複雑・ファジー小説

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憂鬱なニーナ
日時: 2015/12/19 22:27
名前: 朝倉疾風 (ID: jx2ntsZm)


改名したので、お伝えしておきます。


朝倉疾風(アサクラ ハヤテ) → 夜枷透子(ヨカセ トウコ)
大幅に。思いきって。
五年間の朝倉とサヨウナラ。






ついったぁ  @_aiue_ohayo




──日常に蔓延る、小さな狂気を。


登場人物


春名依空……蜷川、若狭とは幼なじみ
蜷川月子……通称「ニーナ」
蜷川時恵……ニーナの叔母
若狭壮真……金髪ピアス 総菜屋の息子
茶谷咲和……依空に一目惚れしたいじめられっ子
天羽カヲル……中学時代、咲和と同じクラスだった
秋月冴香……いじめの主犯

Re: 憂鬱なニーナ ( No.32 )
日時: 2015/12/29 21:24
名前: 夜枷透子 (ID: jx2ntsZm)

第四章 『眠れない夜と人肌』


 退院して六日後の朝、スマホが鳴る。誰からかはすぐにわかった。電話がかかってくるのが遅すぎだと感じたほどだ。一瞬、切ろうかと思った。僕を責めるのも、許さないのも、わかっていたから。彼女が怒っているのはわかっているから。でも、出なかっただけで状況は何も変わらないだろう。
 画面をタップする。
 僕が何かを言う前に、時恵さんが言った。

『久しぶりだねぇ、依空くん。私に何か言うことがあるんじゃないのかな』

 この人には誤魔化しがきかない。
 僕はあったことをすべて話した。
 本当にすべて、だ。
 茶谷の家に行ったこと、そこで彼女の恋心を焚きつけるような言葉をかけたこと、彼女がいじめていたやつらに立ち向かったことも、それからいじめの主犯が不登校になったことも。
 一週間前の七月二十三日に、何者かによってニーナが襲われたことも。
 話しているとき、あいづちも打たない時恵さんに本当に聞いているのかどうか尋ねたくなった。だんだんブレーキが効かなくなって、気づけば余計なことまで喋ってしまいそうに「これで終わりです」話を途中で断絶する。今までの説明で時恵さんはすべてを理解したらしく、「ふうん」と満足げに言った。

『そんなことがあったんだねぇ』
「ニーナは……あ、聞いていますか」
『聞いているよ。幸い、出血の割に傷は浅くてもうそろそろ退院できるというわけだ。きみのほうは過呼吸だったから、特に外傷は受けていないと聞いている』
「見舞いに行きましたか」
『行ったよ。きみが来てくれないとひどく憤慨していた』
「嘘ですよね」

 僕の言葉に、時恵さんはあっさりと嘘を認めた。

『まあ、呆れていたよね。きみに失望していると言ってもいい』

 時恵さんが僕という人間を嘲笑う。
 表面をざらりと舐められるような悪寒がした。

『きみは本当に懲りないんだね。そうやって自分のことだけ考えて、いつまで子どもじみたことをしているんだい?言っただろう。きみはニーナを裏切ったことを忘れてはいけない。ニーナがきみを許したとしても、きみは自分自身を許してはならない。そうしないと同じ間違いを、間違いとも知らずに犯してしまうからだ』
「間違い……ですか」
『おやおや、もしかしてその間違いにすら気づいていなかったのかい。これはなんと哀れで愚かなことだろうね。私はとっくに気づいているのかと思っていたよ』
「だから、なんなんだよ、僕の裏切りっていうのは。ニーナから距離を置いたことじゃなんですか。それが時恵さんの言う裏切りじゃないんですか」
『それは裏切りの縁をなぞった程度にしかならないんじゃないかな。肝心の中身をきみは自覚できていない。表面から見た自分の姿しか認識できていないと言っているんだよ、私は』

 僕の間抜けさを鼻先で笑う。答えが見いだせずにもがく僕がそれほど滑稽なのか。
 答え合わせでもするかのように、時恵さんが語る。

『きみは、自分を必要としてくれている人間を求めているんだよ』

 僕よりも僕を知っている。
 そう言っているように聞こえる。

『きみは自分の身勝手さに気づくべきだ。ニーナがきみに依存しているということも否定はしないけど、きみもニーナに依存している。そしてタチの悪いことに、ニーナにはきみしかいないというのに、きみは、自分を受け入れてくれる人間すべてに、その依存の矛先を向けている。総菜屋のヤンキー息子だったり、援助交際を強いられているクラスメイトだったり、そして──』

