複雑・ファジー小説

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空の心は傷付かない【12/18 完結】
日時: 2015/12/21 02:26
名前: 之ノ乃 ◆kwRrYa1ZoM (ID: uRukbLsD)

 お前が死んだって、僕はなんとも思わない。

 
 ——だから、別に死ななくても良かったのに。



※この作品には、暴力的、グロテスクな表現があります。


はじめまして、之ノ乃(ノノノ)と申します。
普段は別のサイトで執筆しているのですが、気分転換にこちらに小説を投稿することにしました。
どうぞ、よろしくお願いします。

ちなみに以前は、別の名前で『俺だけゾンビにならないんだが 』という小説書いてました。

上記の注意書き通り、この小説にはグロテスクな表現が多く含まれています。ご注意ください。


—目次—

プロローグ『アイのかたち』>>1
第一章『常にそこにある日々』>>2->>16
第二章『確約された束縛』 >>17->>24
第三章『反れて転じる』 >>25->>38
第間章『回る想い』    >>39
第四章『終える幕』    >>40->>44
エピローグ『しろいそら』 >>44-45

人物紹介『バラして晒す』  >>46

Re: 空の心は傷付かない ( No.23 )
日時: 2015/10/28 21:36
名前: 之ノ乃 ◆kwRrYa1ZoM (ID: wpgXKApi)
参照: http://www.kakiko.cc/novel/novel6/index.cgi?mode

 幼馴染。

 屋久と僕の関係はこの言葉で表せる。
 それ以上でも、それ以下でもない。

 僕達の付き合いは幼稚園にまでさかのぼる。同じ組になり、僕の母と屋久の母が仲良くなった。それが原因で僕はよく屋久の家に遊びに行っていた。

 まあそれも、母が暴力を振るうようになるまでだけどね。
 小学校に入り、男子と女子は別れて遊ぶようになったけど、屋久とはよく遊んでいた。家に帰ると母に殴られるからと、学校に夕方まで残っていたな。心とは一つしか年が離れてなかったから、僕達の遊びにも付いてくることが出来た。そういえば、屋久と心、二人とも結構仲が良かったんだ。よく屋久が心に何か相談していたっけ。どんな内容かは知らないけどさ。

 だから、母に心が殺されて、母が逮捕されたと知って、屋久もショックだっただろうな。

 空っぽの僕は何も思わなかったから、祖父に引き取られてからもいつも通りに学校に通っていたけど、屋久の方はいつも通りにはいかなかった。僕に対する態度が凄く変わったんだ。どんな風に変わったかと言えば、いままでの倍以上僕に絡んでくる様になった。休み時間はずっといたし、帰りも毎日一緒だった。

 屋久が僕に約束してきたのは、屋久の家に遊びに行った日だ。屋久の部屋で話をしていたら急に屋久が涙をポロポロと流しながら僕を抱きしめていったんだ。


「私はずっと、くぅ君と一緒にいるから——私がくぅ君を守るから……」


 約束だから……絶対だよ、と。

 あの時の僕も別にいいよって言ったんだけど、屋久は「もう約束したから!」と言って聞いてくれなかったな。

 それから、中学、高校に上がっていく度に屋久の世話焼きは激しくなっていった。屋久が僕の為に色々してくれるのは確かにありがたいけど、そのせいで屋久の時間が減っていると考えると、空っぽの心が痛む様な気がするので、あまり喜べない。

 それを屋久に言うと「私の時間なんだから、使い道は私が決めるよ」と返されてしまったんだけどね。そう言われてしまうと僕は何も返せなくなる。僕の世話を焼くのは彼女の自由なのだから。

「くぅ君はさ、自分の事を空っぽって言うよね」

 食事を終え、店員に追加の水を貰って口を湿らせていると唐突に屋久がそんな事を言ってきた。
 その通り。

 僕は空っぽだ——。中身のない空洞——。
 何も感じない——。何も思わない——。
 全てがどうでもいい——。

 成り行きに任せて、死んだように生きている。

 僕が口を開くよりも早く、屋久は言葉を続けた。

「『僕は何も感じない』とか『どうでもいい』とか、よく言うよね。だけど私は違うと思う。くぅ君は空っぽなんかじゃないよ」

 僕が空っぽじゃなきゃ、一体何だって言うんだよ。

「だってさ、くぅ君は私とか岩瀬さんに優しくしてくれるじゃん。毎日弁当を作ってくるせいで私の時間が無くなっちゃうんじゃないかって心配してくれるし、岩瀬さんだってイジメから助けてあげた」
「それは違う」

