないかって、不安になる。こういうの、もう嫌なんだ。瀬川の気持ちを無視して、勝手に思い込んで、勝手に傷ついて。自分で自分を傷つけてるだけなのに、相手のこと、嫌いになりそうになる。そんな自分が、1番嫌いだったし、今でも同じだ」
それで、中3の夏に。飛鳥がそう問えば、青太は黙って首肯した。辛い気持ちが集積して、彼を押し潰そうとしていたのだ。こんなことで死にたいなんて変だろ、と青太はぎこちなく口角を上げる。飛鳥はすぐに首を横に振った。気持ちが極端になってしまうことは、飛鳥にだってあった。
「……それで、夏休みが明けると、何となく学校に行きづらくなって。その時に、先生の紹介でカウンセリングを受けたんだ。そこで会ったのが『岬紅野』だ」
「だから、その『岬紅野』っての人のこと、知ってたんだ」
「だって、何度も会って話したからな」
カウンセリングの途中から『岬紅野』とは、カウンセリング以外のプライベートでも会うようになった。他のカウンセラーに比べて、歳が近くて性別も同じ『岬紅野』に、青太はよく懐いていたし、『岬紅野』が自分を気に入ってくれていると思うと嬉しくて、喜んで彼と会っていたのだ。その時に、当時中学2年生だった海黒とも対面していたらしい。
青太は、純粋に懐かしむような眼をして、そんなことを飛鳥に話して聞かせた。
「それで、高校に入っても会ってて——去年の冬頃だったかな。『紅野先生』から、頼み事があるって言われたんだ。オレは、『紅野先生』の役に立てるならって、ちゃんとやれるか分からなかったけど、引き受けたんだ」
頼み事というのは、「岬海黒の護衛」。海黒が不審な男たちにつけられているようだから、彼女の塾からの帰りに付き合ってあげてほしい、という頼みだった。警察に言った方がいいんじゃないかと、当時の青太は思ったけれど、実害がなければ警察は動けないし、何より『紅野先生にはきっと、自分には分からないけど、何か理由があるのだろう』と感じて、青太は二つ返事で引き受けた。
何度か海黒と一緒に帰って、一度だけ、いつもの帰り道が工事中だったので遠回りをして帰ったことがある。そうして、不審者の襲撃に遭った。ただ青太も海黒も強力な《COLOR》を持っていたから、何とか撃退できた。けれど2人とも怪我を負ったし、海黒にいたっては背中に大きな切り傷が残った。それでも尚、『岬紅野』は警察に通報しなかった。
さすがに、おかしいと思った。海黒が傷ついているのに、『岬紅野』から感謝の言葉を述べられるのも、賛辞を呈されるのも、全てが違和感だった。彼の魂胆を知ったのは、それからしばらくしない内だった。
「——カルト団体、って知ってるか」
「神様を信仰して、信者で集まって、活動する団体……だよね」
「そう。ただ、神様を信仰していなくても、同じ思想を支持している時にもそう言うらしい」
『岬紅野』は、カルト団体の幹部格だった。当時、団体の内部は2つの派閥で分かれていた。その対立が激化して、ついに武力抗争まで発展した。その対立がいつからあったのかは分からないが、青太が中学生だった時には、もうすでに抗争の兆候はあったのかもしれない。
詳しいことは分からなかったが、青太は、『岬紅野』は、『水島青太』という戦力が欲しかっただけなのだと、理解した。事実、同じ派閥の人間に抗争の指示を出していたのは『岬紅野』だった。
それから、『岬紅野』とは連絡を取らなくなった。
「でも、海黒さんは君に接触してきていたじゃないか」
「多分だけど、抗争が、もっと苛烈化してきているんだと思う」
最近、物騒になってきてるだろ、と、水島は言う。確かに、建物の陰ではあったが、人通りの多い夕方に海黒と不審な男は争っていた。互いが互いに、早急に反乱因子を潰そうとしているようだ。
しかし飛鳥は、同時に白鳥の言葉を思い出した。
——最近は事件の連続発生も増えてるし。
——1人を逮捕した直後に、その近辺で、一般人が襲われることが増えたのよ。
治安は悪化している。けれどその悪化の様子と、青太の言うカルト団体の内部抗争の様子が、一致していない。そして、そんな違和感よりももっと気になることがある。
「海黒さんに、仲間はいないの?」
青太は瞬きをして、いると思う、と言った。
でも、その言葉が思考回路を混線させる。だっておかしいじゃないか。海黒と初めて会った時も、海黒と戦った時も、酷くなじられた時も、逃げているところを追った時も、海黒は、ずっと独りだった。
飛鳥は急いで携帯を取り出した。そして、通話履歴の最新にある人物に電話をかける。徐々に速度が上がっていく心拍音に反して、コール音は同じ速度で、無機質に耳腔に響く。
やがて聞こえてきたのは、『岬海黒』の声ではなく、温度のないアナウンスのみだった。
NEXT>>24
- 2−9 ( No.24 )
- 日時: 2018/08/23 23:11
- 名前: トーシ ◆zFxpIgCLu6 (ID: Au2wVmYz)
2−9
「瀬川……?」
液晶画面を操作して、再び電話をかける。けれどやはり、海黒は出ない。もう一度かける。出ない。
どれだけ待っても、端末の向こうから海黒の声が聞こえてくることはない。代わりに、まるで耳のすぐそばに心臓があるかのように、自分の生々しい鼓動の音が聞こえていた。
「瀬川、どうしたんだよ」
「……海黒さんが」
「え?」
「……海黒さんが、電話に出ないんだ」
岬海黒の名を聞いて、青太は不快そうに顔を歪めた。そして、まだ彼女に拘るのか、と吐き捨てた。
「いいか、彼女は瀬川を利用しようとしたんだぞ。今はまだ無事でも、いつか危害を加えてくるかもしれない。彼女はそういう人間なんだ」
「でも」
「でもって何なんだよ!」
青太はついに声を荒げた。体育館倉庫で怒った時だって吼えることはなかった彼が、苛烈に喉を震わせたのだ。
