複雑・ファジー小説
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- キーセンテンス
- 日時: 2012/02/05 12:29
- 名前: 遮犬 ◆ZdfFLHq5Yk (ID: /HF7gcA2)
ボチボチと、細々と書いております。遮犬と申します。温かい目で読んでくださると何よりでございますーっ!
更新再開いたしましたっ。日常シリアスに感動を与えてみたいという思いで書きました。笑えて泣ける。そんな面白い物語にしたいと思いますので、応援宜しくお願いいたします><;
何気無く日常を過ごす少年。少年は、曖昧な記憶の断片を思い出すことも無く、平凡な日常を過ごしていたが、いつの間にか自分自身、そして様々な運命と対峙することとなる——
「貴方にとって大切な言葉は何ですか?」
〜目次〜
プロローグ……>>1
【第一章】
第1話:願いを叶える桜の木
♯1>>2 ♯2>>3 ♯3>>4 ♯4>>5 ♯5>>6
第2話:過去の償い
♯1>>8 ♯2>>13 ♯3>>18 ♯4>>19 ♯5>>20
第3話:不思議な転校生
♯1>>21 ♯2>>22 ♯3>>23 ♯4>>26 ♯5>>27
第4話:突然の困惑
♯1>>28 ♯2>>29 ♯3>>30 ♯4>>31 ♯5>>32
第5話:不思議な手紙
♯1>>35 ♯2>>36 ♯3>>39 ♯4>>42 ♯5>>43
第6話:見えない真実
♯1>>44 ♯2>>45 ♯3>>46 ♯4>>47 ♯5>>48
【第二章】
プロローグ(あとがき付き)……>>50
第7話:記憶の灯
♯1>>53 ♯2>>54 ♯3>>55
【番外編】
雪ノ木 若葉の日常
【>>49】
- Re: キーセンテンス ( No.43 )
- 日時: 2011/11/18 23:46
- 名前: 遮犬 ◆ZdfFLHq5Yk (ID: rGbn2kVL)
「さてと……」
すぐ近くであーだこーだと明るい声で独り言を言いながら弁当を3つ広げて食べている三河を余所目に、俺はラスクを食べ終えたので教室に戻ろうとしていた。
「あれ? もう帰っちゃうんですか? 親分」
「誰が親分だ。……あぁ、ラスクも食べ終わったことだしな」
「ラスクだけで足りるので?」
「……足りないけど、これしかないからしょうがないだろ」
そういいながら、空になった袋を左右に揺らした。三河はそれを見て何を思ったのか知らないが、突然自分の弁当の内の一つを差し出して来た。
「これ、よかったら食べてくださいな! どうせ私、試食なんで食べ切れないですからー!」
「全部食うほどの大食いでもないのか?」
「あー、暮凪さん、失礼ですねー。女の子に大食いなんて言葉は似合いませんよ? 例えテレビとかで大食いと呼ばれていても、女の子は乙女な少女なのですよ! そこのところ、しっかりしてくださいな!」
頬を膨らまして腕をぶんぶん振っている辺りからみると、これは怒っているのだろうか。俺はゆっくりとため息にならない程度の息を吐いて落ち着くと、
「それは悪かったな」
と言った。その言葉を聞くや否や、三河は頬を膨らますのと腕を振るのをやめて、再び弁当箱を差し出して来た。
差し出された弁当箱は、量こそは普通の男子高校生が食うほどの量でもない、単刀直入に言えばかなり少なく、しかし見栄えがいいものばかりだった。ちゃんとバランスを考えた食材が並び、肉類や野菜類などの量もそれぞれ均等といっていいほどの揃えだった。見たところ、まだ手を付けた様子は無く、言えば作られた状態のまま残してあった。
「これは……随分料理上手い奴が作ったんだな」
「あー、また失礼、ですよー? それ一つに限らず、三つとも上手いです! ていうか、美味しいんですよ!」
「いや、別にそういう意味で言ったわけじゃないが……まあいいか。でも、俺がもらってもいいのか? お前が試食するからと言って渡されたものだろ?」
「えぇっ! 暮凪さんって、そんな細かい人だったんですかっ! 外見からして肉食系でーすって感じがするのに、そんなに細かいんですかね! いいんですかね! それって!」
「知らねぇよ……。分かった、じゃあ遠慮なく貰うよ」
俺はゆっくりと右手を伸ばし、三河が差し出している可愛らしいピンク色の弁当箱を受け取ろうとしたその時、
「500円」
「……は?」
「弁当代ですよー! 結構安いと思いません?」
「高けぇよっ! 男でこの量500円って、どっかの定食屋で食った方がマシだ! ていうか、金取るとか聞いてねぇぞ!」
「えぇー! 暮凪さん、世の中そんなに甘いもんじゃないですよ! こうしてビジネスを重ねて、人は育っていくのです! 分かりますか!」
「何で年下にそんなこと言われなくちゃなんねぇんだ……。500円は高すぎる。もっとまけろ」
俺がそういうと、三河は弁当箱を自分の元に引き戻し、頬を膨らまして俺を見てきた。そうして少し考えるような素振りをとった後、三河は指で三つを表した。
「まだ高けぇよ」