 時恵さんが僕の決定的な傷となる過去に触れる。

『きみの初恋の、伊槻美澄イツキミスミだったり』

 その名前を聞いた瞬間、今まで溜まっていた淀みが一気にせり上がってくる。嘔吐を堪え、口を押えてうずくまる。胃の中が痙攣を起こし、キリキリと痛む。

『きみは誰も助けてなんかいない。相手が勝手に助けられた、救われたと思っているだけで、きみは何もしていないんだよ。だけどね、そう思わせること自体が残酷なのさ。相手はきみを思い続けるだろう。きみの言葉に惑わされて、きみを必要とするだろう。それで自分自身の価値を見いだそうとしているんだよ』
「僕は……そんなつもりはない……」
『あっはははは!本当にかわいそうな子だね』

 そんな僕の状態を知ってか知らずか、時恵さんの粘着質のある声が囁いた。

『でもしょうがないと言えばしょうがない。しょうがないで片づけられる話かと言われれば首を縦に振ることは躊躇われるけれど、確かにしょうがない結果なんだよ。きみは母親から育児放棄も同然の扱いを受けている。そんなきみが誰かに必要とされたいと願うことは当然なんだよ』
「僕はべつに育児放棄なんて受けていない」

 確かに干渉はしてこないけれど、愛情がないってわけでもないと思う。ちゃんと家事をしてくれるし、仕事が終われば帰ってくる。食事も僕の分を作ってくれる。何一つ放棄していない。

『昔のニーナみたいだね』

 どうしてここでニーナが出てくるんだ。苛立ってスマホを切ってしまいそうになる。それをしないのは、時恵さんがすぐに言葉を繋ぐからだ。

『あの子も母親と自分の間には絶対的な愛があると信じていたよ。周りから見れば、虐待を受けていると一目瞭然だったのにねぇ。児童相談所に保護をされたときも、陽子が自殺したときも、あの子だけは母親を信じていた。自分を保護しようとする周りの大人たちが敵だと感じていたのさ。依空くんも今、同じ場所に立っている。そこから動けずに、自分の都合良く動く人間を心理的に操って、悦に浸っているってわけ』
「……時恵さんは本当に物知りなんですね」
『それは皮肉で言っているのかな』

 敵わない。
 嘘で塗り固めることもできず、この人の前では事実を話してしまう。
 五年前のこと以外は。

「自分で自分のことがわからないから、嫌になる。面倒くさくて、人間をやめたくなる。僕は、一体、どうしたら」
『依空くん』
「ニーナは僕がいても寂しいって言ったんですよ。僕がいても、いなくても、あいつは変わらない。本当の僕を見ようともしない。じゃあ、どうして僕に縋るんだ。執着するんだ。小さい頃からずっと、ずっと」
『それは、きみの存在が彼女にとって大きかったからだよ』
「僕が何をしたっていうの」
『当時、あの子の周りは母親から引き離そうとする大人と、ろくな陰口しか言わない子どもばかりだった。そんななかで、きみだけがニーナを受け入れていた。理解はしていなくても、否定と拒絶はしなかった』
「それは……面倒くさいから、受け流していただけで」
『本当に面倒くさいとしたら、あの子自体が厄介だ。きみは、あの子に関わらない道を選ぶべきだった』
「それは……そうですけど」
『きみはあの子に惹かれて、あの子もきみに惹かれていった。引力のように、吸い付いていった。きみがわかっていない裏切りっていうのは……無自覚に一人の女の子の人生を狂わせてしまったくせに、その子に対して不誠実なことだよ』

 幼いニーナを突き放しておけば。
 もっと早く鈴浦先生に通告していれば。
 僕のためでなくニーナのことを考えていれば。
 虐待をされていると、大人に声を上げていれば。
 そうしていれば、よかったんだ。
 ニーナには僕しかいない。それなのに僕は、彼女を裏切り続けている。

