複雑・ファジー小説
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- 憂鬱なニーナ
- 日時: 2015/12/19 22:27
- 名前: 朝倉疾風 (ID: jx2ntsZm)
改名したので、お伝えしておきます。
朝倉疾風(アサクラ ハヤテ) → 夜枷透子(ヨカセ トウコ)
大幅に。思いきって。
五年間の朝倉とサヨウナラ。
ついったぁ @_aiue_ohayo
──日常に蔓延る、小さな狂気を。
登場人物
春名依空……蜷川、若狭とは幼なじみ
蜷川月子……通称「ニーナ」
蜷川時恵……ニーナの叔母
若狭壮真……金髪ピアス 総菜屋の息子
茶谷咲和……依空に一目惚れしたいじめられっ子
天羽カヲル……中学時代、咲和と同じクラスだった
秋月冴香……いじめの主犯
- Re: 憂鬱なニーナ ( No.22 )
- 日時: 2015/12/13 00:04
- 名前: 夜枷透子 (ID: jx2ntsZm)
茶谷の家から出てしばらく歩くと、「どういうこと」天羽さんが僕の行動の真意に触れようとしてくる。振り返り、今にも僕に掴みかかってきそうな天羽さんと向き合う。怒っている……んだろうか。どうして天羽さんが怒りを覚えるのかわからない。
「あの子は危険だって言ったよね」
「うーん。言われたような気もするね」
「ふざけないでよ」
他人から飾り気のない怒りを向けられると、どうしていいのかわからない。特に天羽さんみたいなタイプには、誤魔化しが効かないから、下手に答えると足元をすくわれそうになる。人の隙をついて踏み入ってくるから、たまったもんじゃない。
「僕と茶谷のことだ。天羽さんには関係ないだろう」
「確かにそうだけど、咲和ちゃんのことに関しては私情を挟ませてもらう」
「……そういえば、僕らに忠告をしたり、ここまで付き合ったりしてくれているよな。それはどうしてなんだ。お前は他人のことなんか、どうだっていいんだろう。茶谷や僕やニーナを心配してもいない。お前には、他人にかける情けなんて毛ほどもないからな。僕たちに付き合ってくれる理由なんか、ないはずだろう」
「ないよ」
だけど、と。
天羽さんが続ける。
「咲和ちゃんには不幸になってもらわなきゃ困る」
鋭利な狂気が薄い膜を突き破る。
僕に向けられていた怒りの正体は、他人に興味がないと豪語する彼女がいつのまにか抱えていた重たい闇だ。自分のカレシを重体に追いやった茶谷への、どす黒い恨み。きっと自分でも抑えられないほどの憎しみが天羽さんを苦しめていたに違いない。
だから、彼女は切り離した。
憎悪という感情を一方的に切断した。そうでもしないと、壊れそうだったから。茶谷咲和という人間を抱えきれなかった天羽さんは、自分の中から彼女への思いを消し去った。
でも、普通は特定の相手への思いを完全に切り離すなんて無理な話だろう。
私情というのは、天羽さんの心に残っている茶谷咲和への思いだ。中学時代に捨てたはずの、無意識の憎悪。
「春名くんは咲和ちゃんを助けたいの?月子ちゃんの腕が切られたのに?あんな、売春みたいなことをしているのに?そんなやつに、『嫌いにはなれない』なんてよく言えるよね。あれじゃ咲和ちゃんは喜んじゃうだろう」
「──お前が、僕に忠告をしたのは何の為だよ」
「拒絶してほしかったんだよ。あいつが自殺しちゃうぐらい、徹底的に」
そう言って天羽さんが微笑む。……どういう意味の笑顔なんだよ、それ。
