ダーク・ファンタジー小説
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- 昏き黎蔭の鉐眼叛徒 @4位入賞&挿絵感謝! ※完結
- 日時: 2015/09/12 01:09
- 名前: 三井雄貴 (ID: 4mXaqJWJ)
- 参照: http://twitter.com/satanrising
その日、俺は有限(いのち)を失った————
文明の発達した現代社会ではあるが、解明できない事件は今なお多い。
それもそのはず、これらを引き起こす存在は、ほとんどの人間には認識できないのだ。彼ら怪魔は、古より人知れず災いを生み出してきた。
時は2026年。これは、社会の暗部(かげ)で闇の捕食者を討つ退魔師・妖屠の物語である。
どうも、長編2作目の投稿となります。
ギャルゲーサークル“ConquistadoR”でライターをやっている者です。
他にも俳優としての仕事もしており、去秋にはTBS主催・有村架純/東山紀之主演“ジャンヌダルク”に出演していたので、どこかの公演で見かけたという方もいるかもしれません(本文中にURLを貼るのは規約違反のようなので、活動の詳細は上記のURL欄に記載したツ○イッターにて)
今回は、人生初の一人称視点に挑戦しました。
悪魔などの設定はミルトンの“失楽園”をはじめ、コラン・ド・プランシーの“地獄の事典”等、やはりキリス〇ト教がらみの文献を参考にしました。「違う学説だと云々」等、あるとは思いますが、フィクションを元にしたフィクションと受け取っていただければ!w
※)小説家になろう様のほうでも、同タイトルで連載させていただいております。
白狼識さんにいただいたイラストを挿絵として加えているのですが、サイトの仕様上こちらは掲載できないようでしたので、上記ツイッ○ターのほうにも上げているので、そちらも良かったらご覧いただけると幸いです!
↓ 以下の要素にピンと来た方は、是非ご一読ください!
タイトル:“昏き黎蔭の鉐眼叛徒(くらきれいんのグラディアートル)”
「昏」は夕暮れ後の暗さを意味していますが、たとえ望みが薄くとも来るべき朝を目指してゆく内容から、一見すると矛盾している言葉をあえて選びました。
「黎蔭」で「れいいん」の「い」を重ねて「れいん」と発音します。
「黎」と「蔭」によって夜明けを示しつつ、後者は他者の助けである「かげ」とも読めるため、ダブルミーニングにしました。
そして、主人公がデスペルタルという刀の使い手なので、ラテン語で剣士「グラディアートル」です。彼の瞳は金色で、片目を眼帯で封印していることから「鉐色」と「隻眼」もかけています。
用語
† 怪魔(マレフィクス)
憎悪の念を燃料とする、エネルギー体のような霊的存在。人間に憑依して操り、凶行にはしらせることで新たな負の感情を発生させ、それを糧として半永久的に活動する。怪魔に襲われた経験のある人間にしか視認できないが、圧力をかけている場合や、闇に惹かれやすい者には陽炎のように見えることも。人々が病んでいるほど活発となるため、近年は被害が増える一方である。
† 妖屠(ようと)
怪魔に襲われ、彼らの残滓が濃く残っている被害者の中でも、特に強く復讐心を抱く人間は、発作反応を起こすことがある。この狂気じみた精神汚染を乗り越え、なおも怪魔を憎む想いが余りあると、彼らに触れられる体質へと変化。その呪詛を逆手に、寿命を消費することで人間離れした戦闘力を手に入れ、怪魔を討つ戦士たちに“妖屠”という呼称が付いた。
魔力の活用法ごとに騎士型、魔術型、バランス型の3種のスタイルが定義されており、本人との相性や、妖屠になることへの原動力によって馴染みやすいものに決まる。怪魔の思念が内側で生き続けているため、妖屠は伸びしろが無限大で、経験の吸収力も桁違いではるものの、闇の力に惹かれやすくなる危険も。
悪魔との契約は厳禁だが、その力に縋って掟を破る者が後を絶たない。悪魔は契約者の魂を餌とし、大抵は心身が耐えられず、悲惨な末路を辿る。悪魔が成立と見なすと、肌の一部が痣のように変色。悪魔の活動に比例して疼き、浸蝕も広がってゆくとされる。全身が覆い尽くされる頃には、精神も飲み干されてしまい、後悔することさえ叶わない。
† アダマース
神の子たる人間が得体の知れぬ怪魔などに弄ばれることを良しとしない宗教勢力、欧米財閥の後押しにより2017年に設立された妖屠を育成・運用する組織。本部はローマで、世界中に支部がある。組織名はラテン語でダイヤモンドを意味し、硬いが砕けてしまい易く、活躍する時はキラキラと輝きはするが、運命に翻弄されて散りゆく妖屠たちの精強さと儚さを込めたもの。各人ごとに適した得物・デスペルタルを授け、任務に従事させている。
前身に数多の組織を経てきたようで、歴史の裏で暗躍してきた、という噂も絶えない。古くは、妖討ちの達人として平安時代に名を残す“童子斬り”こと源頼光を裏で動かしていた説まである。日本支部の拠点は都心の地下。東京メトロに沿った通路を張り巡らせており、青梅の山中にも基地を有するなど、人知れず展開している。
† デスペルタル
対怪魔の武器は多くの組織で開発されてきたが、最も有効であるとしてアダマースが導入している支給品。妖屠が怪魔への想いを込めることで、全長30cm程度の棒状から変化し、性質と魔力に応じ最適な形態を形作る。
† 断罪(ネメシス)の七騎士
アダマースは、活躍や模擬戦の結果から妖屠の上位33人をランク付けし、中でも「人の身にあって人をやめた」と畏怖される別格の7名に“断罪の七騎士”という称号を与えている。全員が騎士型の妖屠で、それぞれ長斧、槍、双剣、大鎌、戦輪、鍵爪、縄鞭の名手。
† 行政省
生天目鼎蔵元総理大臣による内閣制度の廃止後、日本の新体制を象徴する機関。明治政府の太政官制における内務省に類似しており、筆頭執政官が内務卿の役割を担う。保守勢力の影響が大きい。“あるべき日本の追求”、“抑止力によって護られる安心と国民”を掲げ、中央集権体制の元、宗教勢力の政界追放、軍事力の増強などを断行。その急激かつ強硬な手法は、今日に至るまで賛否を招いている。
- Re: 昏き黎蔭(れいん)の鉐眼叛徒(グラディアートル) ( No.26 )
- 日時: 2014/12/24 12:49
- 名前: 三井雄貴 (ID: e6MQXn6.)