『だからこそ、ニーナをよろしくね、依空くん。守れるのはきみしかいないんだからさ』

 そこで電話は切れた。
 真っ逆さまに落とし穴に落とされた気分だった。

Re: 憂鬱なニーナ ( No.33 )
日時: 2015/12/30 23:07
名前: 夜枷透子 (ID: jx2ntsZm)

 スマホの電源を切って、リビングに行くとコーヒーを飲んでいた母さんと目があった。気まずそうに母さんが目を逸らす。出て行こうかとも思ったけど、露骨すぎるので横を通り過ぎて冷蔵庫を開ける。そこにはいつもどおりラップされている昼食があった。野菜炒めと、卵とワカメの中華風スープ。ご飯はセルフで。冷えているものはレンジで温めて、テーブルに乗せる。母さんの向かい側に座って、「いただきます」とぼそぼそ言って食べ始める。
 入院なんて本当に小さいときにしかしなかった。体だけは丈夫だったから。僕は一日だけの入院をしたあと、車で迎えに来た母さんと一緒に帰った。車内での会話は以下の通りだ。

「大丈夫なの?」
「うん」
「あんたじゃなくて、あの子」
「ああ、うん」
「なんで刺したの?」
「自分で」
「ふうん」

 ニーナの刺し傷は、自傷行為であると医師に説明した。腹の傷が浅かったことと、過去に睡眠薬などを処方していたことを述べると、渋々納得してくれた。警察沙汰になるのだけは避けたい一心だった。時恵さんもニーナの精神の危うさを説明してくれたらしい。
 ちなみに救急車を呼んでくれたのは時恵さんだ。
 総菜屋からの帰りに偶然、僕らが倒れているのを見つけたらしい。そのときニーナは自分の腹に刺さった包丁を抜こうとしていたと言う。そのおかげで包丁にニーナの指紋がべったりとつき、彼女が包丁を持って外で暴れ自傷したという説明が通った。発見者が時恵さんじゃなかったら、警察を呼ばれて面倒事になっていたと思うから。
 食事中、ふと視線を感じてそちらを向く。
 母さんが丸い目で僕を見ていた。

「あの子と一緒にいて苦しまないの?」

 不思議そうな表情。目の奥でどうしてと問いかけてくる。

「一緒にいると苦しいし……いなくても、苦しくなる」

 それが答えだ。この十年間探し続けてきた答え。
 母さんは僕の答えに納得したらしく、「ほう……ほう…そうか」と頷いた。あまり深く考えることをしない人だから、答えを聞いて満足している。

「あんたがそれでいいなら、それでいいわよ」
「……母さんはどう思っている?僕がニーナと一緒にいること」
「べつに」

 短く答えたあと、でも、と母さんが言う。

「死んだら苦しみなんて味わえないからね」



 茶谷咲和が殺害されたというニュースが流れたのは、その日の夕方のことだった。
 ゲームと漫画に時間を使った一日で、それなりに退屈を満喫した。
 夕食後、なんとなく観ていたテレビに見知った土地が映ったので音量を上げた。
 殺されている。
 茶谷咲和が。
 夏休み中に、殺されていた。
 茶谷家の古びた借家で、両手足を切断され、髪の毛はほとんど毟られ、眼球はくり抜かれ、陰部はライターで炙られ、口の中にティッシュを詰められ、原型が分からなくなるほど顔は打ち砕かれ、耳は切り落とされ、腹は内臓が花びらのように咲いていた。
 想像するとこんな感じか。ニュースでは細かい遺体の損傷については言わないから。
 胸糞が悪くなって、一気に死にたくなった。
 あいつが、いない。
 僕に一目惚れしていた茶谷が、この世界からいなくなった。
 僕を好きだと言ってくれる、数少ない人だったのに。
 時恵さんの言葉を思い出す。
 
