複雑・ファジー小説

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憂鬱なニーナ
日時: 2015/12/19 22:27
名前: 朝倉疾風 (ID: jx2ntsZm)


改名したので、お伝えしておきます。


朝倉疾風(アサクラ ハヤテ) → 夜枷透子(ヨカセ トウコ)
大幅に。思いきって。
五年間の朝倉とサヨウナラ。






ついったぁ  @_aiue_ohayo




──日常に蔓延る、小さな狂気を。


登場人物


春名依空……蜷川、若狭とは幼なじみ
蜷川月子……通称「ニーナ」
蜷川時恵……ニーナの叔母
若狭壮真……金髪ピアス 総菜屋の息子
茶谷咲和……依空に一目惚れしたいじめられっ子
天羽カヲル……中学時代、咲和と同じクラスだった
秋月冴香……いじめの主犯

Re: 憂鬱なニーナ ( No.7 )
日時: 2015/11/18 23:36
名前: 朝倉疾風 (ID: ZfgN7XgD)


翌日。水曜日。
待ち合わせの場所にニーナはいなかった。
 家の位置が別方向の僕たちは分かれ道にある古本屋の前で待ち合わせをして、そこから二人で登校する。今まで時間厳守だったニーナが来ていないということは、まだ怒りがおさまっていないのだろう。僕を置いてひとりで先に行ってしまったということか。あるいは、学校自体を休んでいるのか。休んでいるとすれば、部屋にこもって怒りを発散させる計画でも企てているんじゃないだろうか。いつ襲われても対処できるように背後には充分気を付けておこう。
 そういうわけで、久々のぼっち登校となった。
 今日は昼から雨が降るという予報だった。
 降水確率は五十パーセント。
 スンッと鼻を鳴らすと、微かに雨の匂いがした。
 上履きに履きかえてから教室に向かう前に、ニーナの靴箱を確認した。砂ぼこりの目立つ靴箱の中に上履きがまだあった。朝のホームルームが始まるまであと五分。まだ来ていないということは、本当に今日は休むのかもしれない。
 安堵感と同時にひどい虚無感が僕を襲う。
 少し眩暈がしたけど、眉のあいだを親指の腹で強く押せば治った。
 切り替えよう。スイッチをオフにして。
 ニーナのいない、僕の平凡な日常が始まろうとしていた。



 教室の前の廊下に人だかりができていることに、階段を上ってからすぐ気づいた。
 大柄な生徒指導の先生が辺りを怒鳴り散らしている。
 その人だかりの中心に、やつはいた。
 茶谷が、立っていた。
 その手には金属バッドが握られていて、教室の窓には穴が開いていた。昼から雨が降るのに、これじゃ雨が入ってきてしまうじゃないか。そんなことを僕は思いながら、視線を茶谷に戻す。
 ──彼女と目が合った。
 いつから僕を見ていたんだろう。
 大勢の生徒がいて、僕はその集団の後ろの方にいるのに。茶谷はじっと僕を見つめている。
 何も考えていないような冷たい表情。しかし目が合った瞬間、彼女の作り物のような表情が一気に人間らしくなる。
 笑みを浮かべた。
 ぞっとするほど美しい笑みだった。

「私を見てくれたね、春名くん」

 そう聞こえた。確かに僕の鼓膜を震わせた。
 後ろから生徒指導の先生が茶谷の細い腕を掴む。あれ。そういえばこいつ、どうして六月なのに長袖の制服を着ているんだ?梅雨の時期でジメッとしているこの時期に長袖を着ているなんて。
 茶谷は抵抗する気がないのか、金属バッドを床に落とす。空いた手を、様子を伺っていた女の先生が掴んだ。そのまま二人に連れられて茶谷は連れていかれてしまった。
 その場にいた生徒たちがガヤガヤと騒ぎ出す。
 割れたガラスが危ないから、教室には入るなと副担任から指示がある。一時間目は音楽、美術、書道の選択科目だった。それぞれの教室に早く行くように急かされる。
 「ついに茶谷、壊れちゃったんじゃねえの?」
 そんな声が聞こえた。
 茶谷をいじめていた女子たちだった。
 僕は聞こえなかったふりをして、人の波に流れるように美術室に向かう。
 ニーナがいなくても、僕の平凡な日々は他者によって壊される運命らしい。
 まったく。
 本当に僕は呪われている。

