複雑・ファジー小説
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- ノーテンス〜神に愛でられし者〜
- 日時: 2013/12/20 00:28
- 名前: 紫 ◆2hCQ1EL5cc (ID: SsRumGYI)
- 参照: http://www.kakiko.cc/novel/novel2a/index.cgi?mode=view&no=1045
短期留学とか引っ越しとかバイトとか勉強とか部活とかなんかその他諸々、ワタワタしていたらずっとかけていなかったです。
ゆめたがいもだけれど、大切な物語なんで完結させたい、もし読んでくださる方がいらっしゃれば幸いです
今の文章と昔の文章、結構違うんですよね、そこが悩みどころー
現在第五章悪魔の贖罪
生物兵器との決戦の最中、シアラフに帰ってきた女がいた。生物兵器を作り出す一族、キルギス家。すべてを終わらせるために、彼女は剣を握る。
一方、世界五大家の一角フィギアス家出身の青年、リーフは、シアラフの地で異母兄カレルと再会するが……
大幅書き換えの箇所が終わったからちゃんとかけるはず
前回までのあらすじを作りました。さすがに長くなってきたので……
一章以外の各章の始め(二や三も)のページにあります。全部読むのは面倒だと思うので、物語のノリをそれで掴んで読んでいただけたら幸いです。
というわけで、こんにちは、紫です。ゆかり、じゃないですよ、むらさきです。
【小説を書くきっかけを与えてくださったこの小説カキコ。三年ほど前でしょうか。はじめて来たのは。それ以来細々と書いてきたのですが、小説について思うところが多々あって、なかなかうまいように行かない日々が続いていました。そんな時に、ふとカキコに立ち寄ってみるとこのジャンルができていました。
カキコに初めてやって来た時、初めて自分の書いた物を投稿した時、人に読んでもらっていることを初めて実感した時……その感動は今でも忘れられず、躓いている今だからこそ、初心に帰って小説と向き合いたいと思ってここに来ました。
初心……というわけで、この物語は私の中で一番付き合いの長い話です。昔書いたのをちょっと変えながら、この小説とも向き合っていけたらいいと思っています。】
上記はこの書き直しを始めたときの気持ちです。このときからだいぶ経ちましたが、今でも大切にしている心なので、消さずに残しておきます。
シリアス・ダークで新しい小説を書き始めました。そちらではノーテンスでできなかったこと、こちらではゆめたがいでできないことを頑張りたいです。
というわけで、構成ぐちゃぐちゃ、文章ボロボロ、誤字脱字の宝物庫、さらに追い討ちをかけるようなゆっくり更新……と、まあ、そんな感じですが、よろしくお願いします。
アドバイス、感想大歓迎です!
お客様(ありがたや、ありがたや^^
ウミガメさん
灰さん
カケガミさん
宇宙さん
夜兎さん
トリックマスターさん
メフィストフェレスさん
目次
序章 >>1
第一章 兵器と少女 >>2-4
第二章 変革のハジマリ >>5>>8-9
変革のハジマリ(二) >>10-11>>14>>17-20
変革のハジマリ(三) >>21-28>>31-32>>35
外伝 緋色の軍人 >>36-38>>41-44
外伝 あの花求めて >>45-47
外伝 光の中の >>48
第三章 各国の思惑 >>51-57
各国の思惑(二) >>58-61
外伝 反旗の色は >>62-66
第四章 特別攻撃隊 >>68-73
外伝 エリスの休暇 >>74-76>>79
外伝 光のなかの >>80
第五章 悪魔の贖罪 >>81-84>>87
悪魔の贖罪(二) >>88-89
- Re: ノーテンス〜神に愛でられし者〜 ( No.71 )
- 日時: 2012/07/15 00:14
- 名前: 紫 ◆2hCQ1EL5cc (ID: 0/YvRfBI)
- 参照: http://mb1.net4u.org/bbs/kakiko01/image/462png.html
部屋を出たロイドは、薄暗い廊下を早足で歩き、まっすぐに自分の部屋へと向かった。そんなに時間をかけないつもりでいたが、予想以上にニノの部屋で長い時間を過ごしてしまったのだ。
おそらく、明日にでも、昼間カイやリョウが話していたユビル帝国軍との戦いは始まるだろう。いろいろと、しなければいけないことは山のようにある。
燭台の火は弱々しく、窓からは、暗闇の中でぼうと光る朧月が見える。もう夜も遅い。隊員たちにあいさつするのは明日のほうが良いだろう。今更ながら、ロイドは昼間の自分の考えなさに腹が立ってきた。
「ロイド様! やっと見つけた」
階段の前に着いたとき、ロイドは後ろから突然声を掛けられた。
振り返るとそこには二人の若い男。一人は青い髪で、またどこか日本系の顔つき、もう一人は輝くような長い金髪を、半開きの窓からの夜風に揺らしている。二人とも同じ反乱軍の制服を身にまとっていた。
「えっと、ごめんなさい……」
ロイドはとりあえず謝った。視線は石畳の廊下を泳ぐ。今日はほとんど一日中部屋に閉じこもっていて、尋ねてきた人はひたすら無視してきた記憶があるのだ。もしかしたら、この二人もその被害者かもしれない。
一方、目の前の二人はロイドの反応に、暗い燭台の明かりでも分かる、度肝を抜かれたような表情をした。無理もないだろう。ロイドはシアラフきっての名門バーティカル大公爵家の当主である。一般人では目を合わせることすらできないような、雲の上の存在なのだ。
「決してそんなつもりでは、ロイド様」
「そんなに畏まらないでください。どうぞ、お気遣いなく」
青い髪の男が慌てて言うと、ロイドはいつもの丁寧な口調で諭した。