──きみは、自分を受け入れてくれる人間すべてに、その依存の矛先を向けている。

 確かに、そうだねと認めざるを得ない。
 ぽっかりと胸に穴が開いて、そこから空気が抜けてしまうんじゃないかと思う。僕は空気で出来ていて、風船のように浮力を失ってしまうんだ。そうでもしないと、この喪失感はどうやって説明すればいいんだ。
 茶谷が死んだところで、僕はいつもどおりの毎日を送ればいい。
 日常生活に何の支障もない。少しだけ心が悲鳴をあげるだけで。天羽さんが小躍りをするだけで。
 犯人は捕まっていないというから、天羽さんが犯人じゃないかと一瞬考えた。でも、彼女はわざわざ茶谷を殺すために自分の手を汚さないだろう。自分の知らないところで勝手に不幸になってくれと言うタイプのやつだ。
 じゃあ、だれが茶谷を殺したの。
 この小さな街で何が起こっているの。
 僕の知らないところで、何が起きたの。

Re: 憂鬱なニーナ ( No.34 )
日時: 2015/12/30 23:12
名前: 夜枷透子 (ID: jx2ntsZm)


。。。。

 少女の母親はレイプをされた過去を持っていた。
 女子高校生だったとき、男友達と自宅で酒を飲んでいた。未成年だったけど、若いころは早く大人になりたいと一心だった。べつに二人きりだったわけじゃない。高校の先輩の女子もいたし、そのカレシもいた。六人ほどで、一人暮らしをしている先輩の家で夜まで騒いでいた。酒も回って、いつのまにか眠ってしまった。
 起きたとき、すでに自分は半裸にされていて、目の前に様子のおかしい男友達がいた。
 すぐに状況がわかり、怖くて叫びそうになった。セックスなんて前に別れたカレシと二度しかしていない。正直、それもいやだった。もともと好きではないのだ。
 口元を手で塞がれ、挿入され、男友達だけが果てた。横ではカップルの二人が仲良さそうに抱き合って眠っている。起きないでほしい。だけど助けてほしい。どうして、どうして、どうして、どうして、どうして──
 朝起きたとき男友達を嬲ると、彼から放たれたのは軽い言葉だった。

「酔っていて覚えていない」

 そのレイプがきっかけで、彼女は妊娠をする。
 現実を受けとめきれなくて、日に日に大きくなる腹を抱え、叫びたい声を噛み殺し部屋で引きこもっていた。
 気づけば中絶可能な時期が過ぎていた。
 両親は激怒し、そもそも未成年が男と一緒に酒を飲むことがいけないと、彼女を叱責した。
 追い込まれた彼女は、少女を生み、母親となる。
 祖父母となる両親が資産家だったため、働かなくても食うことに困らない。なんだかんだ生まれた孫が可愛いのか、猿のように泣き喚く赤ん坊は親が見てくれる。
 少女は放棄していた。すべてを。
 現実を見ないようにしていた。
 子どもは親に預け、自分は狂ったように行きずりの男とセックスをした。そうでもしないと飲まれそうだった。暗い闇に、落ちてしまいそうだった。
 子どもが十歳になったとき、両親が亡くなった。その年の春に母が、年明けの二月に父が、後を追うように。母は交通事故、父は母を失ってから鬱状態になり首を吊って自殺した。
 残されたのは母親になることを放棄した少女だった女性と、その子どもだけだった。
 家を売り、自分たちを知る者のいない土地へ引っ越した。古い借家を借りて、閉鎖的な空間に落ち着いた。
 子どもを育てるには金がかかる。養育費、生活費、その他の娯楽費。
 金を稼がず、夜に他の男と肌を重ねているうちに、貯金はなくなった。
 狂っていく母親から子どもは離れることができない。ひとりで家にいるときはなるべく家事をやった。遊びに誘われても断わった。爪を噛む癖が治らなかった。夜は不安が押し寄せてきて、胸がひどく圧迫された。
 ある日、母親がひとりの男を自宅に連れてきた。
 下っ腹がベルトに乗っていて、顔中ニキビだらけで、髪の薄い男だった。口からは酷い悪臭がしたのに、人当たりの良い笑顔を浮かべているところが薄気味悪かった。
 母親は男を簡単に子どもに紹介したあと、子どもの顔を妙に粘っちく撫でまわした。
 そしてまじまじと顔を見て、

