複雑・ファジー小説
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- 攻撃反射の平和主義者です!【完結!】
- 日時: 2019/09/12 17:43
- 名前: モンブラン博士 (ID: EUHPG/g9)
1年ぶりの新作です。
生まれつき超人的な力を持つ美女、美琴は規格外の力で周囲の人々に迷惑をかけまいと、高校卒業後は山奥で生活していた。ところがある日、大好物であるおにぎりの味が恋しくなり、都会へと戻ってくる。そこで出会った不思議な紳士スター=アーナツメルツによりスター流なる武闘派集団に入門させられることに。美琴の運命は如何に!?
※本作は基本的に美琴の一人称で進みますが、戦闘シーンでは三人称で執筆しています。
出会い編
>>1>>2>>3>>4>>5>>6
修行編
>>7>>8>>9>>10
李編
>>11>>12>>13>>14
ムース編
>>15>>16>>17>>18>>19>>20>>21>>22
カイザー登場編
>>23>>24>>25>>26>>27>>28>>29>>30>>31
>>35>>37>>38>>39>>40>>41
ヨハネスとの修行編
>>42>>43>>44>>45>>46>>47
メープル編
>>48>>49>>50>>51
最終決戦編
>>52>>53
- Re: 攻撃反射の平和主義者です! ( No.14 )
- 日時: 2018/09/07 15:33
- 名前: モンブラン博士 (ID: mrjOiZFR)
美琴にはなぜジャドウが自分に敵意を剥き出しにするのか、思い当たる節が見当たらなかった。ジャドウはわたしにとってスター流の基礎を叩き込んだ師匠的存在であり、彼から学んだことは多い。彼の『悪から学ぶ』の授業も真剣に取り組んできたつもりではある。
確かに当初こそ、その得体の知れない雰囲気からか警戒したこともあったが、今では同じ流派に属する同志として、それなりの仲間意識はあるし、失礼な態度をとった覚えはない。それにも関わらず、どうして彼はわたしに敵意を向けるのであろうか。
理由がわからず首を傾げて困惑した表情をする美琴に、ジャドウがドスの利いた声で告げた。
「気に入らない。それがお前を殺す理由だ」
「待ってください! わたしがあなたに失礼な行為をしたというのであれば謝罪します。ですがわたしにはいつあなたの怨みを買うような行動をとったのか、見当がつかないのです」
「それもそうだろう。傍から見ればお前は普通に接していたようにしか見えんのだから、わかるはずもない。一言で言い表すならば、吾輩はお前の存在全てが気に入らぬ。スター流は、吾輩が入門した当初と比較すると、明らかに堕落した。それも全て、お前達が色香を使いスター様を惑わしたからだ」
ジャドウは理解ができなかった。
時代の流れとは言え、あれほど女子を弟子にすることを拒んでいたスターが、近年になり女子を弟子にとるばかりではなく、萌えアニメに目覚め、闘いとは無縁の堕落しきった毎日を過ごしていることに。ジャドウの目に映るスターは、強い差別を受け孤独に生きてきた自分に光を与えてくれた大恩人である。自分を救ってくれた彼に報いるべく、絶対の忠誠を誓い、彼の指示に従ってきた。
だが、近頃の彼はどうだろう。嘗ての厳格な一面は消えうせ、修行も(ジャドウの印象では)生ぬるいものに変わり果て、ルックス重視で弟子を選ぶようになってしまった。その為、弟子達は嘗てのような漢気溢れる者とは程遠い、線の細い美少年、美少女ばかりとなってしまった。遥か彼方に過ぎ去った時こそ最高のものと考える、懐古主義者の彼にとって近頃の弟子達には我慢ができないものがあった。無論、彼らに一切の非は無いのだが、ジャドウは彼らこそスターを堕落させた原因と断じ、始末すべしと常々思っていたのである。その感情が増大する切っ掛けとなったのが、美琴の存在である。
見目麗しく心も清らかな彼女は、悪を自称する自分とは相いれぬ者。
性格が正反対なだけならまだしも、スターは彼女を特に気に入り、自分よりも頻繁に会って食事をしたり会話をするようになった。
このままでは、忠臣の座を美琴に奪われ、スター流の栄光はますます過去のものに遠ざかるかもしれない。危機感を抱いたジャドウは、手始めに李に占いの結果を見せることで動揺させ、闘いに精彩を欠くことによって負傷させ、地獄監獄より復活したという目黒に李の抹殺を依頼。目黒は依頼を果たすことはできなかったものの、李に再起不能の重傷を負わせることに成功した。あとはこの事実をもって、美琴を精神的に追い込んだ後、亡き者にすればよい。
そうすれば邪魔者は消え、忠臣としての地位は守られる。
そして今に至るのである。
「死ね。美琴よ!」
腰に携帯した鞘から剣を引き抜き、鋭い突きを見舞う。
だが闘牛士のように身軽に躱され、姿勢を入れ替えられてしまった。
今度はあべこべに自分が断崖絶壁に立たされ、奈落の底へと落とされる恐怖を味わうことになったジャドウだが、彼は目を妖しく光らせ、高らかに笑う。
「フハハハハハハハハハ!逆境こそ精神が研ぎ澄まされると言うもの。来るがいい、美琴よ。吾輩を落としてみよ!」
だが、美琴はくるりと踵を返し、崖とは反対方向へと歩き出す。
まるで自分を歯牙にもかけないと言ったその態度に、彼の心の中に沸々と怒りが沸き上がってきた。
「美琴よ。吾輩をここで殺めねば後悔することになるぞ!」
「……できません。あなたはわたしに数多くの教えを授けてくださいました。あなたには恩があります。それに、わたしがあなたを落とす理由は何一つないのです。失礼します」
背を向ける彼女の声は涙声となっている。
「貴様は、どこまで吾輩を侮辱すれば気が済むのか。
何かにつけて泣いてばかりいるお前のその姿、吾輩が最も畏れたあの者によく似ているーッ!」
目を血走らせ、悪の形相となったジャドウは背後から急接近して美琴に袈裟斬りを浴びせる。背を斜めに斬られ、服が破れ、白い肌から血が滲む。だが次の瞬間には傷口が塞がり、服は再生する。
「何が起きたと言うのだ……?」
ジャドウが疑問を口にした刹那、美琴の全身が光り輝き、衝撃波を放つ。それにより吹き飛ばされ尻餅をついたジャドウが見たものは。
突如として上空に現れた黄金の剣を持つ巨大な腕だった。
黄の粒子で構成されたそれは、ジャドウに向かって剣を振り下ろす。
一刀両断にされ、大きなダメージをジャドウだったが、剣は攻撃を止めることなく、幾度となく剣を振るう。巨大な光の剣に滅多切りにされたジャドウは徐々に崖の先へと追い詰められていく。
その間、美琴は背を向けたまま微動だにしない。
度重なる剣の斬撃を受けたジャドウは冷や汗を流しながらも、能力に関する心当たりを得た。
「貴様、スター様から超人キャンディーを頂いたな。それも単なる超人キャンディーではない。
吾輩が誰にも与えてはならぬと警告を続けた、禁断の白いキャンディーを!」
「……」
「如何なる攻撃も何倍にもして相手に跳ね返す……
それが白いキャンディーの力。
俺でさえ、俺でさえ与えられなかった禁忌の力をなぜ!