「春名くんがここまで優しいとは思わなかった。月子ちゃんのために、咲和ちゃんを拒絶すると思っていたんだけど……。他人に興味がないですってふりをしていたのかな。自分はまんまと騙されたのかぁ」
「僕は……」
どうして茶谷を受け入れるようなことを言ったんだろう。
あのとき、確かにニーナとの約束を思い出していたはずなのに。
「春名くんって、意外に人間っぽいんだね」
そう言って、天羽さんが僕の耳に顔を近づける。
そして、こう囁いた。
「それとも、ただの偽善者なのかなぁ」
砂利を噛み砕いたような不快感が襲った。
思わず天羽さんを突き飛ばしてしまいそうになる。というか本気で殴ってやろうか。眼球を抉って舌を引っこ抜いて脳味噌を空っぽにしてそこに花でも植えてやろうか。ああ、不愉快だ。黙ってその不快が消えるまで待つ。
言ってやったと、天羽さんは不敵に微笑んだ。そして硬直している僕の肩に手を置いて、そのまま立ち去る。
二時間目の授業には間に合わないかもしれないけど、おそらく学校へと向かう天羽さんの後ろ姿を見送る。
どっと疲労感が溢れて、このまま死んでしまいたいと思った。
早く楽になりたーい。
- Re: 憂鬱なニーナ ( No.23 )
- 日時: 2015/12/16 00:11
- 名前: 夜枷透子 (ID: jx2ntsZm)
『ノスタルジックメモリー02』
「春名はどうして蜷川を相手にするのかな」
昼休みが終わって掃除の時間を知らせる音楽が流れる。ぼくの所属する第二班は十月から、北門に掃除場所が変わった。第六班まであるぼくのクラスでは、月ごとに掃除場所がローテーションする。月一で席替えが行われるため、ぼくは北門の掃除はこれで二回目だった。
北門へ行くには、四年生の教室から階段を下りて、靴を履き替えなければならない。これなら教室かトイレ掃除のほうがまだマシだった。遠いし、枯れ葉が次々と舞うからキリがない。
風に踊らされる葉とのいたちごっこに、班員たちが汗を流しているときだった。
同じ班の伊槻さんが、ぼくに疑問を投げかけた。
質問の意味がよくわからなくて、ぼくは伊槻さんを見つめる。
色素の薄い髪の毛は生まれてから一度も切っていないのかというぐらい長い。全体的に白っぽい伊槻さんは、動物に例えるとキツネみたいだ。
伊槻さんは夏休み明けにぼくのクラスに転入してきた女の子で、ニーナとは別の意味で性格がねじ曲がっている。他の子よりも大人びているというか、周りの人間を冷めた目で見ている感じの子だった。妙に話しにくい。というか、きつい印象を与える。
それでも転入してから初日で友達ができた彼女は、今ではクラスの中心的な人物にまで格を上げていた。女ボスだ。
黙っているぼくを不審に思ったのか、顔を覗きこんでくる。さらさらとした感触の髪の毛が目の前で揺れた。感触といっても触ったことないんだけど。あくまで率直な見た目の印象だ。
「ねーぇ、聞いてんの?」
「聞いているけど……どういう意味なのかなと思って」
「そのまんまだよ。あの子といつも一緒だけど、何のために蜷川といるの?メリットないじゃん」
薄味風味の悪意が顔を覗かせている。八重歯が見えた。
「幼なじみだから……」
「そうだったの?春名って変わった子と仲良しだよね。あのヤンキーっぽい、茶髪の子ともよくいるよね」
「若狭とも一年からずっと同じクラスだったから」
「春名の友達ってその子たちだけなの?」
若狭はともかくニーナを友達と呼んでいいのか迷う。あの子は母親との関係を否定しないぼくにすがっているだけだから。秘密を共有しているからお互いに離れがたいだけで、その関係に名前がつかないから幼なじみだと言っているだけで。
