コメディ・ライト小説(新)
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- の甼
- 日時: 2019/05/28 00:20
- 名前: Garnet (ID: zbxAunUZ)
題名は『 の甼』です。
『の甼』ではありません。
※次回更新分は、最新レスに加筆、という形で掲載する予定です!
Contents >>
【Citizen】(おもな登場人物 隣のかっこ内は誕生日)
●氷渡 流星 (12/23)
●上総 ほたる (5/4)
●佐久間 佑樹
●柳津 幸枝
>>23(本編未読の方は閲覧非推奨)
●志賀 未來
●小樽 あずみ
●杉ノ内 たえ子
●池本 穣
●柳津 睦実
>>
○ひよこ
○てるてる522
○亜咲 りん
○河童
○上瀬冬菜
(敬称略)
2018年夏 小説大会 コメディ・ライト小説部門 銅賞
ありがとうございます。
これからも少しずつ、大切にこの作品を書いていけるよう、精進を重ねてまいります。
彼らがうまれた日◎2016年5月4日
執筆開始◎2016年5月7日
イメージソング
『Crier Girl&Crier Boy ~ice cold sky~』 GARNET CROW
*
──────強く、なりたい
- Re: の甼 ( No.33 )
- 日時: 2016/12/12 20:39
- 名前: Garnet (ID: RnkmdEze)
「鏡はね、ありのままの、真実の姿を映し出すの。それに対して、人々……流星くんが見ているわたしの姿は、あなたがわたしをどう見ているかが反映されたもの。だからそれは、わたしの本当の姿じゃない」
それにわたしは今、正確には人間じゃないし。そう補足して、反応をうかがう。
彼は何も語らず、静かにわたしの言ったことを咀嚼しているようだった。
流星くんのこういうところは、今も変わっていない。穏やかなわりにどこかトゲのある話し方とか、頭が固そうに見える雰囲気は、前とはまったくの別物だけど。そういうわたしこそ他人のことは言えないから、この気持ちは心の小さなポケットに、丁寧に畳んでしまっておこう。
「そう、か」
額に手をやられたので、これはもしかして失敗だったかと焦り始めたら、同時にそれだけの返事がかえってきた。いつもより少し、低い声だった。そして、流れるように自然な間を作って、彼は襖の向こうへと姿を消した。ぽかんと、口が開いてしまう。なんであんなにも冷静でいられるんだろう。
…………それにしても。わたし自身が、鏡に映る自らの瞳の色を、青と認識しはじめているのには驚いてしまった。少なくともこの世界の良くないものに染まりはじめているということで、解釈は間違っていないだろう。きっとあの雨の日に再会した彼らに、触れてしまったからだ。
残された時間はそう長くない。焦る必要まではないとしても、できるだけ早く、務めを果たさなくては。
太ももの辺りを冷たいナイフが駆け抜ける幻覚がよみがえり、軽い目眩にしゃがみこんでいると、肩にやわらかい重みが吸い付いてきたので、顔をあげた。
「歳を重ねると朝が早くなるって言うでしょう。幸枝さんが起きる前に、此処を出ていこう」
確かにおばあちゃんはもうおばあちゃんになってしまったし、お布団に入る時間もわたしより早いけど、朝起きる時間はわたしのお母さんやお父さんと同じくらいだから、まだ心配いらないよ。
立ち上がってそう言うよりも先に、わたしの小さな鼻がいつもと違う匂いを感じ取って、冷えた髪がほんの少しだけ、首筋に絡まった。
はっとしてピントを目の前の少し高いところへ合わせると、流星くんが、彼のマフラーを器用に巻いてくれていた。長いのを2つに折って、そこにできたわっかへ尻尾を押し込むだけという巻き方しか知らなかったから、流星くんの慣れた動きが、まるで魔法の力をわたしに綴じてくれているかのように見えて圧倒してしまう。
「はいっ、完成」
少し大きそうな手袋を差し出してくる笑顔が本当の魔法使いみたいで、わたしは半ばいい加減に受け取って、ぼんやりしてくる頭と身体をくるりと、右向け右させた。
ものの10秒ほどでできあがった複雑な結び目を鏡に映して観察してみたけど、外したい時は適当に一本引っ張ればどうにかなるだろうということくらいしかわからない。
「ね、こういうのってどこで覚えたの? やっぱり都会の子って、雑誌とか買って読み込んでるの?」
とっても気になってしまったから、目の前のわたしの首に巻かれたマフラーを撫でながらきわめて真面目に質問したというのに、しばらくの沈黙ののちに彼から発せられた声は、笑いでくしゃくしゃの波になって、辺りの空気をたくさん震わせた。
「あっははっ、何だよそれー。周りの空気、空気。ネットですぐ調べられるってば」
