複雑・ファジー小説
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- アスカレッド
- 日時: 2021/06/11 01:43
- 名前: トーシ (ID: WglqJpzk)
ヒーローって、何だ。
*
《COLOR》と呼ばれる異能力が存在する社会。
瀬川飛鳥は、10年前に自分を助けてくれた『ヒーロー』に憧れながら生きてきた。
高校2年生のある日、飛鳥は席替えで水島青太と隣同士になる。青太は《COLOR》を持たない人間——の、筈だった。
*
閲覧ありがとうございます! トーシです。
今回、初めて小説を書かせていただきます。異能力現代バトルものです。
どうぞよろしくお願いします。
*
目次
(☆挿絵付き ★扉絵付き)
プロローグ カラーボーイ
>>1
第1話 アオタブルー
★>>2 >>3 >>4 ☆>>6
>>8 >>9 >>11 >>12 ☆>>13
(一気読み >>2-13)
第2話 ミクロブラック
★>>16 >>17 ☆>>18
>>19 >>20 >>21 >>22
>>23 >>24 >>25 >>26
>>27 >>28
(一気読み >>16-28)
第3話 ハイジグレー
>>31 >>32 >>33 >>34
>>35 >>36 >>37 >>38
>>39 >>40 >>41 >>42
>>43 >>44 >>46
第4話 シトリホワイト
第5話 ********
エピローグ アスカレッド
*
その他
クロスオーバー・イラスト(×守護神アクセス)
>>10
PV(『闇の系譜』の作者さんの銀竹さんが作ってくださいました!)
>>34
閲覧数1000突破記念イラスト
>>15
閲覧数3000突破記念イラスト
>>30
*
お客様
荏原様
日向様(イラストをいただきました!>>14)
立花様
スペシャルサンクス
藤稲穂様
水様
四季様
しろながす様
*
記録
4/13 連載開始
*
Twitter @little_by_litte
ハッシュタグ #アスカレッド
- 2−3 ( No.18 )
- 日時: 2018/08/24 17:28
- 名前: トーシ ◆zFxpIgCLu6 (ID: Au2wVmYz)
- 参照: http://www.kakiko.info/upload_bbs3/index.php?mode=image&file=998.png
2−3
飛鳥が呼び出されたのは、静かな音楽がバックグラウンドに流れる、小さなカフェだった。海黒は窓際の2人掛けの席に座っていた。彼女は飛鳥の存在に気付くと、ストローから口を離して、対岸の椅子に座るよう視線で促した。
「何か注文しますか」
「いいよ。コーヒー飲んできたから」
そうですか、と言って、海黒は差し出したメニューを元のところに立てる。
ルビーを溶かしたようなアイスティーをストローで混ぜながら、海黒はふっと笑った。
「そんなに緊張しないでくださいよ」
「……僕に、何の用かな」
「この前の上着を返そうと思いまして」
海黒は傍らから紙袋を取り出し、飛鳥に渡した。中を確認してみれば、あの夜海黒に着せた上着が、きちんと畳まれて入っていた。目線を上げると、海黒と目が合う。橙の中で、黒々とした瞳孔は、夕焼け空に穴が空いているようにも見えた。
「それだけですよ」
からん、と冷涼な音と共に氷が崩れる。
「僕が、近くにいるって分かったのはどうして?」
「ただの勘です」
「本当に?」
「ごめんなさい。勘っていうのは嘘です。本当は、『コレ』に連絡が入ってきたんです。飛鳥先輩が、警察署の方に向かってるって」
海黒は1台のスマホを飛鳥に見せた。黒いカバーが付けられているだけのそれは、女子高生が持つにはいささか地味だと思った。
足のつかない携帯、という奴だと直感した。だから海黒はこのご時世にラインのアカウントではなく、電話番号を教えてきたのだ。ラインは会話のログが残ってしまうが、電話の音声は残らない。
飛鳥は窓の外に目を向けた。得体のしれない誰かから見張られていたのかと思うと、今更ながら背筋が凍るようだった。海黒は「危害は加えませんよ」と言ったが、彼女の笑顔に、飛鳥は底恐ろしさしか感じなかった。
「……君は一体、何に関わっているんだ」
「それは、今はまだ言えません」
海黒が嵩の減ったアイスティーをかき混ぜると、最後の氷は完全に溶けて、なくなった。だのに海黒はかき混ぜるのを止めない。コースターに落ちる紅玉色の影が、くるくると回り続けている。
「いつかは教えてくれる、ってことかな」
「そうですね。飛鳥先輩がこれからも私とお話してくれるなら、いつかは」
「でも、海黒さんの目的は僕じゃないんだろ」
——君の目的は『水島青太』だ。
飛鳥がそう言うと、海黒はストローを止めた。そして、その黒いストローの先端を、親指と人指し指で潰してしまった。潰しながら、飛鳥をじっと見ていた。
「生憎、僕は水島の為の釣り餌になるつもりはないよ」
だから、君の都合のいいようには動かない。飛鳥はきっぱりと告げた。しかし、海黒の唇から漏れ聞こえてきたのは、やはり渇いた笑い声だった。
「飛鳥先輩は、随分と『水島青太』さんに拘っているようですけど」
その言葉で、口内の水分を一瞬で奪われたような気分になった。
「……僕が、水島に?」
「だって、そうでしょう。飛鳥先輩はあの時、私ではなく水島青太さんを信じた。それも、ちっとも疑うことなく。なのに、実際は彼に反発している。飛鳥先輩は水島青太さんに対して、矛盾した感情を抱いている」
ローテンポのBGMに混在する、ガラス窓を叩く雨音が、消えない。雨音が飛鳥の鼓膜を打ち、思考の奥の扉を叩く。そして、心の見ないようにしていたところに光が当たる。その光は、10年前と、青太に初めて助けられたときに幻視した、あの闇を裂く光ではない。全てを露わにする探照灯だ。
——あの時青太のことを信じたのは、漠然と、青太は『ヒーロー』なのだと感じてしまっていたからだ。
『ヒーロー』が誰かを傷つけるはずがない、痛めつけるわけがない。だから青太が海黒を襲うなんてありえない、だって彼は『ヒーロー』なのだから。
助けた方と、助けられた方。
助けた方は『ヒーロー』だろう。であれば、その対となる助けられた方は『ヒーロー』ではないのだ。