なぜ! このような小娘が! 教えてください、スター様ァ!」
ジャドウは空へ声を張り上げるものの、答えは返ってこない。
彼は口元にキューッと張り付いたような笑みを浮かべ。
「美琴よ、覚えておくがいい。貴様はこの俺が必ず呪い殺してやるからなぁ——」
怨嗟の声と共に堅く拳を握った瞬間。
無慈悲に振るわれた一〇度目の斬撃により、ジャドウは跡形もなく姿を消す。それと同時に光の剣と腕も消滅した。
ここで気絶していた美琴は意識を取り戻した。
「わたしは一体。ジャドウさんはどこへ?」
周囲を見渡してもジャドウの姿は無い。
「どこかに行ってしまったのでしょうか」
忽然と姿を消した彼を気がかりながらも、美琴はこの件を報告すべく、スターコンツェルンビルを目指して歩き出すのだった。
- Re: 攻撃反射の平和主義者です! ( No.15 )
- 日時: 2020/08/10 06:47
- 名前: モンブラン博士 (ID: daUscfqD)
あれ?
わたしはなぜ、こんなところにいるのでしょうか。現在、わたしは崖の付近に立っていました。崖の先端に行って下を覗いてみますと、遥か下に青い海が見えます。誰かに突き飛ばされでもしたら間違いなく命はないでしょう。
刑事ドラマではよくある展開ですが、これは現実です。わたしは確か、李さんの入院している病院に彼女をお見舞いにいきました。その後で何かあって、どうやらわたしはここに来たようです。
ちょっと待ってください。病院の前で誰かに会ったような気がします。ええと……白のオールバックの髪に立派なお髭、それに白い軍服——
思い出しました。わたしは病院の入り口でジャドウさんと会って、彼と少し言い合いになって、李さんの病室に行ったのです。李さんは肉体治癒装置という装置に入って痛々しい姿をしていました。その後、ジャドウさんと再び口論になって、彼が決闘を挑んできたのです。それで彼が相応しい場所にとわたしをここへ瞬間移動させた——
ここまでの記憶をどうにか思い出すことができましたが、問題は次です。
間違いなくジャドウさんはわたしとここで闘ったのでしょう。ですが、肝心の彼の姿が見当たりません。武人然とした彼が自分から決闘を挑んで逃げたというのは考えられませんから、あり得る線としてはわたしとの決闘の最中に誤って海に転落したか、それともわたしが彼を遠くへ投げ飛ばしでもしたか、あるいはまだどこかに隠れて隙を伺っているのかもしれません。再度海を見てみますが、彼の姿は見当たりません。海に落下して、泳いでどこかに行ったのかもしれません。
可能性としては様々ですが、今確実に言えることは、彼はわたしに決闘を挑み、どこかへ姿を消したということだけです。それにしても不可解なのは、わたしの身体に戦闘の傷が一つも付いていないということです。ジャドウさんほどの手練れ、しかも武器を持っている相手ですから、何かしら負傷をしてもおかしなことではないのですが……
もしかすると、スターさんが前に食べさせた白色の超人キャンディーの能力と何か関係があるのかもしれません。
あの時、わたしは何の能力を身に着けたのか聴くことはできませんでしたから、詳細がわからないのです。
良い機会ですから、帰ったら、早速スターさんに訊いてみることにしましょう。ですが、その前に。
ここからどうやってスター流のビルに帰ったらいいのでしょうか?
「ジャドウ君が君に決闘を挑んだ?
ハハハハハハハハハハハ! 冗談はよしてくれたまえ」
「本当なんです。信じてください」
「わたしには彼が君に決闘を挑むなんてどうも信じられなくてね。冗談としか思えない」
「でも、本当なんです!」
「そうは言っても、君が負傷した様子が無いし」
「……それはそうですけど……」
「証拠がないなら証明できないね」
街行く人に行先を訊ね、どうにかビルに戻ることができたわたしは、事の一部始終をスターさんに話します。ですが彼はよほどジャドウさんを信頼しているのでしょうか、中々信じて貰えません。終いには証拠を出してほしいと言われましたが、決闘を証明できるものが何もないので、わたしは口ごもってしまいました。
「まあ、君に負傷箇所が無いのは無理もない。君の獲得した能力ならそうなって当然」
「わたしの能力って、何なんですか!?」
さらりと言った彼の一言に食いつき、身を乗り出して訊ねるわたしに、彼は少し引き気味の笑顔を見せながら答えを口にしました。
「君の食べた白いキャンディーは『あらゆる攻撃を何倍にもして返す』能力なんだ」
「倍にして、返す……?」
「そう。例えば、わたしが君を銃で撃ったとしよう。するとたちまち、私に向かって無数の銃弾が撃ちまくられる!」
「原理はどうなっているのですか」
「わかりやすく説明するから、よく聞くんだよ」
彼が話してくれた情報によりますと。
能力は全方位に対処可能。
無意識に反応しどのような攻撃も跳ね返す。
受けた攻撃を身体が瞬時に分析・及び再現する。
殴打や斬撃など個人から繰り出される攻撃は光のオーラが攻撃を具現化し、対象者の攻撃が一回だった場合は一〇回分の攻撃を繰り出す。回避不可能な攻撃であるので、対象者は確実に攻撃を受けることになる。
戦闘機などによる兵器の攻撃の際はそれに対応した肉体変化が行われ、攻撃される。例えば攻撃されたのが戦闘機だった場合は両腕が戦闘機の翼になり、無尽蔵に銃弾を乱射するなど。
攻撃の反射する際、副作用として戦闘時の記憶を失うことがある。
スターさんの説明で大体のことはわかりました。するとわたしがジャドウさんとの闘いの記憶を失っているということは、先ほどの説明と照らし合わせて考えますと、能力を発動したことになります。それを伝えますとスターさんは頷き。
「そうなるね。ダメージも跳ね返す際に全部回復されるから、君が傷を負っていないのも頷ける」
「では、ジャドウさんはわたしの能力によって命を落と——」
「それはない。ジャドウ君に限ってそれはない」
わたしの心配をよそにスターさんはあっさりと断言しました。これほど強力な攻撃なら、いくら彼でも致命傷を受けていても不思議ではずですのに。
「スター流の門下生は、長い歴史の中でこれまで多数の戦闘による死者を出した。でもね、ジャドウ君は一度も死亡したことはない。死亡したと見せかけて皆を驚かせることはあるけれど、彼が本当に死亡したことは一度としてない。彼はどんな状況であったとしても、必ず予防策をとってある。たとえば、身代わりを用意したりとか。彼は分身術が得意だから、そのような芸当は当たり前にできる。まあ、心配するだけ無駄ということだね」
「どうして予防策をとることができるのでしょう」
「君は知らないかもしれないけど、彼は占いで先の未来を予測できる。その予測に従って行動すれば、相手の行動も丸わかりで、戦闘でも常に先手を取ることができる。スター流が百戦百勝なのも彼の占い力があってこそ。
彼が万が一敵に回ったらと考えると怖いよ。まあ、あり得ないけどね」
スターさんの話のおかげでわたしは安心することができました。するとスターさんは立ち上がり。
