複雑・ファジー小説

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彼が愛した吸血鬼
日時: 2023/03/11 07:48
名前: ネイビー (ID: VYLquixn)

◎春だからかいくらでも寝れてしまうネイビー。
◎暇さえあれば何か食ってる。
◎楽しく書いていこう。春らしいの書きたい(大ウソ)

Re: 彼が愛した吸血鬼 ( No.42 )
日時: 2024/08/11 15:01
名前: ネイビー (ID: QEDC6Aof)


「なぁ、まだ生きていたいよな」

 夕紀が妙なことを訊いてくる。
 その一言だけ聞けば誰もが脅しだと思うだろう。でも夕紀の表情や声色からは、そんな意図は伺えない。

「……少し前までは死んでもいいっつうか、死んだほうがマシだと思ってたけど、そんなこと言ったら夕紀は怒るだろ?」
「そりゃそうよ。俺は……どんなことをしても、お前を守りたい」

 世の女性陣が言われたらコロッと堕ちそうな告白だな。どんなことをしても、か。
 手段を選ばないのは楽観的な性格からだと思いたい。
 夕紀の大胆さは時々羨ましく、時々恐ろしくも感じる。守りたいと言うけれど、それって本心ではないというか……僕に対する執着というか、もっと歪なものの気がする。
 それが分かったところで、今更だからなに?って話なんだけれど。

「逃げる計画を立てる前にさ……救急車とか呼べないよな」「それは無理」
「ですよねー」

 参ったな。息をするたびに肺が熱く痛む。
 頭を打ったので吐き気もする。
 ていうか、また寝そう。意識が飛ぶ。

「たぶんだけど、このままだと僕は死ぬ」
「あそこから落ちたらなー」

 夕紀が突き落としたんだろ。
 僕がジト目で睨みつけると、夕紀は微笑みながらこの苛立ちを躱してくる。

「生きていたいよな。俺と」
「………逃げ回る人生の始まり?」
「そう。そして、人間である人生の終わり」

 ゆらりと夕紀の影が揺れる。
 広がる影から小夜が現れた。
 相変わらず何を考えているのか読めない表情。

「小夜の血を飲めば半吸血鬼になれるんだ。小夜がそれを望むことが条件だけどな」

 夕紀は、そう説明する。

「そして小夜はそれを望んでくれている」
「……なんで?」

 素直な疑問だった。前から少し思っていたことだけれど、小夜は僕に干渉しすぎやしないか。
 
「呪われた縁を感じているんだよ」

 小夜は静かにそう言い、僕の傍に膝をついた。
 吸い込まれそうな赤い眼。前はこの眼を気味が悪いと思っていたのに、今はどこか心地よくさえある。

「私も長い時を生きてきたが、これほど人間に深く入り込んだことは無いよ。これほど純粋に人間を気に掛けたことなど」

 小夜は自身の手首に牙を立てる。赤い血液が一瞬膨らんで、つうっと流れた。チュッと湿った音をたて、それらを吸い、口に血液を含んだ小夜が僕の両頬に手を添える。
 抵抗できないかと少し体を動かそうとしたが、諦めた。元よりその気力はない。
 小夜は僕の唇に自分の唇を近づけた。触れた瞬間、素早く舌でこじ開けられる。それと同時に流れてくる、鉄の味。感じたことのある感触。
 溢れそうになって、嚥下する。
 何故だか涙が溢れてきた。
 それと同時に爪先から競り上がるような熱さと、骨全体が軋むような痛みが襲ってくる。耳に聞こえるこの悲鳴が自分のものだと、客観的に理解する。
 自分の体が、血肉が、遺伝子が、小夜の血で変えられていく。

「ハッピーバースデー、しずは」

 痛みでのたうち回る僕を見下ろしながら、夕紀が僕の名前を呼ぶ。
 死ぬかもしれないという恐怖があった。それぐらいの痛みだ。
 でも思い返してみれば僕の人生は、死ぬかもしれないという恐れの連続だった。あの家に産まれてから、何かが満ち足りていたことなんてあっただろうか。
 僕は初めて痛みを受け入れる。
 この痛みはきっと力だ。
 虐げられ、憐れみを向けられ、揶揄されてきた弱い僕は、死ぬ。もう夕紀に背負わせることもない。
 痛みが止んで、夕紀に落とされた時の怪我が完治していることに気づいた。気づくというか、直感で分かる。僕はもう人間ではないのだと。