なんだか、ほんとうの流星くん、なのに、流星くんじゃないみたい。
いつもおばあちゃんの家に来るときは車だから、月美町内に2本も電車が走ってるなんて、昨晩まで全然知らなかった。
北区に私鉄、南区に国鉄。国鉄のほうは、月美駅から西隣の町に走り川を鉄橋で渡って、また別の市にある、県内でも指折りの主要駅となる大きな駅に向かう。丁度北区を避けている形になるけど、私鉄のほうも主要駅から徒歩5分圏内のところに小さな駅を置いているので、通勤通学で電車を利用する人たちは大体、南北でばっさり分かれるんだそうだ。
そういえば、なんで国鉄をJRと呼ばないのかと、東京から地元の中学に転校してきた子に訊かれたことがあったけど、今まで気にもしていなかった。お母さんもお父さんも、いとこも、友だちも、おばあちゃんもおじいちゃんもそうだったんだもの。友だちに関しては、明るくて社交的なみんなには到底かなわないくらいの交友関係しかないから、宛てにならないと思われるかもしれないけど、彼らだっていつもそう言っている。たぶん、閉鎖的なところだから時間感覚のずれもあるのかもしれない。あのことを思い出す度に、そんな田舎によく転校してきたよなあと常々思う。
「ちょっと歩くよ。河原から廻ろう」
「うん」
音を立てないようにおばあちゃんの家から出て、わたしたちは、まだ街灯が消えない早朝の町へとひっそり繰り出した。……なんて言葉にすると、まるで異世界の魔王を秘密裏に倒しに行く人間の勇者たちにでも見えてしまうけど、実際は、コートのポケットに手を入れてゆったりとした歩幅で歩く流星くんのあとをちょこちょこ付いていくだけ。首もとが寒そうな彼の背中が、一瞬どうしようもできないくらいに大きく見えて、溜め息が出た。
今朝はずいぶんと冷え込んでいる気がする。さすがに霜が降りるほどではないけれど、一面に晴れ渡った空に浮かぶ数少ない星の瞬き方だって、やっぱり、もう立派に冬空のものだ。
12月が目の前に迫っていることに、感慨深さもあるけど、そんなことより、心のどこかでくすぶっている焦燥感のほうが厄介で、今のわたしの中では5・6番目くらいに大事な問題。中学に上がる前からだんだんと抱えてしまうようになったこの気持ちは、未だかつて消えたことはない。
空が少しずつ明るくなってきた頃、土手に上がる階段の1段目に足を乗せた彼の、名前を呼んだ。彼はゆっくり振り向いて、少し離れたわたしの、つづきの言葉を待ってくれた。
でも、何て訊くのがいいんだろう。そもそも、今訊いてもいいのかな。ああ、もっとちゃんと、考えてから声をかければ良かった。
なんて考え始めて、昔からの悪い癖が出そうになった手前で、流星くんが、段にゆっくりと腰を下ろした。突然やわらかい風が吹いてきて、目がぴったりと合った。
「……おいで」
その声を、わたしは一生忘れられないと思う。
優しくて、温かくて。心の隅の、砕けてしまったところを丁寧に包み込んでくれるような。そんな声を。
嬉しくてうれしくて、たまらなくなって、わたしは小走りに、彼のもとへ飛び込んだ。
- Re: の甼 ( No.34 )
- 日時: 2016/12/18 18:30
- 名前: Garnet (ID: OLpT7hrD)
「俺さ、朝のこの時間が大好きなんだ。地平線や水平線や、その近くの空や、立ち並ぶ屋根がだんだん色付いていくのを家の窓から眺めると、何か安心するんだよね。それでときどき、窓を開けて、目を閉じて、じっと耳を澄ませるんだ」
すぐ隣の彼が、そう言った直後、透きとおる空を見上げて静かに目蓋をおろした。わたしも真似して、目を瞑る。
「すべての流れが静止して、心地がいい。そういう感覚のなかで、遠くに風のなく声が、聴こえる」
風のなく、声。耳の奥で感じ取るそれは、なんとも形容しがたいものだと思う。
もしかしたら、この音色の正体は、風などではないのかもしれない。それでも、この感覚を昔からの友人だというように、さすらう詩人のように、安らぎに寄り添う美しい声で喩えた彼は素敵だし、そんな彼が言うことなのだから、本当に風のなき声なんだろうなと思わざるをえない。
人は名前の通りになるというけれど、ロマンチックな名前の彼は本当にロマンチックだ。
何処かから犬のおはようの遠吠えが聞こえて、閉じていた目をひらくと、空がうすぼんやりといつのまにか色付いていた。夕焼けなんかに似ているけれど、これは明らかに違う色。このイロにいつもひとりぼっちで掻き消されていたわたしは、もう、いない。
だって、
「ひとりじゃないよ。あなたの傍には、僕が……氷渡流星がいるから」
こんなにも素敵な友だちが、いるのですから。
良くも悪くも飼いなれつつあるあの焦燥感は、流星くんのかけてくれた魔法がよーく効いて、今までで一番大人しくなった。きっと、いつになっても完全に消えることはないだろうけど、とても良いヒントをもらえたような気がする。
