複雑・ファジー小説

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彼が愛した吸血鬼
日時: 2023/03/11 07:48
名前: ネイビー (ID: VYLquixn)

◎春だからかいくらでも寝れてしまうネイビー。
◎暇さえあれば何か食ってる。
◎楽しく書いていこう。春らしいの書きたい(大ウソ)

Re: 彼が愛した吸血鬼 ( No.16 )
日時: 2023/09/03 21:17
名前: ネイビー (ID: QEDC6Aof)


「スカートぐらい履くよー」

 葉山さんがふやけた顔で笑う。
 柔和。その単語が似合う。

「何してたの?こんなところで同級生に、雨村に会うとは思わなかったな」
「さっきまで夕紀といたんだよ」
「そうなの。相変わらずラブラブじゃん」
「プリクラ撮った」
「マジで?見せてみぃ」

 プリクラを凝視した後、葉山さんが顔を上げる。

「なんか……いかつい兄ちゃんも映ってますな」
「そいつも幼馴染なんだ」
「ほうほう。……加工が効きすぎて雨村が女子みたい」
「葉山さんもそう思うのか……」

 返してもらったプリクラをズボンのポケットに押し込む。

「葉山さんは何してたの?」
「中間の勉強してて、煮詰まったからお気に入りのカフェに行ってた」
「へえー!ひとりで?」
「ひとりが楽だよ」

 なんだか大人みたいだ。女子はグループになってお喋りをするのが好きだと思っていたけど、葉山さんは違うのか。

「古舘が早く帰る理由わかったー?」
「ああ、それか。わかったよ」
「やっぱペットだった?」
「そんなものかな」

 あれをペットと位置付けていいのかわからないけれど、適当に話を終わらせる。この話題ばかりで少し疲れた。

「あ、そういえば。近所の大変だったんじゃない?例の殺人事件で」

 一昨日起きた殺人事件。現場は葉山さんの家の近くだと女子たちが話していた。
 葉山さんは「ああ、あれか」と呟いた。

「帰ったらパトカーとかめっちゃ来てたよ。公園のトイレで見つかったんだけど、けっこう近くでさ。ドラマみたいだった」
「怖いよね。早く犯人が見つかったらいいんだけど」
「雨村は狙われないでしょ」
「高校生だから?」
「そう」
「狙われないとしても、子どもが殺されるのは嫌だな」

 視界の端で、僕の乗るバスが向かってくるのが見えた。
 バスが来たと言うと、葉山さんもゆっくりそちらを振り向く。

「葉山さんは違う方向だよね」
「そうだね。というか、私はこのバスに乗らないよ」
「え?」

 てっきり同じバスを待っていたのかと思っていた。
 じゃあ、どうして。
 僕が呆けた顔をしているのが面白いのだろう。形のいい八重歯を覗かせる。

「雨村がバスを待っていたから、一緒に待っていただけ」

 それは一体どういう意味だろう。僕と一緒にバスを待っていたかったということだろうか。つまり僕に少なからず好意があるということで間違いないだろうか。生まれてこの方、女子から好かれたことがないのでこういう時になんて返したらいいのかがわからん。
 キョトンとしている僕を見て、葉山さんが子どもっぽく笑う。

「雨村、今なんでなんでって頭の中で混乱してるでしょ」
「まあ……そりゃあ……どういう意味かなって男としては色々と考えるよ」
「別に他意は無いよ。そのままの意味。雨村と一緒にいたかったってだけ」
「他意は無い……」
「そう。他意は無い」

 揶揄われているのだろうか。
 バスが目の前で止まり、プシューと間抜けな音をたてる。運転手がドアを開けるのと同時に、僕は立ち上がった。
 じゃあまた、と彼女に言葉をかけようとしたのだが、葉山さんは僕の真後ろに居て、自分も乗り込もうとしていた。

「乗らないんじゃないの?」
「気が変わった。女子の気持ちは移り変わりが激しくてね」
「ああ、そう……」

 僕と葉山さんは二人並んで座った。他にも座席は空いていたけれど、葉山さんは僕の隣に腰掛けた。バスは発車する。
 僕の降りるバス停は6つ先だ。葉山さんの目的地はどこに変わったんだろう。