答えないぼくにしびれを切らしたのか、「どうなのー?」と伊槻さんが頭でぼくの肩をゴリゴリ押してくる。
「そうだけど」
しょうがないので適当に答えると、伊槻さんはゴリゴリをやめてくれた。
乱れた髪を整えることもしないで、ぼくの腕に自分の腕を絡ませてくる。ニーナが教室掃除で、この光景を見ていないことが幸いだ。見ていたら今ごろ、ぼくも伊槻さんも土の中に埋められているだろうから。
落ち葉を集めていた数人の班員たちが、ぼくらを見て何か喋っている。掃除をさぼってあいつら何をしているんだと不満を口々に言っているんだろう。モテる男はつらい。
そんな視線を気にも留めず、伊槻さんは笑みを浮かべてぼくに告げた。
「私も春名の友達になりたい」
次の瞬間、ぼくの後頭部にべちょっと何かがあたった。痛みはないけど、濡れた感触がして気持ちが悪い。足元を見ると、濡れた雑巾がコンクリートの地面に染みを作っていた。
「あ、蜷川だ」
隣で伊槻さんが呟いた。
雑巾が飛んできた方へ顔を向ける。
そこに、無表情のニーナがいた。
「そんなに女の子と喋りたいなら、勝手にすればいいじゃん」
静かにニーナが言う。
まるでぼくが浮気をしたみたいに言っているけど、そんなつもりはなかったんです。だけどドラマで女が浮気だと思った瞬間からそれは浮気なんだと言っていた気がする。ということは、クラスメイトの女子に腕を無理やり絡まれただけでアウトなのか。そもそもぼくとニーナは幼なじみで、お互いが好きとかそういうのじゃないんだけどなぁ。
いろいろ矛盾しているけど、ニーナの怒りは率直にぼくに向けられている。
そして、ぼくの腕にコアラのようにしがみつく伊槻さんにも。
踵を返すニーナを追うために、伊槻さんを軽く突き飛ばす。
「待って、ニーナ」
「うるさい、いっくんなんか死ね。死ね死ね死ね。死んでしまえ」
きみのために生きているんだろう、ぼくは。
違ったの?
きみが母親のことで苦しんでいて、愛されていなくて。だけどそれを愛情だと信じて疑わないきみをぼくだけが拒絶していないんだよ。きみは、ぼくがいないと生きていけないんじゃないの。母親との関係を認めているぼくだけを、信じているんじゃないの。
「ぼくはきみのものなんだよ」
ぼくの世界はきみ一色だ。
似ているんだよ。
親から相手にされずに関心すら持たれないぼくを、きみだけが必要としてくれた。悪口でも暴力でもなんでもいいんだ。ぼくだけを見てくれるきみに、ぼくも救われているから。
だから、行かないで。
「行かないで、ニーナ」
教室には戻らなかった。ニーナの後を追うと、そこは校舎の裏側だった。花壇や植木鉢、飼っているチャボとウサギ小屋が設置されている場所だ。
そこでようやくニーナは立ち止まる。
形のいい唇を震わせて、ニーナはありったけの声量で、ぼくを罵倒した。
もうそれは、本当に小学生の口から吐き出されているのかと疑いたくなるほど、下劣な言葉の数々だった。今まで自分が言われてきた言葉なのか、母親とその相手の男が言い争って使われた言葉なのか。
自分の知っている、人を傷つける言葉をニーナはぼくにぶつける。自分がされてきたように。それでしか人との関わり方を知らないから。
静かに、それが終わるのを待った。
痛いのは嫌いだ。傷つくのも、傷つけられるのも好きじゃない。
だけど。
そこまでして、ぼくに自分の苛立ちを、怒りをぶつけてくるニーナが好きだった。
ぼくが一番恐れているのは、“無関心”だから。
- Re: 憂鬱なニーナ ( No.24 )