一言俺が返事を返すと、少し怒ったように「えー!」というと、また少しの沈黙を挟んで、小さく「しょうがないな……」と呟いたかと思うと、三河は二つの指を指し示した。
「……ま、いいだろ。じゃあ200円な」
「毎度ありーっ! さっすが親分だぁー!」
「……ったく、他人の弁当で商売する奴なんて初めて見た」
200円を財布から取り出すと、それを三河の小さな手にゆっくりと置いた。そして次に弁当箱を受け取る。見れば見るほど量は少ないが、おかずはどれも品揃えが良いというか、美味しそうだった。
「これらの弁当はみーんな彼氏にあげるとかで作っていたらしいですよ? と、いうことで……暮凪さん、感想くださいな!」
「味の感想か?」
「そうです! 男の人から見て、この弁当はどうなのかっていうのをズバリと言い当てちゃってください!」
三河からそう言われた後、俺は弁当箱についてあった割り箸を割ると、弁当箱の中身を突っつき始めた。
どれも小さなおかずごとにまとめられており、女の子だとこれは二口、多くても三口程度のものなのだろうが、男からすると一口、二口程度にしかならない。この量を二口で、という男はよっぽど小振りな奴なのだろう。
食べてみた所、かなり美味しかった。何度も練習したんだな、というのもこの弁当箱から感じられるが、それとはまた別に手慣れているようなものもあった。普段から自分の弁当を作っていると思う。そのせいで何だか作り慣れている感があった。
だが、問題的に、まずそんなどうでもいいことよりも大切なことがあった。
「ハッキリ言おう。男にしては量が少なすぎる。男に渡すにしては、ちょっと配慮してなさすぎると思う。自分が食べる程度の弁当を作っているから、相手のことを考えてないというか……そんな感じがする。実際にまだ俺は腹が減ったしな」
「それは単に暮凪さんがよく食べるとかいう理由なのでは?」
「特に否定はしないけどよ。この量は普通の男子からすれば確実に少ないな」
「ふむ……味の方は?」
「味はこれでもいいと思うけど、やっぱり作り慣れているせいなのかは分からないけど、味付けが薄いな。カロリーとか気にしてるのかは知らないけど、もう少し味付けを濃くしてもいいんじゃないか、という気がする」
「へぇ……」
何だかどうでも良さそうというか、先ほどまでの明るいテンションの声や表情とは違って呆けた顔をし始めた三河はどこか様子がおかしかった。
「どうした?」
「え? ……あぁ! いえいえ! 何でもないですよー! それより、貴重なご意見、ありがとうございますですね! よしよし、これでまたビジネスが広がるなぁ……」
「お前、このアンケートも金に換えるつもりか」
「ふふふ、世の中は甘くないですからね!」
全く恐ろしい女だ、と呆れたように俺は嘆息し、感想を言いつつも食い進めていた弁当がいつしかだし巻きのみとなってしまっていたことに気付くと、その最後のだし巻きを口の中に放り込み、よく噛んでその味を噛み締めた。
「はい! じゃあ弁当箱あずかりますね!」
「あぁ、頼む」
俺の手から弁当箱を取り上げると、三河は手慣れた手つきでそれらをまとめると、突然立ち上がった。
「もう昼休み終わりますし、そろそろここらへんで退散しますね! ……あ! ここのことは、誰にも秘密ですからね!」
「はいはい、分かった分かった」
「本当に秘密ですからねー? 私と、暮凪さんしか知らないんですから! 多分!」
「あぁ、言わねぇよ」
俺がそういうと、ふっと先ほどまでとは違う笑みを漏らしたような気がした。それは何だろう、とても柔らかくて、寂しげな笑みだった。
「それじゃ! また会えるその日まで! 生きてたらー!」
通常の声に戻ると、三河は手を振りながら俺に背を向けて小走りで屋上から出て行った。
「ったく、生きてたらって、軍人かよ」
膝に肘を付き、俺はその背中を見送ってから呟いた。
——あれ? ここはどこ?
気付いたら、そこは、真っ白な世界だった。
綺麗な世界で、全身が溶けて行くような感じがする。いや、感じというより感覚がないのかもしれない。
私は、一人だった。何時生まれたのかも、どこで死んだのかも分からないし、そもそも自分という存在はいたのかということすらも分からなくなる。
ただ、人間の形をしている何かなのかもしれない。それは、誰にも分からない。きっと、人間でいる人々も皆、生きていることの理由なんて、全然分からないんだ。
けれど、私はもっと分からない。どこにいて、何をして、どうしてこんな真っ白な光しかない世界にいるのか。全然分からない。
——あ。
少し思い出したことがある。
何だろう、私は、私は、誰かと前までどこか悲しい世界にいたような気がする。
それは、私の最愛の人で、私はその人と生きることを望んだけれど、あの悲しい世界じゃ、私達は共存できないと分かったから。
だから、私は貴方の手を離した。その手は、温かいと思っていたけれど、実際はとても冷たいことも。貴方は、私と同じ人間だと思っていたけれど、それは"全然違っていた"ということも。