「雨村って謎が多いね」

 突然そんなことを言われ反応に困っていると、「ふふふ」と葉山さんが鈴の音のような笑い声を上げた。

「謎が多いって良いことだと思うよ。好奇心を持たれやすいっていうかさ」
「僕は、僕に謎が多いって思ったことはないんだけど」
「それは本人だからだよ。でも私、同じクラスの男子で一番雨村が謎だな」
「なんで?」
「んー…………。なんかね、複雑そう。雨村の中身も外身も全部が複雑で見えてこないって感じ」
「そう感じるんだ?」

 人間はみんな複雑な生き物だと思うけれど。
 葉山さん自身も腑に落ちていない言い方をしているので、どう言えば正解なのか分かっていないようだ。どんな言い方をしようとも正解に辿り着くことは不可能だけどね。

「古舘とめっちゃ仲良いってことは分かるよ。分かるけど友達って枠からは出ているなって思う」
「夕紀は託児所から一緒だっだんだよ。お互い親がほぼ家に帰らない人だから。僕らの住む団地があまり良い噂ないのは、葉山さんだって知ってるでしょ」
「複雑に見えるのは家庭環境のせいなのかなぁ」
「ちょっと」

 葉山さんの丸い目が僕を見ている。目が大きいので、こうも近い距離から見られると逃げたくなる。

「僕が言うのもあれだけど、あまり他人の家庭環境とかに突っ込まない方がいいよ」
「話題性に富んだ方がいいかなって」
「そういう話題は遠慮します」
「多分私も緊張してるんだねー。男子とプライベートなことを話すのって」

 確かにプライベートすぎる。もっと浅くて適当な会話ではいけないだろうか。
 自分のことを探ろうとする好奇の目は、今までにも覚えがある。小中は同級生から向けられる視線が耐えられなかった。夕紀がいたからなんとかなっていたようなものだ。

「私も複雑だから。家庭環境ってやつが」

 声の調子が少し落ちた。
 家庭環境。
 僕にはほぼ無縁の言葉だ。

「……どこまで着いてくるの?」
「雨村が降りる所で降りるよ」
「何もない所だけど」
「大丈夫。私が雨村と少し話したいだけだから」

 葉山さんはそう言って、視線を窓の外に移した。
 あまり触れない方がいいこともある。少なくとも僕は他人に踏み込まれるのは拒みたい。だけど葉山さんはそうじゃないみたいだ。

Re: 彼が愛した吸血鬼 ( No.17 )
日時: 2023/09/09 11:08
名前: ネイビー (ID: QEDC6Aof)


「さっき勉強の息抜きにカフェに行ったって言ったけど、半分嘘で半分本当。うちに居たくなくて、モーニングからずっと居座ってたの。さすがにランチを過ぎたら申し訳なくなって、店から出たんだけれどね。ぷらぷらあの辺を歩いていて雨村を見つけたの。
 なんで家に居たくないか?
 理由はよくあること。本当にどこにでもよくあることなのよ。……うち、親が再婚してるんだ。お母さんと私は血が繋がってないわけ。で、4年前に妹ができたの。お父さんとお母さんの子ども。なんだか最近、生意気でさぁ。顔も見たくないんだよね」

 バス停に着き、とりあえず木叢団地には行かずに、適当にその周辺を歩き回ってみる。
 木叢団地周辺は田んぼが多い。今の時期はまだ苗は植えられておらず、トラクターで滑らかにされた土の匂いが蔓延していた。
 葉山さんはバスから降りるなり、学校にいる時よりも饒舌に身の上話をしている。僕はと言えば、相槌をそつなく挟みながら、本当にどこに行くべきかぐるぐる悩んでいた。構わず話し続ける葉山さんは、僕のほんの少し後ろを一定の距離を保って着いてきている。

「私が帰ると、お母さんはほんの少し嫌な顔をするの。妹だけが自分の娘だからしょうがないんだけれどね。お父さんと付き合っていた時も、私は仲良くしようとは思わなかった。だってお母さんは26歳なんだよ?私より10歳しか離れてないの。お父さんは20も年下のあの人と付き合ってたの。信じられる?」
「ドラマみたいな展開だね。葉山さんが拒むのも分かる気がするよ」
「気持ち悪いでしょう」
「人のお父さんだからあんまり悪くは言いたくないけれど、葉山さんが肩身の狭い思いをしていることは伝わったよ。その妹さんとは仲良くはなれなかったの?」

 葉山さんは深くため息をついた。

「思春期の娘がいる家でヤることヤッてたって考えたら気持ち悪いでしょう」
「確かに複雑ではあるね」
「それに家にいるとうるさいし、すぐ泣くし、もう辛いのよ。あの声が聞こえてくるたびに反吐が出そうになる」

