複雑・ファジー小説

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憂鬱なニーナ
日時: 2015/12/19 22:27
名前: 朝倉疾風 (ID: jx2ntsZm)


改名したので、お伝えしておきます。


朝倉疾風(アサクラ ハヤテ) → 夜枷透子(ヨカセ トウコ)
大幅に。思いきって。
五年間の朝倉とサヨウナラ。






ついったぁ  @_aiue_ohayo




──日常に蔓延る、小さな狂気を。


登場人物


春名依空……蜷川、若狭とは幼なじみ
蜷川月子……通称「ニーナ」
蜷川時恵……ニーナの叔母
若狭壮真……金髪ピアス 総菜屋の息子
茶谷咲和……依空に一目惚れしたいじめられっ子
天羽カヲル……中学時代、咲和と同じクラスだった
秋月冴香……いじめの主犯

Re: 憂鬱なニーナ ( No.12 )
日時: 2015/11/27 21:32
名前: 朝倉疾風 (ID: ZfgN7XgD)



 今日はニーナの家には寄らなかった。
 彼女はとても不満げだったけど、僕は先に約束があると伝えた。分かれ道で粘ること二時間。殴られたり叫ばれたり、そうと思えば抱きついてきたり。いろいろ手は尽くしたようだったけど、その間、僕は謝り続けた。ニーナも感情をフルに使っていたため疲労感が溜まったのか、最終的には一人で帰っていった。
 誰とも手を繋がないまま、僕は総菜屋へ向かう。
 総菜屋はまだ営業していた。
 二階建ての店舗併用住宅。一階は総菜屋の「wakasa」になっている。定番の品と日替わりの品が売られており、若狭の母親はここのオーナーである。時恵さんと他三名のおばさんたちが従業員として働いている。店側には入らず、窓ガラスから中の様子を伺う。
 僕に気づいた時恵さんが、お客さんがいるにも関わらず、笑顔で手を振ってくる。軽く会釈して、裏口から店の二階にある若狭の自宅へとお邪魔した。
 若狭の部屋の戸を開けると、若狭の着替えが途中だった。
 上半身裸の若狭が、特に驚くこともなく僕を見る。…………無言で戸を閉めた。
 …………いやいや。
 べつに男友達の裸を見て照れくさいとか、ちょっと妙な空気になったとか、そういうのではない。決してない。断じてない。あるはずがないし、あってはならない。僕はニーナ一筋なのだから!
 ただ、未だに僕が目を背け続けているだけであって。
 若狭の左胸からヘソの上にかけて弧を描いている、一本の傷。
 小学生のころ、ニーナが独占欲をむき出しにした際に意図的につけられたものだ。
 どうしてそういう怪我を彼が負わされることになったのか。
 直接その現場にいたわけじゃないから、僕にはわからない。
 若狭もそれについて語ろうとしないし、僕もその件について詳しいことは知らない。だから見ないことにしている。触れないことにしている。お互い、暗黙の了解で。
 こういう甘えを若狭は無償で許してくれている。
 僕とニーナを一歩引いた場所で見てくれているっていうのは、正直とてもありがたい。図々しい、好奇心という贅肉がついたような干渉をしない。けれどよそよそしくもない。今までと同じように僕らに関わってくる存在というのも、珍しく貴重だった。
 友達は、大事にしないとなぁ。
 しみじみと感じていると、戸が開いて若狭が顔を覗かせた。着替えはすでに終わっている。

「悪い。どうぞ」
「お邪魔します」

 ココナッツのような香りのする部屋は殺風景で、ベッドと低いテーブルとテレビしかない。男子の部屋にしては片づけられている。というか、片づけをするほどの物が無い。僕はベッドに背もたれして床に座り、若狭はベッドに寝転んだ。おもむろにテレビを点ける。僕が小さい頃にお茶の間に流れていたドラマが再放送されていた。若い男女が海辺で抱き合っている。無心でそれを眺めていると、後頭部に何かがあたった。振り返ると若狭の足だった。

「先週の火曜日どうしたんだよ。俺、待ってたんだけど」

 どうしたんだ、若狭。デートをすっぽかされたカノジョのような発言になっているぞ。

「ああ、ごめん。忘れていたわけじゃないんだ。ただ、ニーナの機嫌がすこぶる悪くて」
「喧嘩したのか?」
「違う。僕が怒らせただけ」
「お前もしょっちゅう怒られてるな」

