コメディ・ライト小説(新)
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- の甼
- 日時: 2019/05/28 00:20
- 名前: Garnet (ID: zbxAunUZ)
題名は『 の甼』です。
『の甼』ではありません。
※次回更新分は、最新レスに加筆、という形で掲載する予定です!
Contents >>
【Citizen】(おもな登場人物 隣のかっこ内は誕生日)
●氷渡 流星 (12/23)
●上総 ほたる (5/4)
●佐久間 佑樹
●柳津 幸枝
>>23(本編未読の方は閲覧非推奨)
●志賀 未來
●小樽 あずみ
●杉ノ内 たえ子
●池本 穣
●柳津 睦実
>>
○ひよこ
○てるてる522
○亜咲 りん
○河童
○上瀬冬菜
(敬称略)
2018年夏 小説大会 コメディ・ライト小説部門 銅賞
ありがとうございます。
これからも少しずつ、大切にこの作品を書いていけるよう、精進を重ねてまいります。
彼らがうまれた日◎2016年5月4日
執筆開始◎2016年5月7日
イメージソング
『Crier Girl&Crier Boy ~ice cold sky~』 GARNET CROW
*
──────強く、なりたい
- Re: の甼 ( No.18 )
- 日時: 2016/08/17 00:19
- 名前: Garnet (ID: RnkmdEze)
やっと、その木の下にたどり着くと、さっきオニになった隆一へその辺の"葉っぱ"をかき集めて浴びせていた子とその友人が3人、素早く振り向いた。みんな9歳の同級生だ。
3人はしゃがみこんでいるため、幸枝との視線がよく交じりあって、彼らの表情にすぐ安堵が戻ってきた。
「もう、びっくりしたあ、さっちゃんか! 隆一かと思ったじゃん!」
そのなかで、色の黒い、目付きがきりりとした子が笑い掛けてきた。
名前は池本善明(いけもと よしあき)。畑を挟んで、幸枝の叔母の家のお隣に住んでいる一人息子だ。
「ごめんなさいっ。隠れ場所が決まらなくて」
「それならここで、一緒に隠れようよ。今さっき隆一が皆を捜し始めたし」
「えっ!」
「次はさっちゃんがオニになるかもね〜?」
にやり、白い歯をちらつかせ、柔らかい頬をつつくと、幸枝は笑いながら叫び、走り回った。
「きゃー!」
彼は、いとこきょうだいに次いで幸枝の扱いに慣れている。
冗談だよ、と言いながら、小さな頭をおさえるように撫でてやるその瞳は、もうひとりの家族のような、優しいものだった。
もしかしたら、本当は、彼女のような妹が欲しかったのかもしれない。
「おいおい、さっきの幸枝ちゃんの声でバレたりしないよな?」
少しふくよかな子、村澤裕人(むらさわ ひろと)が、善明の後ろでもうひとりの男の子と向き合って地面に座り込み、その細い目を向けておどおどしながら訊ねる。
「それはないよ。隆一、校舎のほうに走ってったから」
「よかった……」
彼は普段からそういうところがあった。お陰で、仲間からは小心者だの意気地無しだのと言われているのだが、善明は決して彼らのように軽いきもちでそう言うことはない。
そうして居心地の良さを感じたのか、このメンバーで落ち着いたようだ。
「さっちゃん、近くに綾子さんもいるんだよね? だったら、善明がいるぞって、連れてきなよ」
「うん! じゃあ、あや姉のとこに行ってく────……あれ? カエルさん?」
幸枝が身を翻そうと踏み出すと、善明の陰で、小さな生き物が目に飛び込んできた。
よく見てみると、さっきから無口な子が両手の中に優しく包むように、小さなカエルを抱き上げている。
彼、横井大和(よこい やまと)は、この辺では一番川の下流に住んでいる、歳の離れたふたり兄弟の、弟だ。
「ああ、3人でここで喋ってたら、足元にいてさ。手に乗せてみたんだけど、動かなくって」
「さっきまでは息をしてたんだけど、もう……」
細目の子も、いつにも増して悲しそうな表情になる。
「ちょっと、わたしに貸して」
幸枝が手を差し出すと、大和は、目が隠れてしまいそうなほどの長い前髪を微かに揺らして頷き、カエルを、彼女の手のひらに移してやった。こう言っては何だが、彼はこう見えて、人に分け隔てなく接することができる、心の優しい子なのだ。
……幸枝はカエルをじっと見詰め始めた。その小さな身体は、まったく、動く気配が感じられない。
そんなころ、やっとと言うべきか綾子が別世界から帰還し、彼女を見つけて駆け寄ってきた。その目を綺麗な三角形に尖らせて。
