複雑・ファジー小説

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彼が愛した吸血鬼
日時: 2023/03/11 07:48
名前: ネイビー (ID: VYLquixn)

◎春だからかいくらでも寝れてしまうネイビー。
◎暇さえあれば何か食ってる。
◎楽しく書いていこう。春らしいの書きたい(大ウソ)

Re: 彼が愛した吸血鬼 ( No.37 )
日時: 2024/06/16 13:29
名前: ネイビー (ID: QEDC6Aof)


 木叢団地付近を彷徨いている樹さんは、僕の姿が目に入ると片手を上げてあいさつしてきた。大学の帰りなのか、有名なスポーツブランドのリュックを背負っている。黒縁メガネから覗く目元は、相変わらず柔和で優しそうだ。
 僕もぺこりとお辞儀をして、「ずっと何してるんですか?」と訊ねる。

「あれ?見られてたか!」
「コンビニにいたので。今日シフト入ってますっけ」
「そうそう。雨村はテスト期間中だから入らんのか」
「今日と明日だけですね。明後日はイレギュラーでシフト入れてもらってますけど」

 テスト期間だからという理由でバイトを入れなかったけど、自分の周りでテストどころじゃないことが起こりすぎて勉強に全然手がつけません、とは言えない。

「大学生もテストありますよね」
「あるある。けどレポート提出とかで単位出してくれるやついるから」
「へえ……」

 ダサいかもしれないけど、レポート提出とか単位とか、響きが大学生っぽい。僕はもしかしなくても大学までの学費は親戚は工面できなそうなので、進学の道は閉ざされつつあるんだけれど(高1でその道が閉ざされているって物凄く格差社会を感じているんだけれど)、話を聞いているとキャンバスライフの煌びやかさに羨望の眼差しを向けざるを得ない。

「ていうか、えーと、樹さんは何してるんですか?」

 話を戻す。
 樹さんは首の後ろを掻きながら、困ったように辺りを見渡した。

「いや、前も言ったけどさ。この辺りだと思うんよ。落とし物してさ」
「言ってましたね。僕も探しましょうか。何を落としたのかわからないけど」
「落としたのかも正直わからんくてさ」

 話の全貌がわからない。
 僕の怪訝な表情を見て、樹さんが吹き出す。

「悪い悪い。含み持たせるだけ持たせて、けっきょく何を探してんのか教えねぇのって意地悪いよな」
「そうですよ。探してる物が分からなかったら、僕も手伝えませんし」
「俺も確信が持てなくてさ。本当にここに落としたのかどうか」
「そんなものじゃないですか?全部覚えているわけじゃないし、記憶なんて時間が経てば曖昧になるものだし。心当たりを当たるしかないんじゃないですか」

 なんだか僕自身のことを言っているみたいだ。自分で話していて恥ずかしい。棚に上げてすみません。僕自身、僕のことが曖昧なんです。
 内心そんなことを考えていると、視界の端で人影が見えた。団地の奥まったところにある階段から、夕紀が現れた。

「うお、シズか」

 向こうが驚いた顔をした後、樹さんを見てぺこっと頭を下げる。
 先ほどお互い無言で団地に帰ったので、少し気まずい。樹さんがいて良かった。

「どこ行くの」
「晩飯買いにコンビニ行こうと思ってた。シズは?」
「さっきまでチカといた」
「マジで?誘えや」

 軽口を叩く夕紀の口調はいつもと変わらない。僕だけが気まずさを感じているのか。あんなことがあったのに、相変わらず夕紀は夕紀のままだ。その神経の図太さを分けてもらいたい。

「心当たりが来てくれたわ」

 僕の隣で、樹さんがそう呟いたのが聞こえた。
 理解が追いつく前に、樹さんは停めてあるバイクから離れ夕紀に近づく。
 いつのまにだろう。
 右手に、光る物が見えた。

「あ?」

 夕紀が変な声を出す。
 僕の視界が、夕紀の腹部を刺すナイフを捉えた。
 じわじわと夕紀の制服を赤く染める。アスファルトの地面が、汚く濁った桜の花びらと夕紀の血で更に地獄のような色になる。

