複雑・ファジー小説

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アスカレッド
日時: 2021/06/11 01:43
名前: トーシ (ID: WglqJpzk)

 ヒーローって、何だ。

  *

 《COLOR》と呼ばれる異能力が存在する社会。
 瀬川飛鳥は、10年前に自分を助けてくれた『ヒーロー』に憧れながら生きてきた。
 高校2年生のある日、飛鳥は席替えで水島青太と隣同士になる。青太は《COLOR》を持たない人間——の、筈だった。

  *

 閲覧ありがとうございます! トーシです。
 今回、初めて小説を書かせていただきます。異能力現代バトルものです。
 どうぞよろしくお願いします。

  *

目次
(☆挿絵付き ★扉絵付き)
 
プロローグ カラーボーイ
>>1

第1話 アオタブルー
>>2 >>3 >>4 ☆>>6 
>>8 >>9 >>11 >>12  ☆>>13
(一気読み >>2-13)

第2話 ミクロブラック
>>16 >>17 ☆>>18
>>19 >>20 >>21 >>22
>>23 >>24 >>25 >>26
>>27 >>28
(一気読み >>16-28)

第3話 ハイジグレー
>>31 >>32 >>33 >>34
>>35 >>36 >>37 >>38
>>39 >>40 >>41 >>42
>>43 >>44 >>46

第4話 シトリホワイト
第5話 ********
エピローグ アスカレッド

  *

その他

クロスオーバー・イラスト(×守護神アクセス)
>>10
PV(『闇の系譜』の作者さんの銀竹さんが作ってくださいました!)
>>34
閲覧数1000突破記念イラスト
>>15
閲覧数3000突破記念イラスト
>>30


  *

お客様

荏原様
日向様(イラストをいただきました!>>14)
立花様

スペシャルサンクス

藤稲穂様
水様
四季様
しろながす様

  *

記録

4/13 連載開始


  *

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ハッシュタグ #アスカレッド

1−5 ( No.8 )
日時: 2018/05/06 00:23
名前: トーシ ◆zFxpIgCLu6 (ID: 7aD9kMEJ)

1−5

 《COLOR》は大抵、10歳前後で現れる。確かに個人差はある。しかし遅い人でも、中学校在学中には、必ず一度は発現するものだ。
 瀬川飛鳥の《COLOR》が発現したことは、ない。決して、一度たりともない。彼の手元にあるのは、皆が普通に持つ特別な力ではなく、無色(colorless)の称号だけだ。
 そして、自分がそれであることを誰かに言ったこともなかった。だから飛鳥がそうであるのを知っているのは、彼の姉と両親くらいだ。少なくとも飛鳥は、家族以外の誰にも知られていないと思っていた。
 何となく分かるんだ、と青太は飛鳥の背中に向かって言った。冷や水が背筋を伝い落ちていくような感覚がして、飛鳥はちっとも動けずに、ただ青太の声を聞くしかなかった。

「相手がどれくらいの力を持ってるのか、何となく、分かるんだ。《COLOR》が強いほど、感知能力みたいなのも、高くなるみたいなんだ」

 青太の声音は穏やかだ。けれど、つっかえながら出てくる言葉で、彼が自分を気遣いながら喋っているのが分かった。いつ切れるか分からない緊張の糸が1本、2人の間に張られている。それが切れたときに壊れてしまうのは、飛鳥の方だった。
 多分青太は、飛鳥が『青太が《COLOR》を持っている』ことに気づくよりも早く、『飛鳥が無色(colorless)である』ことを知っていたのだろう。そして自分の虚勢を全て見透かしているくせに、さすがだな、なんて称賛したのだ。

「……このことは、誰にも言うな」

 険のある声を真後ろの青太に突き立てた。お願いでも頼みでもなく、脅しだった。青太は何でもかんでも吹聴するような性質ではないのだろうけど、再び言葉にされるのは恐ろしかった。それを誰かに聞かれるより、自分自身が再びそれを聞くことの方がずっと嫌だった。
 青太は、「うん」とだけ返事をした。ただ、飛鳥の靴底がやっと地面から離れて彼が歩き出したとき、青太は小さな声で呟いた。

「無色(colorless)って、そんなにだめか」

 体内を傷つけながら、体の奥の、最深部に沈殿する。それが色彩を持つのなら、その痛みも、血も、飛鳥は受け入れるつもりでいた。それが自分の色になるのなら、と。けれどどう足掻いても彼に《COLOR》はない。
 青太に何か酷いことを言ったような気がする。灼ける喉が、自分が大きな声をあげたことを示している。飛鳥は青太の表情なんか碌に見ずに、そのまま走り出した。家に帰るまで、拳はきつく握り締めたままだった。無闇に手を開いて、自身の手が虚空を掴む感覚は、もう味わいたくなかった。

 ベッドの中に入っても手を緩められず、布団の中に身を沈めたところで眠れやしない。翌朝、飛鳥は寝不足で重い頭を携えたまま登校して、なんとか午前の授業を受けた。隣席の青太は普通に授業を受けていて、昨日のことを誰かに言う素振りなんて、ちらりとも見せない。だから飛鳥も隣人を意識を外へ追いやった。事務連絡以外の彼らのやりとりは、「一瞬だけ目を合わせること」さえもない。
 昼休みになると、普段昼食を一緒に食べている友人に断って、飛鳥は購買へ向かう。たまたま今日は弁当がなかっただけだが、青太のいる教室から離れられるのは気が楽だった。
 パンを買って、どこで食べようかと辺りを見回したとき、ふと、1人の女子生徒が飛鳥の視界の真ん中に収まった。三つ編みを耳の下で輪っかにしたような、変わった髪型の少女。昨日、謎の男に追い詰められていた彼女だ。ねえ、と飛鳥が声をかけると、彼女は驚いて肩を震わせた。