 後日、茶谷が一週間の自宅謹慎を言い渡されたことを噂で知った。

Re: 憂鬱なニーナ ( No.8 )
日時: 2015/11/18 23:38
名前: 朝倉疾風 (ID: ZfgN7XgD)





木、金とニーナは学校に来なかった。
 いつ背後から襲ってくるだろうと緊張しながら生活していたけど。四歩進むたびに後ろを振り返りながら帰っていたけど。それでもニーナは現れなかった。僕の前に姿を見せなかったのだ。
 時恵さんからも連絡はない。
 ニーナの怒りが沸点まで到達したとして、そこから僕への気持ちが蒸発していたとしたら。本当に用済みなんじゃないか、僕。
 そういう不安が黒く渦巻いて、金曜日の放課後、ニーナの家へ行ってみることにした。
 自分から退屈を壊そうと行動を起こすなんて、僕のここ最近の変化も著しい。

「良い方向に変わっているのかねぇ」

 現状は悪化している気がするけど。



 ニーナの家へ向かう途中で、またしても状況は悪くなった。
 僕が少し行動的になるだけで、どうしてここまで悪化させることができるんだろう。本当に呪われているのではないかと、泣きたくなる。物語は今、起承転結のどれにあたる部分なのか考えてみる。早く結の部分に到達して、ニーナと手を繋いでハッピーエンドと洒落込みたい。
 僕の狭い視野では、ニーナと笑い合いながら人生を歩いていく未来しか描けない。お互いの腰が曲がって松葉杖無しでは歩けなくなったとしても、暴力を振るわれながらニーナのご機嫌取りをしている未来の僕……。とても幸せじゃないか。松葉杖で僕を刺してきそうだから車椅子で生活してもらおう。でも車椅子ってとても高かったんじゃなかったっけ。
 老後の生活に胸を躍らせる。まぁ、冗談はさておき。
 そういう気持ちだけが先走って、僕は自分が他者にどういうふうに思われているのかまるでわかっていなかった。
 茶谷が、僕のことをどう思っているのか、考えようともしなかった。

「待っていたんだよ、春名くん」

 ニーナとの待ち合わせの場所。
 いつもの分かれ道を、僕の家の方ではなく、左へ──ニーナの家の方へ曲がって歩いていた。
 スーパーと老夫婦が営んでいる花屋を通りすぎ、小さな墓地を横目に、ニーナの自宅を目指していた。それほど時間はかからない。アニメのオープニングを七回ほどリピートしていれば辿りつける距離だ。脳内で弾けるメドレーがいよいよ盛り上がって、破裂寸前のポップコーンになっているときに。
 茶谷はひょっこりと現れた。
 もはや偶然とかたまたまというわけではなく、待ち伏せていた。待ち続けていた。待ち焦がれていた。
 僕の姿が目に入った瞬間、茶谷は軽やかに姿を現したのだ。
 自宅謹慎中ではなかったのか、お前。

「ストーカーってこういうやつのことなのか」
「ああ!やっぱり、咲和のことを覚えていてくれたんだね。あのとき咲和を知らないって言っていたから、すごくすごく傷ついて心が折れそうになって、いやむしろすでにポッキリ折れちゃったんだけど!でも、よく考えるとあのとき蜷川月子がいたから、春名くんは咲和とお話することができなかったんじゃないかなって。その結論に至ったとき、折れたところが回復しちゃったんだよね。ベホマ!」

 茶谷が動き回るたびに前髪が揺れる。あまりに長すぎるそれを今すぐにでも切ってやりたいと衝動に駆られる。ニーナも髪を長く腰まで伸ばしているが、見ていると暑苦しくてたまらない。本人曰く美容院に髪の毛を触られたくないかららしいけど。ちなみに時恵さんは人に頭を触られるのも、自分が触るのも好きらしく、しょっちゅう美容院に通っている。だからあれほど髪の毛が短いのだろう。
 茶谷の場合、癖の目立つ横髪は鎖骨ぐらいの長さだけど、前髪も負けていない。同じぐらい伸びている。眉上にしろ、眉上に。前髪が短いほうが僕は好きだ!