青太に守られている限り、飛鳥は『ヒーロー』にはなれない。彼が差し出してくる庇護と言う名の傘の外に出なければ、『ヒーロー』にはなれないままだ。だから、彼に反発する。
そして、それは単純な1つの感情だ。
「私には、それが何なのかは分かりません。嫉妬なのかもしれないし、畏怖なのかもしれないし……『劣等感』かもしれない」
青太への『劣等感』。その言葉が、水が地面に染み込むように、自然に胸に落ちる。
「水島青太さんの《COLOR》はとても強力です。威力自体もそうですし、操作する技術も彼はずば抜けています。天賦の才能なんですよ。羨ましいんですよね? 飛鳥先輩は無色(colorless)だから」
どうして知っているんだ、と思ったが、訊くのを止めた。海黒も青太や白鳥のように、相手が無色(colorless)かどうか、感じ取れる側の人間なのだ。
グラスの表面を伝う水滴を、海黒は指先で掬う。それを見ていると、まるで自分の首筋を撫でられたかのように錯覚して、ぞっとした。
「でもね、水島青太さんと、飛鳥先輩では、生きているステージが違うんですよ。だから、彼を意識したって意味がないんです。意味がないのに、飛鳥先輩は彼に拘ってる。水島青太さんの手を借りたくなくて、強がって。でも」
海黒の黄昏が、伏せられて。次の瞬間に、彼女の視線が、飛鳥に突き立てられた。
「——私たちは《COLOR》所持者で、そして飛鳥先輩は無色(colorless)です。一体、飛鳥先輩に、何ができるって言うんですか」
飛鳥は、膝の上で拳を強く握った。爪が痛かった。それ以上に惨めだった。
「力がないのなら、大人しく流された方がいいんじゃないですか」
海黒に黙って従って、そして青太に助けられればいい。そして青太を犠牲にして、何事もなかったように、またいつもの生活に戻ればいい。『ヒーロー』としての青太を研磨する、ただの小石のひとつであればいい。
青太は特別だから、『ヒーロー』の原石だから。皆が彼に注目する。飛鳥自身でさえも思考を彼に占領されている。そして飛鳥に目が向けられることはない。
だとしたら、どうして、現在の海黒は、こんなにも飛鳥のことをしっかりと見ているのだろう。
「……僕、これから塾だから」
飛鳥は、海黒の視線を振り払うように、鞄を手に取って立ち上がった。
「逃げるんですか」
「無断欠席したくないだけだよ」
「分かってます。冗談を言っただけですよ」
「……不愉快だな」
海黒は残ったアイスティーを、グラスに口をつけて飲んだ。
「大人しく、してた方がいいんですよ。無力なんだから」
消えそうな呟きは、彼女が1人で2人掛けのテーブルに座っているせいだろうか、どことなく寂しげに聞こえた。
カフェを出て腕時計を確認すると、時刻は18時半をとっくに過ぎていた。19時半までには塾に着いていなければいけないから、余裕はなかった。
ここからなら、警察署の最寄駅よりも、そこから1つ進んだところの駅の方が近いだろう。飛鳥は、重い足取りのまま駅へ向かった。駅に近づく程人通りが多くなる。いつの間にか帰宅ラッシュの時間帯になっていて、なおさら人が多かった。
雨は止んでいなかった。視界にグレーのフィルムがかかったように、目の前の景色は暗い色をしていた。
頭に、鈍い痛みが走る。前へ進みたがらない足を無理やり動かしているのだから、もう足を引きずっているようなものだった。それでも、塾に行かなければならない。せめて、今までできていたことだけは、『できる』ままでいたかった。だから、塾に行って、19時半からの講義を受けなくちゃいけない。
目線を上げて、進行方向を見る。もうすぐで駅に着く。やはり風景は灰色だった。
——だからこそ、あか色が映えた。
あかい髪、あかい目。夕焼けの下で、10年前に見たあか色。そんな色を持つ、車椅子に乗った男が、飛鳥の横を通り過ぎて行った。それがどんな絵の具よりも鮮やかで、残像すら目に焼き付きそうな程輝いていたから、飛鳥は一瞬時が止まったような気さえした。
はっとして振り返ると、そこにあるのは人ばかりだった。車椅子の人物の姿は見えない。それでも、まだ遠くへは行っていないだろうと、飛鳥は人波をかき分けながら逆行する。そして、すぐに車椅子が目に入った。
「あのっ!」
飛鳥の声で、車椅子がゆっくりと止まる。しかし、振り向いたのは車椅子に乗った人物ではなく、大きな傘をさしながら、それを押していた方の人物だった。
その人は、こんな季節に長袖のパーカーを着て、フードを目深に被っていた。そして、布の奥から真っ直ぐに飛鳥を睨みつけた。冷えた色の瞳だった。
やがて車椅子は道の端を静かに進み始め、雑踏の中に溶けていった。だから、飛鳥はそれ以上何かを言うことはできなかった。
NEXT>>19
- 2−4 ( No.19 )
- 日時: 2018/07/08 09:58
- 名前: トーシ ◆zFxpIgCLu6 (ID: P.nd5.WZ)
2−4
「片付け、代ろうか?」
青太の声が、背後で聞こえた。だがそれは飛鳥にかけられたのではなく、一緒に3限目の体育の片付けをしていた、別の男子生徒にかけられたものだった。
ただの日常会話の一部のように、青太がごく自然に代ろうかと言ったので、その男子生徒も遠慮せず、助かると言ってすぐに教室に戻ってしまった。
しかし飛鳥は、青太の本当の目的は片付けを手伝うことではない、と何となく理解した。
「……今度は何だい」
大方、また何か話でもあるのだろうと思った。けれど青太は黙ったままだった。飛鳥が得点板を器具庫の奥に仕舞う後ろで、青太は授業で使ったゼッケンを畳んでいた。こちらへの視線は感じないが、彼の気配はある。青太の呼吸音が聞こえている。だが、今までとは違って、その沈黙から彼の感情を読み取ることはできなかった。
ボールまで仕舞い終わって、後ろを見る。青太も、最後の1枚をカゴに入れたところだった。彼の畳み方は案外大雑把だった。
体操着が肌に貼りつく。早くこんな蒸し暑いところから出たい。しかし飛鳥は1歩も踏み出せなかった。器具庫に唯一ある出入り口の前に青太がいたからだ。彼はゼッケンのカゴを、壁に設置された棚の上段に収めた。それで片付けは完了した筈だった。それでもなお青太は黙っていた。そして、動こうともせず、その場に立っていた。無音の空間は、教室棟で、昼休憩で賑わう生徒たちの声が流れ込んでくる程だった。
「岬海黒に会ったのか」
唐突に、青太が言った。