その日……俺は有限(いのち)を失った。と言っても、死んだわけではない————
† はじまりの罪——常闇の渦中に(前)
一日が終わりに近づくと共に、夕闇もまた、濃さを増してゆく。それに紛れ、いっそうの賑わいを見せる街に反し、その陰に潜み、暗部(かげ)を成す悪意。文明の発達した日本社会ではあるが、解明できない事件は今なお多い。それもそのはず、これらを引き起こす存在は、ほとんどの人間には認識できないのだ。彼らは古より、人知れず災いを振りまいてきた。
そして——怪物が存在する限り、それを狩る者たちもまた、獲物を追い求めて直走る。
「……なんでぼくがきみの面倒なんか見なきゃいけないんだか」
喋り方はともかく、今この街にいるであろう同年代の少女たちと変わらない、気怠そうなため息混じりの呟き。
「しゃーねーだろ。ベテランは都心での任務に追われっぱ、若手はみんな死んじゃったし。ま、いくら人手が足りんからって、確かにこの組み合わせはちょっと頭を疑うわ。世界中の支部を探しても、こんな相性が悪い二人ってそうそう見つかんねーと思うぜ」
地下道を駆ける影は二つ。俺と隣の同僚・三条桜花は走りながら会話しているが、呼吸は乱れていない。
「出るよ、二十六位。きみはお上の采配にケチつける前に足引っ張らないようにしなさい」
地上に抜けた俺たちを、コンビニから漏れ出る懐メロが迎えた。
「十年代特集か。この曲、小学校の昼休みに流れてたわ」
「お昼の放送なんておぼえてないや……消費税が十パーセントのころは日本の学校いってたけど、サビしか知らないなあ。隊長——じゃなくて、多聞さんなんて、ゼロ年代の曲がかかった時になつかしがってた。こっちは生まれてるかも怪しいよ」
先ほどまでの会話の内容はともかく、街灯に晒されたこの二人はいたって一般的な少年少女に見えるはずだ。上からの指示で、物騒な恰好は控えている。
しかし、俺、緑川信雄は、どこにでもいるような普通の高校生——ではない。まあ元々こんなことになる前から、少なくとも自分自身ではそう思っていたのだが。十七歳の今でも、俺はこの程度じゃない、だとか、本当はもっとできる人間なんだ、なんて中学生のように夢想しながらではあるものの、大多数の高校生と同じように、繰り返される日常が脅かされることなど憂いもせずに、今日も夕暮れに染められた道を歩いているはずだった。
「キョロキョロしすぎて怪しい。多聞さんがいないからってビビってるの?」
十分に美少女の範疇へ含まれるが少しキツめの顔つきを、より険しくして彼女は言う。
「いや、なんつーかさ……こんな形とはいえ、いちお女の子?と二人きりで郊外へ出かけてるわけだし」
「デート気分とか、浮かれるのも大概にしなさい。てか今女の子、で語尾を上げたよね。疑問いだく余地ある?」
「女の子扱いされたいんだかされたくないんだか————」
「……信雄、分かってるとは思うけど」
三条の声に、少し緊張が混じった。
「公私混同はしない、だろ? まあデートはプライベートで好きなだけどうぞ。もっとマシな男とね」
ダサくて気に入ってない名前を呼ばれ、声色を少し暗くして答える。
「そうじゃなくて——いや、それもそうなんだけど」
「……ああ。相変わらず鼻につく気配(におい)だ」
夕陽の赤と、夜に誘(いざな)う黒の織り成す路地——流し見た先に、案の定その虚像はいた。いや、幻ではない。影のようでいながら、霞の如き身体に浮かぶ無数の眼のような澱みから禍々しいまでの害意を放っている。
「三条。逃げたほうは任せた」
「今のに気づくとは少しは成長したじゃん。そっちは頼むよ。あと、三条じゃなくて隊長」
彼女は、文字通り風を蹴って色白の四肢を宙に躍らせると、瞬く間にどこへともなく消えた。残された俺は、間合いを測るように黒々しい敵影を睥睨する。
「さて……生まれてきたことを後悔させてやるよ」
左腰に手を伸ばし、得物を半回転させて逆手に構えた。
「デスペルタル——起動」
我が声に呼応するようにして、眩い閃光が迸る。明滅が収まる頃には、俺の手にあった三十センチほどの半透明な棒は日本刀にしか見えない姿形へと変貌を遂げていた。殺意に反応したのか、忌々しき標的は分裂し、三方から飛びかかってくる。
「フン……ッ!」
振り向きざまに後回し蹴りを直近の相手に浴びせ、遠心力で踵より表出した刃によって両断。反動を利用して距離を広げつつ、銃に似た小火器で迫り来る二体目を撃ち抜く。左手に握った拳銃を右の刀と交差させるようにして柄にはめ込むと、両手持ちに握り変えて、最後の個体も擦れ違いさまに斬り捨てた。
「もういねーみたいだな」
なんだかんだで、現在はあいつが上司なので報告する。
「こっちは片づいたぜ。いつまでお前は暴れてんだよ、馬か」
「はぁ……? 手際良くなったからってなに調子に乗ってんの。もう終わって向かってますぅー!」
「こらこら。さすがに失礼でしょ、馬に」
通信機越しに聞こえる反論に、気の抜けた呟きが割り込んできた。
「馬面に言われたくない。っていうか隊——元隊長、どうしたんですか?」
互いを視認して通信を切った三条が、二人の間へ降り立った中年の男に問う。