けれど飛鳥は言葉を続ける。緊張で体の感覚はほとんど失われていた。手の中にある、スマホの硬い感触だけが唯一のものだった。
もう、頭の中はぐちゃぐちゃだ。オーバーヒートを起こしそうな脳内に、熱を持っているはずの青太の言葉が、冷たく染み込んでくる。
「でも——海黒さんは独りなんだ」
飛鳥の言葉を聞いて、青太は何か言いかけていた口を閉じた。
飛鳥が覚えている限り、海黒はずっと独りだった。それは、彼女が孤独を好んでいる、というよりは寧ろ、追いやられているように思えた。遊びに交ぜてもらえない子どものように、お喋りに交ぜてもらえない生徒のように、彼女だけ透明で分厚い殻の中に閉じ込められてしまっている。そんな風に見えた。
事実、青太は海黒には仲間がいると言ったけれど、海黒が窮地に陥っているときに応援が来たことはなかった。それに彼女は、路地裏で出会ったあの日と、廃工場で戦ったあの夜に失敗を犯している。対抗勢力を狩り損ねて、青太を仲間にすることもできなかった。だから、独りで逃げていたんじゃないか。
もう、仲間から見捨てられているんじゃないか。
息が苦しくなって、飛鳥は自分の胸元を握り締めた。
「海黒さん、僕に、自分の苗字を呼ばせようとしなかったんだ」
「……それが、どうかしたのか」
「その理由が、お兄さんに——『岬紅野』に、あるとしたら」
暗闇の中に、海黒が1人立っている幻覚。いや、これは『あの夜』の記憶だ。だって、瞼の裏に見える海黒の足は、これ以上は歩けないんじゃないかと思うくらいに傷付いているのだから。
「岬海黒が、岬紅野のことを、嫌ってるってことか?」
「——いや。多分、逆だ」
岬海黒は、岬紅野のことが——兄のことが、本当に好きなのだろう。尊敬していて、妹として支えたくて、だから『あの夜』、ひどく傷付いた足で立ったのだ。
でも、兄の岬紅野の方は。
「水島。さっき海黒さんの話、したよね」
「え、うん」
「海黒さんが、中2のときに背中に大きな傷を負ったって」
「……うん」
「その時……岬紅野は、海黒さんに対して『どうだった』?」
どんな表情で、どんな態度で、どんな言葉をかけたのだろう。そうして、その時の海黒はどんな顔をしていたのだろう。
飛鳥から問われた青太は戸惑って、しばらく黙り込んでしまった。それから、「覚えていない」と小さく答えた。
ああ、そうだろうな、と飛鳥は何となく思った。岬紅野の目的が本当に青太だったのなら、海黒もまた、青太がヒーローとして、戦力として洗練されるための捨て石の1つでしかないのだから。
——大人しく、してた方がいいんですよ。無力なんだから。
海黒の声がリフレインする。彼女は一体どんな気持ちで、「下の名前で呼んでください」と言ったのだろうか。兄妹なのに、自らの全て捧げている兄と同じ苗字を名乗れないなんて。
胸元を握る手に、一層力が籠る。すると青太は、飛鳥の腕に恐る恐る手を添えて、それから静かに飛鳥の手を下ろさせた。飛鳥の指が離れた白いYシャツの胸元は、すっかりくしゃくしゃになってしまっていた。
青太の手は硬くて、温かかった。
「……僕、やっぱり海黒さんのことが気になるよ」
飛鳥が零した言葉で、青太は息を呑んだ。
「彼女のところに行きたい。だから……もう、関わってこないでほしい」
「……いやだ」
「水島、頼むから」
「だって瀬川は」
「頼むから消えてくれよ邪魔なんだからッ」
飛鳥の絶叫が、青太の言葉を掻き消す。想像できてしまったその言葉の続きが、飛鳥の心を突き刺す。
青太の顔は一瞬で悲愴の色に染まった。唇をきつく結んで、決して雫を零さないようにと、黒の両眼は見開かれていた。
「……水島がいる限り、僕はどこにも行けないんだよ」
青太を傷つけたのは自分の方なのに、そんな自分の声は震えて、濡れていて、それが滑稽にすら思えた。
「分かってるさ、『無色(colorless)』じゃ何にもできないってことくらい。水島に守られてる方が、ずっと賢くて正しいってことくらい。だけどダメなんだ。君と関わると変になるんだ。水島に正論言われて、それに反発して、幼稚で馬鹿みたいだけど、それでも自分が止められないんだ」
瞼の裏に青い光がちらついている。どこまでも遠く届く光。鮮やかで、優しい青色の光だ。この光を、心の底から純粋に美しいと思えたなら、どんなに楽だろうか。
「水島は正しいよ。君が優しいのだって知ってる。でも、君から与えられる正しさも、正義も、善意も好意も、僕は受け入れられないんだ。僕は水島に嘘をついた。ひどい言葉だって言ったし、拒絶もした。それでも僕を守ろうとする水島が……君の存在が、息をできなくさせるんだ。正しくて優しい水島を、受け入れられない自分が、とても……惨めなんだ」
たった十数日で刻み込まれた劣等感。自分が欲しかった評価を奪って行ってしまった者への、嫉妬。『無色(colorless)』であることをいつまでも受け入れられない、どうしようもない愚かしさ。自身の心象は憧れの『ヒーロー』とは程遠い。死にたいと思い悩むくらいに恐れていた自身の《COLOR》でさえ、誰かのために行使できるような、そんな青太と関わる度、自分がいかに矮小な人間なのかを思い知らされるのだった。
だとしても、青太と同じくらいの存在意義が欲しい。価値が欲しい。大好きな姉が言っていた『誰かを救えて、守れる人』になりたい。
「……オレ、そんな人間じゃないよ」
青太は弱弱しく呟いた。しかしやがて、彼は拳を握り直すと、飛鳥を真っ直ぐに見据えた。
「瀬川が岬海黒のところに行くなら、オレも一緒に行く。一緒に行って——オレが、瀬川を守る」
深海を湛えた目に、もう迷いはなかった。
「絶対に瀬川のことを守るから。だから、瀬川は岬海黒を助ければいい」
飛鳥と青太の目が合う。飛鳥には、青太の纏う空気が、陽光に煌めく水のように輝いて見えた。
