複雑・ファジー小説

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アスカレッド
日時: 2021/06/11 01:43
名前: トーシ (ID: WglqJpzk)

 ヒーローって、何だ。

  *

 《COLOR》と呼ばれる異能力が存在する社会。
 瀬川飛鳥は、10年前に自分を助けてくれた『ヒーロー』に憧れながら生きてきた。
 高校2年生のある日、飛鳥は席替えで水島青太と隣同士になる。青太は《COLOR》を持たない人間——の、筈だった。

  *

 閲覧ありがとうございます! トーシです。
 今回、初めて小説を書かせていただきます。異能力現代バトルものです。
 どうぞよろしくお願いします。

  *

目次
(☆挿絵付き ★扉絵付き)
 
プロローグ カラーボーイ
>>1

第1話 アオタブルー
>>2 >>3 >>4 ☆>>6 
>>8 >>9 >>11 >>12  ☆>>13
(一気読み >>2-13)

第2話 ミクロブラック
>>16 >>17 ☆>>18
>>19 >>20 >>21 >>22
>>23 >>24 >>25 >>26
>>27 >>28
(一気読み >>16-28)

第3話 ハイジグレー
>>31 >>32 >>33 >>34
>>35 >>36 >>37 >>38
>>39 >>40 >>41 >>42
>>43 >>44 >>46

第4話 シトリホワイト
第5話 ********
エピローグ アスカレッド

  *

その他

クロスオーバー・イラスト(×守護神アクセス)
>>10
PV(『闇の系譜』の作者さんの銀竹さんが作ってくださいました!)
>>34
閲覧数1000突破記念イラスト
>>15
閲覧数3000突破記念イラスト
>>30


  *

お客様

荏原様
日向様(イラストをいただきました!>>14)
立花様

スペシャルサンクス

藤稲穂様
水様
四季様
しろながす様

  *

記録

4/13 連載開始


  *

Twitter @little_by_litte
ハッシュタグ #アスカレッド

3−13 ( No.43 )
日時: 2019/06/04 00:40
名前: トーシ ◆zFxpIgCLu6 (ID: Au8SXDcE)

3−13

 飛鳥と青太の間で滞る危うい雰囲気を感じ取ったのか、海黒は2人のもとに着くなり冷ややかな視線を飛鳥に向けた。また何かしたんですか、とでも言いたげな様子だった。

「……沖原灰慈に会ったんだよ。それを水島に話しただけ」

 飛鳥が意を決して事実を曝け出したとき、青太は不愉快そうに顔を強ばらせた。飛鳥が灰慈と会っていたなんてことを聞かされて心中穏やかでなくなるのも当然だ。
 青太はかつて面識のあった海黒でさえ警戒していたのだ。相手が得体の知れない人物——それも、岬紅野に付き従っている人物であるなら尚更だろう。
 彼の瞳が確かに示す剣呑さの理由はそれだけじゃない。青太の思いを知りながら、それに反する行動を繰り返す飛鳥に対しての苛立ちや不信感もある筈だ。

「……飛鳥先輩には何言っても無駄だって、分かってますからね」

 海黒はため息交じりにそう零して、2人の前を歩き始めた。
 学校から駅までの大通りも、ひとつ外れてしまえば狭くて人通りの少ない道になる。
 海黒は、話をするには人気のない道の方がいいと考えたのだろう。いつの間にか人目を憚るようになっていた飛鳥は、何の疑問も抱かず彼女について行った。

「——で、話って何だよ」

 海黒が立ち止まるのと同時に青太が口を開く。振り向いた海黒は、ゆっくりと目を上げて、青太の両の瞳を一直線に見据えた。

「青太さんには、やっぱり、お兄ちゃんの味方になってほしいんです」

 青太は息を詰まらせて、頬を歪める。
 飛鳥の表情は変わらない。一瞬意外だとは思ったが、そもそも海黒は青太が目的で飛鳥に接触してきたのだ。ここ最近はその思惑を飛鳥に見せていなかっただけで、考えていることはずっと同じだったのだろう。
 全ては、実の兄である岬紅野の為に。

「なるわけないだろ」

 青太の返答は、ひどく冷徹だった。

「……どうして、岬紅野は水島に拘ってるんだい」

 飛鳥は問いかけに、海黒は今度は琥珀の目を見て答える。

「知りません」
「知らない……?」
「お兄ちゃんが私に『指示』することはあっても、『相談』することはありません。だから、お兄ちゃんが何考えてるのか、私には分からないんです」

