複雑・ファジー小説
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- 憂鬱なニーナ
- 日時: 2015/12/19 22:27
- 名前: 朝倉疾風 (ID: jx2ntsZm)
改名したので、お伝えしておきます。
朝倉疾風(アサクラ ハヤテ) → 夜枷透子(ヨカセ トウコ)
大幅に。思いきって。
五年間の朝倉とサヨウナラ。
ついったぁ @_aiue_ohayo
──日常に蔓延る、小さな狂気を。
登場人物
春名依空……蜷川、若狭とは幼なじみ
蜷川月子……通称「ニーナ」
蜷川時恵……ニーナの叔母
若狭壮真……金髪ピアス 総菜屋の息子
茶谷咲和……依空に一目惚れしたいじめられっ子
天羽カヲル……中学時代、咲和と同じクラスだった
秋月冴香……いじめの主犯
- Re: 憂鬱なニーナ ( No.37 )
- 日時: 2016/01/10 07:06
- 名前: 名無 (ID: 59tDAuIV)
夜枷 透子さん
2015年度 冬の小説大会
《複雑・ファジー小説部門》
【銅賞】
おめでとうございます
- Re: 憂鬱なニーナ ( No.38 )
- 日時: 2016/01/17 20:53
- 名前: 夜枷透子 (ID: jx2ntsZm)
『ノスタルジックメモリー05』
プールでの一件以来、ニーナは同じクラスの伊槻さんを明らかに敵視するようになった。今まで周りに対して無関心だったニーナが、伊槻さんの行動を気にするようになる。後を目で追い、動向を確認する。怯えでも恐れでもなく、不可解な生き物を警戒するような目だ。
伊槻さんはそんなことお構いなしで、ぼくやニーナに積極的に話しかけてくる。以前はニーナを気にして、ぼく一人だけに話しかけていたんだけど。今ではニーナにも一方的に話し続け、成立していない会話を楽しんでいる。鬱陶しいやつだけど、慣れてしまえば何のことはない。ニーナの導火線に火がつかないか気にかけてさえいればいい。
ぼくに興味を持ってくれる人というのは少ないから、新鮮だ。
若狭は急になれなれしくなった伊槻さんに驚いていたけど、「若狭ってその髪、金髪なんだよね。そんなことして将来ハゲないの?」見た目を気にせず話しかける伊槻さんを気に入ったらしく、自分から話しかけるようになった。
決して仲が良いわけではない。
でも、恐ろしいほど奇妙な縁で結ばれているのは確かだ。運命なんて綺麗ごとじゃなくて、偶然と呼ぶには都合がいい。お互いが欠けたところを埋めるように、だけど完全に満たされているわけではない。
無意識に求め合っているのだとしたら、なおさら面白いんだけど。
生温い日々が過ぎて、夏休みが始まった。
夏休みの宿題は早めにする派なので、ぼくは休みが始まった一日目から取り掛かる。計算ドリルと漢字ドリルをノートにばんばん書き殴る。あと、冊子になっている大量のプリントも、ほとんど何も考えずに埋めていく。我を忘れて三時間ほど宿題と向き合っていたら、インターホンが鳴った。
誰だろう。
出るのが面倒くさかったけど、重い腰を上げて玄関に向かう。確認もせずに扉を開ける。伊槻さんがいた。
インターホンを鳴らす時点で、ニーナではないという予想はついていたけど、まさか伊槻さんだとは思わなかった。そもそも、どうしてぼくの家がわかったんだ。
「こにゃにゃーす!」
「こ、こにゃにゃす」
変な挨拶だ。
伊槻さんはティーシャツに短パンという動きやすい格好をしており、重たそうなリュックを背負っている。長い髪を二つに結んで、活発そうだ。いったい何をしにきたのだろう。まさかこの暑いなか、虫捕りをしにいこうなんて言い出すんじゃないだろうな。夏とは縁の無さそうな真っ白い肌が赤くなりはしないのか、少し心配になる。
「ど、どうしたの」
「宿題をしにきたんだよ。わたし、一人じゃ全然はかどらなくてさ。お邪魔してもいい?」
「べつに……いいけど」
断る理由もないし。キラキラの笑顔で伊槻さんがスニーカーを脱ぐ。ぼくは先ほど宿題をしていた自分の部屋に彼女を案内してから、一階にお茶を淹れにいく。冷たい麦茶をコップに淹れて、零れないようにお盆に乗せて運ぶ。
