コメディ・ライト小説(新)

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  の甼
日時: 2019/05/28 00:20
名前: Garnet (ID: zbxAunUZ)

題名は『  の甼』です。
『の甼』ではありません。

※次回更新分は、最新レスに加筆、という形で掲載する予定です!


Contents >>


【Citizen】(おもな登場人物 隣のかっこ内は誕生日)

氷渡ひど 流星りゅうせい  (12/23)
上総かずさ ほたる (5/4)

佐久間さくま 佑樹ゆうき
柳津やなぎつ 幸枝さちえ
 >>23(本編未読の方は閲覧非推奨)

志賀しが 未來みらい
小樽おたる あずみ
すぎうち たえ
池本いけもと ゆずる
柳津やなぎつ 睦実むつみ
 >>


○ひよこ
○てるてる522
○亜咲 りん
○河童
○上瀬冬菜
(敬称略)


 2018年夏 小説大会 コメディ・ライト小説部門 銅賞
 ありがとうございます。
 これからも少しずつ、大切にこの作品を書いていけるよう、精進を重ねてまいります。

彼らがうまれた日◎2016年5月4日
執筆開始◎2016年5月7日

イメージソング
『Crier Girl&Crier Boy ~ice cold sky~』 GARNET CROW


*





 ──────強く、なりたい

Re:   の甼 ( No.38 )
日時: 2017/03/16 23:03
名前: Garnet (ID: oxhIolIx)









「誰も正しくはないし、誰も間違ってはいない。そう思ったね」

 目を瞑っていくらか考えたあとの私の言葉に、江実さんは涙を拭いながら顔を歪めた。
 些細な混乱を訴えるようなそれに既視感が纏わり付き……正確には自分の中に小さく渦を作っただけなのだが、そんなことを悟られるのは少々情けないので、ここは一つ、曲がりなりにも長くを生きた婆さんである私から意見させていただいた。

「あなたも流星も、ひとを守れるなら、自分はどうなってもいいと考えている。…………他人の事なんか、言えたもんじゃねえが」

 もう何十年前になるだろう。ひとを愛することを知ったのは。
 もう何十年前になるだろう。瞳の緑を掻き消したのは。自らすすんで人を傷付けるみちを選んだのは。
 このまちに初めての足跡を残したのは。自己犠牲というものが芽を出したのは。
 この世界に、おりてきたのは。
 もう、何十年前に、なるだろう。

「ただ、あんたたちの想いは素晴らしい」

 人間というのは不思議な生き物で、生きても生きても生き足りない。学んでも学んでも学び足りない。それなのに、神様はひとつ人生を廻る度に記憶を消してしまわれるのだ。時たま、その作業をうっかり忘れてしまうことや故意に省略するもあるが。それゆえ、幾ら輪廻を繰り返しても、人は必ず罪をおかしてしまう。現に私も江実さんも、流星も、こんなに"罪"を生み出している。もし地獄という場所があるのなら、既に要領満杯で地球上の人間は消え去っているし、対照として考えるところの極楽はさぞかしお暇でのどかであろう。
 申し訳ないのだが、この無限のサイクルに、一体何の意味があるのだろうか。その答えを導き出すことが不可能な我々にも、精々やってやれる極めて単純なことといえば────。
 ──────。
 ──────。

「それを、あなたがもっと、素直な言葉で伝えられたら。ふたりは、今よりずっとずっと、幸せになれんじゃないかい。……そんだけのことやでよ」

 そう、ただそれだけのこと。








 中学校の入学祝いだと、約2年ほど前の春休みに買ってもらってから使い続けているスマートフォンを手にとって、待ち受けを開いた。
 同級生の中では比較的珍しくヒビひとつ入っていない画面に、お行儀よく並んでいるアプリのアイコンたちは、夏休みに小学生の妹が色別にわけやがってからそのままになっている。妹曰く「こうしたほうが絶対きれいだもん」だ、そうだ。
 元に戻そうかと試みてはみたけれど、何度も挫折したしその度に彼女に直されるし、こうなったら待ち受けを初期化してやろうかとも思ったものだけど、そうするとまた自己流に修正するために時間を割くことになるし、そうしてもまたやられたのでもう諦めた。スタート画面のパスワードも、母さんさえわからないくらい長くしてあるのに、すぐに解読してしまうのだ。
 幸い、メールやSNSのプライバシーだけは守っていただいているので、今のところは彼女のホーム画面に悪戯し返すだけにとどめている。いくら春から塾通いを始めるからとはいえ、小学生のくせにスマホを持たされるなんて、しかも最新機種なんて生意気め。俺なんて小6の学年末テストで死ぬほど勉強してやっと買ってもらえたんだぞ。
 ……とはいえ、この間の中間テストの成績は最低最悪だった。誰に似たんだろうというほどの天才優等生の妹を前にすると、なにも言うことはできまい。期末テストでまたやらかせば、きっと没収されるだろう。だから、次は本気だ。次は。
 緑色一帯のアイコンたちの中から、いつもお世話になっているSNSアプリを見つけ出してタップする。通知が39件となっているが、そのうちの20件ほどはまだ既読を付けていない公式アカウントからのどうでもいいメッセージで、残りが人間相手のまともな返信を示すものだ。
 その中に、あいつの返信も混ざっていた。
 氷渡流星、とシンプルに、特に捻りもなく本名で名乗ってあるスペースは、他の誰よりもすっきりとしていて、その代償にさびしく見える。友達一覧からアイコンを開かないとわからないけど、少々画質の荒いアイコンは、いつか彼が教室で読んでいた小説の表紙を小洒落てななめに撮ったもの。未設定のままよりは幾分かましだろうよ、と設定したのだと思う。
 真っ先に、流星とのトーク画面を開いた。絵文字が全く見あたらない真っ黒な吹き出しの羅列は、昨日の夕方5時過ぎで途切れていた。
 その瞬間だ。何かがおかしいと感じ取ったのは。