 声の震えを無理やり抑えるようにして出された声は、海黒らしくもなく掠れていた。
 兄弟なのに、などという言葉は無意味だ。兄弟だからと言って手放しで何もかもを共有できるわけじゃない。
 自ら心の底から信頼されていないことを暗に示した彼女は、最後の意地を繋ぎ止めるかのように、決して目を逸らさなかった。

「ずっと、青太さんのこと、ずるいって思ってたんです」

 けれど彼女の心は決壊した。流れ出す言葉には徐々に涙の色が滲んでいく。
 
「お兄ちゃんはいつも青太さんのことばっかりです。2年前、青太さんがお兄ちゃんのカウンセリングを受けるようになってからずっと。お兄ちゃんの妹は私なのに、青太さんの方が、本当の兄弟みたいに大切にされて」

 そして、青太と紅野が知り合ってから数か月後——1年前の冬、紅野と青太と海黒の3人を取り巻いて事件は起こった。紅野が属する派閥を敵対視する勢力からの、海黒への襲撃。そしてそれを青太は助けた。
 紅野にとっては、青太が海黒を助けたという構図が何よりも必要だった。

「お兄ちゃんは青太さんを褒める『理由』が欲しかったんです。褒めれば青太さんはお兄ちゃんを好きになるから」

 賞賛は何よりも人の心を溶かす。それが自信を失った思春期の少年なら尚更だ。心の弱った青太に存在価値を与える。そうすれば、青太は紅野をより妄信するようになる。
 実際、その方向へ転がっていく可能性もあったのだろう。青太がその後の紅野の態度を訝しんだから、そうなっていないだけだ。
 海黒はスカートの裾を握った。くしゃりと音が鳴りそうな程、強く。

「お兄ちゃんは私を褒めてくれた。私がわざと標的になって、青太さんが私を守れば、お兄ちゃんが青太さんを褒める理由ができるから。でも私は……お兄ちゃんに心配してほしかった」

 鈍く、頭を打たれたような気分になった。
 青太は以前に、海黒はそのとき背中に傷を負ったのだと言っていた。
 痛かっただろう。痕にもなるかもしれない。「痛かったね」とか「大丈夫」とか、ありきたりな言葉すらかけてもらえなくて、でもそれを求めれば嫌われるかもしれない。
 海黒に与えられた役回りは、兄弟間の信頼の上には無い。海黒が真意も知らされぬままただ兄の言う通り動くのは、紅野に嫌われたくないという切なる思いによるものだ。岬兄弟を繋ぐのは一方的なか細い期待だけだった。

「お兄ちゃんに愛されてるのに、不幸そうな顔してる青太さんを見ると……こんなこと、言っちゃいけないんでしょうけど、すごく」

 興奮によって荒くなった息の中で、言葉の凶器が形作られていく。
 
「すごく、狡くて、嫌いだって思うんです」

 ああ、だからあの時、青太に何か言おうとして言うのを止めたのか。
 ただでさえ打ちひしがれた青太に対しては、この言葉は鉄のナイフよりも鋭く、彼の心を再起不能になるほどまでに抉っただろう。
 では今はどうなのか。
 海黒の思いを突き付けられるのが『今』だったら、青太は平気でいられると、そう言えるのか。
 飛鳥はそれでも、青太の様子を確認しなかった。彼の顔は見れなかった。見るのが怖かった。

「お兄ちゃんに求められてるんだから、答えてくれたっていいじゃないですか……っ」

 瞳孔の開いた海黒の目に気圧されて、隣で見ているだけの飛鳥まで呼吸が止まりそうになった。
 青太は無言のままだ。これでもし彼が、紅野の味方になると言ったら、一体自分はどうすればいいのだろう。
 最初は青太が勝手に自分に関わってきているのだと思っていた。だから、この関係を終わらせるのかどうかの決定権も自分にあるものだと思い込んでいた。
 でも、きっと違う。自分が青太を切り捨てるのではなく、青太が自分を切り捨てるのだ。

「どうしてそんなに、飛鳥先輩に拘るんですか。自分のこと、無下にするような人に」

 答えは聞きたくなかった。しかし、耳を塞ぐ力さえ残っていなかった。

NEXT>>44

3−14 ( No.44 )
日時: 2021/06/11 01:42
名前: トーシ ◆zFxpIgCLu6 (ID: WglqJpzk)