「……シズ。半吸血鬼でも、分かるだろう」

 分かるよ、小夜。
 僕は頷く。

「本能のままに。彼もそれを望んでいるから」

 痛みはもう感じない。
 有るのは異常なほどの、喉の渇きだけ。

「俺を殺さないようにな」

 へらりと笑いながら夕紀が首を差し出す。
 僕は顔を近づけて、舌の表面でその首筋を舐め上げた。血が飲みたい。今すぐに、夕紀の血が欲しい。
 人間の頃の理性とか、罪悪感や背徳感とか、そんなものはもうどうでも良い。種を越えた反動からか、枯れた喉を潤すことしか考えられない。血の味を本能が求めていた。
 夕紀に牙を立てるその時だけ、何故か葉山さんのことを思った。
 そしてもう、後戻りはとっくに出来ないということを悟る。
 月が僕らを慈しむように照らしている。
 夕紀の温かな血が喉を潤すたびに、僕は悲しい気持ちでいっぱいになった。

「ごめん、夕紀」

 その選択をさせたのは、もしかしたら僕なのかもしれない。
 震える僕の背中に手を置き、夕紀は困ったように笑う。何も言わなかったけど、痛いほど伝わってくる。
 ふと気になって視線を辺りに送った。
 僕に力を与えた小夜は、どこにも居なかった。


 けっきょく、それから僕たちの前に小夜は一度も現れなかった。
 

Re: 彼が愛した吸血鬼 ( No.43 )
日時: 2024/08/12 21:59
名前: ネイビー (ID: QEDC6Aof)


12 (解)


 お姉ちゃんが消えて、12年が経った。

 4歳だったアタシは高校生になって、お姉ちゃんが1ヶ月しか通えなかった市立四葉根高校に通っている。
 お姉ちゃんのことは当時ニュースでも大きく取り上げられていた。誘拐。拉致。神隠し。面白おかしく報道されていたのは、お姉ちゃんの事件の前後に、関連があるのかはさておき、二つの事件があったからだ。
 一つは連続幼児殺人事件。
 もう一つが、暴力団組員の御厩樹という男の死。
 前者は遺体が見つかっていて、お姉ちゃんの事件と後者は遺体が見つかっていないらしい。どうして彼が死んだか分かるかというと、とある団地に御厩樹の血痕が大量に残されていたのだそうだ。その量から見るに、生存はほぼあり得ないと警察の方から言われた。
 不可解な話だが、この三つとも容疑者や犯人等がまるで浮かんでこないらしい。

 ぶっちゃけると、アタシの家はそっち系の家で、御厩樹という男にも何度か会ったことがあるらしいのだが、小さかったので覚えていることは少ない。
 お姉ちゃんのことも、アタシはあの人に避けられていた覚えはあれど、優しく声をかけてもらった記憶はない。疎まれていたんだと思う。お姉ちゃんとは半分しか血が繋がっていなかった。アタシの母は若くして父と結婚したが、後妻で、お姉ちゃんとは上手く行っていなかったらしい。当然か。母親を亡くしてばかりなのに、若い女を家に連れてきたと知って、お姉ちゃんはどんな思いだっただろう。無知なアタシは気安く姉と慕い、甘えていたけれど、とてつもなく冷たい目で見下ろされていたのを覚えている。
 それでも。
 それでも、アタシにとってはただ一人のお姉ちゃんだった。
 お姉ちゃんが行方不明になって、御厩樹もいなくなり、うちはーーー主にうちの組は、という意味も含めてーーーかなり不穏な空気が流れていたそうだ。お父さんもピリピリしていて、あまり家にも帰って来ていなかった。
 アタシはというと、御厩樹の事件でうちが暴力団だと近所中に知れ渡ってしまい、尚且つお姉ちゃんも消えたものだから、ヤクザ同士の抗争に巻き込まれたんだとか要らぬ噂も立ち、それを信じた友達から距離を置かれ、それはそれは悲しい幼少期を過ごしましたとさ。