 思ったよりも強い口調で、僕は屋久の言葉を否定していた。

「オワのは一般的な常識だ。毎日弁当を作ってくるのは実際、時間が掛かるだろ。それに岩瀬さんのはさっき説明した通り、成り行きだ。流石に僕だってあんな風に助けを求められたら応えるよ」
「へぇ……助けを求めたら応えるんだ」
「常識の範囲内でね」
「ふぅん。常識の範囲内」
「今回のは範囲内だったし、その場に居合わせたから」
「……もう。君はどうしても認めないよね」

 だったら——と屋久は僕の目を真っ直ぐに見た。
 少しの間を開けて、屋久が言葉を続けた。

「私が君の心を満たしてあげようか?」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」

 屋久の頬に朱がさしたと思うと、それが少しずつ顔全体に広がっていく。額からは汗が流れ、目が潤んできた。僕が笑いかけた時の岩瀬さん(仮)以上に赤い。

「何か言えよ!!」
「ごめん」

 何か返さなければいけないとは思うんだけど、とっさの事だったし何を返せばいいか分からなかったから、つい黙ってしまった。
 うるさいっ馬鹿っ、と屋久が吠える。
 だから再び口を閉じ、屋久の顔を凝視する。

「う……うぁ」

 小さく呻くと、両手で顔を抑えてしまった。これ以上やると後が怖いのでやめておこう。

「ごめん。からかいすぎた」
「くぅ君にからかわれるとか……屈辱」

 それから、潤んだ目で睨んでくる屋久が機嫌を直すまでに、それなりの時間を要したのだった。

Re: 空の心は傷付かない ( No.24 )
日時: 2015/11/03 01:07
名前: 之ノ乃 ◆kwRrYa1ZoM (ID: wpgXKApi)
参照: http://www.kakiko.cc/novel/novel6/index.cgi?mode

 
「んー。結構時間も経ったし、そろそろ帰ろっか」
 会話もまばらになった所で、スマホで時間を確認した屋久が言った。
 空に居座っていた太陽はいつの間にか沈み外は暗くなっていた。この辺りは田舎だから夜になるとめっきり人通りが減る。あんまり遅くなるのも良くないか。
 注文票を持ってレジに行き、お会計する。合計金額は千円よりも低かった。流石学生の味方。
「一括で」
 割り勘にしようとする屋久を遮り、僕は千円札を出した。お釣りを受け取り、屋久と一緒に外に出る。自動ドアが開くと暑い空気が体を包み込んでくる。太陽が沈んだというのに、相変わらず暑い。
「くぅ君が奢ってくれるなんて……びっくりした」
「僕だって男だし、甲斐性を見せる時は見せるんだよ」
「くぅ君が甲斐性を語る日が来るなんて思わなかった……」
 前に舎仁に奢らせた時、後から物凄く文句言われたからな……。いつもとは違った種類の笑みを浮かべながら、敬語で長時間お説教してくる舎仁。あれから外食する時はきちんとお金を持ち歩くようにしている。
「じゃあ、帰ろうか」
 店の前でいつまでも話してる訳にはいかないし。
「あー、ごめん! 私この後行きたい所あってさ」
「……へえ」
「だから一緒には帰れないんだ」
「どこに行くの?」
「んー、内緒」
「そっか。ああ、そういえばさ」
「なぁに?」
「今日は楽しかったよ」
「うぇ!?」
 僕の言葉に屋久が目を白黒させる。そんなに驚かせるような事を言ったか?
「何か、今日は色々くぅ君にびっくりだよ」
「普通だけどな」
「いつもが普通じゃないからな……」
「……これでも屋久には感謝してるんだよ」
「……うん」
「毎日お弁当とか夕食を作ってくれるしさ」
 こんな僕でも——、空っぽの僕でも——、屋久と話していると自分に中身があるんじゃないかと錯覚出来るんだ。
 普通の人間になったんじゃないかって、錯覚できるんだ——。
 嘘でまやかしだと分かっていても、悪い気分にはならない。
 だから本当に、感謝しているんだ。
「あ、明日は隕石でも振るんじゃないかな……」
「…………」
 昔、僕に中身があったかもしれない頃の記憶。
 あの時僕は、屋久の事を大切な人間だと認識していた。と思う。
 今はもう分からないけど、まだ僕は屋久の事を大切だと認識出来ているんだろうか。