彼は、特別扱いが嫌いであった。皆貴族だからと気を遣うが、共に改革を志すもの同士なのだから、同じ人間として平等に扱ってもらいたい。
もちろん大将であるアレンは別だ。彼は全てをまとめ、引っ張っていくためにも上に上げなくてはならない。
そのためにも、ロイドはその他大勢である必要があるのだ。
「そ、そんな、ロイドさ——」
「——マジッすか!? いや、堅苦しい敬語は慣れてないんスよ。いやー、助かった。あ、俺ティクシって言います。ティクシ=ウェンル。で、こっちはコウタ=ドレイル」
恐縮して青髪の男、コウタが言いかけると、それを遮るように金髪の男、ティクシが陽気な口調で一気に言った。コウタはそんな隣の男をひと睨みする。ついでに足を踏もうと自分の片足を上げたが、目の前にロイドがいるのを思い出したのか、慌てて足を戻した。
「コウタさんに、ティクシさん。はじめまして。僕に何か御用ですか?」
ロイドはにっこりとして二人に訊いた。はじめは緊張した顔をしていたコウタだったが、幾分か慣れてきたようで、多少表情も柔らかくなっている。
「ロイド副隊長、私達は対ユビル軍のために組まれた“特別攻撃隊”の副隊長補佐官です。本日を持ってあなたの指揮下に入ります。つきましては明日の戦いの打ち合わせを」
コウタは敬礼をしていった。ティクシもそれに倣って、不恰好だが右手を額の前に持っていく。よく見ると、二人の制服の胸には普通のものにはない水色の線が入っていた。水色はこの国では“尊い力”を示す。特別攻撃隊の色。ふさわしい色であった。
「ごめんなさい。僕が意地を張っていたばっかりに苦労を掛けて」
「氷心の事っすね? それなら俺達も認められませんよ。革命のために命は張りますけど、親父や兄貴みたいに奴に惨殺されるのはごめんです」
ティクシは舌打ちをしながら言った。コウタも口にこそ出さないが、賛同するようにロイドを見ている。国民にとって生物兵器は恐怖の対象なのだ。ティクシのように、親兄弟を殺されたものも少なくはない。彼らの反応も当然であった。
ロイドは二人を一度じっと見る。この意見は、決して二人だけのものではないだろう。おそらく特別攻撃隊のほとんど、いや全員がそう思っているのだ。
「それのことですが、コウタさん、ティクシさん。明日の対ユビル戦は僕達だけで行います。夜明けと共に出発です。氷心には知らせないように。他の方々にも伝えてください。この隊の隊長は、僕が務めます」
ロイドはテキパキと、決意のこもった口調で宣言した。リョウの指示に背くのは申し訳ないと思う。それはまぎれもない事実である。彼は、ロイドを信用してこの仕事を任せたのだ。
それでも、その弟のアレスは信用できない。死ぬわけにはいかないのだ。大切な人のためにも。迷わず帰るといったのだから。それに、コウタたちのように、自分を信頼してくれる人もいる。彼らを、死なせるわけにもいかない。
ロイドが言い終わると、二人は突然片膝をついた。冷たい風が、神聖な誓いの場を清めるように走っていく。臣下の礼。いつもは咎めるところだが、今は何も言わずに、黙って二人の目を見た。コウタとティクシは、膝をついたまま、アイコンタクトも送らずに、はっきりとした口調で答える。
「了解しました、ロイド隊長!」
朧月。
その不透明な月明かりに照らされた三人。淡い光と、冷たくも柔らかな風の中。これが、後にシアラフ最強と呼ばれる部隊の始まりであった。
※URLは1200記念。少し先のロイド。しかし、絵が描けないorz
- Re: ノーテンス〜神に愛でられし者〜【記念】 ( No.72 )
- 日時: 2012/08/05 01:11
- 名前: 紫 ◆2hCQ1EL5cc (ID: LUJQxpeE)
シアラフ西にある大雪原。地図を見ても、特にこれといった名はないが、近くに住む者たちはクラスィーヴィ(美しい)と呼ぶ。
普通なら、この何もないだだっ広い場所を何故そう呼ぶのかは理解しがたい。しかし、朝日が地面一帯を照らした時、感嘆の声と共に「なるほど」と思えてくる。
純白の雪原が、美しく輝いて見えるのだ。暗い雲に覆われていることの多いシアラフではあまり見られない光景だが、もし晴れた明け方にここへ来る機会があったら、ぜひ一度見てほしい。きっと早起き以上の価値あるものが待っているはずだ。
この日は晴れ。普通なら、その美しい光景が見られるはずだった。
たしかに、雪は輝いている。しかし、“クラスィーヴィ”と言える場所ではない。
「第四部隊前へ! バーティカル大公を囲め!」
そこは、戦場と化していたのだ。五百人超の部隊で戦っているのは、舞う槍と剣の旗、植民地相ダラン=フェーレル率いるユビル帝国の植民地軍。フィギアス家の近衛軍、ハデス=シュレインの平民軍と並ぶ、ユビル帝国きっての部隊、その一部である。
「陣形を崩すな! ロイド様を死守せよ!」
五百を超える植民地軍に対し、シアラフ反乱軍はというと、五十人程度からなる生物兵器アレスが隊長を務める特別攻撃隊。反乱参加者の中でも戦闘経験者で、かつ武に秀でる兵を集めた部隊だ。
しかし、本来いるはずの生物兵器アレスはいない。
簡単に言えば置いていかれたのだ。「生物兵器は信用ができないから」と。
彼の代わりに今指揮を取っているのは、バーティカル大公ロイド。兵達からの信頼も厚く、統率者としては問題のないように思える。
だが、一つだけ考えが浅いところがあった。
この作戦についてである。総隊長のリョウは弟のアレスがいることを前提として、成功させられる戦術を立てたのだ。彼の抜けた穴は当然大きい。アレスはノーテンスで、しかも世界最強の生物兵器。戦闘能力は他の比ではない。当然反乱軍のほうはぼろが出始めた。
(氷心がいなくても何とかなるなんて、過信しすぎたか?)