- 日時: 2015/12/19 22:23
- 名前: 夜枷透子 (ID: jx2ntsZm)
第三章『この世界はきみだけのために』
七月九日、金曜日のことだった。
一学期の期末テストが終盤に差し掛かり、残っている教科も少なくなる。今回の赤点はいくつあるのか、自己採点をしてみる。夏休みの補習は受けなくてもよさそうだ。問題は月曜の数学と古典……でも土日を挟んでいるから何とかなるか。
問題はニーナで、彼女は幼い頃から勉強というものが苦手だった。
音読を親に聞いてもらってサインをしてもらう宿題が出たとき、僕とニーナだけが宿題をやってこなかった。僕の場合はやらないんじゃなくて、親が聞いてくれなかったから。ニーナはそもそも家に母親がいる時間のほうが少なかったから、しょうがない。僕たちの家庭環境を知っていた鈴浦先生は苦笑して、「じゃあ先生が聞いてやるか」と僕たちの音読を聞いてサインをしてくれていた。
勉強が苦手というより「将来、絶対に円の方程式なんか使わないから」という理由なのだと思う。無駄なことは極力避けたいという僕の思いと少し似ている。ニーナは自分の未来を軽視しているようだ。
テスト期間中は午前中で学校は終わる。
廊下に出していた荷物を持った。人が混雑している廊下を歩く。そのときなるべくニーナの腕に僕の体が触れないように気をつけた。傷は塞がっているけど、痕がまだ残っている。上から触ると痛むようで、人が多いところでは腕を気遣う素振りを見せている。
「テストどうだった?」
「どうって……できるわけないじゃん」
赤点獲得数の多いニーナは補習の常連である。
できなくても二度目の再試験にはいつも合格できるらしく、成績に対しての危機感は持っていないようだ。咎める人もいないし。
「テスト中ほとんど寝ていたし。気づいたら問題用紙も回収されていた。わかんないし、眠たいから半分以上白紙だったわ」
その潔さに百回惚れちゃうぜー。あははー。自分以外のことに対しては、何事も気にしない彼女の生き方はある意味で前向きだ。僕も見習いたいねぇ。
早く帰りたいとごった返す靴箱付近。ニーナが上履きを脱ぎ、僕に手渡す。いったんニーナと離れて人ごみに紛れる。ニーナの靴箱からシューズを取り出して、次に自分も履きかえた。誰の体が触れるかわからないため、腕を庇えきれない。だからニーナの靴は僕が片づけている。
礼を言うこともなく、当然のように僕に靴を履かせてもらう。
「病院は行ったのか」
「あそこ嫌いだから行かない」
「時恵さんには言ったのか」
「言ってない」
「ふうん。……そのままずっと秘密にしていてね」
くぎを刺す。「わかってる、何度も言うな、うざい」と、うんざりとした顔だった。その表情が幼い頃のままで、何も変わっていないんだということに気づかされる。僕はニーナの傍にいて、ずっと二人きりで、死ぬまで一緒。うまいこといけばそうなるけど、人生って甘くはないからなぁ。
「……ねぇ、イソラ」
「なぁーにー?」
「あいつがいる。私の腕を切ったやつ」
靴紐を結ぶ手を止めて、振り返る。
門前に立つ茶谷が緩やかにこちらに手を振っていた。頬が緩みきって筋肉がプチプチ切れたような笑顔だ。距離があるため、下校する生徒たちは彼女が何に手を振っているのかわからないようだ。怪訝そうに彼女を見ながら通り過ぎる。
あいつ学校に来ていたのか。僕が天羽さんと家庭訪問をしてからも姿を見ていなかったから、不登校は続いているのかと思っていた。
そういえばホームルームで担任が欠席者はいないと言っていたな。保健室でテストを受けていたとか?
