複雑・ファジー小説

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彼が愛した吸血鬼
日時: 2023/03/11 07:48
名前: ネイビー (ID: VYLquixn)

◎春だからかいくらでも寝れてしまうネイビー。
◎暇さえあれば何か食ってる。
◎楽しく書いていこう。春らしいの書きたい(大ウソ)

Re: 彼が愛した吸血鬼 ( No.35 )
日時: 2024/05/17 09:30
名前: ネイビー (ID: OSKsdtHY)


10




「その暴力団の頭の名前は、葉山王臣はやまおうしん。葉山智恵理の父親だ」

 いつも表情をあまり変えないチカが、少し焦ったように早口になり、僕から視線を逸らさず穴が開きそうなほど見てくる。ただならぬ様子に怯みながらも、葉山智恵理の父親がオーシンで、ぼーりょくだんというヤバい連中の親玉だという事実をなんとか頭にインプットさせる。脳みそ全体がザワザワしてきた。

「ボーリョク団ってあっち系の?」
「こわ〜いお兄さん達がいっぱいいるやつだわ」
「チカ、やっぱり超不良になってんじゃん……」

 幼馴染のこれからの行く末を考えると頭が痛い。
 方や吸血鬼に身を捧げて、方や暴力団に入っているとは。前者の方がよっぽど訳がわからないけれど。

 「僕は葉山さんの父親がそんな人だって知らなかったし、本人からもそんな話は聞いてなかったよ」

 それにどちらかというと、葉山さんは家族のことが大嫌いみたいだったし。

「たぶん言ってねぇんじゃないか。俺も名前は知ってるけど智恵理チャンに会ったことねえし。あーけど小学校は同じだったのか」
「チカより一つ学年は下だけど」
「あんま行ってなかったし、アルバムも無ぇから忘れてたわ」
「僕は同じクラスだったらしいけど、全然覚えてないんだ。自分のことなのに記憶がないって、普通ではないよね?」

 そう訊きながら、僕の頭の中は別のことでいっぱいだった。暴力団ってヤクザってことだよな。……小夜はとんでもない子を喰らってしまったんじゃないのか。葉山さんが帰らないことを不審に思ったら、一斉に怖い人たちが捜索するんじゃないだろうか。その前に警察に行方不明届けを出すのか?……そういう時ヤクザって警察に頼るのかな。小夜が喰ったってバレたらどうなるんだろう。どうにもならないと思うけど。相手は吸血鬼だし。
 背中に冷や汗が流れる。

「フツーでは無いだろ。というか、お前は今更フツーになんてなれねぇから、あんまり深く考えんな」

 チカから呆れたように返答が返ってくる。

「普通になれないってなんで」
「俺から見たらお前も夕紀も異常だわ。それに昔のことが本当にあったかどうかなんて、お前だけじゃなくてみんな確証は持てないだろ。そこ掘り返して何の意味があるんだよ。面白くもねぇのに」

 確かにそうかもしれないけれど。

「やっぱり覚えていないことがあると、不安にはなるよ」
「覚えてないってことは、思い出さなくていいことなんよ。必要なことは絶対にどっかで思い出すから」

 思い出さなくていいこと。
 夕紀からも本当に知りたいのかと散々訊かれた。僕にとって、少なくとも今の僕にとっては必要のないことなのかもしれない。
 一番気掛かりなことを話してみた。

「夕紀に背負わせてる気がする」
「あいつはお前のことなら喜んで背負うだろうよ」
「今、夕紀は色々なものを背負ってるんだよ」

 吸血鬼とか。
 口が裂けても言えないが。

「だから」
「だから自分のことはしっかり自分で立て直そうって?俺はお前らの危なっかしいところも、あやふやなところも、一人では背負いきれないと思うけど。でも二人ならいけるんじゃねえの?知らんけど」

 最後の、「知らんけど」がチカらしい。
 チカは決して距離を詰めたり無理に引き離そうとしたりしない。一線を弁えて僕たちに接している。それは、今までの周りの人間たちから感じられる異端扱いの気とは少し違う。
 僕がこの男を頼れる理由だ。

「どうせ夕紀が背負ってるものだって、お前も知ってて少し絡んでるんだろう。あいつも一人では無理だから、お前に頼ってる部分はあると思うけど」

 どうだろう。小夜のことは僕が押しかけてたまたま血を吸われているところを見てしまったから、知ることになったというだけで。初めは夕紀も隠していただろうし、もしかしたら僕に伏せようとしていたことなのかもしれない。