「ああ、ごめん、驚かせるつもりはなかったんだ」

 少女がゆっくりと振り向く。真っ直ぐに切り揃えられた前髪の下で、長い睫毛が上がって、丸い両目が飛鳥を見上げた。顔が小さい。頬にかかる黒髪は肌の白さをより際立たせているが、儚げな雰囲気はなく、素朴な感じの少女だった。

「ただちょっと、訊きたいことがあって」

 昨日会ったよね、と尋ねると、彼女は持っていたパンの袋を握り締めて、小さく頷いた。セーラーカラーに施された深緑のライン。彼女は1学年下のようだった。

「あの後、大丈夫だった?」
「あの」
 
 少女が飛鳥の言葉を遮る。そして少女は周囲を横目で窺いながら、「場所、変えてもいいですか」と、とてもか細い声で尋ねた。飛鳥の容姿は目立つから、視線は絶えずどこからともなく注がれる。少女は、そんな注目の眼差しに身を縮こまらせているらしかった。
 2人は中庭の隅に移動した。日が当たらず、6月ではまだ肌寒さすら感じるような場所だ。校舎の陰になっているせいもあるのか、生徒もあまり寄り付かない。だから2人の周りには誰もいなかった。そこから見える曇り空は、今にも雨粒を落としてきそうで落とさない。相も変わらず、彩度の低い分厚い雲が蠢いているのみだ。

「昨日は、ありがとうございました。本当に」

 少女は、お手本のような丁寧なお辞儀をして、飛鳥を見た。黄昏を閉じ込めたみたいな橙色の瞳の中心に捉えられると、不思議と言葉は喉元で消散した。飛鳥は対人用の笑みだけを返した。

「私はこの通り、元気です。怪我とかもしてないです……先輩は大丈夫でしたか」
「僕?」
「はい。怪我とか、されてないのかな、と」
 
 飛鳥は自分の首に触れそうになって、止めた。幸い痣にはなっていなかったから、わざわざ気にする必要もない。男と少女の間に入って、少女は何とか無事に逃げおおせた。そして自分も、大した怪我もなく今日も学校に来ている。それだけのことにしておこう、と思った。 

「僕も大丈夫だよ」
「それなら、よかったです」
「でも、あんな人気のないところに、1人で行くのはよくないよ。最近は特に物騒だから」
「そうですね。これからは気を付けます」

 彼女はにこりと笑った。しかし飛鳥には、それが精巧にできた仮面に見えた。周囲の視線を避けたがっていたところから、勝手に人馴れしていない子なんだと考えていたが、その割には自分と話すときはとても落ち着いている。昨日のことについて触れても、まるでそんなこと意にも介していないとでも言うように、彼女から動揺が漏れることもなかった。簡単に言ってしまえば他とは違う子、なのだろう。けれど、どこがどう違うのか、というのは飛鳥には掴めなかった。

「……じゃあ、私はこれで」
「あのさ」

 だからこそ、ここで彼女との繋がりを切ってはいけないような気がした。『普通じゃないこと』に巻き込まれたのに『普通』に振る舞えている彼女は、何かがおかしい。それに飛鳥には気になることがもう1つあった。

「昨日の奴が『お前らが正しいと思うなよ』って言ってたの、覚えてる?」
「……はい、覚えてますけど。それが、どうかしたんですか?」
「お前らって、誰のことなんだろうと思って」

 湿度の高い、べたつくような空気の中では、風は吹かない。淀みも困惑も気まずさも留まったまま、時間まで止まってしまったようだった。少女の黒い瞳孔はわずかに動いた。
 半ば彼女を呼び止める口実に言ったようなものだから、飛鳥にはその先の考えなんてない。けれど改めて言葉にしてみると、あの男の言っていたことの奇妙さや、それに対しての疑問が一気に脳を埋め尽くしていった。彼は思考すると同時に、それを音に紡ぎ出していく。

「普通に考えれば、僕と君のことだとは思うんだけど。でも、僕らは昨日が初対面だったから、接点どころか共通点もあまりない。なのに、どうしてアイツは『お前ら』って一括りにしてきたんだろう」
「共通点、ですか」
「うん。同じ高校だっていうのは制服を見れば分かるけど……でも同じ高校の括りで『お前ら』って言ったんだとしても、正しいとかそうじゃないとかっていうのは、あまりにも脈絡がないじゃないか」
「……アンチ、みたいなものじゃないですか」
「アンチ?」
「はい。ここって所謂名門校ですから。受験に失敗して、劣等感とか抱いてる人も、中にはいるんじゃないかなって」

「進学の掲示板とか、結構激しく書いてありますよ」と少女は言った。飛鳥は中学からの内部進学だから、外部事情にはあまり明るくはない。それでも中3のとき、ここよりどこそこの学校の方が優秀だとかを言い争う書き込みを見た記憶はある。けれどそれで、あの男の言葉に繋がるのかと問われれば、答えは間違いなく否だ。
 だとしたら他には。『お前ら』に自分が含まれていない可能性。そうか、それがある。『お前ら』というのは自分のことは指していなくて、少女だけを——いや、少女とそれを取り巻く者たちのことなんじゃないか。