 こういうマイナスな発言を葉山さんが言うとは思わなかった。まだ会って1ヶ月も経っていないけれど、葉山さんは何に対しても器用にそつなくこなすイメージがあった。頼まれごとをしても嫌な顔一つせず、かといって頼られたという優越感を表に出すこともなく、淡々と、清くこなしていく。だから、あらゆる物事においてネガティブな感情を持っていること自体が意外だった。良い意味で人間味の無い葉山さんが、僕は喋りやすかった。
 だからこうして家庭環境という、プライバシーに踏み込んだ話題を僕に話してくれていることをどう受け止めて良いのか分からずにいる。そんなことを打ち明けてくれるほど心を開いてくれているのか。喋りやすいとはいえ、踏み込んだ話なんて今まで一度もしてこなかったのに。

「満たされてるなって周りから言われてるの。若くて美人な新しいお母さん。家は一軒家で、お父さんもそこそこ大きくて有名な企業に勤めていて、私は何不自由なく暮らしてるって。……なぁにも、知らないくせにね」
「……ま、周りからは家庭の本質なんて見えないから。……だいぶん無神経なことを言われてきたみたいだけど、大丈夫?」
「友だちは一緒に居て楽なやつ、楽しいやつなら満足なのよ。べつに助けてもらおうだなんて思っちゃいない。助けられないんだから。自分でストレスを解消しなきゃいけない」
「ストレス解消や息抜きは大事だと思うよ」

 辺鄙な場所に着いてしまった。田んぼと古いアパートばかりが視界に入る。ここの道を抜けてしばらく進むと、僕のバイト先のコンビニがあり、更に奥に進むと木叢団地がある。
 ここでバス停まで引き返すと少しわざとらしいか?葉山さんは明らかに変なスイッチが入っているし、これ以上は僕もどうしていいのかわからない。

「だから一回殺したら歯止めが効かなくなって」

 数歩、足を進めて止まる。
 振り返る。
 葉山さんは、そこに佇んでいた。

「なにが?」
「子どもを」
「どうしたって?」
「殺したの」

 思考が完全に停止したわけではなく、不器用に回転しようとするから余計に焦る。警察とか、連続幼児殺人事件とか、不謹慎な冗談とか、色々頭に浮かぶけれど喉奥が詰まって声にならない。

「子どもを、殺したの」

 二度も言うな、聞こえてるわ。くそ。

 

Re: 彼が愛した吸血鬼 ( No.18 )
日時: 2023/10/13 21:49
名前: ネイビー (ID: QEDC6Aof)


06


 それはいきなりの告白だった。
 僕の心臓の音が相手にも届くのではないかと思うほど主張しだす。鼓膜の奥で轟音が深く鳴っていた。
 葉山さんは、今日の夕ご飯を教えるようなさらりとした口調で殺人を告白した。冗談か、と笑い飛ばそうかと思った。冗談であってほしいから。けれどそんな冗談を葉山さんが言うわけがないことは分かっている。そんなふざけた冗談を言うような人ではない。
 僕の反応を窺っているのか、葉山さんは何も言わない。でも目線はしっかり合っている。
 何かを、言わなければ。
 そうしなければ、今にもはち切れそうな何かを抱えたままのこの時が、進まないような気がした。
 ひくついた喉を円滑にするために、粘り気の強い唾を飲む。

「最近の、立て続けに殺されてる子達は……」

 連続幼児殺人事件は、

「葉山さんがやったっていうのか?」

 言葉の終わりが震える。
 言ってしまったあと、轟音は消えた。ただ体の中心で脈打つ心臓だけが意識を保つために動き続けてくれている。
 葉山さんは頷いた。目線は僕を見たまま。

「なんで僕に言うんだ」

 素直な憤りをぶつける。
 知りたくはなかったし、関わりたくもなかった。なにより騙されたような気がした。ここまでの会話から、彼女は僕に何か心を許してくれているのかと勘違いをしていた。家庭での疎外感を告白し、僕に共感を求めているのかと。
 それはただの前置きだったのか。

「雨村は複雑だから」

 さっきも聞いたよ。複雑ってなんなんだ。単純な人間の方が少ないだろう。
 答えになっていないと、無言で彼女を責める。
 葉山さんは自分でもよく分からないのか、はたまた言い方を迷っているのか、眉間に皺を寄せしばらくどこかを見ていた。曇りのない瞳で。