<じゃあ、ポストにでも突っ込んでおいて>

 小説なんてまっぴらごめん、というような俺だったけど、最近流星が、ある文庫本を貸してくれた。

───これなら佑樹でも読みやすいと思うんだ
───ありがとう、ゆっくり読むよ

 真っ白な光が差し込む朝。リュックの中から大事そうに取り出したそれは、月美に引っ越してくるとき、車の中で読んでいたものなんだと教えてくれた。
 流星は、ここへ引っ越してきた理由や、それに関連することを前から詳しく教えてくれなかった。互いに初めて言葉を交わしたときも、

───離婚
 
のひとことで済まされたことをよーく覚えている。ぶっきらぼうに?いや、無表情に。そんな彼が、初めて自分から、心の奥の方を見せてくれたような気がして、嬉しくなってしまったのだ。俺にしては今日雪が降ってもおかしくないくらいのスピードで、ついに昨日読み終えることができたので、そろそろ自分も読み返したいと言っていた彼に、報告の連絡を入れた。そうしたら。

<じゃあ、ポストにでも突っ込んでおいて>

 この様なのだ。
 あんなに丁寧に扱っていた本を、思い入れのありそうな本を、読み返したくなるような本を「ポストにでも突っ込んでおいて」??
 おかしいにも程がある。
 言い方は悪くなるが、流星は休日に外へ繰り出すようなタイプでもないのだから、俺が家に直接ピンポンではいどうぞとしに行けば一番面倒臭くないし失くす心配だってないのに。
 それくらい、あいつなら解るはずだ。そんな意味もない冗談は言わない人間だ。

悠花ゆうか、ちょっと俺、出掛けてくる」

 行動に移そう、と考え始めたときにはもう、居間に寝転がっていた身体を無意識に起き上がらせ、2階にある自分の部屋からジャンパーとマフラーを引っさげて再び居間へ戻ってきていた。
 食卓でノートやドリルを広げる妹の悠花が、目を真ん丸にしてこちらを見ている。ばあちゃんの家に行ったとき、彼女が悠花にも俺にも「ちょい、ゆうちゃん」と呼び掛けたときみたいだった。

「え? どうしたの、急に?」
「あー、友達の………………学校に忘れ物! 宿題持って帰ってくるの忘れちまったんだよ! じゃ、行ってくるから」

 乱暴な足音が弾けるのも気にせず、テレビの前に置いてあったスマホをポケットに押し込んだり、マフラーをわたしよりもいい加減に首に巻いたり。そんなお兄ちゃんを、たいへん間抜けな顔をして目で追っていたら、いつの間にか、その姿は玄関の外へ消えていました。
 たとえ相手がきょうだいであろうと、最低限の挨拶はきちんとしなくてはいけません。かなりの時差をつくってようやくわたしの口から声が出ましたが、大事なことを思い出したもので、最後まで言うことはできませんでした。

「いってらっしゃ────あ、今日って学校開いてないんじゃ」

 日曜日と祝日は、先生たちもお休みなのだと、金曜日の帰りの会のときに担任の先生が言っていたのです。けれど、それは月美南小学校の話。お兄ちゃんの通う月美北中学校がどうかはわかりません。
 昇降口に鍵がかかっていないといいけどな、と思いながら、わたしは計算ドリルの続きを解くために、芯先が潰れてきた鉛筆を持ち直しました。終業式前日までが提出期限の宿題なので、今のうちに片付けてしまいたいからです。
 そうして、誰もいなくなった家の中で5問ほど筆算を解いたころでしょうか。廊下から、がさがさっと音がしたので、もうお兄ちゃんが帰ってきたのかと顔をあげたら、その正体はママでした。
 両手に抱えた重たそうな買い物袋の口から葱とごぼうがはみだしているのと、お魚の銀色なんかが透けて見えるので、きっと夕ごはんは和食です。パパは和食が好きだから、お友だちの引っ越しの手伝いをしている今日でも早く帰ってくるでしょう。
 パパはママに、いぶくろをつかまれている、らしいです。

「何か佑樹がすごい勢いで飛び出していったけど、何かあった?」

 息を切らしながらも、買ってきた食材をせっせと冷蔵庫に詰めながらママがきいてきました。
 どんなに忙しくても、相手を見て話してくれるから、わたしはママとのおしゃべりが大好きです。今も、ちょっぴり垂れた大きな目がわたしの目と合いました。

「うーん、友達の宿題を取りに行くとかって言ってた気がする」
「…………は?」

 ママはいつもちょっぴり、ちょっとだけ、男の子みたいな話し方をします。お兄ちゃんやパパと話すときは、もっと男の子みたいになります。今は"ちょっぴり"と"もっと"が綺麗に半分ずつの声でした。
 ……残念ながら、わたしは伝言ゲームが得意じゃないのです。

Re:   の甼 ( No.39 )
日時: 2017/04/08 23:11
名前: Garnet (ID: x03fhwcN)

*



 歩行者用の橋を渡りきり、堤防を下りた2つ先の角を左に曲がれば目的地だ。早速呼び鈴を押してみたけど何も聞こえないので、もう一度鳴らしてみたけれど誰も出ない。白いドアを控えめに叩いてもみたけど、中から全く人の気配はしなかった。11時も近いから、寝ているなんてことは彼らならありえないだろうに。
 母親は、平日なら基本的に夕方まで仕事で帰らないので一度しか会ったことがないけど、週末や祝日には家にいると言っていた。部屋がよく片付いているのも手料理が当たり前なのも、休みの日には親子で引きもり暇になるからだと、笑いながら。
 まずはきちんと彼の携帯に電話をかけてみる。出ればラッキー、程度の構えで。今繋がらなくたって焦ることはない。履歴は残る。呼び出し音の合間がやけに長く感じて、吐き出す息が光と溶けていく、真っ青な空を見上げてしまった。この様子では雪どころか綿雲さえ寄り付かないだろうに。そんな空をカラスが静かに横切っていった瞬間、試みは失敗に終わったことが人工音声で告げられた。電源自体が、入っていなかった。
 湧き上がる嫌な予感に心乱す間もなく、次にかける先は我が家。丁度3コールで母さんが出てくれた。