「……何かに、巻き込まれているとか、ないかい」

 少女の呼吸音が、揺らいだ。彼女から初めて狼狽の鱗片が見えた。しかし瞬きをした次の瞬間には、彼女は真っ直ぐ飛鳥に向き直っていた。

「ありません」

 はっきりとした音で、きっぱりと飛鳥の考えを否定した。

「……そうか。ならやっぱり、この学校に私怨があったのかな。何にしろ、また襲ってくるかもしれないから気を付けてね」
 
 結局、気を付けて、しか言えない。しかもそれは飛鳥本人の言葉ではなくて、姉から渡された言葉をそのまま流用しているようなものだ。少女に気を付けてと言う度、姉の声が自分の声に重なってくるようだったし、副音声で、あの青い少年の声が流れていた。
 お前は人の身を案じていられるような立場なのか、と。若い男の声が聞こえていた。
 だが意外にも、その声を打ち破ったのは少女だった。

「もし、私がまた危ない目に遭いそうになったら、その時も助けてくれますか」

 想像もしていなかった台詞だった。不自然で、何かを隠しているかもしれない人間のそんな言葉を容易く受け入れるほど、昨日までの飛鳥は愚かではない。けれど今の彼にとっては、それは不思議と甘美な響きを持っていた。まるで真っ黒な闇の向こうから聴こえてくる、セイレーンの歌声のようだった。
 一拍おいて、飛鳥は頷いた。

「……それじゃあ、電話番号、交換しませんか。私も、先輩にお礼したいですし」

 少女はスカートのポケットから生徒手帳を取り出し、白紙のページに何やら書くと、そのページを破り取って飛鳥に差し出した。「もし、私がお手伝いできることがあれば、連絡してください」と、見ればそこには電話番号と彼女の名前『岬海黒』という文字が書かれていた。
 
「みさき、う、み……?」
「黒い海って書いて『みくろ』って読むんです」
「みさきみくろ、さん、だね。……岬か」

 岬。みさき。なぜだか、1文字の漢字と3文字の音が印象に残る。それらはすぐに他の情報に紛れてしまったので、特に気にかけるようなことでもなかったのかもしれない。
 飛鳥は貰ったメモを胸ポケットにしまうと、同じように生徒手帳を開いて、自分の情報を手早く書きこんでいった。

「どうかしましたか?」
「ううん。いや、どこかで聞いたことあるような気がしてさ」
「まあ、特に珍しい苗字ってわけでもないですもんね。でも、もしよかったら、下の名前で呼んでください」
「じゃあ、海黒みくろさん。僕は瀬川飛鳥です、よろしく」

 飛鳥の名前と携帯の電話番号が記された紙を受け取って、岬海黒みさきみくろは頬を上げて微笑んだ。それはやはり貼り付けたような笑顔だった。

「よろしくお願いします、飛鳥先輩」

NEXT>>9

1−6 ( No.9 )
日時: 2018/05/12 00:25
名前: トーシ ◆zFxpIgCLu6 (ID: NVMYUQqC)

1−6

 飛鳥、と名前を呼ばれた気がした。ゆっくりと目を開けると、姉が自分の顔を覗き込んでいた。

「起きた?」

 そう訊かれて、ああ自分は眠っていたのか、と自覚する。
 真上に天井がある。暗い色をした天井にキッチンの柔らかい光が差し込んで、滲んでいる。身体を動かすと何かがずり落ちる感触。手に取ってみると、それは見慣れたタオルケットだった。

「……いま、何時?」
「11時半のちょっと前くらい」

 白鳥がくすりと笑ったが、寝起きの目では、彼女の表情はぼやけて見えた。彼女の白くて細い髪が、淡い照明の光の中に溶けてしまいそうにも見えた。

「学校から帰って、そのまま寝ちゃったの?」
「……いや、塾にも行ったよ」
「そう。お疲れさま」

 白鳥の言葉で、飛鳥は、帰宅してすぐにリビングで生き倒れてしまったことを思い出した。ソファから垂れ下がった方の腕を力なく振ってみると、手の甲に通学鞄が触れる。帰宅したのが9時半頃だったから、2時間近く眠っていたのだろう。しかも制服のままで。ああ、どおりで少し肌寒いわけだ。
 飛鳥はカーペットの上に落ちたタオルケットを引き上げて、上半身にかぶせると、そのまま顔まで覆った。しかしすぐに引き剥がされた。

「だーめ。こんなところで寝たら風邪ひくでしょ」

 ちょっと睨みつけたところで姉はびくともせず、タオルケットを畳んで小脇に抱えて、キッチンの方へ行ってしまう。仕方なく飛鳥は緩慢に上体を起こし、腕を上げて伸びをした。ん、とくぐもった声が漏れた。彼が眠るにはソファは手狭で、身体が休まったような気はしない。それでも、今朝からの睡眠欲や鈍い頭痛は幾分が和らいでいた。
 