部屋に入ると伊槻さんがぼくのベッドの下を覗いていた。何をしているんだ、こいつ。
「いやいや、べつにエロ本を探しているわけではなくてぇ」
「ないよ、そんなもの」
「男の子なのにー?」
「偏見だろ」
卓袱台にコップを置く。それを数口飲んでから、伊槻さんがプリントの束をリュックから出した。本当にやる気らしい。ぐだぐだと喋るのかと思っていた。
「わからないところあったら、ぜーんぶ教えて」
「嫌だよ。自分でちゃんとして」
「春名ってそういうところ真面目だよね」
「どうせ答え、間違えているし」
「とりあえず埋めておけば問題ナッシング」
言いながらも、計算をスラスラ解いていく。かなり速い。本当に考えているのかと思いたくなるほど、解くのが速かった。
しばらく無言の時間が続く。鉛筆の走る音。溶けだした氷。ぼくの部屋にいる伊槻さん。
「おうちの人は?」
手を休めることなく、伊槻さんが尋ねる。
そろそろプリントの束が終わりかかっていたぼくは、その質問にどう答えればいいのかわからなくて手を止めた。
おうちの人。
「いないけど」
「お仕事?」
「たぶん、そうじゃないかな」
何も言われていないからわからないけど、目覚めたらすでに家は留守だったのだ。こういうの、うちの家ではしょっちゅうあることだから気にしていない。ぼくも出かけるとき、母さんにどこに行くのか何時に帰るのか伝えていないし、心配になったあの人がぼくに連絡をしてくる、なんてこともない。
ぼくの曖昧な返答を聞いて、訝しげな表情を浮かべる。
「春名は、愛に飢えているの?」
「うぇえ?」
変な声が出て、鉛筆の芯がボキリと折れる。いきなりそんなことを言われたら、動揺する。愛に飢えるとか、そういう言葉もぼくらの年ではあまり聞かない。当然答え方もわからないので、手元のプリントを凝視して、考えているふりをした。
「私が春名や蜷川にかまうのはさ、痛いからなの。見ていると、心が擦り切れて、ギザギザになっちゃう。この子たち、もしかして明日に死んじゃうんじゃないかなって……そんな心配をしちゃうわけ。でも、そんな人たちを助けようとするなんて馬鹿みたいでしょう。助けられるはずないのに。だから、私はあんたたちと一緒にいるって決めたんだぁ」
答えないぼくにしびれを切らしたのか、伊槻さんが持論を語っている。
それが同情というものではないということは、ぼくにもわかる。この子は、ぼくたちのためじゃなくて、自分のためにぼくたちを支えようとしている。
明日、死んでしまうような目をしているぼくやニーナを、この子は引き止めようとしている。
それはきっと、伊槻さん自身のために。
助けられないとわかっていても、見捨てずにいる。
それがこの子の思う「救済」なのだ。
「だから、私と約束してよ。春名」
壊れそうな笑顔。
ニーナにはできない、人間味のある表情。
ぼくの好きな、人間らしい心。
「大きくなったら、私と結婚しよう」
日が暮れて、宿題もひと段落したので、帰ろうということになった。
終わった宿題と、手をつけていない宿題とを別々のファイルに入れて、大きなリュックに詰め込む。それを手伝ってから、ぼくと伊槻さんは一階に下りた。
「送らなくても平気?」
「大丈夫だよ。意外と近かったもん」
「そういえば、どうしてぼくの家がわかったの」
「地区ごとの集団下校のとき、この近くで集団の列を抜けたから、家こっちなんだなぁってわかって。そのときこの家に入るのを目撃していたってわけ。私はもう少し東側に行くんだけどね」
そういえば、そんなこともあった気がする。地区ごとに生徒を分けて、地域交流とか不審者対策とかで、一年生から六年生までの生徒が集団下校するのだ。伊槻さんはぼくの隣の地区だった覚えがする。
「あ、あ、あ!そういえば、春名って八月の十日って暇?」
靴を履き終えた伊槻さんが、思い出したように声を弾ませる。
いきなり振り向いたので、リュックの背が靴箱にぶつかった。慌てて支えながら、「うん、暇だけど」と答える。ぼくの頭のスケジュール帳は真っ白だ。夏休み中の予定なんてない。
「じゃあ、お祭りに行こうよ。蜷川とか、若狭とかも誘って」
「お祭りってここらでやってないだろ」
「少し歩いたところに、廣意神社ってあるじゃん。あそこで毎年、大きい祭りがあるから」