「君たちが任務を投げ出して不健全なこと始めてないか確認だよ。おじさん前線で体張る戦闘員じゃなくなったし、時間外労働はしない主義なんだけどね」
大柄で筋骨隆々としていながらも、どことなくやつれている上司は淡々と返した。
「……そもそも勤務時間って概念あんすか、この組織」
「上への報告はやっとくから休んでいいよ。若い時の苦労は買ってでもしろ、なんて言う大人は押し売りを正当化してるだけさ」
渡された紙に目を落とす。どうもこれは地図のつもりらしい。ただ、矢印が一本だけ引かれていて、汚い字で「地図」と書かれている。
「……元軍人とは思えないファンキーさだこと」
「ま、駅から一本道だから馬でも余裕だよー」
「だから馬じゃない……!」
限りなく投げっぱなしに近い、会話のキャッチボールが始まってしまった。
「他の道を書かねーと、その一本がどこか分からんだろが……だいたいんな物騒な施設がわかりやすいとこにあるわけ——って、ちょっと待て馬女ーっ!」
夜のとばりが下りた街を急ぐ。交差点のスクリーンに映るのは、暴力的な歌詞を叫ぶ色白でひ弱そうなミュージシャン。連中とやり合った後だけに平和ボケっぽく感じてしまうが、嫌いなジャンルではない。情熱だの希望だの、恥ずかしげもなく爽やかに発信する連中よりはマシだ。
そう、綺麗ごとは綺麗ごとに過ぎない。健全な肉体に健全な魂が宿るのなら、犯罪にはしる格闘家もいなくなるだろう。まず、いくら自分を鍛えても、死ぬときは死ぬ。そう、兄貴だってキックボクシングの心得があったのに、と思案して俺は足を止めた。
(……あれ、なんで彼は死んだんだ————)
剣道に勤しんでいた、あの頃が連想される。俺は主将の最有力候補と目されていたが、怪我で出場を逃してからは、やる気がささめ雪の如くどこへともなく消えてしまった。
(そーいや、俺——なんで試合前にケガしたんだっけ……?)
どこを痛めたのか思い出せない。ただ、しばらく寝込んでいた気がする。そうしている内に、部活へ行きづらくなり、劣化が怖くて悪循環で終わってしまった、という結末ばかりが主張し始め、脳裏(あたま)を塗り潰していった。
- Re: 昏き黎蔭(れいん)の鉐眼叛徒(グラディアートル) ( No.27 )
- 日時: 2014/12/24 13:09
- 名前: 三井雄貴 (ID: e6MQXn6.)
† はじまりの罪——常闇の渦中に(後)
「ちょっと、聞いてる? きみは最初から人間を手にかけること……抵抗を感じていなかったの?」
三条の問いかけを受け、俺は記憶の扉を閉じる。
「人間を殺ったのは数えるほどだが、怪魔(やつら)に操られた時点でそいつは弱いヤツだ。俺と巡り合わなくとも、遠からず喰われてたさ。ただ——どんなに性根が腐ってようと、心が弱かろうと、どれほど醜い姿になろうと、人間には変わんない。俺は忘れねえ。どんな形であれ、この手で奪ってきたものを……命ある限り、忘れねーよ」
「……すごいいいこと言ってるみたいなところ悪いけど、すまし顔で語ってるきみ……今すごいキモいよ」
「聞いといてそれかよ。つーか駅から一本って、天下のチーム多聞丸を何キロ歩かせんだか……人々のためにやってんのに、人目を忍ばなきゃっつーのもせつねーわ。せめて携帯ぐらい持てりゃかわいい子を助けてメアドを——」
「限定的とはいえ自由が許されるだけマシでしょ。政府直属の人たちはご飯も外で食べられないんだって。ぼくは子どものころ海外で過ごしたし、当時いた村は怪魔(あいつら)にやられちゃって、ここ以外の知り合いと連絡とることもないから通信機で十分」
市街地を抜け、道路沿いの景色に占める緑色が多くなってきた。廃トンネルに到るのを拒むかのように錆びついた柵を乗り越え、自然に呑まれつつある旧道を登ってゆく。
「機動戦闘車? 放置されてるっつーわけじゃなさそうだな」
茂みに並ぶのは、国防省の許可なく保有することが禁じられている軍用車両。
「組織(うち)に陸軍のOBがいっぱいいるっつっても、んなもん持ってたとこで実弾で化け物退治なんて——あ、連中以外と戦う前提ってか」
俺たちの所属するアダマース日本支部は近年、怪魔(マレフィクス)を狩る妖屠の育成、運用組織として設立されたが、多くの前身が古より水面下で活動してきたという噂が絶えない。古くは平安時代、妖討ちで名高い源頼光の躍進を支えた、なんて聞いたこともある。
「着いた……みたい」
長い黒髪をかき上げ、地図と眼前の建物を見比べる三条。
「馬的冗談はいらねーよ。人ん家じゃねーか」
コンクリート造りで二百坪近いものの、地元の人間が住んでます、と言わんばかりに生活感が漂う。
「青梅郊外のアジトは地主の邸宅に偽装してるって聞いたことがある……地図の縮尺はめちゃくちゃだけど、さっきの戦闘車といい、あるとしたら絶対この辺」
こいつは何を根拠にもって、こんな確信を得たような面で言い張るのか。
「絶対と言うヤツを、俺は絶対に信用しな——」
「ビンゴ」
ふと発せられた言葉に飛び退くと、すらりとした端正な容姿の女性が立っていた。
「柚ねえ、気配もなしに間合いに入るのやめてもらえます……?」