3−14

 ——どうしてそんなに、飛鳥先輩に拘るんですか。

 海黒の声が今もなお耳にこびりついて離れない。
 昨日、結局青太は何も答えなかった。眉を顰めるばかりで、最後に「お前には関係ないだろ」と、そう一言呟いただけだ。
 飛鳥にとっては、彼が言葉を発するまでの沈黙が無性に怖かった。誤魔化す為の適当な言い訳が出てくるのは嫌だ。きっと自分はその裏に隠れる本心を勘ぐってしまうから。でも彼の口から直接本音を聞くのも怖い。
 飛鳥には、青太の本心など何一つ見えない。いや、そもそも見ることを拒んできたのだ。
 
「瀬川?」

 はっとして、飛鳥は顔を上げた。呼びかけてきたのは青太ではなく、いつも一緒に昼食を食べる友人だ。
 話聞いてなかっただろ、とからかうように言う彼に、飛鳥は曖昧に笑い返した。

「なんか瀬川さ、最近疲れてねえ? そんな遅くまで起きて勉強してんの?」
「……数学の問題がなかなか解けなくてさ、気付いたらいつの間にか日付越えてるんだ」
「へー、先生から期待されてる奴は大変だな」
「僕より数学できる奴なんて沢山いるよ」

 おかずを口に突っ込んで咀嚼するが、なんだか粘土を噛んでいるような気分だった。味が薄いのだろうかと思ったが、母がよく弁当に入れてくれる、いつもと同じおかずだった。

「てかさ、今度数学教えてくれよ。オレも今の単元に入ってから全然分かんなくなってさ」
「うん、いいよ。昼休憩でいい?」
「あー、できれば放課後がいいんだけど」
「放課後……」

 友人は唐揚げを噛みながら「うん」と頷く。

「放課後の方が時間あるし。あ、でも無理だったら昼休憩でもいいよ。瀬川、最近放課後になったらすぐ学校からいなくなるし、忙しいんだろ?」
「まあ、塾に行く時間、増やしたから」

 咄嗟に吐いた嘘の続きは、ご飯を口に入れて誤魔化した。
 友人は「真面目だなあ」と笑いながら、それ以上の追及はなかった。

「そういえば今日は、津田はいないんだね」

 呑気に笑う友人の表情を伺いながら、飛鳥は話題を逸らす。
 いつもは飛鳥と目の前にいる友人とあともう1人と一緒に昼食を摂っているのだが、今はその1人がいなかった。

「あーなんか、先生に呼ばれたって」
「先生に?」
「課題出してなかったんだって、しかも化学の」
「それは昼休憩中ずっと拘束されるかもね」

 飛鳥のクラスの化学課担当教師は課題提出に厳しいことで有名だった。しかも説教が長くて、昼休憩の時間など簡単に奪い取られてしまう。飛鳥はその化学教師から説教されたことはないが、たまに教務室で彼が生徒に説教しているのを見ると、自分が怒られているわけでもないのにうんざりするのだ。
 だから課題を提出しなかった友人は、昼休憩が終わるぎりぎりでやっと帰ってくるだろうと思っていた。しかし彼は存外早く教室に戻ってきて、「ラッキーだった」と言いながら自分たちの隣の席に座った。

「意外と早かったじゃん」
「いやそれがさ、教務室行ったら先生たちが超ばたばたしてて、説教とかする雰囲気じゃなかったんだよ」
「何かあったの?」
「なんか、事件、みたいな?」
「事件?」

 飛鳥が訊ねると、彼は小さく手招きした。3人は顔を寄せ合い、2人はじっと、もう1人の顔を見つめる。

「1年生の子が1人、行方不明なんだって」

 1年生の子が、行方不明。
 胸の奥が微かに冷たくなる。
 飛鳥の隣で、緊張感に欠けた声で友人は訊き返した。

「行方不明?」
「そう。今朝1年生の母親から電話があって、昨日の夜家に帰ったら、そいつがいなかったんだって。しかもその1年生、昨日も今日も学校に来てないんだってさ」
「名前は」

 飛鳥の声に、津田は少し驚いたように目を丸くする。

「な、名前? 1年生の?」
「うん」
「えーと……あ、苗字は覚えてないけど、変わった名前だったからそっちは覚えてる。確か『ハイジ』って子だ」

 間違いない。沖原灰慈だ。沖原灰慈がいなくなったのだ。
 昨日海黒を介して自分達に居場所を聞いてきたくらいだから、紅野でさえ灰慈がどこにいるか知らないのだろう。誰も、灰慈の居場所を知らない。