「ねえ、オワ」

 その時僕は。
 思ってしまった。考えてしまった。
 もし大切な人が——、屋久が。
 「ん? どうした?」
 屋久が死んだら——僕の空の心は傷付くのだろうか——と。
 絶対に出してはいけないはずの答え。
 絶対に考えてはいけない答え。

「あのさ————『     』」
 
 






 その答えはすぐに出ることになった。
 その晩、屋久は行方不明になり————死んだ。
 正確に言うならば『殺された』。


 屋久の死。
 殺害。

 僕が感じたのは。
 思ったことは。

 答えは。


「あぁ。これからはご飯、自分で作らないとな」

Re: 空の心は傷付かない ( No.25 )
日時: 2015/11/03 01:09
名前: 之ノ乃 ◆kwRrYa1ZoM (ID: wpgXKApi)
参照: http://www.kakiko.cc/novel/novel6/index.cgi?mode

第三章 反れて転じる 


 幼稚園年少組の時、僕はよく一人でいた。まあ、それは今も同じだけどね。
 一人でボーっと座っていたり、本を呼んでいたり、たまに積み木とかブロックで遊んだりしていた。絵を書いたりするのも好きだったっけ。あんまり上手じゃなかったけどさ。あの頃はまだ滑り台とかブランコとかジャングルジムとか、色々な遊具があったなぁ。最近は危険だからって撤去されちゃったんだっけ。先生が「好きに遊んでいいわよ」って僕達を外に連れ出すんだけど、その時に部屋の外に出るのを嫌がってたっけ。理由は簡単で、一緒に遊ぶ友達がいなかったからだ。

 幼稚園の先生は僕に他の子と遊ぶように言ってくるんだけど、他の子が僕を怖がっているからそれは叶わなかった。もしかしたら幼いが故に僕の異常性に気が付いていたのかもしれない。まあ、ただたんに口数が少なくて不気味がられてただけかもだけど。

 今でこそ空っぽな僕だけど、あの頃は確かまだ誰かと一緒に遊びたいだなんて思ってたんじゃないかな。だからよく他の子と遊ぼうと近付いて行って逃げられたり、殴られて喧嘩になったりした。

 幼稚園に来てから一年が経って年少組から年中組に上がる頃には、もう誰かと遊ぼうという考えは思い浮かばなくなっていたと思う。だから年中組になってからも僕は誰にも近付かずに、一人で過ごしていた。

「ねえねえ、なんできみはほかのことあそばないの?」

 組が変わってから何日か経った頃、確かこんな風に僕に話し掛けてきた子がいた。長い髪をピンク色の紐で括ったポニーテールの女の子だった。当時の僕はポニーテールという単語は知らなかったけどね。頭の後ろ側に髪の毛の尻尾がある……怪獣の尻尾みたいだ、とか思ってたんじゃないのかな。

 そんな怪獣の尻尾をぶら下げた少女に、僕は露骨に嫌そうな顔をしながら言葉を返した。

「ひとりでいるほうがたのしいから」
「そんなわけないよ!」

 僕の返答が気に入らなかったのか、その女の子は僕の手を無理やり掴んで立ち上がらせた。何が起きているのか理解できなかった僕は、女の子になすがままにされていたっけ。というか、あの頃は力がなかったから、抵抗しても意味がなかったと思うけど。

「ひとりであそぶより、ともだちとあそんだほうがたのしいよ!」

 女の子は「当たり前でしょ」とでも言いたげな表情でそう言った。
 掴まれていた手が痛かったし、何より彼女の勝手な主張に頭が来て、僕は女の子の腕を無理やり振り払った。きょとんとする女の子に向かって僕は言った。

「みんなこわがってぼくにちかづいてこないんだよ。だから、ぼくにともだちはいない」

 僕の言葉を聞いた女の子はしばらく不思議そうな表情をして、何か得心がいったのか、ニッコリと笑った。それから、僕に向かって握手をするよう手を差し出してきた。
 女の子が何をしたいのかが理解出来なかった僕は、彼女の手を見て固まっていた。そんな僕の様子を女の子は楽しそうに笑うと、僕の手を掴んできた。