「さっちゃん! もう、わたしを置いていかないでよ」
拗ね気味に手を腰に当てて言う。
しかし、幸枝はその声に反応を見せず、手の中にある何かを弄っていた。
理由なく人を無視するような性格ではないと解っている綾子は、恐る恐る彼女の目線に合うよう腰を下ろし、後ろから手元を覗きこんだが、その中身に失神しそうにさえなってしまう。仰向けに伸びたカエルを枯れ葉で撫でていたのだ。
思わず消え入るような短い悲鳴が上がった。
しかし、山村の娘がカエル嫌いだなんて情けない。しかもこの中ではいちばんのお姉さんなのだし、腰を抜かしてはいけない、いけない。精一杯の平静を装い、もう一度その白い腹を拝もうと身を乗り出すと、もうそいつは此方に背を向け顎を膨らませて、本来の姿に戻っているではないか。
そう思ったと同時に、その脚がゴムのように伸び、枯れ葉の海の中へ姿を消してしまった。
……小さな生命を救うことができた。それは喜ばしいことの筈なのだが。
「ふぇえ…………?」
この場に残ったのは、気まずい沈黙と、冷たい空気と、呆気にとられた綾子の声だけ。
そして、大和でさえ、幸枝に、バケモノでも見るような目を向けている。
「う、うそでしょう、幸枝ちゃん」
「え?」
そしてタイミングが良いのか悪いのか、丁度そこへ、かくれんぼのオニの隆一がやって来た。
がさり、と音を立てる枯れ葉たちに、彼らは青ざめた顔で、飛び付くように振り向いた。
「もう、やっとみつけた!」
彼は最初の様子からは想像できないほど嬉しそうに笑みをこぼしていたが、その異様な空気に気づき、みるみるうちに表情を暗くしていく。
力ない蝉の声が夕空に染み入るように消え失せ、強い北風が林を吹き抜けた。
一体、何があったというんだ。
幸枝は、彼に何かを訴えるように瞳を震わせている。
「りゅ、隆一。さっちゃんが、カエルを、死んだカエルを生き返らせちゃった」
この村の"ある種族"によく顕れる特徴だという、緑色をした、大きな瞳を。
- Re: の甼 ( No.19 )
- 日時: 2016/08/26 05:22
- 名前: Garnet (ID: iB2I6YCg)
「カエルさんは、やって来る冬に備えて、夏が終わればもう卵を産む。そうすると、今ぐらいには元気がなくなっちゃって、上手く歩けなくなることもあるんだって。それで、転んで頭を打つと、気絶しちゃったりするんだって。田んぼのおじちゃんが言ってたの」
茜色に濁る空の下、虫たちの歌で掻き消されてしまいそうな、幸枝の話し声が聞こえてくる。彼女の手を優しく握り歩いてゆく綾子は、そっかそっか、と相槌を打ちながらも、ずっと笑顔を見せることはなかった。
幼いながらにも、自分のしたことには気がついていた。例えそれが誤ってとられたことだとしても、すぐに弁解しなかった自分も悪い。……かくれんぼが終わって、そろそろ帰ろうかと皆が言い始めた頃から、綾子の表情を見て感じ取っていた。
「あや姉、やっぱりわたしが悪いんだよね」
歩みが止まる。
辺りを見回すと、この間の大雨で崩れた山が、いくつもの畑の上になだれ込んでいた。あの近くにある家に住んでいた村人は、あれ以来、兄弟の家に逃げ込んで帰ってこない。
この頃、鹿なんかがその土を掘り返して、まだ未熟な野菜を食い散らかしたりしていく。そこを狙って猟師が撃ったりもする。今、村に渦巻く想いは、ひとつひとつ晴らしてやれるほど単純なものでもないのだ。大人の事情というやつで、仕方のないことなのかもしれない。また今も銃声が轟き、遠くから鶏の泣き声が掠れて聞こえてきた。
きっと、今日のことも悪い形になって表れる。
「さっちゃん、大丈夫だからね」
背の高い綾子が崩れるように膝をつき、ぎゅう、と幸枝を抱き締めた。
震えが心の奥まで入り込んできた。
「幸枝のことは、わたしが守るからね」
このひとの瞳の色は、わたしとは違う。
「無理、しないで」
*
2日後、あの話はヒレだらけの汚い魚になって、叔母の家族にも回ってきた。少しずつ食い違う恐怖と先入観は、人々の都合よく梳られ、村に蔓延したのだ。
善明と大和の母親、裕人の友人が流出源らしい。
「もう秋になるんだね」
静まり返る夕飯の食卓で、綾子が呟いた。
耳を澄まさなくとも聞こえてくる虫の鳴き声と、冷たい夜風。台風の合間の静けさが、未来を暗示しているよう。
幸枝が悪いわけでないことは皆よく解っているけれど、気づいたときには取り返しのつかない状態になっていて。さらに、幸か不幸か、この世代での碧眼持ちは彼女ひとりだけ。村の人たちが気味悪がるのも無理はない。