「いい話があるのよ、咲和」

ゆっくりと言い聞かせた。
 それから母親が子どもに言ったのは、金欲しさに愛情という子どもの求めている言葉を使った脅迫だった。
 その夜から決定的に何かが変わってしまった。
 母親がドラマの再放送を眺める居間の隣の部屋で、頭がおかしくなりそうな夜が何度も何度も何度も訪れた。
 友達といるだけで居心地が悪い。好きな子の話をしているクラスメイトを見ると、嘔吐しそうになる。そんな純粋な目で自分を見ないでほしい。自分は、穢れているから。
 自分が好きになるのはいつだって、自分なんかに興味のなさそうな人間だった。
 中学のときは、友達が多いのに周囲に干渉を抱かないボーイッシュな少女。高校では、明らかにひとりの人間に執着をして、壁を作っている高校のクラスメイト。
 そういう人間を好きになり、そういう人間から愛されてみたいと思った。
 だけど中学のときに恋した少女には隠していた恋人がいた。他の友達より自分のほうが特別だと思っていたのに、そんな隠し玉がいたなんて。信じられなかった。強い雨の降る夕方、その恋人を思いきり突き飛ばした。ちょうど走っていた車が轢いてくれて、壊れた玩具のように道路に横たわっていた。死んだと思っていたら生きていたらしく、好きだったクラスメイトは見舞いに通いだした。自分に振り向かない人間なんて必要じゃない。
 次に一目惚れした少年を最後の恋にしようと思った。
 少年はどこか影のある雰囲気を醸し出していて、そこにまず惹かれた。こんな綺麗で危うそうな人が世界にいるのかと驚いた。自分なんかが触れてはいけないところで、他の女の子を大切にしている彼を見ているだけでいい。
 それなのに、彼は自分を嫌いになれないと言ってくれた。
 それだけで、十分だった。
 十分愛された。
 だから──

「もう……殺されてもいいよ……」

 家で見知らぬ誰かに頭部を思いきり鈍器で殴られた。床に倒れてぼやける視界で天井を見ていると、自分の両足が誰かに引っ張られている。母親は家にいなかった。いつものように男漁りにでも行っているのだろう。

「咲和は……幸せだから……」

 チカチカと光る。お星さまみたい。
 自分がどうして殺されるのかわからなかった。
 問いかけようとしたが、自分を殺そうと頑張っている相手に悪いかなと思ってやめた。
 死ぬ理由のほうが、生きていく理由よりも多いことに気づいて、口元が緩む。
 いっこだけ後悔していることがある。
 涙を流しながら、茶谷咲和は最後の願いを言葉にした。

「本当に好きな人と、キスしてみたかったなぁ」

。。。

Re: 憂鬱なニーナ ( No.35 )
日時: 2016/01/04 23:17
名前: 夜枷透子 (ID: jx2ntsZm)


 七月三十一日。
 ニュースを見た次の日、僕は天羽さんから呼び出しを受けた。なんと、近くの公園で。こんな暑い日に何を考えているのかと思ったが、外を出てみると曇り空で、意外と涼しい日だった。
 午後三時。
 待ち合わせ時間に行っても天羽さんはいなかった。
 久々に訪れた公園を眺めてみる。ブランコ、滑り台、砂場、馬のへこへこした乗り物、ジャングルジム──
 ようし。
 手始めにブランコに乗ってみる。小学校のときも乗ったことがない。保育園のときは、宙に浮く感覚がして好きだったかもしれない。順番待ちして何度も乗った記憶がある。立ち漕ぎという、僕からしてみれば高度な技があるが、今はやめておく。座って、足が地に着かないようにピンッと伸ばす。なかなかに漕ぎにくい。
 頑張って地面を蹴る。
 ああ、ふわっとする。
 風が、心地いい。

「なにやってるんだよ」

 目を開けると、天羽さんが呆れ顔で立っていた。

「見てわかるだろう。ブランコだよ」
「それはわかるけど……なんでブランコ?」
「童心に返りたくなって」
「ほほう」

 隣のブランコに天羽さんも乗る。そして漕ぎ出す。
 高校生が二人でブランコ……。

「咲和ちゃん、死んじゃったね」

 悲しみの成分がひとつも含まれていない口調。
 そうだね、と返事をする。天羽さんは笑っていた。

「人って勝手に死んでいくんだねぇ。こんな身近なところに死が潜んでいるのに、まったく他人事だよ。未だにあの子が死んだっていう自覚がないし」
「殺されたんだってね」
「殺害の動機は強い恨みを持っていた可能性がある……部屋を荒らした痕跡がなかったのと、殺しの方法から……そうニュースでやってた」
「よくニュースを見ているんだな。他人事なのに」

