コメディ・ライト小説(新)

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  の甼
日時: 2019/05/28 00:20
名前: Garnet (ID: zbxAunUZ)

題名は『  の甼』です。
『の甼』ではありません。

※次回更新分は、最新レスに加筆、という形で掲載する予定です!


Contents >>


【Citizen】(おもな登場人物 隣のかっこ内は誕生日)

氷渡ひど 流星りゅうせい  (12/23)
上総かずさ ほたる (5/4)

佐久間さくま 佑樹ゆうき
柳津やなぎつ 幸枝さちえ
 >>23(本編未読の方は閲覧非推奨)

志賀しが 未來みらい
小樽おたる あずみ
すぎうち たえ
池本いけもと ゆずる
柳津やなぎつ 睦実むつみ
 >>


○ひよこ
○てるてる522
○亜咲 りん
○河童
○上瀬冬菜
(敬称略)


 2018年夏 小説大会 コメディ・ライト小説部門 銅賞
 ありがとうございます。
 これからも少しずつ、大切にこの作品を書いていけるよう、精進を重ねてまいります。

彼らがうまれた日◎2016年5月4日
執筆開始◎2016年5月7日

イメージソング
『Crier Girl&Crier Boy ~ice cold sky~』 GARNET CROW


*





 ──────強く、なりたい

Re:   の甼 ( No.8 )
日時: 2016/06/17 22:28
名前: Garnet (ID: Om7nks4C)




 



 ほたるさんが河原から消える前の休みの日だから、土曜日のことだっただろうか。
 今日は仕事が早く終わるからご飯はあたしが作るよ、と、お母さんから携帯にメールが来て、17時ジャストに玄関のドアが開いた。いつも僕に任せている分、余裕のある日はとことん手を掛けるんだと意気込む彼女の両手は、買い物袋でいっぱいだ。
 居間で、テレビと換気扇の音声をバックミュージックに文庫本の薄いページをめくる。この時間が、一番生きている実感を持てて好きだと、つい最近思うようになっていた。

「あら」

 主人公の鍵括弧を目にとらえたところで、ボウルの中味をかき回すお母さんが小さく声をあげる。ねちねちと立っていた音もいつのまにか止んでいた。
 しかし大概は、牛乳買い忘れたとかそういうどうでもいいことなので、ぼくも9割方は気にしないでいるのだけど。
 次のひとことで、僕は残りの1割に、割りと濃いめの記憶を留めることになる。

「あの町で事件が勃発してるって」

親指にページを挟んで、久し振りにテレビ番組へ目線が引っ張られた。
 映像にもテロップにも、驚くほど網膜が馴染んだ。
 そこに映っていたのは、前まで住んでいた町のことだったからだ。
 ニュースキャスターは、行方不明、殺人、ひき逃げ、などと縁起の悪い言葉ばかり並べてきて、本当にあの場所でそんなことがあったのだろうかと、この耳を疑いたくなるほどだった。
 良く言えば平和で静か、悪く言えば辺鄙。あの町は、10年前に隣の村と合併してからも、そんなイメージしか伝わってこないようなところだった。何せ山と川くらいしか無いのだ。夏には同じ顔ぶれの釣り人がやってくる程度だし、冬は酷いときだと吹雪くこともある。そんな場所に自ら出向こうだなんて考えるのは、林間学校の場所選びに失敗した小学校くらい。…………まあ、伝統工芸とかはあるっちゃあるが。
 そんなところに犯罪者が何の用だと、僕は珍しくテレビを見つめ続ける。
 何処からどうやって調べたかなんてわからないけど、片手の指で足りるくらいしか無いコンビニの防犯カメラの映像から犯人のひとりが割り出せたとのことで、人相の悪そうな20代前半くらいの男の画像をやたらでかく見せつけられた。
 その後素早く画面が切り替わって、視野を広めにあの辺りの地図を写し取ったパネルを、隣のキャスターが机の上に立てる。ポツポツと赤い点が隣町にまで広がって、一つ一つの点に、事件発生日時などが記された。そのなかでもいちばん気になったのは、以前僕たちが住んでいた地域に落とされた、少し大きめの点。
 小学生男児9歳と、──────続きを読もうとしたのだけど、玄関の呼び鈴が鳴ったので意識が外れてしまった。