「瀬川の知り合い?」
「……いや、知らない人だよ。興味本位で聞いただけ」

 訝しまれないよう、適当な言葉で切り上げる。
 弁当を食べ終えて自分の席に戻ると、鞄の中で携帯電話が震えているのに気付いた。メッセージの通知ではなく、着信だった。
 わざわざ電話をかけてくる人は限られている。海黒も今校内にいる筈だから電話をかける必要はない。だから恐らく、彼だ。
 飛鳥は端末をスラックスのポケットに突っ込むと、すぐに教室を出ようとした。しかし扉の手前で一度止まって、後ろを振り向く。
 青太はこちらに背を向けて彼の友人と話していた。大丈夫だ、見られていない。もし青太に、彼の目を盗んで「彼」からの着信に応じようとしていることを知られてしまったら——今度こそ、手を差し伸べられることはなくなってしまうのだろうか。
 そんな考えを頭を振って払拭して、体育館裏に出た飛鳥は着信に応答した。

『まさか出てくれるなんてね。昼休憩の最中だったのかな?』

 ここ数日で随分と聞き慣れてしまった声に、飛鳥はできるだけ平坦に、緊張がばれないように返す。
 
「あなたからかけてきたんでしょう」
『話たいことがあったからね』
「——用件は」
『灰慈の件で、大変になっているようだね』

 海黒から聞いたのだろう。ただ、灰慈が関わっていることなのに紅野の口調はどこか他人事で、飛鳥の胸に引っ掛かった。

『この件は他の生徒にはまだ広まっていないようだから、一先ず安心ではあるけれど』
「悠長ですね」
『ああ、居場所の目星はついているから』

 は、と思わず声が出た。

「……なら、どうして迎えに行かないんですか」
『どこにも行けないからさ』

 この足では。
 一瞬、ワントーン下がった紅野の声に怯み、飛鳥は口を噤む。
 だから、と紅野は次の瞬間には何事もなかったかのように元の声に戻った。

『君に、灰慈を探しに行ってほしいんだ』
「……僕が?」
『勿論、無理にとは言わない。賢い君なら察しているとは思うが、この件にはこちらに敵意を向ける《COLOR》所持者が関わっている』
「だとしたら、僕にできることは無いと思いますよ。海黒さんの方が」
『相手には海黒の存在は認知されている。さすがにそんなところに海黒を行かせるのは危険だ』

 僕はどうなってもいいということかと問えば、紅野は電話越しに薄く笑うのみだった。

『……君は、俺の味方ではない。だから君はまだ、相手には認知されていない。そして、君は無色(colorless)だから警戒されることもない』

 単純で簡潔な理論だと思った。
 ここで灰慈に対していい感情を抱いていない海黒を向かわせても、灰慈の奪還が叶うとは限らない。

『瀬川飛鳥くん、君にしか、頼めないんだ』

 岬紅野は危険人物で、そして灰慈は紅野側の人間だ。
 だから、紅野の提案に乗らない方が賢明だろう。これ以上、自ら彼らに関わってはいけない。
 灰慈だって、紅野が暗い世界の中にいることを知って尚彼の傍にいるのだ。
 自業自得だと——そう言って、切り捨てることはできなかった。
数学の小テストで満点を取って、紅野に褒められてあんなに嬉しそうにしていた灰慈にとって、紅野は彼自身を維持する支えなのだ。紅野の言うことに従って、遂行して、褒められることが、彼にとって唯一の存在意義なのだろう。
 彼には意思がない。自室に泊めたあの夜だって、飛鳥が声をかけないと灰慈は布団の上に寝転がることさえできなかった。実体のない幽霊のような少年で、紅野がいなければこの世に存在を繋ぎ止めることができない。
 もしここで自分が断れば、灰慈は紅野に切り捨てられたことになるのだろうか。灰慈も——。

『君だけが頼りなんだ』

 予鈴の音がどこか遠く聞こえる。
 気が付けば飛鳥は、ゆっくりと頷いていた。

NEXT>>46

Re: アスカレッド ( No.45 )
日時: 2019/06/25 19:53
名前: 友桃 ◆NsLg9LxcnY (ID: U7ARsfaj)
参照: http://www.kakiko.cc/novel/novel1a/index.cgi?mode=view&no=10985

はじめまして、友桃(ともも)と申します。
「第1話 アオタブルー」まで読ませていただきました。

作品全体のタイトルから、各話のタイトル、登場人物の名前や特徴、細かいところの描写まで、きれいに「色」で統一されていて、なんて完成度の高い小説だろうと感動しました。
まだ序盤しか読んでないはずなのに、結末とか作品の全体像を知りたい気分です笑

あと、登場人物の会話がすごく自然だなと思いました!
おかげで話しているシーンを(想像ですが)音声付きで思い浮かべながら読めて、おもしろかったです。

また続き読みに来ます!
更新頑張ってください^^

>>追記
書き忘れました!
表紙きれいでかっこいいですね! 市販で売られてる本の表紙みたいでうらやましいです!