「首元に絆創膏貼ってあるから、そうかなと思ってたんだ」

 樹さんの低い声。
 うずくまる夕紀は自分の身に何が起きたのか分からない様子で、手の平にべっとりと付いた血を眺めていた。

「一か八かだったんだよな。気配を辿ってここまで来たけど、匂いが無いもんだから。また誰かに寄生してると思ってさ」

 淡々と樹さんがそう言い、腰を落として夕紀と目線を合わせる。

「騒ぐなよ。もう血も止まっているはずだから。なんなら傷も塞がってんじゃねえか?」

 夕紀はハッとしたように制服を捲る。
 確かに刺されたはずなのに、傷がどこにもなかった。樹さんが口角を上げる。

「やぁっぱり。主人のことは生かさなきゃならねえからな」
「お前………何やってんの」
「用があるのはお前じゃない。聞こえてるだろう。出てこいや」

 その呼びかけに応えるように、夕紀の影が有得ないほど伸びていく。
 その影の中から白い腕が見えて、次にぬうっと小夜が現れた。小夜は樹さんを見て眉をしかめる。
 夕紀は咄嗟に、陽の光から小夜を守るように彼女の体を自身で覆う。
 それが気に入らなかったのか、樹さんから舌打ちが聞こえた。

「離れろよ。クソガキ」

 今までの柔和な樹さんからは想像のできない、憎悪に溢れた声。

「彼女は、俺が愛した吸血鬼だ」

Re: 彼が愛した吸血鬼 ( No.38 )
日時: 2024/06/18 08:04
名前: ネイビー (ID: QEDC6Aof)

「彼女は、俺が愛した吸血鬼だ」

 そう言い、樹さんはエグい角度から、身を屈めている夕紀の腹部に蹴りを喰らわせる。小夜を庇うようにしていた夕紀の体は、バランスを崩して壊れた玩具のように倒れ込んだ。
 喉が裂けるのではないかと思うほど、夕紀が激しく咳き込む。僕は咄嗟に夕紀に駆け寄って、肩を貸そうとした。けれどそれを片手で制し、夕紀が小夜の方を指差す。
 小夜を日差しから守らなければ。
 そう思い、小夜に覆い被さる。

「おおー、雨村。出しゃばってくるじゃん」

 樹さんが揶揄うような口調で話しかけてきた。

「いや、ごめん。ちょっと頭が追いつかないんですけど。説明してほしいんですけど」
「まあそうよな。俺はお前がどこまで分かってんのか知らねえんだ。でも、その感じを見ると……そいつが人間じゃ無えってことは知ってるみたいだな。……とりあえずそこどきな。俺はその丸まってる吸血鬼に用があんだから」
「あんた、夕紀を刺してるんだぞ?!」

 正気なのか疑わしい。
 樹さんは「あ?」と片眉を上げ、虫ケラを見るように夕紀に視線を送る。

「刺したけど、傷口が塞がってるっつってんだろうが。お前は何を聞いてたんだよ。血が!止まるんだよ!提供者を死なせるわけにいかねぇからなぁ!」

 なんなんだ、この男は。一体誰なんだ。僕の知っている樹さんじゃない。
 人が変わったとしか思えない口調。これが素だったのだとしたら、今までの彼は演技だったのか。というか、小夜の正体を知っているということは、二人は知り合いなのか。さっき愛していると言っていた………。

「樹さんは、血の提供者だったんですか……?夕紀の前の、小夜と契約していた人間だったんですか……?」

 樹さんが深く頷く。
 僕の下で、小夜は項垂れたままだ。

「相思相愛。俺と小夜は運命共同体ってわけ。小夜が居なくなって本当に俺は心配した!!!小夜の気配、匂い、足取りを必死で追ってきたんだわ。ここらで血の匂いが消えたのが分かって、どっかのクソに拾われたと分かった時は気がおかしくなりそうだった……」