三条が半笑いで向き直った相手は大庭柚木。アダマース日本支部のエージェントで、チーム多聞丸をサポートしている。
「にしても、人払いの結界も張ってないとは……ずいぶん自信があんすねー」
「外から見ると三階建て。地下にも二階ある。何があるかは……内緒」
物憂げな表情のまま、億劫なのかノリノリなのか判別しにくいトーンで告げる彼女。
(……ほんと優秀で美人だけど、掴みどころのなさは多聞さんと一二を争うな、この人)
困惑している俺たちに構わず、柚ねえは無言で建物の中へと入ってゆく。
「まるで自分ん家みてーだな」
「考えたらダメだよ、こういう人は」
珍しく三条と顔を見合わせ、困った同僚を追った。
「じゃ、多聞さんが来るまでは休憩。ぼくシャワー浴びてくるから」
「おう」
座ったまま、挨拶代わりに軽く手を上げる。
(……目視だが、Dはかたい————)
「よし」
気を引き締め、俺は立ち上がった。三条桜花の鍛えられた肢体は、引き締まっていながらも、女性らしい柔らかさも共存するという、一歩間違えれば台なしの絶妙なバランスを実現させている。が、直後。
「あ、犯罪みっけ」
沈殿しているかのようで浮遊しているような呟きに、我が歩みは止められた。
「え、いや……まだ何もして——」
「じゃあ何かするつもりだった、と」
いつも気怠そうにボソボソと喋るが、声質は澄み渡っている柚ねえだけに、冷ややかなまなざしと相まって我が良心を揺さぶる。
「……弁護士を呼んでくれ」
「あたしよりおーちゃんの巨乳が見たいそうです、弁護士さん」
「先に帰っていいと言ったが、覗いてもいいとは言ってないよねー。さすがにおじさんもそりゃマズいと思うよ、犯罪だし」
喜多村多聞。いつの間に入ってきたのか、この大男まで白々しく肩をすぼめてみせる。
「だって見たいか見たくないかで言ったら見たいでしょ! 見る分にはタダだもんな。そう、脳内のフィルムに焼き付ける分には罪に問えねえ」
「いや現行犯はアウトだからね。ま、今のうちにリラックスしときな。明日は生天目筆頭執政官さまの護衛に直で行く。基地に帰れるのはまだまだ先だよ」
「あー、そうでしたね。ったく、そういうのやる奴らいるだろ……」
「怪魔がこわいのかもー。んじゃ、あたし報告に戻るんで」
手短に伝えると、何事もなかったかのように柚ねえは立ち去った。
「久々の現場で堅苦しい任務とは僕もついてないなー。ま、顔を売っとくに越したことはないよ。ペンは剣より強し、コネはペンより強しってね」
「売れる顔にしとくためにも今日はもう寝ますわ」
何だろう、割と手早く済んだ任務だったのに、普段より疲れた気がしてならない。
† † † † † † †
夜も更け、道行く人は続々と駅へ吸い込まれてゆく。
「じゃあ牟田口くん、うちらあっちの線だから。遅くなっちゃったし気を付けて」
「そんじゃ、おやすみー。おまえも早くいい女見つけろよーっ!」
改札前に展開されていた三角形が崩れ、一辺を成していた男女一組が遠ざかってゆくのを、残った一点の青年は見送った。
「……んだよ、三人の間に隠し事はないんじゃなかったのかよ。いやまあ、あいつらが付き合ってたことぐらい気づいてたけどさ」
段々と小さくなる彼らは手をつなぎ、別会社の改札に向かうことなく、繁華街へ消える。
(あいつら……俺を見下してやがったんだ! 今頃どうせ俺が空気読めない邪魔者だなんて話してるんだろ。いや、二人の世界でイチャイチャするのに夢中だもんな。他のことなんて考えてもないか)
「————納得いきませんよね? 同じような無念を抱えている人間は多い。もっとも、ここで負け惜しみを言っているだけでは何も変わりませんが」
柔和な声と異様な気配に男は目を見開いたが、それ以上に驚くものが背後にいた。階段の手すりに悠然と立つ、全身黒装束の中性的な青年。
「あひぃい……ッ!」
面白おかしい光景ながら、その不気味なオーラが呼び起こすのは、笑いではなく本能的な恐怖であった。しかし、周囲の人々は素通りしている。いくら終電どきで疲れていようと、こうも神秘的で狂気じみた人物が行く手にいたら、気づかないはずがない。そう、これは見て見ぬふりではなく、あたかも、そこに誰もいないかのような————
「えっと、すみません……ああ、いや——」
「だが、団結したらどうなるか? 目にものを見せてやりましょう」
あまりの浮世離れした耽美な立ち姿と美声に、不機嫌だったはずの彼は、威嚇することも逃げることもなく見入ってしまった。
(……怪魔(かれら)は人格によって姿から強さまで変わる。貴方がたの憎しみの力、見せていただくとしますか)
吹き込む微風に揺らぐ、女性と見紛うばかりの滑らかな栗毛に、鴉色の外套。薄い双唇を歪ませ、謎めいた男は嗤った。
————この世に神様なんていないかもしれないけど、悪魔はきっと存在する。人間というものは——こんなにも、過ちを犯してしまうのだから…………
- Re: 昏き黎蔭(れいん)の鉐眼叛徒(グラディアートル) ( No.28 )
- 日時: 2014/12/24 13:21
- 名前: 三井雄貴 (ID: e6MQXn6.)