『佑樹? あんた昼はいら──』
「流星の母親の連絡先、教えてくれ」

 曇る声を遮って、最低限の用件だけを伝える。突然の要望にため息をつかれたのがよく聞こえけど、受話器越しにでも何かを感じ取ったみたいで。番号を送るからと言って電話は切れた。
 早速届いた新着メッセージに並んだ11桁の番号に触れて、再び通話アプリを呼び戻す。スマホを耳に当てて数十秒ほど経っただろうか。

『はい』
「こんにちは、佐久間佑樹です。母から番号を聞きまして」
『あら久しぶり。佑樹くんだったのね』
「突然すみません」
『いいのよ。どうかした?』
「流星に借りた本を返しに家へ行ってみたんですけど、誰もいなくて。連絡もとれなくて」
『それで私に? 丁寧にありがとね。ポストにでも入れてくれれば良いよ』
「いえ、それは駄目です。大切な物だから」
『そうなの?』
「引っ越してくるとき、ずっと一緒にいた小説だって」
『…………』

 柔らかな声が、ばちんと音を立てるように途切れた。流星のお母さんも過去を切り離したい考えだったのなら、二度も同じあやまちを繰り返したことになる。まずい。指先から変な汗が出てきた。

「あ、あの」
『……ごめんなさい、何でもないの! もしかして今、うちのアパートにいる?』
「はい」
『わかった、ちょっと待ってて』

 まさか今から来るんじゃ、というのはさすがに勘違いで、腰が抜けそうになる保留メロディが流れ始めた。
 今日は急に仕事が入ったのかもしれない。なんの仕事なのかは知らないけど、もし忙しい職人だったらとんだ邪魔をしたなと、そういうことが今は心配だ。
 なんてことは無駄な杞憂だったのだけど。

『お待たせ。実は私、柳津さんの家にお邪魔してるのよ。ことの次第をお話ししたら、是非此方にいらしてくださいって』
「えっ?」

 は?
 なんで。

『ああ、柳津さんって北区の』
「それは知ってますけど、あの、何で」
『できれば顔を合わせて話したいの。良い、かな。通話料金も掛かっちゃうだろうし』
「…………わかりました」

 ほんとにごめんね、じゃあまた。
 そう言って、向こうで江実さんが頭を下げるのが見えてしまったような気がして、流星のことを訊くのも忘れたまま電話を切った。それくらい不意討ちで意味不明で。
 あの婆さんとふたりに何の接点があるのだろう。家もそんなに近くないのに。またも考えるより先に、手が動いていた。

〈休みの日に流星見かけたことあるか? ていうか今日どっかで見てねーか?〉

 フリック入力でさっさと打ち込んで、クラスメート限定公開で投稿する。男子の中ではタイムラインをよく使うほうだと言われているし自覚もあるので、これなら自然な形で捜せるだろう。柳津邸には向かうがその後が不安なので、もしものときにおいとまさせていただく為の、簡単な口実のお役目でもある。
 氷渡宅から歩き始めて5分も経たぬうちに、聞き慣れた通知音がポケットにこぼれた。歩きスマホなんて器用なことはできないので、近くのガードレールに寄りかかって、軽く脚を絡ませながら通知を開く。

《みねこう:なんで?何かあった?》

 質問に質問で返された。いるよなあ、こういうやつ。

〈いや。休みの日とか出掛けてるのかなーって思って。珍しくずっと既読付かねんだ〉

 嘘も方便だ。

《そんなのお前が一番知ってるだろ笑》
〈はwおれだって毎日一緒にいるわけじゃねえしww〉
《草生やすなよ、悪かったからさ笑笑》
〈…草?〉

 何度もスマホを震わせるくだらない会話で、瞬く間に画面は黒くなっていった。結局お前は見たのか見てないのか。あきれ半分で訊いてみたけど、やはり見ていないとのこと。それから暫く、コメントは追加されなかった。
 そもそもこんなことを思い付いたのが馬鹿だったんだ、もう投稿ごと消してしまえ。と編集ボタンに指が掛かったタイミングで、スマホが震えた。

《くにょーしあゆ:そういえば、結構前の平日だけどお屋敷の近くで見かけたことあるよ。例の大学生たちが捕まった日。野次馬としていたわけではなかったぽいけど》
〈お前、そこいたの?!〉
《くにょーしあゆ:うん、塾帰り。パトカー半端なかった〜》
《Kaito:まじかよー全然気づかなかったwwwwあ、流星のことは俺もしらねっす》
〈了解、ふたりともありがと〉

 2人が"事件"の話題を持ち出すと、俺の返事の後、合図でもされたみたいに画面上がその話題で盛り上がりはじめた。犯人のツイッターを知ってるだの、メンバーのひとりが流星と同じ明陽出身だの。いつもならそこで〈お前らはひとのTLで何やってんだ〉くらい書き込むのだが、どうも今日は思考がそちらへ傾かない。
 もやもやが、濃くなっていく。悪いけどあの人に対して好意というものがこれっぽちもないのだ。だって──。
 事の発端を掘り起こすより前に、思いきり舌を噛んでしまって現実に帰った。涙が出るレベルで痛い。そういや、昼はいらないのかという母さんの質問に答え忘れていた。空腹に耐え嫌いな人間の家で舌の痛みを飼いながらの長話なんてそれこそ拷問だ。暴力だ。そこまで考えたところで反射的に首をふって、密度の低い頭の奥に押し込む。もう3年生になるというのにこれはいけない。
 と、その時。