わたしよりも少し背の高い素敵な友だちは、ちょっぴり恥ずかしそうに笑って、ポケットに入れていた手を差し出してきた。それが目に飛び込んできたら、前にわたしも流星くんをころばせてしまったときに手を差しだしたのを憶って、懐かしくなった。半分だけだった何かが、きれいな真ん丸になる。
照れ笑いは彼の匂いがするマフラーに隠して、彼の匂いがする手袋で彼の手を握って、さあ、自分だけの足で立ち上がろう。
「ありがとう……。ねえ、流星くん、わたし、この町の日の出を見てみたい」
「え?」
突然のわたしの言葉に、少しのあいだ驚いたような目をされて、寄り道になっちゃうかなと申し訳なくなったけれど、彼はそんな不安さえ払いのけるように微笑んで、薄く白い息を吐いた。
「いいよ。僕も同じこと、考えてた」
土手に上ったわたしたちは、そのあと、太陽さんが空色のシャツをきちんと着終えて顔を出してくれるまで、何も物言わずに東のほうを見つめていた。
その間、幸いにも人通りは、自転車通勤らしき男性と、黒いローファーを鳴らしながら歩いていった、見知らぬ制服に身を包んだきれいな女の子だけだった。その彼女も、両耳から糸みたいに細いコードを垂らし、お洒落なマフラーと手袋をしてリズムの良い歩みを奏でているものだから、脇っちょの芝生に並んで座るわたしたちになんて気づいていないだろう。
みんな、まったく別々の世界にいるみたい。
「あの制服どこのなんだろう、可愛いな。流星くん、知ってたりする?」
彼女の後ろ姿を見やりながら、何となあく、訊いてみる。
「え?」
「あ、引っ越してきてまだ1年だし、知らないよね……」
「知ってるよ。隣町の、私立のお嬢様学校だよ。ここからだったら少し遠いかもね」
「へえ」
随分詳しいなあと感心していたら、クラスメートがそこを志望していて、気になって友達と調べたんだという。てっきり中学かと思っていたら、高校、しかも女子校なんだ。
まだ2年生なのに、ちゃんと進路を決められているなんて、羨ましい。どうせ地元の公立高校に半エスカレーターで上がるんだろうな、なんて考えているわたしとは雲泥の差だ。
さっきまでぐっすり眠っていた火種が、吹き込む風にちらりと赤を見せる。でも、ただそれだけで、今を満たす安心感には敵いやしない。
休日なのに大変だねえ。部活かなあ。なら先生も学校にいるのか、何が勤労感謝だ。……流星くんとくだらないことを言い合って。そんな出来事なんて知ったこっちゃない、と言うように、蒼からエメラルドへ、蜂蜜色へ、白へ、空は目まぐるしく、けれどもゆったりとその色を変化させていく。日の出というのがこんなにも美しいものだったなんて、わたしは知らなかった。
赤い太陽が白みを帯びてようやく気が済んだので、朝陽のもとでしばらく土手をなぞり、石の階段から下の道路におりる前、お世話になった河に挨拶をしてから、駅へ向かった。隣の彼も、僕もありがとうございました、と、わたしよりも深く頭を下げてくれたのが嬉しかった。途中でまた、会うだろうけど。
まあ、それを解っていてもなお、感謝の意を示すことを大切にするのが、このひと、なのだと思う。
………………あれ? そういえばさっき、流星くん。"俺"って、言っていたような。
- Re: の甼 ( No.35 )
- 日時: 2016/12/25 20:38
- 名前: Garnet (ID: v8Cr5l.H)
Suicaというものを、こんなにまじまじと見たのはいつぶりだろう。一昨年おばあちゃんの家に親戚一同で遊びにいったときには電車だったけど、そのときだって切符オンリーだったはずだ。
流星くんがお財布から慣れたように硬そうなカードを取り出して、切符を買う機械に吸い込ませたのを目撃したときは、頭の中がビックリマーク(感嘆符という言葉がなかなか出てこなかった)でいっぱいになってしばらく動けなくなった。移動中の、彼からのわかりやすい説明と勝手な観察で、手持ちのお金にさえ気を付ければ路線図を確認してわざわざ切符を買い求める必要もない、改札の人通りもスムーズになる素晴らしいアイテムなのだということをきちんと確認した。お陰で周りからの視線が少しだけ、顔にちくちくと刺さって痛かったけれど。
お父さんの通勤は車かバイクで電車とは無縁だし、お母さんは専業主婦でほとんど町内から出ないし、わたしの活動範囲だってたかがしれている。狭い世間に閉じこもってばかりいるのは本当によくないなあ、と再認識させられた。将来は一度だけでも、都会でひとり暮らしを経験しておこう。できたらの、話だけど。
……それにしても、計画通りの便を日の出の道草鍋で何本も逃したので、目的地までご丁寧に各駅停車でありそこそこは乗客もいる電車に詰め込まれて、酔いそうだった。