——私は。
何だろう。私は。
全ての感情を忘れて、ここにいる。私は、ここにいる。
誰か来て欲しいと願っても、声はどこにも届かない。声が、出せない。
いや、出し方を知らないのかもしれない。自分自身が、人間だと認知していないのかもしれない。
このままどうなっていくんだろう。私は。きっと、私は。
「——お、き、て」
声が聞こえた。その声は、初めて聞く最愛の人の声だった。
- Re: キーセンテンス 第5話完結しましたっ。 ( No.44 )
- 日時: 2011/11/24 21:42
- 名前: 遮犬 ◆ZdfFLHq5Yk (ID: rGbn2kVL)
部活動ともいえない活動は今日の放課後にはなかった。つまり、放課後が来ればそのまま帰宅するということになる。
特にやることもない俺は即座に帰る支度をする。いつの間にか五十嵐はおらずに、潮咲は店の手伝いがあるからと言って先に帰ってしまった。
涙や雪ノ木、北条などにもあまり顔を合わせずに、というより涙以外、雪ノ木と北条には今日顔を見せていないし、見てもいなかった。
またどうせ明日会えるだろうし、特に気にも留めずに帰ろうとしたのだが、外は曇り空に雨が降り始めていた。最初はポツポツと小さな雨粒が何適か落ちてくる程度のように感じたが、段々と変化し、俺が一階に下りる頃には、小雨へと変わっていってしまっていた。
嫌いな雨がアスファルトの地面を湿らせる。雨は嫌いだ。それは、あの頃を思い出してしまいそうだから。
あの頃。それが何時の頃だったのかも、何故だろうか、俺は記憶が曖昧になってしまっていた。何時、どこで、どうしてそうなってしまったのかも分からないまま、ただその原因を親父のせいだと決め付けている自分がそこにいた。
その頃の自分は、どうしてだろうか。人のことを考えなかったのかは分からない。ただ、自分勝手な奴だということは分かっていた。
分かっていたからこそ、俺は俺が嫌いだったんだ。
「雨、か……」
突然、俺は呟いてしまっていた。それはとても自然に言葉として出たもので、正直俺も驚いてしまっていた。
今更、俺はあの時を思い出して何をしようというのか。けど、俺は何であの頃からずっと逃げているのだろうか。
逃げているんじゃない。怖いのか。
濡れてしまうな、なんて当たり前のことも考えずに、俺は自然に足を踏み入れようとしていた。
いつの間にか周りに賑わっていた奴等はどこかへ消えてしまっていた。まるで、この世界には俺だけしかいないかのような。そんな感じがしていた。
ゆっくりと足を踏み出そうとした時、初めて雨が強くなっていることに気付いた。小雨ではなく、幾つもの無数の雨が否応に無く足を濡らしていく。その様子を見つめ、また数秒後俺は足を踏み出していた。
冷たい水滴がいくつも頭上から滴り落ちていく。ひんやりと背中が凍えるような冷たさに襲われていく。
あぁ、そういえば梅雨だった。そんなことも忘れていたこの時間は、何故だか時が止まったかのように、とても不思議な感じがした。
あの頃もそうだったのだろうか。
「——何してんの?」
その時、後ろから誰かの声が聞こえた。慌てる素振りも俺は見せず、ゆっくりと声のした方向に振り返ると、そこには北条がいた。
小さな背に、かなり長い黒髪が雨のせいか、しっとりと濡れているような気がした。その小柄な手には、小さな体を覆い被さるには十分すぎるほどの大きな藍色の傘が握られていた。
不思議な顔をして俺を見つめてくるその黒い瞳はとても純粋なものに思えた。何故だか、いつもは普通だと思っていた北条が、何故かこの時とても綺麗に見えた。
「……いや、今帰ろうとしていた所だ」
「……そんなとこで立ち止まってるクセして?」
「まあな」
「ふぅーん……」
特に表情も変えずに、大きな黒い瞳を何度か瞬きさせて、ゆっくりと俺の方へと歩み寄って来た。何をするのかと思えば、北条は真っ直ぐ上に向けて傘を上げ出した。
「あ——」
その瞬間、俺の頭上に降り続いていたはずの雨が遮断された。それが北条の傘のおかげだと知ったのは数秒後のことだった。
「そのままじゃ、風邪引くでしょ」
北条はそう言って腕を精一杯伸ばしている。さらには背伸びもしていたりする。俺の身長と北条の身長だと全く合わないので、北条の小柄な体だと背伸びまでして傘を上にかざさないといけないらしい。
それを知った俺は、自然に笑みが零れた。
「お前も、無理するなよ」
「まあね。そろそろ疲れてきた頃だった」
北条はため息のような息を吐くと、急に力を抜いて傘を地面に向けた。再び頭上から雨が降り始めた。それは俺だけではなく、北条も同様にだった。
「傘あるのに、風邪引くぞ」
「疲れたから下ろしてるだけだよ。これぐらいで風邪引かないし」
そうは言っても、北条の体は小刻みに震えていた。そうだった。北条は変に我慢強いというか、無理をするというか、何だかよくは分からない、お節介のような奴だった。
「じゃあ俺が持つ。それで濡れないだろ」
ひょいと、北条が持っていた傘を取り上げるようにして奪うと、傘を北条の上にかざした。