「ちょっと……母さん、幸枝のお母さんに話をしてくる」
空になった食器を机の上に揃え、叔母は思い立ったように突然立ち上がると、静かに外へ出ていった。
「どうするんだろ」
「幸枝のお母さんのことだから、きっと、もう知ってるよね」
その一言で思い出す。
自分は、忙しい両親に代わって、この人たちに面倒を見てもらっているんだと。自分は、この人たちに迷惑を掛けているんだと。
こんなに良くしてくれた人たちを、もうこれ以上困らせたくない。けれども、幼さが道を塞いで、それ以上の答えにたどり着けずにいる。
「ねえみんな、今日のお祈りをしよう」
だからわたしは、今やるべきことを、わかることをやるしかなかった。
縁側に皆で並んで、自らの指を絡み合わせ、目を閉じる。何処までも深い星空に、願いが届きますように。
神様に語りかけた言葉が一人ひとり違ったとしても、きっと、芯にある想いはひとつのはずだから。
後悔はない。
事の元凶であるわたしが二ヶ月ほどの時間を無駄にしてしまったことは、両親にも叔母にもいとこにも、勿論村の人たちにも謝った。これが、わたしたちで導きだした最善の解決策だ。
偶然か否か、村が荒れ始めたのは丁度わたしが産まれてからで、そのわたしは本来ならば周囲から浮いてしまう存在だった。そう、善明たちも陰口に交えるほど、災いと重なりあう人間だったのだ。それなのに、村の皆はこれまで家族同然に接してくれていた。だからこうするべきだと思った。ひとりで出ていこうって。
けれど、あや姉が「さっちゃんを独りにさせたくない」と言い出したのをきっかけに、一族みんなが、自分も出ていく、と次々に手を挙げた。涙が、止まらなかった。
そして…………とうとう冬が、目の前で此方に向かって重い足を引きずり始めた頃、わたしたち一族がこの村を出ていくことに、正式に決まった。本家も分家も問わない。
行き先は、この川を下った先にあるという、ここよりも大きな町。村長がそこの町長と昔にコンタクトがあったそうだ。更に村長は後始末までしてくれた。
大人たちが何度も頭を下げ合うその光景が、なんだか異様に見えたのを覚えている。
しかし、村を出ていく2日前、父が村民たちに、ある約束を取り付けた。
「私達はここを出ていきますし、向こうでは普通の人間として生きていきます。死ぬまで明陽に戻るつもりはございません。ですが、次の世代の者たちには、この場所で生きていてほしいんです。どうかそのときには、温かく迎え入れてやってください。────彼らに、罪はありませんから」
- Re: の甼 ( No.20 )
- 日時: 2016/09/06 09:29
- 名前: Garnet (ID: GlabL33E)
「どう、言えばいいんだろう」
お茶のお代わりを戴いて、乾いた口の中を温めた。
文字に変換していたら原稿用紙が何枚あっても足りないだろう、というほどの思いを抱えながら未来に賭けたんだろうと思うと、言葉がごっそりと削がれていくような悲しみしか襲ってこない。
「そういう話って、初めて聞きました……何というか、今まで聞いてきた戦時中や戦後の、どの話とも違って……。遠い世界の、白昼夢、みたいな…………ごめんなさい、上手く言えません」
僕は人と話すとき、考えや思いを、先に頭の中で文章に組み立ててから声に変換するタイプだ。それが、ほたるさん達と出会ってからは嘘のように上手くいかない。今もそう。曖昧な感情の欠片を声にばらまいてから繋ぎ合わせるような、そんな不安定な話し方になってしまう。
見えない柵で囲われ仕切られた、小さな世界に生きてきた僕は、それこそ大海を知らずに育っていた。こんなギャップにも、一々対応しきれなくなっている。
でも。今の場所も、少し高いところから眺めてみたら、ただの水溜まりなのかもしれない。
人間がちいさいのか、それとも、世界がおおきいのか。
「謝る必要はないさ。ぼっちゃんなりにちゃんと聴いてくれたんだから、寧ろこっちが礼を言うべきだ」
「そうだよ、流星くん」
僕に向けてくれた笑顔が、一瞬だけそっくりに見えた。
本当に、強いなあと、思う。
「僕は弱い人間ですから……。何も、できませんから……。今でも、話を聴く位しかできないんです。そのせいで、大事な友達を失うことにまで、なってしまって」
机の表面の、流れるような模様をスクリーンに、目を細めて記憶のフォーカスを探し当てる。