「飛鳥ー」
「なに、姉さん」
「晩ご飯、食べた?」
「食べてない、と思う」
「食べる? ハヤシライス」
「うん」
 
 腹が小さく鳴いた。さっきまで腹は空いていないと思っていたのに、姉の言葉を聞くと食欲は急に戻ってきた。
 電気コンロのダイヤルを回す音が、普段よりも大きく聞こえる。それくらい家の中が静かだった。母親が作っておいてくれたハヤシライスに火をかけながら、白鳥はお玉でそれをかき混ぜている。ハヤシライスの匂いは、湯気と共に飛鳥の嗅覚をくすぐった。
 母は、夜は早めに就寝する人だから、もう寝ているのだろう。父は普段はこの時間帯にはまだ起きているけれど、姿が見られないということは、今日は夜勤だろうか。

「姉さんは、もう仕事終わったの?」
「ううん。むしろ、これから明日の朝までが仕事」
「夜勤ってこと? でも、今日の日中は家にいなかったよね」
「日中は、署の仮眠室で寝てたのよ。勤務時間外でも緊急で応援要請がくるかもしれないから、一応、ね」

 白鳥はコンロに一番近い席に自分のハヤシライスを置いて、その向かい側に飛鳥の分を置いた。同時に飛鳥も、2人分の皿の隣に、それぞれコップとスプーンを置く。さっきまで白鳥が持っていたタオルケットは、彼女の椅子に座布団代わりにして敷かれていた。
 ウーロン茶を注ぐと、べっ甲みたいな光がコップの下に散らばった。
 いただきますは、示し合わせずとも重なる。そういえば、姉と一緒に食事をとるのは随分と久しぶりだ。そもそも白鳥が戦闘員になってからは、彼女と飛鳥の生活リズムは微妙にずれていたし、最近はさらに出動回数が増えているのか、家に帰ってこない日も増えていた。

「これから、また署に戻るんだよね」
「うん。今は、晩ご飯食べに帰ってきただけだから。12時過ぎたらまた出るよ」

 美味しいね、と白鳥が笑う。そうだね、と、疲れを見せない笑顔に飛鳥も笑い返す。

「怪我しないで帰ってきてね」
「勿論」

 白鳥は強い。怪我をして帰ってきたことなんてほとんどない。だから「怪我しないで」なんて、本心だけれどそうではない気もする。でもやはり、無事で帰ってきて欲しいという思いに嘘はない。

「そういえば、昨日さ、今度休みが取れたらどっか連れてってあげる、って言ったじゃない」
「うん」
「海とかどう?」

 ザザーンと、波の音。快晴の下、鮮明な青の海面と白波が思い浮かんだ。

「……海は、今はいいかな」

 飛鳥は、皿についたルウをスプーンの縁でさらいながら答えた。

「そっか。まあ、晴れてないと綺麗じゃないか」

 「海がダメだとしたら、山とか?」なんて呟く姉のコップが空いているのを見て、飛鳥はお茶を注ぐ。こぽこぽと涼しい音を立てて水泡ができては、ガラスのコップの中で、プラスチックのボトルの中で、次々と消えていく。

「屋外じゃなくて、屋内がいいんじゃないかな。どこかの店とか」
「うーん。確かにそうね」

 米粒を咀嚼して、嚥下して、それを繰り返す。ハヤシライスは美味しい。ウーロン茶は少し苦い。
 スプーンが皿を撫でる音がして、白鳥は両手を合わせてごちそうさまと言った。少し遅れて、飛鳥もごちそうさまを言った。

「お皿、僕が洗っとくよ」
「ありがとう、助かるわ」
 
 壁にかけられた時計を見れば、時刻は既に12時を過ぎていた。白鳥はもう、署に戻らなくてはいけない。飛鳥が食器と鍋を洗っていると、リビングから白鳥の声が飛んできた。

「この電話番号が書いてある紙、飛鳥の?」

 水を止めて振り向くと、ソファのところで白鳥が紙切れを持っていた。それはちょうど生徒手帳と同じサイズで、今日海黒と交換した連絡先だった。眠っているときに、胸ポケットから落ちたのだろう。
 タオルで手を吹いて、白鳥からそれを受け取ると、今時電話番号なんて珍しいわね、と白鳥が言った。

「変わった名前ね、女の子?」
「うん。1年生の子」
「ふぅん、そっかそっか」

 白鳥はなぜか嬉しそうに頷いている。電話番号は既に登録してあるから、飛鳥はそれを手の中でくしゃりと丸めた。

「別にそういうのじゃないよ。困ったら助け合いましょう、みたいなものさ」

 飛鳥がそう言っても、白鳥はにこにこしたままで、だから彼もそれ以上は言及しなかった。

「まあ、人助けはいいけどね、あんまり無理しちゃダメよ」
「それは」

 口をついて、言葉が零れ落ちる。

「僕が、無色(colorless)だから」

 返事は、すぐには返ってこなかった。白鳥が短く息を吸う音だけが聞こえた。
 かちり。時計の秒針が動く。
 それから彼女はふと飛鳥と目を合わせた。琥珀の両眼にキッチンの照明が映って、光が当たらず暗くなったところの色とグラデーションを作り出している。それは、いつもよりももっと、自分のよりずっと宝石じみて見えた。

「弟だから。心配なの」

 それだけよ、と言って白鳥はリビングを出ていった。
 1人になった飛鳥は、姉の言葉を耳奥で反芻しながら、残りの皿を洗った。洗いながら、いってらっしゃい、と今更1人で呟いた。今言ったところで、彼女はいないのだから意味がない。
 姉が行きたいと言った場所に、僕も行きたいと言うこと。いってらっしゃいを目を合わせて言うこと。今まで普通にできていたことが、今日はできなかった。
 寝起きだったから頭が回らなかったんだ。眠かったから反応が遅れたんだ。だから、早く寝よう、と多めに出した水が手を叩く度、手の温度を少しずつ取られていくような気がした。