「ああ、あそこか」
数年前に一度だけ、父さんと正月に参拝しにいったことがある。けっこう立派な神社だった。そのときはずらっと列が並んでいて、げんなりしていた。四百段以上の石段があって、そこも人でごった返しになっていた。子どもながらにお参りひとつでこんなに並ぶのかと驚き、寒いなか待っていると凍えてしまいそうだったので、もう二度と来ないぞと誓ったのだ。
昔の思い出がほんのり蘇る。懐かしさからその誓いを破ることにした。
「いいよ。行こうか」
「よっしゃー!私から言うと蜷川は嫌がるだろうから、春名から言ってね。夕方の六時に現地集合ってことで」
「わかった。ニーナと若狭からはぼくが伝える」
「じゃあ、よろしく」
友達との約束。夏祭り。花火の匂い。屋台の賑わい。
まだ行ってもいないのに、夏祭りというイベントに少し気持ちが鮮やかになる。
手を振って伊槻さんを見送った後、ぼくは、静かになった部屋に戻る。さっきまで伊槻さんがいた。伊槻さんの匂いのするぼくの部屋。
自分の部屋でだれかと会話をしたのが久々で、今さらだけど、緊張していたんだなと思う。口の中は乾いて、何度もお茶を飲んだ。心臓の脈は早くて、このまま暴走してしまうんじゃないかと思うほど。
でも、緊張の原因はそれだけじゃないということもわかる。
それがわかって、ほんの少しだけ大人になった気がした。
- Re: 憂鬱なニーナ ( No.39 )
- 日時: 2016/01/18 23:08
- 名前: 夜枷透子 (ID: jx2ntsZm)
第五章『埋め込まれた憂鬱な弾薬』
体を預けている地面は冷たかった。目の前にいる幼なじみが、今にも僕を殺そうとしているのに、ちっとも体が言う言を聞かない。痛みで麻痺した右半身で、ずっずっずっと地を這う。こんなもので逃げられるわけない。それはわかっているけれど、今の僕にはこれぐらいのことしかできないのも承知している。
「いやいや。逃げんなよ、依空」
背中を強い衝撃が襲う。鼻が折れ曲がるほど顔面を強打した。何滴か地面に零れる血を凝視した。これ、僕の血か。こんなに赤いのか。ぼんやりと考えていると、上から若狭の声が錘のように落ちてくる。
「蜷川から逃げ続けた罰だと思えよ」
「残念ながら…………もう罰は受けているんだよ」
時恵さんから言われ続けているんだよ、こっちだって。ニーナとずっと一緒にいることが償いだと。お前は知らないだろうけれどな。
足で蹴られて上を向かせられる。僕を見下ろす若狭の表情が暗くて伺えない。これ、視界がぼやけているわけじゃないよね。もう日が落ちているから見えないだけだよね。
「呆れるぜ、その言い訳」
僕の体を跨いで、刃先を向ける。さっきから引きずる右手の傷が熱い。
「蜷川が刺されたとき、傍にいながら守ってやれなかったのは誰だ?見舞いにも来なかったのは?蜷川がいながら、茶谷咲和の思いまで利用していたのは?」
「……また説教?」
「聞けよ、クソ」
傷が開いている右手を思いきり踏まれる。噴出した血の感触が生暖かくて、気持ち悪い。
「蜷川が刺された後、見舞いに行ったんだよ。あいつ、お前が来ないってずっと沈んでいた。不安にもなっていた。いや、ずっと前から、あいつは……お前のことだけ考えてる。ガキの頃から、ずっと、ずっと、それなのにお前は」
「なぁ、ひとついいか」
水を差すようで悪いけれど、こちらも確認しておきたいことがある。
さっきの、お前の、言葉。
聞き逃しはしない。逃げ道がないのは、お互いさまなんだ。
「茶谷咲和を殺したのって、お前なの?」
茶谷の残忍な殺されようを思えば、目の前のこいつがやったとは考えにくい。見た目とは違って、性格の良さは長年見てきた。とても人を殺すようなやつじゃない。
腰をゆっくりと下ろして、僕の腹の上に乗り、ナイフの刃先を喉元にあてる。
さっきまで隠れていた殺意が、どろりと吐き出される。
目の前で笑う若狭の表情は、まさしく悪人だった。
「あの女がいたら、蜷川は傷つくだろう」
その悪の下に隠されている複雑な思いを、紐解くことはきっと不可能だ。
「依空がいても、蜷川は傷つくんだよ」
悲痛な訴えだった。今までの僕の存在を白紙に戻すように、彼は僕を否定する。