† 一の罪——堕天使斯く顕現す(前)
冬を目前にした街。行き交う人々は皆、どこか急かされているようだった。
「しっかし、天下の執政官様の力を前に、たてつこうって輩がいるもんなんすね」
「力で獲得したものは、力によって奪われるものさ。ほら」
多聞さんが指した、ビルの最上階の窓に視線を注ぐ。常人なら気づくはずのない距離だが、過酷な実験と訓練の末に完成する俺たち妖屠は、殺気を見逃しはしない。
「……人間を撃つのは罪悪感があるけど、こういうときに備えての副武装だもんね」
「まあ俺は殺すって決めたらデスペルタルもガンガン使ってくけどな。要は標的を仕留めりゃ口封じはいらねー」
銃を取り出す三条を尻目に、相棒を起動させた。
「効率主義者なのはいいけど、人払いの結界も自分で張ってくれるようになったらおじさん嬉しいなー」
「さーせん。でも————」
三条に二人が撃ち抜かれ、残った数名が即座に死角へ身を潜めたが、逃がすつもりなどない。
「敵の殲滅を優先しちゃうのが癖なんすわ。昔、それで後悔したことがあって」
駆け出した俺は、バス停の屋根を踏み台に跳躍。足元に魔法陣を生じさせ、爆発的な上昇で最上階へと達した。ガラスを突き破って飛び込み、着地と同時に宙返りで、出会い頭の銃撃を躱す。
「な……ッ!?」
唖然と立ち尽くす最寄の一人を斬り捨て、死体が倒れるより早く、身を翻しざまに次の男へと刀を投擲した。
「こっ、こいつ人間か……?」
貫かれた仲間を流し見つつも、最後の刺客は発砲を止めない。壁を駆け上がりながら銃を手にすると、対人の実弾に切り替える。
「まむぅッ!」
さすがに空中からヘッドショットは敵わなかったが、右腕を吹き飛ばされて、男は尻餅をついた。
「めへめへ……ななななんでも話す! いっ、命だけは——」
「命以外も強欲に望んだゆえの結果だろうが」
銃声が木霊した直後。
「なァにイキがってんだザコが。はんっ、三人ぶっ殺すのにどんだけ時間かかってんだよ」
吐き捨てるような太い声に、俺は耳を疑った。
(……!? いつの間に————)
反射的に身構えた先にいた偉丈夫は構えてもいないのに、その圧力が続く動作を許さない。
「いやー、久しいね、林原くん。新しい組織でもご活躍のようで何よりだ」
「けっ。再会を祝してェとこだが、てめェがいるっつーこたァ気に入らん輩どもが出しゃばりやがったかァ多聞丸?」
俺に感知されることなく現れた二人の大男が対峙した。
「お偉いさんのボディーガード、軍から要請があったんだよねー」
「まだクソどもとつるんでやがんのか。ま、誰に頼まれてようがここァ俺が指揮するって決まってんだわ。命令に従わなきゃどうなっか、んなこたァわかりきってる立場だよなァ多聞丸?」
林原、と呼ばれた壮年は、多聞さんに対しても高圧的極まりない。
「おいあんた、んなことが許されると——」
「政府直属にゃゆるされんだよォ! ここァ日本だぞ。従わねェってのか?」
振り向きざまに俺の鼻先へ、赤銅色のトンファーが突きつけられた。先端には銃口が開いている。しかし、撃鉄がない——これもデスペルタル、なのか……?