短剣を振るいながら、ロイドは歯軋りした。普段は整っている茶髪は乱れ、深緑の瞳は戦場全体を次々と映している。
陣形が乱れ、敵兵がロイドを遠巻きに囲んだ。得意の短剣は届かない。それでも、彼は右手を振る。すると、銀に輝く短剣からは少年の“氣”が溢れた。それは風の刃となり敵へ向かっていき、確実に植民地軍の数を削っていく。
バーティカル大公。彼の氣術は他を凌駕する。
まず、氣の量が違う。ノーテンスであるリョウと比べても、変わらないかそれよりも多いくらいである。
さらに、彼には一度に大きな技を使うだけの集中力がある。大きな技を使うときは全体像を細かく想像する必要があり、当然精神が乱れては失敗する。
また、氣術は本人の意思によってその効力は変わる。たとえば味方は傷つけたくないと強く願い、そのイメージを膨らませて術を発動すると、敵だけ攻撃することができるのだ。
しかし、ひどく難しいため、一般の氣術使いはまず味方の近くで大きな技を使わない。それに対してロイドは何ごともなかったかのように、戦場全体に広がるような技も使用できる。
そんな彼でも、十分の一しかない兵力で戦うのはきつかった。ユビル軍の中にも、氣術に秀でたものは何人かいる。そんな中で、ロイドは味方を庇うのが精一杯だった。ただでさえ兵数は少ない。一人でも多く戦わないと勝ち目はないことは明らかなのだ。
だが、事実として、どんどん戦える兵は少なくなっていく。はじめ五十人いたのが四十人、三十人、二十人……全員が戦死というわけではない。だが、戦況が極めて悪いことは認めざるを得ないだろう。
(全滅を、覚悟しないとな……)
ロイドは隙を見て周りを見渡し、諦めの色が混じった表情で思った。シアラフ語のうめき声や叫び声が響き渡る。いくら地獄といえども、ここまでひどくはないだろう。命乞いの声が聞こえないのはさすがと言ったところか。
先程から掃討作戦に移ったのか、ロイドは、はるか後方から氣が爆発的に高まる気配を感じた。
「カレルさん……」
向かってくる敵兵を切り裂きながら、少年は遠くを見据えてつぶやいた。氣の発生源。それは、ユビル軍“鷲”の指揮官、カレル=フィギアスであった。
カレルとロイドは、かつて会ったことがある。その時から、カレルはロイドの氣術の才能を見抜いていたのだ。だからこそ、ここまで時間を掛けたのだろう。ロイドが疲弊するのを待って、確実に息の根を止めるために。
カレルの氣が破裂するのを感じた。相当大きい。すぐに雪原へと戦場を埋め尽くすほどの炎の塊が飛んできた。予想以上の力だ。さすがに、現在世界最強の軍人と謳われるハデス=シュレインの一番弟子だけある。ここまでだと戦い始めでも、受け止めるのはきつかったかもしれない。
青い空を赤く染める地獄の業火。最期のときを想像するには十分すぎるほどのものだった。 どうにもならないことを知ってか、誰も逃げようとはしない。ただ呆然と、向かってくる炎を見て、己の無力を嘆いていた。
(ごめん。ニノ、サミカ……)
その時、突然炎と戦場の間に分厚い氷の壁ができた。氣術によるものだ。誰の技か知っている者は、いない。
いや、ロイドだけはまさか、と思った。かつて宮殿ですれ違ったときに感じた、圧倒的な力。血に塗れた殺人兵器。
だが、絶対とは言い切れなかった。“質”がぜんぜん違うのだ。その昔感じたそれとは違い、どこか暖かみがあった。シアラフでふとした瞬間に触れる優しさのような、そんな暖かさだ。
炎が氷の壁にぶつかった。多少は融けるものの、壁は破られない。そして、空は元の青色に戻った。
ユビル軍では、目に見えて動揺が走る。当然だ。ユビル帝国で最高レベルの戦闘力を誇る、あのカレル=フィギアスの氣術が破られたのだから。
ふと、後ろから雪を踏む音がして、ロイドは慌てて振り返る。
そこには、反乱軍の制服を着た生物兵器の姿。彼の知っている氷心はいつも無表情で人間らしさがなかった。
しかし、今そこにいるのは、ノーテンスの印を額からのぞかせ、微かに余裕の笑みを浮かべて歩いてくる一人の軍人。
いや、日を浴びて淡く輝くその姿は、地獄の戦場に降臨した救いの軍神に近かった。
アレスはロイドの横に立つと、右手を前に伸ばした。すると、唖然としているユビル兵たち全員の手足に氷が纏わりつく。アレスはそれを確認すると、氷の壁を消した。もう、後方からは新たな部隊が出てきている。これもおよそ五百人。おそらく、本隊が退く時間稼ぎだろう。カレル=フィギアスの氣術が破られたことは、そこまでの衝撃を与えていたのだ。
「動ける奴は負傷者を下がらせろ! 一人でも多く生き残れ!」
アレスは、戦場に響き渡る大声で指示を出した。迫ってくるユビル軍を睨み、すでに両腕は刃に変えて臨戦態勢に入っている。
突然のアレスの登場に呆然としていた兵達は、我に返ったように動き出す。そんな隊員たちを、アレスは一度振り返って見た。そして、そのまま言葉を続ける。
「お前らの目の前にいるのは何だ? 世界最強の生物兵器だろ!? 俺がいる限り敗北はありえん! 行くぞ!」