その時飛鳥のスマホが鳴った。急いで画面を見てみれば、そこには海黒の名前が表示されていた。すぐに通話を繋ぐ。
「海黒さん!」
電波の受信状況が悪いのだろうか。ノイズ音が絶えず流れている。数秒経ってやっと、通話口越しに海黒の呼吸音が聞こえた。
「……飛鳥先輩」
「海黒さん、今どこで何してるの」
「……内緒です」
「じゃあ、君は今無事なのかい」
「無事ですよ。大丈夫です」
無事だと言うのなら、どうして息が上がっているんだ。
だが飛鳥がそれを訊く前に、海黒が二の句を継いでしまう。
「どうしたんですか。突然、何件も電話をかけてきて。もしかして、私のことが心配だったんですか」
「そうだよ、心配だったんだ」
「『無色(colorless)』の飛鳥先輩に心配されるなんて、私も落ちぶれたものですね」
刹那、ガンッ、と歪な音が飛鳥の鼓膜を貫いた。ノイズ音が一層大きくなる。海黒が携帯電話を落としたのだろうかと思ったが、それにしては雑音の数が多かった。何か、硬い地面の上を転がるような音がしていた。落としたというよりは、弾き飛ばされた、と表す方が正しいだろうか。
落下の音は青太にも聞こえていたらしく、心配そうにこちらを窺っている。
また数秒して、海黒の声が聞こえてきた。音質が悪くなったのか、それとも彼女自身の声が小さくなってしまったのか、その声はノイズに掻き消えてしまいそうだった。
「特別な用がないのなら、もう切りますよ」
「待って。やっぱり無事じゃないんだろ。ねえ、今どこにいるんだ」
「しつこいですよ。飛鳥先輩には関係ない」
関係ないと、そう言われて初めて、飛鳥はその言葉の鋭利さに気付いた。鋭利であると同時になまくらで、傷がいつまでも痛むようだった。青太の方に視線を寄越せば、彼は静かに息をしていた。
「……君を助けるのは、僕しかいないって。そう言ったのは君の方だ」
——私を助けてくれるのは、飛鳥先輩しか、いないから。
それは、筋書きを辿るための、都合のいい台詞だったのだろう。事実海黒は、そんなの嘘だったとすぐに言い返してきた。だとしても。たとえ、嘘だったとしても、海黒の中から出てきた言葉であることにかわりはない。彼女の感情が、そこに詰まっている筈なのだ。
——絶対に、すぐに、戻ってきてくださいね。
——私のところに、戻ってきてください。
海黒は自分にそう言った。だから、飛鳥は行かなければならなかった。そんな気がしていた。
「だから僕は、君を助ける」
海黒は黙ったままだった。やがて、はっと笑った。衰弱した声だった。
「本当に……本気なんですね」
「ああ、僕は本気だよ」
「飛鳥先輩」
助けて。
「今すぐに行く」
青太と目を合わせれば、青太は確かに頷いた。
NEXT>>25
- 2−10 ( No.25 )
- 日時: 2018/08/31 23:29
- 名前: トーシ ◆zFxpIgCLu6 (ID: nYs2x9iq)
2−10
海黒は電話口に「湾近くの地下道を移動している」と伝えてきた。一ヶ所に留まれない状況から察するに、彼女はやはり何者か——おそらく『対抗勢力』に追われているのだろう。
「今、どの方向に向かって走ってる?」
「水華の方に——」
海黒がそう答えたとき、突然通話が途切れた。もう猶予はないようだ。
飛鳥はうるさく鳴る心拍音を抑えるように、目を閉じて浅く息を吸った。
ここ鏡高から水華までは走って15分程だ。あそこには、鏡高周辺よりは閑散としているが、それなりに人の多い街がある。『相手』もさすがに街中で海黒に攻撃を仕掛けてくることはない。それを踏んで、海黒は水華の街を目指しているのだろう。
「水華へ向かおう」
「そこに岬海黒がいるのか」
「いや、いるわけじゃない。でも海黒さんは水華に向かって地下道を走ってる。だから水華の街から地下道に入って、海黒さんを保護する。急がないと時間がないよ」
「分かった」
2人は同時に走り出した。走りながら、飛鳥は脳内で地図を広げる。
湾岸のエリアである水華において、街の区画はほんの一部に過ぎない。基本的には火力発電所や企業の工場がそのコンクリート製の建物を構えているような場所だ。水華について詳しいわけではないが、飛鳥の記憶が正しければ、その辺りはいつも人通りが少ない。
最も避けたいのは、海黒が発電所や工場の区域に追い込まれてしまうことだ。不特定多数の目が無い場所では、『相手』はきっと容赦なく《COLOR》を使用してくるだろう。海黒がそれに対抗できるとは思えない。もしそれができていたら、彼女はもっと早い段階で『相手』を迎え撃っていた筈からだ。
とにかく時間がない。鬱血痕と傷だらけの足で走る海黒の姿を想像する度、嫌な汗が背中を伝っていった。水華の街から地下道に入って海黒を探し出し、すぐに地上の街に撤退する。海黒を救うための筋書きを何度も確認しながら、大丈夫だと自分に言い聞かせる。けれど視界に映る暗い色をした空が、飛鳥の心をざわつかせるのだった。
そうして、やはり雨が降ってきた。鉄色の雲が毀れて(こぼれて)いくような、冷たい雨だ。
飛鳥は煩わしげに目元にかかった雫を拭う。上空に隙間なく敷き詰められた雨雲を見れば、雨は止むどころか、ますます強くなっていくであろうことは簡単に予測できた。
ここで雨に降られるのは厄介だ。水に濡れた靴底は滑りやすくなるし、冷たい雨は体力を奪っていく。
飛鳥は辺りを見回して、10メートル程先に地下道への入り口があるのを見つけると、そこへ走っていった。後からついてきた青太が、肩を上下させながら飛鳥に尋ねる。
「水華に行かないのか」
「ずっと雨に打たれていたら明日に響く。だとしたら、ここから追いかけながら探した方がいいよ」
青太はあまり納得していないような顔をしていたが、飛鳥が再び走り始めると、飛鳥と同じ速度で黙ってついてきた。