「あっ、ごめん流星、宅配便だと思うから、受け取ってきてくれない?」
「ああ、うん」

 ニュースに気をとられていたせいで未だに手を挽き肉でべとつかせる彼女に代わり、モヤモヤしながらも玄関に向かったのだった。
 その後、見事に金色の肉汁が溢れるハンバーグを前にしても、気になっているあのニュースのことを訊けなかった。
 きっとお母さんは、僕があの場所を嫌ってると、思っているんだろう。








 今度は粒の大きな雨が降り始めた。
 雨筋がぼんやり、濁る街灯に浮かび上がっては地面に叩きつけられていく。

「ほたるさんっ、お願いだから待ってよ!」

 こんなときでも、僕の足は速くなってくれなかった。2分たらずでもう限界。息を切らしながら真新しいシミを追って歩いていったけど、強くなる一方の雨に、とうとうそれが見えなくなってしまった。
 手に持った透明なビニール袋がこすれて、雫がころころ逃げていく。今いる世界は現実なんだぞと、笑いながら囁かれているみたいだ。
 何処かで雨宿りをしようにも、ここは初めて来るちょっとした住宅街。夕飯時の家に見知らぬ人が上がり込むなんていうのは少々問題があるし、かといって公園とかが何処にあるかもわからない。どうしよう。
 軽く思考停止状態だ。
 ただ道に従って歩いていくうちに、自分が街の何処にいるのか判らなくなってきた。

「…………はあ」

 情けなさがそのまま溜め息になって出ていく。薄らと白い塊を作って、風に掻き消された。
 びしょ濡れのセーターからYシャツへ浸透して、生温い水分が身体のあちこちを伝っていく。本当に、寒い。
 一軒家の密集地を通り抜けた先に木が生えているのが見えたので、そっちの方へ早足で向かった。
 その繁った葉の下で休ませてもらうよ。そう、心で声を掛け、太い幹を囲うように埋め込まれた円状のベンチにそっと、腰を下ろし、た、

「え」

 ベンチに添えた右手が、何かで濡れる。決して良いものとは言えない感触。臭い。
 震えるその手を遠くの街灯にかざしてみて、嫌な予感は的中した。

「ほ、ほたるさん、いるの? 近くにいるの?! いるんなら返事をして、お願いだから!!」

 止まない雨の中に、飛び込む。
 きっとあの瞬間は、今までどんなに速く走ろうとした時よりも、絶対に倍以上脚が動かせていたと思う。…………本気を出しそうになったあの瞬間、門から出てきた、傘を差したお婆さんに、ぶつかっていなければ。
 どすんと鈍い音を本当にこの耳に感じた。文字にならずに発せられた、その人の驚く声も。
 暗闇で、彼女が尻餅をつくのが変な角度で見えたと思った途端、僕も容赦なく重力によって地面に引きずりこまれてしまった。何が、誰が、どうして何処からいつ僕はどうなってる?
 必要最低限の機能以外閉じていたこの頭では、まったく理解が出来なかった。雨の音が耳のすぐ近くにある。ばちばち、どおどお。

「あだだだっ……そこのあんた、大丈夫かね」

 今さっきぶつかった物……じゃなくて、人が、声を掛けてきた。
 歳を重ねていることが容易に想像できる、その声の色。おばあさんなんだろう。
 アスファルトに擦ったせいでじんと痛む手をつきながら「は、はい」身体を起こした。
 袋の中の3個のコロッケはもう、ご臨終だと思う。
 ……そして、何だかよくわからないまま、おばあさんの家のなかに入れてもらうことになってしまった。まさかこの豪邸が、話に聞いていた"あの"お屋敷だとも知らずに。