「まあ、そういうわけですわ。別に私は友達がいなくてもやっていけてるよ」
「いやーそういうわけにはねぇ」

 7月。
 期末考査も終わって、羽が伸ばせる時期。夏休みまであと1日。
 アタシはチカとファミレスにいた。時刻は20時。辺りはすでに暗い。
 先ほど「友達は出来たか?」と真面目な顔で聞かれたものだから、少し意地悪な回答をしてしまった。
 チカは「友達ってのは大事でしょう」と、しなしなになったポテトの先をアタシに突きつける。説教臭いセリフだが、本人は別に心からそれを望んでいるわけじゃない。たぶんアタシと二人きりで何を話していいのか分かってないのだ。
 チカはアタシが中学を卒業する頃に、アタシの世話係兼用心棒としてお父さんがよこした舎弟の一人だ。
 正直に言うと刺青だらけでベビースモーカーで、いかにもガラの悪いそっち系の人を傍に置くことは、ものすごーくハチャメチャ嫌だった。お父さんから「実はチカはお前のちっこい時から、陰でお前の行動を把握していた」と聞かされた時は、ドン引きしまくりで警察を呼べと叫んだっけ。要はアタシの登下校や塾の行き帰りをずっと見張っていたことでしょう。……ロリコンじゃん。
 高校生になってから行動範囲も広がり、もう尾行では追いつかないと思ったのか、それともお姉ちゃんが行方不明になったことを気にしているのかは分からない。そして、「親父の決めたことなんで」の一言で自分の人生を女子高生に委ねたこの男のことも。何一つ、アタシは分からないのだ。
 こうしてチカは、アタシの付き人になった。
 可哀想なチカ。
 こうしてファミレスでのだらけ話にも付き合わされている。

「高一の夏休み、お嬢は何する予定なんすか」
「その呼び方マジでやめろって」
「……お嬢の名前、ちょっと呼びにくいんですよね」
「それはアレか?発音がってこと?しょーがないでしょう、名付け親のお母さんに言ってよ」
「いや発音というか……。まあ確かに発音も言いにくいけど」
「なら愛称でええやないか!」
「…………その愛称も色々と偶然すぎて……」

 なんだこいつ。めちゃくちゃ面倒臭いやつだな。
 チカは時々こういうところがある。
 本人曰く「偶然って怖い」らしいのだが、詳しいことを教えてくれないので、どこがどう怖いのか謎のままでこのくだりが終わる。
 たぶん色々あったチカの人生のどこかで、アタシに絡んだ偶然とやらがあるのだろうが、興味も無いので特に言及はしない。

「夏休みの予定は特にないよ。バイトもお父さんは許してくれなかったし」
「ほんっとーに怠惰な夏休みになりまっせ……」
「いいのよ別に。チカもアタシと一緒にいても退屈だよ、きっと」

 さりげなく、どこかに行ってくれという意味を込めてみる。たぶん通じていない。

「俺は親父に言われてるんで」
「過保護すぎるよ」

 こちらが呆れてしまう。はぁと肩を落とすと、ファミレスに数人の男子が入って来た。私服だけれど、見たことのある顔。同じ高校の男子たちだ。
 チカと一緒にいる所を見られるのは嫌だ。アタシは余っているポテトを口に押し込んで、チカに出るよう合図する。そこらはチカも弁えているのか、小さく頷き伝票を持った。

Re: 彼が愛した吸血鬼 ( No.44 )
日時: 2024/08/24 23:28
名前: ネイビー (ID: QEDC6Aof)


 ファミレスを出るときに、男子たちの視線を感じたけれど無視した。慣れている。好奇の目にも根拠のない噂話にも。自分がこういう家に産まれなければと思うこともあったけれど、「人間はこんなものなんだな」という諦めみたいなものがあったので、すぐに受け入れられた。性格が捻くれているのかも知れない。お姉ちゃんに拒まれ、友達からも距離を置かれたら、色々と捻じ曲がるのだ。