火が消えたようだった特別攻撃隊から、一斉に歓声が沸き起こる。アレスは一瞬驚いたような顔をしたが、すぐにユビル軍へ突っ込んでいった。その行動は一種の照れ隠しだったのかもしれない。隊員の何人かは、敵部隊に攻撃を仕掛けようと走っていく彼が、耳まで赤く染めているのをしっかりと目撃していた。
気付いたら、ユビル軍の殿がいるところでは、すでに無数の氷柱が上がっていた。
さすが、と言うほかないだろう。一人だけにも拘らず、五百人の敵兵と余裕で交戦しているのだ。
ただ単に“生物兵器だから”ということではない。“ノーテンスだから”というだけでもないだろう。“天才”という言葉を持ってしても足りない。戦場に於いて全てを凌駕するような力を、アレスは持っているのだ。
神とも言うべき軍人がいる。この分だったら、もう十分足らずで勝敗は喫するだろう。
特別攻撃隊の面々は、そんなアレスを以前のような軽蔑する目ではなく、明らかに違う様子で見ていた。
- Re: ノーテンス〜神に愛でられし者〜【記念】 ( No.73 )
- 日時: 2012/08/11 01:16
- 名前: 紫 ◆2hCQ1EL5cc (ID: LUJQxpeE)
少しすると、平然とした様子でアレスが戻ってきた。
返り血はもちろん所々に付いている。だが、それはここにいる全員同じだ。腕の変形は解いていた。さすがに、それが恐怖の対象となっていることは分かっているのだろう。ただでさえ生物兵器は恐れられている。その上、今回の件もある。少しのことでも意識していかなくてはならないのだ。
誰も、口を開かない。勝手にアレスを恐れて彼を認めず、何も知らせないで置いてきた。そして、その結果が今回の苦戦。気まずいのも当然だろう。五十名いた兵のうち八名が戦死し、十名は足を失うなど永久に戦線離脱となった。彼らの考えなさで、反乱軍は大きな損害を出したのだ。誰もアレスの顔をまともに見られない。
そんな時、ロイドが一人アレスのほうへ歩いていった。今回のこの戦い、全員が賛同したこととはいえ、責任は隊長役を自ら買って出た彼にある。アレスはそんなロイドを怒りの色もなく、かといって優しさといった雰囲気もなく、ただ見ていた。
ロイドはアレスの前に立つと、しばらく俯いていた。なかなか言葉が出てこない。言うべきことは分かっている。しかし、いざ声にしようとすると詰まるのだ。別に、生物兵器である彼に頭を下げるのを拒んでいるのではない。
言葉の代わりに、涙が次々とこぼれ出ていた。
「その涙は、誰への涙だ? 何の悲しみだ?」
唐突に、アレスは淡々と訊いた。
この戦いの前に彼がそう問いかけたのなら、「なんと非情な奴だ」と思っただろう。もともと、生物兵器“氷心”のイメージはそんな感じのものだ。
しかし、今は違う。その人のイメージによって言葉というものは、ここまで印象や受け取り方が変わるのだ。
「死なせてしまった同志と、その家族、裏切ってしまった人々、迷惑をかけた人々、全てへです」
ロイドは震える声でアレスの顔を見ずにそう言った。
だんだんと空を薄い雲が覆い、そっと雪が降ってくる。優しく、ふわふわとしたシアラフでは珍しいタイプのそれ。まるで、戦死者を慰める花びらのようであった。
アレスは何も言わない。
心配になって、ロイドはそっと顔を上げて彼の顔を見る。腕組をして、アレスはじっと少年を見ていた。
ロイドが顔を上げたのを見ると、アレスは表情を和らげる。そして、そっとロイドの肩に自らの手を置いて、はじめて柔らかい口調で話し始めた。
「それならいい。分かっているなら俺から言うことはない。だいたい偉そうに言えることを俺はしてきてないしな。何はともあれ、助けられなかった兵もいるが、今はこれで良い。生きている奴がいただけで十分だ」
「アレス、隊長……」
ロイドはうわ言のように一度そうつぶやくと、右手で涙を乱暴に拭き、アレスの前で片膝をついた。その様子は、まるで昨晩のコウタやティクシと同じようだった。臣下の礼。これから忠誠を誓うという証だ。
そして、ロイドはさらに自らの短剣を差し出した。ここまで来るとかなりオーバーだが、彼の表情は決してふざけていない。強く、決意に満ちた目をしていた。
アレスは驚いたように、初めて戸惑いの色を見せる。彼は、自身が嫌われているという自覚があった。だから、今回の彼らの行動をこれと言ってきびしく咎めようとはしなかったのだ。原因の大半は自分にあるからと。
さらに、ロイドと同じように次々と兵たちは臣下の礼を取り始める。誰に強制されたことではない。全て自らの意思によるものだった。
「あなたにこの命尽きても忠誠を誓います。アレス隊長」
ロイドが代表して落ち着いた口調で述べた。
さすがに、貴族だけあって儀式的な話し方はお手の物だ。アレスは短剣をそっと受け取る。柄には水色の十字の紋章が描かれている。バーティカル大公爵家の紋章。つまり、この短剣は彼の家に伝わる宝ということを意味している。
「期待している、ロイド、それから、特別攻撃隊の諸君。さて、全員帰還! 捕虜は丁重に扱え! あー、分かっているとは思うが、覚悟しておけよ。帰ったら兄さんの大目玉が待ってるだろうから」