「あれ?あれれれ?どうしちゃったのかな、どうして黙っちゃったのかな」

 僕の顔を覗きこんでくる。両目が見えた。睫毛が長い。

「僕を待っていたって……何か用かよ」
「用ってほどのこともないけど、あえて理由を作るなら春名くんに会いたかったから」

 キュルリンッと効果音のしそうな笑顔。
 アイドルが自分に会いたいがためにCDに金をかけてくれるファンに向けるような笑顔だった。
 なんだか喋っているとひどく疲れる。

「咲和は高校二年生になって春名くんと同じクラスになれて、本当に嬉しいの。入学式のとき春名くんを見て、すごく格好いい子がいるなって一目惚れしちゃったんだよね」
「それで僕のことを知っていたのか」
「うん。知っているよ。春名依空くんのことはぜんぶ知っておきたいから」

 重たすぎる一方的な執着に頭痛がしてきた。なるべく目を合わせないように努力する。
 一目惚れかぁ。
 僕のどこに惚れる要素があったんだろう。顔はそこそこいいのではないかと言われるけど、ニーナに殴られているときなんて痣ができているし、引っ掻かれた日には傷だらけだ。惚れるも何もバイオレンス的な何かが背後に控えているのだろうと身構えてしまうだろう。
 そこに、なぜ惚れるのか。
 僕だったら僕みたいなやつ関わりたくもないだろう。


「なぁ、茶谷。少し聞いてもいいいか」
「それは咲和に興味を持ってくれているということ?咲和のことを好きでいてくれているってこと?」
「そういう気持ちはまったくない。ただ単に不思議でたまらないから聞くんだけどさぁ」
「なに、なに」
「どうしてお前は、こんな蒸し暑い日でも長袖なんだ?」

 茶谷が今着ている服は、薄い生地とは言え長袖だった。黒いパーカーとほっそりとした足が覗くミニスカート。地味な服を予想していたから、こういう短いスカートを履くのはちょっと意外だ。いやもう茶谷の奇行を目撃してから、こいつへのイメージも何もあったものじゃないけど。
 茶谷は気まずそうに、居心地が悪そうに、ばつが悪そうに、「ああこれ?」と袖を引っ張る。表情に陰りが見えた。

「咲和は寒がりだから」

 その言葉だけで納得しなければならない雰囲気だった。
 たとえどんな寒がりでも、今の季節に寒がりはしないだろうけど「ふうん」と納得したふりをする。

「それで、僕に会えたんだからもう用事は済んだだろう。そろそろ僕を解放してくれよ」
「……うん、わかった」

 おや、案外聞き分けの良いことで。

「咲和は少しでも春名くんと話せただけで幸せだから。この前も蜷川月子がいる前で喋りかけてごめんね。ずっと春名くんと話してみたかったんだけど、あれは自分でもちょっとダメだったかなーって思ってて。だから……ごめんなさい」

 怒られた子どものようにうなだれる。傍から見れば喧嘩をしているカップルのように見えるのかな、僕たちは。できれば同じ高校のやつには目撃されたくはない状況だ。でも、思っていたよりも話せばわかるやつなのかもしれない。ちょっと恋に恋しているというか、純愛すぎて周りが見えていないというか、恋は盲目というか、そういうやつなのかもしれない。
 僕の沈黙が居心地悪かったのか、今度は無理に作った笑いを見せる。

「じゃあ、これでね。咲和もおうちに戻ることにするよ。少しでも春名くんと話せてよかった。謹慎が解けたら、また学校でね」
「ああ……。あ、そうだ茶谷。最後にひとつだけいいか?」