「お嬢、車を呼びますよ」
「呼ばなくていいって!このまま歩いて帰る」

 ファミレスから出てすぐに携帯を出すチカに、ほんの少しうんざりする。

「いやいや……この時間でも暑いですって。俺は嫌だ」
「アンタが車で帰りたいだけでしょうが。あとお嬢って呼び方をやめろと何回言ったら分かるの」
「勘弁してって。歩いて帰ったらまあまあ時間かかるし。俺が親父に殺される」
「困った時に敬語が外れる癖もなんとかしなよ!」
「もーう、じゃあ困らせんでくださいよ」

 チカがアタシの腕を掴む。振り解けないので、そのまま歩いた。
 一回り年上のチカを振り回すことが楽しいわけではない。ちょっとだけ、反抗したいのだ。本当に、ちょっとだけ。
 家柄も生き方もアタシには重たくて、足枷のようなものだ。諦めて受け入れてやるから、ほんの少しアタシにも反抗の自由が欲しい。それを許してくれるのも、この男ぐらいだろうし。

「チカも付いて来たらいいじゃん。アタシの護衛なんでしょう」
「俺もうアラサーなんだけど。歩きたくねぇんだけど」
「30分ぐらいだし、余裕でしょうが」
「お嬢、ほんっとうに俺も怒る時は怒る……」

 なんだ?
 急に立ち止まるので、それに倣う。
 チカはある一点を凝視していた。
 通行人が、歩道の真ん中で立ち止まるアタシたちを迷惑そうに避けて行く。
 チカが見ている方を見る。
 大きい交差点に架かる歩道橋。すぐ近くのパチンコ屋から漏れる光で、そこだけ明るい。
 初め歩道橋に何かあるのかと思い、アタシも目を凝らした。特に何の変哲もない歩道橋だ。人がこちらへ降りて来ている。あまりジロジロ見るのも悪い。

「シズ」

 チカがいきなり、アタシを愛称で呼ぶ。
 驚いてチカを見たが、アタシ以上に彼は目を丸くさせていた。

「なに?どうしたの」

 アタシの問いかけに答えない。
 歩道橋を降りて来ていた人物が、アタシとチカの前で立ち止まる。知った顔なのかチカは食い入るようにその人物を見ていた。

「久しぶりすぎるよな、チカ」

 アタシと同い年ぐらいの男の子が、気軽にチカに話しかける。チカにこんな年下の知り合いがいるとは意外だった。
 シズと呼ばれたそいつは、声こそ低い男子の声だったけれど、顔は一瞬性別の判断がつかないほど女顔だった。
 チカがすごく驚いているのに対して、そいつは落ち着いた様子で余裕からくるのか笑みさえ浮かべていた。
 
「なんで、お前……、どこに……」
「色々あってさ。久々にこの街に帰ったから、お前に会いに来た」

 すぐに戻るけど。
 そいつはそう付け足す。
 知り合いなのか訊こうと思ったけれど、なんとなくこの目の前のシズというやつが只者ではない気がして、視線を逸らす。もしこいつが他の暴力団の人間だとしたら、アタシの立ち振る舞い一つで抗争に発展するかも知れないのだ。ここは存在感を薄くして、こいつが離れるのを待ったほうがいい。もちろん、アタシが葉山組の人間だということも知られない方がいい。

「老けたなーチカ。でもすぐわかった」

 アタシの心配を他所に、そいつは親そうにチカに話しかける。
 チカは何をそんなに驚いているのか、まともに返事すら出来ていない。まるで亡霊に会っているかのようだ。

「僕たち、しばらくここにいるんだ。あまり長居は出来ないけど。懐かしいな。……良い思い出はそれほど無いけど」

 そいつは淡々と、けれど優しい口調で続ける。
 僕たち、ということは他にも知り合いが来ているのか。その言葉にチカはますます目を見開く。

「そろそろ行かないと。会えて良かった」

 最後まで笑顔を崩さず、軽く手を振って、瞬きをした瞬間そいつは目の前から姿を消した。

「えっ、消えた!?消えたんだけど!?」

 驚きがそのまま口から出る。辺りを見回しても、その姿はどこにも無い。
 消えたことに対して慌てるアタシを他所に、チカは呆然と突っ立っていて、こちらの声なんて聞こえていないようだった。