 自分の部屋に戻った頃には、時計の長針は6の文字を過ぎていた。
 寝間着に着替えて、今朝開けてそのままだった窓を閉めるために手を掛ける。その瞬間だった。スマホの着信音が、暗い一人部屋に鳴り響いた。
 心臓が跳ね上がる。急いで画面を見て、そこに表示された名前に、心拍数が急上昇していく。
 『岬海黒』。
 通話を繋げる。もしもし、と言って、しばしの沈黙の後声が聞こえた。

「……飛鳥、先輩」
 
 小さな声だった。息の多い、囁くような声。それは間違いなく海黒の声だ。どうしたの。尋ねる。

「助けてください」

 梅雨の温い風が、飛鳥の首筋を撫でる。窓の外は、真っ黒だった。

NEXT>>11

クロスオーバー ( No.10 )
日時: 2018/05/06 12:49
名前: トーシ ◆zFxpIgCLu6 (ID: 7aD9kMEJ)
参照: http://www.kakiko.info/upload_bbs3/index.php?mode=image&file=925.jpg

 複ファ板で連載中の、狒牙さん作「守護神アクセス」との、クロスオーバーイラストを描かせていただきました!
 画面左が「守護神アクセス」より奏白真凜さん、画面右が本作より瀬川白鳥です。

 「守護神アクセス」は、わたしが本作を書き始めるきっかけになった作品です。
 胸が熱くなるようなストーリー展開、かっこいい台詞の数々、そしてなにより大迫力で臨場感のあるバトルシーンが魅力的です!
 また、登場人物の掘り下げが本当にすごくて、圧倒されます。胸を抉ってきます。ほんとに。
 File8は狒牙さんの本領発揮といった感じで、毎レス心に突き刺さってきます。価値観とか考え方とかを変えられるくらいには、すごいです。File8まで読んだあなたは、きっと守護神アクセスの虜になって昼も眠れなくなることでしょう……!!
 ぜひぜひ、読んでみてください!

1−7 ( No.11 )
日時: 2018/05/19 01:14
名前: トーシ ◆zFxpIgCLu6 (ID: NVMYUQqC)

1−7

 暗くなったスマホの画面には、何も映らない。自分の姿すらも映らない。それもその筈で、飛鳥の周囲に光源など一切なかった。彼は、手に持った端末から顔を上げた。
 飛鳥がたどり着いたのは、飛鳥の住む市を2つに分断する大河、その上流にある地域だった。そこは下流に広がるビル街に比べると、随分と寂れていた。廃業した中小企業の工場や作業場や、使われなくなった倉庫が点在しているだけのエリア。そして、女子高校生が夜中に1人で訪れていいような所ではなかった。
 しかし、海黒から聞き出した場所は確かにここだ。川沿いに遡ると見えてくる、もう使われていない生産工場。薄汚れた外壁と、塵と埃で曇った窓ガラスが、飛鳥にそこがずっと無人であることを教えてくれる。飛鳥はわずかに開いた窓ガラスを自分が通れるくらいまで開けて、そこから中に入った。
 内部は見た目よりも広く感じられた。やはり照明は点いていないが、暗闇を走ってきてだいぶ慣れた目には、そこに並ぶ様々な機械の輪郭が見えていた。大きなローラーがついた機械、筒状の部分を経由して空間を埋めるように伸びたベルトコンベアー、どれも見慣れないものばかりだ。
 本当に、ここに海黒がいるのだろうか。そう思ってしまうほど静かだった。だがそれは、同時に、海黒以外の誰かがここにいる可能性も低いということでもある。

「海黒さん——」

 飛鳥は意を決して声を発した。声は、天井に、壁に、真っ黒な闇の中に吸い込まれていく。静寂。埃すら舞わない。飛鳥は歩を進めながら、もう一度海黒の名を呼んだ。
 すると奥の方が、僅かに、本当に僅かに明るくなった。機械の陰から光が漏れだして、工場のリノリウムの床に当たっている。その彩度を欠いた光は、スマホの画面から溢れ出しているもののように思えて、飛鳥はそちらに向かって、また名前を呼んだ。
 
「——飛鳥先輩」

 人影が、動く。人影がローラーの機械の陰から座ったまま半身を出して、こちらを見ているようだった。顔は見て取れなかったが、その声は間違いなく海黒だ。飛鳥は迷わず、彼女に駆け寄った。

「海黒さんッ」
「飛鳥先輩、来てくれたんですね」

 海黒はそこでぺたんと座りこんだまま、飛鳥を見上げた。床に置かれた彼女のスマホは、その光によって、海黒の左半身を不明瞭に描き出している。飛鳥は膝をついて、できるだけ優しい声で海黒に話しかけた。