アレスは苦笑いしながら指示を飛ばす。言い終わると、一陣の冷たい風が走り去り、あたりの気温を奪っていった。いつも優しい人間が怒った時は、実を言うと何よりも恐い。リョウ=レヴァネールの場合、もともとずば抜けた戦闘能力を持っているから尚更だ。
隊列を組んでいると、アレスはふと何かの気配を感じて南の空を見た。ロイドも何かを感じたようで、同じく雲のかかった空を険しい表情で見ている。
すると、何か黒いものが近づいてくるのが見えた。
だんだんと、その姿がはっきりしてくる。
“龍”だ。黒く大きな龍が雪原に向かってきている。
特別攻撃隊全員武器に手をかける。もしかしたら、ユビル軍の新兵器かもしれない。
しかし、違うようだ。龍は戦う気配を見せず、アレスたちの前に降り立った。今まで龍に気をとられて気づかなかったが、その背には人が乗っていた。黒髪の少年と茶髪の少年。まだロイドと同い年くらいだろう。
「あ!」
ロイドは龍から降りてくる少年達を見て、ひとり素っ頓狂な声を上げた。それに気付き、黒髪の少年がロイドを見ていたずらっぽく笑って話しかけた。
「何だ、戦い終わったのか。久しぶり、ロイド」
「お久しぶりです。飛龍さん、勇一さん」
飛龍はロイドに向かって軽く手を上げて返事をすると、黒い龍の頭に手を置いた。
すると、突然白い地面に紫色の陣ができる。日本語で何か文字が書いてあるが、何と書いてあるのかロイドには読めない。先程のような簡単なあいさつなら日本語でできるが、それ以上はさすがにわからないのだ。
陣が紫色の光を出したと思うと、龍は光の中へと消えてしまった。そして、光は一箇所に集まり、拳ほどの大きさになったかと思うと飛龍の体に入っていく。
これは彼の氣術だ。また、ノーテンスとしての彼独自の特殊能力にも関係がある。
ノーテンスは全員個々の特殊能力を持つことは前にも述べた。リョウ=レヴァネールの医療氣術などがそれに当たる。
飛龍の能力は“氣術の永久的な維持”。
先程の龍は彼がまだ七、八歳の頃に作り出し、それからずっと消していない。いつでも今のように体の中に戻して、またすぐに出すことができる。それによって龍を出すことに氣はほとんど使わず、また一々イメージする必要もない。この能力はノーテンスであった彼の母と同じもので、たとえ術者が死んでもそれは地上に残るのだ。
飛龍が龍を戻している途中、一緒に来た勇一は一人アレスの前に立った。日本でも悪名高き生物兵器は知られているだろうが、彼の様子には恐怖など微塵も感じられない。さすが一国の大将の息子といったところか。見事なものだ。
「特別攻撃隊アレス=レヴァネール隊長。私は日本軍中佐の乃木勇一です。ここの部隊の救援をリョウ=レヴァネール総隊長から頼まれたのですが、この分だと大丈夫そうですね」
勇一ははきはきと丁寧なシアラフ語で言った。日本の中学校の学業成績では、頭一つ、ではとても足りないほど抜きんでているだけあって、発音から文法までこれと言って不自然なところは何もない。おそらく幼い頃からの英才教育によって培われてきたものなのだろう。
「乃木中佐。わざわざご足労いただきありがとうございます。今から帰還するところですが、あなた方が動いているということは、日本軍は、我が軍に協力していただけるということですか?」
「はい。アレン王子は我が内親王殿下の許婚。彼を助けぬわけにはいきますまい」
アレスの問いに勇一は冷静な口調で答えた。至極もっともらしい解答だ。理由も理に適っている。しかしアレスは頷かず、ただ不敵に微笑んだ。
「今のところユビル軍の中にはハデス=シュレインの姿は見受けられませんでしたが、それでも共に戦ってくださるということならありがたい限りです」
「……なかなか侮れませんね。生物兵器だからただの戦闘馬鹿かと思っていたが、そうでもないらしい。兎にも角にも日本はシアラフ反乱軍に力を貸す。それで問題はないでしょう?」
勇一はアレスに驚いたような、それでいてどこか楽しそうに言った。日本軍の目的はあくまでユビル帝国だ。その中でも特にハデス=シュレイン。あの忌まわしき天宮大虐殺を引き起こした黒幕とされる人物。飛龍と勇一の二人にとっては肉親の敵である。アレスは先程の会話でこのことを確かめていたのだ。
日本軍の介入。それによって徐々に役者はそろい始める。北の小国での王位継承権を火種に起こった反乱。それは他国の対立と絡み合いだんだんと大きく且つ複雑化していく。
血が血を呼ぶ。戦いが戦いを引き起こす。それらは止まることなく、人の歴史の中で無限のループのように繰り返されている。
季節は春と夏の中間にあった。
あとがきです
この章は二、三とならず、ここで終わりです。思い入れがある章、というほどではないのですが、ロイドという登場人物自体はリョウについで設定が昔からあるキャラクターなんですね。そう言う意味での思い入れはある章です。
しかし、この章書いたのは三年前か……反省する場所もある反面、学ぶところもあるという、複雑な気分の文章です。