 そんな憐れみの目で見ないでくれ。

「今日は、蜷川はどうしてるんだよ」
「大人しく家でお留守番」
「一緒に来てもよかったのに」
「…………若狭、もしかしてお前、ニーナに惚れているんじゃないだろうな。妹みたいだと言っているけど、下心があるんじゃないのか」
「あったとしても蜷川はお前しか見てないよ。昔から、お前しか見ていない。そこに俺の入る隙間なんて無いだろう」

 わかりきっていることを口にする。でもこいつ、下心があるということは否定しなかったな。これ以上この話題を続けていると、知らなくてもよかった若狭の本心がボロを見せそうだ。
僕は軽く頷いて、「あのさぁ」と本題に入る。

「今まさに僕とニーナは、外部からの侵入者によって命を狙われる可能性がある……らしい」
「なんだそれ」

 怪訝そうに眉をしかめ、若狭がベッドの上であぐらをかく。

「お前、変な宗教にでも入ったの?」
「強いて言うならニーナ天使の会の信仰者かな」
「俺もそれ入っていい?」
「いいけど俺を倒してから行けよ」
「俺、ケンカ強いよ」

 そんなことわかっているよ。
 見た目からしてケンカ強そうだもの。ヤンキー五人が相手でも怯まずに立ち向かっていきそうなんだもの。想像するとすごく格好いいな。ケンカができて後輩から頼られる存在の番長みたいなやつって、やっぱり素直に格好いいと思える。男惚れしてしまう。
 若狭は、線は細そうだけど、学ランを着て相手をボッコボコにしたら、絶対に女子からモテまくるんだろうな。ははは、死んでしまえ。

「ニーナを守れるだけの男になるんだー」
「まあまあ、落ち着けって。それで?なんだっけ。宇宙人に狙われているんだっけ」

 僕の言いたいことの半分も伝わっていないことが判明した。なんで僕たちが地球外生命物体に目をつけられなくちゃならないんだよ。そこまで問題児ではない。

「少し前に道で号泣している女子を見ただろう」
「ああ。お前を見て、アイドルか何かと遭遇したみたいになっていた子か」
「そうそう。……アイドルってなんだか恥ずかしいな」
「素で照れるなよ」

 僕だって、たまには褒められたいときだってあるのだ。

「で、その子がどうしたって?」
「茶谷咲和っていうクラスメイトだったんだけど。その子、訳あって今は学校に来ていないんだ」

 窓ガラスの件は省かせてもらった。
 あれに関して僕は詳しく説明することができないから。
 茶谷のことは説明できない。クラスメイトで、僕のことが好きで、窓ガラスを割った。それだけしか知らない。
 だから、これは人づてに聞いた話だ。茶谷咲和という人物が、一体どういう人間なのか。
 僕は天羽さんから聞いた、僕らへの忠告のことを話した。

Re: 憂鬱なニーナ ( No.13 )
日時: 2015/11/28 18:54
名前: 朝倉疾風 (ID: ZfgN7XgD)





 若狭に語りながら回想に浸る。
 今日の放課後、靴箱の近くで天羽さんは僕たちを見つけた。
 そして、彼女自身も経験した出来事を、飴玉を転がすような軽々とした口調で語ってくれたのだった。

「自分と咲和ちゃんは、中学一年のとき同じクラスになった。咲和ちゃんは他の県から引っ越してきたらしくて、小学校が同じだという友達もいなかったんだよなぁ。夏休み前の席替えで、席が近くなって、そこからなんとなく話すようになったってわけだ。何人かの友達と一緒にプールに行ったり、夏祭りに行ったり、それなりに楽しい夏休みを送ったよ」

 中学生時代の茶谷はいじめられるような理由も、原因も、欠点もない。
 ごく普通の中学生。この際、普通という言葉が何を定義しているのかわからなくなっているから、平凡な、と言い表す方が適当だろうか。