Re:   の甼 ( No.9 )
日時: 2016/06/21 23:19
名前: Garnet (ID: OLpT7hrD)

 びしょ濡れの制服を洗濯機にぶちこまれ、息子さんが昔着ていたという少し大きめの部屋着を借りた。丁度今夜のご飯がコロッケだったからと、ダメにしてしまったのまで作り直してくれるそうだ。何度も平気だと言ったのに。
 季節外れの豪雨が降り続くので、家に留守電を入れて、ここで雨宿りをさせて頂くことにした。
 広いお屋敷の中で、意外と歩くのが速いおばあさんの後ろに付いていく。
 彼女は前を向いたまま、僕に話しかけてきた。

「あんた、怪我はないかい」
「は、はい……。柳津やなぎつさんは大丈夫ですか?」
「あたしゃあピンピンしてるわ! こう見えて足腰強いんでね!」
「それは、良かったです」

 確かに動きで身体の丈夫さはよくわかる。
 はっはっは、と彼女……柳津さんは気持ちよく笑った。
 明るいんだけど、奥に品が秘められている。何というか、若さは年の功には勝てっこないなって思わせられるような笑いかた。

「それにしても、簡単にこの苗字が読めたねえ。よく迷われたり間違えられたりするんだわ」
「前に、学校に同じ読みの人がいたんです。だから勝手に"やなぎつ"って読んでしまって…………」

 大きな障子をがらがらと開け始めたので、ぼくも反対側の障子を押していった。

「そうかそうか。……いやあ、来客は久しぶりなもんで。あんまし綺麗じゃあないが、その辺に座っていてくれ。あったかいお茶を淹れてくるでな」
「は、はい!」

 部屋の真ん中の天井にぶら下がる、少し古い灯りの紐を何度か引っ張って、柳津さんは部屋を出ていった。
 さっきから気になっていたけど、随分特徴的な喋り方だなあ。
 摺り足の音がフェードアウトしていく。僕もお言葉に甘えて、いつのまにか置かれていた座布団の上へ膝を揃えた。正座は特に苦手じゃない。
 心地いい雨のノイズを聴きながら、艶々な机のキメを目で追ってみたり、よく解らないけど高価そうな掛け軸に首を傾げたりしていたら、時間はあっという間に過ぎていった。摺り足がフェードインしてきたので、反射的に姿勢を正す。

「寒いだろう、暖房と加湿器を付けような」
「すみません。ありがとうございます」

 シワの深い手には、空調のリモコンも握られていた。
 濃い湯気を立てるお茶がとてもありがたいんだけど、僕は猫舌だからすぐ飲めそうにない。
 良い歳してみっともないなと思いながら、控えめに息を吹きかけてすすった。やっぱあぢい。その様子を見られていたようで、斜め前に座る彼女に、わははっと笑われる。

「ところでぼっちゃん、こんなところで何をしていたんだね。それに、この街じゃあんまり見かけないような顔立ちだ」
「あ、えっと……」

 さっき外で、右手に付いた血を見られたときも、ぶつかったせいでどこか切ったんじゃないかと相当心配された。もちろん怪しまれない程度には誤魔化した。
 この人はきっと、色んな人の色んなとこを見ているんじゃないかと、思った。だから"彼ら"は嫌うんだ。なんでも見透かされているような気がして、良い気持ちにはならないんだろう。