「………お嬢」
「な、なんですか」

 慌てすぎて敬語になってしまう。

「やっぱり、車で帰ろうか」
「………はい」

Re: 彼が愛した吸血鬼 ( No.45 )
日時: 2025/05/26 14:12
名前: ネイビー (ID: y9ujqjvC)

迎えにきた車に乗って家路に着いた。
 チカはひどく疲れたような顔をして、ほとんど何も喋らずにアタシと別れた。明らかに先ほどの亡霊くん(瞬きをした瞬間に消えたのでもしかしたら幽霊なんじゃないか)との再会を引きずっていた。チカの交友関係にあまり興味は無いけれど、亡霊くんはシズと呼ばれていたことははっきりこの耳で聞いた。
 シズ。
 アタシの愛称でもある。
 今までアタシのことを名前で呼ぶのを躊躇っていたのは、あいつのせいなのかもしれない。あの亡霊くんがチカにとってどんな存在かは知ったこっちゃ無いけれど、記憶の壁をガリガリ掻きむしりたいほど気持ちが落ち着かなくなる。それぐらい、気味が悪かった。
 忘れようと風呂に入る。汗を流せばさっぱりするだろう。明日は終業式で、それさえ乗り越えれば1ヶ月ほどあいつらとは会わなくて済む。名前も曖昧なクラスメイトたち。
 楽しいことだらけじゃーん。
 パジャマに着替えて髪を乾かし、あらかじめクーラーをつけておいた涼しい自室にスキップで向かう。
 寝てしまおう。ベッドに潜り込んで、まだ寝るには全然早い時間だけれど、とっとと今日を切り捨てよう。
 電気を消して、明日の朝のアラームをセットする。いつもならそのままダラダラと動画を見ちゃうけど、今日はやめておく。
 早く寝ないと。早く、早く、早く……



 そう思うと眠れないっていうのは本当だったのか。
 ガッチガチに開いた眼光は、先ほどから天井と白壁を往復している。
 何十回とついた寝返りに嫌気がさして、スマホで時間を確認する。
 深夜1時を回っているのだが、アタシはまだ目が爛々だった。人間、寝ようと思えば思うほど眠ることができないものだ。平常なら無音なはずのこの部屋も、感覚が冴えている今なら、いろんな音が聞こえる。稼働するクーラーの音、時計の秒針、外からの車のパッシング。
 あと6時間半後には家を出なきゃいけないのか、と考えると面倒くさい。終業式だけの為の登校。
 なんだか憂鬱になってきたので、そろりと部屋から抜け出る。
 長い廊下をぺたぺた歩いて、縁側へ向かう。本邸と呼ばれるこの日本家屋はアタシが産まれる前にリノベーションしたらしく、外観や間取りは古い昔の家という感じなのだが、内装や置かれている家具やキッチン、風呂などは今風の新しいものになっている。
 アタシの母の強い希望だったらしい。
 こういうセンチメンタルな時に自分の家を見ると…………お姉ちゃんが住んでいた時とは大きく異なったであろう家を見ると、たまらない気持ちになる。自分の場所を奪われていくような。そんなお姉ちゃんの気持ちが、この本邸を通して伝わってくるようで。

 この時間なら起きているだろうと、縁側へ足を運ぶ。やっぱりチカは起きていた。
 縁側に座って、ぼうっと庭の方を眺めている。何か物思いに耽っているのか、頭を空っぽにさせたいのか。
 アタシに気づくと少し表情を引き締めたように見えた。色々と手遅れだが。

「暑くないの?」

 アタシの問いかけに「確かに暑いですわ」と、わけのわからん答えを返してきた。ジージーと姿の見えない虫の鳴き声は、遠くからの街の鮮やかで不潔な音さえかき消してくれる。こんなに細い音なのに。