「あいつ、頭おかしいんじゃないの」
自分のことを棚に上げて、的確な指摘をするニーナ。嫌悪感が明瞭で大きな目がナイフのように細められる。僕が茶谷の家を訪れたことを知らないニーナが、彼女の行動の意図を理解できるはずもない。
「私の腕を切ったくせに、のこのこ現れて馬鹿じゃないの。イソラもそう思うでしょう」
「そうだね。迷惑極まりないよ」
「クソ女」
ニーナの視線に気づいているのかいないのか、茶谷はずっとこちらに手を振り続けている。まいったな、これじゃ帰りづらい。ニーナの前で茶谷が暴走したら色々と終わる気がする。おもに僕の人生が。
コンティニューできるのか色々と考えていると、茶谷のほうに動きがあった。
数人の女子生徒が茶谷に近づき、何やら険悪なムードを醸し出しながら話している。小動物を威嚇する女狐のようだ。女子生徒たちがいるから茶谷の表情が伺えない。この隙に門を通ろう。
気づかれないように存在感をなるべく消して透明人間になったつもりで脇を通る。
ニーナも滲み出る殺気を引っ込めて、大人しく僕の後に続く。
「なんでお前、学校に来てるの?その顔見せないでほしいんだけど」
耳に聞こえてきたのは辛辣な声。
同じクラスのやつらで、いつも茶谷をいじめていた女子のひとりだった。明らかにグループの中でも威張っているやつで、名前は……なんだっけ。忘れてしまった。高い位置で結ばれているポニーテールが、動くたびに揺れる。活発そうな目元は鋭く茶谷を睨んでいた。
見ないようにしていたけど、茶谷の反応が気になる。
握りこぶしを震わせて、うつむき、何も言わずに堪えている。無反応の彼女にまた腹が立ったのか、ひとりが軽く肩を小突いた。それだけで簡単に茶谷はよろける。弱々しく、脆い。
「カヲルをあんな目に合わせたくせに、よく高校まで一緒にしたよね。信じられない」
一際きつい口調の、ポニーテールの女子。
そういえば天羽さんと中学のとき同じグループにいた一人が、茶谷と今同じクラスだと言っていたな。あの子がそうか。名前が相変わらず思い出せないけど、顔は知っている。
僕の視線に別の女子が気づいた。目を逸らして、何も見ていないふりをする。
やがていつもの分かれ道に出たときだった。
「あいつを助けないでね」
強い口調でニーナが僕に言った。
一瞬で何のことを言っているのかを理解して、眉をひそめる。本当に信用されてないんだな。六歳のころからずっと一緒なのに。でも、きっとニーナは正しい。僕を百パーセント信じきれずに、疑ったまま、それでも僕の傍にいてくれる。それは、彼女には僕しかいないってことだ。ニーナは僕を疑っているけど、僕はニーナの気持ちを疑っていない。彼女には僕しかいない。それは事実だ。
「助けないよ」
助けない。僕には他人を助けるだけの力なんて無い。
ニーナだって助かっている気でいるわけがないだろうに、どうして僕が人を助けられると思っているんだろう。そんなに頼りがいのある男に見えるのかな、僕は。
訝しげに、ニーナは僕を見つめる。
「イソラはそのつもりがなくても、あいつはイソラを頼ってくるかもしれない。もしそんなことがあったら、私は本当に……我慢できない」
歯ぎしりのしすぎで犬歯が欠けそうだ。リミッターが外れたらニーナは本当に犯罪者になっちゃうんじゃないか。それは阻止しないと。ニーナが不機嫌になるルートだけは避けて穏便に済ませようと、口を開きかけたとき。
「イソラはかわいそうな子が好きなんだから」
反応が、遅れる。
「は……っ、どういう意味だよ、それ」
「放っておけないとかじゃなくて。イソラは心が空っぽだから、それを満たしていないとだめなんだよね。私に付き合ってくれているのも、そこに埋め込みたいからでしょう」
「ちょっとよくわかんないんだけど」