それでも僕の心が削られないのは、彼が、ニーナを想って泣くからだ。
「ずっと見てきたんだ。あいつがお前に縋っているのを。見ていて、痛かった。苦しくて、辛くて、こっちが張り裂けそうだったんだ。あいつの親は最低なやつで、人間のクズだった。そのせいで蜷川はずっと一人ぼっちで、自分を気にかけてくれるやつらを拒絶することしか関わり方を知らなかったから……。お前が必要だったんだよ」
見ていて痛い。
それはすごく昔に言われたことだ。
ボロボロになっているのに、懸命に藁を掴もうと手を伸ばす彼女の姿。そして、空いた穴を埋めるために彼女を利用し続ける僕。なんて痛々しくて、健気で、苦しいんだろう。
周りに溶け込めないまま、沈殿していくことを恐れて、ふたりで浮いていた。
それを笑い話にする人間もいれば、関わらないやつ、干渉してくるやつもいた。人間って本当にいろいろな種類がいる。
「だから茶谷を殺したの?」
「そうだよ。殺す前の日……あいつは初めて見かけたコンビニの近くで、あの日みたいに奇声をあげて泣きじゃくっていた。本当に偶然だったんだ。俺は仕事が終わってコンビニに行っただけで、本当に自然と俺たちは再会した」
僕と若狭が茶谷と出会ったあの日。まだ僕のなかで彼女はクラスメイトの一人にしかすぎず、そのなかでもいじめられっ子という印象しかなかった。滝のような汗と涙を流して、平衡感覚を失ったみたいにふらついていたっけ。
「むこうは依空と一緒にいた俺を覚えていた。目が合って……俺を見て笑った。そこで、なんかプツンときたんだ」
その後、若狭は滲み出る黒い感情を腹に溜めこみ、茶谷の警戒心を解いた。僕のことを話題にして、僕が茶谷に気があるのだと話した。小さい頃の僕の話をする、と若狭はもちかけた。ゆっくり時間をかけて、思い出話をしてやると。茶谷はますます笑顔になり、それならぜひ、うちに来てほしいと若狭に言いだした。
「土曜の夜、俺は教えてもらった茶谷の家を訪ねた。そこからは……まぁ、そういうことだ」
「……そこでやったのか」
「殺すつもりだったんだ。最初から」
ニーナを傷つけたから。
消えそうな声で若狭が呟いた。
「なんだよお前……やっぱりニーナのこと好きなんじゃねぇか」
「だから妹みたいなもんだって」
「いやいや。ある意味、僕より異常だよ」
類は友を呼ぶって本当だった。身をもって実感する。
ブッと唾を吐きかけられる。若狭は口元を緩ませて、僕の顎を片手で掴んだ。
「じゃあ、まぁ、お前も殺すわ。蜷川の世界から消えてもらう」
「どうぞ、ご自由に」
抵抗はしない。たぶん、若狭が茶谷を殺したということに衝撃を受けすぎて、冷静なようでかなり混乱しているんだと思う。……いや、そっちにも驚いたけれど、友達だと思っていた人間にこうして殺されそうになっていることのほうが、確実に心を消耗している。考えれば考えると疲労するだけだ。放棄しよう。だからまだ、全然この現状が理解できていなかったりする。そのせいで思考は勝手に今のことじゃなくて、未来を想像する。僕がいなくなった後の、この世界を。ニーナの日常生活に何らかの支障は出ているだろうか。僕が消えて、あの子は泣くかな。また約束を破ったと、呆れられるかもしれない。それでもいい。僕のことを思い出して、泣いてくれるだけでいい。ニーナなら、きっと僕の墓前の前で手を合わせるとき、この石の下に眠るのは僕ではなくて、ただの骨なんだって思うだろうな。僕の面影を永遠に探して、自分が依存できる相手が生きていると錯覚したまま、世界を旅するんだ。
僕はここだよーって。
そう声をかけてあげられないのが残念だ。
「うぎやああああああああああああああああ」
……この叫び声は、僕のものではない。
目を開けると苦しそうに顔を歪ませている若狭がいた。僕の胸に額をこすりつけて、意味不明な言葉を発している。何が起きたのか理解できず、目を見張っていると、若狭が何者かに蹴られた。僕の上から退いた若狭の背中には、枝切狭が刺さっていた。それを抜こうと若狭が手を伸ばすが、届かない。
「え……」
上半身を起こして現状を把握しようと、停止していた思考が動き出す。
そして答えはすぐにわかった。
