ダーク・ファンタジー小説
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- 【感想随時受付】罪、償い。 【第二章第四話part7up】
- 日時: 2013/08/07 17:03
- 名前: 鬨 (ID: UIQja7kt)
初めまして、鬨(とき)と申します。
此度私が投稿させて頂く物は、小学生高学年から中学生まで設定をしていたり、書き込んでいたものを実に六年ほどの年数を経て改善したものです。【小説家になろう】より移転したものであり、また当人であることをここに確認させて頂きます。
注意事項は特にございません。お目汚しになるやもしれませんが、精一杯書いていく所存ですので、皆様、どうか最後までお付き合い頂ければと思います。
追伸:コメントを頂ければそれだけで励みになります。飛び上がって喜びます。
第一章 紅の炎 >>36
第二章 二重の狩場 >>44
キャラ紹介
神無木来人 >>66
桜井明 >>67
焔 >>68
コメントを頂いた方々
鈴月音久様【DISTANCE WORLD】
花様
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→@Ry_ipsf
- Re: 罪、償い。【転載作業中】 ( No.21 )
- 日時: 2013/02/01 20:47
- 名前: 鬨 (ID: a4Z8mItP)
「じゃあ、そろそろ戻るか」
携帯電話を取り出して、時計機能もあるために映し出された数字を眺めながら呟いた。——長い間、沈黙していたのかもしれない。いつの間にか時刻は四時を過ぎていた。
彼女は夕暮れに染まり始めた世界を見つめながら、一つだけ頷く。振り返ると髪がなびき、そのまま彼女は俺の横を素通りして階段を降りていく。
——————見つけた。
桜井が俺の横を通っていったのと、ほぼ同時のことだ。夏場だというのに全身に寒気が走り、身の毛がよだつような悪意を感じ取れた。……未だに一般人である、俺からしても分かるほどの、強力な悪意だ。いや、むしろ明確な殺気に近い。俺では抗うことはおろか、指一本、この気配の主が姿を現せば動かすことができなくなるだろう。
「来る……」
階段を上りきる前に振り返ったのであろう彼女の声が、屋上と屋内を繋げる扉の向こうから反響してくる。やはりこの気配、俺だけが感じている錯覚ではない、ということか。
気がつけば、俺の背中には汗で服が張り付いていた。生物的本能が——ここにいてはまずいと、俺に警告し、同時に警戒を促した。否、警戒などするだけ無駄なのだろう。これだけの重圧を受けては、俺という小さな、能力者達からすれば蟻にも等しい生物は踏み潰されてしまうのだろうから。
「ひとつ聞いていいか?」
「なに」
話さないと、自分で自分の理性が保ちきれない気がした。——きっと、事実保ちきれない。全身が潰されそうなほどの圧力を感じている俺は、唯一働く舌と脳を必死に動かして、現実逃避じみたことを試みた。
「お前とこの気配の持ち主、どっちが強そうだ?」
「相性にも依るけど、わたしより強いかもね」
————聞くべきではなかったかもしれない。
この気配とやらは、昨日あの異形を圧倒した桜井よりも上だと、彼女は言った。きっと冗談だ、と思いたい。自分を護ってくれるといった少女より強い敵が、初っ端から現れるなど御免被るのだ。
「っ、————動かないで!」
「!?」
突然、彼女は声を荒げてどこからともなく弓を取り出した。ああ、あの武器は一体どこから出しているのだと、今度聞かなければならないな……、なんて間の抜けたコトを考えている俺の、首の横だ。彼女が解き放った氷の弓矢が、そこで炸裂するように弾けた。
「せっかく痛くないように、と。せめてもの気遣いだったのですが……」
反射的に、振り返る。
女の声だった。桜井より大人びた、根のしっかりした自信すらも感じさせる声。息を呑んで姿を見れば……、ダークコートと黒いブーツ、全身を黒服で統一した、長い赤髪の女性だった。
そして、その手には————、
「お前……それ……」
「あ、気づいたんですね。そうです。昨日貴方を襲わせたのは、私です」
昨日の怪物が使っていた日本刀と、まるで同じものが握られていた。……同じというのは間違いだ。きっと昨日のは桜井が、光神ルーの槍と称したものと同じように、“レプリカ”、つまりは模造品、贋作、劣化品。そして眼前にある刃こそが、本当に俺を叩き切るべく向けられた、刀(オリジナル)なのだ。
物々しい空気、今まで何人も斬ってきたのであろう、怨念じみたものを含んだ血生臭い機運は鞘に収められた状態からでも感じ取れ、よほど使い込まれているらしく、柄に至っては擦り切れてさえいて、装飾の柄頭から伸びる赤い紐は何本にも分離していた。
格が違う……。無論、俺が闘いなんて呼べるものを経験したことはなく、せいぜい鉄パイプを使う不良に対する殴り合いぐらいしか経験したことはない。だから当然と言う者もいるのだろう。だが、俺が言いたいのはそんな戦力の格ではない。
————存在そのものの、格が隔たっている。
声が出るはずもない。あの女を見ただけで、まるで蛇に睨まれた蛙のように体が固まってしまったのだ。唯一行動が赦されたのは、ただ絶望の二文字を理解せざるを得なくされた、自らの頭だけ。
悲鳴をあげたり、昨日のように尻餅をつかない自分をむしろ褒めたいぐらいだ。ある程度の異常を前以て経験していたからこそ、これほどの圧力と異常に耐えられるのだ。きっと昨日の俺ならば、こいつを見ただけで失神していたはずだ。
「さて……それでは、あまり気は進みませんが。死んでください」
「————、っ!?」
いつの間に刀を抜いたのか。
俺が再び意識した頃には、既に彼女の手中には漆黒の峰と白銀の刃を兼ね合わせた残酷なほどに流麗な抜き身の刀が姿を現していた。
そう。現した、だけなのである。
「……邪魔を、するのですね」
俺の眼前には、冷気と氷の結晶が飛び散っていた。
この女からすれば、俺が意識できないほどの速度で、あのまま俺を斬り殺してしまうことなど容易かったのだろう。だが、俺は事実こうして数秒だけとはいえ図らずも延命できている。
何故か? ——答えは一つ、桜井が再び氷の矢を射たのだろう。俺の前で綺麗に散る氷の礫が何よりの証だ。
「当然でしょう。未来の同胞殺しっていうのも赦せない。そして何より、アンタみたいな強力な能力持ちをずっと探してたのよ。
————やっと、見つけた」
——探していた。
俺はこの窮地に措いても、あいつが“ずっと探していた”という言葉を聞き逃さなかった。それは、先刻言っていた彼女が“やらないといけないこと”と称していた事柄なのではないのか? 強力な能力持ちに出会うことでこそ、為せることとは?