「咲和ちゃんが他と違うなと感じたのは、中学二年生になってからだった。女子っていうものはグループ化が深刻化していってね。自分と咲和ちゃん、そしてクラスメイトだったAとBの四人で一つのグループだったんだよ。もっとも、自分としてはグループという意識はなかったんだけどねぇ。
 とにかく移動教室も休み時間もずっと四人で一緒だった。べつにそのことは何もおかしいことじゃない。むしろ自然なことでしょうよ。自分もそれに流されて、普通に学校生活を送っていた。でも……」

 でも、トラブルが生じた。
 AとBが茶谷を嫌うようになっていったのだ。

「きっかけはAの誕生日を祝っていたときだったかなぁ。そのころインフルエンザが流行していて、咲和ちゃんがダウンしちゃったんだよ。日曜日の誕生日会に咲和ちゃんは来れなかった。自分とAとBで、べつにそういうつもりはなくても、咲和ちゃん抜きで、誕生日会を楽しんだ。後日、久々に学校に来た咲和ちゃんは、AとBになんて言ったんだと思う?」
「誕生日会の感想を聞いたとか?」
「ぶっぶー。春名くん、不正解で〜す!」
 両手でバツを作る。いつからクイズ番組形式になったんだ。

「答えは今の咲和ちゃんを見ていれば簡単だよ。咲和ちゃんは、二人に対してヒステリックに叫んだの。『どうして三人で遊んだの。咲和をのけ者にして、楽しいことをしないで。もう三人だけで遊ばないで』ってね」

 三人は茶谷抜きで、誕生日会を開いた。それは茶谷が寝込んでいたから、しょうがないことだった。きちんと説明すれば誰もが納得する理由のはずだ。笑って済ませばいいだけのことだ。何も引っかかるところはない。
 けれど、茶谷はそれを許さなかった。

「自分は最初に二人から話を聞いたとき、グループでの行動にすごく固執するんだなぁって思ってた。四人で遊ぶことにこだわるなんて、子どもみたいだなって呆れもしたかな。一人じゃなにもできない、弱々しい子なんだなぁって。だから、気づかなかったの。咲和ちゃんは四人で遊ぶことにこだわっていたんじゃない」
「まさか……」
「そのまさかだよ。咲和ちゃんは、天羽カヲルを独占したかっただけなんだ」

 独占欲。自分一人だけのものにすること。
 天羽さんは人間だ。物じゃない。だから意志がある、気持ちがある、自己がある。そんな他人を独占しようという行為は、成就することはほぼ不可能だ。お互いの気持ちがおあいこなのではなく、一方通行であるのならなおさら。

「それをきっかけに、咲和ちゃんの態度は明らかになっていった。気づいたら自分と咲和ちゃんの周りに誰もいなくて、本当に二人きりになっていたんだ。誰も自分らに関わらなくなっていった。そんな状況を自分は特にどうにかしたいと思わなかったし、咲和ちゃんも満足そうだったから、成り行きに任せていたってわけさ」
「でも、高校では一緒にいなかったんだな。普通科と商業科で校舎が違っていたからか?でも、あいつなら休み時間ごとにそっちに会いに行きそうだけどな」
「それは、まぁ、中学を卒業する前にひと悶着があったからなのさ」
「ひと悶着?」
「あまりに自分に引っ付いている咲和ちゃんを、担任が一度、授業中に叱責したんだよ。席替えも当番も班分けも全部自分と一緒じゃなきゃ嫌だと言う咲和ちゃんに。生徒たちの目の前で長くお説教したわけさ。他の子は驚いていたけど、でもずっと思っていたことだったからね。ずっと腹のなかで溜めていたことを、その担任が言ってくれたことで、すっきりしたんだろう。その日を境に、今までぷかぷか浮いていた咲和ちゃんが矢面に立たされることになった。すごいんだよ、本当に。トイレで水を被っても、そのままずぶ濡れで自分のところに来るの。尻尾を振った犬みたいにさ」

 茶谷にとっていじめなど苦でも痛でもなかったのだ。
 天羽さんに完全に依存していた茶谷は、他者を他者とも捉えていない。視界に入っていないのだ。

「そんな日が長く続いていたんだけど。……一月にね、自分にカレシができちゃったのだよ」
「それ、すっげえ地雷じゃないか」
「地雷だったね。いやはや本当に。バレないようにしていたんだけど、カレシの家から出てくるところを、ばっちり目撃されちゃいましてね。コソコソしていたのが怪しいからって、後をつけていたらしくて」