3−15 ( No.46 )
日時: 2020/05/05 01:54
名前: トーシ ◆zFxpIgCLu6 (ID: 8kUUPb.W)

3−15

 初めて、担任に嘘を吐いた。昼休憩後の4限目は「体調が優れない」と言って保健室に行き、そのままそこで早退届を書いた。
 ちょうど授業が無かった担任はわざわざ保健室まで様子を見に来てくれたが、飛鳥はそんな担任に早退します、とだけ伝えるしかなかった。
 少し俯き、小さな声で喋る飛鳥に対して、担任は「家でゆっくり休みなさい」と優しく言ってくれた。最近疲れているみたいだから、瀬川は頑張り屋だから今まで気を張り過ぎていたんだろう、と。早退届に了承印を捺す担任は、飛鳥のことをちっとも疑っていなかった。
 両親には自分から連絡しておきます、と言って、飛鳥は保健室を出る。担任から受け取った自分の通学鞄を肩にかける。スマホで現在時刻を確認すると、まだ13時45分だった。自宅にいる母には連絡しない。何時に帰られるか分からないからだ。もし時間がかかっても、学校が終わってからそのまま塾の自習室に行っていたと言えば多少は誤魔化せるから、母には自分はいつも通り授業を受けていると思ったままでいてもらうしかない。
 飛鳥は生徒玄関近くにあるバス停へ向かうと、ちょうど停車したバスに乗り込んだ。
 バスは毎日利用している鏡高校の最寄り駅とは真逆の方角に進んでいく。窓の外に見える街並みは、すぐに見慣れないものへ変わっていく。学園裏へ訪れたことはほとんどない。
 20分程して、飛鳥は小さな商店街の近くのバス停で降りると、今度はスマホのマップを頼りに歩き始める。主要駅から外れた場所にあるこの土地は、建物が多い割に人通りは疎らだ。昼間に制服姿で歩いている自分を、不審そうな目で見る人が少ないのは、むしろ好都合かもしれない。
 やがて飛鳥はコンクリート打ちのビルが立ち並ぶ通りへとやってきた。すべての音が拒絶されているような、嫌に静かな場所だ。建物の窓ガラスがくすんだ色をしている。埃が積もっているのだろうか。人の管理の手を離れた建物が多いようだった。
 彼はそこで、自分が如何に安全な場所で生きてきたのかを理解した。自分の安全を守ってくれる人がいて、そしてそんな人々の言うことをよく聞いてきたからこそ、自分は自身の身に迫る危険を感知する必要もなく過ごしてきたのだ。
 ここの空気は、まるで有刺鉄線が張り巡らされているようだ。緊張感がじくじくと肌を突き刺す。
 意図せずここに来たわけではない。自分で望んで来たのだ。自分を大切にしてくれる、沢山の保護膜を自ら破ったのだ。
 