ぐうぐう鳴り止まらないお腹を抱えて降り立ったわたしたちは、駅前のハンバーガーショップに見事に吸い込まれた。もちろん注文したのはおそろいのブレイクファストセットだ。セットについてくる飲み物だけ、ふたりで違った。流星くんはホットコーヒーで、わたしは小さなパックの牛乳。シロップもミルクも注がず、まるで周りにいるサラリーマンたちに溶け込むように、優雅にそれを口にしたのを見たときには、驚きすぎて噎せてしまった。
一方で同い歳のわたしは、珈琲はコーヒーゼリーの味くらいしか受け付けないし、小さい頃興味本意で飲んでしまったときから、あんな苦いものはもってのほか! という典型的なお子様なのだ。これじゃあ流星くんの妹みたい。馬鹿みたい。
「いつか飲めるようになるって。それに、仮に飲めるようにならなかったとしても、紅茶とか、あるじゃないか」
「いいもん、いいもん。どうせわたしは子どもだもん」
「おいおい、そこまで言うなって。実際この歳でブラック飲める人はそんなにいないし……」
ランチセットのときとは違う、イングリッシュマフィンで挟んだハンバーガーにかぶりつきながらそう言われても、だだ下がりした機嫌はどうにもならなかった。
拗ねるわたしに慌てていた彼も次第に笑い始めたので、悔しいけど、まだ手をつけていなかった、揚げたての温かいハッシュドポテトをそうっと噛んでみる。ちょっと塩がきいているけど美味しい。そしてその一瞬で、さっきまでの情けなさが吹き飛んでしまった。なんて単純なのだろう。
ハンバーガーも牛乳もそっちのけで夢中になるわたしが「これ、何て言う食べものなの?!」と目を輝かせながら訊いてきても、彼はやっぱりやさしく微笑んで、それこそ妹のことでも見るみたいに、馬鹿にしたりせずにきちんと教えてくれた。……だから、もういいや、妹でも。
この日から、人生初のハッシュドポテトが大好物のひとつになった。
◇
朝、随分と長い眠りから覚めて、底の見えない深い孤独感をおぼえることがある。そういう瞬間が訪れるのは、必ずと言っていいほど、あの人の夢を見た後だ。
もう、声はよく思い出せない。似たような誰かのものか、都合のいい補正で作り出されたものでしか、あの人の声を自らの中で再生することはできなくなってしまった。あんなにも忘れまいと、大切にしてきたというのに。ただ、あの夢の中で聴こえる彼の声は間違いなく本物で、温かみがある。枕元で囁かれているかのように。
彼はモノトーンの夢の中で、私に微笑みかけ、寄り添い、思い出話などを始めたりする。逆に、私のしようもない話を聴いてくれることもある。そんなときは、ただずっと相槌を打って、弱音を吐いてしまうことがあれば、輪郭のはっきりした綺麗な手のひらで抱き寄せられた。目覚めたあともその感覚がじわりと肩に残っていて、愛しいような、空しいような、何ともいえない気分になる。そして、そういうときには、1本多く彼に線香を手向ける。
7年前から始まった、穏やかすぎる一人暮らし。葬儀や後始末は娘たちが仕切ってくれたし、盆や年末年始などには孫たちが嬉しそうにやって来て、おばあちゃんおばあちゃんと構ってくれるものだから、これでも幸せなばあさんになれたのだろうが、老いたこの身体にはやはり堪えるものが多いのが現実だった。人前では気丈に振る舞えども、ひとりで暮らすには大きすぎる、この屋敷の中で淡々と日々を消化していくと、無性に死にたくなってくる。そうして台所に立ち、震える手のひらで包丁を握りしめては、自分の腹にそれを突き立てる代わりに食材を切り刻んだりして気をまぎらわせた。ある夜、また彼が夢に現れたので、どうして傍に居続けてくれるのかと問うと、彼は、私を守り、待っているのだと言う。
その夢から覚めたあと、しばらくは何も思い出せずにいたというのに、彼を亡くして以来の涙に乾いた頬を濡らされた。
「お迎えは、いつ来るんかねえ」
晴れ渡った空を見上げながら誰ともなく問いかける言葉に、答えなどは求めてはいなかった。
そんな日々の中、あの男の子に出会った。季節外れの大雨の夜に。
孫娘と同い歳で、やさしげな目元や、微笑み方なんかが、どことなく夫に似ている。孫が……***が彼を"選んだ"のだと聞いたから、明るい月の下で、何も言わずに彼女の頭を何度も撫でた。折角の綺麗な髪が乱れるのも気にせずに。
きっと、彼女の碧い色は、私のように消えたりはしないだろう。
しかし、それとこれとは話が別だ。まだ月美と明陽の話には続きがあるというのに、2人揃って姿を消されてしまったことは計算外だった。
私は必ず帰ってきてくれるはずだと信じているが、夢の中のあの人は、私の隣に立って、どうなるだろうねと中立的な笑みで答えた。
───何だあんた、今日はちゃっけねか?