 小夜の言葉を思い出す。
 
---吸血鬼という尊厳を失いかけていた私は、あの時人間に勝てなかった。
---きみはあの時の私とよく似ている。痛みに飼い慣らされていて、雛鳥のように弱々しいままだ。

 虐げられ、嬲られ、200年も生きた吸血鬼が命からがら逃げ出した。力尽きるところに夕紀が偶然出会し、彼女を拾った。

「夕紀が………小夜を助けたんだ。あんたが痛めつけてたんだろう?!小夜はあんたから逃げ出したんだ!」
「バッカじゃねえの?俺は小夜のことを一番愛してんだってば!ていうか、俺には小夜しかいねえの!それをこんなクソガキがたぶらかしたか知らねえけど、血の提供しやがって濁るだろうが死ねこのクソが」

 樹さんが思い切り夕紀の左肩を上から踏みつける。
 呻き声を上げながら屈む夕紀を見ていられなくて、僕はとにかく大声を上げた。

「あんたがクソだろうが!あんたは!小夜をどんな風に扱っていたよ!監禁して痛ぶっていたんじゃないのか!彼女の自由を奪って、虐げていたんじゃないのか!」

 樹さんは動きを止め、ゆらりと僕の方を見る。

「……俺だって悲しかったんだぜ?カシラには逆らえなかった。吸血鬼は人間を喰らえるだろう?跡形もなく……証拠も残さず……組織がらみやポン中やら色々と消えて欲しいやつはいたからなァ……」
「あんた……小夜に、殺人をさせていたのか?」

 不気味に口角を上げる。その表情は皇帝と言ってもいいだろう。
 なんてやつだ。小夜は人間を喰らうことが苦痛になって、血の提供という契約を交わすことにしていたはずだ。それなのに、捕食の目的どころか人を殺す目的でその本能を利用するなんて、苦痛以外の何ものでもない。

「俺はさぁ、雨村ァ……。大学生でも何でも無ぇんよ。童顔なだけで本当は30を越えてるし、背中にはバキバキの毘沙門天を背負ってる。あのコンビニにバイトしてたのも、この辺りで消えた小夜の手がかりを探していただけだ。頭には死んでも吸血鬼を連れて帰れって言われてるしなァ」
「また小夜に殺人をさせるのか」
「俺らはカタギじゃ無いんでね」

 樹さんは右手に刃物を持ったまま、こちらに近づいてくる。
 表情がいつもの柔和な樹さんのものになり、

「さあ小夜。一緒に帰ろうな!」

 砕けた口調で話しかけ、手を伸ばしてくる。
 僕は迷っていた。このまま小夜を引き渡したら、彼女は間違いなくまた殺人を担うことになる。でも、ここで抵抗したら……僕も夕紀もどうなるかわからない。刃物を持っているんだぞ。殺されるかもしれない。
 小夜に回してる腕に力が入る。
 僕の緊張と焦りが伝わったのか、

「シズ、離してほしい」

 小夜が小さく口を開いた。

Re: 彼が愛した吸血鬼 ( No.39 )
日時: 2024/07/07 00:09
名前: ネイビー (ID: QEDC6Aof)


 僕の腕に手を添えて、小夜はゆっくり起き上がった。
 夕方とはいえ日差しはまだある。日に当たれば焼けてしまうかもしれない。焦りから、僕を制する小夜の手を力強く握り返した。本当に、力強く。
 でも小夜は困ったように笑い、その視線が、地面に疼くまる夕紀に注がれる。

「すまなかった。きみたち子どもを巻き込んだこと、心から謝ろう」
「小夜、待って……」
「彼が言ったように、私は餌としての人間への吸血行為を拒んでいたが、人間の殺害に身を落としたのは事実だから」
「それは脅されていたからで、」
「それが愛だと誤認していたんだよ。孤独は毒だね。私は……卑怯者だ。逃げたくせに、顔を見ただけで揺らいでしまっているのだから」

 なんだそれ。
 まるで夕紀は当て馬じゃないか。
 離れている時も小夜を思って、気配を辿ってここまで探し詰めて来たなんて、どうかしている。小夜も小夜だ。吸血鬼というぐらいならもっと鬼らしく、堂々としていればいいのに。今の小夜は夕紀を守れない。守るどころか樹さんに寝返りかねない。