「うん……わからないよね。バカでノロマなイソラには、わかんないよ。でも私はイソラを手放す気なんてないよ。私はお前がいないと、立って歩くことができないから」
僕への必要さを訴えたいのか、浮気をするなと言いたいのか。いやきっと、どれもニーナの真意からは離れている気がするけれど。
とにかく、これは告白なんだとポジティブに受け取っておくことにした。そうでもしないと、今ニーナの気持ちを考えるのは無理だ。僕は客観的に自分のことを把握できていると思っていたのに、僕の知らない自分がいるなんて。それをニーナに見透かされているなんて。
硬直する僕に近寄り、そっと肩に額を乗せる。
支え合う。
僕とニーナは。
お互いがいないと、生きていけない。
「逃げないでね、いっくん」
- Re: 憂鬱なニーナ ( No.25 )
- 日時: 2015/12/20 21:33
- 名前: 夜枷透子 (ID: jx2ntsZm)
いじめていたポニーテールの女子の名前を思い出したのは、三日後のことだった。
ついでに、いろいろと爆発したのも、この日。
月曜の朝、教室中にものすごい音が響く。
ホームルームが始まる前は担任が教室にいない。生徒たちの無法地帯である。僕とニーナはそれぞれ自分の席に座り、静かに予鈴を待っていた。そのときすでに茶谷は教室にいて、いつものように女子数人に絡まれていた。教室に彼女が姿を現すのは、窓ガラスを割った日以降初めてだった。久々の標的の登場に、女子たちもいじめに躍起になっている。明日で終わるテストの勉強のせいで寝不足なせいか、眠気がピークだった。あくびをしてふわふわとした感覚になっていたのだが、その音で一気に覚醒する。
目に入ったのは、床に押し倒されているポニーテール女子と、そこに馬乗りになっている茶谷の姿だった。そこだけ聞くと女子同士で何をやっているんだと思うかもしれないけど、実際は今にも茶谷が持っているシャーペンで、そいつの目玉を突き刺そうとしている状況だ。ポニーテール女子が必死で茶谷の腕を押さえている。周りの女子たちは、いきなり襲撃の一手に出た茶谷に驚き、固まっていた。
「もうお前たちなんて怖くないわ」
静まり返る教室に茶谷の声が浸透する。今までの弱々しいものではなく、芯の通った、明確な意志を持った声。劇的な茶谷の変化に、周りはついていけていない。成長とは違う、別の方向へ殻を破ったという感じだけど。
シャーペンを持つ手がゆっくりと下ろされる。
退いて、茶谷は不気味なほど静かに自分の席に座った。
「なんなの……あいつ……」「キチガイ」「冴香、大丈夫……?」
冴香、と呼ばれたポニーテール女子が仲間に支えられて立ち上がる。嫌悪と恐怖の入り混じった表情で茶谷を見ていた。そうだ、あいつの名前を思い出した。秋月冴香だ。活発そうな雰囲気が今では萎れてしまって、同一人物なのかわからないほどだ。
予鈴が鳴って何も知らない担任がやってくる。教室にいる茶谷を見て驚いた顔をしていたけど、特に声もかけず席に着くように促した。
一連の騒動が起きてもニーナは頭を上げず、机に突っ伏している。眠っているのか起きているのか、僕の位置からは確認できない。
茶谷は、もう顔を俯けない。
クラスメイトたちに反撃の狼煙を上げたことが誇らしいのか、口元が緩んで目を輝かせている。今まで意志のなかった人形に生命が宿ったように、爛々としていた。
僕は助けていない。
茶谷に「嫌いになれないだけ」と告げただけだ。助けるつもりも一ミリもないし、そういう意図を含ませたわけでもない。
何をどう勘違いしたのかわからないけど。
茶谷は完璧に再構築されていた。
「それは……暴走しているなぁ」
火曜日。テストがようやく終わり、解放感に満ちた声が広がる。僕も例外ではなく、やっと一つの修羅場を乗り越えられて、ほっとした。今回もそこそこの成績であればいい。高い点なんて望まない。補習という面倒事を避けられただけでも及第点だ。