《奥山 薫:おいクソガキ、くだらんことしてないで次のテストの勉強しなせーよ!【べーっ】
 …なんてねー笑 その流星って男の子なら、今朝学校いくときに土手で見掛けたよ。薫に合唱祭の時の集合写真も見せてもらったから、間違いない!【ピース】【キラキラ】
 奥山 さつき》

 絵文字なんて普段から滅多に見るものじゃないので、たかが3個の突然のスパンコールに目が痛くなってきた。最後の行に気がつくまで何度目眩のように視線をさまよわせたか。こんなことは初めてで、心中を察してくださったらしい彼女が恐ろしく速く、解説のコメントを続けて投下する。

《…ごめん、わかると思うけど、今のはお姉ちゃんにやられた。
 高校にお弁当届けにきて投稿に気づいたんだけど、私が人前でケータイいじってるのを面白がった彼女に取られちゃったの》
〈べつにそれは構わないけど。まださつき、近くにいるか?〉
《いる》

 文面からもわかる通り、奥山さつきというのは、クラスの学級委員長、奥山薫(おくやま かおる)の姉だ。奥山家は200年はくだらない位長く続いている家系で、町内に同じ苗字を見かけるときは大抵が親戚だ。薫とさつきはふたつ違いの本家の姉妹で、高校は代々の伝統で隣町のお嬢様学校に通うことに──と、ここまで話せば大体事情は察することができよう。

〈そのときアイツ、一人だったか?〉

 さつきの受験のストレスがきっかけで、親と殴り合いも同然になったところを目の当たりにしたことがある。万が一と春まで奥山と佐久間双方の両親に接触を控えさせられた為詳しいことは知らないのだが、なんの迷いもなく女子高進学に向け勉強を始めた薫に対してさつきのほうは事がすんなりと運ばなかったらしい。それを思うと、両親たちの苦労がしとしと滲んでくるほどよく解る。妹よりも姉と仲が良いから余計。
 なんで歳上のさつきとのほうが仲が良いかって、薫を見ていると悠花を連想してよくむかつくからだ。反対もまた同じに。
 そろそろかな、という頃、薫の超速返信の4倍ほど時間がかかって、どちらが打ち込んだのかはっきりと判らない返信がきた。

《いーや、佑樹たちと同い年くらいの女の子と一緒だったよ?わたしそんとき音楽聴いてたから、何を話してたのかとかはわからないんだけど。
 あ、その子目が青いの、綺麗だったなあ!あとすごくかわいかった!》

 青い目の、同い年くらいな女の子?そんな人が彼の交友関係の中に?
 生憎、知り合いの知り合いからも友達の友達からも、そういった話は聞いたことがない。転校生や帰国子女で町内の中学生なら尚更、小さな町の小さな話題になっていたっておかしくないのに。いや、まてよ。土手……河原……?女の子…………。
 この単語の並び、何処かで。







第三章 『ライアー・ボーイ』 完

Re:   の甼 ( No.40 )
日時: 2017/06/08 17:23
名前: Garnet (ID: UsiAj/c1)

第四章 『クライアー・ボーイ』





「彼女たち、どうします? 失敗しそうであれば、もう一度助太刀に参りますが」

 地に降り注ぐ太陽の光で出来上がったような美しい金の長髪をうねらせ、女は問いかけた。髪と同じ色のその瞳は、姿の見えぬある者を、見上げている。
 しかしその"ある者"は彼女を無言で制し、つかの間の沈黙の後、落ち着いた低い声色で言った。

「焦ることはあるまい。必要があれば、そなたを向かわせる……しばらくは静観するのだ」
「承知しました」

 女が右手を左肩へ軽く添えるように敬礼をすると、白さで包まれていた辺りは、合図でもかけたように快晴の空へ一変した。暑さも寒さも感じない、風も吹かない、鳥も飛行機さえも飛ばない青空へ。
 遠くにたなびく雲の連なりが銀嶺のごとく、強く輝き、目の奥をちりちりと刺される。

「わたくしは、あなたのような気高い乙女になれる気がいたしません」










 月美から明陽に向かう道中では、おそらく3番目くらいに賑やかな場所であろう駅で途中下車をした。お昼時にはちょっと早いけれど、ここを逃してしまうと後々困るだろうということで、意見が一致したからだ。
 窓辺がいいなという小さな願いは当然のごとく打ち砕かれ、人の行き来の多い、フロア中心部のテーブルをはさんで向き合う形となった。

「前に見つけた洋食屋さん、水戸に移転してたみたいで……ごめんね」

 まだ半分ほど残っているオムライスを前にスプーンを置いたわたしを見て、勘違いをしたらしい。向かい合って座る彼に、とても申し訳なさそうに謝られてしまった。

「気にしないで、そういうことじゃないよ」
「でも……」
「流星くんと食べるご飯は、何でも美味しいの。今は少しお腹いっぱいになっちゃっただけ」

 まだ彼が明陽にいたころ、父親と顔を合わせたくなくて逃げ込んだ先は、ありふれたファミリーレストランに改装されていた。移転先の住所や電話番号なんかが書いてある小さな紙を貼られた出入り口や窓辺に残る面影も、わずかなもの。こんなに変わってしまうんだと、流星くんは戸惑いの表情を隠しきれずに呟いた。普段独りごとなんて滅多に言わないというのに。
 当時はまだお客さんの出入りも少なく、呼び込みをしていた店員さんが、遅くにひとりで、地元民でもなさそうな制服姿のままやって来た流星くんを、半分保護するような形で迎え入れたらしい。事情を察した店長のおじさんが、帰り際に連絡先のメモをそっと渡してくれたなんて、わたしだったらきっと泣いちゃう。
 もとあった店は決して潰れたわけではないし、むしろ繁盛しすぎて拠点を変えたくらいなのだけど、こうも真新しい塗装やテーブルがわたしたちを取り囲んでいるのは、何だか生々しくて心に刺さるものがある。