「それより俺は、葉山智恵理がお前にゾッコンだったってことの方が衝撃でけぇよ」
「ああ、僕もびっくりした」
「世間は狭いってやつだな。……なんか喋りすぎて喉枯れた。コンビニ行こうぜ」

 そこの自販機は、と僕が指を指す。
 少し困ったように笑い、「酒が飲みたい」とチカは答えた。

Re: 彼が愛した吸血鬼 ( No.36 )
日時: 2024/05/19 21:43
名前: ネイビー (ID: QEDC6Aof)

 チカといれば僕も何か食べられるかもしれない。
 コンビニの涼しい冷気を浴びながら、僕はパンコーナーの前に立って考えていた。
 レジを見ると樹さんはおらず、顔見知り程度のおばちゃんがいた。僕の視線に気づくと向こうも軽く会釈する。シフトでたまに一緒になるけど、これといって深い話はしたことがない。
 一緒に入ってきたチカを興味深そうに見ている。腕の刺青を気にしているのが嫌でも分かった。

「はよ選べや」

 既に酒を持っているチカが怠そうに背後から声をかけてきた。
 こういう時に自分が何を食べたいのかまったく分からない。適当に無難なスティックパン6本詰めを手にすると、チカが「そんなもん味気ないだろ」と呆れたように笑う。

「欲のないやつだな」
「そんなことないよ」

 そう。そんなことはない。
 性欲とか。間違った方向性ではあるけれど。
 けっきょくスティックパンを買った。レジのおばちゃんはチカに対しての年齢確認についてはスルーして、酒の購入を許した。
 コンビニを出る。スティックパンを齧りながら、一緒に買った水を飲んで、胃の中にパンを送り込んだ。
 チカはチューハイの缶を開けて飲むと、再び煙草に火をつける。

「ねえ、僕にもちょうだい」

 自然とその言葉が出た。
 チカはあまり驚きもせず「ん」と一本、僕に渡してくる。咥えるとライターを持つ手元を近づけてくるので、それに応じる。
 重たくて、不味い煙を肺の中に入れる。くらっと視界が一瞬ぼやけた。

「夕紀がそれ知ったら、俺ぶっ飛ばされそう。悪いこと教えるなーって」
「……こんなものを美味しいって吸ってるのか」
「お前には合わなかったかな。らしくないことするなよ。ただでさえ早死にタイプなのに」
「だれが早死にだ」

 なんだったら一回死んでるのかも。一回だけじゃないな。あの親と住んでいたときは、生きながらずっと殺され続けていた気がする。
 まだ吸えた煙草を喫煙所の灰皿に捨てた。チカはそれを咎めない。口の中に充満した味を消したくて、スティックパンを咀嚼した。水を挟まないと、すぐに水分を持っていかれる。

「……あの人、バイトの人だよな」
「ふぇ?」

 チカが見ている方は、木叢団地のA棟の方だった。
 A棟の近くを樹さんがバイクを押しながらウロウロしている。何かを探しているようにも見えた。

「あー樹さんだ。なんか前も団地の中を彷徨いてたんだよな」
「怪しい……と言いたいところだけど、そんな怪しいやつたくさんいるからな。ここは」
「落とし物を探してるらしい。まだ見つかってないのかな」
「連続殺人事件の犯人だったりして」

 がつんっと頭を鈍器で殴られたような衝撃が走る。彼女の最期に関わったはずなのに、僕の中で数時間前のあの衝撃が確実に薄いものになっていた。もはや非現実的すぎて本当にあったことなのかどうかも曖昧だな。
 でも、そうか。まだ葉山さんが殺人犯だってことも、その葉山さんがいなくなったってことも、みんな知らないのか。
 誰にも知られずに消えていくって、どんな気分なんだろう。死んでいるから何も感じないというのは無しにして。葉山さんの家族、友人は彼女の死すら知らないままで、未解決の行方不明として扱われて、いつか風化していくんだろう。……結末が僕の母親みたいだな。

「今の嫌なやつだったな。忘れてくれ」
「へ?」
「知り合いが殺人犯だなんて冗談、面白くなかったなって」
「……チカのそういうところ、すっごい良いと思う」
「浮気はやめろよシズちゃん」
「素直に褒めたのに。僕、樹さんのところに行ってくる。団地でウロウロしてたら危ないから」
「なら俺はこのまま遊び行ってくるかな」