「小夜、良い子だな。俺は少しお前にキツく当たってしまったかもしれない……。ごめんな?さあ仲直りしよう。提供者とはここで契約を終わらせて、また俺に憑いてくれ。俺だけの吸血鬼になってくれ」

 樹さんは小夜にゆっくり片手を差し出す。
 だめだ、行くな。
 行かないでくれ。

「小夜、一緒に帰ろう」

 樹さんの手に応えるように、小夜もまた手を伸ばす。
 どう止めれば良い。
 どうすることもできない。
 小夜が樹さんのところに行けば、また人殺しを強要されるだろう。それに夕紀はさっき、樹さんに腹を刺されたのだ。今は小夜の力で血を止めているけれど、小夜の提供者でなくなったら、その傷もどうなるかわからない。
 というか、小夜の存在を知ってしまっている時点で、樹さんが僕ら二人を生きたままにするとは思えない。

「シズ、離してくれないか」

 小夜は自分の腕に添えられている僕の手を、上から強く握った。潰されるかと思うほどの力に、手を離さざるをえない。

「夕紀、ありがとう」

 小夜は、自身を見上げる夕紀に礼を言う。夕紀は何かを諦めたように、小夜を見つめ返すだけだった。何も言わない気か。このまま、何も言わずに小夜を渡すつもりなのか。
 僕から離れ、小夜は陽の光の元に身を曝け出す。
 樹さんはナイフを畳んで服の内ポケットにしまい込んだ。代わりにバイクに置いていたリュックから折り畳みの日傘を取り出し、開いて小夜に近づく。

「小夜。早くこっちへ入りなよ。焼けてしまうだろ?」
「ああ、そうだね。皮膚が既に熱いよ」

 素直に小夜もその傘に入ろうとする。
 その、一歩目が出たとき。

「なんてね、ばーか」

 樹さんの日傘が、手ごと、落ちた。
 手首から先はきちんと日傘を持ったまま、ごとんっと無機物のようにそこにある。先端をなくした腕から血を流し、樹さんは痛みより先に疑問があるらしく、

「え、え、えー?なんでぇ?」

と首を傾げたあと、地面に転がっている自身の手首を見て、「え、え、えっえっえっええぇぇえええっ?バァァァァーー、、、ららっっっえてててててっ!!!!!!」意味不明な言葉の羅列を紡ぎながら、今度は樹さんが身を屈めた。
 小夜は、落ちている手首の指を丁寧に伸ばして、日傘を取った。
 のたうち回る樹さんは「俺の、俺の、てくびぃぃぃつっっつて!!!!!」と、手首をもう片方の手で掴み、切断面にくっつけようとしている。

「殺気を隠すというのは……本当に大変だったな。なぁ?夕紀」

 小夜は薄ら笑いを浮かべ、夕紀に話をふる。
 よろよろと立ち上がり、制服についた砂埃を手のひらで払い除けながら、夕紀は足元に唾を吐いた。

「こんなに痛い思いするとは思わんかったわー」
「その程度で終わったのだから、良かっただろう。私は最悪、指の一本や二本は欠けるなと思っていたけれどね。まあ、どんな状態になっても私はきみを絶対に死なせないのだけれど」

 二人の雰囲気についていけず、僕は目の前で起きている地獄をただ見つめるしかできない。

「さよ、さっ、さよ!てめぇっ、俺の手なに切り落としてんだゴラッ!まじ犯すぞてめぇっ」

 額に油汗をかき、唾液を口の横から垂らしながら、樹さんが吠える。
 涼しい表情で小夜は一瞥する。

「不様だな、樹。私がきみの元に戻ると、本気でそう思っていたのか?」

 怒りと不快感が混ざった口調。

「俺たちは愛し合っていただろう!?俺の血を飲み、俺と混ざり合い、俺が死ぬまで傍にいると契約しただろうがっ!!!」
「きみは……きみたちが私にしてきたことを、どう思っているんだ」
「生きるためだろうがっ!クソ女!」