 ふと、道の端に1台の携帯端末が落ちているのが目に入る。黒色のシンプルなカバーが装着されたスマートフォン。海黒が持っていたものと同種だということはすぐに分かった。
 カバーや液晶画面はほとんど無傷のままだ。無理矢理取り上げられて投げ捨てられたのではなく、『路上に置かれた』と言った方が正しいだろう。試しに電源を付けてみるが、充電は切れていた。
 マップを確認すると、紅野が「居場所の目星はついている」と言っていた辺りは、ここからもう少し離れていた。その地点で灰慈のスマホのGPSが途絶えたらしい。ここでダミーのスマホを捨てておくことで、GPS内臓の端末はもう持っていないと思い込ませメインの端末を取られないようにしたのだろうか、。
 灰慈が消えた地点は、アスファルト舗装の道路が交差する場所だった。人の気配がするビルと、明らかに無人の様相を呈しているビルの両方が道沿いに混在している。どれもが外壁が排気ガスで汚れた、鉄筋コンクリート造りの建物だった。鉄筋コンクリート製の建物の内部ではGPSは機能しないと聞いたことがある。灰慈がこの付近のいずれかの建物の中にいることは確かだ。
 飛鳥は息を嚥下すると、最も近い廃ビルへ爪先を向けた。通学鞄のハンドルを握り直す。どこか適当な場所に置いてくればよかったかもしれない。いや、もう遅い。とにかく灰慈を見つけださなければ——このまま夜を迎えてしまえば、彼が闇夜に霞んで、消えてしまうような気がした。
 ——もし見つかってしまったら、何か言い訳をすべきなのか、それとも強行突破するべきなのか、そんなことを思考しながら階段を上っていく。生きた心地はしない。それは、建物内部が埃っぽくて、自然と呼吸が浅くなる所為でもあった。喉の内部に、小さな塵が張り付いているような感覚がした。
 何棟目かの4階建ての廃ビル。その最上階へ至る階段の途中で、飛鳥は足を止めた。人の咳がかすかに聞こえた。粘着質な異音の混じった、嫌な咳の音。灰慈だろうか、それとも別の人物か。
 飛鳥は足音を立てないよう努めて慎重に1段、また1段と進んでいった。最上階には短い廊下が続いており、複数の扉が閉ざされていた。異様なのは、ドアノブがビニールの縄で固定された扉があることだった。そのビニールの縄は隣の扉のドアノブに巻き付けられ、また元の扉に帰ってきていた。単純ではあるが、これでは中から開けるのは不可能だろう。
 そして、ドアノブが固定された扉の向こうから、やはり咳が聞こえるのだった。
 飛鳥はそっと冷たい鉄に触れ、聴覚を集中させる。存外薄い扉だ。咳は止んだが、代わりに荒い呼吸音が聞こえ始める。そして呼吸音が落ち着いたかと思うと、呻くような、酸欠に喘ぐような、苦し気な声が飛鳥の鼓膜に届いた。喧騒に容易く掻き消されてしまいそうな、地面の上に頼りなく積もっていくような、変声期特有の掠れた声。灰慈の声に、似ていた。
 否、間違いなく彼だ。
 飛鳥は自分の体温がずるりと抜け落ちていくような気分になった。しかし手を握り締めると、ドンドン、と扉を叩く。

「——ッハイジ、灰慈っ!」

 叫ぶ。声が返ってくる。何と言っているのかは判別できない。
 ビニールの紐は強固で素手では解けそうになく、ペンケースから取り出したハサミを使って半ば無理矢理に引き千切った。
 ドアノブを捻り、押す。とん、と何かに当たる。それが灰慈の背中であることはすぐに分かった。
 彼は扉のすぐ前で横たわっていた。背中を丸めて蹲るような体勢で、しかし腕は後ろ手に拘束され、脚部も足首から脹脛にかけてガムテープが何重にも巻かれている。頬には灰色の髪の毛がかかり、元々付けられていたガーゼはよれて、殴打の痕に上書きされていた。
 それから、灰慈の口許に視線が行く。彼の小さな口は濡れていた。そこから横溢する半透明の液体が、彼がここで嘔吐したことの証拠だった。嘔吐物に固溶体は見て取れない。しばらく食事を摂っていないのだろう。
 飛鳥は跪いて、灰慈の手首のガムテープを取り始める。灰慈の虚ろな目はふらふらと彷徨った後、横目に飛鳥を捉えた。

「……何、しに……」
「迎えに来たんだよ、早く出よう」
「なん……で、アンタが……」
「紅野さんに頼まれたんだ」

 紅野さん、と、確かに今までとは違う響きで、灰慈が呟いた。
 彼を拘束していたガムテープを全て取り終えると、飛鳥はゆっくりと灰慈を抱え起こす。ハンドタオルを取り出す時間も惜しく、飛鳥は自分の手の平で灰慈の口の端を拭った。何故彼が嘔吐したのか、何故彼の目の焦点が合っていないのか、何故彼は吐いた後も呻き声を上げていたのか。それを考えている余裕は、その時の飛鳥には無かった。

「ほら、立てそうかい」

 灰慈の体重を抱えて立ち上がろうとしたその時、灰慈の腕が動いて、飛鳥を突き飛ばす。しかしその力はあまりにも弱く、飛鳥は少しよろめいた程度で、むしろ灰慈の身体が再び床に倒れ込んでしまった。