 一瞬、天羽さんの表情が張り詰めた。すぐに溶けたけど。

「死んだ方がよかったのかもね」

 ブランコをとめて、天羽さんが遠くを眺める。亡霊か何かが見えているんじゃないのか。

「咲和ちゃんは、死にたがっていたし」
「幸せ?」
「死後の世界で楽しくやっているかもね」
「……そっかぁ」

 納得するしかなかった。死んだ後のことなんてわからない。だけど、生きていても茶谷は死人のような生き方しかできなかったように思う。

「それで、今日は僕に何の用事だよ。茶谷の件が片付いたら、僕とはもう関わり合うのをやめるんじゃなかったか」
「うん。これが済んだら、もうきみとは何の関係もないよ。ただ、ただねぇ、少しきみにぼやきたいことがあったのさ」

 長く息をつき、天羽さんの表情から笑顔が消える。この人、無表情だと本当に性別が特定できないな。男とか女とかを超越していて、作品のようだ。ずっと顔を見ていても不快感を覚えない。たぶん今まで出会って来た人間の中で、作りは上位にランク付けされる。僕個人の好みもあるんだろうけれど。

「あの子が死んでも、悲しくもなんともないんだよね」
「…………」
「もっと、苦しんでから死んでほしかった」
「…………」
「でも、すごく酷い殺され方って聞いたから、ちょっとは苦しんだのかなぁ」
「…………」
「犯人は捕まらないけれど、まだこの街のどこかにいるのかな。いたら……どうして咲和ちゃんだったんですかって聞いてみたい」
「…………」
「ねえ、聞いてる?」
「うん」

 ちょっとだけ天羽さんに見惚れていて、相づちを打つのを忘れていました。

「春名くんにとっては、残念だったのかな」
「どうして」
「春名くんを好きになってくれる人が、消えてしまったから」
「…………」

 返事のなかった僕に苛立ったのか、嫌味百パーセントの言葉をかけてくる。そんなので傷つく心を持ち合わせてはいないけど、とりあえず天羽さんの言いたいように言わせてみる。

「地球上でけっこう重要だよね。きみのことが好きな人間って。それを渇望して偽善者ぶって、本当に……底辺のクズだよ。今まで出会ってきた人の中で、きみが一番、最悪の人間だ」
「僕を罵倒するのは、一人だけでじゅうぶんだよ」
「月子ちゃんのこと?そういえば、月子ちゃんはどうしたの」

 そうか。ニーナのことは公になっていないから、天羽さんは何も知らないのか。
 適当に風邪で寝込んでいると嘘をついた。天羽さんは納得してくれたらしい。そして今度は、自らが客観的に考察した「僕」という存在を理論ぶってぶつけてくる。

「春名くんって自分を好きになってくれるんだったら、誰でもいいんだよ」
「違うよ」
「違わないよ」

 強く言いきって、天羽さんは地面を蹴る。

「春名くんは、自分を愛してくれる人を愛そうとはしないんだよ」

 天羽さんが帰った後、僕はしばらく一人でブランコを漕ぎ続けた。
 人がいなくなった隣のブランの揺れが止まる。
 けっきょく天羽さんは、最後の最後で僕を非難したかっただけなのかもしれない。茶谷よりも僕という人間のほうが、彼女にとってはおぞましい者だったのか。あれほど嫌悪感を隠そうともしない人っていうのも珍しい。
 嫌われるようなこと、した覚えはないけれど。
 好かれるような努力も、していない。
 僕のことを好きな人たちは、いったい僕のどこに惚れてくれたんだろう。

「教えてくれよ、だれかぁ」

 そしたら僕も、自分のことが少しは好きになれるかもしれないのに。

Re: 憂鬱なニーナ ( No.36 )
日時: 2016/01/09 19:10
名前: 夜枷透子 (ID: jx2ntsZm)