 言いながら、樹さんが嘔吐する。
 胃液を垂らして惨めに這いつくばり、樹さんは生にしがみつく。

「あそこしか居場所が無ぇから!!!それだけだろうが!!!蛆虫みてぇな生き方しかできねぇんだから、しょうがねぇだろう!!!」
「そうだとしても、小夜は女の子なんだべ?女の子を泣かせてちゃだめでしょー」

 夕紀の横槍に完全に頭がキれたのか、樹さんがその状態からとは思えないほどの速さで立ち上がり、再び夕紀の胸ぐらを掴もうとする。しかし利き手を失った体は容易に操れず、手首のない腕は夕紀に掠ることもなく、振り下ろされただけだった。

「俺はお前より小夜を大事にするよ」

夕紀はにやっと笑う。

「だから、小夜に殺しはさせない」

 そう言って、今度は夕紀が、樹さんの胸ぐらを掴む。そのまま先ほど樹さんが閉まったナイフを、服の裏側のポケットから無理矢理奪い取った。
 先の行動が予想できたのか、小夜がぽそりと呟く。

「さようなら樹」

Re: 彼が愛した吸血鬼 ( No.40 )
日時: 2024/07/14 23:56
名前: ネイビー (ID: QEDC6Aof)


 夕紀に首を切られた樹さんは、しばらく変な音をさせながら痙攣していた。
 陸に打ち上げられた魚みたいに、口をパクパクさせながら、アスファルトを赤く染めている。
 その痙攣が終わり、完全に事切れてから、小夜は再び黒い影のような塊になり、樹さんの死体を覆うように被さる。メキメキと、葉山さんの時にも聞いた骨の折れる音と、内臓を啜る音。
 夕紀はそれを冷たい表情で見下ろしていた。

「…………夕紀」

 喉奥からやっと出た声は、掠れていて、聞こえたかどうか怪しかった。けど夕紀はすぐにこちらを向く。先ほどよりも穏やかな目元。

「どうしたー?」

 へらりとした態度は相変わらずと言ったところか。

「お前、楽観的すぎにもほどが、あるだろうが」
「……何怒ってんだシズ。向こうも俺のことボコったじゃん」
「せ、正当防衛だって言いたいのか?」

 そうじゃねえけど。
 夕紀が拗ねた子どもみたいに唇を尖らせた。
 僕は、恐ろしい。夕紀が小夜と出会ってから、どんどん、人間性を失っている気がする。吸血鬼に肩入れしているから、少し人間とは離れた存在になっているのかもしれないけれど。
 黒い塊はまだ嫌な音をたてながら、肉塊を貪っていた。
 こんな所から早く居なくなりたい。夕紀をここに居させたくない。その思いが強くなり、気づいた時には夕紀の手をとって走り出していた。
 どうしたんだと夕紀が訊いてくるが、僕は答えなかった。


 木叢団地の南に、寂れた神社がある。
 鳥居を潜るとすぐ八十段の石段が見え、そこを登ると参道が続いている。参道の突き当たりに、天に向かって伸びる大木に囲まれるように拝殿と、後ろに本殿が建つ。
 まあまあ立派な神社だが、ここらの治安の悪さと、僕たちが生まれてすぐの夏祭りの時に派手な喧嘩が傷害事件に発展したとかで、祭り自体が禁止になったらしい。そのおかげで人はあまり立ち寄らなくなった。
 幼い頃、この境内に時々チカと夕紀とで入り込み、石蹴りや蝉採りをしたものだ。

「めっちゃ走って足がガクガクなんだけど」

 夕紀は石段の一番上まで辿り着くと、どかっと腰を下ろし大きく息を吐いた。
 それは僕も同じだ、と睨みつける。夕紀より体力のない僕は、まず鳥居の前に来る時点で息が絶え絶えだった。石段を登る時も夕紀を引っ張るどころか、夕紀に背後から押されるような形で走っていた。