「クラスの女子が話してた。お前が昨日の6時半頃に1年の女子と一緒にいた、って」
彼は早口で言った。彼の渇いた唇しか動いていなかった。それ以外の動作は一切削ぎ落ちていた。彼の両目がどこを見ていたのか、横顔からは窺い知れなかった。
「岬海黒に、会ったのか」
そうして、青太の頭が動いた。
首だけを動かして飛鳥を見つめる目は、薄暗い空間の中でも、けっして黒一色に塗り潰されてはいない。やはり、深海のように青い光を奥に湛えているのが分かる色をしていた。それくらい、彼の本当の瞳の色は鮮やかなのだった。
「会った」
平らな水面に石を落とした時のように。青太の瞳が確かに揺れた、と思った次の瞬間、身体が前にふらついて、彼の双眸が眼前に現れた。
「どうして」
絞り出すような声も、その言葉に纏わりつく浅い息遣いまで、はっきりと聞こえた。首元が苦しい。どうやら、青太に体操着の襟ぐりを掴まれているらしかった。
「岬海黒にはもう近付くなって言っただろ」
青太の声に、さっき男子生徒に話しかけたときのような穏やかさはない。冷たさと熱を同時に孕んだ、今までに聞いたことのない声で飛鳥に詰め寄る。どうして会ったんだ、と絞り出す声。
飛鳥は少し息を吸った。6月の水分と、汗の臭いのする生温い酸素が喉の内側を撫でていく。
「言わない。君には関係ない」
それを吐き出した途端、黒い前髪の隙間に見える目が、一瞬で激情に染まった。
ガンッ、と重い金属音と共に、腰に鈍痛が走る。身体を押されて、後ろにあった鉄のボール籠に激突したのだろう。だが青太は距離を広げることなく、至近距離から飛鳥を睨み続ける。
「彼女は危険だって、言っただろ」
「ああ。言ってたね」
「近付くなって言っただろ」
「ああ聞いたよ」
「じゃあ何で会ったんだ」
「僕は君の言うことに従うなんて一度も言ってないだろ」
そう言えば、より強い力で抑え付けられた。鉄枠が身体に食い込みそうな程、強い力で。
「お前、自分が『無色(colorless)』ってこと、分かってるのか」
ああ、水島までそんなこと言うのか。
「——分かってるよ、そんなことは!」
叫んで、飛鳥は、自らの首を圧迫する手に掴みかかった。拘束を離そうとしたわけではない。ただ、彼の手首を握り締めて爪を立てるためだった。それが無力な無色(colorless)にできる唯一の足掻きだった。
自分は無色(colorless)で、海黒や青太のように強力な《COLOR》を持った人間には敵わない。そんなことは、海黒と対峙し、青太に助けられたあの夜に痛感していた筈だった。
だから本当は、海黒と会ってはいけなかった。海黒を無視することの方が正しかった。それが正しいと、分かっていたのに、会ってしまった。
「なら、彼女と会って、無事ではいられない可能性だって考えられただろ。かすり傷程度の話じゃない、今ここに五体満足で立っていられるかだって分からなかったんだ。五感が正常なままでいられるか分からなかったんだぞ。今日学校に来られるか、昨日家に帰れるかさえ分からなかったんだぞ。今、生きていられるかどうかすら——」
最悪の事態を想像してしまったのだろうか。青太の最後の言葉は、苦しそうに掻き消えていった。
「分かってるさ。分かっててやったんだ。全部、僕が決めてやったことだ」
だから君は関係ない、と飛鳥は吐き捨てた。青太の手を掴む力も、一瞬たりとも緩めなかった。それに反して、視界は不安定で、何度も歪んだ。眩暈にも似ていた。ともすれば、薄暗い器具庫の天井を、雨雲だと勘違いしてしまいそうだった。
加速していくような、解離していくような、崩壊していくような。胸の中心が冷たくなって、ずっとざわめいている。
人差し指の爪は、ついに青太の肌を突き破った。爪の先に赤い血が滲んだ。しかし、青太が飛鳥から目を逸らすことはなかった。
「お前が、『信じてほしい』って言うから」
手首を、何かが伝っていった。それは汗だったのだろうか、それとも青太の血だったのだろうか。床に落ちてしまった今、もう確認することはできない。
「オレも、信じていいんだって思って、信じたのに」
瞬間、あんなに頑なだった青太の手が、驚くほどあっさりと解かれた。気道が急激に酸素を取り込んだせいで、少し咽る。
呼吸を整えて、気が付けば青太の姿は目の前にはなく、教室棟へ戻っていく背中だけが見えた。
飛鳥は、鉄枠に触れた手で、ボール籠を殴った。強い衝撃と痛みが、指先にまで伝播した。中に入っていたバスケットボールが、幾つかその中で転がった。
教室に戻ると、いつも一緒に昼食を食べている友人が、今日は先に弁当箱を開いていた。飛鳥に気が付くと、遅かったなーと言って唐揚げを口に放り込んだ。仕舞う場所が分からなくて、と適当な言い訳をしながら、飛鳥は昼食を取りに自分の席に向かう。
隣の席には、潮田が座っていて、他の女子生徒数人と一緒に弁当を食べていた。
「飛鳥くん、遅かったね。体育の片付け?」
「うん」
もう1つの隣の席——窓際の、青太の席は空っぽだった。だのに青太の声が間近で聞こえたような気がした。はっとして周りを見る。けれど、教室内に青太の姿は見当たらなかった。
「どうしたの?」
「……いや、何でもないよ」
「あ、そういえば……飛鳥くんに、訊きたいことがあるんだけど」
「訊きたいこと?」と飛鳥が訊ねる前に、潮田は飛鳥の方に身体を寄せて、声を潜めた。
——昨日、飛鳥くんが、1年生の女の子と一緒にいたって聞いたんだけど、それって。
「その話、今じゃないとダメかな」
飛鳥は立ったまま、彼女の台詞を遮った。いつもと同じように、自然に言ったつもりだった。しかし、ふと目を向けた先にいた潮田の表情は引き攣っていた。自分は、存外、きつい言い方をしてしまっていたのかもしれない。潮田の不自然な沈黙は、その友人たちをも黙らせた。そして次第に、それが他のグループにも伝染していく。十数秒後には、温い空気で充満する教室が、昼休憩だというのに静寂に包まれた。
「あ……ごめん」
情けないほど小さな声で、飛鳥は謝った。すぐに潮田に背を向ける。鞄から弁当を取り出す為、という名目の上で、飛鳥は彼女からの視線から逃れようとした。鞄を開いた時、スマホの通知のライトが光っていることに気が付いた。ポップアップで、ラインに送られてきたメッセージが表示されている。送信者は姉の白鳥だった。
——放課後、暇? 夕方から休みが取れたから、一緒に何か食べにいかない?