「のっ、信雄……!」
慌てふためいて三条が駆け寄ってきた。
「ああ、あのメスガキかァ。結構いい女に育ってんな」
得物を解除すると、彼女の顎を掴む林原。
「おい、いい加減に——」
- Re: 昏き黎蔭(れいん)の鉐眼叛徒(グラディアートル) ( No.29 )
- 日時: 2014/12/25 18:10
- 名前: 三井雄貴 (ID: LwOm547C)
† 一の罪——堕天使斯く顕現す(中)
「……体制側と対立しても、なんも得はしないよ」
咄嗟に魔力推進で割って入ろうとしたが、多聞さんに片手で易々と制されてしまった。
「林原くん、そのくらいにしておいてもらえるかな。君も職務中だろう。女の子に気を取られて万が一のことがあったらどうするさ」
口調こそ普段の彼と同じく軽いものの、仲間でも息を呑む目力で前に出る。
「はん、俺がんなドジふむか。だいたい女だと思っていながらんな仕事やらせてんならまた驚きだぜ」
しばらく睨み合っていたが、林原は溜息をつくと部屋を後にした。
「ほんっと、あの人あいかわらずほんとありえない……! ちょっと強いからって、なんなのあの態度」
ビルを出てからも、三条の苛立ちは収まらない。
「ま、コーヒーでも飲んで落ち着こう」
「さっすが隊長—、部下想いっすね」
「奢るとは言ってないけどねー」
数分前とは一変して、今は気が抜けた中年らしい、いつもの多聞さんに他ならなかった。
「……よくその歳でんな子供騙しな甘ったりーもん食えますね」
「大人騙しよりはマシじゃん。余計なオシャレ気どりで変なもの入れてないほうが好きなんだ」
目についたカフェでテーブルを囲む。
「……あの踏み込み、あいつも人間じゃ——それに、三条のこと知ってるっぽかったけど」
「あー、政府直属の武力警察、ヘルシャフト長官・林原政俊。うちの元五位の妖屠だよ。ほら、妖屠って怪魔の残滓が濃く残ってる被害者を実験にかけて、彼らを憎む心が強いとなれるじゃん? 組織を離れても、その想いがある限り、力は使い続けられるわけ」
「何が支配(ヘルシャフト)だか……厚顔無恥もこじらせると死に至る病だよ、まったく。国に支配されている側のくせして」
三条が嫌そうに付け加えた。
「……元ってことは——」
「まあ競争に敗れ去ったってことさ。自分のデスペルタルにキル・ザ・キングなんて名前つけちゃうような人だし、よく言えば上昇志向が強いから、挑まずにいられないんだよねー。ただ、あまりに相手が悪すぎた」
海外の支部だろうか? あのレベルに勝てる人間がいるなんて、つくづく恐ろしい組織だ。
「うちの世界ランカーでも最上位の七名——断罪(ネメシス)の七騎士って、聞いたことあるよね。あの上位三人はもはや人間であって人間をやめてる」
「あー、使い魔も必要とせず、己の肉体と武器で戦うから騎士って呼ばれてんでしたっけ」
「まあ他にも使役しない派は多いよ。リスクあるからねー。悪魔召喚にいたっては禁じられてるし」
「んな代償がデカいんすか?」
「無名の悪魔ですら危険らしいからねー。おじさんも興味はあったんだけど、昔の同僚がさ、信玄餅を開けるときクシャミが出る呪い受けちゃって、もう無理だなって」
信玄餅なんて、数えるほどしか食べない気がする。
「七つの大罪にあたる悪魔は中でもエグいと言われてるね。アスモデウスは生殖機能、ベルフェゴールは信頼、マモンは金運を対価に持ってっちゃうんだって。ま、背伸びしても人間に御せるのはこれぐらいが限界らしいよ」
「……それ以上の悪魔は、なにを……?」
三条が恐る恐る尋ねた。不機嫌そうに口を閉ざしていたのかと思いきや、ケーキを食べるのに夢中だったらしい。
「ベルゼブブは魂。そして……史上最強の悪魔で地獄の頂点に君臨する魔王、ルシファーは——」
「いんやーっ、今日も儲かったなー!」
返答は若者の弾んだ声に遮られた。
「でもこんなに易々と騙されてくれるもんなんだな」
テーブル席を囲んで、大学生ぐらいの男女数人が盛り上がっている。
「人聞き悪い言い方すんなよー。先輩が立ち上げたベンチャーでインターンしてたとき、営業はウソさえつかなきゃいいって言われたぜ。貧しい国の子どもたちが困ってるのも、支援が必要なのも事実。その受け取った支援をどう使うかは書いてねーけどなー。ほらほら、中途半端に金ある奴ほど見栄はりたがんじゃん? どうせ寄付が最終的にどうなるかまでは見れねーんだから、お互いウィンウィンってやつよ」
中心人物っぽい派手な青年が声高に語った。
「もう限界だ……会社、もどりたく……ない…………」
彼らと正反対に、ブツブツと隅で背中を丸めている中年が一人。
「人事ウケもいいし、大企業に入って募金しても余るぐらい稼いでやろうぜ。ま、募金なんてしないけどなー。自分で頭使って手に入れたもんを弱者に与えるなんて古代の聖人みたいなことしてたら、今の世の中あっという間に食い物にされるっつーの」
息巻く様を傍らの彼は、コーヒーを啜りながら睥睨する。
「くそが……爆発、いや——苦しんで死ねばいいのに」
小声で愚痴り始めると、周囲に毒々しい瘴気が立ち昇っていった。床や天井より無数の怪魔が這い出て、その黒霧を貪り喰らいだす。
「七つの大罪——嫉妬、か」
奴らが圧力をかけている場合は一般人にも陽炎のようには見えたりすることもあるが、怪魔が餌に夢中だからか、違和感に反応している様子の者はいない。
「避難しろっつっても聞いてもらえそうにねーな。あー、まだ俺のアイスティー来てないのに」
「ま、これも仕事のうちかな。別任務中だから時間外労働には含まれなさそうだ」
嫌悪感と共に自慢話を見つめていた店員たちにも、数体が群がっていた。厨房の奥より一人が虚ろな目でフラフラと立ち上がったと思った刹那、矢の如く伸びた片腕が俺の喉元に迫る。
「……出すもんが違うんじゃねーの?」
突き付けられた巨大なかぎ爪を人差し指と中指だけで挟み、俺はクレームをつけた。
「俺のアイスティー、どうなっちゃってるわけ」
コンコン、とテーブルを叩いて意思表示していたフォークを逆手に持ち変え、目の前の腕を一刺し。
「ヴゴゴ……ヴヴアァ…………」
苦悶の呻きに導かれるようにして、店内中から漆黒の鎌首が顔を出す。
「まとめて来んならちょうどいい——あんたら全員、闇に還してやるよ」
鈍色に輝く刀を手に、俺は席を立った。
ビル街を駆ける三人の狩人と、大量の妖たち。
「くっそ、こいつら……!」
怪魔はこんな早さで増えない——なにか仕込まれていたようだ。
「もう限界です!」
槍に変化させたデスペルタルで薙ぎ払いながら、三条が叫ぶ。確かに、結界を張りながらの戦いでは厳しい。が、六本木のど真ん中で解除すれば、人目についてしまう。高速道路の照明灯に降り立って、近い順に屠っているものの、こちらも埒が明かない。
「緑川くん、三人じゃ無理だ! いったん退いて増援を」
俺はアダマースに拾われて以降、多聞さんの命に背いたことはなかった。しかし、ここで逃げれば、加勢を得て戻るまでの間に、何人の一般人が犠牲になるだろう。
(……また止められないのか、俺は——また目の前で起きている悲劇を止められないのか? あの時みたいに、理不尽な暴力になす術もなく終わるのか……?)