「何この奇妙な画は……」
「知るか。俺は別に風邪引かないから大丈夫だ」
俺がそう言うと、急に北条は笑い声を出し、笑顔になると、口を開いて再び喋りだした。
「いいや、その傘、貸してあげるよ。また明日ぐらいに返してくれればいいからさ」
「はぁ? 北条が風邪引くだろ」
「ふふ、これでも風邪とかには強い方なんだよねー。……ま、そういうことで!」
「あ、お、おいっ!」
ポンッ、と俺の肩を叩くと、そのまま傘を置き去りにして雨の中走り去って行った。
俺の呼び止める声などは全く聞こえる素振りも無く、ただ雨音に掻き消されるようにして見えなくなっていた。
「一体何だっていうんだ……」
自分の手に握られている傘を見つめ、俺は一人、雨の中で呟いた。
私の証。それは消えてしまうけれど、きっとそれで良くなるはず。私の"運命"は、そんなところ。
「……傘、ちゃんと明日返してよね」
誰もいない雨が降る曇り空の下、ただ一人でそう小さく呟いた。
誰の耳にも聞こえず、雨音にただ掻き消されて消えていく小さな言葉達は、音も無く、ゆっくりと振動するように、世界へと落ちていった——
- Re: キーセンテンス 第6話更新 ( No.45 )
- 日時: 2011/12/15 00:48
- 名前: 遮犬 ◆ZdfFLHq5Yk (ID: FMKR4.uV)
- 参照: テスト終わり、更新復活いたしますb
翌日。いつものように目覚めが悪く起きる。今日も学校なのかと思うと、どうにも憂鬱になってくる。その理由は、部屋の窓から見える曇天のせいなのかもしれないが、幸い雨は降っていなかった。
昨日はあのまま北条の傘を差して帰宅した為、傘も返さなくてはならない。というより、あの雨の中に一人で帰宅させた上に傘を借りるというのは男としてあるまじき行為なんじゃないかと今になって思い始めていた。
「ったく、何やってんだか……」
額に手を当てて、一人部屋の中で呟いた。
今日もまた、潮咲は来るのだろうか。そんなことを思いながらベッドの上から床へと足を付けた。
ひんやりとした感触がどことなく気持ち良い感じがした。
ごく自然なようにため息を漏らすと、すぐ傍にあった制服を手に取ってそれをさっそく着ようとした時、
「うん……?」
丁度着替えようとした時に眼の前に映りこんだもの。それは、カレンダーだった。
カレンダーの今日の日付によると、今日は休みだった。そういえば、昨日、部活動がなかったことなどを見ると、何かを忘れているような気がした。
「あー……」
原因が分かった時、昨日は何故部活動が無かったのかなどの回答がすぐに理解したのであった。
そう、来週から期末テストが開始される予定だった。
といっても特にやることも無く、土曜日だからとか来週がテストだからといって何をするわけでもなかった。
普段から真面目に授業など聞いてはいなかったので、全く分からないどころか、今何をやっているのかさえもあやふやな所がある。前まであまり勉強しなくても何とかやっていけはしたが、さすがに今年からはレベルも上がり、本腰といったところだろうか。勉強という行動に移さなくてはテストなんてまるっきし分かりはしない。
なので、今回のテストはなかなかしてヤバいというわけなんだが……何をするにしても、まず準備が必要なわけで……。けれど、その準備となるノートやらの教材すらもどこにいったか分からないという体たらくなわけで……。
結局、俺は一人で何もすることがなかったのだった。
「仕方ない……誰かに教えてもらうなり、するしかないか……」
赤点や欠点などを取ると、課題などが増やされたり、補習を強制されるようになる。そうなったら面倒なので、ギリギリでもいいから欠点等は取らないようにはしているのだが、前に一度取ってしまったことから先生に目を付けられたりして、色々と愚痴を言われたりもする。元々そんなのは気にせずに、全て無視するような感じで過ごしていたのだが、
「私の部から欠点取る奴を出させない!」
という涙の言葉と努力やら何やらで半強制的に勉強させられ、平均点以上をマークするという快挙を成し遂げた。俺よりも、涙が高笑いをして喜んでいた記憶があるのだが……まあそれはいいとして。
「さて……誰に教えてもらうか、だな」
今回で二年生になってからテストは三回になると思うのだが、そこから二回目の定期テストの時に涙から教えてもらった気がする。確か定期テストと模試テストと課題テストがある。
定期テストはその名の通り定期的に受けるテストなのだが、模試テストは難易度が高めのテスト内容、つまりは大学入試などに向けたテストみたいだ。課題テストは課題として出されたものを総まとめしたものから作り出されるテストで、このテストは定期同様に成績にバッチリ入ることになる。
夏中間辺りで、単位テストと呼ばれる特殊なテストがあるのだが、それは自由に受けることが出来、一学期に不十分だった成績を補う為の救済措置用のテストのようなものだ。大体の生徒はこれを受けて成績の挽回を図るわけだが……そういえば去年、俺も受けたことがあったはず。何とかそれで免れたんだったか。