 酒をアスファルトの地面に置いて、チカが携帯を取り出す。その連絡相手は普通の友だちなのか、それとも暴力団のメンバーなのか。

「なんでチカは暴力団に入ったんだ?」

 あまり立ち入ったことを聞かぬべきかと思ったけれど、素朴な疑問だったので訊いてみた。
 チカは携帯から視線を上げ、僕を見つめる。
 その表情が、一瞬だけ僕の知る幼馴染のチカではなく、僕の知らない砂越親仁に見えた。

「在るべきところに身を置いた。それだけ」

 在るべきところ。
 暴力と危険のあるところが、自分の身を置く場所だと思えるのか。僕の知るチカじゃないみたいだ。
 けれど、置いた場所がどういったところであれ、自分で身の振り方を決められる覚悟が羨ましい。
 宙ぶらりんのままだ。僕はずっと。

Re: 彼が愛した吸血鬼 ( No.37 )
日時: 2024/06/16 13:29
名前: ネイビー (ID: QEDC6Aof)


 木叢団地付近を彷徨いている樹さんは、僕の姿が目に入ると片手を上げてあいさつしてきた。大学の帰りなのか、有名なスポーツブランドのリュックを背負っている。黒縁メガネから覗く目元は、相変わらず柔和で優しそうだ。
 僕もぺこりとお辞儀をして、「ずっと何してるんですか?」と訊ねる。

「あれ?見られてたか!」
「コンビニにいたので。今日シフト入ってますっけ」
「そうそう。雨村はテスト期間中だから入らんのか」
「今日と明日だけですね。明後日はイレギュラーでシフト入れてもらってますけど」

 テスト期間だからという理由でバイトを入れなかったけど、自分の周りでテストどころじゃないことが起こりすぎて勉強に全然手がつけません、とは言えない。

「大学生もテストありますよね」
「あるある。けどレポート提出とかで単位出してくれるやついるから」
「へえ……」

 ダサいかもしれないけど、レポート提出とか単位とか、響きが大学生っぽい。僕はもしかしなくても大学までの学費は親戚は工面できなそうなので、進学の道は閉ざされつつあるんだけれど(高1でその道が閉ざされているって物凄く格差社会を感じているんだけれど)、話を聞いているとキャンバスライフの煌びやかさに羨望の眼差しを向けざるを得ない。

「ていうか、えーと、樹さんは何してるんですか?」

 話を戻す。
 樹さんは首の後ろを掻きながら、困ったように辺りを見渡した。

「いや、前も言ったけどさ。この辺りだと思うんよ。落とし物してさ」
「言ってましたね。僕も探しましょうか。何を落としたのかわからないけど」
「落としたのかも正直わからんくてさ」

 話の全貌がわからない。
 僕の怪訝な表情を見て、樹さんが吹き出す。

「悪い悪い。含み持たせるだけ持たせて、けっきょく何を探してんのか教えねぇのって意地悪いよな」
「そうですよ。探してる物が分からなかったら、僕も手伝えませんし」
「俺も確信が持てなくてさ。本当にここに落としたのかどうか」
「そんなものじゃないですか?全部覚えているわけじゃないし、記憶なんて時間が経てば曖昧になるものだし。心当たりを当たるしかないんじゃないですか」

 なんだか僕自身のことを言っているみたいだ。自分で話していて恥ずかしい。棚に上げてすみません。僕自身、僕のことが曖昧なんです。
 内心そんなことを考えていると、視界の端で人影が見えた。団地の奥まったところにある階段から、夕紀が現れた。

「うお、シズか」

 向こうが驚いた顔をした後、樹さんを見てぺこっと頭を下げる。
 先ほどお互い無言で団地に帰ったので、少し気まずい。樹さんがいて良かった。

「どこ行くの」
「晩飯買いにコンビニ行こうと思ってた。シズは?」
「さっきまでチカといた」
「マジで?誘えや」

 軽口を叩く夕紀の口調はいつもと変わらない。僕だけが気まずさを感じているのか。あんなことがあったのに、相変わらず夕紀は夕紀のままだ。その神経の図太さを分けてもらいたい。

「心当たりが来てくれたわ」

 僕の隣で、樹さんがそう呟いたのが聞こえた。
 理解が追いつく前に、樹さんは停めてあるバイクから離れ夕紀に近づく。
 いつのまにだろう。
 右手に、光る物が見えた。

「あ?」

 夕紀が変な声を出す。
 僕の視界が、夕紀の腹部を刺すナイフを捉えた。
 じわじわと夕紀の制服を赤く染める。アスファルトの地面が、汚く濁った桜の花びらと夕紀の血で更に地獄のような色になる。