「言いたくなければ、無理に言わなくても構わないさ。あたしにも、他人に語りたくないことは山ほどある」

 何となくだけど…………何となくだけど。柳津さんも、世の中に流れ出す理不尽の被害者なんじゃないかと思う。

「あ、あの」
「どうした?」

 すっかり、名乗るのを忘れていた。
 ほたるさんのときもそうだ。何だかんだでいつもそう。頭の中では必死に考えるのに、喉に声が引っ掛かる。足が震えてしまう。

「名前を言うのを忘れてしまっていたので……氷に渡る、流れ星のリュウセイで、氷渡流星といいます」
「………………ほう」
「………………はい」

 暫く沈黙が続いた。
 何なんだこの時間は。
 コミュニケーション力というものが僕には不足しているので、とっても困ってしまう。
 雨はどんどん強くなるし、家から電話が折り返される気配が微塵も感じられない。廊下に見える振り子時計は19時半を示しているから、その中身が狂っていなければ、お母さんは家に帰ってきていないんだろうけど。ていうか何で家のほうに留守電入れた?携帯に入れれば良かったのに?
 この静けさとは裏腹に、脳内では後悔の大合唱。折畳み傘も何処かで落としたみたいだしもうとことん付いていない。
 子どものように、何処か一点を凝視する……ように見えるだけで本当は目を細めているだけの柳津さんを見つめながら思う。

「茶柱」

 そんな彼女がいきなり、聞き慣れない単語を机の上に正座させる。あんまり久しぶりに聞いたから、それが物の名前なんだと認識できなかった。

「はい?」
「ぼっちゃんの湯呑の中、見てみぃ」
「ん?」

 透き通る緑色に自身の表情が映りこむ。そのはしっこに、細い茶っ葉の欠片みたいなものが浮かんでいた。ああ、茶柱ってこんなのだったっけ。

「ほんとだ、茶柱」
「きっと良いことが起きるぞ」
「だといいんですが」
「……悪いことでもあったみたいだね」
「残念ながら、最近、良いことがあまりありません」

 程好く熱の抜けてきたお茶を飲み込む。

「大切な人を、見捨ててしまった。傷つけてしまった」

 あんなにも綺麗な人が、今日、汚れた人の手であんなにも傷ついていた。泥と、血と、冷たい雨。
 彼女がいた夕焼けの世界は夢みたいな場所だったから、きっと僕は、現実を目にして戸惑っているんだ。
 あの子も、僕と同じ人間なのに。

「僕はあの子を、守れなかった」

 あれ、何か、目が痛い。熱い。
 感情の読みにくい顔をする柳津さんが静かに息を吐く。それさえも解像度が低くなってきた。

「泣くんじゃないよ、ぼっちゃん」

 僕、今泣こうとしているの?
 他人を思って泣くなんて、もう随分昔にやめたはずなのに。

「泣くんじゃないよ……流星」

 ぼかしに呑み込まれて、目の前の顔が曖昧に変化していく。よーく知っているその顔に気付いたから、涙は引っ込んでしまった。
 "あの人"の前で泣いてはいけない。僕の涙は、割れたガラスの破片くらい無価値だから。何も考えないように、ちっちゃな茶柱ごと、温くなった緑茶を飲み干した。

Re:   の甼 ( No.10 )
日時: 2018/04/02 13:21
名前: Garnet (ID: 7m3//6LO)

「あら」

 再び雨の音が耳に入るようになったと思ったら、この家の固定電話がコール音を響かせ始めた。
 同年代の人とは比べ物にならないであろう軽い動きで、柳津さんがひょいひょいと部屋を出ていく。たぶんお母さんだ。
 そういえば、留守電が携帯に転送されるようにセットしてあったんだっけ?使い方は間違ってると承知の上で言うけど、結果オーライ。
 若返った声が途切れる。

「ぼっちゃんの親御さんからだったよ。今から、車で迎えに来るそうだ」

 座布団の上から立ち上がると、彼女はそっと微笑んだ。
 この人も子どもがいたんだもんな。今の顔は、母親の顔だ。

「わかりました。ありがとうございます、本当に」
「気にすんでないよ。……ああ、おしゃかにしてしまったコロッケを交換せねばな。制服も乾燥掛けが終わる頃だろう、洗濯機の近くに紙袋があるから、それに入れていきな」
「はい! あ、この部屋着は──」
「好きにしな」