 八月六日。土曜日。
 ニーナが退院したと、時恵さんから連絡があった。
 どうして本人から連絡がないのかと聞かれれば、僕に対して腹を立てているからと答えるしかない。愛想が尽きたのか、僕が謝れば情状酌量の余地があるのか。それは定かではないけれど。
 僕は、彼女に会うのが怖い。
 茶谷を殺したのはいったい誰だ。僕の知らない、関わりのない人物が手にかけたのか。
 少ない情報で推理ごっこをしたところで、事態は何も変わらない。考えることをやめた。茶谷がいなくても、天羽さんが去っても、ニーナが存在しなくても。
 僕の時間は勝手に流れる。
 僕の意思とは関係なく。


 八月九日。
 引きこもって部屋の蚕と化していた僕に、話があるから外に出ようと声をかけたのは若狭だった。
 火曜日は総菜屋が定休日のため、暇なのだそう。
 迷ったけれど、若狭の誘いにのった。服を着替えて、三日ぶりに外に出る。
 まだ夕食前の時間だというのに、日が沈みかけている。歩いてきたらしい若狭の額には軽く汗が滲んでいた。昼間の最高気温よりはマシなんだろうけれど、引きこもっていた僕にとっては眩暈がするほど蒸し暑い。実際、食事もまともに摂っていなかったため、ふらっと頭が揺れる感覚がした。目頭を抑えて耐えていると、若狭が心配そうに顔を覗きこんでくる。

「依空、なんか痩せたな」
「うん…………まあ、少し」
「食ってないのかよ。うちにこい。食わせてやる」
「タダ飯というわけにはいかないだろう」
「残り物でよければ」

 僕の心情を理解しない母さんは、いつもどおりの食事を用意してくれている。食欲なんてものはなく、仕事でいないときにこっそりと生ゴミとして処理している。もったいないと思ったけれど、どうせ胃の中に納まらず吐き出されるのだから、同じことだ。

「ちょっと歩こう。どうせ引きこもっていたんだろう」

 若狭が歩き出す。
 歩くのかよ。まあいいけど。
 遠くからヒグラシの鳴く声が聞こえる。物悲しくて、なんだか胸が潰されそうになった。



「蜷川はもう退院しているんだろう」
「らしいね。時恵さんから連絡がきたよ」
「お前、見舞いとか行ったの?」
「………………足が向かなくて」
「どうして」
「いろいろな人に説教されたんだよ」
「説教?」
「若狭と、時恵さんと、天羽さんと」
「すっげぇ。まあ、俺は説教したつもりはないんだけどな」
「いや、いいんだよ。本当に僕は自分のことだけしか考えられない男だから」
「なにネガティブになってんだ」

 ネガティブというか、事実だろう。

「ニーナが刺されたあとに、茶谷咲和が殺された」
「……………それで?」
「ニーナを刺したやつもわからない。茶谷咲和を殺したやつも、まだ見つかっていない」
「…………どうせ、蜷川を刺したのも茶谷なんじゃないのか」
「どうしてだよ」
「蜷川が邪魔になったんだよ。依空の傍にいたいから、そんなことをしたんだろ。お前も前に話していたけど、天羽ってやつの男を突き飛ばしたのだって、異常だ。そんなやつが野放しになっていて、安全なわけねぇじゃん。お前は自分しか見えてないから何もしてこないって言っていたけど、安易すぎたんだよ。蜷川が襲われたのだって、お前が茶谷咲和に対してけじめつけてりゃ防げていたかもしれねぇだろうが」

 若狭は、僕が茶谷に対してその気がありそうな返事をしたことを知らない。教えていない。それを知ったら、若狭はきっと激昂するだろうから。

「でも俺はお前を責める気はしないよ」

 散々責めたてるようなことを言っていたのはどこのどいつだ。

「自分を好いてくれる人間がいるっていうのは、嬉しいことだから。お前の、そういう部分が満たされていないっていうことを、俺は知っている。小さいころから一緒だったから。お前も、蜷川も、周りから愛されるということを知らずにいた。だから、今のお前たちを責める気はない」
「親からの愛情不足ってやつかな」
「笑えない冗談だけど、直接的に言えばそうなるな」

 時恵さんも言っていた。
 僕自身は気づいていないし、無自覚だけれど。幼いころから、そして今でも続いている母さんの僕への態度は育児放棄であると。僕はそれを否定したけれど、当事者ではない時恵さんや若狭からしてみれば、僕と母さんの関係はどこか歪んでいるのだろう。