「灰慈、何して」
「まだ……だめだ、まだ」
「まだ……?」

 彼はそのまま、ずるずると部屋の奥へと這い擦っていく。飛鳥から離れんとしているのではなく、帰る為の扉から遠ざかるようだった。
 飛鳥が慌てて彼の肩を掴むと、振り向いた灰慈の瞳には、薄い水膜が張っていた。

「まだ……何にも、できてない。アイツら、オレの前で、何にも、話さなかった、扉を出てからも、ずっと……まだ、何の情報も、抜けてねえ……こんなんじゃ、紅野さんのとこ、帰られない……ッ」
「何言ってるんだよ、紅野さんは君が帰ってくるのを待ってる。早く」
「嫌だ、だめだ」
「灰慈」
「だめなんだ」

 灰慈の乾いた手が、自分の肩に触れている飛鳥の手を掴む。引き剥がそうとしているようだが、その力はあまりにも弱い。

「オレには……ッ、紅野さんしか」

 瞬間、彼の手が落ちた。ぴんと張っていたか細い糸が、ぷつんと音もなく切れてしまうように。
 飛鳥の眼前で、灰慈の意識はそこで途絶えた。

NEXT>>

3ー16 ( No.47 )
日時: 2021/06/11 01:41
名前: トーシ ◆zFxpIgCLu6 (ID: WglqJpzk)

3―16

 気絶してしまった灰慈をどうにか背負って、飛鳥は廃ビルを出た。灰慈に危害を加えた人間がいつ戻ってくるか分からない以上、あの場所にずっといるのは危険だからだ。
 とはいえ、この辺りの土地勘はない。けれども学校へ戻ることもできず、正直なところ、これからどうすればいいのか分からなかった。
 ひとまず、灰慈を背負ったまましばらく歩く。すると廃ビルエリアからやや外れたところに、公園があるのを見つけた。ここら一帯はどこも閑散としているのだろうか、学校帰りの小学生が遊んでいてもおかしくないはずなのに、公園には誰もいなかった。
 灰慈をベンチに寝かせて、地面にスクールバッグを降ろす。息を吐き肩を回してみると、身体はそれほど疲れていないことが分かった。灰慈が驚くほど軽かったからだ。血色を失った肌も相俟って、彼がいつか本当に、幽霊のように指先をすり抜けてしまいそうだ、と思った。
 灰慈の呼吸は不安定だ。落ち着いたかと思えば、息切れのように浅くなる。普通の体調不良とはどこか違うというのは、素人目にも明らかだった。
 目を覚ましたら病院に連れていこうか。いやそれとも、紅野に連絡するべきだろうか。紅野への不信感はあるものの、彼は海黒が足を怪我したときは学校を休ませていたから、灰慈を無碍に扱うこともないだろう。
 ふとそこで、紅野を肯定しようとしている自分がいることに気付いた。有り得ない。そんな考えは、青太を傷つけてしまう。

 ――どうして今、青太のことを考えた?

 自分の行動軸は青太にあるわけじゃない、筈、なのに。
 
 飛鳥は手元に目線を落として、時刻を確認しようと取り出していたスマホの画面を見て、慌てて自分を納得させる。ホーム画面にはLINEのメッセージが表示されていた。青太からだった。無意識にこれを見たから、青太のことを考えたのだと自分に言い聞かせる。
 彼からは『瀬川、大丈夫?』と一言だけ。どう返そうか迷っていると、続けざまにメッセージが入る。

『体調悪いのか?』

 体調の悪い人に矢継ぎ早にLINEを送るのはどうなんだ、と苦笑いするが、すぐに嫌な予想が脳裏を過ぎった。心配されているのではなく、信頼されていないだけなんじゃないか、と。
実際、今だって青太の目を盗んでここに来ている。彼の思いに反して自分は紅野に従って、灰慈に接触している。信頼されるわけがない。
 信頼されたいのだろうか。青太に? 普通の友達のように?