「お前、なんでこんな所に来たんだよ」
「二人きりになりたかったから……待って、吐きそう」
「俺もだよ!さっきあの眼鏡にボッコボコにされたんだぞ!それなのにこんなに走らされて、マジで俺可哀想」
「夕紀ちょっと黙って。息整えてるから」

 肺が痛い。耳鳴りもする。こんなに必死で走ったのは久しぶりだ。
 僕の呼吸を整える間、夕紀は呆れた顔でこちらを見て、「….…俺と二人きりになりたかったん?」と訊いてきた。

「話したいことがたくさんある」
「嫌だなぁ。シズ怒ってるじゃん。俺今から説教されるんでしょう」
「……樹さんは、死んだよ」

 夕紀は表情を変えない。

「ああ、そうだな。……小夜が今喰ってる」
「その前に、夕紀が刺した……お前は人を殺したんだよ?」
「ピンチだったからな。俺だって刺すつもりはなかった」
「……小夜が樹さんを喰うのも、夕紀が命令したの?」
「してねぇよ。小夜はあいつを恨んでた。生きてたらまたストーカーみてぇなことされるって嫌だったんじゃねえの」
「……なんでそんな他人事なの」
「逆にシズは何をそんなに怒ってんだよ」

 怒っている?夕紀には僕が怒っていると見えるのか。
 怒っているよ。
 だって、なんで夕紀が手を汚す必要があったんだ。
 あれは小夜と樹さんの話で、そこに巻き込まれたお前が、なんで人を殺すことまでしちゃったんだよ。

「刺したんだぞ……樹さんを」
「だから、正当防衛で」
「それ本気で言ってんなら僕は今からでも警察に行くぞ!」

 自分でも驚くぐらい大きな声が出た。
 夕紀も目を大きくさせて僕を見ている。

「なにキレてんの……?」
「夕紀はあの吸血鬼に出会ってからおかしくなった。昔から肝座ってるというか、何があってもヘラヘラして動じないやつだったけど、人を殺しても何とも思わない人間じゃなかった」

 楽観的で、事件に自分から無意識に首を突っ込んでいくトラブルメーカー。顔が良くて器も広いから、人垂らしで、木叢団地の人間だけれど僕と違って社会にも溶け込めていた。
 僕の親がどれだけ鬼畜でも。
 傷物の吸血鬼を拾っても。
 古舘夕紀という人間の根本にあるものは、優しさだったと思うから。

「僕は軽蔑しているんだ。葉山智恵理もそうだ。小夜に喰わせるなんてどうかしている。お前がどんどん僕の知らない夕紀になっていくのが本当に怖い。頼むから、小夜との契約を終わらせてくれ!そうでなきゃ……僕は今からでも警察に行って、葉山さんのことも話す!樹さんのことも、」

 話している途中で、夕紀が思い切り僕を押した。
 ぐらっと体の重心が後ろに行き、足を思い切り踏み外す。
 ここ、石段の一番上じゃないか?
 そう気づいたのと同時に、身体中に痛みが走る。視界が、回転、打ち付ける、鈍い音、痛み、
 そして、
 暗転。

Re: 彼が愛した吸血鬼 ( No.41 )
日時: 2024/07/21 21:02
名前: ネイビー (ID: QEDC6Aof)

11

 目を開けると辺りはすでに暗くなっていた。
 鼻腔をくすぐる木の匂いと、頭の鈍痛。上半身を起こすと背中に鋭い痛みが走った。頭の側頭部に触れると、何かが髪の毛に付着して固まっている。血だ、と分かるのに数秒要した。
 そうか、僕は夕紀に突き落とされて気を失ったのか。
 ここはどこだと辺りを見るが、僕がもたれているのは灯籠だ。参道に等間隔に設置されている灯籠。冷たくて無機質な感じが、触れている背中の痛みをより強く主張する。まだあの神社にいるのか。
 けれど一度僕は石段を下まで転がり落ちたはずだ。
 夕紀がここまで運んだということか?……小夜の力を借りれば容易いことかもしれない。
 痛みが強くて立てそうにもないし、人が通る気配も無い。頭に浮かぶのは「どうして」という疑問だけ。
 どうして夕紀は僕を突き落としたんだろう。警察に行くと僕が言ったから、取り乱したとか。……取り乱した夕紀なんて想像がつかないけれど。
 僕を傷つける事はないと安心しきっていたが、夕紀も焦ると人を刺したり傷つけたりできる、普通の人間なんだな……なんて。どこが「普通」なんだよ。
 なんだか眠くなってきた。
 考えるのも疲れる。
 目を閉じたら、次はいつ開くんだろう。生きてたらいつかは脳が覚醒する。起きた時にまた考えたら良い。