……これから始まるであろう戦闘に支障を来たさぬよう、俺は数歩退いてから桜井の後ろへと走った。無様ではあるが、今は仕方がない。力の素養があると言われて、けれど今は使えないとも言われたのだ。この借りは、俺が闘えるようになってからきっと果たそう。
「桜井明。能力者……悪いけど、あなたを黙って帰すわけにはいかないわ。倒して、質問には洗いざらい答えてもらう」
弓に再び矢を番える少女と、
「焔(ほむら)と申します。お察しの通り、“黒”——捕まるのは困りますね。仕事も終わらせないといけませんし」
刀を片手で構え、俺をちらと視界に捉えた女。
「へえ、あなたが。『紅色の炎』、か……相性まで最悪なんてね」
異名まで付くほどに、あいつは“そちら側”では有名らしい。再び、俺が決して立ち入ることの赦されない、超人的戦闘が繰り広げられるのだ。俺にできることは、ただ藍色の彼女が勝つことを祈ることのみ。——だというのに、相手は炎の使い手だなんて、本当に祈るにしても、賭けるにしても分が悪い。
一言だけ、後ろから声をかけてみた。
「悪いな。これも借りにしておく」
「利子はつけないけど、かなりの債務になるわよ、これ」
冗談めかしたことを言う余裕だけはあるらしい。彼女は“相性が悪い”、“自分より強い”と称した相手を前にしても、戦意を失うようなことはせず、未だに勝つつもりでいた。
ならば、祈っているべき俺が諦めるだなんて、筋違いにも程があった。だからもう一言だけ、言うとしよう。
「ああ……頼んだ」
本当に、小さな声で。呟くようにして、彼女にそう告げた。
そしてその次の瞬間のことだ。彼女はふっと笑みを浮かべながら、矢を番える。それを合図にしたのか、小手調べとばかりに俺にすら視覚できるほどの速度で、焔と自称し、桜井には『紅の炎』と称された女は真っ直ぐに飛び込んで来る。
「参ります……」
「————ッ!!」
一秒にも満たない、瞬間のことだった。
見える、手加減している、と俺が判断し瞬きをして目を開いた時には、金属音じみたものが十数号連続して打ち鳴らされ、火花や氷の粒が飛び散る戦場が目の前に現れていた。この時俺は、改めて眼前の者達が俺など遠く及ばない、規格外の生き物なのだと思わさせられた。
闘いの幕は、こうして上がったのだ————……。
- 第四話−呼び声− ( No.22 )
- 日時: 2013/02/05 15:59
- 名前: 鬨 (ID: a4Z8mItP)
射抜かれる“撃”————己が怨敵を討ち滅ぼすべく空にて直線を描き滑空する氷晶。
振るわれる半円————即ち紅蓮の髪を下げた侍のような女が、寸分違わず矢を打ち、切り落とす刃の軌跡に他ならない。
都合、十二回。それは繰り返されていたのだ。俺はなんとか目視しているが、天地神明に誓って断言しよう。こんなものは、人間技ではない。
地面に、空中に、空気の波紋を残して滑空とすら言える速度や体勢で自らの戦力をぶつけ合う彼女達は、間違いない。存在を信じざるを得ない————“黒”であり、“能力者”であると。……そして、そうした連中は、存在するのだ……そう、俺の目の前に。
「ふ、っ————……、」
一度息継ぎをして、桜井は更にペースを上げる。この時点で、目の前で何が起こっているのか分からなくなった。小気味の良いロックかパーカッションに聞き違えそうな、激突音が何度も響いているということしか分からない。
無論、一切合切、まったく以て見えないということでもあらず。時折桜井ら二人の腕の動きが分からなくなったり、そこにあったはずの弓矢や刀が、別の場所に存在していたりするという状況だ。
だから、逆に不気味だ。小気味が良くとも、畏怖の対象である。
こんなことは普通なら有り得ない。——ただし、これは“普通”ではないのだということもまた思い返される。超常の異能を駆使し、互いを削り合う能力者と“黒”はたった今、この時を以て“削る”のではなく互いを“滅す”兵器と化した。
「っ————…、」
「む……」
苦悶の声をあげる桜井と、怪訝な声を漏らす焔。あくまでも今まではっきり見えていた闘いからした推測でしかないのだが、桜井は想像以上の強さを持つ相手に攻め込みきれず、逆に桜井を過小評価していた焔は自信の過剰さを改めたのだろう。
————そう。推測でしかない。しかし、これは凡そ誤ってはいないのではなかろうか。現に焔は驚きから感嘆の表情へと変わっていき、桜井は汗を流しながら焦りを募らせている。 間違いなく桜井は、あの女に押されて敗北しかかっているのだ。
いつの間にか、桜井は昨夜に悪魔へ向けた氷の刃で応戦をしていた。武装の切り替えの速さも、やはり達人などを越えた境地に措ける戦闘故のものだ。
弾ける、弾ける、弾ける————高速という言葉すら陳腐に感じられる両者の打ち合いは、徐々に桜井を焔が圧していくという形となっている。しかし彼女もただでは引き下がらず、先程からの打ち合いで、焔は完全に攻め切れてはいない。
奔る火花。否、スパーク。両者の打ち合いによって奏でられる、世界の悲鳴。俺が未だかつて見たことすらない、激しくありながらも静かな気迫の鬩ぎ合い。
あの女の刀は幾度となく振るわれ、藍色の少女は同じく、幾度となく掠り傷を作りながらも掻い潜り、反撃の好機を伺っていた。
まさに僅差。ヤツが手加減をしているこの間にと、——ヤツが油断しているこの、絶対的な機会を以ってして、桜井は自身の間合いへと踏み込む————!!