 天羽さんがさほど遠くもない思い出に浸っているような目で、遠くを見る。

「あの子、自分たちの目の前で手首を切っちゃったの」

Re: 憂鬱なニーナ ( No.14 )
日時: 2015/11/30 23:24
名前: 朝倉疾風 (ID: ZfgN7XgD)


 天羽さんの頭にこびりついた、赤の記憶。
 目の前が真っ赤になって、狂ったように笑う茶谷がそこに立っている。

「自分もカレシも自己推薦で高校が決まっていてさ。家の目の前で咲和ちゃんがあんなことしちゃったから、カレシの親が面倒事を避けたいって。だから、隠ぺいしたってわけ。お金持ちだからね」
「茶谷の自殺未遂はなかったことにしたのか?」
「病院には一応運んだし、咲和ちゃんのお母さんにも……ああ、母子家庭なんだけどね、とりあえずお母さんにも来てもらって説明はしたの。でも、ああそうですかって感じで、お母さんも咲和ちゃんの自殺未遂に、あまり興味がない感じだった」
「それで……どうなったんだよ」
「ん?どうもしないよ。ただ、元に戻ったの」

 話を聞く限りでは鮮血に染まった情景も、天羽さんにとっては漂白剤をぶちまけたような、色褪せた記憶の一部にしかすぎないのかもしれない。それほど淡泊だった。

「退院した咲和ちゃんはいつもどおり学校に来て、無事に同じ高校の普通科に受かって、何事もなかったかのように卒業していった。その二か月間、自分は咲和ちゃんと目も合わせていないんだよ。咲和ちゃんの頭のなかで、中学の三年間は白紙になったのかもね。
 今、咲和ちゃんと同じクラスにいる女子のなかに、そのときのBがいるんだよ。だからいじめが続いているんだろうなって思ってた。でも、きっと咲和ちゃんは何も感じてない」

 そうだろうか。僕が見たとき、いじめを受けているときの彼女は、何かに必死に耐えているように見えたけど。

「どうしてだよ」
「何がかな?」
「茶谷がイジメに遭っていたの、知っているんだろう?どうして助けなかったんだ?茶谷はともかく、天羽さんにとって茶谷は友達なんだろう」

 バカだろう、僕は。これじゃあまるで、天羽さんに茶谷を助けなかったことを責めているような口調じゃないか。そんなことを言う資格もないのに、自分だって傍観者であったくせに。
 天羽さんの笑顔は、光に透かせたビー玉のように輝いている。キラキラキラ。僕とは違って、何も気にしていないと言った様子で。過去のことなんて、水に流すどころか蒸発して消えていってしまったわとでも言うふうに。

「友達でもなんでもなかったんだよ」

 割り切っているのではなく、元から存在などしていないのだ。
 天羽さんに友達なんて。
 ただ、時間を共有したものとしか見ていないのだ。
 終わったことは、終わったこと。
 言い方は悪いけど、天羽さんは切り捨てて、前を向いて歩いている。それはそれでいい。美しくて醜い人間の本質だ。

「話がずれているように思うのは、私だけ?」

 お。
 それまで空気と化していたニーナが、突然話に入ってきた。本人は靴箱に背をあずけている。長い話に飽きていると思っていたが、しっかり内容は理解しているようだ。

「お前の言う忠告ってやつは何なの?さっさと話してよ」
「わーお。月子ちゃんって、春名くん以外ともお喋りできたんだね」
「うるさい。黙れ」
「話せって言ったり、黙れって言ったり……。自分にどうしろって言うのさ」
「余計なことは言わなくていいと言っているの。私はそれほど気が長くないの」

 ニーナの右手がゆっくりと制服スカートのポケットに沈んでいくのが見えた。絶対に何か仕込んでいる。僕の研ぎ澄まされた第六感がそう告げる。
 天羽さんも気づいたのか、両手を軽くあげて微笑む。

「うん、じゃあ話すよ。咲和ちゃんはきっと、月子ちゃんを殺すだろうね」

 ゴクリと自分の喉が鳴った。粘り気のある唾液が喉を通る。
 明らかに動揺した僕とは違い、ニーナは表情ひとつ変えず天羽さんの言葉を受け入れる。

「咲和ちゃんは独占欲と嫉妬で動いているようなものなんだよ。だから、やることに理屈が通じない。窓ガラスを割ったことも、春名くんに対するアピールだったんだと思う。それは徐々にエスカレートしていくだろう」
「でも、天羽さんのときはそのカレシは殺されることはなかったんだろう」