簡単なメッセージが飛鳥の目に映る。飛鳥は、一度だけ端末をぎゅっと握って、了承の意を伝える返信を送った。
NEXT>>20
- 2−5 ( No.20 )
- 日時: 2019/06/26 00:13
- 名前: トーシ ◆zFxpIgCLu6 (ID: wZJYJKJ.)
2−5
「あっ、飛鳥! こっちこっち」
腕時計の短針が、午後4時を示している。白鳥がコンビニ近くの駐車場で手を振っている。傍らには、彼女の愛車の、よく磨かれたバイクが従っていた。
「姉さん、待った?」
「全然。今来たところ」
今日の白鳥は、ライトブルーの制服でも戦闘服でもなく、モノトーンの私服姿だ。彼女は無彩色の空を見上げて、雨が降らなくてよかったと笑った。
「飛鳥、甘いものとかは大丈夫よね」
「うん、大丈夫だよ。これからどこに行くの?」
「ちょっといいとこ」
白鳥が楽しそうにしているので、飛鳥も眉を下げて笑い返した。彼女は飛鳥にヘルメットを渡し、自分もヘルメットを装着してバイクに跨る。飛鳥は、少し行儀は悪いけれど、通学鞄を縦にして背負って、彼女の後ろに乗った。
白鳥が運転するバイクに乗るのは久々で、レザーの硬いサドルに座ると、自然と心拍数が上がる。やがてエンジンがかかり、同時に下半身から全身に振動が伝わってくる。バイクは駐車場を飛び出して、道路を真っ直ぐに走り始めた。見慣れた景色が急速に流れていく。シールド越しに見えるものだけれど、それは車内から見るのとは違って、映像のようではなかった。身体が風を切っていく感触が、リアルに思わせているのだろうか。
外界の音はほとんど入ってこない。空気の中を突き抜けていく感覚が、何もかもを後ろに置いて行って、全てを忘れさせてくれるようだった。
ほどなくして到着したのは、警察署の近くの、とあるビルの1階に作られたパンケーキの店だった。白鳥曰く、1か月前に東京からやってきたばかりらしい。店内はほとんど女性客ばかりだったが、中には空席もあった。2人は4段重ねのパンケーキを注文して、2段づつ分けて食べることにした。
「パンケーキって、専門店で食べたことなかったから、食べてみたかったのよね」
やがて運ばれてきたパンケーキを、白鳥はナイフとフォークで器用に2枚の皿に分けた。そして片方を、はい、と飛鳥に渡す。
「ありがとう」
パンケーキの分厚い生地は、水彩のような黄土色をしていた。フォークの背で押さえてみるとふんわりと沈む。その一片を口に含んでみれば、瞬間、きつい甘さが口内に広がった。
「甘すぎた?」
「……ちょっと、ね」
「きついなら、残りは私が食べるけど」
「いいよ。食べ切れる」
実際食べ切れない程の甘さではなかったし、ここで残すのはせっかく誘ってくれた姉に悪い気がして、飛鳥は食事を止めなかった。白鳥を見れば、美味しそうにパンケーキを食べていた。
「あ、そういえば、知ってる? 糖分って、本当は疲労回復にはならないんだって」
そう話す白鳥の口に、黄土色の塊がまた吸い込まれていく。
「砂糖はアドレナリンやドーパミンの分泌を促すから、甘いものを食べると元気になったような気がするけど、実際は身体の疲れはとれないんだって」
「そうだったんだ、知らなかった」
「私も、ついさっき知ったの。でももうちょっと早く知りたかったな」
飛鳥は、丸い皿の上の物体を見下ろしてみた。気持ちを明るくするだけのものなんて、覚醒剤のアッパーと同じだとふと思った。
「今日は、塾は無いのよね」
「うん」
「じゃあ、久しぶりに一緒に帰れるね」
久しぶりに、姉さんと一緒に。そう考えると、心が浮遊するようだった。
「そうだね。姉さんは仕事で忙しいし」
「飛鳥は、学校と塾で忙しいから」
「姉さんと一緒に帰れるなんて、嬉しいな」
「私も」
パンケーキをフォークで刺して、食べる。それは甘いばかりで、美味しいとは感じない。しかし心は、少し柔くなっているような気がした。勿論、パンケーキ程ではないけれど。
「そういえば、最近、学校はどう?」
「……あんまり、上手くはいってないかな」
「テストの点が悪かったとか?」
「勉強のことじゃ、ないんだ」
飛鳥は視線を落としたまま答えた。フォークの切っ先が、天井の灯りに照らされ、ぎらりと光る。彼はフォークを皿の上に置いた。その時にお互いが擦れて、甲高くて不快な音が鳴った。
「……昨日、警察署でさ。姉さんが、僕に、水島のことが嫌いかって訊いてきたのは——僕が、水島のこと、嫌ってるように見えたから?」
飛鳥の言葉を聞くと、白鳥は一度だけ瞬きをした。そしてそのまま、静かにナイフとフォークを置いた。
「……青太くんにかける言葉に、どことなく、棘があるような気がしたから。クラスメイトの子にあんな言い方するのは、飛鳥にしては珍しいなって、思ったの」
やっぱり、外面を保ち続けることまで困難になっているようだ。青太が相手だと、自分の内心が過剰に表れてしまうのは自覚していたけど、今日の潮田との一件で、青太以外に対してまで『瀬川飛鳥の外面』を貼り付けられなくなっている。
飛鳥は自身の空の両手を、無意識に机の下で組んだ。
「でも、飛鳥が本当に青太くんのことを嫌ってるって思ってたら、あんなことは言わなかったよ」
「……どういうこと?」
「言葉に険がある割には、飛鳥は、青太くんの目を見て話してた。だから、ただ単純に嫌いってわけじゃないんだろうなって思った」
「僕が、水島を……」