そして、今回はその中でも定期テストの中間、期末と分かれてある内の期末テストが待っているということになる。
涙に教えてもらった時、スパルタはスパルタだったが、とてもすんなりと覚えることが出来た。つまり、教え方が上手かったように記憶している。
雪ノ木辺りに頼もうとしたけれど、その時雪ノ木も成績が芳しくなかったようで、猛勉強を励んでいた。邪魔すると悪かったので、頼まなかったんだっけ。
五十嵐は五十嵐で、確かに分かりやすいといったら分かりやすいんだが……何というか、とても淡白な教え方だったような気がする。端的に、ただこれが正解だと言わんばかりの正確な答えしかハッキリと簡単にしか言わない。具体的に、内容が濃くないというのだろうか。教えてもらえれば多分分かりやすく説明出来ると思うのだが、五十嵐から具体的に教えてもらおうという考えは何となく拒否された。
「……北条は?」
そういえば、北条に教えてもらったという記憶がない。そもそもあいつ、賢いのかどうかさえも分からない。ほとんどゲームやらで一日を過ごしている奴なので、頭が悪そうな気配はしたりするんだが……。
「傘も返さないといけないしな……」
昨日に借りた傘を返さなくてはいけないという思いもあり、どことなく北条の元へと訪ねてみたくなったのであった。
北条の住んでいる所は、確か涙の家からさほど遠くない場所だったと思う。橋を超えるのは涙の家に行くのと変わらないルートだったはずで、北条の家は涙の家からまだ離れている場所にあったはずだった。その為か、北条は多分自転車か何か乗り物を使って登校しているはずだった。でないと距離が距離で、遠すぎる。
とはいっても、このまま北条の家に行って北条がいるかどうかも分からないし、それにこの傘一本如きでせっかくの休みを邪魔してはいけないんじゃないかという思いが交差して何となく行こうと思わなくなる。勉強云々はともかくとして、傘だけはせめて返してから帰ろうと思った俺は、自転車へと跨り、ゆっくりとペダルを漕ぎ始めた。
橋まで行くのにさほどかからず、案外スムーズに涙の住む方にある大巫女川辺りまで来た。昨日の雨の影響か、少々量が高くなっているような気もしたが、相変わらずの眺めのいい川だった。
河川敷には、少し曇りがちの空の下、野球をしている小学生辺りの男の子達から声があがっていた。
北条の家はどこそこにある、という風に情報として聞いたぐらいで、実際に見たり入ったりしたことは無い。だから無謀とも思える北条の家訪問なのだが、散歩がてらだと思えば気が楽だった。
橋の上からギリギリにして見えるあの願いの叶うと言い伝えのある桜の木はもう桜色を失っていることが橋の上からでも分かったぐらい、この町の景色は一望できたりもした。
確か、とある神社の近くにあると聞いたことがある。家自体は館のように大きめだというから、見つけやすいとは思っていた。
「……案外見つからないもんだな」
橋の上を渡り切り、大巫女神社と呼ばれる川から由来したらしい神社の周辺を訪れたのだが、全く館らしいものはない。
本当に此処の辺りに北条が住んでいるのかということも、もはや疑問となってくる。もしかしたら、正反対の方向とかいうんじゃないだろうな、とか思いながらため息が一つ漏れていく。
そこそこに探し回ったが、見つからないということで一旦大巫女神社の鳥居前で一息吐いた。
別に、傘一つ如きでどうして此処まで走り回らなくてはならないのだろう、という思いがふつふつと次第に込み上げてきた。別に傘が無くて困っているわけでもあるまいし、また学校のある来週に渡せばいいじゃなか、と思えてきた。
だんだんと諦めがつき始め、次第には帰ろうと思うように心変わりしてしまっていた。
自転車を停めて、近くにあった自動販売機でスポーツドリンクを購入し、下から手に取ろうとしたその時だった。
「あの……」
ふと、誰かから声をかけられた気がした。周りを見渡すようにし、その声がしたと思えた方へと振り向くと、そこには巫女服姿の少女が箒を持って突っ立っていた。
- Re: キーセンテンス テスト終わり、更新再開しましたっ。 ( No.46 )
- 日時: 2011/12/19 21:40
- 名前: 遮犬 ◆ZdfFLHq5Yk (ID: FMKR4.uV)
「えっと、どこかで……?」
俺はおそるおそる、その少女に向けて言葉を交わした。
巫女服姿の少女は、遠慮がちというか、少し緊張したような面持ちで俺の目を見つめていた。その深い黒色をした綺麗な瞳は、凄く純粋というか、真っ直ぐと自分の気持ちを貫き通しているような、そんな雰囲気が醸し出されているかに見えた。
「あの、以前、桐野おばちゃんと……あ、えっと、妊婦さんと私がいて、そこを貴方が助けてくれて……」
「俺が……?」
ぼんやりと巫女服姿の少女を見つめた。髪飾りに、リボンでカチューシャのように付けている巫女服の……。そして、妊婦……?