───……そうか、幸枝?
今日も例によって遅い朝食を、空の座席の向かいで片付けていると、この辺りでは珍しい、乗用車よりも軽いエンジン音が近くにやってきた。考えずとも彼の母親だろうと判った。テレビが映す無機質な朝のワイドショウの左端には丁度、10:00、と表示がある。明陽町周辺で起きた連続的な事件の速報が入ったという派手な字幕が滑り込んできたので気になりはするけれど、来客を寒空の下で待たせるわけにもいくまい。手元のリモコンで、ぶつり、と電源を切った。
重い腰を引っ張り上げて、念のためにと脇でラップをかけてあるふたり分の献立から孫の分だけを抜きとり、冷蔵庫にしまってから茶の間をあとにする。
着替えは起床後すぐに済ませてあり、その辺りでは問題ないのだが、流星が姿を消した理由をどう説明すればよいのか、というのが一番の厄介なところだ。この短時間では気の利いたシナリオを構築できない。かといって、言い方は悪くなるが、外部の人間にばか正直に話せることでもないので八方塞がりである。もともと明陽の者であるから尚更だ。
半纏を羽織り、呼び鈴が鳴る前に玄関を開けると、きんと冷えた風が流れ込んできて、全身の筋肉が縮こまるようだった。こういうときには秘かに不老を願ってやまない。
「おはようございます、流星の母です」
丁度、脇に停めてある車から降りてきた流星の母親と控えめに視線が合ったので、彼女と同じように頭を下げる代わりに、微笑みかけた。
取敢えず、空いている、家の駐車場に車を移動してもらおうとしか、何とか冷静を保って言葉にすることはできなかった。
- Re: の甼 ( No.36 )
- 日時: 2017/01/27 18:02
- 名前: Garnet (ID: r3vekOHJ)
「えぇ! 反対方向のに乗っちゃった?! しかも快速〜?!」
「ごめん。ま、じ、で、ごめんっ!」
驚きすぎて間延びした声が、ざわつく車内に吸い込まれていく。
休日ということもあり、月美町内のそれよりも随分と満員具合は増していたし、家族連れや恋人同士なんかのお客さんも多かったから白い目で見られることはなかったけど、咄嗟に手のひらで口を塞いで、周りのひとへ頭を下げてしまった。流星くんはそんなわたしの前で、ぱんっ、と手を叩き合わせて謝ってくる。神社じゃないんだからやめてよとも思ったけど、そんな気持ちよりも、今は別の嬉しさが勝っているから何も言えない。
スローペースな朝食で気が緩んでしまったわたしたちは、また改札を通って、流星くんでさえあまり乗ることがないという別の路線のホームに向かっていた。しかし、エスカレーターが目の前に迫ってきたというときに、彼が電光掲示板を見るなり、わたしの腕を引いて走り出したのだ。短いブーツのかかとが、黒い階段の上で大きな音を響かせる中、どうしたのと、かろうじて訊けたものの、いいから急いでくれという返事しかもらえず、発車ベルとともに、満員電車に押し込まれた。しかも目的地とは反対方向で、5駅分以上は飛び越える快速だった。
これでは用もない東京方面に向かってしまう。発車後すぐ、それに気がついた彼はかなり慌てていたけれど、とりあえず次の駅で降りれば何とかなるはず。
「流星くん、次ってどこで停まるの?」
「……県境越えるかなあ」
「う、嘘ぉ〜」
と、思ってきいてみたらこの様だ。1回休んで7マスは脇道に逸れている。
流星くんの携帯電話で時刻表を調べてみたら、次にわたしたちが乗ることのできる下り電車は40分近くあとなのだとわかって、余計に気分が沈んだ。
「そんな顔しないでよ。お昼ごはんは、ほたるさんの好きなところでいいからさ」
「…………コンビニおにぎりでいい」
「え」
「嘘! オムライス食べたい! それが駄目なら回るお寿司!」
「えぇ〜」
また顔に出していた、というのもあって、プチわがままを発動してしまった。でも、オムライスと回転寿司が好きなのだというのは事実だ。あ、あとハッシュドポテトも。要するにわたしは"子供気ない"ということで。
その後降り立ったひと気のない駅近くのコンビニで、新しいネックウォーマーと黒い手袋を買って、もう1マス休んだ。
◇
氷渡江実さんは、明陽からこの町へ来るに至ってのことを、掻いつまみつつも順序立てて解りやすく説明してくださった。こちらが話しにくそうにしているのを、感じ取ってしまったのだろう。無理もない。