 きっともう呼ばないであろうその名前を僕は呼ぶ。
 茶谷が振り返る。どこか期待に満ちた表情だった。

「なんで窓ガラスなんか割ったんだ?」

 あの後、雨が降って窓際の机がびしょぬれになったんだぞと抗議はしなかった。そんなことまで考えて及んだ行為でもなかっただろうし。
 悪びれることもなく、反省する気配もなく、当然のことのように茶谷は答える。

「春名くんにきちんと咲和のことを見てもらいたかったの」

Re: 憂鬱なニーナ ( No.9 )
日時: 2015/11/19 22:52
名前: 朝倉疾風 (ID: ZfgN7XgD)




 茶谷と分かれた後、予定より二十分ほど遅れてニーナの家についた。
 時恵さんはまだ帰っていないだろう。
 インターホンを押してみる。人がいる気配がない。ダメ元で玄関の戸を開けてみると、開いていた。鍵はかかっていなかったようだ。果たして無断でお邪魔してもいいものかと、辺りを見回しながら考える。ニーナもよく僕の部屋へ突撃訪問してくるけど、あれも家主の許可をとって入ってきていないよなぁ。お互いさまということで、僕が訪問しても文句は言えないだろう。
 いや、しかし、女の子が男の部屋に入るのと、男が女の子の部屋に入るのとでは、捉えられる印象が全然違うのではないか。不法侵入どころか女の子に乱暴しようとした変態として見られるんじゃないだろうか。
 ただでさえ壊れかけている僕の平凡な毎日が、本当にどん底に落ちて行ってしまう。
 あああああ、どうしよう。
 玄関前でウロウロしている時点で充分不審者だ。「変な人が蜷川さんの家の前にいます」と誰かに通報でもされたら──

「やっぱりイソラはヘンタイだね」

 背筋が自分の意思に反して勢いよく正される。その場で動けなくなり、声のしたほうに振り返ることができない。
 停止したままの僕にしびれを切らしたのか、足音が近づいてくる。

「人の家の前で何をこそこそやっているの。本当に気持ちが悪い。ゴキブリみたいだね」」
 
 いる。
 すぐ後ろにニーナがいる。
 できればこのまま逃げ出したい、おうちに帰りたい、部屋に戻ってゲームがしたい。でもニーナの足の速さに勝てる気がしない。幼少期、彼女に追いかけられて捕まった挙句、ボコボコに殴られた記憶はトラウマとして植え付けられているのだ。
錆びたロボットのように、嫌な音をたてながら振り返る。
無表情のニーナが僕を見つめて立っていた。両手には使用目的がどうとでも取れる植木鉢を抱えている。

「いや、その、謝りに来たんだよ。この前のことは僕が悪かった!」
「あえてとぼけてみるけど、何のこと?」
「お前に黙って他の女子と喋ったことだよ!あれは浮気だった。完全に僕の浮気でしたすいませんでした」
「浮気って……べつに私とイソラは付き合っているわけじゃないし。勘違いするな、変態」

 もう僕にどうしろっていうんだよ。
 これ以上の言い訳が通じないとなると、植木鉢を頭に直撃させるしかないな。痛いのは嫌いだけど、ニーナから与えられる痛みには慣れている。避けると倍になって返ってくるから、一発目は快く受けよう。
 覚悟を決めてニーナと対峙する。
 しかし、ニーナは抱えていた植木鉢を地面に落とした。ゴロゴロと少し転がった植木鉢は、塀にぶつかって静止する。お構いなしで、ニーナは僕に詰め寄り、そして前から抱擁した。
 僕の胸に顔をすり寄せる。背中に回された腕はしっかりと強く僕を抱きしめる。
 これは一体どういうことだ。
 動きも呼吸も停止させて、ニーナの行動の意図だけを考えてみようとする。でも正直に言うとドキドキしすぎてそこまで頭が回らない。
 僕が本気で照れているというのに、ニーナは抱擁をとかない。