「あ……あぁっ! あの時の!」
俺は思わず思い出した途端、声をあげてしまっていた。その様子を見て、この眼の前にいる少女は安堵のため息を吐いた。
「あの時は、ありがとうございました」
「いや、当たり前のことをしただけだから」
そう答えると、少女は箒を何故か胸の前で両手に力を込めてギュッと握り締めると、少し悲しげな眼をした。それが一体何を示していたのか、俺には全く検討もつかずにいたが、すぐさまその表情は無くなり、少女は曖昧な笑顔を零した。
「えっと、前にお名前、お聞き出来なかったので……今聞いても大丈夫ですか?」
「え? ……あ、あぁ。えっと、俺は暮凪 司」
「暮凪……司……?」
どこか心当たりがありそうな感じで眉をしかめた少女だったが、すぐさま我に帰ったかのようにハッとした表情になる。
「す、すみません。名前、聞いたことがあるような気がして……」
「俺の名前を?」
「えぇ……。いや、きっと気のせいですから。気にしないでください」
少し躊躇いがちに、微妙な笑みを残しながら少女は言った。
以前も思ったが、巫女服だからなのかスタイルが良く見える為、少し童顔な顔立ち以上のスタイルに見える。
「あ、えっと、私は嘉島 琴乃(かしま ことの)です」
まるで思い出したかのようにして少女、琴乃は自分の名前を告げた。それに順応するかのようにして、風が少し吹き荒れた。曇り空も見え始め、にわかに雨が降ってきそうな雰囲気が辺りから感じられていた。
「一雨、降りそうですね」
「そうだな……早く帰らないとな」
両手の平を上にして、雨がまだ降っていないか確かめる俺を見て、琴乃がごく自然に、
「家、どちらなんですか?」
という質問をしてきた。別に嘘を吐く必要もないし、適当に答えようと思った俺は、大巫女橋の奥側へと指を差した。
「大巫女橋を超えた先の住宅街。何もない所だよ」
「大巫女橋を超えた先って……今からそこまで帰っていたら雨で濡れちゃいますよ」
「いや、まだ雨降ってないし……多分間に合うんじゃ——」
と、俺は多少苦笑いをしながら言おうとした言葉は、ポツリとたった一粒の雨だけで掻き消されてしまった。
「私の天気予報は当たるんです」
琴乃はそう言って笑顔を俺に見せた。
結局、その後雨は降ってきてしまい、仕方なく神社へと招かれることになった。
神社で雨宿りなんて、いつぶりだろう。小さい頃に、一度か二度はした記憶があるが、果たしていつ以来なのか、いつ雨宿りをしたのかなどの記憶は覚えていない。
ただ、あの時。あの時、俺の横に"誰か"がいたような気がする。ただ、それだけは確信している出来事だった。
「あの、暮凪さん?」
「え? ……何?」
「いえ、先ほどから呼びかけていたんですけど、一向に返事がなかっったから……」
「あぁ、悪い。少し思い出してた」
神社というか、寺が鳥居の奥には陣取っていた。その寺、本堂の玄関辺りでタオルを渡された俺は、それを受け取りながら返答していた。
「何か思い出でも?」
「まあ……そんなとこかな。小さい頃、どこかの神社かでこうして雨宿りをした気がするんだ。それがいつのことだったかは全く覚えてないんだけど」
笑えるよな、と付け足して俺は苦笑した。それはきっと、まだ日常が普通に幸せだと味わえていた日。その淡い記憶は、きっと淡く儚く終わるだけなのだろうと俺は思っていた。
思い出は思い出。そういう分別を、まるで小さい頃からされていたかのように——。
「その神社って、もしかして此処ですか?」
「それも分からない。曖昧にしかないんだ。此処は行ったことがあるなーとか。その全てに多分が付くから、本当によく分かんないんだよなー……」
どれも曖昧な記憶で、まるで俺の人生は夢のように一瞬で消えるほどの薄いものなんじゃないのだろうか、というような感覚がして、変に怖くなってしまう。何もかも、分からないような気がした。
「……きっと見つかりますよ」
「え?」
琴乃が突然、ボソリと呟くようにして何かを言った。その言葉を、俺は上手く聞き取れずに、もう一度言ってくれと頼んだのだが、琴乃はそれを相変わらずの微妙な笑みでスルーすると、少し濡れた髪からリボンを素早く抜き取った。
シュルリ、という音が雨音と共にすぐ傍から聞こえた。その時、ふわりと肩までしかないショートヘアが優しく揺れた。その一瞬、突然の無音が周りを鎮めさせた。雨音が聞こえるはずなのに、全く聞こえなかった。どうしてか、その一瞬だけ。時が止まったような気がした。
だが、そんな不思議な時間も本当に一瞬だけで、すぐに雨音が鳴り始める。それも、先ほどより強く降っていないかというぐらいに。
「貴方は、貴方ですから」
突然、琴乃が呟いた言葉は、よく分からないものだった。けれど、これに似たような言葉を、俺はどこかで聞いているような気がした。それは一体どこだったのか。それとも、ただの思い違いなのだろうか……。
「なぁ、嘉島。俺とお前、どこかで——」
俺が琴乃へと話しかけようとしたその時、後方で何かが光り、次に激しい落雷の音が聞こえてきた。
ゴロゴロゴロ、と唸るようにしてあちこちで雷の様子が見える。何段もの石段を登った所にこの神社はある為、周りの様子が一面に見ることが出来る。
神社から見るその風景は曇り空一色だった。辺りは雨が先ほどの小雨が嘘みたいにザーザーと音を鳴らして地面へと叩き付けられていた。その雨のせいなのか、曇り空のせいなのか、辺りは霧のように遠くが見えなくなってしまっていた。
「これじゃあ止みそうにないな……」
頭を掻くと、俺は困ったように呟いていた。実際、此処に来たのは雨宿りという名目の元でだ。それに、俺がこっちに来たのだって当初の目的が……当初の、目的?
「あ……そうだ! 嘉島。此処の辺りに住んでいる、北条って奴知らないか?」
「北条?」
突然の質問に少し困惑したような顔をした琴乃は、言葉ではなくて頷いて返事をした俺を見ると、すぐに考える仕草をとった。
「うーん……聞いたことが、ないかもしれません」
「え?」
まさかの回答に俺は素っ頓狂な声を出してしまっていた。聞いたことがないって、どういうことなのだろうか。
「私は、この神社の近くというか、裏側にある家で暮らしています。此処の神主……えぇっと、叔父にあたるんですが、もうずっと一緒に暮らしてます。ですけど、そんな苗字の人は心当たりが……」
北条の暮らしている場所はこの付近だと聞いたことがあった。けれど、それはもしかして嘘なのだろうか?