「困ってたら助けるって、約束したから」
「ごめんなさい。ありがとうございます」
「……大丈夫?」
「無事といえば、無事です」

 ごめんね、と断って、飛鳥は自分のスマホを取り出すと海黒を照らし出した。深夜だというのに、彼女は制服を着ていた。学校帰りに何かに巻き込まれたのだろうか。彼女は汚れた姿をしていて、土や埃だけではなく、ところどころ肌や服に色がついていた。それはどうやら絵の具の色らしかった。
 それから、彼女の丸い膝に大きな擦り傷があるのを見つけた。傷は浅いようで、血は滲むだけで流れてはいない。だとしても、立ったり歩いたりするには痛むだろう。少なくとも、さっき飛鳥が入ってきたところから出るのは難しそうだ。
 飛鳥は端末のライトを照射し、他に出入り口がないかと周囲を見渡した。自分たち以外には誰もいない、という判断の上だった。壁を添わせるように光の円を動かしていくと、左手の方向で円が消えた。扉が開いている。ドアノブのついた、どこにでもある扉だ。その奥は真っ暗だった。

「海黒さん、あそこから出られないかな」
 
 飛鳥がそこをライトで指し示すと、海黒は目を向けて、ああ、と言った。

「あそこの奥は倉庫ですから。多分、出られないと思います。外に出る方ならあっちに」

 海黒が指さした方向を見ると、確かにもう1つ同じ形をした扉がある。それにしても、外に出る扉の位置を知っているなら、自分が来る前にここから出ていた方が安全なのに、と思った。けれど海黒の膝の傷を思い返し、その考えを払拭した。助けを求めてくるくらい怖くて動けなかった、ということもある。
 飛鳥は再び海黒にライトを当てる。腕、肩口、首、そして最後に顔を浮かび上がらせる。そうして、飛鳥はぎょっとした。海黒の頬が濡れていた。泣いていたのだろうか。ただよく見ると、濡れているのは頬だけではないようだった。水を含んで濡羽色に照る髪の毛は、顔のラインに沿って白い肌に張り付いていたし、黄昏を縁取る睫毛は、濡れて瞬きをする度に震えていた。そして、陰になって見えなかった右半身の肩や腕も濡れていた。制服の袖が、腕の細さを明らかにしている。
 飛鳥は、自分の上着を海黒にふわりとかけた。そして、真っ直ぐに目を合わせた。

「なんで、濡れてるんだい」

 塵に覆われたリノリウムの上に端末を置いて、尋ねた。

「今日は、雨は降ってないよね」
「……同じ学校の……水の《COLOR》を使う人に、襲われて」

 水島青太。
 曖昧な微笑が、自分を見抜く瞳孔が、風に揺れる黒髪が、そして黒に紛れる青が。海のように輝く青が、彼の姿形が、一瞬のうちに鮮明に思い出された。
 なぜだか、怒りは湧いてこなかった。路地裏で海黒に詰め寄っていたあの男には明確に怒りを感じたのに、1人のか弱い少女に危害を加えたかもしれない青太に対しては、むしろ違和感を感じた。まだ青太がやったと決まったわけではないからだろうか。いや、きっと違う。多分、青太がやったとしても、自分はそれを簡単に信じないような気がした。
 脳が冷水に浸されたみたいに、思考が急速に冷えていく。海黒の橙の相貌が、深い闇に潜む蝙蝠コウモリの眼のように見えた。そのまま見ていると喉笛に噛みつかれそうな気がして、飛鳥は思わず視線を落とした。
 ふと、床に色がついているのに気付いた。これも絵の具だろうか。カラフルな点が30センチくらいの間隔で並んで、線のようになっている。その線の一方は海黒の足元に繋がっている。もう一方は、とライトでそれを追っていくと、扉の開いた倉庫に繋がっていた。先程は気が付かなかったが、闇の奥から溢れ出すようにして、銀色の物体が幾つも転がっていた。アルミチューブの絵の具のようだ。

「倉庫から、出てきたの?」

 海黒は答えない。しかし彼女はその奥が倉庫であることを知っていた。彼女は一度そこに入ったのだ。そこで何かがあって、だから身体が絵の具で汚れているのだ。
 
「倉庫の方、見てきてもいいかな」
「……どうしてですか」
「なんだか、あの奥が気になって」
「やめましょう、危ないですよ」
「なんで危ないって分かるんだ」

 彼女は口を噤んだ。
 もしかすると倉庫に追い詰められて、なんとか逃げ出してきたのかもしれない。それで自分に電話をかけてきたのかもしれない。まだ、倉庫の奥に危険な何者かが潜んでいるのかもしれない。だとしたら、どうしてずっとここに留まっているのだろうか。どうして、ここから早く離れたい、と言わないのだろうか。自分に害を為す者がすぐそこにいるかもしれないのに、どうして、こんなにも海黒は冷静なのだろう。

「……少し確認するだけだから。確認したら、すぐにここを出よう」

 飛鳥は努めて穏やかに言った。彼女は縋るように、飛鳥の服の裾を掴んだ。俯いたまましばらくそうしていた。やがて、くい、と少しだけ裾を引っ張って、自分よりずっと背の高い少年を見上げた。

「私を助けてくれるのは、飛鳥先輩しか、いないから」

 夜に溶ける、静かな声だった。

「絶対に、すぐに、戻ってきてくださいね。私のところに、戻ってきてください」

 うん、と飛鳥は頷いた。そして立ち上がって、倉庫の方へ目を向ける。絵の具を辿るようにして、口を開いた闇に近づいていく。背中に視線を感じる。海黒が自分を見ているのだろう。じりじりと灼くような視線を、自分に向けている。まるで、自分より向こうにあるものを睨みつけるように。
 飛鳥の足が、扉の前に接地した。そこで音を聞いた。
 ぴちゃん、と。
 雫が滴る、涼しい音だった。