気が付けば、昨日海黒と話した時と似たような台詞を反復していた。「水島青太に拘っている」と海黒に言われて、劣等感を抱いていると暴かれて、その時思わず言ってしまった台詞だ。
けれど白鳥が言いたいのは、嫌悪とも劣等感とも違う感情のような気がした。
「だからね、気になってちょっと意地悪なこと言っちゃった」
ごめんね、と白鳥が言うから、飛鳥もいいよと言う風に首を横に振った。
白鳥は手放していたフォークとナイフを手に取って、再びパンケーキを口に運び始める。飛鳥も両手を解いて、残り少なくなった甘さの塊を片付けることにした。
「姉さん、あのさ」
最後の一塊を嚥下して、飛鳥は相対する白鳥の目を見た。
「僕、戦闘員になりたいんだ」
白鳥の目線が落ちてしまう前に、飛鳥は言葉を続ける。
「姉さんと同じ、戦闘員になりたいんだ」
姉と同じようになるなんて無理だと、飛鳥は分かっていた。《COLOR》犯罪専門の戦闘員になるには、自らも《COLOR》を所持していることが最低条件で、その中でも優秀な《COLOR》所持者——例えば、水島青太みたいな人間でないとなれないのは、ずっと前から知っていた。
けどここで、たとえ白鳥に「無理だ」と言われても、自分は決して諦められないだろうと思った。いつの間にか、自分が無色(colorless)であることに、こんなに拘泥していた。無色(colorless)であるならば、他のことを頑張って、無い分を埋め合わせればいいと思っていた。それで自分の心に整理がつくと思っていた。しかし現実はそうはならなくて、自らの甘さがずきずきと痛むのだった。やっぱり無色(colorless)であることを認められない。無様で、馬鹿みたいだ。
「……戦闘員は、危険な仕事よ」
白鳥は思っていた通り、居心地悪そうに目を伏せた。彼女はこの話題を避けたがる。
「知ってる。でも姉さんは、それを職業にしてるじゃないか」
「確かにそうだけど」
皿の上で銀色のナイフがぎらぎらと、その刃を光らせている。
どうすれば自分はまともになれるだろうか。どうすれば醜態を晒さずにいられるだろうか。払拭すればいいのか、乗り越えればいいのか。
「……どうして、僕にも、人を救えるって言ってくれないのさ。水島と僕は、そんなにも違うの」
「ちょっと、待ってよ。なんでそこで青太くんが出てくるの」
「だって、姉さんが、水島にだけは『誰かを守れて、救える』って、言った……か、ら」
いや、違う。白鳥がこれを言ったのは、あの夜青太と2人きりになった時だ。それで飛鳥は隠れていたから、白鳥は、あの場に飛鳥がいたことを知らない。だのに飛鳥が2人の会話を知っているなんて、白鳥からしてみればおかしなことで。
しまった、と思ったときには、姉の目の色が変わっていた。懐疑の色を含んだそれは、刹那、罪を見抜く警察官の目になる。
「飛鳥。あの夜、あの廃工場にいたの」
「それ、は」
「イエスかノーで答えなさい。いなかったのなら『いなかった』って言えばいい筈よ」
そうだ、無駄な言い訳なんて逆効果だ。正直にイエスと、嘘を吐いてでもノーと、とにかくそのどちらかで答えなければいけない。なのに何も言えない。声が、出ない。呼吸もしているし、喉も震えているのに、音になって出ていかない。
膝に乗せた掌に嫌な汗が滲んで、スラックスの上で滑る。喘ぐように開いた口から吐息しか漏れない飛鳥を、白鳥はじっと見つめてる。
その琥珀色の拘束から逃れたくて、彼は窓の方に視線を逸らした。
そして、視界の中心に『岬海黒』の姿を捉えてしまった。
見間違いではなかった。彼女は制服姿のまま、向こう側の歩道を走っていた。どうしてここにいるのか、どうして走っているのか。彼女の進行方向とは逆の方に目線を移動させれば、2人の人間が彼女を追いかけていた。
「行かないと」
あんなに言葉に困っていたのに、その呟きは簡単に音声になった。飛鳥が派手な音を立てて立ち上がったので、白鳥は瞠目して、微かに弟の名を呼んだ。
「姉さん、ごめん。僕、行かないと」
「待って飛鳥!」
白鳥の隣を通り抜けて店から出ていこうとする飛鳥の腕を、彼女は素早く掴んだ。
「……離してよ」
「いやよ。突然どうしたの」
細い指に血管を圧迫されながら、飛鳥は白鳥の顔を見る。
「僕が行かないと……『彼女』が、傷つくかもしれないんだ」
「え……?」
だから離して、と飛鳥は姉の手を無理やりに振り払おうとした。しかし反して、白鳥の力は強くなった。そして、「私も行く」とただ端的にそう言った。
NEXT>>21
- 2−6 ( No.21 )
- 日時: 2018/07/29 11:03
- 名前: トーシ ◆zFxpIgCLu6 (ID: WqZH6bso)
2−6
海黒が逃げて行ったのは西の方角だった。飛鳥は店から出た途端白鳥のバイクに乗せられて、そのまま西へ走った。
走り出して間もなく、幸運にも海黒の背中を見つけた。彼女は左手に曲がって、狭い路地へ入っていった。バイクはその1つ向こうの、幅の広い道を同じく左に曲がる。
小さな店が立ち並ぶ中、やがて、ガードレールと鬱蒼と茂る木々が見えてくる。そこは公園だった。小柄な遊具と狭い砂場があるだけの、小さな公園だ。外周を囲うように広葉樹が植えられていて、ポールが立つ入り口に近づいて初めて、内部の様子が分かった。
海黒は、ブランコの柵に手をついて、肩を大きく上下させていた。飛鳥が白鳥の背中を叩くと、2人が乗るバイクは公園近くの駐車場で停まる。