「は、っ……ッ!!」
桜井はこの時、ようやく攻めに転じることのできた。既に都合百を越える剣戟の中に活路を見出した彼女は、自らの手中に収められた氷晶のスチレットを焔の喉元へと叩きつける。
流星が如く。彼女の髪にも似た藍色の、直線で描かれた軌跡はしかし、女の喉へと喰らいつく直前に、刀という番犬によって、この打ち合いに措ける自身の敗北を悟ったかのように跳ね返る。
一度退けば詰むという判断。自分と相手の覆しようのない実力の差を認知している彼女は、氷のスチレットを握ったまま体を回転させ、髪を流れるようになびかせ、同時に脚で円月を描いて女の鳩尾に足を走らせる。
しかし、それすらも届かない。障壁を形成するが如く振るわれた一本の剣により生まれた線により、桜井が放った渾身の脚撃は焔に届くことなく叩かれ、地へ落ちる。
「こ、のぉぉぉおおお——————ッ!!」
空中を何度も引き裂いていく短剣は、されど一度として相手を捉えることなく空を舞い続けた。
焔の表情は、余裕を称えたまま。完全に遊びが入っているのだろう、女侍は本来、得手としていない接近戦を挑んだ弓兵を嘲るように攻撃を凌ぎ続けるだけ。
そう、だからこそ。彼女が勝利できる可能性が存在するのは、たった今、この時だけなのだ。相手が未だに能力の扱い方すら見せず、そこから生まれる能力の派生、技術を振るっていない間に金星を飾らねば、桜井は能力の相性の観点から見ても敗北することが必定となる。
ガッ、————キンッ! カンッ!!
フライパン同士を叩き合わせたかのように、金属音が何度も空間で反響する。
無論突き合わされているのはそんな平和じみた物ではなく。互いを殺傷せんと振るわれ、今も尚火花を散らす殺意の塊————!!
「はっ————、ぁぁぁぁぁあああああああ————————……!!」
「無駄です……貴女では、私に傷を負わせることすら出来はしない……!」
桜井が幾度となく奔らせる流星に対し、焔はただ地表と称することすらできる強固な刀の壁を以って受け止め続ける。少女が片腕でしか扱えない短い得物を握っていて、刃物が相手。攻撃範囲も狭く、しかも一撃、一撃しか振るうことの許されていない攻撃は、俺の目から見ても、焔が防ぐことに困難を強いられることはないだろうと思い始めた。
「……!?」
だが俺の印象も、焔の余裕も、たった一撃によって掻き消されることになった。
「ぁぁぁぁぁああああああああああ——————————……!!!!」
————刃、だった。
氷の能力をより一層高めた桜井の手に握られていたのは、“短剣だったもの”である。
半透明の水色に輝く氷の結晶は刃の形状を為す。それだけならば、先程から行われている攻防の中で、俺ですら何度も見ていた事実だ。違いは、一つ。……焔を驚かせるには、十分過ぎる、大きな違い。
彼女が振るう短剣の刃渡りは、いつの間にやら焔の持つ刀にも劣らぬ長物に変わっていたのだ。
能力の出力の調節であると、未だに能力に目覚めていない俺だが……看破することに成功した。
ガスバーナーの炎が、弱火から強火へ一気に変えられた時に、炎の噴出される距離が著しく伸びるのと同じように。彼女の持つ刃は、元より氷の結晶で象られていたのだから、最初から刃の形状など決まっていないようなものだ。
「っ……!」
剣戟の最中に、突如として攻撃範囲を広めた一閃に、さしものあの女も驚愕を隠すことは出来なかったようだ。氷の短刀はいつしか氷の騎士剣(ナイトソード)と化して、今まで紙一重で攻撃を避けていた焔の左頬に一本の赤い線を入れる。
「……!」
掠らせた——失敗だ。直撃をさせることができなかった以上、ダメージはない。だというのに、あいつが油断をしていたということを認めさせてしまうのだ。そのことを自分でも理解しているのか、桜井はしまった、と表情を曇らせる。
同時に——、
「なっ……!」
「やっぱり手抜きをしすぎましたね……」
刀をいつの間にか納めていた焔が、桜井の両手首を骨が軋まんばかりに強く握り締めていた。——そんな、小さくて本気で取りにかかる必要すらない所作でさえ、俺の目には映らなかった。……驚きの表情を浮かべているあたり、桜井にも見えていなかったのかもしれない。
あまりにも格が違った。勝てるはずがないと、体が理解してしまっている。俺も、桜井も、あいつには勝てない————、ここで、死ぬ……。
ゴッ……、ゴッ……。
そのまま片手で桜井の手首を掴み直した焔は事もあろうか、桜井の腹部に連続で拳を叩き付けはじめたのだ。両腕をつかまれ、抵抗を封じられ、能力はこちらがいくらぶつけようとしても、相手は一切の炎の片鱗すら見せずに捌いていく始末。