「無理しないでね」

 そう彼は言い、温かそうなドリアの上に乗っかった半熟卵を、銀色のふちでわりと勢いよく開いた。…………の、だが。

「うわ、間違えた。卵は最後までとっておこうと思ってたのに!」
「もー、なにやってるの」
「笑うなよっ」
「ごめん、ごめん」

 やけになるように、手近に置いてあったチキンを頬張ったのを見て、ついに笑ってしまった。
 でもまあ、あるある。卵はもちろん、ショートケーキのいちごとか、モンブランの栗とか、プリンのさくらんぼとクリームとか。うっかり先に食べちゃったり食べられちゃったり、崩したり。って、あれ、甘いものばっかり挙げてる。
 例によって朝の出来事を思い出してしまい、今回は水だけの彼の手元を恨めしそうに見つめては、ぴっかぴかのテーブルに突っ伏した。笑っていたと思ったら突然前触れもなくへこむという、相手からしたらそれはもう意味不明な動きをわたしはしている。それでも流星くんは、楽しそうに笑ってくれた。

「……今度、絶対に連れていってあげるからさ」

 そのせいか、笑い声の合間に突然真面目な表情でなげかけられた言葉がわからず、聞き返しても何でもない、とはぐらかされてしまった。
 こういうことが、よくあるような気がする。それは言うまでもなく、わたしが誰かを、何者なのかを知っているからなのだけど。でも、たったそれだけにしては、瞳が憂いを帯びすぎているというか。
 ……まさか、秘密を知られちゃったんじゃなかろうか。
 そう考え始めたら、手が震えてきそうになった。彼を信じていないわけじゃない。それでも、これは大きな、そしてとても重い賭けだから。焦りを悟られてはいけない。
 ごくごく自然な振る舞いを続けられるように祈りつつも、目の前のお皿の上を空っぽにするまで、わたしはほとんど、自分から話しかけることはなかった。





「結構のんびりしちゃったね」
「そうだな……なんか、腰が重たいや」

 来店時にはほとんど聞こえもしなかったBGMが、意識せずともよく聞こえるくらいにはお客さんが減ってきた。さっきまで辺りに満ちていたたくさんの人の感情の渦が外に流れ出していくようで、思わず吐いた安堵のため息のつぎには眠気が誘ってくる。
 店員さんが、空になったデザートのお皿を下げていくのをぼんやり眺めていたら、流星くんに笑われてしまった。

「朝早かったのに色々なことがあったもんね。そういえば、早起きは弱かったっけ」
「ううん、むしろ強い方だと思うんだけど……おかしいな、眠くなってきちゃった」
「じゃあ、今のうちに少しだけ寝ておきなよ。店の人になにか言われても、うまくやるからさ」

 本来なら、だいじょうぶ、それよりも先に電車に乗ろうと、言うべきだし、そうしたかった。でも、瞼にのりでも塗られてしまったような、この粘り気のある睡魔には、どうしても打ち勝てそうにない。

「うん……ありが、と」

 そうしてわたしは、ソファの椅子に深く体重を預け、壁にもたれてしばしの間彼の言葉に甘えることにした。
 赤みを帯びて溶けていく視界の中で、どこの国の誰が歌っているのかもよくわからない音楽がフェードアウトしていく。おやすみ、という声がしたのも気のせいかもしれない。
 導かれるように、吸い込まれるように、短い夢をみることになった。

Re:   の甼 ( No.41 )
日時: 2017/08/15 21:31
名前: Garnet (ID: MHTXF2/b)










 うすぼんやりと欠落がわかる視界に、だれかがいる。汚れた四角い水槽の中から魚が見ている世界みたいだった。そんなフィルターがかかっていることを考えたら、この空間を染めているのは、黄昏色の淡い光だ。日暮れ時なのかもしれない。でも、どんなに周りを見回してみても、その色をまき散らしているはずの太陽の気配は感じられなかった。
 代わりに、わたしの目の前にいるぼやけた人型のなにかが、くっきりと陰影を持って浮かび上がってくる。見慣れた、けれども随分と久しぶりな顔だ。
 まず、半透明な赤く太いフレームの眼鏡に意識が注がれる。その時点で、ああ、あの人かと、存在するかも疑わしい頭が認めていた。

「どうしたの、ぼーっとしちゃって」

 目の前のその人は、幼馴染みという言葉が似合う、むかしからの友人だ。
 生まれ持った真っ白い髪と肌。わたしが幼稚園を卒業する頃、それはアルビノという特質によるものなんだと、彼の母親から丁寧に説明をしていただいたのをよく覚えている。当時は別段疑問も抱かず、彼は彼だからこういう外見なのだろう、こういう性格と生き方をしているんだろうと思っていたので、衝撃の出来事だった。
 瞳も色素が薄く、眼差しは時に紫にも見える青で、昔からよくじっと見入っていた。もちろん今も。

「ううん、何でもない。未來みらいの目に見惚れてた」
「もう、恥ずかしいって言ってるじゃない」

 焦点のずれた彼の瞳が、きゅっとほそくなった。
 白くて長い睫毛を震わせるその笑顔は、髪が長く垂れていると女の子に見えてしまう。私服姿だととくに。それでも最近は、背も伸びてきたし、声も低くなってきたし。
 それに、わたしの前で泣かなくなった。
 木陰で泣く未來の頭を撫でていたわたしも、いつのまにか撫でられる側で。

「わたし……緑なんかより、未來と同じのが良かったんだもん」

 おどけて言うつもりだった台詞の後半は、涙声でふやけて、ぼろぼろになった。
 一部の世代から向けられる、未だ完全に消え去っていない、ある感情と追憶の視線。その意味を知る者たちから受ける行為は、決して気持ちのいいものではない。

「僕と同じじゃ、あずみはもっと辛い思いをすることになるよ」
「未來が少しでも辛くなくなるならいい」
「……だめだよ、そんなの」
「わたしは誰も守れないんだもん、おばあちゃんも未來も、みんなも。それどころか、自分さえ守れとんない…………こんなの……こんなの、嫌……!」