さて、それでは第四章おつきあいいただきありがとうございました
次は外伝をいくつか挟みます。最初の外伝はエリスとティム中心、その後は未定ですが飛龍とかコウタとか、でしょうか。
これからもおつきあいいただければ幸いです
- Re: ノーテンス〜神に愛でられし者〜 ( No.74 )
- 日時: 2012/09/25 23:26
- 名前: 紫 ◆2hCQ1EL5cc (ID: B/p47WjD)
外伝 エリスの休暇
シアラフ王国バーティカル領。中心にそびえ立つ、反乱軍本陣レイルリモンド城。
その最上階の窓から、真っ白な吐息がほう、と出てきた。昼前のひんやりと気持ちのいい空に、その憂いのこもった感情が吸い込まれる。
ため息の主はシアラフ反乱軍総隊長リョウ=レヴァネール。司令室として使っているこの部屋の窓の桟に右肘で頬杖を付いていた。
雪は降っていないものの、時折吹いてくる風はかなり冷たい。少し寒くなったのか、リョウは開けていた窓を閉めた。分厚いカーテンにも手が伸びたが、さすがに外の見えない閉ざされた空間は性に合わないらしく、仕事を無くした彼の手はくしゃくしゃに黄緑色の髪を掻き出した。
「で、エリス。いつまで俺に張り付いてるつもりだ?」
頭から手を離し、リョウは部屋の隅にある小さな椅子にちょこんと座っている少女に呆れた口調で訊いた。
彼女は、昨日の昼から寝るとき以外、ずっとリョウと付きまとっているのだ。別に無駄口を叩くわけでも、また仕事の邪魔をするわけでもないため、別に気にしなければ問題ない。
しかし、いくら弟の大切な人とはいえども、年頃の女の子にずっと行動が見られていると思うと複雑な心境だ。
「だって、アレスいないし、リョウさん以外知ってる人いないもん」
エリスは少し拗ねたような口調で答えた。その手には、リョウから借りた鈎針が握られていて、紺色の毛糸を使ってマフラーを編んでいる。誰のものかは考えるまでもあるまい。彼女が編み物をしているとしたら、それはただ一人のためでしかない。
彼女は朝からマフラーを編んでいる。つまり、ずっと座っているのだ。
長時間椅子に座り続けていると、本来なら背筋が曲がったり、背もたれに寄りかかったりするものなのだが、リョウが見ている限りそんなことはない。すらりとした足もしっかりと両膝を合わせてある。
元奴隷と言われなければ、まず絶対に気付かないだろう。いや、奴隷と教えられても納得いかない。さらに、さらさらとした長く豊かな黒髪に、真っ白な肌。そして澄んだ青色の目。エリスは、驚くくらいの器量よしなのだ。バーティカル大公ロイドのように、“貴族の出”と言っても何の疑いもなく通用するだろう。
「おいおい、ちょっと問題あるだろ、それ……てか、その報復なら知らないからな。アレスたちを何も罰せずに許すのはまず無理だったんだからさ」
「そのくらいは私も分かってるよ。でも、みんな、いいなぁ。私も今度から特別攻撃隊配属になるのに一人だけ仲間はずれな気分」
エリスはそう言うと、先程のリョウと同じようにため息をついた。別に真似をしたわけではないのだが、嫌味のように見て取れるそれ。
若き反乱軍総隊長は苦い顔になり、美しい少女は相変わらずのうかない表情。
そもそもの原因——事の発端は昨日の昼にさかのぼる。
レイルリモンド城の城門前。多くの反乱参加者が集まるそこで、何かを殴り飛ばすような音と、その後すぐに硬いものに叩きつけられたような鈍い音がした。
城壁の下には、頬から血を流して俯いているバーティカル大公ロイド。その隣にはもうすでに殴られた後のようで、同じように血を流している特別攻撃隊隊長アレスの姿があった。
手を下したのは、恐ろしい形相で二人を見下している反乱軍総隊長リョウ=レヴァネール。右手には血が付いていた。
公衆面前での見せしめとも取れるその裁き。哀れみを込めた目で見る者はいるが、異を唱える者はいない。当然なのだ。この処置は。
先の戦い。勝ったことには勝ったが、隊のまとまりのなさから多くの犠牲が出た。つまらない意地から発生したその死者や怪我人。これで何も処分がなかったら逆に反発を生むだろう。
「ロイド! お前を信用した俺が馬鹿だった。何のための副隊長か、よく考えればお前なら分かると思っていた! それからアレス! 自分の知らないところで起きていて知りませんでしたじゃ話になんねーだろ!? 全て見られてはじめて隊長だって分からないのか? 自分が良けりゃいいんじゃないんだよ、この戦闘馬鹿が!」
リョウは、普段の穏やかな様子からは想像できないような怒鳴り声で叫んだ。少し、息が荒い。白くなった息と、対照的な怒りで赤くなった顔。誰も口出しはできない。すれば殺されてしまうかもしれないとさえ、思えるほどだった。
息が少し整ってくると、リョウは一度大きく息を吸った。目を瞑ったその表情は辛そうで、無理やり落ち着こうとしているのは、ただ見ていただけでも分かるほどだった。
リョウは見ての通り今ひどく腹を立てているが、その矛先の大半は自分自身にある。指示を出した責任とでも言おうか。気持ちの整理が上手くつかないまま、リョウはゆっくりと息を吐いて、再び話し出した。