 もし僕への独占欲が強くてニーナが殺されるのなら、天羽さんのカレシだって同じように殺すはずだ。嫉妬に狂い、化け物のように殺人を犯すはずだ。
 天羽さんは涼しい顔でカレシの現状を話す。

「意識不明の重体でね。今でもご両親が働く大学病院で入院中だよ。事故で脳を強打して……幸い命は助かったんだけど、いつ目を覚ますかわからないんだって」
「事故……なんだろう。それは事故で、茶谷は関係ないんだろう」
「車の多い大通りで、赤信号を待っていた男子中学生が、何かにつまずいて道路側に転んでしまった。……事故を起こした主婦はこう話していたらしいよ。いろいろとおかしいでしょ、この証言。当の本人は意識不明で、主婦も気が動転して詳しいことを覚えていない。当日はすごく雨が降っていて……辺りも暗かった。傘をさしていた通行人は、中学生の動きを見ていなかった」

 まさか、誰かが天羽さんのカレシの背中を押したっていうのか。
 僕が口を開こうとするのを、天羽さんが阻止する。

「わかんないけどね。真相は闇のなかだ」

 彼女はこの件に関しても淡々としている。割り切っている。終わってしまったことは仕方がない、と。いっそ清々しい。嫌な記憶を背負わないで済む。清い身のままでいられるなんて、羨ましい。

「ソレって、どうすれば排除できるの」

 単純な疑問をニーナがぶつける。

「危険なやつだったら、殺しちゃっていいよね」

 次は提案だ。
 天羽さんは困ったように首を傾げる。ニーナに対しての返答を決めかねているのか。ここは助け船を出しておこう。

「愛の力でなんとかなるでしょうかね」
「ここでもそういう態度だと、なんだか生き残りそうだね、春名くん」
「今の発言、僕たちが死んだ方がいいというふうに捉えられるよ」
「まさか。自分は月子ちゃんたちに助かってもらいたいよ。だからこうして忠告しにきてあげているんじゃないか」

 薄っぺらな軽口をたたかれる。
 ニーナが険しい目つきで数歩詰め寄る。

「殺しちゃっていいよね」

 確実にその意味をわかって使っている物言い。静かに憤る彼女に、無言で天羽さんが頷く。「そう」と短く返事をし、自己完結をしたニーナは僕の腕を強く引っ張って下校を促す。もう天羽さんと話すことは無いらしい。
 僕は天羽さんに「それじゃあ。さようなら」と挨拶をする。
 天羽さんもヒラヒラと手を振って、そのまま踵を返す。
 外は梅雨の時期には珍しく晴れていた。対称的に僕の内側は明らかに黒く染まっている。冷静に考えれば、恐ろしい話だった。素直に恐ろしいと思える僕は、まだ正常の域だろう。あの話を淡々としてしまう天羽さん自身が、異質で歪んでいる。ああいう得体の知れない人と会話をするのは、心を使う。擦り切れていく。
 他人の思い出に浸りすぎて、体が重い。心に鈍く溜まっているものを吐き出したいと思った。物語の中心ではなく、外部の人間になりたい。
 ああ、そうだ。若狭の家に行こう。
 唐突にそう思い立った。
 少し心を休めたい。完全に壊れてしまうには、まだ早いだろうから。

Re: 憂鬱なニーナ ( No.15 )
日時: 2015/12/02 02:43
名前: 朝倉疾風 (ID: ZfgN7XgD)





「──そういうことがあって、僕はその後、若狭の家に寄るためにニーナを二時間ほど説得したんだよ」

 長々とした説明だったかもしれないが、若狭はあいづちを上手く入れながら最後まで聞いてくれた。天羽さんに許可も得ずに、カレシのことや中学時代の茶谷のことについて他人に喋ったのはまずかったか。
 でも、内臓に蓄積されているような感覚をどうにかしないと、そろそろまいってしまう。僕にも耐えられるものとそうでないものがあるから。