「お前は欲張りすぎたんだよ。ずっと蜷川だけで生きていけばよかったんだ」

 茶谷咲和の思いを利用した。
 そして、彼女は殺された。
 何者かによって。悪意の限りを尽くされて。
 心が痛い。
 痛みを感じると、僕もまともな人間なんだなぁって思う。人間をやめたいけれど、元から歩く亡霊のようなものだから、もうどうだっていいよ。





 家からだいぶん歩いて、僕と若狭は神社にやってきた。
廣意ヒロイ神社というこの神社は、ここらの地域で祭りの開催場所となっている。夏祭りや冬祭りになると参道に出店が並ぶ。鎮守の森に囲まれた鳥居から参道に入るためには約四百段の石段がある。

「登るのか?」
「登ろうぜ」

 そういえば、そろそろ夏祭りの時期だな。忘れていた。
 すでに辺りは日が落ちて、暗くなっている。目を凝らさなければ石段が見えにくい。足を踏み外さないように歩いていた。
 そういえば、小学六年生のとき、みんなで一緒に夏祭りに来たっけ。たぶん、それが最後の祭りだった。
 僕と、ニーナと、若狭と…………

「覚えているか。ここ」

 不意に話しかけられて我に返る。
 僕より数段先を登る若狭。背中は広いし、背も伸びている。確かにあの頃から時間は経っているはずなのに。

「覚えているよ」
「お前と蜷川って、この場所で始まったのかな」
「……一年のころから、同じクラスだったっつーの」
「ちげぇよ。そういう意味じゃない」

 この場所は今まで立ち入ることを避けていた場所だ。
 僕たちにとって、触れてはいけない場所だったから。みんなが隠そうとして、秘め続けて、口を閉ざした。
 ニーナを守るために。

「お前は、伊槻美澄が好きだったんだろう」

 そこに敢えて触れようとしてくる若狭の意図が、僕には見えない。どうしてわざわざここに来たのかも、見当がつかない。

「だから、なんなんだよ」
「でもお前は馬鹿だから、伊槻よりも蜷川を守った」
「違う」
「違わねえよ」
「なんなんだよ、さっきから。黙って着いてきたけど、なんでここなんだよ!お前は今日、僕に会って何を話そうと思っているんだよ!伊槻の名前なんか出して!よりにもよって、こんなところで!」

 若狭の目は冷たかった。今までの彼と違う雰囲気に、喉の奥が鳴る。唾がねっとりと絡んだ。

「俺は、お前を責めるつもりは、ないんだよ」

 静かに若狭が言う。
 さっきも聞いたよ、と口を開きかけた瞬間、若狭に胸倉を掴まれる。ずるっと足を踏み外して転げ落ちそうになったのを、若狭がぐいっと引き上げる。

「少なくとも、責めるつもりがないのは、“昔の”お前だけどな」

 瞬間、
 ぽんっと、
 胸を押される。
 僕の体が宙に舞う……なんていうものじゃなくて。無抵抗になされるがまま、石段を転げ落ちる、い、い、いたあああああああああああああああああッ。体を打ち付ける鈍い音と、どこから出ているのかもわからない血と、ああ、なんか視界がグルグル回っている。
 痛い、痛い、すっげえ痛い。
 ようやく回転が終わったと思ったら、今度は若狭がものすごい速さで石段を駆け下りるのが見えた。だけど、心配して駆けつけてくるわけではなさそうだ。
 というか、僕って鳥居まで転げ落ちたのか。そりゃ痛いはずだわ。

「イソラァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ」

 なに、お前。
 なんで、手に、ナイフ持ってるわけ。
 おっかしいだろ、
 なんの冗談だよ。

「くっそ!」

 起き上る。腰と頭と腕がひどく痛い。振りかざされるナイフを素手で庇う。手の平がスパッと一直線に赤く切れる。痛みで一瞬気が遠くなったけれど、腹部を蹴り上げられて現実にずるりと戻された。

「オッ、アアァッ」
「立てよ」

 うずくまる僕に、若狭が告げる。

「茶谷咲和みたいに、捌いてやるから」



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