「自首するつもりはないの?」

 なかなか答えが返ってこないので、質問を変えてみる。

「それはないかな」

 即答。
 そして、うすら笑い。

「雨村が黙っていればいいだけの話だからさぁ」
「え?僕が黙ってると思うの?」

 心外すぎる言葉に思わず思っていたことがそのまま口からこぼれる。自然に、ポケットに入っている携帯へと手が伸びた。
 その仕草を目線で追いながらも、慌てることもなく葉山さんは笑っている。

「雨村は言わないもんね。殺人者に優しいから」

 心臓の音だけが、ずっとうるさい。

「だから雨村のお母さん、まだ見つかっていないんでしょう」

 その時、携帯が鳴った。
 僕の携帯だと分かり、体が硬直する。
 出ていいものかと躊躇っていると、「出たらいいよー」と葉山さんが言う。
 電話は夕紀からだった。

「……もしもし」
『あ、シズー?チカともうすぐ帰るんだけど、お前は何してんのー?』
「あー…。団地の近くにいる」
『近く?まだ家にいねえの?』
「うん。ちょうど葉山さんと会ってさ。立ち話してた」
『葉山さんと?なんか新鮮な組み合わせだな。俺とチカはもうバスに乗っててさー。そっちのバス停に着くわ』
「ああ、そうなんだ。夕紀、あのさぁ」
『んー?』
「僕のドアを何回叩いた?」
『………昨日は3回』

 そこで電話は一方的に切れた。
 心細くないと言えば嘘になる。今目の前にいるのは、言っていることが本当なのだとしたら連続殺人鬼なのだ。
 葉山さんに視線を戻し忠告も兼ねて状況を伝える。

「夕紀ともう一人幼なじみが戻ってくるみたい」
「そう。相変わらず仲がいいね」
「……葉山さんって昔僕とどこかで会ってる?」
「なんで?」
「僕のことを知っている風な言い方だから。少なくともそう聞こえるんだ」

 僕の中の認識では彼女とは高校から同じクラスになったとある。小中学校もそれ以前も、葉山さんと出会った記憶はない。

Re: 彼が愛した吸血鬼 ( No.19 )
日時: 2023/11/03 17:23
名前: ネイビー (ID: QEDC6Aof)


 僕を複雑だと評価する彼女もまた、難解な構造をしていると僕の心臓が警報を出している。主に頭のヤバさの方で。
 これ以上同じ空間に居たくはないんだけれど、葉山さんが殺人を自供した以上、僕も少なからずこの事件に関わってしまったことになる。指の爪先ほどだろうか。いや、片足ズッポリ関わってるかな。
 見たところ葉山さんは何故か逃げ出す気配もない。
 どうしてだ。なんだか僕に……共感を求めているような意志さえ感じる。動揺すると一気に形勢が変わりそうだ。感情を逆撫でするのは逆効果。敢えてここはあくまでも、同じ高校のクラスメイトという立場をベースに、やり過ごす。
 間に合え、と念じながら。

「僕は閉鎖的に生きてきたから、あまり周りにいた人たちのことを覚えていないんだ。だから僕が覚えていないだけで、昔、葉山さんとどこかで会ってるんじゃないかなって。色々と僕のことを……知っているみたいだから」

 単なる流れてきた噂ではなく、触れられたくない奥底の一歩手前を勝手に知られている気がする。

「雨村は閉鎖的に静かに生きていたかもしれないけど、けっこう目立ってたよ。あの頃」
「だからどの頃」
「目立つとは言っても、皆んな自分とは違う家庭背景に好奇心を抱いていたからねぇ。噂だけが一人歩きしていて辛かったでしょう。うんうん。分かるよ、私には」
「完璧に黒じゃん。僕たち絶対にどこかで会ってるよね」
「後ろ指を刺されて辛かったよねぇ。あの頃に声をかけていたら少しは何かが違ったんかな。でも勇気が出なくてさ。高校で同じクラスになった時に運命かなと思ってたんだ。私には分かるんだよ。家のことで噂されて、親のせいで除け者にされるのは身を切られるような思いだよね」
「葉山さん、ちょっと、止まって」
「私には!!!分かるの!!!!」

 肩で呼吸しながら、葉山さんは一気に距離を詰めてくる。思わず後退るが、両手で肩を掴まれた。振り払えなかった。驚きと焦りで体が硬直してしまって。
 どこに興奮するスイッチがあったのかは分からないけれど、明らかに先ほどとは様子が違う。服越しからでもわかる、肩に置かれた手の力。ガクガクと頭を揺さぶられ、使い物にならない脳みそが酔いを助長する。