「美味しいチョコレートアイスを買ったから一緒に食べよう。君も食べるだろう?」
「はい! わたしも歩き疲れてお腹ペコペコだったんです!」
「それは良かった。じゃあもってくるからね」
彼が歩いて会長室の扉に行き、手を触れたその時です。
バァンと勢いよく扉が開いて、不動さんが中へ入ってきました。
「大変だ! スター、ガキ! 今すぐテレビを点けて見ろ!」
息を切らし、切羽詰まった表情の不動さん。一体、何が起きたというのでしょう。取りあえず、テレビのスイッチを付けてみましょう。
不動さんに構わずアイスクリームを取りに行ったスターさんには申し訳ないと思いながらも、会長室にある特大テレビの電源を付けました。するとそこに映っていたのは。
「これは……」
スターさんがチョコレートアイスの入ったカップをトレーに載せて持ってきました。カップの中に入ったアイスクリームはこげ茶色の光沢を放っていました。小さな銀色のスプーンで一口すくって口に運んでみますと、アイスクリームのひんやりとした冷たさに滑らかな舌触り、そしてチョコレートの深いコクとほのかな苦みが伝わってきます。もう一口すくってみますと、このアイスにはわたしが今まで食べたものとは違い、粘り気が強いことがわかりました。恐らくその粘りが舌に滑らかな食感を与えているのでしょう。
一口、また一口と飲み込むうちに、自然と頬が赤くなっていくのを感じます。
甘く優しく、けれどもほろ苦い——
その感覚は李さんが女性と知ってショックを受けた時の気持ちと同じものを感じます。これが所謂「初恋の味」というものなのでしょうか。
「美味しいかね」
「とっても美味しいです。でも、どうしてこれほど美味しいアイスを不動さんには食べさせてあげないのですか」
そうなのです。スターさんが持ってきたアイスのカップは二つ分。部屋には不動さんもいますから合計で三つ必要なはずです。彼は部屋を出る際に不動さんの姿を確認していますから、彼の存在に気づいているはずなのですが……
すると不動さんがギロリとわたしを睨み。
「俺は甘いものが大嫌いな性質でな」
「でも、美味しいですよ。少し、味見をしてはいかがでしょうか」
一口すくってスプーンで彼の口元に持って行きますが、彼はまるで汚物を見るかのような目をして顔を歪ませるばかり。無理強いする気はありませんので、自分の口にアイスを入れましたが、これほど美味しいものを食べないというのは些か人生を損しているように思えます。大満足でアイスを完食し、片づけが終わったあと、スターさんがにこやかな笑みで切り出しました。
「そういえば、先ほど不動君が血相を変えてここに入ってきたけど、何かあったの?」
「ギクッ……」
いきなり痛いところを突かれて、思わず口から変な声を出してしまいました。
先ほどから考えないでおこうと、全力でアイスに現実逃避していたのですが、どうやらここまでのようです。
組織の長である彼に隠し事はいけませんから、わたしは先ほどのテレビのニュースの件を彼に話すことにしました。
「スターさん落ち着いて聞いてください」
「その反応を聞く限りだと、君達が結婚するとか?」
「違いますっ!」
人が真剣な話をしようとしている時に、どうして彼はこのような冗談を口にするのでしょう。わたしでは彼のボケにツッコミを入れて話が進まないため、目線で不動さんに交代の意思を伝えます。それを受け取った不動さんは、威圧的な目で彼を見て重厚な口を開きます。
「ムース=パスティスが地獄監獄を脱獄した。アメリカが大混乱に陥っている」
「不動君、君の冗談は笑えないね」
「冗談でない。コレは事実だ」
「まさか——にわかには信じられないけど……」
「見ればわかる」
不動さんがテレビのリモコンのスイッチを押しますと、テレビに映し出されたのはアメリカはニューヨークで浮遊しながら、攻撃してくる戦闘機や戦車をのミサイルや砲弾を蹴りや拳で次々に弾き返している少女の姿でした。
その映像を見たスターさんは顔中に滝のような汗を流し、思い切り引きつった笑みをして。
「あー、不動君と美琴ちゃん。わたしは急用を思い出したから、これで失礼するよ」
「逃げる気だな」
「席を立たないでくださいっ」
立ち上がる彼を二人で左右の手を掴んでソファに強引に座らせ、詰め寄ります。
「地獄監獄はジャドウが管理人を務めていたはずだ。奴は今、どこにいる?
なぜ、よりによってあの女を脱獄させるような大失態をしでかした!?」
「ムースさんという方について、詳しく教えてくださいませんか」
「わかったから、そんなに顔を近づけないでおくれよ」
彼が手で制しますので、わたしたちが渋々距離をとりますと、彼は指を鳴らして一瞬で姿を消してしまいました。
「あの野郎! よりによって最悪の奴の始末を俺に任せるとは!」
不動さんは吠えてソファを手刀で一刀両断にしましたが、彼がそうなるのも無理はないでしょう。
「スターさんがいなくなったということはつまり——」
「察しがいいな。俺とお前の二人だけで、ムースをどうにかしなければならなくなったということだ」
スターさんがいなくなった今、わたしと不動さんの二人でムースさんを止めなくてはなりません。それにはまず、敵を知ることから始まります。敵の情報を集めることで、対処できることもあるからです。
「不動さん。あなたがムースさんについて知っていることを全て教えていただけませんか」
「知ったところで、半人前のお前如きに止められるような相手ではない」
「そうだったとしても、今はわたしと不動さんしかいないのですから、力を合わせるのが最善の策だと思います」
「それも一理ある。それでは、万が一のために、お前に知っていることを教えてやるとしよう」
不動さんは真っ二つに割れたソファの片方に腰を下ろして、話始めます。
「ムースは貴族の末裔でな。自分以外の者を全て断末魔や鮮血で自分を楽しませる玩具としか思っていない。奴の冷酷無慈悲さは筋金入りで、良心など欠片も持ち合わせていない根っからの極悪人だ。奴は拷問器具を無から生成する能力の持ち主で、能力を使って無差別に拷問をし、多くの者を惨殺した。警察や軍隊でも歯が立たず、遂には俺とジャドウが動くことになった。奴が住居としていた古城に突入し、一気に往生させる予定だった。だが、俺の身体に異変が起きた」
「異変?」
「奴と対峙した途端に、全身の力が急激に弱体化したのだ。今でも理由はわからん」
「それで、どうなったんですか!?」
「俺は奴に文字通り玩具にされた。マシンガン付きの傘で蜂の巣にされ、殴られ蹴られ、鞭で打たれ……完全敗北を喫した」
不動さんが敗北した。彼からその言葉を聞いたわたしは心底驚きました。肉体を極限まで鍛え、敗北とは無縁に思える不動さんにも敗北の歴史があるなど、今まで考えたことさえありませんでした。不動さんは背中を丸め、先ほどよりも少し声を小さくして話を続けます。
「惨めだった。無力だった。これまで最強だと信じ、自分より強い者などこの世に存在するはずがないと信じ切っていた俺が、身の丈の半分ほどしかないガキに翻弄される。今まで行ってきた修行は何だったのかと、正直言って心が折れそうになったよ」