飛鳥は急いで座席から降りて、公園の中に入った。海黒さん、と声をかければ、海黒ははっと身体を強ばらせて、飛鳥を見た。その目は、橙の光彩が円形なのが分かる程、大きく見開かれている。
「……どうして、こんなところに」
彼女が震える声で呟くのと同時に、白鳥も公園に入ってきた。
「その子が、飛鳥が追いかけてた子なのね」
白鳥の言葉に、飛鳥は黙って首肯する。彼女は飛鳥のすぐ隣に立って、小さな声で飛鳥に囁きかけた。
「……あっちの方、男2人組が外から、その子を見てる」
白鳥が西側に並ぶ木々を目線で示す。飛鳥もそれに倣って、男らと目が合って気付かれないよう下の方を見つつ、そちらを確認する。すると、姉の言う通り木々の隙間から2人分の足が視認できた。
「その子は、あの男たちのことは知ってるの」
「多分、知ってる」
『あの夜』、海黒と自分たちを襲撃してきた3人組の仲間だろうか。詳細は分からない、けれど海黒が彼らから逃げているというのは、2人組が遠巻きに海黒を監視していることから明らかだった。
飛鳥が一歩だけ海黒に寄ると、彼女は一歩退いた。その動きがどことなくぎこちない。見れば、膝にガーゼが貼られていた。『あの夜』海黒は膝から血を流していたから、おそらくその傷が完治していないだけなのだろうが、足首の辺りに見える鬱血痕には見覚えがなかった。
「海黒さんが走ってるのが、たまたま目に入ってさ」
「それで追いかけてきたんですか」
「心配になったから」
追われてるよね、と飛鳥が声を抑えて問い詰めれば、海黒は不快そうに眉を顰めた。
「ええそうですよ。それで? わざわざそんなことを言うために、来たんですか」
海黒は即座に、強く切り返してくる。乱れて、頬にかかった横髪を雑に払って、飛鳥の隣に立つ白鳥に鋭い視線を向けた。
「……その人は」
「私は瀬川白鳥です。飛鳥の姉で——府警の警察官です」
海黒は、警察、と小さく反芻した。白鳥は、白い長髪をふわりと耳にかけて、目の前の少女に尋ねる。
「君は……岬、海黒ちゃん、かな」
「……どうして、私の名前を」
「たまたま、そんな名前な気がしたから」
嘘だ、と飛鳥は思った。姉は、飛鳥が落としたメモに書かれていた『岬海黒』の名前を覚えていたのだ。彼女の聡明な脳による必然だ。もしくは、強運による本当の偶然だったのだろうか。
海黒は少し俯いて、今度は白鳥から逃れんとするように、再び後退する。しかし白鳥は、海黒には近付かず、今立っている場所から彼女に優しく笑いかけた。
「怪我してるね。その足だと、立ってるのはしんどいでしょう。どこかに座る?」
海黒は首を横に振った。白鳥は「そう」と目を細める。
すうと、息を吸う音がした。
「——あの男たちと、面識はある?」
静謐な声で白鳥は問う。海黒が鈍い動作で否定すると、彼女は少し考えて、再び問いかける。
「追われてる原因に、心当たりはある?」
「……ありません」
海黒は俯いたまま答えた。喉から絞り出したような、か細い答えだった。
その時、バイブレーションの音が聞こえた。音源は白鳥が持つ鞄の中だった。白鳥は急いでスマホを——彼女がプライベートで使っている白い手帳型のものではなく、銀色のカバーが装着された、仕事用の端末を取り出す。
その時にはもう、白鳥は優しい笑顔から、眉根を寄せた厳しい表情に変わっていた。後ろを向き、飛鳥と海黒から数歩離れて、端末を耳に当てる。凛とした声の短い応答が、徐々に緊張を孕んでいくのが分かる。
やがて通話を切った白鳥は、スマホを強く握って、飛鳥達の方に振り返った。
「姉さんどうしたの」
「緊急の応援要請が入ったわ。だから、もう行かなきゃ」
白鳥は、一度目を横に滑らせて、また海黒を見た。
「岬海黒ちゃん。君は、家はこの近く?」
「……はい」
「それじゃあ、飛鳥、海黒ちゃんを家まで送ってあげて」
飛鳥は小さな間を置いて、うんと頷いた。男2人組はもういなかった。
「本当に、何か困ってることがあったら、警察に相談してね。すぐに動いてくれないこともあるけど、それでも、何も言わないよりはずっといいから」
それから彼女は、飛鳥を見上げた。飛鳥のとは違う、色素が透明感のあるまま凝縮された琥珀と目が合う。
「飛鳥も——彼女を、家に送るだけよ。それ以外のことは、絶対にしないで。それ以上踏み込んだことはしないで」
約束よ、と白鳥は小指は出さなかったが、飛鳥の手をぎゅっと両手で包み込んで、去って行った。飛鳥は姉の背中を見送れなかった。姉の体温が離れた手が、どうしようもなく小さく見えた。
唐突に、砂利が擦れる音が聞こえた。
「海黒さん……」
「1人で帰れます」
「でも」
「1人で帰れるって、言ってるじゃないですか」
「……海黒さん、自分では気付いてないかもしれないけど、顔色、すごく悪いよ」
飛鳥の言葉に、海黒ははっと、自分の頬を触った。そのまま、彼女の手の平はまるで頬に爪を立てるような形で硬直し、ゆっくりと下がっていく。悔しそうに唇を噛んで、飛鳥を見上げた。その眼には、カフェで飛鳥を見透かしたときの、軽視と蔑みの色はなかった。ただただ、今にも泣きだしそうな程に歪んで見えた。
「私は、独りで帰れます。独りだって……」
悲痛な言葉が砂利の上に落ちていく。海黒はしばらくして、またふらりと歩き出した。でも、そんな足で帰れるわけがない。飛鳥は、彼女の名を呼んで、そちらにつま先を向けた。
「ついてこないで!」
小さな背中が、震える肩が、か弱い腕が、強く握られた拳が。彼女の背後から見える全てが、飛鳥を拒絶している。俄かに走り出した彼女の姿は、彼女自身が小柄な為だろうか、すぐに見えなくなってしまった。まだ明るいのに、まるで、闇の中に溶けていくみたいだった。