明陽町から望む朝日は、とても美しいものだった。あとになってそれに気が付いた。あの人はそれをすぐに知りたいんだと言って、辛いのを心の奥に押し込んでまで山に登った。
「流星くんは、何も悪くないと思うよ」
自身への嘲笑が溜め息とともに漏れ出たと同時に、ほたるさんの声が聞こえてきた。
「少しだけ怖がりで、少しだけ冷たい場所があって、少しだけ、考えすぎちゃうだけなの。それは流星くんの持って生まれたものなだけであって、良いところでもあると思うの」
真剣に、まるで昔から僕を知っているみたいに言うものだから、吸い付かれるように心が彼女を見つめていた。でも彼女は、膝の上で握りしめた拳を見つめて、らしくなく、早口ではっきりしない言葉を走らせている。
「ほたるさん?」
「わたしは……、わたしは…………そう、思うの……」
垂れた髪に隠れて、表情はわからない。
でも、この光景には見覚えがあるような。出会ってから2日3日というわけでもないから、ただの思い込みかもしれないんだけれど。
「もう、いいよ。大丈夫」
伸ばした手が、小さな肩に触れたとき、ほんの少し震えたような気がした。
過去のことは、もうどうにもならない。まだ顔を上げてくれないほたるさんには申し訳ないけれど、柳津さんから一族の話の続きを聞くことにする。
「柳津さん、"彼ら"はその後、無事に月美で暮らせるようになったんですよね?」
「……勿論、苦労は絶えなかったがな。暮らし向きが安定するまでも、そして、してからも」
歩いて、船に乗って、また歩いて、歩いて、わたしたちは月美町にたどり着いた。話に聞いていた様子とは全く異なる、大きな場所に。最初は、川より南側の地区から月美に入ったのだけど、役所から町長さんに案内され付いていくと、橋を渡るんだと言われた。川の北側の地区に向かうみたいだ。
皆、自然と無口になりながら、橋の上を歩く。わたしは、先頭である両親の後ろであや姉と手を繋ぎながら町長につづく。
「大きいね、この川」
ふと上流のほうに目がいって、足が止まる。誰に言ったわけでもなかったのに、わたしのひとことで、行列が音もなく静止した。
水の奥にたくさんの宝石が沈んでいるみたいに、広くゆったりと蛇行する流れはキラキラと輝いていた。眩しいけれど、ずっと見ていたいと思うほど。
町の中はとても賑やかなのに、ここはとても静かだ。風の声以外は何も聞こえなくて。今わたしは、夢でも見ているんじゃないかと思い始めた頃、あや姉がわたしの手を握ったまましゃがんで、同じ目線で川面を見据えた。
手袋ごしにも温もりが伝わるこのときが、幸せだったことを覚えている。
「さっちゃん、この川はね、明陽で流れていたのと同じ川なんだよ」
「そうなの?」
「うん。繋がっているの。ここに来るまでの間も、近くでわたし達と一緒に走ってたのよ」
「そっかあ、川が大人になったから、皆も優しくなったんだね!」
「え……? ふふふっ……そうだね!」
あや姉がわたしの頭を撫でる。お母さんが微笑む。お父さんと町長さんも笑顔になる。他のみんなにも、次第に明るさが戻ってきた。わたしには皆が笑っていた意味はわからなかったけど、元気になってくれたのならそれで十分だから、一緒になって笑った。
「さ、行こうか」
あや姉が、肩をとんと叩いて、立ち上がった。わたしも頷いて、再びお母さんたちに付いていくことにした。またね、川さん。
……旅の間、彼女の目付きが引き締まっていくのを実感していた。明陽村にいたときより、心が強く、しなやかになったんだ。
迷いのない瞳は美しく川の光を受けて、前を向いていた。
わたしもあや姉みたいになりたいな。
「藤波さん」
それにしても、これから向かう町の北側はどんな風になっているんだろう。と胸を躍らせていたら、先頭の町長さんが、本家の苗字を口にして、両親に向かい合った。
彼らが急に歩くのをやめてしまったので、あや姉はお父さんの背中に激突しかけながら止まった。わたしと手を繋いでいたお陰で、人間ドミノにはならなかったみたいだ。
「これから、何を見ても、聞いても、驚かないでください。我々も最善を尽くしたつもりでございます。……これ以上は、町が安定しません……」
お母さんがその言葉に、不安の滲む表情でお父さんの横顔を見やった。
サブリーダーをしていた頃、表の仕事をしていたのはお父さんだ。それぞれの家庭を廻ったり、集会や行事の司会をしたりと、そういうことがあまり得意でないお母さんに代わって、いつも前に立っていた。