「瀬川!」

 闇の中から現れた青太が、身を投げ出すようにして身体で扉を開き、飛鳥の片腕を掴む。
 自分を扉の内側に引きずり込んだ手、その傍らで飛鳥の後ろの方に向かって開かれた手。
 数秒ほどの光景が、飛鳥の視神経に焼き付く。青い光子が蛍のように現れて、集まり、1つの水の球になる様。掌ほどの大きさに膨張して、揺らぐ様。青が視界の中で輝いている。
 刹那、射撃。
 青の尾をひいて空を貫く弾丸。それは飛鳥の背後、海黒が座り込んでいる方に飛んでいき、途中で大きな金属音とともに破裂した。からんからん、と金属が床に散らばる音がした。
 こちらに向けていた手を下ろして、海黒は溜め息をつく。

「ひどい人ですね。怪我人を攻撃してくるなんて」
「最初に鉄塊を撃ってきたのは、そっちだろ」
「私は、あなたが飛鳥先輩の腕を引いたから、飛鳥先輩を守ろうとしただけです」

 海黒は首を横に振ると、機械に手を添えて、ふらつきながらもしっかりと立ち上がった。スカートに付着した埃を払って、そして、飛鳥の方を見た。真っ黒な瞳孔の真ん中に、飛鳥をしっかりと捉えて、「こっちに来てください」と手を差し出した。
 それを遮るように、飛鳥の前で腕を伸ばしたのは青太だった。「絶対に行くな」と、海黒から目を離さずにそう言った。

「瀬川を巻き込むな」
「巻き込んでなんかいませんよ。『私たち』の中に入るかどうか、それを決めるのは飛鳥先輩ですから——でも、飛鳥先輩はきっと、『私たち』の考えに賛同してくれるはずです」
「考え、だって? あんなの、考えにもならない、滅茶苦茶な主張だろ」
「今は、そうかもしれません。でも、それはいつか正義になる」

 正義、正義のヒーロー。
 ねえ飛鳥先輩、と海黒は笑った。

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1−8 ( No.12 )
日時: 2018/07/23 08:22
名前: トーシ ◆zFxpIgCLu6 (ID: MGNiK3vE)

1−8

「瀬川、逃げろ」

 青太が苦々しく呟く。正義、という言葉に頭を強く打たれ、激しく揺さぶられるように混濁していた飛鳥の脳は、その言葉ではっと平静を取り戻した。奥の方に1つドアがあるから、そこから出ろ、と青太は前を見たまま、飛鳥に小さな声で伝えた。
 でも海黒は、倉庫から外へは出られないと言った。それは嘘だった、ということだろうか。青太がここにいるのを知っていたから、飛鳥を倉庫へ近寄らせたくなかったのだろうか。しかし、それならやはり、海黒がここに留まり続ける必要はなかったし、飛鳥が倉庫へ行こうとしたときにもっと強く止めただろう。
 むしろ、飛鳥と青太を会わせたかったのかもしれない。そんな考えが飛鳥の脳裏を掠めていった。
 水の《COLOR》を使う人、と言われたときに真っ先に思い浮かんだのは『水島青太』だった。とても自然に、それ以外に考えられない程に、飛鳥はそれを当然のように受け入れた。たった2日で、飛鳥の思考はすべて『水島青太』に支配されていた。
 自分は青太に引き寄せられてここにいるのだろうか、それとも自分が青太を引き寄せてしまったのだろうか。どちらにしろ、ここで2人が出会うことは必然だったのだろう。それが海黒の算段の上にあるのだとしたら、もうとっくに彼女の術中にかかっていたのだ。飛鳥は、今更ながら自分の軽率さを呪った。

「……水島はどうするんだ」
「オレも同じ所から逃げる」

 でも、と青太は続ける。

「もしもの時は、オレを置いて逃げろ」

 もしもって何だよ、と聞き返すことはできなかった。こんなに強い《COLOR》を持つ青太が追い詰められる程の状況を想像するのが、怖かった。
 飛鳥は足を1歩後ろに下げた。靴底で絵具のチューブを踏み潰す感触がする。アクリルの匂いが、突然に飛鳥の鼻をつく。もう1歩下がろうとしたが、海黒の声がそれを止めた。

「飛鳥先輩」

 海黒の声は極めて優しいものだった。敵意も悪意も感じられない、空気に心地よく馴染んでいくような声。解れのない完璧な笑顔のまま、飛鳥から一瞬たりとも目を離さない。

「私のところに、戻ってきてください」

 それとも、私のことが信じられませんか。海黒から尋ねられ、飛鳥は答えられなかった。
 信じられないわけじゃない。現に、彼女が飛鳥に害を為そうという気は感じ取れなかった。助けてください、と自分を頼ってくれた彼女を、その言葉を、本当だと思い込みたいだけかもしれない。自分は必要とされているのだ、と。身体が傷つかないのなら、騙されたという精神的苦痛を受けるより、彼女の甘言に嵌ってしまった方がずっと楽だろう。だが、飛鳥が海黒の方に前進するには、青太の存在は強すぎる。飛鳥には、遮るように伸ばされた青太の腕が、茨の柵のように見えていた。
 その柵越しの海黒は、飛鳥の大きな上着を纏っていることもあってか、ひどく小さく見えた。