「ずいぶんと奇妙なやつに好かれたなぁ」

 これも何かの縁だろうか。僕と繋がっている縁は、本当に粘り気があって濃い。切ろうとしても切れない。
 手繰り寄せられたのは彼女か、それとも僕の方なのか。

「僕ってそんなに魅力的なのかな」
「匂いとかするんじゃねぇの。そういう子が好きそうな匂いが」
「なんだか嫌な言い方だな。僕のシャンプーはけっこう高いやつなんだ。若狭の使っているココナッツ系のチャラチャラした匂いとは違うんだよ」
「チャラチャラって……。お前はプンプンしているよな」
「香水臭いおばさんみたいに思えるからやめろ」
「いたよな。授業参観のとき、やけに香水臭いお母さん」
「その人の周りだけ人がいなかったよな。あれ、本人は気づいていないけど、けっこう匂うよなぁ」
「誰か教えてやればいいのに」

 はははは、と僕らは笑い合う。久々に笑顔を作ったので、筋肉が突っ張る漢字がした。
若狭は僕が片足を突っ込んでいる非日常をこれっぽっちも感じさせない。いつもと変わらない態度で、受け皿を作ってくれている。僕の話を否定することも畏怖することもなく、淡々としている。

「で、どう思う?僕たちは殺されると思うか?」
「殺されるんじゃないのか?……というか話を聞く限り、殺されるのは蜷川なんだろう。お前を好いているんだったら、蜷川を敵視しているはずだけど」
「ニーナが殺されるということは、僕も死んでいるってことだよ」

 僕が生き続ける限り、ニーナを守るのだから。そういう約束だ。
 数学の公式みたいに僕とニーナの運命は定められている。イコールで結ばれている。
 たとえ若狭でもその公式を変えることはできない。

「でも俺は……俺は、二人がいなくなったら寂しい」

 間違えた答案に個人的な感想を述べる若狭。出題者も困ってしまうだろう。この場合、出題者って誰になるんだろう。公式が僕とニーナなら……茶谷かな?

「じゃあ若狭もこっちに来ればいいよ」

 少し意地悪を言った。その自覚はあるけど、本気で考えだした若狭の表情が面白くて、しばらく眺めていた。どうやら彼は死ぬことは遠慮したいらしい。「冗談だってば」と言うと困惑したような、拗ねたような顔をされた。幼い頃から変わっていない。けれど確実に何かが変化していて、僕たちの関係を明確に隔てている。こんなに近くにいるのに、僕とニーナは、普通からはじき出されている。だから同類の茶谷に興味を持たれるのか。くそう。

「お前、そういう冗談はあまり言わない方がいい」
「こういうことを呟いていかないと、生きていけない病気なんです」
「面倒くさいやつだな。子どもの頃から」
「担任にも言われていたなぁ。面倒くさいことは苦手なのに、僕自身の問題は非常に解決することが難しいですねって」
「平和を愛するくせに、依空のいるところはいつも何か起こっているよな」
「本当だよ。もう無気力な僕にこれ以上何をしろって言うんだよ。天羽さんだって忠告をしただけじゃないか。僕とニーナを四六時中守ってくれるわけじゃないのに、どうしてあんな余計なことを言ったんだよ」
「心構えはできるだろう」
「ニーナが殺される心構えなんて、したくない」
「まあ、すぐに殺されるってことはないだろ。天羽っていう子のカレシを殺したのが茶谷咲和……って結論づけるのもまだ早いんだからさ。本当に蜷川が危害を加えられてから考えろよ」
「いやいや。その一撃で死んじゃったらどうするんだよ」
「死なねえよ、あいつは。お前を残して死ぬわけがないだろう」

 と、言ったところで。
 いきなり、部屋の戸が開いた。足音も人の気配もなかったから、突然、戸が動いたことに驚く。
 そこには、ニーナがいた。
 ニーナ、だった。
 え?
 腕から、血、出てる。
 にーな?
 血で染まった右腕を片方の手で押さえたニーナが、そこにいる。血が、点々と廊下に落ちている。息は多少きれているものの、本人は静かに僕たちを見つめていた。
若狭が僕を押しのけるようにしてニーナに駆け寄り、いつの間にか持っていたティッシュの束で、傷口を押し当てる。最初は不快そうに眉をしかめていたが、若狭の顔を見て、少しだけニーナが驚いた表情になった。……そういえば、若狭が髪の毛を白にしてから、二人は会っていなかったな。