公園に取り残された飛鳥は、はあと湿った息を吐いた。空気が停滞している。こんなところに突っ立って、自分は何をしているのだろう。
とりあえず、駅に向かおうと思った。この辺りの地理はよく知らないが、大通りに戻って歩いていれば、警察署の最寄り駅か、その1つ向こうの駅のどちらかには辿り着くだろう。
ふと空を見れば、珍しく雲が薄くなっていて、雨は降りそうになかった。けれど、紗のような雲越しの太陽の、その白い光が目に刺さった。
公園から10分程歩いた辺りで、昨日使った駅の近くに出た。時間帯が早いこともあってか、昨日より人通りは少なかった。
そうして、昨日と同じものが目に入った。
あかい髪、あかい目。そんな色彩の青年を乗せた車椅子と、フードを目深に被った人物。写真のように、もしくは絵画のように、彼らが視界に入って来た途端、世界が止まって見えた。灰色の背景の中心できらきらと、『あか色』が絶え間なく輝いているのだ。
「あの、すいません」
飛鳥は彼らに近づいて声をかけた。今度は間近に寄っていたから、彼らを見失うことはなかった。
そうすると、車椅子を押す人物が、自分と同じ年頃の少年であることが分かった。背丈は自分より少し低い程度。濃い灰色をした目は剣呑な光を孕んで、唇は一文字にきつく結ばれていた。頬には大きなガーゼが貼られていて、痛々しい。けれどその顔立ち自体は、子どもらしいあどけなさを残したものだった。
「誰だ、アンタ」
低くもなければ高くもない、濁りのない声が少年から発せられる。
「鏡高2年の瀬川と言います。車椅子に乗ってる方に……用が、あるんです」
「用……?」
少年は、車椅子の青年をちらりと見た。そして、青年が彼を見上げてゆっくりと頷くと、少年は器用に車椅子を動かして、飛鳥と青年が対面できるようにした。
その『あか色』と対峙すると、改めて圧倒されるのだった。単色のように見えて、暗いところは深みのある色になっているし、明るいところは彩度が増して煌めいている。それが、髪の毛の色も目の色も作り物ではなく、生来の色であるという何よりの証拠だった。
「瀬川くん、だっけ。一体、何の用かな」
低音の、大人の男性の声。彼は細いフレームの眼鏡をかけていた。レンズ越しに見える双眸は、ショーウインドウ越しに眺める宝石のようだ。
「10年前の夏の日、あなたに助けてもらったんです」
ただ1つの色に染め上げられた夕暮れの空、ヒグラシの鳴き声。ワゴン車のシートのざらつき、首に纏わりついた紐の圧迫感。男の冷たい体温と、『ヒーロー』の温かい手。
脳裏に、あか色の輝きと共に流れ込んできた感覚が、涙が頬を伝っていく感触まで思い起こさせるようだった。
飛鳥は息が上がりそうになるのを抑えて、言葉を続ける。
「それで、あなたにお礼を言いたくて。あの時は、本当に——」
覚えてないな、と。
冷たい音が、飛鳥の声を塞いだ。
「生憎、そんなことをした記憶はないんだ。きっと人違いだよ」
声音の割に、青年の表情は非常に優しいものだった。涙を拭ってくれた『ヒーロー』と全く同じ顔をしているのに、かけてくる言葉はまったく解離している。
「でも、確かに」
「10年前、って言ったね。それ程昔の記憶は、自分の都合のいいように脚色され尽くしてしまっているものだ。君が間違いないと思っていても、実際は間違っている可能性の方が高い。だから簡単に『確かに』なんて言わない方が賢明だよ」
飛鳥はそれ以上、台詞を続けられなかった。しかし、青年の『あか色』は、ヒーローの『あか色』と全く同じなのだ。見間違える筈がない。だって、ずっと思い続けてきたのだから。
だのに、『ヒーロー』と思われる青年は、平然と否定したのだった。
「行こう、ハイジ」
青年がそう言えば、「ハイジ」と呼ばれた少年は、素直に、そして厳かに「はい」と答えた。それから、飛鳥に一言も残さず、冷えた視線を飛鳥に突き刺して、車椅子を押し始めた。
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- 2−7 ( No.22 )
- 日時: 2018/08/09 23:18
- 名前: トーシ ◆zFxpIgCLu6 (ID: kws6/YDl)
2−7
5限目が終わってすぐ、飛鳥は英語の教師に廊下へ呼び出された。廊下の端まで来ると、その英語教師は「最近小テストの成績が悪いじゃないか」と言って、飛鳥に数枚の紙を渡した。それはここ数回の小テストだった。右上に点数が書かれている。その赤色の数字は、回を重ねる毎に降下していた。
さあっと、身体の温度が抜け落ちていくような気がした。着実に点数が悪くなっていることを、彼は知らなかった。自覚していなかったのだ。普段なら気が付けていた筈なのに。
確かにこの十数日は色々あって、放課後に勉強することは少なくなっていた。でもその分、自宅に帰ってからの勉強時間は増やしていたし、勉強の仕方だって変えていない。集中できていなかったのだろうか。だから成績が下降しているのだろう。
ちゃんと復習しておけよ、と教師は飛鳥に言った。2週間後には期末テストがあるから、と。飛鳥は、英語は特によくできる生徒だったから、教師も彼のことを叱りはしなかった。しかし、返事をした彼の声は震えていた。赤色の、無様な数字が網膜を責め立てる。遅くまで起きて勉強していたあの時間は、紙くずみたいに無駄なものだったんだと思った。