「……アレス、ロイドの両名には三日間の謹慎を命じる。人に会うのはもちろんのこと、水以外何も口にするな。反省しろ。それから、この決定に異を唱えた奴は同罪だ。同じように三日間の謹慎を命じる。以上。何かあるか?」
低い声でそれだけ言うと、リョウは特別攻撃隊を鋭い碧眼で見渡す。本来なら、大国ユビルに勝てただけで労うべきだったのだろう。
しかし、これからの戦いでも同じように変な意地を張られては、いつか手痛い傷を負う。それが分かっているから、今日の行動を総隊長として許すわけにはいかなかった。
全員大人しく決定に従いそうな様子を見て、リョウは少し安心してその場を去ろうとする。すると、二人の隊員が一歩前に進み出た。一人は青い髪をした青年。たしか特別攻撃隊副隊長補佐官のコウタ=ドレイル。もう一人は同じく特別攻撃隊補佐官のティクシ=ウェンル。輝くような長い金髪の男で、いつも飄々としている顔は、今日に限って真面目そのものといった様子だった。
「何だ? 異議ありか?」
「ええ。決定に異議を唱えます。何故隊長と副隊長だけが罰を受けるのか分かりません。副隊長を焚きつけたのは私達です。謹慎処分をください。総隊長」
コウタは静かにリョウを見つめて言った。「隊長たちに非はない」とは言わない。それを言ったところで、リョウが聞き入れないことはよく分かっているのだ。
それならば、同罪扱いで同じ罰を受けるのが相応だろう。ティクシも全く同意見のようで、同じようにリョウを見ていた。
「異議あり! 総隊長」
「同じく!」
コウタの言葉のすぐ後、さらに他の隊員達も次々と“異議”を唱え始めた。少し滑稽な絵であるが、当人達は至って真面目。後のシアラフ語の中にある“非常に仲が良い”の意味で使われる
慣用表現“異議の仲”は、この出来事から来ているという。何が歴史に残るかは分からないものだ。
「何だ? そんなに俺をおちょくって楽しいのか? お前らは……」
「別に誰もそんなことしてませんよ、総隊長。俺ら総隊長が思ってるより、わずかばかり、仲良くなったんス」
頭を抱えるリョウに、軽い口調でティクシが横槍を入れる。事実といえば事実なのだが、果たしてこの状況で一概にそうと言えるだろうか。何とも微妙なところだが、リョウは深く考えないようにして、特別攻撃隊に指示を出す。
「あー、もういい。全員謹慎! 以上解散!」
「了解!」
厳罰のはずにも拘らず、何故かうれしそうな特別攻撃隊。これからこの隊の扱いが大変そうだと苦笑を浮かべるリョウ。だが、結束力が強いことは悪いことではない。もう二度と今回のような変な意地を張ることはないだろう。反乱軍に明るい日差しが差し込む。この部隊は間違いなくシアラフ最強の名に相応しかった。
——これが、事の発端。エリスとリョウ。それぞれの、ほんのひと時の休暇の始まりだった。
- Re: ノーテンス〜神に愛でられし者〜 ( No.75 )
- 日時: 2012/09/25 23:25
- 名前: 紫 ◆2hCQ1EL5cc (ID: B/p47WjD)
「リョウ兄いる?」
気まずく重たい空気。それをぶち破るように、司令室のドアが突然開かれた。
好き放題にツンツン跳ねるオレンジ色の髪。場違いとも言えるその明るい声の主は、反乱軍副隊長ティム=ウェンダム。黄緑色の目を、春先の露の如くきらきらと輝かせて入ってきた。
先に断っておくと、彼に悪気があったわけではない。ただ、いつも通りに部屋に入ると、不機嫌そうな眼差しを兄分のリョウに向けられた。
「俺、何かした? リョウ兄」
「いや、何つーか、間が悪いってか、まぁ、ティムらしいったらそうなんだけどな……」
兄分のはっきりとしない言葉に、ティムは一人首を傾げる。
この幼馴染が考えていることは、たまに長い付き合いのティムでも分からなくなることがある。同じく幼なじみのバーティカル大公ロイドならば、まずそんなことはない。ティムからすれば、ロイドほど感情を読み取りやすい人間はいないのだ。
もっともそれは、ティムだからこそ読み取れる、という一種の特技であり、バーティカル家を恐れるユビルや日本などの国からすれば、喉から手が出るほど欲しいスキルであった。それは余談として。
ふと、ティムは兄分の部屋に知らない少女がいることに気づいた。艶やかな長い黒髪はまっすぐに下ろしてあって、色白の肌は窓から入ってくるほのかな光で淡く輝いているようだ。
視線を感じたのか、編み物に夢中だった彼女の目も、そっとティムのほうへと向いた。海のように青く、雪解け水より澄んでいるその瞳。思わず、吸い込まれてしまいそうな不思議な力がある。
「リョウ兄、この子……」
誰? と言おうとしたが、そこまで言葉が出てこなかった。不意に微笑みかけられて、そのまま続くべき言葉を失ってしまったのだ。
彼のオレンジ色の髪が少しだけ揺れる。顔は、その髪よりも数倍、燃えているように赤かった。
「こいつ? エリスだよ、エリス。今度特別攻撃隊に配属になって……て、もしもし、聞いてるかー? ティム」