いや、そもそもこの情報は誰から聞いた? 俺が他人から北条の家を聞くことなんて今まであるか? ——いや、それはない。
だとすると……考えられるのは、
「北条が……嘘を吐いた?」
そうとしか考えられなかった。少し青ざめた顔をしていたのか、俺の顔を覗き込むようにして琴乃が「大丈夫ですか?」と聞いてきてくれていた。
「考え事をしてただけだから、大丈夫だ」
俺がそういうと、琴乃はクスクスと口元を押さえて笑い声を噛み締めるような仕草をとった。
「……何かおかしかったか?」
「あ、いえ。ただ……何事も考えてから行動する人なのかなって。見た目からして、そんな風には見えないというか、前の桐野おばちゃんの一件でもそう。まず行動って感じがしたのに」
「あぁ……あの時は、すぐに動かないといけないって、体が反応したんじゃないか? そんなもんだろ、人間って」
俺がそう言うと、何故か琴乃は先ほどの笑顔がふっと消え、再びいつか見た寂しい眼をすると、またすぐに普通へと戻った。
「……あ、そうそう。あの、前のお礼がしたくて声をかけたんですが……」
「お礼なんて貰うほどのことはしてないし……嘉島と妊婦さんはどういう関係なんだ?」
「私の叔母にあたります。ですから、桐野家に暮らしていることになります」
あれが叔母にあたるのか。30代の叔母はとても若く見えたし……じゃああの病院に来てお礼を言ってくれたあの男の人は、琴乃の叔母に当たるわけか。
「えっと、その北条さんって人を探しているんですよね?」
「探しているというか、家をな。本人から場所を聞いたと思うんだけど……」
「あの、叔母は教師をやっていたり、この街に住む人をよく知っていますから、何か心当たりがあるかもしれません」
「この街に? 何年ぐらい前から……?」
「えぇっと、今年で38歳に叔母はなるので……13年前からですね。育児休暇で今はお休み中ですけど」
つまり25歳から教師としてやってきたということか。それからずっとこの街にいるっていうのは、余程この街に縁があるのだろうか。もう俺が覚えのある思い出の先生はどこかの都会にある学校かどこかへ飛ばされてしまったが。
となると、俺の今の歳が17になるわけで……13年前ということは、俺が4歳の頃から教師ってことだろうか?
この街限定で転勤を繰り返しているとなると、俺のこととかも覚えているのかもしれない。そうすると、そうなると——。
「会わせてくれないか?」
「え?」
俺の急な決断に驚いた顔をすることもなく、ただ生返事を返した琴乃だったが、それすらもお構い無く、俺は言った。
「俺に関係がある、大事なことを知っている人かもしれない」
いつの間にか、北条の家を聞くという内容は欠落し、自分の大事な、"無くなったであろう記憶"の手がかりがあるかもしれなかった。
——俺の、妹との記憶が。
- Re: キーセンテンス ( No.47 )
- 日時: 2011/12/20 23:25
- 名前: 遮犬 ◆ZdfFLHq5Yk (ID: FMKR4.uV)
俺には妹がいる。それは現在進行形で、今もちゃんといる。いや、付け加えるとするならば、今もあの"幼少時のまま"の存在で生きている。
妹は1,2歳は年下だった……はずだ。その記憶さえも、曖昧だった。
何せ、俺の記憶に残っている妹の姿は、どれも影がかっていて、よく分からないものが多かった。更に、音声でさえもよく覚えていない。ノイズがかったような音声で、誰が誰の声で、これが妹の声だという確証はまるでない。
親父に聞いたとしても、答えてはくれなかった。けれど、妹はいる。妹は、傍にいたんだ。親父が今のような状態になったのは、妹が何かあったせいなのだろうか。それとも、また別のことなのだろうかとか、そんなことも思っていたが、純粋に妹の存在が俺の中に存在していたんだ。
そんな"顔もよく分からない妹"は、幼少時の記憶として生きている。実際にどこにいるのかは、よく分からなかった。それは昔、妹だけ別の所へ預けられる形となって、俺と離れたんだそうだ。それから、一度も——。
いや、それだけじゃない。妹だけの存在だけじゃないんだ。俺は、この町のことを何も知ってはいなかった。ただ、あの願いの叶う桜の木が、あの木と関わりがあった。あの木は、俺に——。
「……暮凪さん?」
「え? ……あぁ、悪い」
雨音がまた耳元に入り込んできた。眼の前に、琴乃の姿も映った。不思議そうな顔をしている琴乃の目線から目を逸らす。
「顔色が、少し悪いですよ?」
「大丈夫だ、心配ない」
「また考え事ですか?」
「……まあ、そんな所だ」
俺がそういうと、今度は笑顔で返してきたのではなく、少しばかり真剣な面持ちで見つめてきた。
「桐野叔母さんは、今入院中ですし……急に会わせろ、というのは無理な話だと思います。この雨の中ですし」
「確かに……そうだな」
後方では、雨がザーザーと音を鳴らして降り続いている。いつ止むのかも分からないほどの雨量にしばしば、うんざりしていた。
「前のお礼が出来なくてごめんなさい。でも、また今度必ず会わせます」
グッ、とガッツポーズに似たようなものを知らず知らずの内なのか、琴乃は小さく行っていた。
それは何の意思の表れなんだよ、とは思っていたが、その感謝の気持ち? というのか。何にせよ、別にお礼なんてしなくてもいいと言っているというのに、する気満々でいた。といっても、俺にとってもメリットはあるわけで、そのお礼に甘える他はないわけだが。