 それは、返すも返さないも自由だと、そのままの意味で受け取ってもいいということなのか。まあ返しに来るつもりだけど。
 今さらだけど、何だか会話のテンポが珍しいタイプだ。
 お母さんの職場からここまでは車で3・40分掛かるので、ゆっくり帰り支度を始めることにする。暖房やら電気やらのスイッチを切り、和室を出ていった。
 それにしても、佑樹が僕に残した、柳津さんの色があまりに片寄りすぎている。これは明日、もう一度確かめてみるべきか。
 廊下の窓の向こうで、夜空を包む雨雲が風に流され始めている。どうやら雨は止んでくれるようだ。





 8時もまわった頃、このお屋敷の呼び鈴が来客を告げた。
 やっぱりそれはお母さんで、玄関で僕の隣に立つ柳津さんに、何度も頭を下げる。僕らが以前まで、河の上流に位置する町に住んでいたのだと話すと、彼女は目をまん丸くして自分も昔住んでいたんだ、と教えてくれた。
 最後にもう一度お礼を言って、軽自動車に乗り込んだ。見送りに手を振り返したら「良いこと、あるといいね」と、意味ありげに口角を上げられたので、僕も「努力します」と笑っておいた。
 その後、いつもより遅くなった夕飯の食卓では、魔法にでも掛かったように美味しいコロッケが主役になった。



*



 雨が上がり、本来の空が開けて見えるようになった。
 これでようやく安心できると、部屋の窓際で丸くなる少女が安堵のため息を漏らす。
 無限の月と、冬の星たちが、この地に美しい光を運んでくれるのだ。少女はその光に祈るよう、身体を起こし、膝まずいて両手の指を絡み合わせた。
 そんな彼女の背後に、静寂に溶け込む、けれども軽やかな足音が近づく。

「怪我の具合はどうだね?」
「お月さまが見えるようになって、だいぶ楽になったよ」
「それは良かった」

 普段の話し方より少し柔らかいおばあさんの声に、少女は手を合わせていたのをやめて、振り向いた。
 少女の美しい心を、そのままひとかけ填めこんだように輝く、青い瞳を潤ませて。

「おばあちゃん、ほんとに、ありがとう」







第1章 『ブルーアイズ・ガール』 完

Re:   の甼 ( No.11 )
日時: 2016/07/28 18:34
名前: Garnet (ID: pY2UHJTN)

第2章 『グリーンアイズ・ガール』





 僕の星空は晴れた。柳津さんも、僕と同じ星を見てくれていた。だから、きっとほたるさんは無事だろうなって。「あの子は大丈夫さ」って、彼女が言ってくれているような気がして。
 "そのとき"が来るまで、僕はあの河原に赴くのを止めにしようと決めた。あの子を焦らせてはいけないし、僕自身も急いてはいけない。
 それぞれが答えを導きだして、お互いに答え合わせをするんだ(勿論、非が僕にあることは痛いほど解っている)。……それが、たがえば。もう諦める他はない。けれど、もし、ぴったり合わさったとしたら。
 僕は、ほたるさんを、守り抜く。
 先の見えない使命を、果たすまで。


*


 日曜日は単純に好きだと思っている。
 その理由は、大きく分けて3つ。
 1つ目は、土曜日までにやることを済ませておけば、何も文句は言われないから。
 2つ目は、女手ひとつで僕を育てて(?)くれているお母さんが、一週間のなかで唯一休みの日であるので、三食揃って美味しいご飯を食べることができるから。
 3つ目は、家に籠っていれば余計な人との関わりを断てるから。まあこれは土曜日でも当てはまるんだけど。
 それにしても作文臭い。

「あ、流星、テスト結果の通信簿見せて」

 朝食のあと、出掛けるわけでもないけど身支度を済ませ、炬燵に脚を突っ込みながら携帯電話でネットサーフィンしていたら、向かいに座るお母さんが仕事のものであろう資料をまとめながら言ってきた。その通信簿とやらに、生徒のひとことと保護者からのひとことを記入欄に書き、判を押して提出するという謎の習慣があるのだ。
 休日でないとこういう物はちゃんと見てもらえない。別に悪い点でもないので、素直に頷いて、隣の部屋に向かう。