「いちばんの理由は、DV、でした……。限界が近づいてくるまで、暴力なのだと思えずにいた自分を恥じましたし、恐ろしかったです」
夫婦間の暴力。そんなものがこの世界に存在してしまうのだと知ったときは、許せない、信じられないと、暫く怒りが収まらなかった。勿論今もだ。夢の中で笑うあの人も、息子も娘も、そんなことは絶対にしない。
何故そのような深いところを私にさらけ出してくれたのだろうか。
すると、伏せられていた睫毛が不意に立ち上がって、流星と同じ、透き通った飴色の瞳が柔らかく私を捉えた。
「こっちに来てからこんなことを話せたのは、佐久間さんと柳津さんだけですよ」
「佐久間さん、というのは、もしかして南区の方かね?」
「ええ、流星の友達のお母さんです。一度授業参観のときに会ってから、勤め先が近いのか、あちらの近辺のコンビニなんかでよく見かけるようになって。今ではよき相談相手であり、友人、ですね」
「そうかそうか、そらぁ良かった。そういう存在がいるといないとじゃー、互いに心ん持ちようが全然ちげーでよ…………おっと、失礼」
「あんどんねーです。この辺の言葉には、もう慣れとりますけ」
「すみませんねえ、ハッハッハ……」
流星にもあの子のほかに友達がいたのだと、きちんと知ることができて安心した、というところもあるが、それ以上に、江実さんが月美町に慣れてくれたようだと知ることができたのが、今の私には一番の嬉しい収穫だ。久々に家族以外で明陽訛りの混じった言葉を聞けて、何とも言えない心地よさを感じる。突然笑い始めた私を見て、彼女は目を真ん丸にした。
「いやいや、本当にすみません。何だか懐かしくってねえ」
「あ、その、お気になさらなくていいですよ。それより、流星は」
「…………あぁ」
先程まで輝くように明るいものだった表情が、私が言葉を濁した途端、みるみるうちに陰りを溜め込んでいった。
「もしかして、挨拶もせずに帰ってしまったりなんてしました? まったくあの子は失礼なことを」
「いいえ、そういうことじゃあ無いんです、行方不明というわけでもねぇんですよ。行き先の見当は付いてんでが、貴女にその理由をきちんと説明できるかどうか。ただ、訳もなく江実さんを置いて出ていったわけではないのだということを……解って、ほしい」
最近日本でも販売が始まったとニュースで聞いた、薄いスマートフォンを取り出し、電話を掛けようとする彼女を止めるため、これでも必死に出来ることを手探りしては"何も言えなくとも理解してほしい"というサインを散りばめ続けている。言い訳がましいことは承知しているつもりだ。
すると彼女は、手元でそっと、スマートフォンのロック画面を暗くして、先程までの明るい表情が嘘だったかのように俯いてしまった。
電源くらい切っているだろうと、頭ではわかっていても、そうはいかなかったのだと思う。
「あたしが……」
「え?」
「あたしが、ちゃんと流星のこと、考えてあげられなかったから……。あの子のため、あの子のため、なんて言っていて、結局は自分のことしか考えてなかったんだわ」
「そんなこたぁ、無いと思うけんがな」
「……」
華奢な方が震えて、部屋に薄く差し込み、机の上に落ち込む白い朝日を、不規則にちらつかせる。
「一人きりで子供を育てたことなんて無いし、ましてや理不尽な暴力から守りきれる自信も無い。全く知らない新しい土地で、自分だけで住まいを見つけて、子供を学校に入れて、職を見つけて、ここまで強く生きることだって出来やぁせんでな。恥ずかしい話だが、昔は町なかで孤立しておったし、実は社会経験も嫁入り前後の数年ほどしかねぇんですよ」
「幸枝さん」
「だから、あなたは立派な母親だと、あっしは思うでな」
これが精一杯だ。
感じたことを正直に彼女に伝えれば、きっとまた、流星によく似た笑顔に戻ってくれるだろうと、そう思っていた。しかしその願いは全くの逆方向に叶ってしまった。
江実さんは、遂に堪えきれずに涙をぼろぼろと溢し始め、自らを痛めつける為のような声色で、こう言ったのだ。
「勝手に苗字を変えても、ですか」
- Re: の甼 ( No.37 )
- 日時: 2017/02/18 20:55
- 名前: Garnet (ID: XnbZDj7O)
朝でも昼でもない時間、すずめ一羽さえいないこの場所は、とても、とても、静かだ。