「ねえ、雨村」
「なん、なんだよ」
「私の気持ちも分かるでしょう?ああするしかなかったんだよ。じゃないと私が壊れそうだったんだよ」
「わ、わからない……」

 側から見ればカップルの痴話喧嘩だろう。
 ヒステリックな彼女に頭ゆすられちゃってカワイソーと噂されるのでは。いかん、そろそろ目が回るどころか、酸っぱいものを胃から外へ出しかねない。視界がブレるからというよりも、この詰め寄られて一方的に感情をぶつけられる構造が、生理的に受け付けない。

「なんで、わかんないの」

 葉山さん、

「私は雨村の気持ちがわかるのに。痛いほど」

 きみは誰なんだ。
 いつの間にか葉山さんの動きは止まっていた。荒い呼吸で上下させる僕の肩に手を添えたまま、ビー玉見たいな目で見つめてくる。僕はあまり背が高い方ではないから、葉山さんと目線の高さが交じり合うのだ。薄く目を閉じる葉山さんが見えて、さすがに今度は避けなきゃと思う。
 顔が近付いてきて、唇を塞がれそうになる。

「ちょっと、待っ「はいはーい、ストップ」

 思ったより、早かった。
 葉山さんがゆっくり振り返る。
 夕紀は笑顔でそこに立っていた。
 バス停から走って来たのか、額には汗が滲んでいる。

「こらぁ葉山。シズから離れて」
「……………。」

 何も言わずに僕の肩から手を降ろし、葉山さんが少し僕から距離を取る。感情の読めない表情で僕と夕紀を交互に見たあと、

「やっぱりお前たち、気持ち悪い」

 そう吐き捨てて、何事もなかったかのように来た道を戻っていった。小さくなる後ろ姿が完全に見えなくなるまで、僕はその場から動けずにいた。その間、近くにいる夕紀も何も言ってこなかった。

「……合言葉、覚えてて良かったわ」

 しばらくして夕紀がそう言った。
 僕らの秘密の合言葉。
 『昨日ドアを3回叩いた』。

「シズはピンチに巻き込まれすぎ」

 夕紀は僕の肩を抱いて、押すようにゆっくり歩き始める。足が震えて亀以上のノロマな僕を支えながら、僕たちは木叢団地に帰った。

Re: 彼が愛した吸血鬼 ( No.20 )
日時: 2023/11/04 20:50
名前: ネイビー (ID: QEDC6Aof)

06

 回想。

 僕は3人家族で、父母と子供は僕ひとり。木叢団地にはいろいろと生活する上で難ありな人たちが住んでいて、そこの地域一体では「あそこに近づくな」「やばい人たちが住んでいる」という差別的な噂が充満していた。実際に治安も良くはなく、何を生業にしているのかわからない刺青のおじさんや、派手な髪の子どもたち、生気のない顔でいつも座り込んでいるお姉さんが団地内には居た。特別住人たちの交流があるわけでもなく、それ故に妙な言いがかりをつけては喧騒が耐えないような場所。
 僕の父親は、どちらかといえば「キレると何をするかわからない人」な印象がある。
 もともと精神的な病気があったらしく、ノートに自分を投影させたキャラクターを描きまくっては、ブツブツそいつと会話をしている人だった。極端な潔癖症で、お風呂に入ると丸一日出てこなかったり、歯磨きも一日に10回以上はしたりする。そのくせ掃除は何故か無頓着で、家の中が汚れようとゴミで溢れようと、全く気にならないようだった。気にならないというか、視界に入っていなかったのかもしれない。独自のルールがあり、それに反する者は息子であろうと断罪する。そんな父親だった。
 母親は良いところの箱入り娘のようで(僕の学費は母方の祖父母が出してくれているわけだけれど)、大変甘やかされて育ったせいかなんなのかはわからないけれど、とにかく世間知らずで空気の読めない、お金の管理もできない人だった。
 個性豊かでエグみの強い、灰汁がどよどよと浮かびそうなこの両親の元に僕は産まれたわけだけれど、家の中は常にカオスで地獄だった。
 物心着く頃には父親はノートに奇妙な絵を描いてはそれに話しかける生活だったし、母親の方は現実逃避で覚醒剤に手を出した。僕が小学校に入学してからは、ますます家族内は崩壊していった。性に奔放な母親は、僕を呼んで自分の性器を舐めろと怒鳴り、拒めば無理やり顔を押し付けられた。尿で汚れた顔を拭いていたら、今度は風呂場から父親に呼ばれて、汚いと怒鳴られ浴槽に沈められた。罵られた次の日には母親から泣いて謝られ、父親の愚痴を永遠聞かせられた。僕の制服は洗われないままだったから、食器用洗剤を使って自分で洗った。