逆に、緻密な作業や重要書類の管理、近隣の首長との会談などを、お母さんは要領よく丁寧にこなすことができる人だ。今回のことも、村長にはサポートをしてもらったが、自分たちでできることは自分たちでやりたいからと、お母さんが中心に、月美町長たちと話し合いを重ねてきたのだ。明陽村長には、わたしたちがいなくなってからのことの処理だけを、任せてある。
だってわたし達は、これから一生、帰ることができないのだから。
「明陽村長とは昔のよしみですから、私としては、あなた方を喜んで受け入れたいと、準備を進めてきました。しかし……此方もこちらで、守るべき人たちがいる」
町長はそう言うと、白髪も薄くなっている頭を掻いて、列から外れた。そしてそのまま、ゆっくりと歩いていったので、戸惑いながらも橋を渡りきることにした。
無償の恩恵を受けるとなれば、その分、犠牲になるものは多いだろう。子どもら以外の皆が覚悟できていることだ。それでも、わたしたちの道のりには、山谷どころか沼や化け物が出る。
もう、なるようにしかならない。
父は乾いた唇で、色の無い声を発した。
「これは、何だよ」
彼らの後ろ姿を見上げているわたしは、これから起こることがどんなに惨いことなのか、理解するのに大変な時間を要してしまうのだけど。これがわたしの犯したもうひとつの過ちだったのかもしれない。
……低い土手から見渡す先には、人の影も形も見当たらぬ、生活感の無い北地区の景色が広がっていた。
田も畑も、民家も、魂が抜けてしまったかのように寂れていた。
「お前、このこと知っていたのか? 黙ってたのか?」
父の問いかけに、母は応えなかった。誰の口からもため息すらこぼれないのが、よくよく考えたら不気味だったと、綾子はのちに語っている。
近いうちに始まる河道整正の大規模な工事のために、北側の町民は、南側に移住したんだそうだ。
- Re: の甼 ( No.21 )
- 日時: 2016/09/22 17:43
- 名前: Garnet (ID: UQpTapvN)
月美町は、この長い歴史の目で見ると、比較的、水害に見舞われることの多い地域に位置している。特に、河道整正が行われる前の町の北側はカーブの外側にあったため、内側の南地区より、被害が大きくなりやすいものだった。
しかしそれは、人々が忘れた頃にやってくるもので、100年以上間が空いたりすれば、最悪の場合、記録が残らないこともあるらしい。だからどうしても記憶が侵食されてしまう。そんななかでも、鎌倉時代の大洪水は何故か資料が保管されていたようで、ここに引っ越してきて1年しか経たない僕でも知っているほど有名だ。
もともとこの地方の土壌はあまりよろしいものではなく、作物によっては、遠くから土をいただいたり、念入りに枯れ葉などを鋤き込んだりして農業を続けてきた。全ては生きるために。そして、前述したとおり、温厚な川に甘えていた部分もあったのだ。土と石で、正しく、護る知識さえあったかどうか怪しいのに、そんなことをしていたらどうなるか。言うまでもない。
それから時が流れていき、少しずつ、土手も強くはなっていったものの、ご機嫌が優れないことは何度もあった。柳津さんたちの時代だと、その年の一年前に台風で町が冠水したのが、最後だ。
また何時川が暴れるかもわからない、そんな危険な場所に柳津さんたちを住まわせたということは、彼らの生命が軽く見られることになってしまった、といっても過言では無いのだ。
……もう部屋の時計は、世間的にはおやつの時間だということを指し示していた。そして、来客用のものであろうお洒落な和菓子が僕の目の前にもそっと置かれている。そんなにお腹は空いてないし、くれるとしても、スーパーとかで売っている煎餅で構わなかったのに。
ほたるさんは食べるのかなと思って、ちらりと隣を見やると、嬉しそうに僕のと同じ和菓子を口にしているところだった。
さっきから二人の様子を見ていて、少しだけ気になっているんだけど、もしかして、ほたるさんは前から柳津さんと一緒に住んでいたわけじゃないのだろうか。どちらかといえば、久しぶりに会ったという感じがする。
でも、そうなると彼女は一人暮らしをしていたということになるし、義務教育も終えていない状態でそんな環境に置かれて、仮に不登校なのだとすれば、中学の先生や、家の近所の人もかなり気に掛けている筈。それなのに、未だに家族である柳津さんのところへ連絡が来ない(多分)のは不自然だ。でも、不思議な力を持っていたり、いつも綺麗な格好をしているところから、幽霊なんだと考えたこともあるし……って、じゃあ何であの日、血を流していた?今日、触れることが出来た?