「首元に絆創膏貼ってあるから、そうかなと思ってたんだ」

 樹さんの低い声。
 うずくまる夕紀は自分の身に何が起きたのか分からない様子で、手の平にべっとりと付いた血を眺めていた。

「一か八かだったんだよな。気配を辿ってここまで来たけど、匂いが無いもんだから。また誰かに寄生してると思ってさ」

 淡々と樹さんがそう言い、腰を落として夕紀と目線を合わせる。

「騒ぐなよ。もう血も止まっているはずだから。なんなら傷も塞がってんじゃねえか?」

 夕紀はハッとしたように制服を捲る。
 確かに刺されたはずなのに、傷がどこにもなかった。樹さんが口角を上げる。

「やぁっぱり。主人のことは生かさなきゃならねえからな」
「お前………何やってんの」
「用があるのはお前じゃない。聞こえてるだろう。出てこいや」

 その呼びかけに応えるように、夕紀の影が有得ないほど伸びていく。
 その影の中から白い腕が見えて、次にぬうっと小夜が現れた。小夜は樹さんを見て眉をしかめる。
 夕紀は咄嗟に、陽の光から小夜を守るように彼女の体を自身で覆う。
 それが気に入らなかったのか、樹さんから舌打ちが聞こえた。

「離れろよ。クソガキ」

 今までの柔和な樹さんからは想像のできない、憎悪に溢れた声。

「彼女は、俺が愛した吸血鬼だ」

Re: 彼が愛した吸血鬼 ( No.38 )
日時: 2024/06/18 08:04
名前: ネイビー (ID: QEDC6Aof)

「彼女は、俺が愛した吸血鬼だ」

 そう言い、樹さんはエグい角度から、身を屈めている夕紀の腹部に蹴りを喰らわせる。小夜を庇うようにしていた夕紀の体は、バランスを崩して壊れた玩具のように倒れ込んだ。
 喉が裂けるのではないかと思うほど、夕紀が激しく咳き込む。僕は咄嗟に夕紀に駆け寄って、肩を貸そうとした。けれどそれを片手で制し、夕紀が小夜の方を指差す。
 小夜を日差しから守らなければ。
 そう思い、小夜に覆い被さる。

「おおー、雨村。出しゃばってくるじゃん」

 樹さんが揶揄うような口調で話しかけてきた。

「いや、ごめん。ちょっと頭が追いつかないんですけど。説明してほしいんですけど」
「まあそうよな。俺はお前がどこまで分かってんのか知らねえんだ。でも、その感じを見ると……そいつが人間じゃ無えってことは知ってるみたいだな。……とりあえずそこどきな。俺はその丸まってる吸血鬼に用があんだから」
「あんた、夕紀を刺してるんだぞ?!」

 正気なのか疑わしい。
 樹さんは「あ?」と片眉を上げ、虫ケラを見るように夕紀に視線を送る。

「刺したけど、傷口が塞がってるっつってんだろうが。お前は何を聞いてたんだよ。血が!止まるんだよ!提供者を死なせるわけにいかねぇからなぁ!」

 なんなんだ、この男は。一体誰なんだ。僕の知っている樹さんじゃない。
 人が変わったとしか思えない口調。これが素だったのだとしたら、今までの彼は演技だったのか。というか、小夜の正体を知っているということは、二人は知り合いなのか。さっき愛していると言っていた………。

「樹さんは、血の提供者だったんですか……?夕紀の前の、小夜と契約していた人間だったんですか……?」

 樹さんが深く頷く。
 僕の下で、小夜は項垂れたままだ。

「相思相愛。俺と小夜は運命共同体ってわけ。小夜が居なくなって本当に俺は心配した!!!小夜の気配、匂い、足取りを必死で追ってきたんだわ。ここらで血の匂いが消えたのが分かって、どっかのクソに拾われたと分かった時は気がおかしくなりそうだった……」

 小夜の言葉を思い出す。
 
---吸血鬼という尊厳を失いかけていた私は、あの時人間に勝てなかった。
---きみはあの時の私とよく似ている。痛みに飼い慣らされていて、雛鳥のように弱々しいままだ。