「……そんな、今更」

 思わず声が零れた。はっとして、飛鳥は手で口許を覆った。思考が意図せず「独りでに」言葉になったことなんて、今までなかったのに。疲れているのだろうか。疲れているんだ、きっと。
 飛鳥は力なく手を下ろした。震える指先は首をかすかに撫でた。
少し考えて、飛鳥は未読のままにしておくことに決めた。そうしていると、ホーム画面のメッセージが更新される。『おだいじに』と、以前に寄越されたのよりも端的なメッセージだった。どんな顔をしてこれを打ったんだろう、と考えそうになって、飛鳥は頭を振って端末を鞄に仕舞った。今考えるべきなのは、青太のことじゃなくて灰慈のことだ。
 灰慈へ視線をやると、暗い色の瞳と目が合った。飛鳥は突然のことに息をのんだ。いつの間に起きていたのだろう。
 彼は虚ろな目をさまよわせた後、飛鳥へ焦点を合わせる。

「どこだよ、ここ」

 掠れた声で低く呟く。彼はゆっくりと上体を起こすが、ぐらりと揺れてまたベンチに横たわった。頭が痛むのか辛そうに眉を顰めながら、しかし灰慈は無理矢理起き上がろうとした。

「まだ起きない方が――」
「触んなッ」

 飛鳥が触れる前に、灰慈は声だけで彼を制した。細い腕でなんとか自分を起こして、小さく呼吸を整える。

「それで、どこなんだよ。ここ」

 彼は苛立たし気に問いかけながら、辺りを見回している。

「知らないよ。生憎、ここは土地勘のない場所だから」
「でも、そんなに離れてないんだろ。オレを背負って歩くのも、限界があるもんな?」
「あの場所には戻らせないから」
「知るかよ。アンタに関係ねえだろ」
「戻ったら、君が僕に情報を漏らしたことを、紅野さんに伝える」

 被せるように、飛鳥も灰慈を制す。灰慈は悔しそうに奥歯を噛みしめた後、浅く息を吸った。

「なんで、そんなにオレにこだわるんだよ」

 長い前髪の隙間から見上げてくるその目に、飛鳥は息をのんだ。
 この光景を見たことがある。その言葉に聞き覚えがある。記憶を遡ってみればすぐに分かった。海黒が、青太に問いかけた言葉だ。どうして飛鳥先輩にこだわるんですか、と。
そのとき青太は何も答えなかった。そして飛鳥は、彼が何も答えなかったことに安心した。青太が何を考えているのか、飛鳥に対して何を思っているのか、知るのが怖かったからだ。
 でも、今なら分かる。分かってしまった。同じ問いを投げかけられた今なら。
 僅かに目を見開いたまま答えられない飛鳥を、灰慈は見つめている。まるで飛鳥を見透かすように、彼はすっと目を細めた。その視線には軽蔑が混ざっていた。

「オレを助けて、それで満足したいだけなんだろ」

 飛鳥のさまよう片手を一瞥して、吐き捨てる。
 
「オレのことなんて、ちゃんと見てないくせに」

 中途半端に伸ばされた手が、その証左と言わんばかりだった。
――灰慈に問われたときに、瞬間脳裏を過ぎったのは、紅野の声だった。ひどく冷たいが、穏やかで、甘い響きを持つ声が。「君しかいないんだ」という言葉が。
 飛鳥をここまで突き動かしたのは、紅野から寄せられる期待に他ならない。
 青太だって同じかもしれない。彼は飛鳥を見ていないのかもしれない。青太にとって飛鳥は色を持たない「透明人間」でしかなく、飛鳥を透かして、その奥に別のものを見ているような気がした。見捨てられるかもしれない、なんて傲慢だ。だって、青太は最初から飛鳥自身を見ていたかどうか分からないのに。
 飛鳥が言葉を失っていると、灰慈は頭を抑えながら、ベンチから立ち上がった。反射的に腕を掴む。灰慈はそれを振り解こうとするが、飛鳥の方が力は強かった。

「邪魔すんなよ」
「いやだ」

 紅野の言葉なんて聞くな、とは到底言えない。自分も、紅野の言葉を受けてここに来たからだ。

「……君がここでやめないって言うなら、僕が君に協力する。君のやらなきゃいけないことを終わらせて、君を病院に連れていく」

 腕を握る手に力を込めると、灰慈は痛そうに目元を歪めた。
 灰慈に協力するということは、紅野に与するということだ。それでも、灰慈を無事に連れ戻す必要があった。灰慈のため、なんて建前で、本当は灰慈を利用して自分を肯定したいだけだ。その過程で、最低な手段を選んだとしても。
 自分を肯定してくれる青太が、心の奥底で自分のことを思っていないのなら、自分で自分を許してやることしかできないじゃないか。
 言い訳はしたくなくて、心の中で何度も本音を繰り返す。意識に、行動に刷り込ませるように繰り返す。その度に、胸の奥がじくりじくりと痛んだ。呼吸ができなくなりそうだった。
灰慈は飛鳥の様子に溜息をついて、腕を掴まれたまま、観念したように歩き始めた。


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