※※※

 何かを啜る音が聞こえて目を開けた。
 鼻腔をくすぐる、嗅ぎ慣れたカップラーメンの匂い。
 視界にラーメンを啜る夕紀が映る。ぼーっとそれを眺めていると、夕紀がチラリとこちらを見た。
 目と目が合っているが、お互い何も言わない。夕紀に至ってはズルズルと音を立てながら食べ続けている。麺を食べ終えたのか、次は汁を飲み干し、最後はスポーツ飲料を一気に流し込む。
 コンビニの袋にゴミを入れ、口を結んだあと参道の脇にポイっと捨てた。
 あれからどれぐらい時間が経ったんだろう。夜空には星が瞬いている。そういえば持っていた携帯や財布が無いけれど、どこかに落としたのか。気づくの遅いなぁ。よほど切羽詰まっていたと見える。

「…………家には帰らせてくれよ」

 嫌な予感を早く否定させたくて、そう声をかけた。

「帰らんほうがいいと思うけど」

 夕紀はあっさり答える。

「俺らのこと、殺しにくるからさ」

 言葉が足りなさすぎる。
 ぽかんと口を開いていると、「色々とやべーことに巻き込まれちゃってんだよ」とヘラヘラ夕紀が笑った。

「お前は、俺と一緒に来る?」
「…………」

 質問のようで、尋問のような問いかけ。
 笑っているけれど、眼差しは力があって圧さえ感じる。

「なんで僕を突き落としたわけ」
「うーん……。ちょっとやかましかったから。ごめんなぁ?シズが警察とか言うからさ。ちょっと黙ろうかって意味で落とした」
「……納得しました」
「何で敬語なん。まあいいや。小夜が樹さんを喰ったけど、地面の血溜まりだけは消せねぇからさ。もしかしたら事件になるかもなんだよな。だから、俺は小夜と逃げようと思うんだけど、一緒に来る?」

 愛の逃避行というわけにはいかなさそうだ。
 僕は視線を初めて逸らし、答えを宙ぶらりんにさせたまま空を見上げた。
 樹さんの行方不明届けが出されれば、警察も動くだろう。葉山さんも消えているのだから、関連づけて操作されるかもしれない。証拠は出ない。小夜は吸血鬼なのだ。僕たちが関係あるとは誰も知らないし気づかない。
 ……じゃあ殺しにくるっていうのは、あちらの方か。

「小夜は責任感じて俺から離れようとしたんだけど、ここまで事が大きくなったら、俺一人じゃお前を守りきれないし」
「……暴力団から僕を守ろうとしてんのか」
「あ?知ってたんだ。じゃあ話が早い」 
「僕たちは子どもだから、逃げることなんて無理なんじゃないかな」
「俺たちだけじゃ無理だよ。けど小夜の力を借りれば、何とかなると思う」

 夕紀の言葉の意味がわからず、首を傾げる。
 困ったように笑う彼は、「わかんないかぁ。わかんねえよなぁ」とおどけた口調で言いながら、僕の頬に片手を添えた。

「陽の光に当たらなくても良いから、お前の傍に居たいんだよ」

 妙に熱のこもった言葉に、茶化して流すことは野暮だと感じた。
 時々夕紀は、静かに本心をぶつけてくる。
 僕は全身の痛みを感じながらも、ゆっくり夕紀の言葉を飲み込んだ。
 陽の光に、当たらないなんて。
 そんな吸血鬼みたいなことを、どうして。


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