 わたしは物心つく前からどんくさい子供だった。そのおかげで周りの人に随分と迷惑を掛けつづけてきてしまっていたのだけど、不思議と周囲の人たちは笑って許してくれていた。けれど、小学6年生のときのある日、同級生の男の子が持っていた大切なキーホルダーを思いきり壊してしまってから、彼とその仲間だけは絶対にわたしを許してなんてくれなくなった。……はっきり言うと、わたしはいじめられた。
 藤波の家系で、しかも今の世代ではただひとりきりの碧眼持ちということに目をつけられ、そこからどんな情報網でたどり着いたのだか、おばあちゃんたちが明陽を追われた訳まであっさりと知られてしまったのである。
 もしそれが現在の町民たちに知れ渡ってしまったら。青い瞳で、どうしても目立つ未來まで巻き込まれてしまったら。
 戦後から気の遠くなるほどの時が流れたこの時代だとしても、こういう、古くからの小さな町や村だとどうなってしまうかわからない。一瞬考えただけでも悪寒が襲ってくる。
 だから。
 ────お前らの過去を黙っている代わりに、言うことを聞け。自分たちのことは告げ口するな。さもなくば、次はお前の幼馴染みの番だ。そして、藤波の家系の者を二度と明陽の地に住めないようにしてやる────あまりに愚かだったわたしは、提示されたその条件をあっさり飲んだのだ。大切な家族や、幼馴染みを守るために。
 そんな馬鹿者が声をあげて泣き出すと、未來はそっと傍へ寄り、わたしの手をとった。

「あずみを守るの、僕じゃ、頼りないかな?」

 その言葉を聴いて、はっとした。溢れていた涙も途切れてしまった。
 これ、夢じゃない。

「…………そりゃ、タエや流星とは比べ物にならないくらい、比べちゃいけないくらい弱虫だけど、さ」

 そう気付いた瞬間だった。掠れてぼけていた周りの景色は晴れて鮮明に夕陽を浴び、奥行きをもって辺りに浸透していったのだ。
 使われなくなった教室。使われなくなった机や椅子、黒板、ロッカー。何年も前の時間割。それらを全部かきわけた視界の真ん中にわたしたちはいる。
 わたしは少し低い椅子に座っていて、さっきからこの手を握ったままの彼は、埃っぽい床に膝を立てながらじっとわたしと目を合わせていて。
 逆光になったはずなのに、未來がわたしを見つめる青は、夜の野良猫の瞳みたいに輝いていた。

「僕だって、男なんだから」

 これは、夢なんかじゃない。
 これは、まぎれもない真実のままの、記憶だ。









 目が覚めたときも、わたしは泣いていた。もっと正確に表現するならば、とめどなく、涙が勝手に溢れてきていた。
 流星くんの前では絶対にこんな姿を見せないと、あれほど心に強く釘を打ち付けたというのに。呆気なくその誓いは砕け散った。

「だい、じょうぶ……?」

 嗚咽も漏らさず、ただ涙の粒を頬に伝わせるだけのわたしを見て、彼がお腹の底から心配するように問いかけてくる。

「何が」

 ぬぐってもぬぐっても、なかなか止まらなかった。でも、この涙が悲しみからくるものなのかといえば、それは違うから。
 何が、なんて。相当ふざけた返事だけれど、今のわたしの本心なのだから仕方ない。
 流星くんはわたしの態度に怒ることもなく、かといって安堵することもなく、表情を薄くして席を立ち、小さなハンカチを差し出しながら伝票を取り上げた。

「会計済ませてくる」
「えっ?」
「奢るから」
「え、悪いよ、そんなの」

 慌てて財布を取り出しても、8割方無理やり止められてしまった。

「じゃあ、幸枝さんへのお礼ってことにして。宿泊代には安すぎるけど」
「……わかった」

 しぶしぶ頷くと、彼は上着を抱えて背を向けた。
 本当に、こんなことをさせてしまって、よかったのだろうか。怒っていないなんていうのは都合のいい解釈で、もしかしたら、少しどころか相当怒っているかもしれない。…………こんな時に限って"声"が聴こえないのは、なんなの。
 コートを羽織りなおし、適当にマフラーを首に巻きながら出口へ向かうと、とうに支払いを済ませた彼が何かに携帯電話を向けている。
 さっきの貼り紙を撮っていたのだと気がついたのは、画面からちらりと、それが見えた少し前だ。

「お待たせ。もう、泣かないから」
「そっか」

 結局使わなかったハンカチを手渡して、しゃん、と背筋を伸ばしてみせると、彼は何事もなかったように、再び電源を切った携帯と一緒にポケットの中へ押し込んだ。それを合図に、どちらともなく駅へ向かって歩き始める。
 昼時も過ぎた駅前は、そこそこ賑わっていた。目新しい明るい色のブレザー姿がちらほら歩いていたり、自転車を走らせていたり、ロータリーで列になってバスを待ったりしているし、うしろを歩いている、ベビーカーを押す若いお母さん同士は、昨夜のドラマに出ていたらしい俳優の話で盛り上がっている。コンビニの前では、コーヒー缶やタバコ片手に腰を下ろす、どこかの建設工事のお兄さんやおじさんたちが談笑している。
 わたしたちのいる南口側はこのくらいの程度だけど、北口側は、この街のどこかでやるらしいという、今日で二日目の有名なバンドのライブがあるとかで、さっき来たときから落ち着かない空気を見せていた。それでなくても、ビルやショッピングモールがたくさんあるから、こちらよりは人通りが絶えないはずだ。
 今もまさに、長い電車が我々の頭上に滑り込んできては、喧騒の切れ端をまき散らしている。