わたしたちとは反対方面に向かうほうの線路を隔てたホームでは、さっきまで和服姿のおばあさんが時刻表とにらめっこしていたけれど、いつのまにかそんな彼女の姿も見えなくなっていた。遠くに車の走る音や、さっき寄ったコンビニの隣のビルにあるドラッグストアの呼び込み音声や、時々下のターミナルに滑り込んでくるらしいバスのウィンカー音なんかがぼやぼやと空に乱反射するばかりで、本当にここが明陽町よりも栄えた場所なのだろうかと、疑いたくなってくる。
東京の人に言わせてみれば明陽もこの辺も大差なく、田舎、のひとくくりなんだろうなあ、と考えたら何だかバカみたいで情けなくって、眠気に襲われた。
ふたりきりで改札を抜けるわたしたちを見掛けた若い駅員さんが「待合室の空調が壊れているから、南側のホームの端っこのほうに行けば暖かいよ」と親切に教えてくれたので、わたしは今、丁度そこに根を張らせていただいている。本当にありがたい。暖かい。雨風にさらされてきたせいか、屋根の下にあるベンチよりは幾分か錆び付いているけれど、次の便を逃してしまいそうなくらい座り心地はいい。
こうして、マフラーに顔をうずめて。公園で微睡んでいた彼を夢の中で呼んだのも、もう随分昔のことのよう。
「ほんとに、何もいらないの? ココアとかはちみつレモンとか、あったのに」
夢の世界へ落ちそうになっていたわたしの隣に、彼が買ってきたばかりのサイダーのボトルを持って腰を下ろした。
「うん……流星、かえってきてくれたんだ」
「は?」
寝ぼけてやんの、と笑われてしまった。実際寝ぼけている。でも、言葉自体に誤りはないはずなのだ。
彼を横目に見上げると、サイダーを飲みこむ度に揺れる炭酸の泡が、陽の光に弾けてきらめいていた。だんだんとそれが眩しく感じてきて、あっという間に目もさめていった。そうしてふと、生まれたての疑問がぽろり、口をつく。
「ねえ、流星くんは、何でわたしに何も訊かないの?」
「だって、何も訊かないで欲しいって言ったのはほたるさんのほうだろ?」
即答だ。
「あ……そうでした」
「そういえば、ほたるさんだって、どうして何も訊かないんだよ? 僕はけっこうオープンに構えてるつもりなんだけどな」
ふたりして、まっすぐ前を、向いたまま。
彼が不意に、本当に今思い付いたことのように、訊ねてきた。
「で、でも、わたしは何を訊く必要があるの」
「そうだなあ、例えば」
思わずコートを翻し、身体ごと隣に向けていると、瞬きとともに茶色い瞳が空を見上げて、膝にのせていた角張った拳から順々に指を開いていく仕草をしてみせた。
「なんで僕が、自分のことを"僕"と言うのか」
人差し指。
「なんで僕の名前が、ヘンな所だけ変わってるのか」
中指。
「ほかにも、レギュラーを取るほど頑張った部活を、どうして卓球部のある北中への転校とともに、わざわざ、辞めてしまったのかとか。本当は色々気がついていたはずだよね? 何なら今、その疑問に答えちゃってもいいんだよ。人もいないし、明陽に帰るなんていういいタイミングだし」
そして3本目の親指を開いて手を握り直し、いきなり吹いてきた風に、それを全部ポイ捨てするみたいにパーにして、わたしの前に差し出してきた。
「まさか、全部知っているからとか、言わないよね…………あずみ」
最後の言葉とともに流星くんは……流星は、わたしを逃すまいとするように、目をばちんと合わせて、それからずっと、離してくれなかった。
時が、止まってしまったみたいだった。
こんなときに、そんな顔で、そんな声で、わたしの名前を。本当の名前を口にするのは、ずるすぎる。
「りゅう、せい」
「お前は……何者なんだ」
揺れる深い双眸に、ひどく怯えているようなわたしの表情がはっきりと映っていた。
そんなとき、タイミングが良いのか悪いのか、わたしたちの乗る、いわき行きの電車の到着を告げるアナウンスが響いて。
「ま、何だっていいんだけどさ…………そういえば電車賃のことだけど、財布に余分に入ってるのを忘れてたんだ。何とかなりそうだよ」
「なら、よかった」
彼は何事もなかったかのように目を逸らし、立ち上がった。薄く白い靄を吐きながら、わたしも小走りに背中を追いかけた。
朝ごはんのときにマフラーを自分で巻き直したせいで、電車の引っ張ってきた風が髪を容赦なく振り回して、やけに首もとが寒い。
今日は、陽が出ているのに冷える。