「それ、虐待っていうんだよ」

 託児所からずっと一緒に育って来た夕紀が僕に教えてくれたのは、小学校3年生の時だった。
 母親が不在がちの夕紀の家が、学校帰りからの僕の唯一の避難場所だった。階数は違えども同じA棟の僕たちは、必ず毎日夕紀の部屋で二人だけで過ごしていた。
 夕紀は僕が当たり前のように話す生活を、憐れむわけでもなく興味深そうに聞いていた。
 普通の小学生が弾ませるような話題とは違う、吐瀉物のような話。アニメとかゲームとか、そんなものは異次元だった。

「シズは虐待を受けているから、早くなんとかした方がいい」
「なんとかって……」
「全部壊しちゃえばいいんだよ」
「壊すってなにを?」
「お父さんのノートやお母さんの薬を捨てるといい。俺も手伝ってあげる」
「殺されるよ」
「させねえよ。俺がさせない。そんなこと」

 部屋で、ふたり。
 夕紀の声だけが聴こえる。
 落ち着くけれど、それと同時にどうしようもなく奥が疼く感覚があった。
 母親からの奉仕の強要で、僕の体は年齢と発達とのバランスが噛み合わないバグを起こしていた。低学年から精通を経験し、無精を何度も繰り返す時期もあった。相手が母親であるという恐怖と嫌悪感からか、性的な欲求を覚えるたびに胃液が迫り上がってくる。
 落ち着く。暖かい。もっとここにいたい。夕紀のそばにいたい。あそこに戻りたくない。気持ち悪い。気持ちいい。柔らかい。汚い。怖い。逃げたい。逃げられない。

「なあ」
「ひっ」

 勃起を隠そうと前屈みになるけれど、夕紀には気づかれていた。

「シズが落ち着くまでさ、俺、ベランダ行ってるな」

 僕の早熟した性を目の当たりにしても、夕紀は何故かあっさりすぎるぐらいそれを受け入れていた。へらっとした笑顔を残して、部屋から出ていく。
 ひとりになった部屋で、僕は吐き気と悪寒を抑えることだけに集中する。自慰行為をすると生理現象は治るが、後からとてつもない虚無感に飲まれそうになるのだ。
 
 小さく体を丸めて、なるべく頭を空っぽにして----。
 ただひたすら、狂った熱を逃すことだけに集中するしかなかった。



 夕紀の部屋に着くと、無言で自室の奥に押し込められた。
 リビングに当たり前のように小夜が居るのが見えたが、向こうも僕も声をかけられる状態ではなかった。夕紀は扉を閉めて、「座りな」僕を床に座らせる。
 さっきの葉山さんとのことを夕紀に話そう。
 そう思い僕が口を開く前に、夕紀がすぐ隣に腰を下ろして「走ったわー、疲れたぁ」と脱力した。緊迫とは程遠いその姿に一瞬呆気にとられる。

「チカをバス停に置いて来ちゃったじゃーん。まあ、あいつは気にしてねえと思うけど」
「あ、ごめん……。僕もちょっと、混乱していて」
「だろうなー。だと思いますわー」
「夕紀、葉山さんが連続殺人犯だった」

 さらっと伝えてみる。
 夕紀はだらけていた体勢をほんの少し立て直して、

「ああ、そうなん?警察言うか?」

 予想通り、すんなり受け入れた。
 この幼馴染の受容力には時々、救われた安堵よりも、深海のような闇を感じる時がある。普通の人間は同級生が殺人犯だと聞いたら耳を疑うし、道端に落ちていた吸血鬼なんて拾ってこないだろう。

「警察には……いい。後で言う。それよりも僕は気になることがあって」
「待て待て。警察には言ったほうがいいだろう。犯人隠蔽で捕まるんじゃなかったか?」
「わかった。必ず言う。その前にいっこだけ聞きたいんだけど」
「なんだよ」
「葉山さんって僕たちと同じ小学校だった?」

 


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