青太にしてみれば、こんな状況で『明日』のことを気にする飛鳥が不自然に思えたのだろう。しかし飛鳥にとっては、『明日』も学校に行くことは、海黒を助けるのと同じくらい重要なことだった。
本来人間相手に傷害目的で《COLOR》を行使することは、立派な犯罪行為だ。だから『あの夜』青太は、塾帰りに突然襲われたと、まるで一方的に攻撃されたかのように嘘を吐かなくてはならなかった。そうすれば多少《COLOR》を使用していたとしても、正当防衛として罪には問われないからだ。
だが実際は、青太は海黒相手に積極的に《COLOR》を使った。そして自分は青太に《COLOR》を使わせた。飛鳥も青太も普通の高校2年生だ。もしこのことが露見すれば、停学や退学処分だって免れない。自分だけならまだましだ。けれど青太という『ヒーロー』の原石に、社会的な傷をつけるわけにはいかなかった。
だから、風邪をひいて学校を休むなんてできなかった。たったそれだけで自分たちがやっていることがバレる確率は低いだろうが、露見の原因となり得る要素はできるだけ潰しておきたい。
街から地下道へ降り、すぐに地上へ逃げるという作戦を立てたのもその為だ。青太に無駄な戦闘はさせられない。海黒を見つけたら、迷わず逃げるのが最善だと飛鳥は考えた。
でも、絶対に上手くいく保障なんて、どこにもない。
「瀬川……?」
左右の分かれ道の手前で、飛鳥は立ち止まった。蛍光灯に照らされる薄汚れた壁が、酸欠のせいか、じわりと滲んで見える。
「瀬川、あのさ」
「なに」
「……いや、何でもない。行こう」
青太の言葉をきっかけに、飛鳥は再び走り出す。
2人の足音が四角形の空間に反響する中、飛鳥は他に音が聞こえないか耳を澄ます。しかし水華の街の方へ近づいても、海黒の気配は全く感じ取れなかった。
「……海黒さん、どこに行ったんだ」
「なあ、さっきの分かれ道までいったん戻ろう」
乱れた前髪の下で、青太の瞳が、走って来た道の方に向けられた。さっきの分かれ道——工場のエリアへ向かう道と、街のエリアへ向かう道の、分かれ道のことだ。2人は街の方向へ走って来た。だから残るのは工場への道のみ。
「でも」
でも、何だと言うのか。飛鳥はその先の台詞をすぐに飲み込んで、自身に問いかける。時間がないと言ったのは自分だ。ここで「でも」なんて迷っている場合ではない。飛鳥がやるべきことは、岬海黒を助けることだ。
「もし、海黒さんが工場の方に追い詰められているとしたら、絶対に『相手』と戦闘になる。それでも——」
「言っただろ。オレが、瀬川を守るって」
青太がまっすぐに見つめてくる。その眼光は柔らかく、青い、一条の光のようだった。
彼の言葉を信じるように、そしてそれに縋るように、飛鳥は「うん」と頷いた。
「行こう」
『あの夜』とは違って、警察には通報できない。自分と青太の2人だけで対処しなくてはいけないのだ。
最初に海黒を襲撃していたのは1人だけ。次の『あの夜』の襲撃は3人。そして昨日海黒を追っていたのは2人。『相手』もたった1人の少女に対して、何人も人員を割くことはしないのだろう。だから今日も、多く見積もっても5人といったところか。
《COLOR》を持った5人を相手に立ち回れるだろうか。『相手』を戦闘不能にする必要はない。自分たちを追ってこられない状況を作り出せばいい。
あらん限りの思考力を以て、飛鳥は作戦を再構築していく。
そして、ようやっと自分たちのものではない足音が聞こえた。最後の角を曲がった先に2人の人物と、その奥に海黒の姿があった。
「海黒さんッ!」
「——飛鳥先輩!」
海黒の掠れた声、崩れた三つ編み、汚れた制服、四肢を流れ落ちていく血。黄昏の両眼は、不安げな、弱弱しい光を灯していた。
走る。走りながら、手を伸ばしたくなるのを抑えて、飛鳥は『相手』2人と青太に意識を向けた。
青太が片手を広げて《COLOR》を発動しようとするのをアイコンタクトで制す。『相手』は足を止めて完全にこちらに向き直る。その時すでに、『相手』との距離は数メートルまで迫っていた。
やがて『相手』の片割れが、飛鳥に手の平を向けた。今だ。飛鳥は青太に囁く。
「水島、奴らの——頭を狙え」
NEXT>>26
- 2−11 ( No.26 )
- 日時: 2018/08/31 23:29
- 名前: トーシ ◆zFxpIgCLu6 (ID: nYs2x9iq)
2−11
水の弾丸が2つ放たれた。光の尾を引きながら、『相手』に向かって真っすぐに飛んでいく。
飛鳥はその間をすり抜けるようにして全速力で走った。青太の攻撃に注意を奪われた『相手』は飛鳥に反応できない。そのまま海黒に近づいて、彼女の小さな体を抱え上げる。
振り返れば、同時に水弾がはじけ飛んだ。青太は飛鳥にしっかりとついてきている。彼は右足を軸に身体を反転させると、もう一度同じように弾丸を放った。
頭部を狙えば否が応でも『相手』は防御に徹することになる。つまりそのあいだ、こちらが攻撃されることはない。
青太の指先から零れる《COLOR》の残滓が、ガラスの欠片のように舞う。
飛鳥は海黒を抱えたまま走り出した。海黒は飛鳥の首にしっかりと掴まっているが、その力は心なしか弱い。耳のすぐ近くに海黒の口があって、彼女の荒い呼吸音と時折小さく咳き込むのが聞こえる。
青太は絶えず弾丸と水刃を発射しながら応戦する。青い光が生まれたかと思えばすぐに消えて、次の瞬間にはまた青太の手元で輝いた。水は様々な形に変化しながら四方をマーブル模様に照らし出す。
ただ彼は『あの夜』よりも苦戦しているようだった。『あの夜』の舞台はもう使われない廃工場だったから、建物への被害は考えなくてもよかった。しかしここは今でも使われている地下道だ。だから、派手な攻撃はできないようだった。
「水島ッ、足を狙え!」
だが『相手』を戦闘不能にする必要はない。自分たちの目的は逃げ切ることだ。その為には『相手』の足を止めればいい。