テストが終わったあと、僕はニーナと若狭の家に来ていた。
若狭の家に行くと言ったとき、ニーナはすごく戸惑いのある表情を見せたけど「私も行く」と言って着いてきた。ニーナがいると話しづらいことも多々あったのだけど、彼女は部屋に入った瞬間、糸が切れたように眠ってしまった。スイッチがオフになり、ふらふらと若狭のベッドに横になっている。若狭のベッドで眠るという抵抗より、睡魔のほうが勝ったのだろう。
「蜷川が……俺の部屋で寝ている……」
「変なこと考えているんじゃないだろうな」
「いいえ。ちっとも」
しれっと言い、若狭が向かい側に座る。
定休日はいつも暇らしい若狭に、暇つぶし程度に今日までのことを話した。僕が茶谷にかけた言葉は伏せておく。ときどき相づちを打ちながら静かに聞いていたけど、さすがに茶谷の部屋での出来事に差し掛かったときは、驚いて目を丸くしていた。
「その女は母親に売春を強要させられているってわけか?」
「まだ確証は持てないけど……そうだと思う」
「とんだ母親がいたもんだな。蜷川のときより酷いんじゃねえの」
「何が酷いとか、マシとか、わからないよ」
「まあそうだな。……でもこれでよかったんじゃねぇの?茶谷咲和ってやつは、いじめっ子に反撃したんだろう。それでいじめもおさまるんじゃないのか」
いじめどころか、別のトラブルが勃発しそうなんだけど。
茶谷の、覚醒にも似たあの変貌ぶりが、どこで引き金になるかわからない。僕への思いをストレートにぶつけてくるかもしれない。ニーナを邪魔に思って攻撃してくるかもしれない。天羽さんのカレシのことがあるから、その可能性は十分あり得る。
「茶谷がなぁ、大人しくしてくれればいいんだけど」
「そいつ病院送りにすればいいじゃん」
「隔離病棟にかぁ?」
「冗談に聞こえないぜ、それ」
冗談で言ったつもりじゃないからな。作り笑いを浮かべてやり過ごす。
しばらく沈黙が続く。
その間に若狭は僕の言葉が冗談ではなかったことを悟り、聞きにくそうに口を開いた。
「その秋月冴香ってやつ、大丈夫なのか」
「そっちを心配するのか」
「だって茶谷が今までの復讐として秋月をどうにかしたら、色々とヤバいだろう」
「どうにかって……それはないと思う」
「どうして」
「茶谷は僕のことしか考えていないからだよ」
「…………」
若狭が呆れたように口をぽかんと開いた。
決して己惚れているわけではない。
でも、確証はあった。
中学時代、あれほどエスカレートしていた天羽さんへの執着が嘘のように消えている。記憶が白紙になったというより、僕という存在で上書きをされたんだ。もし僕への執着が失われているのなら、律儀に手を振ってくるなんてことはしないだろう。
「お前、それ……蜷川はどうすんだよ」
天羽さんと同じことを尋ねてくる。
僕にとって、どうしてそこでニーナが出てくるのかわからない。
「どうって、どうもしないよ。ニーナは関係ないだろう」
「関係なくはないんじゃねぇの。お前のやってることって、茶谷咲和って子に対しても残酷だろ」
「残酷?どこが?」
「答える気もないのに、どうして思い続けることを許しているんだよ」
もっともなことを若狭に真顔で言われて、僕のほうが戸惑ってしまう。顔も格好良くて性格も悪くない若狭は、昔からモテてはいたけど、恋愛に関してこれほどまで線引きを行うやつとは思わなかった。遊ぶ性格だとも思っていないけど、どこまでいい男なんだ、こいつ。
「茶谷ってやつに同情してるつもりはないよ。でも、お前のやっていることって、蜷川も茶谷も傷つける結果になりそうなんだけど」
「どうしてそうなる。そもそも、僕とニーナは付き合っているわけじゃない」