何度も鈍い音がデパート屋上で響き、その度に俺の眼前で少女の口から零れた鮮血が宙を舞う。
“————やめろ”
俺は自分の非力さを呪い、この奇行が一刻も早く終わることを祈った。
自分が弱いから、ヤツはこうして俺の代わりに甚振られている。俺が生きたいと思っていたから、桜井は手助けをしてくれて、ああして今にも殺されてしまいそう。
怒りが沸く。自分に対して、あの女に対して、——自分の命を第一にしない桜井に対して。
傲慢にして正当にして感情的且つ極端な気持ちが俺の心を支配する。許せない……、目に映る全てを灰に変えてしまいたい衝動に襲われた。
- Re: 罪、償い。【転載作業中】 ( No.23 )
- 日時: 2013/02/05 16:00
- 名前: 鬨 (ID: a4Z8mItP)
「畜生……」
自然と口からも、自分に対する怨嗟の念が吐き出されていた。
こんなことはあっていいはずがない。許していいはずがない。何故俺などのために、目の前でまだ会って数日の少女が嬲り殺しにされなければならないのだ。
「ぐっ……、っ!」
未だに殴りつけられている桜井は、ついに一際大きい血の塊を吐き出した。
びちゃり、と。地面に絵の具をぶちまけたように赤い水溜りが形成される————それも、俺の責任で。何度も、何度も、何度も殴打された腹部は、次第にそこからも赤い雫が滲み始めている。
「ふ、ぐぅ————!」
——そして、弾き飛ばされた。
手を一瞬で離され、一度自由になった桜井は距離を取るために跳躍したのだが。既に背後に回りこんでいた女が、全身を右に回転させ、蹴りを放った。
今までと比べ物にならない程に重い音。そして気圧に異常でも生じたのだろうか、白い波紋が空に浮かぶ。
しかし痛みを度外視した少女は、吹き飛ばされつつようやく自身の本来の射程、遠距離となったことを即座に理解した。
この時を待っていた。まるで、そう言っているかのように顔を歓喜の色に浸し——再び手中に弓を現して氷の矢をも形成。そのままそれを番え、空中で体勢を整えながら放った。
「先程から何度も繰り返していますが……通用しないと、分からないのですか?」
弓矢は連続で三つ放たれ、時間差で焔に解き放たれた。
——毛利の三つの矢という話がある。一本の矢ならば軽んじることができ、簡単に折れる。だが三本を纏めて放てば、力ずくで折ることは難しくなってしまう。小さな力も集めれば、大きな力へ転ずる。そして団結せよ、という意味の格言である。
本来、彼女がたった今放った矢もそうするべきであった。威力が今まで小さかったという意味でも、焔にその矢は通用していなかったのだ。だから今、ようやく得たこの隙を見て、自分の持てる力を全てぶつけるべきだった。
————だが。
彼女はそうはしなかった。そして結果は、
バンッ、パリィン……!
問答無用の力量さによって、当然のように矢は一本、叩き割られる。ちりちりと氷の礫が舞い散る中、他の二本は真っ向から立ち向かう必要すらないと判断され、平然と体をそらして遥か後方へ。
これで手中はからっぽ。再び作れば良いとはいえ、能力で作り出していたものだ。再び練度、精度のある矢を作り出すには、時間がかかるだろう。
その判断は、焔も同じだったようだ。好機と見た女は、真っ直ぐ丸腰の桜井へと突っ込んでいく。
「————!?」
驚くのは女のほうだった。
赤い髪が急激な体の停止によってばさりと揺れ、前方から“本来有り得ぬ”射撃に困惑し、仕方なく刀を抜いて弾き落とす。
「二本目……!」
しかしそれすらも布石。
大地を踏み締め、ようやく体勢を整え終えた桜井の周囲には、いつしか三十は越えるであろう氷の刃が滞空していた。空に根を生やし、無理やり生えてきた植物のように姿を現している刃の群れは、一斉に焔へと切っ先を向ける。
つまり、この無数の群れの中から、第二の矢は放たれたのである。最初の一発目が牽制として焔を襲い、刀で弾いた隙をついて一斉にこの刃の軍隊を作成、同時に二本目の攻撃として矢を番え、死角からの攻撃を行った。
————……だが、まだ忘れていることがある。
桜井が今まで射撃として撃ち放ってきた矢は悉く、突き刺さるか、爆散するかのいずれかだった。だがこの群れを形成するための布石の、更に布石であった空中で放たれた三本の矢のうち二本は対処すらされず、遥か後方へと飛んでしまっていた。ならば、そろそろ地面に落ちて高音を奏でるか、爆散していても良い頃だ。——だが、、何の音もせずそれらが既に行動不能ということを示す材料がない。
ならば、“それら”は一体どこにあるのか……?