答えは、僕の傍に立っている。ほんのり嗅ぎ慣れたことのある匂いがした。ああ、嘘だろう。誰か、嘘だと言ってくれ。彼女の抱える闇が、また、増えてしまうじゃないか。
「何やってんだよ、ニーナ」
震える声で名前を呼ぶ。
ニーナは答えず、痛みに転げまわる若狭をじっと見ている。
「何やってんだって言ってんだよ!」
ここがどういう場所なのか、お前だってわかっているだろう。
ここですべてが崩れた。同時に始まりでもあった。
僕らが小学校だったとき、ここで、この神社で、お前は一体何をした。忘れたわけじゃないだろう。
それまで反応のなかったニーナが、僕の存在にやっと気づいたかのように振り返る。ガクガクと震える足に力を入れて、僕も立ち上がった。痛みが全身に響く。
さも当然のように、ニーナは僕に突きつける。
僕が、忘れてしまっていたことを。自分の執着した相手に対して暴走するのは、茶谷に限った話じゃなかったのに。何年ニーナと一緒にいるんだよ、僕は。クソ、迂闊だった。
自分の世界を守るためなら、ニーナはなんだってするような子だった。
「いっくんを守っただけだよ」
当然でしょう、と首を微かに傾ける。
僕の質問をくだらないと一瞥するのでなく、不思議そうにしている。
僕を守るためなら、人だって殺す。
自分の世界を壊す人間を消す。
ニーナが隠していた歪みが薄れてしまったわけではなく、僕が見失っていたんだ。茶谷咲和という女の子に気を取られていたから。
- Re: 憂鬱なニーナ ( No.40 )
- 日時: 2016/01/25 23:02
- 名前: 夜枷透子 (ID: jx2ntsZm)
『ノスタルジックメモリー06』
夏祭り当日になった。
廣井神社にはすでに多くの人で賑わいを見せている。大きな鳥居から参道へと続く石段を、何百人の人が登っていく。ぼくとニーナは鳥居の前でメンバーを待っていた。
ニーナには三日前に祭りへ行こうと誘った。ぼくと二人だけで行くのかと思って出てきたので、後から「若狭と伊槻さんもいる」と言うとひどくご機嫌斜めになった。飴玉が口に入っているんじゃないかってほど、頬を膨らませている。拗ね方が小さい子みたいで面白い。指でつついてみたくなる。
しばらく待つと、若狭がやってきた。
白に近い金髪の少年は、やっぱり目立つ。最近ピアスも空けたため、先生に目をつけられまくりだ。
「ごめん、人が多くて見つけるの遅くなった」
「全然いいよ。めっちゃ人多いよなぁ」
「なんか演舞みたいなのが七時からあるんだってさ。近所の高校生がやるやつらしくて」
若狭と僕が話していても、ニーナはむすっとしている。気づいた若狭が首を傾げ、蜷川の顔を覗きこむ。いきなり接近されて、不快感をさらに強調させた。
「今日はなんで蜷川、怒ってるわけ?」
「まぁ、ぼくのせいだから気にしないで」
「お前って本当に怒られすぎだよ。何したわけ」
「まぁ、いろいろありまして」
若狭と伊槻さんが来ることを黙っていた、なんて言ったら、気を遣って若狭が帰りかねない。そうなると後から伊槻さんが合流して三人になるということだ。それは少し遠慮したい。二人が揃うと蛇と虎に挟まれている気分になる。
「お、あれって伊槻じゃねぇの」
背の高い若狭が先に伊槻さんを見つけた。人だかりの中、こちらに手を振って満面の笑みで近づいてくる伊槻さん。いつもと違う姿に僕は誰にも気づかれないように、つばを飲み込んだ。
赤地に大量の花が咲いている浴衣を、伊槻さんは着ていた。黄色い帯で締められている体は細くて、少し動きづらそうだった。長い髪の毛を上に揺っていて、そこに緑色の髪飾りをしている。動くたびにゆらゆら動くそれが、光のようで綺麗だった。カランカランと下駄の音がはっきりと聞こえる。
「ごめんねぇ。着せてもらっていたら、遅れたのさ」
「すっげぇな、伊槻。黙って立っていたら大人みたいに見える」
「褒めてくれているのかな、若狭。夏休みに入ってから、オレンジ色の髪を白色にしたんだねぇ。とてもよく似合っているけど、将来ハゲないの?」
「俺の家系にハゲはいない」
「そうかそうか。それは羨ましいね」