「……撤退だと言って——」
「そりゃ俺だってまだ若いんだし、他人のために命なんてかけたかねーよ。でも、それでも——目の前で理不尽に命が奪われてくのを見んのは、もっと苦しい気がしてなんねーんだよ!」
「緑川……くん?」
(……神様でも悪魔でもなんでもいい! どうか力を貸してくれ)
狂ったように手当たり次第、敵影を斬り続ける。
「退路を塞がれました!」
怪魔らしからぬ連携に、今や俺たちは包囲されていた。
(ああ、俺も……あの日の親父たちみたいに————)
限度を超えた疲労に、意識が混濁へと導かれてゆく。だがしかし。
それでも、なお————
「いや、違う! 親父も兄貴も弱かったから死んだ。けど……緑川信雄は、こんなとこじゃ終わんねー! 確かに俺は弱ぇよ。だけど——名誉も報酬もいらない。カッコ良くなくても、美しくなくても、讃えられなくてもいい! でも、どうしても俺がやらなきゃならねえ。あんたが必要なんだ。どうか、このちっぽけな俺に力を……!」
——この衝動は、天井を知らない。
「!? 緑川く……ん……?」
辛うじて両足を支えていた消え入りそうな意地が、迸るほどの闘気となってゆく。
「俺じゃ力不足ってなら、力を借りるしかねーだろがあああああ!」
理想はあくまで理想かも知れない。だからこそ、遥か彼方にあるからこそ、人は追い求める。夢を失ってまで目指すものなどないのだから。そうして、いつの世も人間は、いくらでも届かない星に手を伸ばしてしまう。
「我が声に——応えよおおおッ!」
燃えるような瞳と共に、自分でも驚くほどの雄叫びが天を衝いた。
「来い! 至高の魔王……!」
コ・ランド・プランシーは著書・地獄の事典で「ルシファーを呼び出すのは月曜日」と、記している。
二〇二六年の十二月七日は、月曜日だった。
- Re: 昏き黎蔭(れいん)の鉐眼叛徒(グラディアートル) ( No.30 )
- 日時: 2014/12/25 22:24
- 名前: 三井雄貴 (ID: yvG0.ccx)
† 一の罪——堕天使斯く顕現す(後)
「まさか……バカな、無理だ!」
隊長の言葉に反し、俺の足元には魔法陣が展開され、ⅥⅥⅥという紫色の文字が浮かび上がる。
「緑川くん、やめるんだ! 彼の対価は——」
「対価だあ? 上等だ、俺ごと持ってきやがれ!」
気迫に呼応するようにして、吹き荒れ始める旋風。
「うっ、コンタクトにゴミが……!」
「桜花くん、まだ手術してなかったのかい。戦闘中、もしものことがあってからじゃ遅いって言っ——」
次の瞬間、耳をつんざく爆発音が轟いた。
「ぐっ……うおおおお!」
魔法陣から爆炎が赤々と噴出し、孔雀の羽根に似た紋様が左目を囲うように覆ってゆく。熱くはなかった。むしろ、胸の奥が凍てつくような寒気に鳥肌が収まらない。
そのとき、
「——Fortes fortuna adjuvat.(運命は、強い者を助ける)」
空気を裂かんばかりに冷たく、何者かが呟いた。
あたかも世界の意思が空から降ってきたかのように唐突で不気味で、およそ生きているものに出せるとは思えない迫力を伴った、それでいて気品のある声。いよいよ幻聴が聞こえたか。見渡す限りの怪魔がひしめく戦場で僅かに一言、発せられただけながら、そう思わずにいられないほど、それは鮮明に耳朶を打った。乱戦の真っ最中にも関わらず、一帯の空気が凍ったかのように、誰もが一瞬その動きを止めたことが、俺の錯覚ではなかったと物語っている。数秒の間を置いて、ゆっくりと見上げると、そこに彼はいた。
ビルの屋上、十メートルはあろうかという強大な黒影。それは、天使と言うにはあまりにも禍々しく、悪魔と言うにはあまりにも気高い——力強さと華麗さが限りなく拮抗した翼だった。
「うそ……でしょ…………」
力なく座り込む三条。人間が脅威を感じると逃げるのは本能だが、真に圧倒的な存在を前にすると動けない。得物を携えているようには見受けられないものの、害意の有無に関わらず気圧されてしまう。
なれど、これまで目にしてきた達人とは全く別物——任務や訓練で見かけた戦士たちの清澄さとは異質のオーラ。悠々と佇む、漆黒から溶け出したような痩身は、この世に存在していないかとすら感じられる。
「其の方、其処な雑輩を滅せと所望したか」
銀髪の隙間から俺を見下ろす切れ長の眼は、意外と穏やかだった。
「え、まぁ……」
「ほう。人間にしては強き念であった。然れば我が力の一端、見せて呉れよう」