「————っ、!」
“背後から襲ってきた矢”を、前以て気配で察知した焔が、ついに刀に炎を宿し一閃。体を回転させて自身を火の渦へと放り込み、事なきを得る。
完全に桜井の爆破攻撃は完全に遮断されてしまった。遅れてやってきた後方からの第二撃の矢もまた、然り。
強い。……今までは化け物としか見ることのできなかった女を、“達人”としての意味で、そう俺は胸中で褒め称えざるを得なかった。
最初の布石である攻撃も、当たってしまっても何の不思議もなかったのだ。だというのに簡単にそれらを捌き、能力を用いて相手の攻撃を全て防ぎきるという極悪さ。これを強いと称さずして、どう称すべきか? ——語彙の少ない俺には、そんな幼稚な言葉しか浮かばない。
完全にこれで振り出し。焔は能力で起こしてしまった炎の渦で自分を閉じ込めてしまい攻撃ができず、桜井はその渦には氷の能力であるためにろくな対処ができない。戦闘は一度、これで互いに仕切りなおしとなる、はずだった。
「ッ!」
まだ————、止まらない。自分の限界という壁へ突進し、体が砕け散ることも厭わずに。桜井はただひたすらに走り、焔が発生させた渦へと近づいていく。
高さにして六メートル前後。巨大な火の壁は、間違いなく突破するのに骨は折れる。
なのに桜井は、それすら構いもしない。真っ直ぐ、ただ真っ直ぐ奔り続ける姿に、迷いは一切感じられない。
「……まさか……」
焔が声を漏らすと同時。俺はヤツの意図を理解した。
ふと焔の頭上を見上げれば、既にそこには行儀良く整列した無数の氷柱(つらら)。滞空しているそれらは、無論、桜井が発生させた物に他ならない。
台風とは必ず、中心に目が存在するものだ。それは炎で象られた台風も例外ではない。中央には一切の害を及ぼさない、完全な安全地帯というものが存在する。
桜井は最初から、これを狙っていたのだ。自分より実力が上の敵を倒すには、油断を誘い、自身が隙をついてそこに全力を叩き込む他無い。
——ここが、最大の油断だったのだ。“火の壁がある以上は攻撃ができないはずだ”という焔の油断を突いた、この刹那。
「少し余裕を見せすぎたようね。……そういうの、格好悪いわよ」
ニヤリ……、意地悪く目を光らせ、口元をゆがめた桜井の号令一つ。
まるで雨の如く、焔の頭上から無数の氷刃は降り注いだ。—— 一本、また一本とそれらは、火の渦の中へと進入していき……、爆ぜた。
中央にいる主を攻撃され、火の壁は冷気によって振り払われる。なんとも度し難く、本来ならば生きているうちに見られることもない光景が、この瞬間のみに限って顕現していた。
その“前方”からのチャンスを逃す彼女ではない。
「氷弓————“豪風陣”!」
格好をつけたわけではなく、まさに……そう名づけるのが相応しいとばかりに声高らかに宣言した桜井。炎の壁が消失し、冷気に呑まれがら空き同然となった焔に対し、桜井は弓を構え、そこに今までとは比べ物にならない、人間の腕二本分はあろう長い矢を番えていた。
驚くべきは、その背後。——先程は三十だったが、今は都合百十の氷の刃の群れ。
それらが、一斉に空を切る。
文字通りの、豪風。空にいくつもの風を巻き起こし、壁のような“陣”を形成した数の暴力。更にその中央を奔る、巨大な矢。空を穿つ槍の如くそれは滑空し、白い煙じみた冷気の中から、驚愕に表情を歪めて姿を現した女の眼前にて、連続で起爆した。
白い粉塵が再び景色を包み——遠くから戦いを見ている俺の場所にまで、冷気が漂ってきた。
これで勝利だ……。俺はそう信じて、祈って……もうこれ以上、ヤツが暴虐の限りを尽くさないことを望んだ。刹那の間に逆転劇が繰り広げられ、俺の不安は別のベクトルの物へと挿げ替えられたこの約数秒。——この攻防の、結果や如何に?
「……まだ、か」
俺の期待とは裏腹に、桜井は溜息混じりに爆風を睨む。
砂塵すら混じった煙の中、ゆらりと影は佇んだ。
「確かに。手抜きどころか、油断もしていたことは否めませんか……」
刀を横に薙いだ女は、そこから吹き出る圧力で風を巻き起こし、白煙の中から現れた。黒のダークコートは所々破れ、女の右足は凍りつき、結晶が張り付いている。相手に痛手を与えることに成功したが——、所詮はそれだけだ。まるで決め手には程遠い。
「では私も、そろそろ自分の力を披露しましょう」
刀を、収める。
カシャリと。軽く鉄がぶつかったような音が、一度は完全に彼女の刃が納刀されたことを告げる。
腰を低く沈め、鞘を左手で支えながら右手を添える。抜刀術か、と思ったが——さすがに能力者や“黒”達の法外な身体能力を以ってしても、この距離から一気に踏み込んで刀による攻撃を喰らわせるなどというものは、さすがにいくらなんでも無理が有り過ぎる。
「……」
桜井も身構え、何が来るのかと弓をどこかへと消失させ、再び氷の短刀を取り出した。
あの構えは間違いなく何かが来る。俺もそう思うし、あいつは紛れも無くこれから行動を起こすだろう。
「————“残火(ざんか)”」
女は、これから発動させる技の名を、告げた。
- Re: 罪、償い。【転載作業中】 ( No.24 )
- 日時: 2013/02/05 16:00
- 名前: 鬨 (ID: a4Z8mItP)
——刹那のこと。ヤツの足元には轟々と火が円形を作り、焔の足元を燃やし始める。だがあんなものではない。間違いなく、何かが刀から現れるはずだ。
そして、予想通り。ヤツは勢い良く刀を引き抜いて、何もない空中を切り払ったのだ。
引き抜かれた刀からは炎が噴き出し、刀そのものがまるで鍛え直されているかのように熱により赤く発光する。どういう道理か、それでもあの刀は曲がることもなく、軟化することもなく、未だに刀の目的である“断ち切ること”を可能としていることは一目で看破出来た。——仮にあれが軟化しているのであれば、あの刀は……あまりにも、鋭すぎた。
————来る。
更に深く身構えた桜井は、やがて来るであろう火の洗礼に備えて短刀を握り締める。