「え、あ……も、もちろん聞いてたって、リョウ兄」
ティムは黒髪の少女から目を離し、慌てて幼馴染のほうを向く。
しかし、それでも何度か目だけエリスのほうへ旅をしていて、リョウは面白そうに笑みを浮かべている。
いつものティムならその時点で否定するなり、突っ込みを入れるなりするのだが、今日は何も言わない。と言うより、リョウの表情にすら気付いていないのだ。顔はまだ赤く、目は頻繁にちらちらと旅をする。
リョウの笑みは時間が経つに連れ、どんどん悪戯っぽくなっていった。
「……そうだ、ティム。今日と明日、エリスの面倒見てくれよ。知ってる奴がいないらしくてさー。おい、エリスもこっちに来い!」
「え、ちょっと、リョウ兄……え、は、あ?」
真っ赤な顔で慌てるティムと、その様子が想像通りすぎて可笑しそうに腹を抱えているリョウ。
ある意味、残酷である。彼は知っているはずなのだ。少女の心が今誰の元にあり、また、それが揺らぐことは決してないということを。後にリョウはこれを「人生において最悪の悪ふざけ」と反省している。
それはさておき、エリスは何が起きているのかよく分からないようで、編み物をリョウの机の上に置いて、黒髪をわずかに揺らしながら、静かに歩いてきた。敢えて口を挟まずにいるのだろう。直感的に感じるのだ。ここは気にしないのが得策だと。
「はじめまして、ティムさん」
「え、あー、あ、う、うん。エリス」
エリスはとりあえずティムに微笑みながら挨拶した。ついでに白い右手をすっと出す。
彼女は、あまり初対面の人と話すのは得意ではない。人当たりの良いリョウと話すことでさえ、最初は恐がっていたのだ。
しかし、リョウがアレスの兄であり、また何より、信用できる人だと言うことはよく分かった。そして、ティムはそのリョウの友達。そう考えると気が楽で、普通に話すことができた。
ただし、哀れなティムは“いつも通り”とはいかなかったようだが。
「じゃ、二人で喫茶店でもどこでも行って来い。あ、エリス、これお小遣いな」
リョウはそう言うと財布を懐から出して、エリスに小銭を渡した。お茶一杯と菓子を少しくらいなら買えるだろう。
申し訳ない。エリスはためらいがちに受け取った。ただでさえ、午前中は裁縫道具を貸してもらっていたというのに。
「もらっちゃっていいの? 何か悪いなぁ……」
「気にすんな。あの弟の世話をしてきてくれたと思うと、どんなに礼を言っても足りないし」
「でも、アレスは私を買ってくれたんだよ。私奴隷だし、お礼なんてされる謂れはもともとないよ」
二人の間で、当然のように繰り広げられる会話。隣で聞いていたティムは、その言葉に目を丸くする。彼は知らなかったのだ。エリスが何をしてきた少女なのか。
もっとも、そんなことを聞いたくらいで、ティムは人に対する評価を悪くしたりはしない。ただ、奴隷という言葉には、どうしても哀れに思う気持ちが芽生える。
「奴隷って、どういうことだ?」
「どうって、言葉の通りよ。私は記憶にある限りずっと奴隷なの。商人の手をたらい回しにされて、それでシアラフに来て、アレスが私を買ってくれたの」
戸惑うティムの問いに、エリスはさらりと答える。
辛い過去のはずなのに、まるで何事もなかったかのような、あっさりとしたその口調。返って重いものに聞こえてくる。
もしかしたら、思い出したくもないことで、それを掘り返されて怒っているのではないか。結論から言うと、それは単なる杞憂というものなのだが、ティムは本気で顔を青くしてうつむいていた。
「ごめん。聞いちゃ、まずいことだったよな。俺、昔からそういうの、疎くて……」
「大丈夫。私は奴隷だから、この今がある。アレスに会って、反乱に参加して、自分の意志で、今のこの瞬間を生きている。そうでしょ?」
エリスはそう言うとティムに微笑んだ。透き通った綺麗な笑顔。強いなと、ティムは心から思った。それは奇しくも、アレスが最初に奴隷市場で感じたものと同じであった。
「行こう、エリス。妹が働いてる喫茶店があるんだ。ここからそう遠くないし」
春の草のような黄緑色の瞳を輝かせて言うティム。エリスは先程の笑顔のまま頷いた。アレスはいないのは寂しいが、シアラフの人は春のように暖かい。できれば、ずっとこの国にいられたら良い。そう思いながら、エリスは先に部屋を出たティムの後を追った。
独りになった部屋で、リョウは淡く微笑む。明日への希望の種は芽吹きつつある。弟を人間に戻したエリス。エリスに自由を与えた弟。師であるシンが残した弟妹。師が信じた王子。彼を慕う従弟。そして、さまざまな目的のために集った同志たち。
新芽は弱い。少しの風でも根元から簡単に折れてしまう。しかし成長すれば、どんな風にも負けはしない。
それならば、守らなくては。希望はもう芽を出した。せめて大きく育つその日まで。
——シン隊長の代わり、そのために、俺がいるのだから。
青年がつぶやいた言葉は、半開きのドアから外へと出て行った。
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