「はい、これ」

 無くしたなんてアクシデントも起きておらず、僕は堂々と成績表を彼女に手渡した。
 二学期中間テストの最高得点は、英語の98点。5教科合計でも460を超すことが出来たので、僕にとっては上出来だ。前回より上がったし。怪奇現象でメンタルをやられそうになっていた状況からすれば、文句は無いんじゃないか。
 しかし、大人というものはそんなこと構わずに、わがまま放題で勝手で自己中だということもわかっている。
 お母さんは、薄っぺらい紙を開いて、暫く無言でいた。そして、ひとつ息を吐いて。

「まあ…………あんたにしちゃ頑張ったんじゃない」

 そのひとことと共に、さっさとボールペンを走らせて判を押し付けた。
 少しカチンと来る。もっと別の言葉は無いのか、母上。

「テスト前はちゃんと勉強してたみたいだけど、見た感じ、最近は全然なんじゃない?」
「いや、だって見直しもそう多くないし」
「馬鹿ねぇ、あんた春から受験生だよ? 高校の事だって考え始めなきゃ……塾だって行ってないんだから」
「そんなこと、」
「それに、うちは母子家庭。私立は無理よ」
「お母さん───」

 好きな日曜日もあれば……逆に、嫌いな日曜日も存在する。
 ひとつは、雨の降るとき。

「もう、そういうとこは父親似っていうか」

 もうひとつは、今日みたいな日のとき。
 晴れだろうが曇りだろうが、風だろうが雪だろうが、この台詞は爆弾だ。地雷だ。

「こっちに転校してからは、結局部活にも入らなかったし。内申に響いたらどうするの?」

 僕らから逃げた父親。
 僕らを捨てた父親。
 そんな男を選んだ母親。
 そんな両親の息子に生まれてしまった僕。

「アイツと一緒にしないで」

 ずん、と重くなった声で、ようやく思い出してくれたようだ。まっすぐぶつかった視線が、揺れた。
 久し振りに異物が込み上げてくる。
 喉から溢れそうになるそれが、暴れ始めた。呪いの解けない化け物みたいに。
 このまま吐いたら、きっと、いや絶対に僕は壊れる。壊れて狂ってその次は。その、次は。

「ご、ごめん、流星」

 僕とあの男が重なったんだろうか、彼女の目の奥が、今まで数回しか見たことのない色にがらりと変わった。その色の名前は知らない。知らないけど、その色は大嫌い。

「お母さんが悪かった、だから怒らないで」

 どうしても収まらないときには、深呼吸をしろ。そう、昔、誰かに言われた。目を見て言われた。こんなくだらない事でおかしくなるのは僕だってごめんだ。異常な熱を逃がすように空気を入れ換える。何度も、何度も。
 きりきりと、噛み締める歯が不快な音を立てた。それでも治まらなかった。ねえ、こういうときにはどうすればいい、どうすればコイツを殺せる、ねえ。

「流星、お願いだから、そんな顔はしないで」

 そんな顔。アイツと同じ顔?
 だから言っているだろう、僕を、僕を………………。

「あたしだって、あなたを────」
「アイツと一緒にすんなって言ってるんだよ!!」

 大声で叫んだ途端、意識が吹っ飛ぶ。完全に、思考を化け物に喰われた。
 あのとき、僕の心は何処に行ってしまったんだろう。あんなに酷いことをしてしまったのに、止まらなかった。最低だし醜い。
 ヤツが毒を吐き切って、目が醒めた時には、辺りが豪く乱れていた。右手が痛い。息が苦しい。口の中が著しく渇いて、歯茎に舌が当たると引っ掛かって痛かった。
 少し固い、長い髪が、不規則に絡まって彼女の顔を覆っている。僕のしたことに気がついたのは、それが視界に入ったときだった。
 ふらつきながら髪をかきあげて、お母さんが身体を起こす。