「————……、」
銃口から解放された弾丸のように、焔は一直線に対象へと走り始める。
刀を握ったまま走り続けるそいつの右手には、炎に抱かれた刀が一本。あまりの速さに炎が追いついていないのか、火の線が空中に残り続けていた。
「くっ……!」
迷わず切りかかってきた女から逃れるように、少女は短刀で刀を受け止めた。
火が噴き出たままの刀と衝突し、みるみるうちに氷の短刀は刃を溶かし始めていく。相性の悪さを逸早く察した少女は、地面を蹴って大きく後ろへと跳んだ。
「遅いですね……————!」
「……?!」
が、ヤツの言う通り。桜井はあいつから見れば止まっているも同然らしい。
後退のための跳躍へ……つまりヤツの背後へと先回りした女は、刀を片腕で振り回した。——なんとか少女は、それを無理やり刀の射程圏へ入る直前、身を横に投げ出して無事に戦闘続行を良しとする。
あの炎は身体能力をも上げるのか、それとも今まであいつは動きまで加減していたというのか。そのどちらかは定かではないが、いずれにせよ、桜井の動きがあいつに通用しないことが証明されてしまった。
自身の脆弱さに、少女は歯噛みする。ギリ、と奥歯が軋ませながら、転がった体を右足から起こし上げた。
勝てないのではないか、と。彼女自身、不安を感じているのは確かだ。今まで見せたこともないような、苦しげな表情を浮かべながら、ヤツはしかし屹然として赤髪の女へと立ち向かう。
「こ、のぉおおおお……、————!!」
——走り続けた。
ただひたすら目の前の敵——即ち、“同胞殺し”が許せず、強迫観念に突き動かされて、あの女を倒すことだけを目標に走り続ける。風を追い越し、自分の体を纏う冷気すら追いつかず、自分自身が矢になったかのように突っ込んでいった。
しかし、止まった。止まらざるを得なかった。
少女の前にあるのは、先ほど刀が通った箇所にちょうど滞空し続ける火の線。少しずつ薄れて行きこそしているが、そこにあるのは間違いなく、空中に残った炎の斬撃。
成る程、————“残火”とは、そういう意味であったのか、と。俺と、そして桜井は同時に理解したのだろう。彼女も更に顔を焦りに歪め、動きを止めながら短刀を構える。
しかし、悪手だ。
「バカ、あいつ……!」
あんな方法は素人でも取りはしないだろう。自分よりも相手のほうが接近戦は上手だというならば、カウンターも出来て当然だ。あんな自爆特攻のような行動を、なぜ今になってあいつは行ったのか。そして行ったなら行ったで、なぜわざわざ自分が相手の得意である間合いで立ち止まりながら、相手の出方を伺わなければいけないのか。
もし、何の考えもなしに行っているのだとしたら、今の桜井は冷静さを欠いている。
——止めな、けれ……ば。
「……っ?!」
今、一瞬——俺の意識は、どこかへと飛び掛けた。
このタイミングで、いくらなんでも邪魔な現象にも程がある。今は桜井に——……桜井って、誰だ? ……違う、目の前の少女に助言をしなければならない。せめて闘えないのなら、助けるなることを————、
————簡単だ。あいつがあの女に勝てないならば、“オレ”が闘えばいい。
不意に頭を過ぎった声も度外視しよう。するしかない。
脳内の電磁波にジャミングをかけられたように、冷静な思考は出来ないでいる。——それでも、俺はあいつをどうにかして止めなければならない。
能力に触れて二日目の素人考えだが、思い浮かぶことはいくつかある。少なくとも身体能力で桜井は焔に勝てないでいるし、かと言って能力をぶつけ合えば相性の問題で確実に敗北する。
加えて、先ほど“残火”と称した焔の技。発動と同時に、突如として刀を炎に包み、空中にはどういうわけか、刀で空振りした空間に火がずっと残り続けている。
今はその炎も完全に姿を消しているが、あれでは能力者同士の高速戦闘に持ち込まれてしまえば、間違いなく残った炎によって体を動かせる範囲が狭まり、やがては焼かれてしまうだろう。
「くっ、……」
苦痛に声を漏らしながら後退した桜井も、そのことは重々承知のようだ。俺はやはり、助言の必要もないらしいが——逆に言えば、外部からの干渉ではこれ以上状況を好転させることはできない、ということでもある。
この、今にも負けてしまいそうな最悪の状況に置かれているのに、である。
何もできない自分に、腹が立つ。
————何も出来ないなんてことはない。さあ、闘え。
脳裏に木霊する声は、少しずつ大きくなっていく。まともな思考を奪い続ける自身の声に歯噛みをし、顔を顰め、桜井と焔の闘いを見ることに集中した。
「は、ぁ、————ッ……!」
「……————!!」
不利なことを先刻承知で、氷で形成した短刀に持ち替えて強引に打ち合う桜井。焔はただ、自身の有利な間合いで相手を少しずつ切り刻んでいけばいい。
単純なことだ。相性も最悪で、力量も下ならば、そのものは負ける他ない。例えるならば、レベルが三十前後のプレイヤーが、自分の弱点を突いて来るレベル五十のモンスターに勝てないのと同じ道理。最初から、勝ち目などなかった。
だというのに————あいつは、今も尚負けることを善しとしない。頬に煤をつけ、髪もところどころ焦げ、体の至るところから出血をしている桜井。きっと、俺が見えていないだけで、闘いの間に何度も攻撃を受けてしまったのだ。
「やめろ……、……————、————が、……ぎ————ッ?!」
自身をこの上なく呪った途端だ。
思考に……——……ノイズ、が——走——目の前——暗、転……、……ダメだ。どうなっているのか、皆目検討がつかない。
だが、現実として、言葉として俺の身に今起こっていることを伝えるのならば、妙に世界の動きが遅く見える。桜井が走っている姿が、ただ人間が大きな身振りで歩いているようにも見えて、——あの女が再び刀を鞘に収め、何かしらの反応を取ろうとしているのが鮮明に、俺の視界に写り込んでいた。