「分かった。じゃあ、また今度な」
そう言って、俺はゆっくりと立ち上がると、傍に置いてあった北条の傘を手に持った。本当なら、この傘を返しに来ただけなんだけどな。
「え、まだ雨、降ってますよ?」
どうやら琴乃は雨が完全に降り止むまで此処に居させてくれるつもりだったらしい。それも感謝の内の一つなのかは知らないが、このまま雨が止むまで待っていたら日が暮れてしまいそうだった。というより、この曇天のせいで時間帯もよく分からないでいた。腹が大分減ってきているということは、もう昼時はとっくに過ぎているだろう。
「この傘の持ち主、どこにいるか分からなかったからな。この傘はまだ使わせて貰う事にする」
そう言って傘を広げる。バンッ、と勢いよく傘が開いた。付いていた水滴が一面に広がり、地面にあった水溜まりと同化していった。
酷い雨だが、いつまでも自転車を石段の下に置いておくわけにもいかず、傘を頭上へと向けると、琴乃の方へと向いて、
「じゃあ、またな」
と、告げて行こうとした。そうすると、琴乃が突然声を出した。その言葉の内容は、雨音によって掻き消されていたが、確かに何か言ったことは聞こえた。琴乃の方へと振り返ると、琴乃は少し笑顔を見せて、
「また学校で会いましょうね」
ハッキリとそう言っていた。今度は確実に聞こえた。また、学校でと。
「嘉島、俺と同じ学校だったのか?」
「そうですよ? 暮凪さんより、一つ下の歳ですけど」
「一つ下ぁ?」
俺は驚いた声を出さずにはいられなかった。それは、琴乃が俺の一つ下の歳だということだった。
見た目からして、大人びているというか、全体的に落ち着いているイメージのある琴乃は、どこか年上っぽい感じがした。けれど、たまに見せていく子供らしい一面とかから見れば、確かに年下というのも有り得なくは無い。まさか後輩にこんな大人びた奴がいるなんてな……まあ、いちいち1年の女子を把握しているわけでもないし、特に何も思わないが。
「そうだったのか……」
「ふふ、年上か何かだと思いました?」
「……まあ、正直な」
「よく言われますから、大丈夫ですよ。——それでは、また」
笑顔で琴乃はそう言って俺へと向けて手を左右に振った。
北条の傘を片手に、自転車を乗ると、急いで帰路を戻って行った。
行きはさほど遠いという実感こそなかったが、戻るとなるとどうしてこうも遠く感じるのだろうか。傘を差しているとはいえ、雨は容赦なく俺の体へと当たっていく。服が肌に張り付き、気持ち悪いような感じが纏わり付くようになっていた。
(あぁ、早く帰りてぇ……)
俺はそんなことを思いながら自転車を漕いでいた。大巫女橋の上へと差し掛かった時、ふとあの丘の方が見えた。
あの丘というのは、願いの叶う桜の木のある丘のこと。その丘が、この橋の上からよく見える。しかし、この曇天の中で、遠くがよく見えない状況ではまず様子を見ることは不可能だった。——だけど、
「何だ、あれ……!?」
俺は思わず、ペダルを漕ぐ速さを速め、すぐにでもその場所へと辿り着きたくなった。——あの、桜の木の元へと。
何故か体が軽かった。それは、あの風景を見たからなのだろうか。それとも、ただの錯覚だったのだろうか。いや、でも……。
梅雨の雨が降り注いでいるというのに、どうしてあんな現象が起きたのか。まず有り得ない現象だった。それは本当に、目がおかしかったのかもしれない。けれど、胸騒ぎがした。きっと何かあると、俺は思った。
何分かかったのかも分からず、いつの間にか丘へと辿り着いた俺は、自転車を横倒しにしながらも丘の上へと一人、傘を持って登って行った。
濡れた草や、服や、ズボンが色々と纏わり付いて、全身が重たい。まだ雨は降り続いている。止もうという気がないのか、それともまだ雨を降らし足りないのか、容赦なく雨は激しく襲いかかってくる。
髪も何もクシャクシャになりながらも、ようやく丘の上へと辿り着いた。桜の木が眼の前にある。だが、その様子はまるで枯れ木のような様子だった。
俺が橋の上で見た光景。それは——綺麗に光り輝く、桃色の光を放ったこの桜の木だった。
「やっぱり、錯覚か……」
だよな、と呟いて俺はその場を後にしようとした。その他、探そうといっても何もなかったからだ。潮咲か誰か、あの風景を見たのだろうか。もしかすると、俺だけが見たのだろうか。本当に錯覚だったのかどうか、俺には信じられなかった。
だが、その瞬間、ふわりと何かが頭上から舞い落ちてきたような気がした。ゆっくりと、俺は手を差し伸ばした。そして、それは優しく俺の手のひらへと乗った。
雨もそうだが、風も吹いている。だが、この場所だけはそんなもの、何も無いように思えた。でないと、この手のひらにあるものはどこかへいってしまうだろう。
この、桜の花びらが。
「花びら……? この季節に……?」
俺はその花びらを握り締めようとしたが、その瞬間、とてつもない風が吹き、花びらを飛ばした。一瞬の内に花びらは手のひらから消えてなくなってしまった。
君と私の、約束。
それは、ただ単純な約束。
この何も無い世界に、命を誕生させようとした。
それは罪なこと? それは良いこと?
分からないけれど、きっと私達の生きる希望になると思った。
どこか、どこかで見つけた一つの種をいつしか植え、いずれかいつの日か、きっと大きな花びらを咲かせることでしょう。
——満開の、桃色をした花びらを。
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