伊槻さんがぼくに「どう?」と言いたげな視線を送る。似合っていると言えば似合っているけれど、いつもの伊槻さんじゃないみたいで、くすぐったい。隣にいるニーナがぼくの腕を締め上げるように掴んでくる。血が止まりそうだった。ここで伊槻さんを褒めたら腕の骨をへし折られそうだ。
何も言わず、苦笑する。それだけで満足なのか、しつこく感想を求めてはこなかった。
前に伊槻さんと若狭、後ろにぼくとニーナで並ぶ。屋台を見て気になったものがあれば立ち止まる。前の二人との温度差を感じたけれど、ニーナの目線も屋台に向けられていることに気づいて、この子なりに楽しんでいるのかな、と安心した。
「気になったものある?」
財布を持ってきていなかったようなので、何かあれば買ってあげようと思っていた。
リンゴ飴、イカ焼き、ポップコーン、ベビーカステラ……。選びきれないのか、迷っているのか、ニーナの目が忙しなく動く。全部と答えられたらどうしよう。屋台の食べ物ってけっこう高いんだよなぁ。
「あれ、ほしい」
ニーナが指さしたのは、金魚だった。大きくはないプールの中で、金魚が何匹も泳いでいる。子どもたちが集まって、薄い膜で命をすくう。いっそ破れてしまえと思った。狭い水槽で飼われて外の世界を知らずに死んでいく。金魚たちは迫りくる膜から逃れようと、必死でヒレを動かして泳ぎ回る。それでも、何匹かは捕まってしまう。水槽よりさらに狭いビニール袋に入れられて、安いお金と引き換えで子どもの手に渡る。
「金魚を飼えるの?世話しないと、死んじゃうんだよ」
ニーナにも覚えはあるだろう。そんな嫌味が閃いて、自分の頭を叩きたくなった。ニーナはしばらく黙って、小さな反抗をしていたが、目を伏せて僕の手を握った。
「じゃあ、やめる」
若狭が立ち止まっているぼくらに気づいた。すでにその手にはフライドポテトと焼きイカが握られている。伊槻さんも何かを食べているようだった。
「お腹すいたら、一緒に何か食べよう」
「……なんで、あいつらが来ること、黙ってたの」
遠くで笛や太鼓の音色が聞こえる。人々がその音に誘われるように動き出す。後ろからたくさんの人がぼくたちを追い越す。
「友だちができたらいいなって思ったんだよ」
ぼくの答えにニーナが納得するはずない。ぼくたちはお互いだけが必要で、その他はどうだっていい。それが今までだったし、これからでもあった。ひどく驚いているけれど、ぼくも自分で言った言葉にビックリしている。友だちってなんだよ。よくそんなこと言えたな。
よりにもよって、ニーナに。
「ねぇ、向こうで演舞が始まるんだって。見に行く?」
ぼくたちの間に流れる微妙な空気に気づかないふりをして、伊槻さんが明るい声で誘ってくる。その声を振り払って、ニーナはぼくの手を引いて帰ろうとした。強い力で引っ張られたため、転びそうになる。
「ちょ、どうしたんだよ」
「帰るんだよ」
「帰るの?」
「ここにいる意味、ないじゃん」
ぼくの言ったことがニーナの逆鱗に触れたらしい。あからさまに嫌悪感をあらわにして、ニーナが言い放った。
「いっくんはニーナのでしょう」
ぼくは物扱いか。
そのまま、ぐいぐいといつもの調子で引っ張られていく。伊槻さんの声が小さくなる。人の波に逆らって、黙々と移動する。気がつけばぼくとニーナは、石段の前まで来てしまった。若狭たちがぼくらを心配して探しているかもしれない。
石段を下りようとするニーナをとめる。
怒っているのか泣きそうなのかわからない顔で、ニーナが睨んだ。
「なんでとめるの。そんなにあいつらと一緒にいたい?」
「そういう言い方は……どうかと思うけど……」
「友だちなんていらないじゃん。そもそも祭りに行くような人じゃないのに、なんで今になって祭りに来たの。どうせ伊槻に何か言われたんでしょう」
「一緒に行かないかって誘われたんだよ」
「なんで断らなかったの」
「断る理由もないし……断りにくいだろう」
「てきとうに理由をつければよかったんだよ。どうせ伊槻と行きたかっただけでしょう。いっくんは自分を好きな子に優しいから」
「そういうのじゃない」
じゃあなに。
ニーナのぼくに対する怒りがそろそろ沸点を超えようとしていた。平手打ちがくるか、蹴りがくるか。体が警戒して強張り始めたときだった。
「ちょっと待った、蜷川」