青太もそれを理解したのか、飛鳥の背後で立ち止まって追っ手に対面する。そして、右手を横薙ぎに払った。
青太の足元に、光る直線が現れて。直後、波打った。
線から溢れ出たのは水。水が清流となり『相手』の方向へ流れる。唸りながら壁にぶつかった水が砕け、飛び散った青い光子が蛍光灯の光に溶ける。地下道の奥の暗いところまで、一瞬にして、サファイアの川になる。
『相手』は流れに足を取られて、後ろにふらついた。水量は多くはないが、流れの速さがその動きを封じたのだ。
第二波を放つべきか否か。『相手』との距離はかなり離れた。ここは逃げに徹した方がいい。
青太がそう思考した矢先、向こうから青い光が飛んでくるのが見えた。間違いなく、それは青太が撃った水の弾と同じだった。
彼は川の水底から第二波を送る。下から水面を押し上げるようにして、大きな波を生み出す。天井まで届く程の防御壁は、水の弾1つ程度など簡単に防いだ。
壁の向こうから続けざまに水が飛来してくるが、青太の防御壁は衝撃に揺らめきながら、それらを完全に受け止める、次の瞬間。
壁が、割れた。
割れたのか崩れたのか、一瞬何が起こったのか分からなかった。突如壁の一ヶ所に穴が空き、そこを中心に壁を成していた水が渦を巻き、形が崩壊した。水の瓦礫が青太に降りかかる。青太は埋もれてしまう前に飛鳥に向かって叫ぶ。
しかし、先に反応したのは海黒だ。
海黒は飛鳥の首をぎゅっと抱くと、彼の肩から上体を乗り出した。
「しっかり、捕まえていてくださいよ……!」
右手の中心に黒い分子が密集し凝結する。そこに生まれたのは純黒の小さな鉄塊。
それは銃の形になった右手の人差し指から、青色の飛沫を纏う『見えない何か』へ回転しながら飛んでいく。
甲高い衝突音。『見えない何か』と真っ向からぶつかった鉄塊は空中で静止。壁を這う衝突音の残響を裂くように、海黒が叫ぶ。
「——散れッ!」
1秒後、今際の高音と共に両者は確かに砕け散った。風が、飛鳥の首筋を撫で後ろ髪を煽った。
飛鳥の視界の中央には、四角形の淡い光が見えている。地上への出口だ。
地上へ出れば、コンクリートと鉄筋の巨大な工場が立ち並んでいた。大型車両が通る道路は道幅が大きく、工場に面積の大半を占められている割には、そこは広く見えた。
雨に打たれるアスファルトからは、独特な匂いが立ち昇っている。どこか雨をしのげる場所はと周りを見渡せば、屋根のある倉庫が目に入った。倉庫の裏手に周り、海黒を一度降ろす。
「立てそうかい」
「立つくらいなら、なんとか」
そう話す海黒はやはり辛そうで、傷だらけの細い足が彼女の体重を支え続けられるとは思えなかった。
海黒を座らせて、鞄からタオルを取り出して手渡す。
「海黒さん、これ使って。雨でちょっと湿ってるけど」
「……ありがとうございます」
海黒は恐る恐るタオルを受け取った。青太の方を見れば、倉庫の陰から顔を出して地下道の方の様子を確認していた。
「追っ手は?」
「ひとまず、撒いたみたいだ」
青太はそう言いながら振り返る。ずぶ濡れの前髪が額に貼りついて、透明な雫が鼻筋を滴り落ちている。雨水を拭く素振りを見せない彼は、タオルもハンカチも持っていないのだろうと思われた。
飛鳥は顔を拭こうと取り出したハンカチを見て、そのまま青太の方に目線を滑らせた。
「水島、これ」
「え?」
「ハンカチ」
腕を伸ばして、ハンカチを差し出す。素直じゃないのは自覚していた。
「ああ……いいよ。瀬川も濡れてるんだから、瀬川が使えよ」
「……風邪」
「風邪?」
「君に風邪ひかれると困るから」
「……ありがとう」
青太は飛鳥のハンカチを受け取って、自分の体を拭き始めた。やがて返されたハンカチは四つ折りの表だけが湿っていて、裏は乾いていた。飛鳥は乾いた面で顔を拭いた。
「どうする、これから」
青太からの問いかけに飛鳥は小さく唸る。できれば雨が止むまでここにいたい。しかし地下道の入り口からさほど離れていないここにいれば、いつ追っ手に見つかってもおかしくはないのだ。
雨水を吸ってすっかり黒く染まったアスファルトには、白い水煙が立ち上っていた。雨が弱くなったら移動しようと言おうにも、そもそも雨脚が弱まるかどうか分からない。
地下道に戻るという考えが、一瞬脳裏を過ぎった。
「地下道に——」
「地下道に、戻るのか? でも奴らは地下道に留まってる可能性だってあるし、今あそこに戻るのは危険だろ」
「……うん、そうだよね。悪い、少し混乱してた」
飛鳥は俯いて、濡れたスニーカーの爪先を見た。水分を含んだ前髪から両の爪先の間へ、ぽたりと、水滴が落ちる。
「……まあ、真っ向からぶつかっても、いいんじゃないか」
ほら、オレ結構強かっただろ、と青太は無邪気に笑った。しかし飛鳥は青太が『相手』との戦闘も辞さないつもりだと理解した瞬間、頭に血が上る感覚に襲われて、次に体の心から熱が奪われていくような心地になった。
「駄目だそんなのっ、リスクが大きすぎる」
「でも、ここにいても何にも変わらないじゃないか。奴らに見つかっても戦闘になる。どっちにしろ戦わずに逃げるなんて無理だ。だとしたら、屋外で戦うか屋内で戦うかの違いしかない」
2人くらいだったら何とかなると、青太は飛鳥に言って聞かせる。確かに青太はさっきまで2人に対して上手く立ち回っていた。『相手』の《COLOR》の詳細も分からないのに、青太は1人で2人分の攻撃を防いだ。
どうにか、なるのだろうか。自分が精いっぱい頭を回して彼をサポートすれば、もしかしたら。
だがそんな飛鳥の思考は、海黒によって呆気なく潰える。
「追っ手は多分、あの2人だけじゃないと思います」
海黒が、2人に割って入るように呟いた。
「奴らは私を何日も執拗に追いかけ回してきている。いい加減、奴らも私を捕まえたい筈です」