「……流星くん、怒ってる?」

 あんまり沈黙が続いたので、改札を抜けたところでとうとう訊いてしまった。なのに。

「何に怒ってるって? ああ、またマフラーの巻き方が変だ。ちょっと後ろ向いてよ」

 単に流されたのか、本当に意味がわからなかったのか。憶測のしようもないけれど、少なくとも呆れられてはいないことはわかる。だって、ちゃんと目を合わせてくれたから。
 考えすぎが、一番よくない。

「えーっ」

 いっときの反抗もむなしく、軽い力で肩からくるんと回れ右をさせられる。
 また流星くんにマフラーを巻いてもらうことになった。の、だけど。朝とは違う結び方で、ちょっと時間がかかっていて。手が止まったように感じて振り返ろうとしたら、やんわり肩を押さえられた。コーサツしちゃうよとの脅迫つきで。

「どうしたの?」
「あ、いや……さっきネットで天気予報を見てたんだけど、今夜は都心でも雪になるらしいって書いてあったからびっくりしちゃって。この辺もいよいよ初雪だよ」
「え、まだ11月なのに?!」
「僕も趣味悪い嘘つきやがるなあって思ったよ。でも、どこのサイトを見ても、雪、雪、雪」
「そっかあ~。そういえば今日すごく寒いもんね」

 言っている先から目の前に、白い息が広がる。朝よりも少しばかり淡い影に見えたけど、最高気温が出てもおかしくはない時間にこんな様子では雪も降るだろう。
 はい、おしまい。と、彼の声と同時に軽く背中を叩かれた。振り返ってももう首を絞められる心配はないってことだ、たぶん。

「だから、できるだけ早く帰れるように、僕らも出発しようと言いたいところなんだけど」
「けど?」

 そう信じて振り返ると、あからさまに何かの焦りを隠そうとしているような顔があった。珍しく目を泳がせて、まばたきもなんだか多くて。もしかして、お財布でも落としたとか言うんじゃないだろうか。スイカは携帯電話と同じポケットに入れているし。

「ちょ、ちょっとお手洗いに寄らせて」

Re:   の甼 ( No.42 )
日時: 2017/09/04 13:42
名前: Garnet (ID: fE.voQXi)





 見上げてみればだんだんと青空に、境界線の曖昧な、ほつれた綿菓子みたいな雲が溜まってきていた。冬の雲だ。
 先にホームに上がっててよ。雑踏の中でそう言われてから5分以上は過ぎていて、電車を1回見送った。それでも特に引き返す気にならないのは、2時間に1本くらいが当たり前、というわたしの感覚として、降りるお客さんの尋常じゃない数が、腰をずどーんと重くするからである。どちらかというと男性の割合のほうが多いし、きっとお手洗いも混み合っているんだろうな、という推測を頭の中に置いて、退屈な日向ぼっこに勤しむことにする。眠気が手伝って時間を早く進めてくれるかもしれない。
 そんなときだった。

「おねえさん、どこからきたの?」

 夢の国へ一直線だったわたしの耳には、もそもそとフィルターが掛かっているように聞こえたので、反応が数歩遅れてしまった。
 声のするほうに顔を向けると、隣の空席に乗り上げて丸い目でわたしを見つめる5・6歳くらいの、少年と呼ぶにはまだちょっと早い男の子がいる。

「あ、ごめんなさい、寝てたんだ」
「大丈夫だよ。わたしを呼んだのはきみ?」
「うん」

 階段やエスカレーターに吸い込まれ、人が大分はけた景色を見回してみたけど、彼の保護者といえそうな人物の影はどうも見当たらない。何か用があって、ひとりでこの駅にまで来たのかとも思ったけど、まったくの手ぶらなので親御さんの存在を反射的に捜してしまった。
 もともと小さい子供の相手には慣れているし、一通りこの子の話を聞いてから、迷子のようであれば駅員さんのところへ連れていこうと思った。それでなくとも、流星くんが来るまでか、彼が子供を嫌いでなければ、わたしたちがここを去るまで。

「おねえさん、どこから来たの?」
「ここからはちょっと遠いところ。月美町って知ってるかな」
「しってる! ぼくの伯父さんがね、そこに住んでるの。すごい偶然だね!」
「そうだね、わたしも嬉しい! もしかして、これから月美に行くの?」
「違うよ。今日はね、これからハルねーちゃんたちとライブに行くの!」
「ハルねーちゃん?」

 一人できたのではなさそうだなということと、彼の行き先についての情報がこれでわかった。でもその"ハルねーちゃん"らしき人が見当たらない。これから歌手のライブに行く人が、制服姿のまま重たい鞄を肩に掛け、さらに部活の道具なんかで両手を塞いだ状態で、小さな男の子を連れていくなんてまず考えられないし。
 そんな、相手の思考や心配なんてお構いなしに、火がつくとマシンガンになるのが子供というものだ。

「ハルねーちゃんとトモねーねとね、タクにっちゃん! あのね、ほんとはにっちゃんじゃなくてナナねーちゃんだったんだけどね、大人がついてないと駄目って怒られたから、ナナねーちゃんせっかくチケット当たったのに我慢して、タクにっちゃんにどうぞしたの。だからナナちゃんにはいっぱいグッズ買っていってあげるんだよ!」
「……そっかあ、じゃあ早く順番取って、いっぱいお土産買えるようにしなーいかんね」
「あ」

 わたしの言葉に、彼はようやく、保護者のもとに戻らなければならないことに気がついたようで、焦るようにうろうろとその場を歩き始めた。
 きょうだいといっしょなのか。親でないなら、なかなか見つけられないのも無理はないな。とりあえず、少なくともこの子より歳上の女の子ふたりと、20歳以上の男性が保護者としてついているんだということはよくわかった。

「ここに来るの、もしかして初めて?」
「うん……ハルねーちゃんどこにいたか忘れちゃった」
「じゃあ、わたしといっしょに、改札のところまで行ってみようよ。もしそれでも見つからなかったら、駅員さんにもお手伝いしてもらえば、すぐに見つかるから」
「うん……」