「……駄目ですか。駄目みたいですね」

 ふと、彼女は差し出していた手を下ろした。そして端末を拾うと、画面も見ずにそれを操作する。たったワンコールだけ、重い無音を引き裂いてすぐに消える。

「じゃあ、新しい提案をします」

 直後、飛鳥の背後でドアが開いた。3人、誰かが入って来る。青太が目を見開いて、そちらに視線を逸らす。狙って、海黒の人差し指から粒子が発生し、凝縮し、形を成した黒の物体が放たれる。それが空を切り裂く音を聞いて、青太はすぐに視線を戻し水流を撃った。黒の物体——おそらく鉄塊だろう——は、真っ二つに割れたが、その欠片の1つが、発射するそのままの勢いで青太の腕を抉った。  

「飛鳥先輩を守りたいなら、水島青太さん、あなたが、私達のところに来てください」

 海黒が笑う。いや、本当は顔なんて見えていなかった。蝙蝠コウモリのような目だけが煌々と、闇の中に浮かんでいるようだ。
 青太は即座に、嫌だと吐き捨てた。その声は幾分か苦しそうだった。彼が片手で水泡を作りだすと、青い光で傷口が明らかになる。ペンで描いたような真っ直ぐな切り傷が、青太のしなやかな腕に刻まれている。傷は浅くはないのだろう、血が滲んで、滴り落ちた。それだけじゃない。今まで気が付かなかったが、青太の着ている制服も数か所が裂かれていた。その様は、昨日、海黒と対峙していたあの男を想起させた。
 そうか、あれは彼女がやったのか。

「いいんですか? あなたが私達の味方についてくれたら、飛鳥先輩はこのまま、無事に返しましょう。何も知らないままで、ね——でも、ここであなたが拒むなら、力づくでも飛鳥先輩を頂戴します」
「オレはお前らの味方になんかつかないし、瀬川も渡さない」
「強情ですね。そんなこと、言っていられるような場合じゃないと思うんですけど」

 背後から3人が詰め寄ってくる気配がして、飛鳥はそちらを向いた。背を見せてはいけない。青太と背を向き合わせて、3つの人影を注視したまま青太と海黒の声と息遣いに耳を澄ませる。青太の息は、飛鳥より荒かった。怪我人に守られている自分は駄目だ。けれど飛鳥には対抗策がない——あと5分だけ凌ぐ方法を、自分は持っていない。
 飛鳥は息を吸った。酸素を取り込んで、少しは冷静になれただろうか。心臓が全身に血を送り出す感覚はしていた。熱を帯びた指先で、後ろに立つ青太のシャツをわずかに引っ張る。

「水島。あと5分、持ちこたえられるか」
「……ギリギリかもな」

 大丈夫、お前に怪我はさせないから。青太は努めて力強く、飛鳥に言い聞かせる。その言葉の重さが、飛鳥の身体を縛り、海底の深くへ沈めていく碇になるだなんて青太は知らないのだろう。
 飛鳥は水中で空気を求めるように、口を開いた。発声のための器官、それ以外を一切動かさずに囁く。

「——警察を呼んだ」
「……いつ」
「ここに来る直前に」

 ——《COLOR》を使用した喧嘩が起こっています」と、言った。もしかしたら、いたずら電話だと判断され、無視されているかもしれない。しかし、対《COLOR》犯罪専門の戦闘員が署に常駐しなければならない程、ここ1か月での治安の悪化は凄まじかった。《COLOR》を使用した喧嘩だと言われれば、警察も完全無視はできない筈だ。現場に直行しなかったとしても、必ずここを確認しに来る。現状を切り抜けるには、それまで耐えればいい。

「……やっぱり、さすがだな」

 青太が、飛鳥の服の裾を指先で引いた。でもそれが上手くいくかどうかは、青太に全てかかっている。だから飛鳥は素直に喜べなかった。結局自分1人では何もできない。暗闇の中、無残に転がった絵の具が、踏み潰されて中身が出てしまった絵の具のチューブが、悲しく飛鳥の目に映っていた。

「オレ、無色(colorless)になりたかったんだ」

 『色』を失った絵の具なんて、意味がないのに。

「《COLOR》が暴走することがあるんだ。力ばかりが強くて、オレの手には負えなくて……いつか誰かを傷つけるんじゃないかって、怖かった。《COLOR》を使うのが怖かった。そんなモノが自分の中にあるのが怖かった。人を傷つけるような力なんて欲しくなかった」

 飛鳥は何も返さない。青太はまるで、懺悔室で神に祈るように話し続ける。なんて臆病なのだろう。そして、そんな恐怖を抱えながら、あの時も、そして今も、自分を助けようとしてくれる青太は——『ヒーロー』だ。

「だから……戦ってみるけど、お前のこと、傷つけるかもしれない」

 自分とは対極にいる水島青太という人間、彼が『ヒーロー』なのだとしたら、瀬川飛鳥は『ヒーロー』とは最も遠い位置にいるということになる。それが現実だった。青太が海黒を襲うはずがないと、思ってしまったのは、青太が『ヒーロー』だと認めているからだ。
 青色は、冷静さを表す色だ。客観的事実から、現在がどうであるかを分析し、導き出す色。そんな色をした『ヒーロー』が、今になって、夢と理想に夢中になるあまり気づかなかった現実を再教育してくれているだけ。それだけのことなのだ。

「……いいよ、派手にやれ」

 威勢だけはいい自分に嫌気がさす。自分を律することで精いっぱいだ。
 青太の手の中で、水泡が波打った。

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