そう言いながら、海黒は自分の足に触れた。色素の薄い柔肌には、凝固した血液がこびりついている。
海黒は壁を支えにしながら立ち上がった。飛鳥が手を差し伸べようとすれば、彼女は首を横に振ってそれを拒む。
「足もこんな状態で、私がもう逃げられないことなんて『相手』は分かってる。だから今日、確実に、私を捕まえに来る」
飛鳥先輩たちが来るのは想定していなかったようですけど、と海黒は薄ら笑った。それから、真剣な眼差しを飛鳥に向けた。
雨音が海黒の微かな声を掻き消してしまいそうだった。けれど「逃げてください」という言葉が、いやにはっきりと聞こえた。
「頭は良くないみたいですけど……それでも、奴らが強いことは確かです。だから、怪我する前に飛鳥先輩たちは逃げてください」
「嫌だよ、僕は逃げない」
助けてと言ってきたのは海黒の方だ。そして、飛鳥は絶対に海黒を助けると決めた。ここで帰るわけにはいかなかった。
「君が、僕に助けを求めたんだ」
「そうですね。飛鳥先輩に助けを求めるなんて、私も、頭が悪かったんですね」
「仮に僕たちだけが逃げたとして、海黒さんはどうするつもりなんだ」
「大人しく捕まりますよ。どうせ、すぐに殺されるわけじゃありませんから」
「殺される、って」
飛鳥は息を呑んだ。海黒があまりにも簡単に「殺される」と言ったからだ。思い返せば、青太も飛鳥に対して「明日生きていられるかどうか分からなかった」と言っていた。
海黒が今関わっている何か、青太が過去に関わっていた何か。飛鳥はその何かの詳細は知らない。だがまさか、生死を揺るがす程のものだとは思っていなかった。
——カルト集団。
青太は、海黒の兄はカルト集団の幹部格だと言っていた。海黒がその集団に関わっていることは確実だ。
同一の思想を妄信し、同一の思想のもとに活動する、カルト集団。少年が何気ないことで「死にたい」と思ってしまうように、人の考え方はいくらだって極端になる。そして、思想が、人をどこまでも極端に、残酷にしてしまうとしたら。
「……『海黒ちゃん』」
飛鳥の背後で静観していた青太が、口を開いた。
「『紅野さん』には、頼れないのか」
飛鳥は目を見開いて青太を見た。学校であんなにも苦々しく岬紅野の名前を呼んでいたのに、そんな彼を頼ろうと言い出したからだ。そしてそれ以上に、青太が『紅野さん』とごく自然に言ったことに対して、胸の奥がざわめいた。それは、過去の彼が何度も岬紅野の名を呼んでいたということの証左だった。
「……お兄ちゃんは、私のことなんて、助けにきてくれないと思います」
「オレと一緒にいるって言えばいい」
「水島、何言ってるんだよ」
「オレの名前を挙げれば、『紅野さん』は絶対にここにくる」
「待ってよ。水島は、今さら、岬紅野に会えるのか」
自分の為に、まだ中学生だった青太を戦闘に巻き込もうとした男だ。もし自分が青太の立場にいたら、わざわざそんな男を呼び寄せようだなんて思わない。
だが青太は淡々と、そうするしかない、と言った。
絶対に瀬川を守る。心に温かく響いた筈の言葉が、雨水が染み込むように、飛鳥の心臓を冷やしていく。
降り止まない雨の線が檻のようになって、飛鳥たちをその場に閉じ込めていた。
やがて、海黒が1台の携帯端末をポケットから取り出した。それは無地のケースに入った飛ばし携帯ではなかった。紅色の花がいくつも描かれたケースの、プライベート用の端末だ。
海黒は飛鳥たちに背を向けて電話をかける。電話がちゃんと繋がったのかどうかは、飛鳥の位置では分からなかった。しかし海黒が、「お兄ちゃん」と寂しそうに呼びかけるのは聞こえた。
「——電話はしましたけど、来てくれるかどうかは、やっぱり分かりません」
「いいよ。ありがとう海黒さん」
海黒はまた、首を横に振った。
青太が、じゃあ行こうかと、飛鳥に笑いかける。飛鳥は海黒に声をかけて、再び彼女を抱き上げようとした。しかし海黒は、びくりと肩を震わせて、一歩下がってしまう。そんな反応に飛鳥も戸惑ったが、大丈夫だよ、と海黒の身体を持ち上げた。
「私、意外と重いですよ」
「そうかな。むしろ軽すぎるくらいだ」
「……いいんですか、本当に」
「……何が?」
「私、飛鳥先輩のこと、わざと傷つけました」
海黒の手が、飛鳥のシャツを弱弱しく握る。
「そのくせして『助けて』って言ったり、それで呼び出しておいて『逃げて』って言ったり。言ってること滅茶苦茶で……私ね、頭悪いんです。だからいっつも最後で駄目になっちゃうんです。だから……お兄ちゃんにも嫌われたんだ」
そんなことない、と言ってあげるべきだったのだろう。だが飛鳥は、愛してやまない兄弟から嫌われる怖さが理解できてしまった。姉から拒絶されれば、自分はその瞬間に氷の城の中に閉じ籠って、外部からの言葉なんて耳に入れやしないだろう。だから、岬兄妹について何も知らない自分の言葉が、効力を持つとは思えなかった。
何にも言えなかったからこそ、海黒の肩を、ぽんぽんと優しく叩いた。すると海黒の手の力が、わずかに強くなった。
飛鳥は、海黒を雨から守るようにしっかりと彼女を抱き締めて、青太と共に雨の中に入った。モノクロの景色は水に霞み、走っても走っても同じところにいるみたいだった。
地下道の手前で、2人は足を止めた。入り口には2人分の人影。やはり『相手』は地下道で自分たちを待ち伏せしていたようだ。
更に背後から水溜まりを蹴る音が聞こえた。振り返ればそこには黒い服を着た人物が立っていて、こちらを鋭く睨んでいた。
「海黒ちゃんの言う通りだったな」
「3対1、か……水島」
「ちょっと、まずいかもな」
青太が左手を開き、手のひらの中心に水泡を作り出す。手を振り放ったそれは、相手から撃たれた全く同質の水泡に打ち砕かれた。