視界はどこまでも鮮明で、音は色々なものが低音へ変わり、……いや、これはきっと、全ての感覚が遅延している。
————パキンッ。
「……あ」
砕けた。砕けた、砕けた、全部全部全部全部名前も目的も理由も過程も結果も何も考えられず相手を殺す殺す殺す殺す殺意が体を支配侵食が、————……。
————自分の名前すら、忘れた。何も感じず、まるで白昼夢を見ているようにぼーっとした意識の中で、ただ、目の前で炎を携えた女を殺すことと、自分のために傷ついた少女を救えという強迫観念じみたものが頭の中を支配した。
「……!!」
驚きはどちらのものだったのだろう。
女の声がしたのは確かだ。けれど今の俺には関係ない。——左手に握った冷たい何物かを、自分でも意識できないほどの速度で二人の間に割って入り、赤い方へと叩き付けた。
何も感じない。やがては視界も閉じていく。音も聞こえない。————完全に、意識が遮断、される……。
「……」
強烈な日差しを浴びせられ、目が覚めてしまった不快な朝のように。俺の意識は沈んだ時とは対照的に、一気に覚醒した。
体中の筋肉が断裂しているのではないかと思わしき痛みと、白熱した体温、そしてところどころ湛えた自身の体の裂傷、火傷。そして何より驚きなのは、自分のことを棚に上げて、目の前で怪物を見るような視線を俺に注ぐ、桜井の姿。
「——何があったんだ……?」
一番負担を感じるのは、左の手首だ。慣れないものを振り回した……というのは、意識が落ちる直前の出来事からも推察されることではある。だが、何事があったのかは、まるで理解が及ばない。
……俺の身に、はたして何があったのだろうか……?
- 第五話−前夜− ( No.25 )
- 日時: 2013/02/05 16:12
- 名前: 鬨 (ID: a4Z8mItP)
意識が覚醒してから最初に視界に入ったのは、俺を異常な者を見るような目つきで見つめる桜井の顔だ。次に俺達を殺そうとした“あいつ”の姿を求めて、——できればもういなくなってくれと願いながら——双眼を這わせた。
結論から先に言わせてもらえば、あの灼熱に侵されたような真紅色の髪と、血みどろと見間違えた深紅の瞳を持った女の姿はない。恐らく、桜井が……いや、現実から目を逸らしてはいけない。
正確には、“意識が途絶えていた内に暴走した俺と、桜井の二人が”焔と呼ばれた敵を追い払ったに違いない。
だが、何故。
疑問から恐怖。二つの感情が一気に腹の底から脳髄を浸し始めた。
何故、突然意識を無くしたのだ。何故あからさまな程に俺が闘った形跡があるのだ。無論、俺が闘ったからなのだろうが、論点はそこではない。俺がどうして、突然闘いに通じる程の力を発揮し、あまつさえその記憶が抜け落ちているのだ。
俺は何者なのだ。……次いでそんな言葉が何度も脳内で反響した。
地下や洞窟で音が響くように。それが反響、というのだが。何度も何度も同じ言葉が音量を下げて繰り返され、次第に俺はそれ以外の思考を封じられる。
気がつけば、何度も何度もパチパチ、という弾けるような音と共に、デパートの屋上であるにも関わらず散々ドンパチした結果が残っていた。あるのは、未だに燃え盛る炎であるし、切り刻まれた床やフェンスであるし、何より俺達の体に深く刻み込まれた傷である。
「……何が、あったんだ?」
俺の口から、重々しい口調で告げられた言葉は、その程度だった。
散々思考を巡らせておいて、尚も、そんなつまらない言葉しか捻り出せなかったのだ。それほどまでに、俺が置かれた現状は“神無木来人という少年”の人生に措いて前例がなかった。あるわけもなかった。
「あなたがあいつを追い払った。……互角にやりあって、ね」
桜井が俺へ告げた言葉は望むものとは正反対でありながら、やはり、と予想したものでもあった。
でもなければ説明もつかないのだ。この体に走る数本の切り傷や、全身が筋肉痛を酷くしたようなだるさと鈍痛に襲われている理由に。
即ちこれらの異常は、間違いなく俺がアイツと戦闘を行い、しかもあいつがここにいない以上、引き下がらせるだけのなんらかの理由があったということ。
一人で、二人で。それはどちらであるかはこの際問題ではない。——俺は無自覚のうちに、桜井を圧倒していたあの女を引き下がらせるだけの力を、得てしまったのだ。それは単純に“こちらが強かった”のか、“相性が悪かったのか”、はたまた別の目的であったかは別として、だ。
信じられないし、まず自分自身に恐怖を覚えざるを得なかった。
はたして俺は、一体何者なのだろう、と。
一般的……だったはずの両親の間に産まれ、いままでこうした異常事態に関わることなどなかったはずの俺。それが、あいつ——焔を退けるほどの力を備えている……そんなことを急に言われても、俄かには信じがたい。でも、……これは、事実、なのかもしれない。
「……帰ろう」
「ええ」
桜井のために購入した荷物を二人で分け合い、俺たちはそのまま暮れかけている太陽の光が射し込むデパートの屋上を後にした。
私は、目を疑った。
斬りかかってくる焔を前に、今回ばかりは死を覚悟した。迅る剣尖を見つめてから、目を瞑ろうとした次の瞬間だ。
数メートル横で、突如として青白い光が炸裂した。否、そんな激しいものではなかったかもしれない。やんわりとした光……けれど、どこかに厳しさがあった。
神無木来人、だった。手を上空に翳し、瞳に光はなく無表情。その手中にある光こそが、私と、斬りかかった焔のことを静止させた原因。
光は地面にも反射し、渦となって彼を包み、空に昇っていた。
やがて手中から現れる剣————焔のような日本刀ではなく、断ち切ることを目的とした、所謂騎士剣は光をも切り裂くのか、太陽から降り注ぐ恵みを辺りに乱反射していた。
「————!?」
驚きは私でなく焔のもの。何かが来ると思い、私が気づかぬ内にトドメを、としようとしたらしい。 私は対処することもできず、焔が再度振りかぶった日本刀をただ見つめていた。
だが——、
ガギンッ!