「依空、クローゼットの戸を開けて。そこに包帯とか入ってる」

 淡々と命じられ、指定の場所に収まっている救急箱から消毒液と包帯を取りだす。若狭の傍のテーブルにそれを置き、僕は部屋を出て台所へ向かう。蛇口をひねって水を出し、タオルに含ませる。緩めにしぼってから部屋に戻り、血で汚れている傷口を「ちょっとしみるぞ」押し当てる。押さえていたほうの手にも血がべっとり付着していて、ペイントをしていたみたいだった。
 タオルで拭くと、血で見えなかった傷口が視界に入る。
 鋭い刃物で刺されたような傷口だった。
 消毒しガーゼをあてて包帯を巻く。手当てに不慣れなせいで、たったそれだけのことに時間がかかった。ようやく終わり、床に点々と続く血痕を拭き取ったり、道具を片付けたりする。腕から血が滲んでいないことを確認して、やっと落ち着いた。心拍数がずっと上がっていて、ふわふわと浮いていた感じがする。やっぱり血を見ると、ものすごく緊張する。
 手当てが終わると、ニーナは僕に寄りかかるようにして座った。向かい側に若狭が座り、何か言いたげにニーナを見ている。
 沈黙が続いた。
 いろいろニーナに聞きたいことはあるけど、正直、ニーナに何が起こったのか僕も若狭もわかる気がする。そしてその予想がもしあたっていたとしたら、本当に僕たちは呪われているのかもしれない。呪いと縁があるなんて、ずいぶんと気に入られたようだ。
 いつまでも殻を開かない貝のようになっているわけにもいかない。わざとらしい咳払いをひとつして、僕が切り出す。

「だれにやられた」
「イソラってバカじゃないの?」

 今までセミの抜け殻のような顔をしていたのに、その瞳に急に意志が宿る。いきなり僕の脳味噌の出来を批判された。

「知るはずないじゃない」
「知るはずないって……顔ぐらいは見たんだろう?」
「前髪が長くて顔はよく見えなかった。何かぶつぶつ言っている、気持ちの悪い女だった。イソラと分かれて家に入ろうとしたら、真後ろで殺気を感じたの。振り返ったらそこにいて、持っているナイフでスパッと切られちゃった」
「その女は、長袖を着ていたか」
「着ていた」

 長い前髪。六月なのに長袖の服。ニーナに対しての殺意。
 決めつけられずにはいられない。
 茶谷咲和だ。
 天羽さんの話が頭をよぎる。もし天羽さんのカレシを道路に突き飛ばしたのが茶谷だった場合、ニーナがこれからも危害を加えられることは十分にあり得る話だ。

「ニーナ。その女は、クラスでいじめられていた茶谷咲和ってやつじゃなかったか。ほら、昼休みに弁当を一緒に食べないかって話しかけてきた子だよ」

 普段クラスメイトと関わりの無いニーナが、茶谷の顔を覚えていないこともうなずける。
 茶谷の存在はニーナにとってもイレギュラーだったらしく、「ああ、あれか」静かに表情に怒りを含ませる。

「顔までは思い出せないけれど、あんなものに怪我をさせられたなんて。刺されたときに茶谷ってやつだとわかっていれば、殺していたのに」
「どうしてうちに来たんだ」

 決して冗談ではない雰囲気に、若狭が呟く。ニーナの視線がそちらへ向いた。

「追いかけたの」
「追いかけた?」
「刺した女を。そしたら、この店の前で立ち止まったの。ここは叔母さんが働いているでしょう。だから、ちょうどいいかなって」
「ちょっと待て。それで、その女はどうしたんだよ。この惣菜屋を見て何をしていたんだよ」

 偶然ではない気がする。茶谷がこの店の前まで来たことは、偶然でもなく、最初から店の場所がわかっていたとすれば。
 嫌な予感がする。
 茶谷が号泣していたとき、僕は若狭と一緒だった。
若狭と、一緒だったのだ。

「何もしていなかった。ただ見ていただけ。じっと見続けて、飽きたのかどこかへ行っちゃったの」

 ニーナは異性とか同性関係なく、自分が好意を抱いたものに執着する。だとしたら、僕と一緒にいた若狭を見てどういうふうに思ったのか予測がつく。少なくとも僕が親しくしている者を排除していくのだとしたら。