 虐げられ、嬲られ、200年も生きた吸血鬼が命からがら逃げ出した。力尽きるところに夕紀が偶然出会し、彼女を拾った。

「夕紀が………小夜を助けたんだ。あんたが痛めつけてたんだろう?!小夜はあんたから逃げ出したんだ!」
「バッカじゃねえの?俺は小夜のことを一番愛してんだってば!ていうか、俺には小夜しかいねえの!それをこんなクソガキがたぶらかしたか知らねえけど、血の提供しやがって濁るだろうが死ねこのクソが」

 樹さんが思い切り夕紀の左肩を上から踏みつける。
 呻き声を上げながら屈む夕紀を見ていられなくて、僕はとにかく大声を上げた。

「あんたがクソだろうが!あんたは!小夜をどんな風に扱っていたよ!監禁して痛ぶっていたんじゃないのか!彼女の自由を奪って、虐げていたんじゃないのか!」

 樹さんは動きを止め、ゆらりと僕の方を見る。

「……俺だって悲しかったんだぜ?カシラには逆らえなかった。吸血鬼は人間を喰らえるだろう?跡形もなく……証拠も残さず……組織がらみやポン中やら色々と消えて欲しいやつはいたからなァ……」
「あんた……小夜に、殺人をさせていたのか?」

 不気味に口角を上げる。その表情は皇帝と言ってもいいだろう。
 なんてやつだ。小夜は人間を喰らうことが苦痛になって、血の提供という契約を交わすことにしていたはずだ。それなのに、捕食の目的どころか人を殺す目的でその本能を利用するなんて、苦痛以外の何ものでもない。

「俺はさぁ、雨村ァ……。大学生でも何でも無ぇんよ。童顔なだけで本当は30を越えてるし、背中にはバキバキの毘沙門天を背負ってる。あのコンビニにバイトしてたのも、この辺りで消えた小夜の手がかりを探していただけだ。頭には死んでも吸血鬼を連れて帰れって言われてるしなァ」
「また小夜に殺人をさせるのか」
「俺らはカタギじゃ無いんでね」

 樹さんは右手に刃物を持ったまま、こちらに近づいてくる。
 表情がいつもの柔和な樹さんのものになり、

「さあ小夜。一緒に帰ろうな!」

 砕けた口調で話しかけ、手を伸ばしてくる。
 僕は迷っていた。このまま小夜を引き渡したら、彼女は間違いなくまた殺人を担うことになる。でも、ここで抵抗したら……僕も夕紀もどうなるかわからない。刃物を持っているんだぞ。殺されるかもしれない。
 小夜に回してる腕に力が入る。
 僕の緊張と焦りが伝わったのか、

「シズ、離してほしい」

 小夜が小さく口を開いた。

Re: 彼が愛した吸血鬼 ( No.39 )
日時: 2024/07/07 00:09
名前: ネイビー (ID: QEDC6Aof)


 僕の腕に手を添えて、小夜はゆっくり起き上がった。
 夕方とはいえ日差しはまだある。日に当たれば焼けてしまうかもしれない。焦りから、僕を制する小夜の手を力強く握り返した。本当に、力強く。
 でも小夜は困ったように笑い、その視線が、地面に疼くまる夕紀に注がれる。

「すまなかった。きみたち子どもを巻き込んだこと、心から謝ろう」
「小夜、待って……」
「彼が言ったように、私は餌としての人間への吸血行為を拒んでいたが、人間の殺害に身を落としたのは事実だから」
「それは脅されていたからで、」
「それが愛だと誤認していたんだよ。孤独は毒だね。私は……卑怯者だ。逃げたくせに、顔を見ただけで揺らいでしまっているのだから」

 なんだそれ。
 まるで夕紀は当て馬じゃないか。
 離れている時も小夜を思って、気配を辿ってここまで探し詰めて来たなんて、どうかしている。小夜も小夜だ。吸血鬼というぐらいならもっと鬼らしく、堂々としていればいいのに。今の小夜は夕紀を守れない。守るどころか樹さんに寝返りかねない。

「小夜、良い子だな。俺は少しお前にキツく当たってしまったかもしれない……。ごめんな?さあ仲直りしよう。提供者とはここで契約を終わらせて、また俺に憑いてくれ。俺だけの吸血鬼になってくれ」

 樹さんは小夜にゆっくり片手を差し出す。
 だめだ、行くな。
 行かないでくれ。

「小夜、一緒に帰ろう」

 樹さんの手に応えるように、小夜もまた手を伸ばす。
 どう止めれば良い。
 どうすることもできない。
 小夜が樹さんのところに行けば、また人殺しを強要されるだろう。それに夕紀はさっき、樹さんに腹を刺されたのだ。今は小夜の力で血を止めているけれど、小夜の提供者でなくなったら、その傷もどうなるかわからない。
 というか、小夜の存在を知ってしまっている時点で、樹さんが僕ら二人を生きたままにするとは思えない。