 温かい手だった。
 僕の手をぶんぶんと振りながら、女の子は言った。

「だったら、わたしとともだちになろっ!」

 その日、僕に初めての友達が出来た。
 そんな彼女の名前は、屋久終音と言う。


 海の底から急激に引き上げられるように、僕の意識は無理やり覚醒させられた。耳元ではその原因である目覚まし時計が元気よく体を震わせている。停止ボタンを少々乱暴に叩いて黙ってもらい、重たい体をゆっくりと起こす。カーテンの隙間から漏れている光に目を細めながら、大きくあくびを一つ。

 屋久終子が行方不明になってから二日目の朝が来た。
 彼女が居なくなっても世界は気にせず回り続ける。それは僕も同じだ。

「……学校行かなくちゃ」

Re: 空の心は傷付かない ( No.26 )
日時: 2015/11/04 01:27
名前: 之ノ乃 ◆kwRrYa1ZoM (ID: wpgXKApi)
参照: http://www.kakiko.cc/novel/novel6/index.cgi?mode

  ◆

 学校。
 屋久が行方不明になった事によって多少はざわついているものの、さして大きな変化は表れていない。集会が開かれて夜に出歩くのは極力やめましょう、という話がされたくらいだ。

 屋久が消えてから二日。すでに両親が警察に通報したらしく、現在捜索中らしい。この辺は田舎だから山とか川とか色々探さないといけない場所があって大変だ。一生懸命探している皆さんや両親には申し訳ないけれど、そんな所をいくら捜索しても屋久は出てこないと思うなあ。無駄足って奴だ。

 なんでそれを僕が知っているかって?
 そんなのは決まっている。
 僕が殺したからだ。

 屋久に会った後、人通りのない所に誘き寄せて殺した。ちょっと頑丈な紐で後ろから不意をついて首を絞めたのだ。屋久が完全に死ぬまではかなり時間が掛かってしまった。人通りがないとはいえ、誰かに見られないかとヒヤヒヤさせられた。やっぱり突発的な思いつきで人を殺すべきじゃないな。

 やはり人を殺す時はあらかじめしっかりとした計画を立てる事が大切だ。前に人を殺した時はもっとスムーズに行ったからな。今回みたいに時間を掛けていたら足が付いてしまう。もしかしたら、もう僕の犯行が警察にバレているかもしれない。現場に証拠を残すような真似はしていないけれど、僕が屋久の首を締めている現場を見られたりしたらアウトだ。まだ未成年だしある程度罪は軽くなるだろうけど、出来る限り捕まりたくはないな。

 捕まるとしても、もう少し待って欲しい。まだ僕は屋久を全て食べ終えていないのだから。空っぽだった器が満たされていくこの快楽。渇ききっていた僕の心が満たされていくのを感じた。

 因みに屋久の死体は現在、冷凍庫の中に保存してある。首を絞めて殺したからか、血抜きがしにくくて大変だった。死体をバラバラに分解するのも凄く時間が掛かった。解体用に使いやすそうなノコギリをあらかじめ買っておいて正解だったな。ルミナール反応対策に風呂をシンナーで洗ってから、アルコールで洗ってみたけど、効果があるのか分からない。というか、家の中を調べられたら一発でアウトだ。パソコンで調べて対策を考えたくらいじゃ、警察の目を誤魔化すのは難しいかもしれないな。

 前に殺した時は本当に運が良かったんだなぁ。日本の警察は優秀だ、とかよく映画やドラマで聞くフレーズだけど、さて。僕の事を捕まえられるんだろうか。

 僕が屋久を殺した現場には多分証拠は残っていない。全ての証拠は冷凍庫の中だ。家族と一緒に暮らしていたら、こんな事は到底出来なかっただろうな。やはり、家の中で落ち着いて処理が出来るというのは大きい。

 日本の優秀な警察に、バレないか、もしくは全て食べ終わってからバレる事を心の底から祈るよ。底って言っても、まだ浅いけどね。屋久を全て食べ終わる頃には、僕の空っぽの心が完全に満たされているといいな。

 今日はどこの部位を食べようか。あの綺麗な手か、引き締まったふとももか。
 ……うん、悩むけれど、今日はふとももにしておこう。食べ応えがありそうだ。
 想像するだけで口の中に唾液が溢れてくる。

 ああ、僕は今、最高に幸せだ。

Re: 空の心は傷付かない ( No.27 )
日時: 2015/11/05 23:06
名前: 之ノ乃 ◆kwRrYa1ZoM (ID: wpgXKApi)
参照: http://www.kakiko.cc/novel/novel6/index.cgi?mode