「眠れないんです?」
「そうだね。終業式が嫌すぎて」
「しばらく夏休みじゃないですか」
「始まったら終わっちゃうでしょ」

 チカの隣に座る。
 すごく触れられる距離にいるのに、ものすごく遠く感じる。

「詩的だなぁ」
「バカにしてんの?」
「してません。お嬢のことを、バカだなんて思ったことない」
「もうシズって呼んでくれないんだ」

 チカを試すように言う。
 一度もチカはアタシを愛称でも本名でも呼んでくれないし、頑なにアタシが嫌いな「お嬢」の呼び方をする。それは一種のけじめなのだろうと思っていたけれど、さっきの亡霊くんと会って、チカの中で「シズ」は特別な名前なのだと確信した。
 チカは困ったように眉を下げる。

「勘弁してくださいよ。さっき話しかけてきたやつのことは……忘れてほしい」
「アタシに隠し事?アタシに命を賭けると約束したのに」
「いや卑怯……。お嬢には関係ないことだから」
「関係がない?」

 それはおかしい話だ。
 アンタはお父さんがアタシにくれた、アタシだけの男なのに。

「勘違いしないでよチカ。アタシはアンタにお願いしてるわけじゃない。遠回しに聞いて分からないのなら、直接言ってあげる。……あいつは誰なの。やけに顔を見て驚いていたけれど。昔のお友達にしては……年も離れていた」

 チカの目が泳ぐ。詰められるとこんなに動揺するのか。よほどあの亡霊くんが特別な存在なんだろう。
 長く沈黙が続く。これ以上は口を割らないか。
 諦めて寝に戻ろうかなと思ったときだった。

「お嬢は智恵理さんが居なくなった時、どう感じました?」

 チカの口から、お姉ちゃんの名が出るとは思わなかった。今度はアタシが動きを止める。何が言いたいと、目線で問いかける。

「怒らんでください。シンプルに聞いているだけです」
「……チカはお姉ちゃんに会ったことないでしょう」
「うーん、まあ………軽く顔は合わせたぐらいですかね。あまり覚えてなくて」
「そうだろうね。じゃあ関わりも薄いお姉ちゃんのことを興味本位で聞いてるわけではないよね」
「智恵理さんのことは別に興味は無くて……。突然、自分の知っている人間が消えたらどう思うか、お嬢の気持ちに興味がありますね。しかも、消えてから発見されずに何年も経っている」

 生きていても、そうじゃなくても、お姉ちゃんは未だ行方不明のままだ。

「……帰りを待つことはもうしなくなった」

 お姉ちゃんから見てアタシは、きっと疎ましい存在だったはずだ。
 アタシは仲良くなりたかったけれど。

「アタシのことが嫌いでも、お姉ちゃんは家族だから。こんな家でしょう。いつどんな事件に巻き込まれてもおかしくない。最悪を考えたけど、アタシはそれでもお姉ちゃんが帰るのを待っていたよ」
「いつから、待つことをやめたんです?」
「いつだろうね。覚えていない。待つと期待しちゃうでしょう。明日こそ、明後日こそ、来月、来年には見つかるかもしれない……。お父さんとお母さんは早々と諦めていたけど、アタシはお姉ちゃんをいつもどこかで探してた。受け入れたくなかったんだよね。遺体も見つからないなんて、神隠しにあったみたいじゃん。……でも、期待はずっと裏切られて、こんな家だから変な事件に巻き込まれたんだって噂も出てきた。なんなら当時、小さい子が立て続けに殺される事件もあって、お姉ちゃんが消えたのと同時にその事件も無くなって、ますます変な噂がたったから」

 その事件は、お姉ちゃんの失踪とほぼ同時期にあった連続幼児殺人事件のことだ。この事件の犯人も見つかっていない。お姉ちゃんが失踪してからピタリと殺人が止んで、そのせいで余計に妙な憶測が飛び交っていた。

「消えたお姉ちゃんは悪くないけど、なんでいないのって、責めたかったかも。仲が良くはなかったけど、アタシをちゃんとアタシとして見ているのは、お姉ちゃんしかいなかったと思うし」

 部屋を覗いた時に、アタシの気配を感じて振り返って、目が合った時のあの憎々しい眼差し。どんな感情を向けられたとしても、アタシは構わなかった。
 アタシという人間をきちんと認識している。それが分かるだけで安心したから。

「喪失感もあるけど、それ以上に自分自身がブレそうな気持ちもあったかも。お姉ちゃんがアタシを嫌って、意識するたびに、アタシがここにいるってことを証明してくれたような……。ちょっと歪んでるっしょ」
「……だいぶ歪んでますよお嬢」