「それで、ムースさんは……」
「奴はジャドウが捕らえた。それもごくあっさりとな。手柄は彼のものとなり、俺の敗北はジャドウが言わなかったことで無かったことにされたが。よりによってジャドウがいないこの状況下で奴が現れるとは、想定外だった」
わたしは彼にかける言葉が見つかりませんでした。必死で努力して最強とも言える強さを手にした彼が、初めて味わう挫折と屈辱。積み重ねてきた努力が否定され、敵に完敗を喫した瞬間、おそらく彼の心の中で何かが音を立てて崩れたかもしれません。ですが、彼はその後もぐれることなく、方法は過激であろうとも人々の平和を守るために自分にできることを精一杯がんばろうとしている。何と立派なことでしょう。わたしが同じ立場なら、きっと心が折れて立ち直れないと思います。
わたしは後ろから彼の眼前に歩み寄りました。当時のトラウマを思い出したのか、彼はソファの上で体育座りをして小刻みに身体を震わせています。
そんな彼をわたしは優しく抱きしめ、言いました。
「不動さん、ありがとうございます。あなたのお話のおかげで、多くのことがわかりました。今日はもう、休みましょう」
「……それがいいだろうな」
彼はそっとわたしの身体を離し、部屋を出て行きました。
誰もいなくなった部屋で、ムースさんの攻略を考えます。先ほどのテレビの映像から見るに彼女の身体能力はスター流の門下生と同等の力を持つと見ていいでしょう。彼女が生まれつきの能力者が後天的に得たものかは不明ですが、仮に後者であるならば、スターさんが激しく動揺していたのも理由がつきます。仮にスターさんと彼女の間に何らかの関わりがあって、スターさんが彼女の本性を見抜けず超人キャンディーを渡し、武術を指導していた場合、スターさんは彼女を強化し大規模な大量虐殺の間接的な協力者となるわけですから、動揺するのも頷けます。
それに彼女は見た目はとても可憐でしたので、女の子を好むスターさんならあり得ない話ではなさそうです。
彼女がどのようにして拷問を好むようになったかは謎ですが、少なくとも人に対する拷問を三度のご飯よりも好むことは間違いないようです。
それなら、彼女を攻略できるかもしれません。少々荒い方法かもしれませんが、試してみる価値はありそうです。
この方法は実際にムースさんに会うまでは頭の中に閉まっておくことにしましょう。明日は忙しくなりそうですから、今日は早めに眠ることにしましょう。ですが、毛布をかぶってもわたしは中々眠りに就くことができませんでした。ムースさんにより無残に殺されていく罪のない人々の姿が頭に浮かぶ度に、胸が苦しくなります。
できることなら、今すぐにでも彼女を止めに行きたいのです。
ですが、それには不動さんの心身の回復を待たなくてはなりません。
一人では成しえないことですから、彼の協力はどうしても必要なのです。
みなさんはスター流のことをヒーロー団体なのに何を手間取っているのだと苛立ちを感じるでしょう。ですが、その怒りはわたしにぶつけてください。スターさんや不動さんは何も悪くないのですから。
ムースさんの残酷な行為に苦しんでいるみなさん、もう少しだけ待っていてください。必ず、私達は彼女を止めてみせます。
- Re: 攻撃反射の平和主義者です! ( No.16 )
- 日時: 2020/08/10 06:48
- 名前: モンブラン博士 (ID: daUscfqD)
ムース=パスティスは空中を浮遊しながら、次々に撃ち込まれる砲弾を躱し、拳や蹴りで戦闘機を追撃していった。
地上に落下し爆発音を上げる機体に彼女は微笑した。
下から撃ち込まれる砲弾は弾を掴んで投げ返すことで対処し、戦車を破壊していく。陸と空の兵器を使用しても彼女の身体には傷一つ負わせることはできない。一方の自分達は攻防で被害が増していくばかり。形勢は不利だ。
するとムースがふわりと愛用の白い日傘を使って地上へと降り立った。長い桃色の髪が風に靡き、整った顔立ちを見せる。彼女は着ているコルセットの裾を掴んで丁寧に会釈をすると口を開く。
「皆様、わたくしの遊び相手になってくださり、嬉しく思います。これから皆様の悲鳴を聞き、赤い血を浴びると考えますと、興奮が止まりませんわ。
それでは、始めましょう。わたくしの可愛い玩具達」
彼女は満面の笑みで折りたたんだ白い傘の切っ先を向け、そこから黄色のエネルギー弾を発射した。機関銃の如く撃ち込まれたそれは、戦車を吹き飛ばし、シールドで防御した警官隊達を大きく後退させる。ムースは素早く彼らの背後に回ると、能力で生成した大鎌を振り上げ、彼らの首を一振りで刈り取っていく。胴体から分離された首がゴロンと地面に転がり、胴体は血飛沫をあげて倒れ伏す。流れ出る血は地面を赤く染め上げ、その様子を見た彼女はにっこりと微笑む。
「断末魔は聞けませんでしたが、良い鮮血を見せていただきましたわ。では、次はどうしましょうか」
鎌を消し、今度は鞭を虚空から出現させる。
「ヒッ……」
凄惨な光景に恐れをなした一人の警官が、使命を放棄し逃走する。だが、これほどの光景を見せつけられたら誰だって自分の命を優先するであろう。彼の行為は人間であれば当然のことだった。しかしムースはその場から動かずに、鞭を伸ばして彼の首に巻き付け、そのまま引きずって自分の足元へ連れ戻す。鞭を解き、腰を抜かした男にムースは微笑を浮かべて優しい手つきで頭を撫でる。
「怖がらなくてもいいですわよ。あなたには楽しいゲームに付き合ってもらうだけですわ」
「楽しいゲーム?」
「ダイナマイトゲームですわ!」
ウィンクを一つして指を鳴らすと、男の身体は堅くロープで巻き付けられ、隙間からはダイナマイトが入れられる。
ムースは懐から取り出したマッチに火を付け、ダイナマイトの導火線に次々と火を付けていく。
「導火線に火を付けましたから、それを消してくださいな。
早く消さないとあなたの身体は跡形もなく消えてしまいますわ」
「た、助けてくれぇ!」
「助かりたいのでしたら、そこの井戸に飛び込むといいですわよ。ダイナマイトが爆発するのが先か、あなたが火を消すのが先か、どちらが勝つのか見ものですわね」
彼女が指を差した先には古井戸があった。男は自由の利く両足でなんとか立ち上がると、無我夢中で井戸へと駆ける。
「死にたくない。死にたくないよぉ!」
涙を浮かべ必死の形相で走る男。どうにか井戸に辿り着き、火を消そうと中へと飛び込もうと中を覗くと、そこには水は無かった。
「そんな。どうして! 嘘だ、嘘だ! 嘘だあああッ!」
困惑し青ざめた顔で自らの身体を見ると、ダイナマイトの導火線は既に燃え尽きようとしていた。
「嫌だああああ! 助けてくれえええええッ!」
その言葉を最後に大爆発が起き、男は水の無い井戸ごと跡形もなく消滅した。それを見たムースは満面の笑みをつくり。
「綺麗な花火ですわ。やはり定期的に人を花火にして目の保養をしませんと、芸術を見る目がなくなってしまいますわね」