  ◇

 起きていながら、夢の中にいるような気がする。やたら世界がキラキラと輝いていて、周囲の喋り声がまるで街の雑踏の中にいるかのように聞き取りづらく煩雑だ。メリーゴーランドの上に乗っているような気分とも言えるかもしれない。馬が上下しながら決められた道をグルグルと回転している。僕はただボーっと馬の上に乗っているだけ。

 ……我ながら何が言いたいのか要領を得ない喩え話だな。
 現国の授業を聞き流しているのはいつもの事にしろ、ここ数日は他の授業も全く頭に入ってこない。英語なんて、まるで他国の言葉を聞いているようだ。と思ったら他国の言葉だった。

 そんなどうでもいいボケを自分の頭の中で繰り広げながら、ボケーッと黒板を眺める。僕がボケーッと授業を聞いているのはこれまたいつもの事だが、ここ数日はクラスメイト達も浮き足立っているようだ。今もチラチラと僕の方に視線を向けてくる奴が何人か。僕の顔を見ても板書は出来ないぞ、と見ている奴を名指しで直接突っ込んでやろうかと思ったけど、名前が分からないのでやめておいた。

 というか、何度目の自問になるか分からないけど僕ってこのクラスの中でハッキリと名前を言える奴は一人もいないんじゃないか? 岩瀬さん(仮)は(仮)が付いている時点でアレだし、そもそも下の名前が分からない。そして有沢さんと井上さんと上田さんは誰が誰か分からないし、やっぱり下の名前が分からない。

「…………」

 今まで僕はどうやってクラスメイト達と共にこの教室で生活してきたんだろう。友達がいないからクラスメイトと名前を呼び合う必要は無いんだけど、それにしたって一人の名前も分からないのはまずいんじゃないか。

 取り敢えず、誰かの名前が頭のどこかにないか探してみるとしよう。
 まずはこのクラスのクラス委員長の名前だ。クラスで何かを決めなければならない時、いつも教壇の上に立って僕達に意見を求める彼女だ。髪の色は黒で長さは肩に掛かるくらいまで。神経質そうなキッとした顔付きをしていた。身長は163センチくらいだったと思う。そして肝心の名前だ。確か頭に『え』が付いたと思う。え……え…。『江戸川』『遠藤』『江本』……そうだ、江崎だ。よくやったぞ、僕。この調子で下の名前も思い出そう。確かた行の名前だった。たちつてと……そうだ! チユリだ。クラス委員長の名前は、江崎チユリだ! 

 これでこの教室でちゃんとした名前を言える人が一人になったぞ。
 ……名前を思い出すんなら、岩瀬さん(仮)の方にするべきだったかな。彼女とはまあ……このクラスでは一番関わりが強いと思うし。だけど、どうやったって岩瀬以外の単語が出てこないんだよな……。下の名前にも全く心覚えないし。

 い……い……石杖さやか。
 誰だ。

 フッと頭の中に浮かんできたけど、絶対に岩瀬さん(仮)とは関係がない。岩瀬さん(仮)の苗字には岩が付いている。絶対だ。間違いない。恐らくは。多分。きっと。もしかしたら。

 僕が最近、ハッキリと名前を呼べる奴って、陣城一色、舎仁札、それから屋久終音と久次心だ。後ろの二人はもういないのでノーカウントにした方がいいかもしれない。ここにクラスメイトの江崎チユリさんを入れれば、三人! 致命的にやばい人数だ!

 と、今更ながらに焦燥感を覚える振りをする僕だった。
 僕が致命的なのはいつもの事なので、焦燥感を覚えた所でとっくに手遅れだと思う。もう数えるのも嫌になる程の膨大な借金を抱えていると、そこに多少の借金が増える事になっても、大して気にしないという。諦観し切っているのか、感覚が麻痺してしまっているのか。僕の現状はそれに近い物がある。まあ僕自身が何も感じていないという点は多少違うかもしれないけど。
 致命的な事が今更いくら増えようとも——。

「どうでもいい」

 と小さく呟いたら前の席の人に聞こえてしまったみたいでこっちを見られた。
 しまった。声の音量調節に失敗した。ただでさえ屋久の事で注目されているというのに、これ以上下手な事をして注目されたら色々と面倒な事になる。それは得策ではないだろう。

 クラス委員長の名前を思い出している内に授業が終わってしまったらしく、起立の号令が掛かった。この授業の教師は書くスピードが異様に早いからなぁ。そうじゃなくても最近はノートに手をつけていないというのに、こんなに早いとどうしようもないね。うん。


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