伊槻さんがニーナの腕を掴んだ。その後から若狭も走ってくる。どうやらぼくたちを追いかけてきたようだ。汚いものに触れられたように、ニーナが手を引っ込める。今にも噛みつきそうな勢いだ。そんな視線に怯むことなく、伊槻さんは弁解する。
「私は春名を誘ったよ。だけど、蜷川にも来てほしかった。ずっと家にいたって、退屈でしょう。少しは楽しんでもらおうと思っただけだよ」
「余計なお世話なんだけど」
「わかってるよ、自分がお節介だってことぐらい。でも、放っておけないんだよ。アンタも、春名も、いつも苦しそうにしているんだから。見ているこっちのほうが、泣きたくなるんだよ」
「うるさい、うるさい、うるさい!」
ヒステリックに叫んだあと、急に訪れる静寂。周りの音が、ぜんぶ、こもって聞こえた。水中にいるみたいに。溺れているみたいに。
- Re: 憂鬱なニーナ ( No.41 )
- 日時: 2016/01/26 21:19
- 名前: 夜枷透子 (ID: jx2ntsZm)
「そうやって……いっくんの前で、私をかわいそうなやつにしようとしているんだ」
ニーナは、伊槻さんの思いを歪んだ方向で解釈していく。彼女の闇の部分が自動的にそうさせているので、しょうがないことではあった。他人からの好意を受けとめきれず、拒絶してしまう。それは自分が母親に長年そういう関わりしか持たれていなかったからだ。だからどうしようもない。ケアされていない彼女の心は、いつまでも暗い部屋の中に閉ざされたままだ。
「いっくんに好かれようと思って、私を利用しているんでしょう」
「それは違う」
「違わないよ。私を心配するふりをして、いっくんを盗ろうとしている。隙を見せたら奪っていくつもりだ。そうなんだ、私には、もう、いっくんしかいないのに」
伊槻さんがニーナに詰め寄る。態度は極めて冷静に努めているみたいだけど、今にも手をあげてしまいそうな雰囲気だった。若狭が無表情で二人を見ている。何をやっているんだ、とでも言いたそうだ。せっかくの祭りなのに、楽しくいこうと言いたいのだろう。そんな主張が通らなさそうなので、ぼくの隣でただ成り行きを見ている。
「春名はただの小学生だよ。アンタが苦しいときに縋っていい相手でも、最大のピンチに駆けつけてくれるヒーローでもない。きみや私と同じ、ただのクソガキだ。そんな相手に、アンタは重荷を背負わせようとしているんだよ。それじゃあ、春名依空が、いつか潰れてしまう……」
伊槻さんの表情が真剣だった。
ぼくの隠れていた心情まで吐露されたようで、なんとなく気恥ずかしさと気まずさが湧いてくる。ニーナは首を横に振って否定する。
それは違う、と。
あくまでもいっくんは、自分ものなのだと。
「いっくんはニーナの味方だから。お母さんのことも、きちんとわかってくれていたから。みんながお母さんをいじめていたし、わたしとお母さん、離れ離れになっちゃったけど、いっくんだけはお母さんを責めなかった。わたしの話を、ちゃんと聞いてくれた!」
「わかっていないよ。春名は何一つわかっちゃいない。だから、いい加減目を覚ましなよ蜷川。アンタはいずれ一人で歩いていかなきゃならないんだよ。それなのに、母親や春名に縋って泣いて……馬鹿みたいじゃない」
「やめろ……」
「アンタの母親がアンタにやっていたことは虐待だ。愛でもなんでもない。アンタは守られなきゃならない存在だし、保護されるべき対象なんだよ」
「やめろって言ってんじゃん!」
ニーナの声が空気を切り裂く。
今にも泣きだしそうな、切羽詰まったような声。
「お母さんのことを悪く言うな!わたしにはいっくんしかいないのに!いっくんだけがお母さんを守ってくれていたのに!お前が、お前が横から口を挟むな!うっぜぇんだよ、死んじゃえよ、今すぐここから落ちて死ね、死ね、死ね!」
感情的にニーナの手が、とんっと、
伊槻さんを、
押す。
「あっ」
伊槻さんの体が、宙に浮く。
赤い金魚が、膜の上で跳ねるみたいに。
あ、落ちると思った瞬間、伊槻さんは石段を転げ落ちていった。何度も何度も体のあちこちをぶつけて、くるくると回転していく。四百段以上ある階段だ。途中で止まることもなく、落ち続ける。石段を上り下りする人もいないため、彼女を助ける者はいない。やがて彼女は、不自然なほうに体を曲げて石段の終わりで停止した。