彼女は既に息絶えた警官たちの身体をヒールで踏みつけつつ、スキップしながらその場を去る。
「今日は暑いですから、冷たいアイスでも食べちゃいましょう。その後に、この街を火の海に変えてキャンプファイアーの代わりにして差し上げますわ」
バレエを舞うかのような軽やかな回転をし、アイス屋へと足を進めるムース。すると、彼女の前に一人の男が現れた。
金髪に碧眼、茶色い三つ揃えのスーツを着こなした紳士、スターだ。
ムースは彼の姿を見るなり丁寧な会釈をして。
「スター様、ご機嫌ようですわ。こうして会うのも久しぶりのことですわね」
「そうだね」
「それで、わたくしに何か用事でもあるのですか」
「君に伝えたいことがあってね。明日の朝、わたしの弟子が君の前に現れ、勝負を申し込むだろう。だから、その時までは人を殺めないで欲しいんだ」
「何故ですの?」
小首を傾げるムースにスターはにっこりと微笑み。
「弱い者いじめをするよりも、強い相手と闘った方が君としても痛めつけ甲斐があるんじゃないかと思ってね。どうかな、わたしの提案、受け入れて貰えるかね」
彼女は顎に手を当て、ほんの少し考えた後、小さく頷く。
「わかりましたわ。本当はここを火の海にする予定でしたけれども、あなたのお弟子さんが来ると言うのでしたら、その条件を飲んで差し上げますわ」
「ありがとう」
「ところでスター様。そのお弟子さんの中に、あの方は含まれているのですか」
「あの方……ああ、彼のことね。もちろんだよ」
「まあ嬉しい! あの方と雌雄を決することができるかと思うと心が躍りますわ!」
手を組み、キラキラと目を輝かせるムースにスターは踵を返し、手を振った。
「それじゃあわたしはこれで失礼するよ。明日をお楽しみに」
彼はその場で姿を消し、ムースだけが残された。
彼女は口元に微かな笑みを浮かべ、呟く。
「不動様。今度こそあなたを破壊して差し上げますわよ」
不動が冷静さを取り戻したことを確認した美琴は、彼に作戦を耳打ちで伝え、共にニューヨークへと向かう。
ニューヨークはムースの手により撃墜させられた戦闘機の部品が散らばり、道路には亀裂が走っている。
首を刎ねられ、五体を吹き飛ばされ無残な死体となった人々を踏まないように注意を払ってムースのいる場所へと向かう美琴であったが、途中で何度もあまりの凄惨な光景に吐き気を催した。人の命を奪うだけでも非道であるというのに、これほど残虐な方法で殺めるとは、ムースという人物はどんな人なのだろうかと疑問を抱きながら、不動と並んで彼女は歩みを進める。テレビの映像では遠くの姿が映されたのみで、はっきりとした全体像は知らなかった。そのため、いかにも「お嬢様」然としたムースの外見を見た彼女は、容姿と行動のギャップに頭がクラクラするような感覚に襲われた。
それに耐え、真っ向から彼女と向き合う。
彼らの存在に気づいた存在は、椅子代わりとしていたボンネットから立ち上がると、服の埃を落とし、天使と称しても過言ではないほどの優しげな笑顔で二人に会釈した。
「お待ちしておりましたわ」
「何故、我々が来ることが分かった」
「スター様が教えてくださいましたの」
「……成程。奴は逃げ出したかと思っていたが、こんなところでお膳立てをしていたとはな。三度の飯よりも拷問を好むお前がこうして大人しくしているのも、俺達と闘うのを楽しみにしていたからか」
「ご名答ですわ。ところでそちらの方は……」
きょとんとした顔で指を差されたので美琴は慌てて頭を下げる。
「美琴です」
「美琴様ですね。あなたもわたくしと遊んでくださるなんて、光栄ですわ。スター流の皆様はわたくしにとって最高の玩具ですから」
「ムースさん。残念ですが、わたしはあなたと遊びに来たのではありません」
「あら。それでは何の為に——」
「あなたの悪行を止めるためです」
落ち着いた口調ながらも真剣な眼差しを向ける美琴にムースは自らの口に手を添えて笑い声を上げる。
「冗談がお上手ですわね。玩具の分際でわたくしのお遊びを悪行と言い切るなんて、無礼千万ですわね。反抗する玩具にはキツイお仕置きをして差し上げなければいけませんね」
ここでムースは日差しが暑いのか愛用の日傘を差して。
「ところで、あなたはスター流の掟をお忘れではありませんか。スター流は決闘を挑まれた際はいかなる理由があるとも一対一で闘うこと。その掟を破った場合は破門であると」
「……!」
美琴は大きく目を見開き、不動を見る。
「お前はこの掟を知らなかったのか?」
不動に訊ねられ、美琴は気まずく視線を逸らす。
味方ならまだしも敵であるムースに教えられるとは。
美琴は己の恥じた。だが不動は口角を上げ。
「案ずるな。確かに掟は守る必要があるものだが、このゴミに掟を守って闘う価値はない」
「ゴ、ゴミ!?」
「お前はガキ以下のゴミだ。それも史上最悪のな」
「このわたくしをここまで罵倒するとはいい度胸ですわね。どうなるか分かっているのですか」
「さあね。お前が成す術なく倒される結末しか想像できんが」
「まあ、冗談がお上手ですこと。でも、わたくしとしましては、観客もない寂しい場所であなた方をお相手するのは気が進みませんわね。場所を指定して、そこで一人ずつお相手したいですわ」
「お前の都合など知ったことではない!」
不動が一気に間合いを詰め、その拳をムースに振るう。
しかしムースは跳躍し、彼の拳の上につま先立ちをする。
「相変わらず短気なお方ですわね。このようなことでは、いつまで経っても恋人ができませんわ」
「俺に恋人など要らぬ!」
空いている左手で彼女を掴もうと手を伸ばすも、ムースは素早くジャンプし身を翻すと、不動の背後に膝蹴りを叩き込む。
前のめりに倒れた不動の両肩に飛び乗ると、そのまま細い両足でぐいぐいと彼の首を締め上げる。
「ぐ……が……」
不動はムースの両足から逃れようと腕に力を込めるも、彼女の足はビクともしない。次第に彼の顔からは血の気が引き、青白くなっていく。そして白目を剥くと血泡を噴いて失神してしまった。ムースは技を解くと、傘を開いて地面に着地し笑顔で美琴に振り返った。
「今のはほんのお遊びですわ。本番では比べ物にならない地獄をあなた方に体験させてあげますわよ」
彼女はウィンクをしてスキップで歩き出す。
「待ってください!」
美琴が声をかけると彼女は足を止め。
「試合は明後日、日本のスタードームで行おうと思っておりますの。三万人もの観客の前であなた方を破壊して差し上げますわ。あと、試合当日にはちょっとしたサプライズもありますので、お楽しみに」
「サプライズ……?」
「気になりますか? それでこそサプライズの意味がありますわね。それでは明後日、会場でお会いしましょう」
可憐な微笑みを最後にムースはその場から消えてしまった。
美琴は失神している不動に視線を落とす。今だ目は覚めない。
ムースを止めることができなかった。自分が割って入っていれば、不動が気絶することはなかったはずだ。
何故、止めることができなかったのか。
彼女の攻撃があまりにも素早く捉えきれなかった?