おそらく『相手』の片方は《COLOR》は、対象の《COLOR》を模倣するものだ。ではもう片方は何だろうか。目に見えない《COLOR》では、どこから攻撃してくるかも予測できない。
「——3対1じゃ、ないですよ」
飛鳥の肩口で、海黒が呟いた。
「海黒さん、もしかして」
「私も戦えます」
海黒は飛鳥の上体に捕まっていた腕を解いて、とん、と地面に降りる。ふらつきながら、けれど彼女の口元は一文字に結ばれていた。
「前の2人は私がやります。だから青太さんは、後ろのあの人をお願いしていいですか。《COLOR》が割れてないんで、大変かもしれませんけど」
「いや、2人相手にするよりはずっと楽さ」
海黒が1歩前に進み出て、それと入れ替わるように、青太が飛鳥の背後に立つ。
雨を斬るように、海黒は腕を振った。
「私、戦ってるときに物考えるの苦手なので。作戦立ててくださいね。飛鳥先輩」
ぎらりと煌めく黄昏と目が合う。飛鳥が頷くと、彼女は少し笑ったように見えた。
指先まで真っ直ぐ伸びた腕に沿うように、鉄塊が幾つも生成されていく。形は歪で、大きさもばらばらだが、雨粒を落とす切っ先は確かな鋭さを持っていた。
それは翼だった。鉄の翼を持つ、片翼の蝙蝠のようだった。
NEXT>>27
- 2−12 ( No.27 )
- 日時: 2018/09/04 01:20
- 名前: トーシ ◆zFxpIgCLu6 (ID: jxsNqic9)
2−12
海黒が人差し指を突き出す。その直線上には、飛来する水泡。腕から指先へ、真っ直ぐに伸びたラインに沿うように1つの鉄塊が滑り出した。
その速度は水泡もずっと速い。狙うは中心。青い光子が核を成す、水泡の中心だ。
——《COLOR》を使用した戦闘において、その本質は力のぶつけ合いなのだと姉から聞いたことがある。
一方の《COLOR》の力が相手のそれを上回った時、相手の《COLOR》は打ち砕かれるし、両者の《COLOR》の力が同等な場合それは相殺される。つまり戦闘で有利に立ち回りたければ、相手より高出力で《COLOR》を使えばいい。
ただ「力」は単純なものではない。例えば、青太や海黒のように何かしらの物質を顕現させる《COLOR》では、「力」は物質の形状や質量や硬度、そしてそれを放つ位置やタイミングや速度に左右される。
海黒の《COLOR》は、鉄に限りなく近い性質を持つ物質を生成するものだ。頑丈で鋭く尖った鉄塊は、たとえ手の平より小さかったとしても、相手の《COLOR》を破壊する。
刹那、破っと光が散った。黒の鏃が透明な膜を破り、核を砕いたのだ。
海黒の鉄は砕けない。その勢いのまま、垂直落下する雨水を裂き飛んでいく。そのスピードに反応できなかった相手が寸前で水泡を生み出すも、鉄塊は相手の頬に傷をつけた。
相手の《COLOR》が他人の《COLOR》をコピーするものだったとして、それは劣化コピーにすぎないのだろう。青太の水の弾丸は海黒の鉄塊を砕く。相手が放ったものは、青太が撃ち出す水泡と一見同じだったが、オリジナルに比べて速度が遅かった。だから押し負けたのだ。
「所詮は海賊版、ですね」
「でも水島の《COLOR》はこれだけじゃないよ。気をつけて」
海黒は絶え間なく飛来する水泡を、確実に狙撃していく。不利な状況、ではなかった。
しかし飛鳥は、その水泡が、徐々に扁平な形になっていくのに気付いていた。
海黒によって壊されてしまうような水泡を、相手が意味もなく何度も撃っているとは考えにくい。
「海黒さん——鉄塊を撃たずに、宙に静止させておくことってできるかい」
「……やってみます」
彼女は射撃を続けたまま、下がっている方の手の平を開く。
「水島。そっちの《COLOR》は分かったか」
「まだ正確には分からないけど、多分、棘を生成する《COLOR》だ」
首だけ水島の方に振り向けば、地面の一点から3本の棘が突き出しているのが見えた。高さは1メートル弱。色は透明、表面は滑らかだ。見たところ性質はガラスと同じだろうか。
1つの根元から天空に向かって生えた3本のガラスの円錐は、雨に濡れて美しいとさえ思えた。しかしその尖端は剣先のようだ。貫かれればひとたまりもないだろう。
「対応できそうかい」
「棘の生成には時間がかかるみたいだ。未発達の棘を確実に壊していけば、辛い相手じゃない」
そう言いながら青太は、成長した棘に向かって水泡と水刃を放った。最初に罅が入り、次の一撃で割れる。そうしているあいだにも相手は別の場所から棘を生やす。
青太の反射神経は優れていて、ほとんど真反対に生成さたそれにすぐに3発目を撃った。
「あまり相手に近づかせるなよ」
「了解」
「それから、相手にも近付くな」
「え、どうして」
「ちゃんと『相手』を見ろ」
青太は『相手』を見ようとして、戸惑った。視界が青い光に包まれて、『相手』の姿を捉えることができなかった。宙を舞う幾つものガラスの破片が、青い光を受けて輝いているからだ。
「君を本当に傷付けたいなら、君から離れたところに棘は生成しない」
確かに『相手』は、始めのうちは青太の近くに棘を生成していた。その目的がガラスの棘で青太を突き刺すことだったのは間違いないだろう。しかし青太が次の瞬間には棘を破壊してしまうのを見て、『相手』は青太から少し離れた位置に、続けざまに棘を生成し始めたのだ。
全ては、青太の視界不良を招く為。
「相手の攻撃範囲は限定されてる。そうじゃなきゃ、すぐに僕たちを串刺しにしている筈だよ」
だから自分達に近づくために、自らの姿が見えないようにしたのだ。
青太がそれを理解したのと同時、飛鳥と青太の間で、硬い音が響いた。
飛鳥の袖を掴み、横に飛ぶ。1秒前まで自分たちがいた場所で、ガラスの棘が成長しているのを見て、青太は笑った。
「さすが……瀬川はやっぱり、頭がいいな」
笑えないな、と思いながら、いつの間にか距離を詰めていた『相手』に水泡を弾けさせて目眩ませ。一瞬の隙をついて体側に蹴りを入れる。