「来るのが遅いよ、ばか」

 胸の中で消えそうな声で僕を責めた。
 なんだかなぁ。
 ここでこういうことを言っちゃうのが、ニーナなんだよなぁ。
 彼女のことをまだ全然理解できていない自分を心底殴りたくなる。
 わかっていたつもりでいたんだ。
 僕がいなくて寂しかったと、素直に思えない彼女を。屈折した感情を持ってしまう理由も、その経緯も、目にしてきたはずだったのに。
 もう僕は謝ることしかできなかった。

「遅くなってごめん」



 萎れていた花のようだった彼女は一変して、攻撃的な棘を突き立ててきた。
 まず家に入って最初にされたことは、腕を思いきり噛まれるというものだった。ぎりぎりと肉を食いちぎるように歯が皮膚を破る。「あだだだだだっ」無理に引きはがそうとすると肉まで持って行かれそうだ。とりあえず唇から血が滲むほど噛み耐える。やっとニーナが離れる。腕にはくっきりとした歯型が残っていた。暑くてジンジンする。
 ニーナは僕を睨みつけ、何度も、何度も叩いた。
 少女の力とは思えない衝撃だった。前世はゴリラか何かか。細い腕だから叩いているほうも痛いだろうに、拳は何度も振り下ろされる。目標はぶれていて、肩だったり頭だったり腹だったり、とりあえずあたれば何でもいいらしい。
 抵抗もせずじっとニーナの怒りが過ぎるのを待つ。弁解も言い訳もしない。する資格がない。
 そのまま体中が痺れて感覚が遠のいてきたころ、ニーナの拳がゆっくりと下ろされる。
 赤くなった僕の腕を見て、ニーナはやっと笑みを浮かべる。

「逃げなかったね、イソラ」

 砂糖で甘みを加えたような声。
 目を細めて、長年躾を施してきた片割れの出来栄えを称賛する。嬉しくはない。決して嬉しくはないのだが、ニーナに許されたと思うと、ホッとする。僕はまだ彼女の世界に存在できるのだ。

「私がいなくて寂しかったでしょう。怖くてたまらなかったでしょう。でも、それでいいの。それが正解。私がいないことのほうがおかしいんだって、ちゃんとわかって」
「うん。ごめんね」
「謝らなくていいよ。私のほうこそごめんね。……殴っちゃって。痛かった?」

 視線が噛み痕や痣へ移される。
 ニーナの所有物である証。
 それをつけることに罪悪感すら抱かない彼女は、そうやって甘い顔を見せて僕を逃がさないようにしている。これを無自覚でやっているんだから、悪意に鈍すぎる。
 あ、雨だ。
 雨音が聞こえる。傘、持ってきたっけととぼけてみる。
 ニーナも気づいて、静かに外界の音を聞く。

「昔、一緒に雨宿りしたこと、覚えている?」

 淡々とした調子で僕の目玉を覗きこむ。
 雨宿りも何も、僕らの世界にはいつだって雨が降っているじゃないか。光も太陽もない曇り空。じめじめとぬかるんで、立ち入ることすら難しい。地面に降り注いで、必死で溶け込もうとしている。日常に、浸透しようとしている。僕らの関係は雨同然だ。
 僕は、なんて答えただろう。
 きっといつものように過去を誤魔化しながらニーナに笑いかけたんじゃないだろうか。下手くそな、作り物の笑顔で。
 いつも一緒だったよ。
 雨宿りした日以外も、ずっと、一緒だったよ。
 ニーナが安心したように微笑み返す。僕と違って嘘のない笑顔。

「これからも一緒だからね」

 僕らの周りにはいつも雨が降っていた。

Re: 憂鬱なニーナ ( No.10 )
日時: 2015/11/20 09:38
名前: 麺等の再 (ID: BGc0M6LZ)

イッキ「メロン大福っておいしいよね」

ト-マ「は?」

ケント「あれは合成着色料と香料でごまかしているだけだ。メロン要素は皆無だ」

イッキ「なん…だと…!?」

Re: 憂鬱なニーナ ( No.11 )
日時: 2015/11/23 22:38
名前: 朝倉疾風 (ID: ZfgN7XgD)