確かにそれもあるかもしれない。だが、本心は違う。
怖かったのだ。彼女の得体の知れなさ、そして一瞬で不動の背後をとり、締め上げた恐るべき実力が。
戦車や戦闘機をものともせず、師匠格とも言える不動を赤子の手をひねるように絞め落とす底知れなさ。
美琴は不動が何故ムースをこれほどまでに恐れるのかを思い知らされた。
ジャドウはいない。スターもいない。李もいない。
残るは自分と不動だけ。
明後日、自分と不動の二人だけで彼女と戦わねばならない。
怖い。とてつもなく怖い。
自分の全身が震えているのを美琴は感じとった。
ぞっとするような寒気を感じるのだ。
「これが恐怖………!」
目を見開き身体を震わせ、美琴は倒れた不動の背に恐怖から流れる涙を落とした。
- Re: 攻撃反射の平和主義者です! ( No.17 )
- 日時: 2018/09/07 15:45
- 名前: モンブラン博士 (ID: mrjOiZFR)
スター流に戻ったわたしと不動さんは早速スパーリングをすることにしました。練習とはいっても不動さんは決して手を抜くような人ではなく、わたしをムースさんと勘違いしているのではないかと疑問に思う程激しく攻めてきます。
わたしもやられっぱなしではいけませんので、彼の攻撃を躱したり、受け流したりとダメージを軽減させます。
わたしの身体には無意識で相手に受けたダメージを何倍にもして反射する能力が備わっているのですが、どれだけ攻撃を跳ね返されたとしても、彼はそれをものともせずに向かってきます。その姿はまるで猪突猛進の機関車のようです。
「ハァ……ハァ……ハァ……」
「どうした? その程度でもう息切れか? だからお前はガキなのだ」
「不動さん、そろそろわたしをガキというのは止めてもらいませんか」
「止めてほしいのなら、条件を出してやる」
不動さんはリングに大の字に倒れたわたしを見下ろしニヤリと笑うと。
「立て! 今からお前に俺のスター流超奥義を伝授してやる!」
「スター流……超奥義」
スター流超奥義は以前に聞いたスターさんの説明によりますと、数多くあるスター流奥義の中でもごく一部の人しか習得できないと言われている超難易度の技のはずです。
それを伝授するということは、口では悪いことを言っているようですが、もしかすると不動さんはわたしを認めているかもしれません。そう考えると、なんだか嬉しくなってきます。
「頬が赤いか、どうかしたか?」
「いえ、何でも……」
「まあいい。俺があのゴミクズに敗北するなどあり得んだろうが、念のために保険をかける必要がある。俺が敗北するようなことがあれば、お前が闘うということだ」
「……はいっ!」
「良い返事だ。では、はじめるとしよう。見事俺の奥義を習得できたら、お前の名を呼んでやるのも考えてやる」
「本当ですか」
「お前のような半人前が俺の奥義を習得できるなど、天地がひっくり返ってもあり得ぬだろうが」
「わたし、やってみます!」
ムースさんと初めて出会ってから三日が過ぎました。わたし達は約束通りにスタードームに行き、控室で試合が行われる時を待ちます。
早くに会場入りしたのでまだ時間はあるのですが、わたしは彼女と闘うと想像しただけで、自分の足が微かに震えているのを感じとりました。怖いのです。人を玩具と称し、殺めることに何の罪悪感も抱かない冷酷非情さに加え、不動さんをあっさりと絞め落としたという事実。
その二つがいかに恐ろしい相手であるかということをわたしに警告しています。闘わなければいけないことも、彼女に勝って人を殺めることをやめさせなければならないこともわかっています。
スターさんから能力を与えて貰ったとはいえ、自分で発動したこともなく、使いこなせるという保証はどこにもありません。作戦を立ててはきましたが、果たして彼女に通用するかはわからないのです。そんな不安を抱いていますと、不動さんがわたしの頭にポンと手を添え、くしゃくしゃと頭を撫でました。
「な、何をするんですかっ!髪が台無しになっちゃいます!」
慌てて頭を抑え、不動さんを見ます。
彼はフッと口角を上げて笑いますと、力強い声で言いました。
「案ずるな。今日、お前に出番はない」
「どういう意味ですか!?」
「俺があのゴミを完膚なきまでに叩き潰すからだッ!」
宣言して立ち上がりますと、係の方がドアを開きました。
「不動さん、美琴さん。出番です」
「行くとするか」
バキボキと拳を鳴らし、嬉しそうに告げる不動さんの後を付いていきます。そして、控室を抜けた先に広がっていた試合場の光景は——
人、人、人。
三百六十度、どこを見ても観客席にはぎっしりと人で埋め尽くされています。ムースさんがテレビ局を通じて宣伝したからでしょうか、これほどの多くの人が集まっているとは思ってもいませんでした。わたしにとってはスター流としてデビューする初めての試合になります。
緊張しますが、この闘いは絶対に勝たなければなりません。もっとも、不動さんがムースさんに完勝してくれるのであればそれに越したことはないのですが。
ムースさんは先にリングの中に入ってわたしたちを待っていました。
ですが、よく見ると普通のプロレスのリングとは一風変わっています。
四方が高い金網に囲まれているのです。
「ムースさん、このリングはどうなっているのですか?」
「ゲージ・デスマッチですわよ。リングの中に入って、KOするまで闘うのがルールですわ。もちろん、中に入ったら上空にも金網を設置しますのでご安心なく」
ゲージ・デスマッチ。見るからに恐ろしい試合方法です。少し金網に触れてその感触がどれほどのものか、確かめてみましょう。手を伸ばして金網に触れた瞬間、パチィンという強い音とショックがわたしの身体を駆け抜けました。ビリビリと腕が痺れます。
「この感覚、まさか電気——」
「その通りですわ。金網にちょっとでも触れたらバチバチ感電してしまいますの。何度も当たったら丸焦げになってしまいますわね。面白いと思いませんか」
にっこりと微笑むムースさん。
この方の考えには賛同しかねます。
すると、無言だった不動さんが口を開きました。
「金網電流デスマッチとは考えたものだが、これがお前の用意したサプライズとやらか?」
「いいえ。サプライズはこれですわ!」
彼女が指を鳴らしますと、地面から何かが盛り上がり、飛び出してきました。よく見てみますと、それは肉体治癒装置で、中にはわたしがよく知る人物が入っていました。
「李……だと!?」
不動さんが驚愕するのも無理もない話でした。
そうなのです。中に入っていたのは紛れもなく李さんだったのです。恐らく、入院している彼女をムースさんが連れ出したのでしょう。
意識を回復しない彼女をこのような場所へ連れ出すなど言語道断です。今すぐにでも病院に連れて帰って安静にさせなくてはなりません。
「彼女を離してくださいッ!」
「お断りしますわ」
「仕方ありません。あまり強引な手段は使いたくありませんが、力づくでも病院へ連れ戻します!」
一気に加速し、彼女の肉体治癒装置に近づき、両腕を伸ばします。ですが、わたしの身体が到達する瞬間に見えない力で弾き飛ばされてしまいました。
もう一度挑戦しますが、結果は同じ。
「どうして近づくことができないのです!?」
「彼女の肉体治癒装置にはバリアが貼られておりますの。解除するにはわたくしを倒すしかありませんわ。それと、李様の装置をよくご覧なさい」
指摘されて注意深く観察しますと、何と肉体治癒装置には時限爆弾がセットされていたのです。
しかも恐ろしいことに、時限爆弾のタイマーはどんどん数字が進んでいきます。今で残り時間は61分を切りました。