「頼んだよ、水島」
「相手は1人だ。攻撃も見える。そんな奴に負けるほど軟じゃないさ」
黒い眼が、すっと細められた。
『相手』の棘は殺傷能力が高い。それに、もしあれで行先を塞がれてしまったら自分たちは逃げられなくなる。撒くだけではいけない。奴だけは、戦闘不能に追い込まなければならない。
思考する青太の背後で、飛鳥は海黒に目を向ける。
模倣の《COLOR》所持者の手には、3つの青い光。
「海黒さん、今だ!」
合図からずれることなく、手の平の倍の大きさまで錬成された黒の立体が宙に浮く。雨の中重い鉄塊が重力を無視して浮遊する光景は、不自然な合成写真のようで、これが《COLOR》なのかと頭の隅で思った。
ただ、それが宙にあったのも瞬きのあいだ程の時間のみ。
雨粒を断ち空を裂く水刃が、たった2つで鉄を圧し斬った。2つ——いや、『相手』が構えていたのは3つの光。つまり最後の一撃が来る。
海黒は動かない。先程の攻撃によって、彼女の視界は黒と青の屑に覆われている。迫りくる弾丸に気づけない。
飛鳥は地面を蹴った。
海黒に手を伸ばし、腕を引いて海黒の身体を傾けさせれば、海黒は寸でのところで攻撃を躱す。頬を掠めん程間近を過ぎった水泡に、海黒の顔は分かり易く引き攣った。
水泡を撃つ原理と水刃を放つ原理は同じなのだろう。『相手』は無意味に水泡を乱射していたのではなく、水刃を放つ為に水泡の形を調節していたのだ。
水刃は厄介だ。あれは水泡とは違って核を持たない。反射的に鉄塊を撃っても逆に斬り伏せられてしまう。
それを完全に防ぐとしたら、《COLOR》の根元——《COLOR》使用者の手を狙うしかない。
「……奴らの手を、狙うのは」
「かなり、難しいと思いますよ。手が傷つけば、《COLOR》を使うのに大きな支障をきたしますから。手は一番防御が硬い場所です」
その防御を無理やりこじ開けることはできますけど、と海黒は言う。手の平一点目掛けて、全ての力を込めた一撃を食らわせるか。だとしても、潰せるのは片手のみで、その隙にもう片方の手で攻撃されてしまえば、こちらはノーガードでそれを受けることになる。最適な策、とはとても言えない。
海黒は迎撃を続けているが、迎撃パターンも読まれているのだろうか、徐々に防げない攻撃が増えてきている。
彼女が持つ攻撃の種類は、決して多くはないのだろう。青太の水のような液体物であれば、形状がどのようにも変わる為攻撃の種類は増える。しかし海黒の鉄ような固形物では、そうもいかないのだ。
更に彼女の場合、一度に生成できる鉄の量も、その範囲もかなり限られているようだった。だから『相手』の足元から鉄柵を生やして動きを封じることもできない。
ふと飛鳥は、『相手』の片割れがスマートフォンを操作してるのに気付いた。もう片方が戦っているのに、それに応戦せず、後ろに隠れて携帯端末を操作しているのは何故だろうか。
まさか。
「仲間を呼ばれたかもしれない」
飛鳥が零した言葉に、海黒がびくりと反応する。その表情は苦々しく、険しい。
眉を顰める飛鳥の背中に、とん、と何かが当たった。それは青太の背中だった。
青太は肩で呼吸しているものの、怪我などは一切していない。対してガラスの棘を生成する『相手』の方は、片手がぶらんと垂れ下がっていた。
「……何したのさ」
「水の球を当てて、手首を捻挫させただけだ」
だのに、青太が言うには、『相手』の《COLOR》の精度は全く変わっていないらしい。
《COLOR》を使う場合にも、利き手とそうではない手では精度に差が出る。両手を使えば出力も精度も最高になるが、『相手』は片手になってもそれが変わっていないということは、奴は最初から片手しか使っていなかったということだ。
「最初から相手は、消耗戦に持ち込むつもりだったってことか」
「紅野さん、本当に来てくれるのかな」
「……岬紅野って、強いのかい」
「……ああ、紅野さんはすごく強いぜ」
今まで相手を睨みつけていた青太が、ふっと笑ったような気がした。
岬紅野。会ったこともない男を信じて待つなんて、いるかどうか分からない神に縋るようで、飛鳥にとっては居心地が悪かった。
飛鳥はもう一度周囲を観察する。3人は気づけば中心に追い詰められてしまっていた。
右手には青太と、ガラスの棘。青太の方が有利であることに変わりはないが、彼は《COLOR》の暴走を恐れてか、出力を制御しているようだった。開けた場所では威力が広範囲に散ってしまうから、波を起こしても意味がない。彼の実質の武器は水泡と水刃のみだ。
そして、左手には海黒と2人の敵がいる。海黒は立っているので精一杯で、攻撃を躱すことができない。防御まで自らの《COLOR》頼りになってしまっている為に、攻撃も防御も精度が落ちている状態だ。
相対するのが1人ならまだ何とかなっただろう。けれど『相手』の片方にいたっては《COLOR》が割れていない。明らかに、不利だった。
「飛鳥先輩」
海黒は再び、鉄塊の生成を始める。まるで弾丸が弾倉に装填されていくかのように、彼女の両手を円形に囲む形で鉄塊が1つ、また1つと黒い艶を得ていく。
彼女はまだ、戦うつもりだ。
「『相手』の攻撃が、なんだか、徐々に強くなっていってる気がするんです」
「徐々に強化される攻撃、か……」
《COLOR》の「力」を左右するもの——つまり、《COLOR》による攻撃の威力を左右するものは、生出す物質の形状や質量や硬度、そしてそれを放つ位置やタイミングや速度。
これらのいずれかに変化があったから、攻撃の威力が増しているのだ。
飛鳥は俯いた。前髪から水滴が落ちる。それは後ろ髪も同じで、大きな雫が、項の稜線を辿って背中へ滑っていった。
そんな感覚を鬱陶しく感じた。しかし次に飛鳥は「ああ」と気付いて、それから、前を見た。
NEXT>>28