「若狭、他人事じゃなくなったぞ」
「ですよねー」

 本人も事の重大さが飲み込めたのか、澱みを飲み込んだような顔をしている。
 呪いの縁に巻き込まれたのは若狭も一緒だったのだ。幼なじみ三人で何をやっているんだか。
 お手々を繋いで暗闇へと真っ逆さまかな。それとも発狂した茶谷に殺されちゃうのかな。うーん、笑えない。

Re: 憂鬱なニーナ ( No.16 )
日時: 2015/12/02 20:36
名前: 朝倉疾風 (ID: ZfgN7XgD)





 一時間後。店が閉まり、仕事を終えた若狭の母親が部屋を覗いた。
 軽く会釈をすると、古くからの友人に会ったように手を大きく振られた。こちらも振り返す。ますます嬉しそうだ。人に会ったとき若狭が手を振るのは、この人の影響なのかもしれない。ニーナまで来ていたことは知らなかったらしく、「あら、お久しぶりね」声をかけた。不思議な角度でニーナが頭を軽く下げる。大人の、柔らかくて優しい雰囲気の女性には丸い態度をとる。それは彼女が今までに身に付けてきた、自分を可愛がってもらえる術だ。僕の母親にも気に入られようとしていたが、あいにく子どもに興味の無い人だったから失敗に終わっていたっけ。

「時恵さんは帰ったのかな」
「蜷川が来ているって知らないだろう」
「だよなぁ。……ニーナ、約束してほしいんだけど、時恵さんにはその怪我のこと、何も言わないでほしいんだ」

 僕が守れなかった証拠を、あまりあの人に晒したくない。
 小さく「わかった」と返事をしたあと、思い出したように付け足す。

「むこうも、何も聞いてこないと思うから」

 それはニーナが時恵さんに声をかけられたらパニックを起こして危ない行動を取ってしまうということがわかっているから、時恵さんなりに気を遣っているんだよ。そう教えてあげたいけど、教えたところで理解できないからやめておく。

「ああ、もう七時を過ぎているのか」

 若狭が時刻をお知らせする。日が長いから時間の感覚がずれる。まだ五時も来ていないのかと思っていた。
 そろそろ僕たちはおいとましようと腰を上げる。若狭が「危ないから送ろうか」と言ってくれたけど、正直、三人でいるほうが危険ではないかと思ったので、断った。一応若狭も狙われる可能性はゼロでは無いし。それでもせめて僕らの後ろ姿が見えなくなるまで見送ろうと、玄関までついてくる。

「また来るから。ニーナとふたりで」
「勝手なことを言わないでよ。うざい。死ね」

 冗談が通じないニーナは僕の軽口を単純に受け止める。若狭と目が合った。どうしてそんなに嬉しそうなんだ、若狭。

「反抗期の娘を持ったような気分」
「意味わかんない」

 これに関してはニーナと同感だ。
 ニーナの口の悪さを聞いて、昔を思い出しているのだろうか。ろくな思い出じゃないはずだけど。
 靴を履き終えて、最後に若狭にも警戒するよう呼びかける。

「僕たちこれで帰るけど、若狭も一応気をつけてくれよ。夜道は背後に警戒して護身用に防犯ブザーを携帯しておけ」
「ずいぶんと過保護だな」
「念のために。頼むから」
「ようし、頼まれてやる。でも、いつまでそんな生活、続けりゃいいわけ」

 ふむ。いつまで、か。
 ニーナが茶谷に腕を切られたことが本当なら、切られた時点で警察に連絡して茶谷をどうにかしてもらうのが懸命だろう。
 だけど。
 ニーナを警察と関わらせるのは、色々とまずい。
 警察が解決してくれるという線は無しの方向で。

「茶谷が、僕への思いを諦めてくれるまでだよ」

 なんとかするしかない。
 僕なんかに恋をしてしまった、可哀想な彼女の目を覚まさせるために。面倒くさいけど、なんとかしないと僕たちの平穏が崩れるから。すでに折れかかっている僕にとっての「普通」を立て直すために。
 ニーナとの幸せを続けるために。


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