ムースさんはリングの中で大きく手を伸ばし。
「どうします? 彼女のバリアと時限爆弾のタイマーはわたくしを倒さない限り効果は消えません。
彼女を助けたかったら、リングに上がってきてくださいな」
何と言う人なのでしょう。
意識不明の李さんを盛り上げるための道具に使うだけでは飽き足らず、時限爆弾まで設置するなんて。
わたしは今まで、これほど良心の欠片もない人間を初めて見ました。確かにわたしは争いは好みません。ですが、彼女の行いは明らかに度が過ぎています。断じて許すわけにはいきません。意を決して一歩踏み出しますと、大きな右手がわたしの行く手を遮断器のように遮りました。
「ガキ、先ほど言ったはずだ。今日は、お前の出番ではないと」
「でも——」
「あのゴミクズには因縁がある。ここは俺が奴を往生させる」
「ですが不動さんは彼女と闘うと力が弱くなってしまいます」
「そんなことは関係ない。あのゴミには丁度いいハンディだ。それに、今のお前の面はお前らしくない」
「え?」
「鏡を見ればわかるだろうが、今のお前は怒り顔になっている。そのような怒り顔など、お前には似合わない」
「不動さん……」
「そして何より、奴に怒りをぶつけるのは、この俺『怒りを以て人を救いに導く』不動仁王の役目だ」
不動さんはゆっくりと金網に近づいたかと思うと、凄まじい速さで駆け上がっていき、リング内へと入ります。
彼が着地するとその体重でリングに轟音が上がります。
不動さんはその名の通り仁王立ちになりますと、怒声を発します。
「この世に存在する価値もない最低最悪のゴミクズよ。
貴様を跡形もなく消し去り、往生させてやる。光栄に思うがいい」
「それは楽しみですこと」
二人が告げたと同時に上空に金網が取り付けられ、試合開始の幕が切って落とされました。
- Re: 攻撃反射の平和主義者です! ( No.18 )
- 日時: 2018/09/09 07:19
- 名前: モンブラン博士 (ID: mrjOiZFR)
試合開始のゴングが鳴るなり、不動はムースに真一文に突進する。
だが彼女はそれを軽々と飛び越え、後方に着地すると、素早く不動の腋腹に蹴りを食らわせる。
「わたくしを感電させたかったみたいですが、そう甘くはありませんわよ」
「だろうな。だが、その方が俺も腕がなるッ!」
不動は振り返り裏拳で反撃する。
彼の拳を屈んで躱し、足払いで地面に倒したムースは口元に手を添えて微笑む。
「何でもない攻撃で倒れるとは、まだ試合序盤ですのに情けないですわね」
「軽口が叩けるのも今のうちだ」
不動は好戦的に笑うと相手の服の胸倉を掴んで、自らの頭部を大きく引く。そして速度をもって額を彼女の顔面に衝突させた。
「ああああッ」
高い悲鳴をあげ、額と鼻っ面から血を噴き出しムースはふらりと体勢を崩した。
「女の子の顔面に頭突きをするなんて、マナーがなっていませんわね」
「それがどうした」
懐から取り出した白ハンカチで血を拭く彼女に構わず、不動は二撃目の体勢に入る。振り下ろされた鋼鉄の頭は、ムースの小さな両手によりしっかりと受け止められてしまう。
「ホホホホ……同じ攻撃がわたくしに通用するとお思いでしたら、随分と低く見られたものですわね」
だが、不意に彼女の腹に激痛が走る。
「かはっ……」
目を大きく見開き、口から血や唾を吐き出す。不動に腹を殴られたのだ。ムースの可憐なコルセットにはしっかりと不動の拳の跡が付いていた。腹を抑えつつ、彼女は訊ねる。
「今のは撒き餌だったというのですか」
「それぐらいも見抜けぬから、お前はいつまで経ってもゴミなのだ」
不動は容赦なく彼女の華奢な腹に立て続けに膝蹴りを打ち込み、更にがら空きとなった顔面に殴打を加えていく。不動の鉄拳に左右の頬を打たれ、ムースは徐々に後退していく。背後はいうまでもなく、電流が流れる鉄柵が待ち構えている。
並の人間ならば挟み撃ちにされて終わりだが、ムースは違った。
彼女は不動の股下をスライディングで抜けて安全な背後に回ると、彼の両肩に飛び乗った。相手は頭上にいるため、不動からの攻撃手段は皆無に等しい。その光景を目の当たりにした美琴の脳裏には、三日前に首を絞められ失神した不動の姿が鮮明に浮かび上がってきていた。
「不動さん、頑張ってください!」
まるで祈りを捧げるかのように手を強く組んで師を応援する美琴。
鉄柵に阻まれているが、声なら届けることができると、美琴は珍しくも声を大にした。
「あなたは先ほど言いました!自分がムースを倒すと。わたしの出番はないのだと。
あの言葉は嘘だったのですか!?嘘でないのなら、ここから反撃してみてください!」
その時、美琴の背後から意外な人物の声がした。
「立って応援すると疲れるから、椅子に座った方がいいよ」
聴きなれた声に振り返ると、そこにはパイプ椅子に腰かけたスターがいた。
「どうしてあなたがここにいるのですか」
「試合を間近で観戦したいからね。君も隣の席にどうぞ」
いつの間にか、彼の隣にはもう一つのパイプ椅子が用意されていた。
「スターさん、こんなに近くで座っていたらお客さんの迷惑になってしまいますよ」
「特等席だから問題ないよ。それに、立っている君の方がよほど観客の視界を遮っているんじゃないかな」
正論を言われ言葉に詰まる彼女に、スターは指で隣のパイプ椅子のクッションをつつく。無言で座れと示しているのだ。彼の言い分も一理はあったので、美琴はひとまず座ることにした。
隣に目をやると、スターは偉そうに足を組み、ポテトチップスの袋を開けて、美味しそうにパリポリと食べる。その態度に美琴はため息を吐き、彼を咎めた。
「スターさん。不動さんが命懸けで闘っているのですから、そのような態度で試合を観戦するのは失礼ではないでしょうか?」
「不動君は両腕を防がれているし、リーチ的にもムースを振り落とすのは無理があるだろうねえ。さて、ここからどう反撃に出るかな」
言葉を完全無視し、にこにこ顔で語るスターに美琴は改めてリングに視線を戻す。不動はムースにより脳天肘打ちを無防備のまま食らい続けていた。やがて彼の額が割れ、鮮血が顔を隈取のように赤く染めていく。
「不動様。これぐらいの攻撃でもうお手上げですか。でも、無理もないですわね。頭上からの攻撃を防ぐ術はないのですから」
「思い込みが激しいゴミだ。教えてやる。この体勢は、こうすれば崩れ去るッ!」
不動はコーナーポストに突進すると、そこを駆け上がり、飛び上がると、背中からリング目がけて落下する。すると当然のことながら、組みついているムースも一緒に落ちることとなり、結果としてマットに首を強打してしまった。頭を振り、立ち上がろうとする彼女の下に大きな黒い影ができる。見上げると、そこには猛禽類の如き瞳に殺気を宿し、仁王立ちで見下ろす不動の姿が。
「ゴミ、ここからは俺の反撃といこうか」
ムースの細い腹を巨大な足で踏みつけ、更にその身体を膝の上に乗せ、弓なりにさせることで標準を合わせ、一気に拳を解き放つ。
「往生させてやるッ!」
怒りの籠った拳はムースの顔面にクリーンヒット。彼女は口から血飛沫を噴き出し、マットを赤く染める。
その光景に不動はニヤリと笑い。
「地獄はまだ始まったばかりだ」
不動はムースを簡単に目よりも高く抱え上げ、マットに叩き付ける。
そこから腹を両足で体重をかけて何度も踏みつけ、髪を掴んで立ち上がらせると、喉元に手刀を打ち込む。
苦しさのあまりムースが喉を抑え悶絶すると、今度は彼女の右足に足払いをかけた。倒れたムースは立ち上がろうと足に力を込める。だが、ガクガクと足が震え、直立さえ困難な状態に陥っていた。