こめかみに何かがちらちらと当たる感触がする。廊下に出ている生徒が、こちらを盗み見ているようだった。期末テストは頑張ります、と飛鳥は答えた。
教室に戻ると、隣の席に青太がいた。彼は自分のリュックサックを机に置いて、その上に自分の頭を乗せて、ぼんやりと、何もない窓の外を見ていた。彼が、特に用もないのに放課後まで教室に残っているのは珍しいことだ。
飛鳥が近づくと、青太の身体がびくりと動いた。そして、リュックサックを抱え込むように引き寄せて、そこに頭を埋めた。飛鳥の方は見なかった。
飛鳥は自分の席に座って、机上に置かれていた配布物のプリントを眺める。なんてことはない、スクールカウンセラーの出校日が書かれたプリントだ。紙面の下の方には、学校周辺にある児童支援センターの紹介の欄があって、そこには相談員の名前も書かれていた。
相談員の内の1人、『岬紅野』——そこで飛鳥は、ああと了解した。岬海黒と初めて会って名前を教えられたときに感じた既視感は、これのことだろう。カウンセラーの出校日は毎月変わるけれど、それ以外の書かれている内容は毎月同じだから、『岬』という苗字を無意識に覚えていたのだ。
この人物は、海黒の血縁者だろうか。それとも、『岬』という苗字は特別珍しいものでもないから、ただの他人だろうか。飛鳥は、年齢も性別も分からない『岬紅野』に思考を巡らせる。この名前は、一体何と読むのだろう。
「岬、『コウヤ』……?」
彼がそう呟いた瞬間、ひゅっと、青太の息を吸う音が聞こえた。青太はすぐに上体を起こして、飛鳥を直視した。その目が、信じられないものを見たというように、もしくは何かを恐れるように、不安げに見開かれている。
「……何」
飛鳥が問えば、青太は小さな声を吐き出した。
「……どうして、『ミサキコウヤ』を知ってるんだ」
「知ってるも何も、ここに書いてある」
飛鳥は青太に、自分が持っていたプリントを見せた。その時、その児童支援センターの住所が、学校の最寄駅から3つ先の駅——あか色の青年と、ハイジと呼ばれた少年と出会ったところだと、気が付いた。
青太は飛鳥の言葉を聞き、そうか、と苦々しく呟いて、またリュックサックの上に伏せてしまった。
「……君は、この人のこと、知ってるのか」
青太は何も答えない。こちらに耳を欹てて(そばだてて)いるくせに、反して彼は無反応だった。
「海黒さんと、何か関わりのある人なのか」
返事はない。水島、と青太の肩を掴もうと手を伸ばす。しかし、糊のきいた真新しいYシャツの、存外硬い生地に指先が触れたところで、飛鳥は止まった。
昨日の、体育館倉庫での一件が蘇ってきたのだ。飛鳥は青太に嘘を吐いて、信頼を裏切って怒らせた。怒りと失望と、遣る瀬ない感情で混濁として、鈍い光を放っていた青太の目。そんな色の目を向けたような相手と、関わりたくないと思うのは当然だった。
青太が堅い殻を纏っているような気がして、飛鳥は手を離した。そんな自分の手が、やはり情けなく見えてくるのだった。思えば、彼が飛鳥の言葉を無視するのはこれが初めてかもしれない。
プリントを鞄に仕舞って、ファスナーを閉める。顔を上げれば、チョークの跡が残った黒板と、黒板に落書きしながら、教卓のところで談笑する女子生徒が見えた。
悪かった。ごめん。
青太がぴくりと動いた。だがそれを言ったのは青太ではなくて、飛鳥の方だった。飛鳥の唇の隙間から漏れ出た台詞だった。
「……本当に、そう思ってるのか」
顔を伏せたまま、青太が言う。思ってる、とは声に出して答えられなかった。だとしても、青太に対して不誠実なことをしたのは本当で、そのことを、ちゃんと謝らなければいけないと思った。
「僕は、水島の気持ちを、蔑ろにしたから」
膝の上に両の掌を置いて、けれど青太に真正面に向き合う勇気はなくて。まだ何人か生徒が残っている教室に、霧散して消えてしまいそうな声だった。
ぺきり、と。チョークの割れる音。女子生徒の指先から、白墨の破片が零れ落ちていった。
しばらく経って、青太がおもむろに起き上がり飛鳥を見た。何かを言おうとするように、彼の口が何度か小さく動く。そうして、意を決したように息を吸って、青太が最初に発したのは『岬紅野』の名だった。
「『岬紅野』——その人は、岬海黒の兄だ」
「海黒さんの、お兄さん……」
「そう。普段はカウンセラーとして働いてる。でもそいつは」
そこで青太は再び口を噤んだ。口元に手を当てて、時折飛鳥に視線を寄越しながら、言葉を模索しているようだった。やがて、彼の喉が隆起した。
「——『岬紅野』は、犯罪者だ」
犯罪者、と飛鳥は思わず繰り返した。
「……海黒さんのお兄さんが、犯罪者……?」
青太は沈黙したまま頷いた。そして「場所を変えよう」と告げて、リュックサックを持って立ち上がる。飛鳥も通学鞄を肩にかけて、廊下に出た青太を急いで追いかける。その時になぜか、海黒の言葉が脳裏を過ぎった。
——まあ、特に珍しい苗字ってわけでもないですもんね。
——でも、もしよかったら、下の名前で呼んでください。
ひょっとすると海黒は、飛鳥に近づくためではなくて、『苗字で呼ばれないために』下の名前で呼ばせるようにしたのではないかと、飛鳥には思えてきた。
階段を降りていく背を見失わないように、飛鳥は歩調を速めた。
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