 これから例のライブに向かうのであろう人達の年齢層で一番多いのは、10代後半から30代前半くらいの男性だ。お兄さんを目印としてふたりを捜すのには骨が折れそうだから、お姉さんのほうの話題を掘り下げさせてもらうことにする。
 若干涙目になってきた彼には申し訳ないけど、今度はこちらがマシンガンにならなくてはいけない。

「ハルねーちゃんってさ、何歳?」
「15歳! 高校生なんだよ!」

 どちらともなく手を繋ぎ、人混みに足を向ける。彼に合わせてゆっくりと階段を降りながら、質問を重ねていった。いくつも、いくつも。
 ほかにも一応、もうひとりの女の子のことや、男性のことも軽く教えてもらいながら足を進めていった。年齢の問題を抜きにしても、ここまで自分の言葉できちんと特徴を言ってくれるのは素晴らしい。わたしの目なら何とか見つけられそうだ。
 よーし、捜すぞ。そう気合いをいれた矢先。

「「あ、いた」」

 薄いピンクのコート。
 フェイクファーの襟。
 黒のタイツを穿いた細い脚。
 そして、ツインテールの髪型。
 予想以上に早すぎる発見に、わたしの低い声と、彼の嬉しそうな高い声が綺麗にハモる。改札の駅員窓口で不安そうに何かを話している横顔は、まさに。
 そしてその声に気づいたのか"ハルねーちゃん"は、ぷるるん、と効果音がしそうな柔らかい髪を揺らして振り向き、めいっぱいの笑顔で彼の名を呼んだ。彼女に隠れて見えなかった隣のロングヘアのお姉さんも、わたしと目が合った途端、何度も頭を下げ始める。
 ああ、よかった。

「ほんとにありがとうございました!」
「ご迷惑かけて、すみません」

 息を合わせて頭を下げる彼女たちは、よくよく見ればまったく似ていない顔立ちをしていた。迷子だった男の子────ルイくんも、もちろん似ていない。ただ、生まれ持ったもの以外、たとえば笑うときの頬のほぐれ方とか、ルイくんの頭をなでるふたりの手の指先なんかは、似通っているように思えた。

「どうかお気になさらないでください。ちょうど退屈してたので、話し相手が出来て楽しかったですよ」

 きょうだいっていいなと、昔から憧れている。わたしはひとりっこだから。弟みたいな従弟はいるけど、あの子が生まれたときから四六時中同じ空気を吸って家族として生きてきたことがあるわけじゃない。……あの子は、わたしのことなんか忘れて、元気でやっていけているだろうか。
 ついに安心感で泣き出してしまったルイくんを抱き留めるハルナさんを見ていたら、寂しさが込み上げてきそうになった。

「上総さん、"タクにっちゃん"からです」
「あ、はい!」

 そんな感情がまた顔に出てしまっていたのかどうなのか、ロングヘアの彼女がまた申し訳なさそうに微笑みながら、手帳型のケースに入ったスマートフォンを差し出してきていた。
 わたしの口からもリンくんの無事を伝えると、スピーカーのむこうで一瞬、安堵のため息が漏れる。

『どうも、保護者のシロガネといいます。大変申し訳ありませんでした、うちの者が迷惑をかけて……。きちんと指導を入れます』
「そんな、本当に大丈夫ですよ。 わたしのことはいいですから、少しでも早く会場に着くように、3人を連れていってあげてください。ルイくんからお話を聞きましたよ」
『あ~っ、あいつっ』

 堅かった口調が、その一瞬で"お兄さん"になる。そんな様子に思わず頬が緩んでしまった。

「素敵なごきょうだいですね」
『いや、俺たちは────ありがとう。それじゃあお言葉に甘えます。そのままトモミに代わっていただけますか』

 トモミって誰だろう、と一瞬戸惑ったけど、たぶんこの携帯電話の持ち主のことだ。たしかルイくん、トモねーね、って呼んでいたし。

「あ、はい、失礼します」
『……ありがとうね、ほたるちゃん』

 携帯電話を耳元から離す間際、彼の少し寂しそうな、でも本当に嬉しそうな声が聴こえてきて、心残りに似たものが、静かに音を立てていた。
 そんな、気がした。

「それにしても、なんで急に走っていっちゃったの?」
「だって、おにーさんたちが持ってた写真の女の子、ほたるおねえさんに似てたんだもん」
「ああ、さっきのロータリーの人たち……」
「でも、彼女は緑色の目をしてるんでしょう? ほたるさんは完全に青い目。確かに顔は、似てなくはないけど、そう簡単に虹彩の色は変わらないよ」
「えーっ」
「知美、今はそのくらいにしてあげなよ」

 時折わたしのほうを振り返り、そんな会話をしながら遠ざかっていく彼らとほぼ入れ違いに、流星くんが小走りで行列の向こうから駆け寄ってくるのが、視界の端に見えた。
 ルイくんたちが何を言っているのかも、どうして名残惜しそうに後ろを向いて、意味の解っていないバイバイに何度も手を振り返してくれたのかも知らないまま。上で待ってろって言ったじゃないか、なんて少し怒る流星くんに、ご機嫌気味でいい加減な返事しかしなかったわたしは、さぞかし馬鹿に見えただろうな。
 もちろん、迷子を家族のもとへ返しにいっていたのだという話はしたしそれにも納得してもらえたけど、無人の車両に乗り込んでからも彼は何故か暗い顔をしていて、やっぱり、どこかに怒りのような感情が覗いていた。それを見て、さっきのわたしの焦りは無駄なことだったのだと確信したくらいだ。
 理由がわからない以上、とりあえず今だけでも静かにしておこうか。そう思ったとき、向かいの席でうつむく彼が、そのままぽつりと呟いた言葉を聞いて、驚かずにはいられなかった。

すぎうちたえ子に、会ったんだ。どういうことだよ、お前。大学生に拉致されて軟禁されて、その上今は行方不明って……ちょっと、理解が追っつかないんだけど」


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