考えれば考えるほど頭がこんがらがってくる。
本当に、何者なんだろう。
「あの、柳津さん」
「何だい?」
「それから川が整備されるまで、水害は起こりませんでしたか?」
何度も何度も、同じところをぐるぐる回る。今度こそ、話が終わるまでほたるさんのことを考えるのは止めよう。
今は柳津さんの話を聞く。今この瞬間、知るべきことは、そっちだから。
「幸い、あっし達の命が脅かされるようなことは起きんかったわい」
ただ、問題はそれからだ。
幼い頃の緑が埋もれて消えた、どこか暗くも見える目を細めて、彼女は続ける。
「バレたんさ。月美の者達に、あたしらが村を追い出された訳がな」
出所はわからない。
その噂はまるで、明陽村の歯車にズレが生じたあのときのように、あっという間に広まった。やはりそれは都合よくねじ曲げられて、彼らの悪意の矛先は、柳津さんに向けられるようになった。瞳の色がほかの人より鮮やかなだけで、まだ少女だった柳津さんを、彼女を守る家族を、ずるいやり方で傷つけるようになった。
いつの時代にも、嫌がらせやいじめは絶えないんだなと思う。しかもその根は単純な構造なのに腐っていて、ちょっとやそっとの力では葬ることができない。
ああ、今わかった。柳津さんが、この町の人から嫌われ続けている理由。うっすらと、彼女に陰がかかり続けている理由。佑樹が言っていた彼女の悪口のことも、思い出してしまった。
───でもな、この子が笑顔で過ごしていけるんなら、あたしゃ悪者にでも何でもなっちゃるわ
後世の笑顔を、明陽村を守るために、考えて考えて、悩んで、この道を選んだんだろう。
「大人になるまでは、どんなことをされようと、何も言わずにひたすら耐えたさ。そうしていたら、そんな私の傍に居たいと、言うてくれる人が現れた。あっしは藤波家を出て、町内に住む彼と結婚し、ふたりの子どもをもうけた。……そのうちの一人が、この子の母親だよ」
ほたるさんの、お母さん。
どんな人なんだろう。会えるのなら、一度でもいいから会ってみたい。きっと、ふたりのように心が美しくて、凛とした女性なのだろう。
「そして、今まで黙っていた分、彼らが一人立ちするまでは周りに愛嬌を振りまき続けた…………この子達に罪は無いんだぞと、固く植え付けるつもりで。その後のことは、知っての通りさ。まあ、それが予想以上に効いてしもうて、今じゃ森に潜む虎を見るように言われてしまっているがな。ハッハッハ」
「あの、旦那さんにはそのこと、反対されなかったんですか?」
「そんなことは止めさせられるだろうと踏んで、相談なんてせんかったわ。そんで、最初のうちは何事かと思われて、病院に連れていかれそうにもなったけどねえ」
「うわぁ」
彼女にしては珍しく恥ずかしそうに頭を掻きながら「今の図太い自分とは、正反対な性格の人だったから」と言って、半分ごまかすように、またお菓子を勧められてしまった。図太くなんてないのに。
それに、僕が幸枝さんの旦那さんに似ているから余計気が引けてくるらしい。それを聞いたほたるさんは、そんなことないと笑って流したのだけど、暫く、お菓子を食べる僕のしょうもない顔から目を離してくれなくて、頬に穴でも空くんじゃないかと少しだけ心配だった。
「あのじいさんも、この子が7歳のときの冬、雪に溶けるように逝ってしもうて。そん頃からずっとひとりだ。あぁ、懐かしいねえ」
やっぱり、亡くなっていたんだ。……他人に対して恋愛感情を抱いたことなんてたぶん無いから、幸枝さんの表情が何故こんなにも優しいのか、温かいのかは、今の僕には難しい問題だ。
「親戚も少なくなってきて、藤波家の人間を忌む人も随分減ってきて……。お祖母ちゃん、何十年振りに、肩の荷が溶けてきたんじゃないかなって、思ってる。それが本当の安らぎなのかは、わからないけど」
幸枝さんは見事に、大切な人を守ることに成功したといえる。現に明陽から月見に来た僕は、この1年いじめにあうこともなかった。彼女の話を聞くまで、そんな歴史があったと塵ほども気が付かなかった。
でもそれって、少し捻曲がってはいないだろうか。
時の流れに風化されることを望み、それが叶いかけている今、未来に生まれた不安は、形はどうであれ、同じ過ちが繰り返されることだ。
この町の強い絆だって、もとは藤波の人間を、それとなく町民全員で監視していたところから生まれたものなのだろうと言うし。子供たちが悪口で仲良くなったみたいな偽物の繋がりが、時の流れであたかも本物のように固まったんだ。