第二章『心、どこにも在らず』

 もしタイムスリップができるとしたら、僕は過去をやり直したいと思うだろうか。
 薄っぺらな僕という人間が辿ってきた、重々しい時間を巻き戻すという無意味なことを考えてみる。いくら思ってもタイムスリップなんてできないということは重々承知だ。どう足掻いても過去には行けない。
 僕にとっての「過去」とは、ニーナと出会う前という意味である。
 ニーナと出会う前、つまりまだ小学一年生にもなっていなかった僕。
 保育園に通って、優しい女の先生が好きで、ピーマンが嫌いだったどこにでもいる子どもだった。このときからすでに両親は僕に対して関心を持っていなかったように思う。
 関心はなくても愛はあったんじゃないかな?
 そんな時恵さんの言い分も考慮してみるけど、僕にとってどっちでもいいことだった。愛がなかろうがどうしようが、それが僕本人に伝わっていなかったのだから。
 話が逸れたけど、僕は過去をやり直したいとはやっぱり思えない。
 リセットされてもう一度最初からスタートしたとしても、僕はニーナと出会うだろうし、ニーナとこういう不思議な関係を続けていくだろう。僕の人生にニーナがいなかった時間のほうが短いのだ。ニーナ無しの人生を送れと言われても想像ができないのが正直なところ。
 そんなこんなで。
 今日もニーナは僕の隣にいる。
 六月二十四日。木曜日のことだ。
 茶谷の謹慎はとけているものの、彼女は学校に来ていない。また学校で会おうという一方的な約束を彼女自身が破ったことに関しては、僕は特に責めるつもりもない。不登校になったんじゃないの、と女子たちは他人事だ。
 ニーナは僕が謝った翌週からきちんと学校に来て授業を受けている。もっともノートや教科書を机の上に広げているだけで、ちっとも板書なんてしていないけど。二つ前に座るニーナの頭がゆっくりと上下する様子を伺う。確実に睡魔に負けているのに、それに抗おうとする姿勢が好ましい。なんだかんだ負けず嫌いなのだ。
 強い風が吹いて窓を叩く。
 台風が近づいているというニュースを昨日耳にした。今は九州近くに迫っているらしく、明後日の午後にはこちらに上陸するとのことだ。いっそのこと学校がある日に警報が出て休みになってほしい。そんな願いもむなしく、台風は今週の土曜日にこちらに訪問するらしい。どうせ休みが明けたら嘘のように晴れているのだろう。思わせぶりな警報が僕らの目の前に現れるようにと祈るしかない。
 きっと警報になっても、土砂降りのなか、ニーナは傘もささずに僕の家を訪ねてくるのだろうけど。
 授業終わりのチャイムが鳴った。
 それと同時にニーナがゆらゆらと僕の方へ近づいてくる。
 頬に薄く線が入っており、目が若干濡れている。睡魔に負けっぱなしの五十分だったことが伺える。今のところニーナは全敗だ。
 帰りの支度をして、リュックを背負い、ニーナと手を繋いで教室を出る。茶谷との一件があってからクラスメイトが明らかに僕たちを敬遠している。まだ僕はある程度の交流を持てていたんだけど、紙のように薄っぺらの友情はビリビリに破かれて、吐き気がしそうな上っ面な親しさを押し出してくる。まぁ、こんなものだよな。そう思って特に気にしていない。
 靴箱へ行って、一度ニーナと手を離す。
 靴を履きかえるたったの数秒間、ニーナから目も離した。

「ああ、いたいた。おーい、そこの少年」

 気持ちのいいほど良く通る声だった。名前を呼ばれなくても、この声は僕を呼んでいるのだと感じた。顔を上げる。ニーナの明らかに不機嫌そうな表情が見えた。まったく、最近の子はどうしてニーナのいる前で僕と関わろうとするのかな。
 ニーナと僕の視線の先。
 そこには一人の少女が立っていた。
 一瞬、性別のわからない、長身の少女。制服を見る限りスカートだから女子か。男の僕から見ても「格好いい」部類に入るその女子は、長い指で僕を指す。