「──まだそんなこと言っているのか。いい加減認めろよ。チビの頃からの仲だぞ、俺は」
「いやいや。本当に恋人同士じゃないんだってば。幼なじみだよ」
お前は今まで僕たちの何を見てきたんだ。その目は節穴か?だけど、よくよく考えてみると僕とニーナは傍から見れば恋人同士にしか見えない……と思う。客観的に見たらそうなるから、誤解している人は多いだろう。茶谷も、そうだし。
疑心の目で見られても困る。若狭から目を逸らして、ベッドの上で寝息をたてているニーナを見つめる。規則的に肩が上下していて、無警戒で意識を手放している。
「依空は蜷川をどう思っているんだよ」
僕を逃がしてくれない、若狭のストレートな質問。
質問自体は直接的だけど、それに答えるには少々骨が折れる。僕らの関係に、安易に名前をつけることは避けたい。考えるのが面倒くさいから、「幼なじみです」と自己完結させているけど。
「大切な人って思っているよ」
歯の浮きそうな、模範的な回答。
僕にはそれが精一杯だ。
- Re: 憂鬱なニーナ ( No.26 )
- 日時: 2015/12/21 00:09
- 名前: 夜枷透子 (ID: jx2ntsZm)
大切な人ねぇ。
若狭が小さく呟くのが聞こえた。自分で言っといてなんだけど、少し恥ずかしい。異性で大切な人って恋人じゃなかったらなんだって話だろう。若狭もそんなに考えないでほしい。僕にもわかってないから。というか適当に言ったから、今の。
「そういえば若狭、カノジョとはどうなったんだ?」
「……別れたよ」
どうやら触れてはいけないところにベタベタと指紋をつけてしまったらしい。項垂れている若狭にどう声をかけていいのかわからず、無言で肩をそっと叩いて元気を分けてみる。復活は難しいみたいだ。どうして別れたのか尋ねると、のそりと顔を上げた。
「俺って俺様系に見えるんだってさ。それで……ちょっとイメージと違っていたらしくて」
「身勝手だな」
「本当でっせ、依空さん」
「大変なのは僕だけじゃなかったんだな。なんか安心したわ」
「女に振り回されるのはもう嫌だ……」
一度ぐらい言ってみたいぜ、そんな台詞。
身に染みて体験しているつもりなんだけど、僕が言ったら色々と様にならない。若狭が言うから格好良く見える。言っていることは無様で格好悪くてざまあみろだ。
「依空ってニーナ以外に好きな子とかいないのか?」
ここで僕にそんな話題を振ってくるのか。内心を読み取られてやり返されているわけじゃないだろうな。
「突然の恋バナにどうしていいかわからないんだけど」
「恋バナって略し方をするな。恋愛は略していいものじゃない」
なんで若狭に説教されなきゃならんのだ。話題を変えようと思ったのに、ぎゃくに変なスイッチを押してしまった気がする。
「まぁ、僕ってあまり人を好きになるタイプじゃないし」
「ふうん。……ああ、一人だけいたか」
「え?」
聞き取れなかったため、耳を近づける。
若狭は「なんでもない」と言って茶をすする。猫舌のため数十分手をつけていなかった茶は冷めているだろう。夏に熱い茶、冬にはアイスやかき氷を好む若狭の味覚──というより体温調節にはいささか問題が見受けられるな。ずずずずー。
「ニーナだけで手いっぱいだよ」
本心を付け足しておいた。
この会話が彼女に聞かれていないことを願って。寝たふりじゃないよな。
なんの障害も感じていない、安心しきった寝顔。数々の犠牲の上で成り立っているこの子の平和は、簡単には崩させない。
この子が生きていたら、僕の世界は面倒事でいっぱいになるけど。
ニーナにこの憂鬱は味合わせたくないから。
でも、僕は後で思い知ることになる。
茶谷は僕を遠くから見ているだけの、おとなしい少女ではなかったことを。
そして僕の知らないところで、誰かの未来が大きく変わっていたことも。