もしこの記憶が僕らから蒸発してしまったら、月美と明陽に限らず、日本や、世界のどこかでも、誰かに悲しい思いをさせてしまう。そんなことは起こってほしくない。
そんなことを考えながらお菓子の包み紙を丁寧に畳んでいたら、ほたるさんが急に立ち上がり、僕の手をとって幸枝さんに言った。
「ねえ、お祖父ちゃんにお線香、あげてきてもいい?」
- Re: の甼 ( No.22 )
- 日時: 2019/07/31 10:02
- 名前: Garnet (ID: rLG6AwA2)
僕には、親戚の記憶というものが無い。母方の祖父も祖母も、僕が生まれる前に亡くなったと聞いているし、以前から、おじやおばはいないのかと訊いても誤魔化されることが多かったので、もう自分から訊かなくなった。だから、あの人との結婚を反対されて喧嘩にでもなり、距離をとっているんじゃないだろうかと、勝手な憶測を立てている。
もともとお母さんは東海の人で、そっちで仕事をしていたときに父と出会い、僕が生まれてから明陽村へ住みかを移した。未熟児だったことも関係しているのか、僕はすぐに体調を崩す子どもで、空気の綺麗なところで育ててあげたいからとお母さんが言ったことから、あそこを選んだらしい。
「ここなの、仏間」
冷たい床の廊下をたどり、客間から少し離れたところにある部屋の前に立って、ほたるさんが音も立てずに障子をどかす。慣れた様子の影を追って、僕も仏間へお邪魔した。
廊下よりも更に暗くて寒い気がするけど、濁る息は見えない。青い畳の匂いが、余計に僕の体温をうばっていく。
コート、着てくれば良かったかな。
「正直、7歳のわたしは、お祖父ちゃんが苦手だった」
マッチを擦って、火が点る。蝋燭がじゅわりととろける匂いに、不思議と安心感があった。
「何でも見透かされてしまうような気がするの。優しさは、怖い顔の裏返しなんじゃないかと思ってた」
「じゃあ、あんまり喋ったりは、しなかったの?」
「うん……恥ずかしい話だけどね」
彼女のこういう横顔、表情にも、言いようのない既視感がある。軽く唇を噛んで目を細める、こういう微笑み方。
「もっと、一緒に話してあげればよかった。ひどいことしてごめんね」
お墓参りも、お仏壇に手を合わせることも、小説やテレビの中でしか見たことがないから、ただほたるさんに倣って動くしかなくて。それがとても申し訳なく思えて、お線香は2本、香炉に立たせてもらった。
ふたりであげた線香からは、蒼白い煙が静かに立ち上っていくだけ。
蝋燭消しを炎の上に被せ後始末をする彼女の隣でりんを鳴らし、人生で初めて仏様に手を合わせた。
「わたしが今、明陽に行きたいのは、ただ人捜しをするためだけじゃない。流星くんなら解ってくれる?」
目を閉じ、祈りながら聴く声は、心の中にまっすぐ落ちてくる。さっき河原で感じていた一体感に、また包み込まれていくような気がした。
ほたるさんに出逢ったこと。佑樹に出逢ったこと。幸枝さんに出逢ったこと。すべては、僕らだけの宿命であり、運命でもある。他のものには代えられない。
「うん」
彼女の言葉に頷いたとき、僕は彼女のすべてを……僕が知る限りのすべてのことを……、やっと思い出すことができた。
そうして目覚めた僕らは、神様に糸で引っ張られたみたいに同時に立ち上がった。
◇
「ぼっちゃん、長い話を聴いてもらったのに悪いんだが、今日はそろそろ家に帰ったほうがいいんでねーかい? 今から"あっち"に行くには、いくらなんでも無理がありすぎる」
お手洗いから戻ってくると、幸枝さんが壁時計を見やりながら、強い訛りを混じらせて言ってきた。
何だかんだでもう17時近くだ。長くて短い午後だった。
「そうですね……」
疲れてしまったのか、ほたるさんは幸枝さんの着ていた半纏を肩に掛けられ、座布団を寄せ集めた上で猫みたいに丸まって、眠っている。そのかたちに重なるようにお母さんの横たわる姿が見え、後ろめたさが重い塊になって、後頭部を容赦なく殴ってきた。
現実逃避だとは解っているけれど、そんなことをされたら家に帰りたくなくなってしまう。
……だからといってふたりに迷惑を掛けるわけにはいくまい。ありがとうございました、と小声でお礼を伝え、ハンガーに掛けさせていただいていたコートやマフラーを、順に身に付けていく。ポケットの中で携帯の着信ランプが何度も光っていて、軽くめまいがした。遠くで鳴り始めたチャイムに頭痛まで引っ張り出されそうだ。