「あなたは春名依空くんかな?」




 天羽アモウカヲル。
 それがその少女の名前らしい。
 僕とニーナが普通科なのだが、天羽は商業科だった。そのため一度もクラスが一緒になっておらず、ましてや校舎が違うため廊下ですれ違うこともなかったのだ。だから僕、そしてニーナも天羽とは初対面だったし、天羽も僕たちのことを噂で多少聞いていた様子だったが、実物を見るのは初めてらしい。実物を見るという言い方はどうにも動物園で初めてフラミンゴを見たんだ、というレベルと同じような気がするけど。
 ニーナは天羽ではなく僕を睨んでいた。
 あれだけ言い聞かせたのに他の女とは話すなんてこの男は何を考えているのかしら、そろそろ脳天をかち割って脳味噌そのものにニーナへの愛を刻んでやろうかしら。そんな声が僕の脳にピピピと受信されて背筋が寒くなった。

「そっちの子が蜷川月子ちゃんね。オッケー了解。安心してよ。自分はカノジョ持ちの男になんて興味ないから。話が終わったらさっさと帰るし」

 あらかじめニーナの存在を知っているのか、天羽は笑いながら僕への疑心を解こうとしてくれる。若干表情が和らいだ……と思いたい。僕への殺意はともかく、天羽への警戒心は解こうとしているのか。

「その話っていうのは、茶谷咲和ちゃんのこと」

 天羽さんと茶谷の関係性も見えてこないけど、茶谷のことについて天羽さんが僕に話をしたがっている理由もわからない。

「茶谷……茶谷がどうかしたのか」
「自分と咲和ちゃんは中学校で三年間同じクラスだったわけ。で、その咲和ちゃんが恋に落ちちゃったらしいという話を噂で聞いたんだ。だから、春名くんと、月子ちゃんに会いに来たのさ」

 僕だけではなく、ニーナにまで?
 滅多に呼ばれない、そして本人も嫌いな自分の名前が呼ばれたため、不愉快そうに、けど久々に僕以外の人間と目を合わせる。

「ちょっと待て。茶谷は謹慎が解けた今でも学校には来ていない。だから、もう僕への関わりはないんだよ。会いに来られても、もう茶谷は僕のことを諦めていると思う。ニーナがいるということもわかっていてくれたようだし」
「ふむ。ふむふむ。今の話を聞いて、自分がこうしてあなたたちに会いに来たことが正解だったということがわかった。自分に感謝したまえよ」
「感謝って……どういうことだよ」
「どうにもこうもにっちもさっちもないよ。自分が現れなければ、あなたたちの未来はおろか朝日さえ拝めないようになるかもしれないと言っているのさ」
「話が見えないんだけど」
「うーむ。あなたたちは自分の置かれている現状が理解できていないんじゃないかな」

 不敵に笑う天羽さん。どこか雰囲気が時恵さんに似ている。
 自分で自分のことを知らなすぎるから、今どこを歩いているのかわからなくなる。その道筋を助言してくる人もいるけどそれはおせっかいだ。迷子になっていても、自分で歩ける。放っておいてほしい。
 ただ、時恵さんのように、他者の道筋まで見通している人もいれば、茶谷のように目先のことしか考えずに行動しているやつもいる。
 じゃあ、僕は。
 僕たちの置かれている今の状況っていうのは、一体。

「それは、どういう」
「忠告だよ。あなたたち二人に」
 
 溜めのない、塩気のあるあっさりとした返答。
 しかし笑顔は絶やしていない。僕も見習いたいぐらいだ。ニーナは笑顔講座に通えば授業料をすべてパアにしそうだな。
 天羽さんは軽快に話し始める。
 僕らの置かれている状況と、自分の体験談を。
 そしてそれは、僕たちにとって決して他人事ではないことだった。


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