 聞いておいて、チカは呆れたように目を細める。

「さっきの亡霊くんは、チカにとって、『消えてしまった誰か』だったの?」

Re: 彼が愛した吸血鬼 ( No.46 )
日時: 2025/10/16 19:52
名前: ネイビー (ID: ofdoxow7)


 亡霊くん?と、可笑しいのかチカが口元を緩める。
 アタシは「色んな意味で亡霊っぽいから」と答えた。瞬きをした瞬間に消えるなんて、いかにも亡霊っぼいじゃない。それに彼を見た時のチカの、顔色の変えよう。今まで一緒にいて見たことのない表情だった。そんな顔をさせるなんて、お化けを見た時ぐらいじゃないか。

「アタシをお嬢って呼ぶのも、あの亡霊と重ねてた?」
「いや、正直に言うと呼びにくかったってのもあるんですよ……。重ねていたとかじゃなくて、単純に」
「シズ、っていうんだね。あの亡霊くんは」
「やめてくださいって。亡霊呼びは縁起でもない」
「なら教えて。アタシに隠し事をしないで。もうアタシに、『大人は誰も信用できない』と、幻滅させないで」

 ほんの少し強い口調で伝えると、チカは肩を落とす。諦めたように短く息を吐いた。

「………俺の、友人です」

 友人。
 チカにそんな人がいるのか。
 アタシにも居ないのに。

「『消えてしまった誰か』……俺にとってはそうじゃないけど、シズにとって俺はそうだと思ってた。なんかやばいことに色々と巻き込まれてるんだろうなとは思ってた。けど何も言わないし、俺もどこかで、こいつらなら何に巻き込まれても死なねぇかって甘んじてた。その結果、俺は何も知らないままで、シズはいなくなってた。
 だから、さっきみたいにああやって、もう一度俺の前に姿を見せてくれるなんて、思っちゃいなかったんです」

 この男は本当にチカなんだろうか。
 いつも父のそばで淡々と仕事をこなしている男とは思えない。
 「友達ってのは大事でしょう」
 ファミレスでチカにそう言われた。あれは自身の経験談から言ったのか。チカは亡霊くんを大事にできなかったと後悔している。それがはっきり伝わってくる。

「……アタシに気にせず、二人でもっと話したらよかったのに」
「気づいたら居なくなってたでしょう。そういうことなんすよ。生きていると知れただけでいい」
「もっと話したいことや訊きたいことがあったんでしょ」
「無いですよ。俺から話すことも、訊ねることも、何も無い。許されない気すらします」
「……それが、チカの存在証明?」

 その瞳が、驚きと確信で揺れる。
 アタシを真っ直ぐに捉えて、大きく瞳孔が拡がる。

「シズに許されないと思うことが、チカが今いるという証明なんだね」

 お姉ちゃんが抱く嫌悪感が、アタシを証明してくれたように。シズという亡霊に許しを乞わないことが、チカの真髄に染み込んで、彼を証明してくれている。

「めっちゃ腑に落ちた、お嬢」
「敬語忘れてるっちゅうの」
「ありがとうございます、静玖さん」

 不意に名前を呼ばれる。
 初めて呼ばれたかもしれない。衝撃が大きい。口をぱくぱくしていると、ふはっとチカが笑う。

「面白い顔ですね」



 それから。
 それから、アタシは自分の部屋に帰って、すっと寝ついたと思う。眠気がピークに達して瞼が重く、それを開こうとする抵抗が無かったからかもしれない。なんだか深く眠ることができたし、朝もアラーム一発で起きられた。朝食を摂らない習慣だったけど、この日は不思議とパンを食べた。
 制服に袖を通し、身支度を済ませて、玄関の扉を開ける。
 当たり前のように、パリッとしたシャツを着たチカが立っていた。

「おはようございます、お嬢」
「……お嬢って言うのやめてよ」

 終業式まで、あと1時間半。
 目立つから送りは要らないとあれほど言ったのに、「終業式のためにチャリを漕いで汗だくになるなんて物好きですよ」と揶揄われたので諦めた。
 チカが今日は運転するというので、車に乗り込む。
 これでは早く学校に着いてしまう。なんで最終日に張り切り登校なんだ。