硬直したままの怪魔たちを一瞥して、無人の交差点に舞い降りる黒衣。再び風が騒めきだす。
「刮目せよ」
そう彼が口にすると、その背より、さらなる翼が二枚現出した。
「貴様らに墓標は要らない」
全世界の視線に敵意を含ませ、一度に浴びせられても、これほどの圧力には遠く及ばないだろう。
「————告げる」
一歩も動かずして鳥たちが飛び去るほどの重圧だが、彼の視界に収められた怪魔は一体も微動だにしない。俺たちも一連の挙動を、固唾を飲んで見守るのみだった。
「汝等の滅びを以て」
その右腕は直角に曲げられ、指先が天を指す。
「世界を浄化せん」
深紅のローブから前方へ突き出された左手に、紫の魔力光が灯った。大地は脈動し、逆巻く気流に、本体の数倍はあろうかという四枚の翼が波打つ。
「う、うわぁああ……ッ!」
あまりの光圧と吹き荒れる嵐に、顔を覆わずにいられない。
「天の——雷(いかずち)……!」
その刹那、一面が光の海に呑まれた。
魔王などという言葉ですら彼を表現するには生易しい。極太の光線が駆け抜けた街は、もはや煉獄そのものと化していた。
「……まあ四枚羽では此の程度、か」
派手に抉られた道に目を落とし、独白する破壊の権化。射線にいた怪魔はおろか、他の数十体も跡形もなく消滅している。
「あー、飛蚊症患者にゃきついってこれ」
植え込みから上体を起こして、変わり果てた大通りと俺を多聞さんが見比べた。
「まったく、なんてことをしでかしてくれたんだ……悪魔の召喚は厳禁だっておじさん言ったよねー。しかもよりにもよってルシファーなんて規格外とはやってくれたなあ」
「命令に違反し、取り返しのつかないことをした罰は覚悟の上です。でも実際あそこで奇跡にでも縋んねー限り、連中にみんな食われてたじゃないすか」
「結果論でしょ、まったく……この世の終わりかと思った」
尻餅をついたまま不平を唱える三条の瞳には、語勢に反して覇気が失われている。
「いやー、よかったよ、この世が終わらなくて。ルシくんも青臭いガキんちょの願いごとにのってくれた上、パワーもおさえてくれたみたいでありがとうね」
近所の主婦と居合わせたかのように、彼は魔王に話しかけた。上司の人間離れした胆力と、地形を変えた一撃があれで加減していた、ということに驚愕する。当社比百パーセントだったら、今頃は東京が二十三区じゃなくなっていたかもしれない。
「余は飽いていた。地獄の底にて悠久の刻を過ごしていた折に、稀有な魂の味に誘われたまで」
淡々と述べる彼だが、どうやら呼び出されたことに怒ってはいないみたいだ。
「ノリいいんだねー。でもいろいろ大人の事情があってさ。この様子を証拠としておさえられちゃったら、おじさんの首が飛んじゃうんだわー。たぶんいろんな意味で」
「案ずるな。斯様に畏れを知らぬ酔狂な者の顔を拝す為に、余が手ずから赴く訳無かろう。我が肉体は地獄に在る。具現化した身は人間の文明——」
言い終わるより先に、シャッター音が鳴った。
「ホントだー。ルシくん写ってない」
「なに撮ってんすか」
聞くだけ無駄か。
「そう言えば趣味でしたっけ、大昔の持っててよかったですねー。通信機のカメラ機能じゃデータどう扱われているかわかったものじゃないし」
そしてこいつは、いつまでパンツを見せつけているつもりなのだろう。
「ルシくん、写真は残念だったけど、サインとかもらえたりするかな? あとさっきのドーンってヤツ、どうやって撃つのかおじさんにも教えて」
双唇を開きもしないルシファー。冷たい——まるで氷のような瞳だ。ここに来て地雷を踏み抜くあたり、一方の中年もやはり計り知れない。
「……魔界にも黙秘権があるとは参ったなあ。いやー、ごめんごめん! まあアレだよアレ。おじさん冗談を言わないと死んじゃう体質なんだ」
「んじゃ可及的速やかに死んでください、マグロ丸さん。せっかく生き残ったのに、ここで機嫌を損ねたら港区が一貫の終わりじゃないすか」
「おルシさま、この生意気な小僧を煮るなり焼くなり好きにしちゃっていいんで、港区と主にわたくしは勘弁していただけますかね」
「余が望みしは筆だ。かの者が命運は元より余が決める」
意外と付き合いいいんだな、と印象を改めていると、彼と目が合った。威圧感の欠片も示していないのだろうけど、尋常ならざる近寄り難さだ。これは友達いないタイプ。
「貴様自身を代償にする、そう誓ったか」
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