頭部から血が流れているのが見えた。
恐怖で、おしっこがすごく漏れそうになる。冷たい水を浴びせられたみたいな感覚だった。伊槻さんが転げ落ちたことへの恐怖より、それを冷たい目で見下ろしているニーナが恐ろしかった。
「あいつが悪いよ」
小さくニーナが自分の非を否定する。言い訳でもなく、それが事実なのだと言いきるように。
「あいつが、いっくんを盗ろうとしたから悪い」
そこでぼくは初めて後悔する。
今まで、どうしてこの子をかわいそうだと思っていたんだろう。お母さんから虐待を受けていて、クラスからも浮いていて、ぼくだけに信頼を寄せているこの子を。
どうして、助けたいだなんて思ったんだろう。
「おい、見つかるとまずいだろ、これ」
転げ落ちてもいないのに、どうして視界が揺れるのか不思議だった。けれど、それは若狭がぼくの肩を揺すっているからだということに気づく。普段はあまり感情を出さない若狭も、さすがにこれには焦っている。不気味なほど冷静なのはニーナだけだ。いや、もう冷静なのかどうかもわからない。ニーナの顔が見られない。
「しっかりしろよ、依空!蜷川が……蜷川、落としちゃったんだぞ」
「──逃げなきゃ」
ぼくに残された選択肢なんて、ひとつしかいない。
幸い、みんなは演舞に集中しているから、人はいない。目撃者はいない。知っているのは、ぼくらだけ。
それがわかった途端、ぼくはニーナと若狭の手を引っ張って、走り出していた。
石階段を駆け下りて、死んでいるのか生きているのかわからない伊槻さんを置いて、走った。ひたすらに、がむしゃらに、何も考えずに。
後ろから、足の速い若狭が追いついてくる。こいつもついてくるってことは、共犯になるって考えでオッケーなのかな。
「伊槻はいいのかよ!」
「今はいいよ!」
「いいわけねぇだろう!」
「ああああああ、じゃあ、どうすりゃいいっていうんだよ!」
あれで警察が来たら、ニーナは、ニーナは、ニーナはどうなるんだよ。ちょっと黙ってろよ若狭。ぼくだって、考えられることと考えられないことがあるんだ。心に余裕なんてない。余分なことを考えている暇なんて、ないんだよ。
……余分?
余分ってなんだよ。ぼくはいつから伊槻さんを余分だなんて、思っていたんだ。
伊槻さんは、ぼくの友達になろうとしてくれた。
ニーナのこともわかろうとしてくれた。
ここまでぼくたち二人に向き合ってくれたのは、伊槻さんが初めてだった。
そんな彼女を、友達を、余分?
ぼくはなんて最低で最悪な人間なんだ。ああああ、もう、もう、わからないよ。
「他の子に関わろうとしたお前が悪いんだよ」
その声はぞっとするほど落ち着いていた。
「いっくんは、私だけのものなのに」
「ちょっと黙ってて、お前」
ニーナに命令するのは初めてだった。
走りながら、ぼくは二人に告げる。もしこのことについて聞かれても、ぼくたちが口裏を合わせていれば大丈夫。ニーナは警察に連れていかれない。
その後、警察の人からいろいろ話を聞かれた。
伊槻さんは、一命はとりとめたものの、脊髄損傷で入院が必要らしい。詳しいことは聞き流した。罪悪感で死にそうだったから。
どうして石段から落ちたのか。
聞かれたとき、とっさに出たのは「下駄でうまく歩けない伊槻さんが、石段近くで転倒したから」だった。ここでもニーナを庇うのか、と滑稽すぎて引きつった笑いがでてきそうだった。ニーナと若狭のほうにも警察の人が来たらしいけれど、事前に言うことを伝えていたため、特に疑われることはなかった。
伊槻さんが転落したとき、どうして助けを呼ばなかったのかも聞かれた。
ぼくは乾いた喉を、飲み込んだ唾で潤した。声、出て。お願いだから、庇うための理由を作って。
けっきょく「友だちが無事か駆け寄って、死んだように見えたから、怖くなった。逃げ出したのではなく、だれか助けを呼ぼうと思っていた。混乱していて、よく覚えていない」と、ありったけの大嘘を並べた。警察は、ショックな事故に巻き込まれたかわいそうな子どもに同情したのか。それ以上は何も追及してこなかった。
夏休み後、二学期が始まると同時に、伊槻さんは違う学校に転校していた。