「明日から夏休みですね」
「そうねー。お父さんに内緒でバイトしようかな」
「はっは!俺が殺されるのでやめてくださいね」

 お互いに夜話したことには触れず、ぼーっと田舎道に目をやる。
 早い時間なので道が空いている。これ学校開いてるのかな。

「チカ、たぶんすごく早く着く。もっと遅めに行って」
「確かにめっちゃ時間ありますよね」
「コンビニ寄ろうよ。なんか飲み物欲しくなった」
「えぇ?!コンビニですか?通り過ぎちゃいましたよ。他のコンビニって言ったら、もうあそこぐらいしかないですけど」
「ああ」

 チカの言うコンビニがどこを指すのか、すぐに分かった。
 団地の近くにあるコンビニだ。うちの構成員の御厩樹が何者かによって殺されたという団体。
 名前は確か……木叢団地。
 もともと治安がよろしくないとして、地域中から白い目で見られている。そのうえで実際にそんな殺人事件が起きてしまったのだから、余計に立ち入る人は少なくなっただろう。

「いいんですか、お嬢。俺はおすすめしませんけど」
「いいのよ。べつにアタシは関係無いし。うちの若いのがド派手に消えたってだけでしょう」
「俺は嫌だなぁ。同じ巣のやつが喰われたところなんか」
「気持ちはわかるけどねー。でもこのまま学校に行ったって、絶対に一番乗りじゃん。アタシは目立つことが嫌いなんでね」
「はいはい。じゃあ行き先ちょっと変更しますねー」

 チカの運転でコンビニに着く。駐車場に停めて一緒に降りようとするので、慌てて制した。

「そんなに着いてこなくていいっつの!誰かに見られたらどうすんのよ」
「高校生は誰も来ませんよ。こんな所のコンビニなんか」
「わかんないでしょ!?他の人に見られたくないから、車の中から見てて。つーか見なくてもいいわ。すぐ戻るし」

 こういう時ちょっとイライラしてしまう。女子高生が父親でもないスーツ姿の男と二人でいる……それを見られたら面倒臭いというのが何故分からないのか。
 コンビニに入り、一直線にペットボトル飲料の方へ行く。さーっと上から下へ商品を見て、次に視線をパック飲料の方へ移した時だった。

「記憶ってDNAによって受け継がれるらしいんだけどさ」

 突然、後ろから声がした。
 話しかけられた?と思い、振り返る。
 酒とスナック菓子のコーナーの間に、男がひとり立っていた。見た目は20代後半から30代前半。整った顔立ちをしているのが、横顔からでも分かる。
 コンビニに入った時に、この男がいたかどうか気付かなかった。

「ネズミを使った実験があるんだよ。ある匂いに対して恐怖を感じる経験をした親ネズミ。その子どものネズミが、生まれてすぐにもかかわらず、同じ匂いを怖がったんだって」
「……?」

 アタシに言ってる?
 他に客はいない。
 男の目線は酒の方を見ているので、相槌を打てばいいのか、無視すればいいのか迷う。

「遺伝子が経験まで記憶しているって……オカルトだよね」

 そこで初めて、男がこちらを見る。異様な気配。
 ほんの少し、昨夜会った亡霊くんと雰囲気が似ていた。
 返事をしてはいけないと判断して、何も買わずにコンビニから出ることにする。
 入り口に近い雑誌コーナーへ進み、外に停めてあるチカの車を目視する。外国人の店員が一人、商品の品出しをしている横を通り過ぎる。
 上手く言えないけど、あの男は危険な感じがした。あの亡霊くんよりずっと。
 背後から気配が近づいてくる。
 捕まる、と思った瞬間に手を掴まれた。反射的に振り払おうとするけれど、すごい力でびくともしない。アタシは、男を睨みつけた。睨みつけることしかできない。

「……場所を変えましょう」

 男にそう提案する。
 彼は、怪訝そうにこちらを伺う外国人店員を面倒くさそうに見て、アタシに逃げる意思が無いことを悟ると、簡単に手を離した。


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