「流星」
「あっハイ」
そんなときに名前を呼ばれたので、つい顔を歪めてしまう。勘弁してほしい。
「やっぱり今日は泊まってきな。何かあったんだろ」
そこで更に追い打ちを掛けられた。吃驚しすぎてマフラーで首を締め上げそうになったじゃないか。何でこう、変なところまでお見通しなんだ。
勿論慌てて否定するけど、それさえも無駄な気がしてくる自分が情けない。
「……じゃあ、お言葉に甘えさせていただきます」
「よろしい。今晩は頭を冷やしなさいな」
もう全て諦めて、首を縦に振ることにした。無意識に頭も下がる。眠る彼女をまたひとりにさせてしまうのも忍びないし、孫と仲良くしてくれているせめてものお礼だなんて、あんなに嬉しそうな言われたら。それに、忘れていたけど明日は11月23日、祝日だ。これはもう、頷くしかない。
幸枝さんは微笑みながら、軽い足取りで部屋を出ていった。たぶん僕の家に電話しにいったんだろう。お母さんのことだから、きっと空っぽになった頭であっさり承諾してしまい、朝になってから慌てて何か買って持ってくると思う。
電池が切れたらちょっと困るので、携帯電話のロック画面で暗証番号をぱちぱちと叩いて、佑樹のメッセージだけに適当な返事をしてから電源を切った。
彼には事が済むまで何も知らせない。それが正解であることを願う。
いつの間にか背中が汗ばんでいたことにひとりで笑いながら、コートをもう一度ハンガーにかけ直した。
「流星くん、ありがとう」
「え?」
ほたるさんの隣に座って幸枝さんが戻ってくるのを待っていよう、と歩き出したら、寝ていると思っていた目の前の彼女の声が、突然聞こえてきた。端から見たら頭がおかしいと思われそうなにやけ顔だっただけに、とても心臓に悪い。
ほたるさんは丸くなったまま、目蓋だけを開いて、鼻まで半纏を株っていた。無抵抗に垂れた前髪の隙間で、青い瞳がぼんやりと光っている。
眠ってなどいなかったのか、本当に目覚めたばかりなのかはわからないけど、その瞳はいつもより、弱々しいものだった。ただ目線が外れているからそう見えるだけなのかもしれない。
「色んなこと、ありがとう」
「気にしないでよ。全部僕が、好きでやってることだから」
近くに腰を下ろし、できるだけ声を鎮めて答える。
沈黙に言葉が吸い込まれていって、やらかしちゃったかなと、またダメージをくらいそうになっていたら、しばらくして彼女が僕の方に目を向け、笑いかけてくれた。
「流星くんの優しさも本物だ」
「はい?」
また意味不明なことを。ここまでくると、女心を読み取れる能力が欲しくなる。佑樹なら持ってるんだろうか、妹さんいるし。
「んーん、何でもない。あのさ……」
「なに?」
「…………わたしのこと、呼び捨てで呼んでくれていいんだよ。今までいちいち、さん付けさせちゃってたね」
「あ……そうだったっけ?でも"ほたるさん"で慣れちゃったからなあ」
それならちゃん付けはどうだろう。頭の中でシミュレーションして、そんな案は即却下された。僕がほたるちゃん、なんて呼んだら犯罪臭がしそうで笑えない。
ほたるさんはほたるさんと呼んでこそほたるさんなのである。…………意味不明じゃないか。
「そっか。なら、そのままのほうが良い」
ここは決断するべきなのか迷っていたら、また目を逸らされてしまった。普通に失敗したかもしれない。
「いつか呼べるようになったら、そうするから……ごめん」
「ううん、大丈夫だよ。無理はしないで」
眠気が誘ってきたらしい。睫毛がそっと、濃い影を落としていく。目元だけしか見えないけど、優しい、やすらかな寝顔だなと思う。
自分の座布団の上に移動して、冷めたお茶を一気に飲み干しながら不意に、時計を見ると、もうあのチャイムから20分は経っていた。この家は、時間の流れ方が独特だ。
「ほたるさん、君を呼び捨てられないのには、もうひとつ、別のワケがあるんだ」
眠ってしまったんだから、届くはずがないのに。
ぽろり、囁くように問いかけていた。
「その名前、偽物なんだよね」
直後、廊下から呼んでくる声がやけに大きく聞こえて、僕は逃げ出すみたいに部屋を飛び出した。
─────そういえば、君は何度か、僕を呼び捨ててくれてたっけ。
第2章 『グリーンアイズ・ガール』 完