先程の私達の打ち合い以上に鮮烈な金属音が響き渡った。
音の方向を見れば、そこには“彼”が剣を片手で持ち、焔は両腕で振りかぶってきたにも関わらず、それをその片手で掴んだ剣一本で平然と受け止めていた。
どういう理屈か? 私がいくら力を注いでもまるで勝ち目のなかった相手に、そして今まで力が目覚める兆しすら見せなかった少年が、突然、私どころか焔を優に上回っているであろう身体能力を駆使して現れたのだ。
——しかも、見たことがない。力に目覚めて正気を失いながら闘う能力者を。
少年は無言で動揺する焔へ視線を向け、剣を振り上げることによって互いの武器を弾き、強引に距離を離した。
眼前で火花が散り、つい目を閉じてしまう。
刹那に再び聞こえた高音。ゆっくりと目を見開けば、そこには相変わらす片腕だけを使っていながら、あの焔に鍔迫り合いで押し勝ちつつある少年の姿が。
堪らず私は息を呑む。
——見たことがない。力を使えるようになったばかりで、戦闘も素人でありながら上級の“黒”を圧倒するような能力者を。
「く……貴方はいったい、何なのですか……!?」
「……」
女の問いに、彼は無言。光を失った目で女を見つめ、白銀の刃を持つ騎士剣を駆使するのみ。
だが彼は、あろうことか鍔迫り合いの最中、その剣目掛けて拳を叩き付けた。能力者や“黒”同士の闘いに耐えうる強度を持つ武器を殴り付ければ、殴りつけた拳がどうなるかは想像に難くない。が、彼はそれを度外視し、もう一発殴り付けた。
鈍い音とともに、焔の刀のみが弾かれる。少年は続けて剣を振るい……空中に残るはずの炎を自らの剣を振った風圧だけで押し飛ばしてしまった。
「な、ん————」
——見たことがない。こんな、圧倒的なまでの経験の差を埋めるまでの才能を。
焔が大きく後退するも、来人はそれすら見越していたとばかりに——腰を沈め、剣を反らし、斜め後ろへと剣尖を下ろした。
けれど、直感で理解した。あれは追撃を諦めたのではなく、むしろ攻撃のためのものなのである、と。
「……」
今頃になって少年の拳からは、ぴとぴとと紅い雫が垂れていることに私は気付いたが、両者にとってそれは問題ではないらしい。
彼は剣を横に振り払う。その気迫にも驚いたが、太刀筋はまるで素人のくせに、当たればただで済まなかったと私に思わせる何かがあるし——何より、振るわれた剣から突如として現れた薄い水色の衝撃波に私は驚愕する。
空を断つように進むそれは、焔にも危険と思わせるにも十分だったらしい。今まで私の攻撃を捌き続けた彼女が、今になって刀に纏わせた炎の出力を高め、———— 一気に切り払う。
刀から離れた炎は、一種の爆弾だ。燃え盛る塊は、主を殺そうとする蒼い牙目掛けて直進する、が。
————重なると同時に、炎は掻き消されてしまった。
チーズをスライスするみたいな簡単に。ス、と音を立てて炎の塊を二分し、衝撃波はそのまま進み、二つになった炎は一方が地面に落ちて炸裂、デパート屋上に火の壁を作り、もう一方は遥か空の彼方へ。
やがて、焔の真ん前まで辿り着いた衝撃波は“彼女が回避行動を取ることによって”対象を裂くに至らなかった。
——そう、彼は攻撃を避けさせたのだ。防ぎ、捌き、私の攻撃を無力にし続けてきたあの女が、処理を諦めて回避を行った。
まるで化物じみた強さだ。昨日、私に守られなければ死んでいた少年と同一人物とは思えない。……いいや、もしかしたら昨日、私が駆け付けなければ今と同じくしてあの悪魔を瞬殺していたのかもしれない。そう思うと、あまりにもゾッとした。
こんなにも、力量の差がある相手を、私は守ると言い切ったのか。身の程知らずにも、程がある———……。
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