「流星……あたしは」
「黙れ」
「りゅーせいっ」
「黙れって言ってるんだよ!!」

 後悔と、自分を殴りたい衝動が、足を掴んで引きずり込もうとする。その手を振り切る。振り切って、隣の部屋に駆け込んで、腕にダッフルコートを通す。通して、あまりにも無意識だった行動に、自分は何をしているんだろうと、手が止まった。まだ息は上がったままだ。
 充電器の挿さった携帯電話を外し、お母さんの近くに落ちているテストの成績表を見やった。中身を見る気にも拾い上げる気にもなれなくて、ダッフルコートのトグルを留め、財布もポケットの中に放りこんだ。
 その流れを茫然と見詰めていた彼女が、どこへいくの、と訊ねてくる。けれど無視した。
 僕には僕の道があるんだ。

「アイツは、もういないんだよ」

 つぶやいたその一言は、誰に向けて言ったわけでもなかった。
 ……どうせこのまま此所にいても、気まずくなるか、あちらが大泣きするか、もしくはその両方がのしかかってくるかだから、外に出よう。

Re:   の甼 ( No.12 )
日時: 2016/07/28 18:40
名前: Garnet (ID: pY2UHJTN)

 あの雨の日が予告編だったのか、金曜日から気温がぐんと落ちていき、もう冬なんだと認めざるを得なくなってきた。
 太陽は透明な空の天辺を目指して一直線なのに、頬に刺さる空気が容赦もなく冷たいではないか。痺れにも似た震えが、じわりと全身に広がっていった。
 5分ほど、静かな道をゆっくり歩き続けると、小さな公園に着く。子どもたちが新しい遊具や砂場ではしゃぐ横を通り過ぎて、陽の当たるベンチに腰を落ち着けた。
 緩く巻いたマフラーの奥に顔を埋めれば、充分すぎるほど暖かい。子どもたちの親の話す声が穏やかで、思わず視界が蕩けていく。僕はそのまま、うたた寝をしてしまった。罪悪感なんて忘れて。
 ……目蓋の裏に、あの子の後ろ姿が揺れている。振り返って、ビックリしたみたいに僕に向けられた、丸く見開いた瞳がとても綺麗。眩い光のなかで、彼女が何か云う。

「あの場所で、待ってる」

 夜明けの空に誓ったあの決意が、呆気なく揺らいだ。









 お昼は口にしていないけど、空腹感は全くなかった。
 都市のベッドタウンとなっているこの町のなかを、早足で歩いていくうちに気付く。僕はここに引っ越してきた当初より、だいぶ変わってしまった。だいぶ、昔の自分に戻ってきてしまった。
 他人と向き合うことを思い出した。
 傷付ける痛みを知った。
 傷付く痛みを思い出した。
 仲直りの時の温かい空気を思い出した。
 自分なりの意志を持てるようになった。
 ひとが発する負の感情に敏感になった。
 嫌いという気持ちの行く先に自分を責めた。
 誰かに「会いたい」と、思うようになった。
 …………あの日、こんな自分はもう捨ててしまおうと、こたえを出したはずなのに。佑樹と出会って、ほたるさんと出会って、柳津さんに出会って、確実に僕は、前の自分で、本当の自分で生きたいと思うようになってきている。
 掴み所のない、曖昧な光の正体に触れたら、色んな感情が渦巻いてきた。
 泣いてはいけない。今泣いたら止まらなくなる。
 だから、走った。
 首元に、吐いた息が溜まっていく。風に目がしみる。
 ほんとうの本当は、走るのだって大好きだった。
 どうしよう、このまま、流れに従っていいんだろうか。
 やっと手の届くところに現れた階段をのぼっていけば、一層強い風が身体にぶち当たった。
 辺りを見回すけれど、人っ子ひとりいなかった。橋の上にも……枯れ草の河岸にも。