生ぬるい暖房の空気が頬にまとわりつく、誰も乗っていない車両にふたりでそっと潜り込んだ。
「テストのときや、新しいノートや教科書に名前を書くとき……今でもそう書いてしまいそうになる。そう名乗ってしまいそうにもなる」
窓から射し込む白くきらきら輝く光のなかに顔を埋めて、流星くんが、そっとその口を開いた。
間違えて乗ってきた満員電車が嘘のように、ここは誰もいない。隣の車両には白髪混じりのおじさんが居眠りをしていたけれど、さっき、もうひとつ向こうの車両の方に歩いていってしまったのが見えた。
わたしは乗り物に強いほうではないので、流星くんの隣に座りたい気持ちは山々だけど、仕方なく吊革へ指を引っ掛けるにとどめている。
「スガワタリ、リュウセイ。これが本当の名前なのに。勝手にヒドリュウセイにされちゃった。」
久しぶりに耳にしたその名前は、何だかもうよそよそしい響きで、今まで存在していたことが嘘だったかのように、彼を知らんぷりしている。
そう。すがわたり。月美川のほとりで聞くことの叶わなかった、その名前。それで思わず「リュウセイ……?」と顔をゆがめてしまったこと。もしかして、よく似た別人だったのだろうかと、あのときは内心酷く焦ったのを痛くおぼえている。
「今僕が、母親とふたりで暮らしてることって、知ってるっけ」
「おばあちゃんから聞いたよ。ご両親、縁切られたんだね」
彼は、こく、と無言で頷き、続けた。
「あのとき警察を呼んだのは、間違いじゃなかった。ようやく戸籍に×が付いたときは、ホッとしたよ。ほんとに、長かった」
ふと目線を上げて、外を見ると、穏やかな海原が広がっていて、海の上を走っているみたいに感じた。
「困ることなんてなかった。住む町さえ違うけど、ほとんど変わりはないんだ。アイツが家に帰らないのは元々だったし、怪我してよく寝込んでいた母親に代わって、家事もやってたし。でも、そんな大事なことを勝手に決められたのが、今でも少し引っ掛かってる」
「でもそれは、きっと何か、わけがあったからでしょ?」
「わかってるよ、勿論。アイツにから僕らが見つからないようにするためのほんの気休めだってことくらい。もともと女姓婚で、頼れる人もいないから完全には変えられないし。
……あの男は僕を、自分の子供だなんて思っちゃいない。きっと模範囚になって刑期を縮めることなんてチョロいもんで、そのあと妻子揃って殺されかねないだろうね。だからわざわざ彼女は、スガワタリの名を捨てたんだ。中途半端に明陽から近いところに引っ越したくせして」
「流星……」
「別に、たかだか名前を変えたことなんかに対して怒っているわけじゃない。言いたいこと、解ってくれる?」
わかるけれど、わからない。
今までに見たことのないような目をする彼は、わたしにも何か訴えかけるようだった。
僕は、そんなに信用のおけない人間か?
耳のすぐそばで訊かれているみたいに声がする。心の声だ。今、上総ほたるとして生きている理由も、どうしてあなたの傍に居続けているのかも、すべて打ち明けてしまいたい。でも、そうしてしまったら、あなたは────。
もどかしくて、苦しくて、たまらなくなった。
おばあちゃんから緑の色が消えた真実だって本当は知っているのに、言えない。黙りこんだわたしを見詰めてくる瞳が、だんだん気遣わしげな色になってきた。もしかしたら今、わたしは笑っているのかもしれない。絶対にこの場所に踏み込まないために、踏み込まれないように、必死になって隠そうとして、限界を超えている。良くも悪くも、どうかしてしまっている。
どうして此処まで無理ができるのか、自分でも理由はわからない。
「…………お昼、洋食屋さんと回転寿司、どっちがいい?」
「うーん、」
あまりにも不自然な話題転換を持ち掛けてきた彼は、電車の揺れでさらさらとほつれていく前髪に隠すみたいに、わずかに眉をひそめていた。
それに合わせてごく自然に答えたつもりのわたしは、どんな顔をしていたんだろう。
「流星くんが、行きたいところでいいや」
外の景色を見やるふりをして、わたしたちがどんな風にガラスに映り込んでいるのだろうと考えてみたけど、こんなに明るい時間なのだから、何も見えるはずがない。
無益なため息を、
「海があおくて綺麗だね」
昇華する。
この痛みが、わたしの身勝手な願いを叶える為の代償だというのなら。最後まで、この気持ちと闘い続けようじゃないの。