「シズ、離してくれないか」

 小夜は自分の腕に添えられている僕の手を、上から強く握った。潰されるかと思うほどの力に、手を離さざるをえない。

「夕紀、ありがとう」

 小夜は、自身を見上げる夕紀に礼を言う。夕紀は何かを諦めたように、小夜を見つめ返すだけだった。何も言わない気か。このまま、何も言わずに小夜を渡すつもりなのか。
 僕から離れ、小夜は陽の光の元に身を曝け出す。
 樹さんはナイフを畳んで服の内ポケットにしまい込んだ。代わりにバイクに置いていたリュックから折り畳みの日傘を取り出し、開いて小夜に近づく。

「小夜。早くこっちへ入りなよ。焼けてしまうだろ?」
「ああ、そうだね。皮膚が既に熱いよ」

 素直に小夜もその傘に入ろうとする。
 その、一歩目が出たとき。

「なんてね、ばーか」

 樹さんの日傘が、手ごと、落ちた。
 手首から先はきちんと日傘を持ったまま、ごとんっと無機物のようにそこにある。先端をなくした腕から血を流し、樹さんは痛みより先に疑問があるらしく、

「え、え、えー?なんでぇ?」

と首を傾げたあと、地面に転がっている自身の手首を見て、「え、え、えっえっえっええぇぇえええっ?バァァァァーー、、、ららっっっえてててててっ!!!!!!」意味不明な言葉の羅列を紡ぎながら、今度は樹さんが身を屈めた。
 小夜は、落ちている手首の指を丁寧に伸ばして、日傘を取った。
 のたうち回る樹さんは「俺の、俺の、てくびぃぃぃつっっつて!!!!!」と、手首をもう片方の手で掴み、切断面にくっつけようとしている。

「殺気を隠すというのは……本当に大変だったな。なぁ?夕紀」

 小夜は薄ら笑いを浮かべ、夕紀に話をふる。
 よろよろと立ち上がり、制服についた砂埃を手のひらで払い除けながら、夕紀は足元に唾を吐いた。

「こんなに痛い思いするとは思わんかったわー」
「その程度で終わったのだから、良かっただろう。私は最悪、指の一本や二本は欠けるなと思っていたけれどね。まあ、どんな状態になっても私はきみを絶対に死なせないのだけれど」

 二人の雰囲気についていけず、僕は目の前で起きている地獄をただ見つめるしかできない。

「さよ、さっ、さよ!てめぇっ、俺の手なに切り落としてんだゴラッ!まじ犯すぞてめぇっ」

 額に油汗をかき、唾液を口の横から垂らしながら、樹さんが吠える。
 涼しい表情で小夜は一瞥する。

「不様だな、樹。私がきみの元に戻ると、本気でそう思っていたのか?」

 怒りと不快感が混ざった口調。

「俺たちは愛し合っていただろう!?俺の血を飲み、俺と混ざり合い、俺が死ぬまで傍にいると契約しただろうがっ!!!」
「きみは……きみたちが私にしてきたことを、どう思っているんだ」
「生きるためだろうがっ!クソ女!」

 言いながら、樹さんが嘔吐する。
 胃液を垂らして惨めに這いつくばり、樹さんは生にしがみつく。

「あそこしか居場所が無ぇから!!!それだけだろうが!!!蛆虫みてぇな生き方しかできねぇんだから、しょうがねぇだろう!!!」
「そうだとしても、小夜は女の子なんだべ?女の子を泣かせてちゃだめでしょー」

 夕紀の横槍に完全に頭がキれたのか、樹さんがその状態からとは思えないほどの速さで立ち上がり、再び夕紀の胸ぐらを掴もうとする。しかし利き手を失った体は容易に操れず、手首のない腕は夕紀に掠ることもなく、振り下ろされただけだった。

「俺はお前より小夜を大事にするよ」

夕紀はにやっと笑う。

「だから、小夜に殺しはさせない」

 そう言って、今度は夕紀が、樹さんの胸ぐらを掴む。そのまま先ほど樹さんが閉まったナイフを、服の裏側のポケットから無理矢理奪い取った。
 先の行動が予想できたのか、小夜がぽそりと呟く。

「さようなら樹」


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