「ほたるさん!」

 彼女とのはじまりの場所で、叫んだ。

「ごめん、本当にごめん! また君をひとりにさせてしまった僕は、死んだほうがいいくらいくそったれだ!!」

 波の音と、鳥の鳴き声と、向こう岸から淡く伝わってくる、子供たちの掛け声。

「でも本当に死んでしまったら、ほたるさんが会いたいと言っている人を、捜せなくなってしまうだろう!!」

 見えないだけで、この風の中に溶け込んでいるだけで、彼女はちゃんと、ここにいるような気がするんだ。

「…………謝りたいこともいっぱいある、でもさ、それ以上に感謝したいこともあるんだよ……意味わかんないよな……ハハハッ」

 言いたいことを言う前にすっかり息が切れてしまって、弱々しくしゃがみこんだ。こだまが返ってくるほど叫べもしないから、本当に情けない。
 地面にうずくまってみたけど、冬の土の匂いが立ち上ってくるだけで、人の気配は微塵も近づいてこなかった。
 自分に都合が良すぎたかなあ。
 そう思ったと同時に、背中に温かい重みを感じた。

「もういいよ、かくれんぼはおしまい」

 コートを控えめにつままれる。

「……ほたるさん?」

 一番聴きたかった声だった。鈴の音みたいに透き通る声。
 すぐに彼女の顔を見たくて、振り返ろうと顔を上げたら「まだ駄目、もう少し待って」と肩をそっと押さえられた。
 わけはわからないけど、頷いて、もう一度膝に顔を伏せた。

「いいよ」

 しばらくして、ひとつ息を吐いた彼女が、ほろ苦いゲームの第一章終了を告げてくれた。
 背中に触れていた手が離れたので、僕もゆっくり振り向く。
 出会った日と同じ笑顔で、ほたるさんは座っていた。着ている服も同じ。女の子の服装のことはよくわからないし、今更なんだけれど、寒くはないんだろうか。でも、怪我は悪くしていないみたいで安心した。

「流星くん、なんか前より表情が変わった」
「え?」
「んーん、何でもないや」

 そういう君は、噛み砕きにくい言葉をこっちに投げてくるのは変わっていないよね。
 太陽の光で白く燃える水面を見つめながら考えていたら、隣で行儀良く膝を抱え、同じ方向を向くほたるさんがいきなり吹き出した。
 まさか心を読まれたのかと思ったけど、それ以降はそんなことは起きなかったので、ただの偶然だろう。

「ねえ流星くん」
「なに?」

 目は合わせないけど、同じ場所を見詰める。
 肌は触れないけれど、心と心で寄り添う。
 そんな感じ。

「あのね……」
「うん」
「…………」
「…………どうした?」
「あの、ねえ、うーん、怒らないで聞いてくれる?」

 珍しく、歯切れの悪い。
 思わず隣に目が行く。足をとんとんと地面で鳴らして、目を危なっかしく犬掻きさせていた。

「内容によるけど……」
「うぅ……やっぱりやめようかなあ」
「わかったわかった! 怒んないから言ってみな! 先生怒んないよ〜」

 即行で思い付いた冗談で、彼女はまた笑った。
 最初はきょとんと目を丸くして、でも段々とその頬が溶けていって、最後には草の上を転げ回りながら、わけのわからない言葉を連発し出した。
 しかし、そんなカラクリの玩具みたいな動作も短時間で収まり、柔軟性の高すぎる笑顔は一瞬にして、とっても真面目な表情に切り替わった。
 すごくわかりやすい(時々意味不明)し可愛いんだけども──ああもう、今はそんなことどうでもいい。
 正座する相手に合わせ、僕も正座して向き合う。

「じゃあ言うね」
「うん、どうぞ」

 表面張力でぐらつく笑みが、今にもこぼれてしまいそう。
 ここぞとばかりに、僕に向けられた碧眼が美しく輝く。

「あのね、わたし」

 そしてその危なげな均衡は、次のほたるさんの一言で、ジェンガタワーの如く派手に崩されていったのだった。

「流星くんが前に住んでた町に、連れていってほしいの」

 がらがらがっしゃーん。


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