「やりますわね……」
「まだ喋れる余裕があるとは」
不動は辛うじて立ち上がった彼女に容赦ない平手打ちを食らわせる。
乾いた音が響き、リングの至るところにムースの吐いた血が付着する。
試合を観戦していた美琴は、興奮したのか、少し高い声でスターに告げた。
「スターさん。最初はどうなるかと思いましたが、これほどの猛ラッシュをしているのですから安心ですね。ムースさんも防戦一方ですし」
「どうだろうね」
「どうだろうねって……不動さんはあの通り、優勢じゃないですか」
「君はそう思うのかもしれないけど、わたしから見て、今の彼は彼らしくないね」
「彼らしくない?」
反復する美琴だが、スターは答えない。ポップコーンを口に運びながらもじっと試合を観戦している。美琴にはスターの言葉の意味がわからなかった。現に不動はムースを圧倒している。彼の剛腕から繰り出される打撃を食らい、ムースは後退しているではないか。出血も多く、このままいつまでも攻撃を耐えられるとは思えない。不動の勝利は時間の問題と評しても不思議ではないはず。それなのに何故、スターはこんなことを口にするのだろうか。
不動は彼の弟子であるはずなのに。どうして弟子を応援しないのだろう。するとスターは小さく呟いた。
「不動君は必死だね」
「試合ですから、誰でも必死で勝利を掴み取ろうとすると思うのですが、違うのですか」
「わたしが言いたいのはそうじゃない。必死と言うのは、彼がムースの恐怖から逃れようと必死で抵抗しているということだよ。彼は焦っている。一刻も早くムースに勝利したいという焦りが動きに出ている」
「そういうものなのでしょうか。わたしにはいつもの不動さんに見えるのですが……」
「今にわかる。見ていてごらん」
リングの上では不動がムースの脳天に鉄拳を振るい、そこから彼女の身体を鉄柵に放り投げたところだった。ムースは身を翻すこともせず、鉄柵に背中から激突。遠目でもわかるほどに彼女の全身をオレンジの火花が包み込み、爆竹のような激しい音が周囲に響いた。
「ううっ……」
小さく呻き倒れたムースはちょうど正座の姿勢となっていた。
その瞳は虚ろになっている。
完全な放心状態の瞳には戦意を感じ取ることができない。まるでフランス人形のようにおとなしくなった少女に不動は距離を詰めていき。
「お前自身の提案でお前が真っ先に負傷するとは。身から出たサビとはこのことだ」
不動はムースの小さな顔を鷲掴みにして、片腕だけで宙に持ち上げる。
「残念だったな。俺はお前に完敗した嘗ての俺ではない。修行を得て進化をした俺の力により、往生されるがいいッ」
パッと手を離すと、ムースはそのまま地面へと身体を倒していく。一瞬の隙を逃さず、その細い首にラリアートを炸裂させ、再度鉄柵に衝突させようと試みた。
無防備のまま鉄柵に突っ込んでいくムース。だが、鉄柵にぶつかる直前に閉じられた瞳がカッと見開き、両腕を伸ばして脳天からの衝突を防いだ。華麗にリングを着地したムースは、試合開始前と変わらぬ微笑みを見せ。
「演技も楽ではありませんですわ」
「演技…だと!?」
彼女の発した意外な言葉に不動は瞳孔を縮めた。ムースは恭しくお辞儀をして顔を上げる。
その表情には残忍な笑みが張り付いていた。不動が歯をギリギリと噛みしめ、眉間に深い皺を出現させる。相手を仕留めそこなった自分に対する怒りだった。ムースはコルセットのスカートの裾を掴んで口を開く。
「あなたはおかしいと思わなかったのですか。わたくしの衣服が鉄柵に衝突した際に何のダメージも受けていないことに」
彼女の言葉を聞いた美琴はハッとして。
「言われてみれば、あれほどの電撃を受けたのですから衣服が黒焦げになっているのが普通ですね。
彼女の服には電気を通さない工夫でもしているのでしょうか」
「美琴様、ご名答ですわ。最も、不動様はあなたより年長であるにも関わらずそのような当たり前のことさえ気づかなかったほどの、残念な頭の持ち主のようですけれど」
「黙れッ!」
不動は吠え、タックルを決めようとするが、ムースは鉄柵を蹴って反動をつけ、彼の直前でくるりと一回転し、足の裏で不動を蹴る。
まるでロケットのような一撃を受け、不動は反対方向に盛大に吹き飛ばされ、鉄柵に激突。全身を電流が駆け巡る。
「ぐ……おおおおおッ!」
「わたくしと違ってあなたは皮膚を晒していますから、電流はざそかし痺れるでしょうね。ああ、何て可哀想な不動様なのでしょう。こんな電流に苦しみ辛い思いを味わうくらいなら、いっそのこと……」
禍々しい狂気を宿した瞳を光らせ、虚空から鞭を取り出した。一振りするとパァン!という音が高らかに響き渡る。
「もっと苦しめて壊して差し上げますわ。さあ、不動様? 鮮血と絶叫でわたくしを楽しませてくださいな」
ムースは笑い声を発しながら、電流を食らって動けない不動を鞭で滅多打ちにする。不動が立ち上がり腕でガードの体勢をとるが、ムースは巧みな鞭さばきで防御が難しい足や肩などを狙って当てていく。しなる鞭は音速を超えるスピードで放たれ、百発百中で不動の足や肩に激しい痛みを与えていく。ズボンや皮膚は切り裂け、肌からは血がダラダラと流れていく。鞭による切り傷はその数と深さをましていく。あまりに一方的な展開に、最初は不満を漏らしていた観客も目の前の光景の凄惨さに声も出ない。するとムースは鞭をマットに落とし。
「皆様の反応がイマイチですわね。
それにわたくしも鞭で甚振るのは飽きましたわ。今度は、これで苦しんでいただきましょう」
彼女が指を鳴らして虚空から取り出したのは機関銃だ。銃口を不動に向け、ムースは言った。
「蜂の巣になってくださいな」
可愛らしい声とは裏腹に無慈悲に引き金を引くと、無数の弾丸が不動目がけて飛び出してくる。普段なら超高速で躱してのけるか、片手で全ての銃弾を掴まえるくらいのことは不動にとっては朝飯前だった。
しかし今の彼は度重なる鞭による打撃を受け続け、体力をかなり消耗していた。もはや躱す気力も弾を握る体力もなく、それらの銃弾をまともに受けてしまう。
「グ……ムッ!」
不動は腕を交差させて防御をとるも、その衝撃の凄まじさに後退を余儀なくされる。ムースにとって残弾数などは問題ではなかった。彼女にとって重要なのはいかにして不動を苦しめるかだけなのだ。弾切れを気にすることなく撃ちまくる彼女に不動は防戦一方だった。普段は銃弾を受けてもビクともしない頑丈な肉体を誇る不動であるが、今は事情が違う。ムースの機関銃の弾が尽きた頃には、リングには大量に散らばる銃弾と地面に倒れ伏した不動の姿があった。
「た、立たなければ……」
両腕に力を込めて立ち上がろうとする不動を、ムースは靴で彼の頭を踏みつけ、地面に押し付ける。
そして先ほど自分がされたように冷たい光を宿した瞳と狂気の漂う満面の笑みで見下ろし。
「無様ですわね不動様。あの時わたくしの演技に気づいていれば、ここまで痛めつけられることはありませんでしたのに」
「お前の攻撃など屁でもない」
「言ってくれますわね。わたくしは早くあなたの口から出される悲鳴が聴きたいのですよ。涙を流して許しを請いて絶叫するあなたの姿、そろそろ見せてくださいな」
「生憎だが、俺は怒りの感情以外はとうに捨てたのでな。お前の願いは永久に叶わん」
するとムースは握った両腕を顔の前に持ってきてわざとらしく驚いた。
「まあ! それは初耳ですわ。あなたの断末魔と鮮血を見るのを楽しみにこの試合を用意いたしましたのに。仕方ありませんわね。願いが叶えられないのでしたら、あなたには夢の世界に旅だっていただくしかなさそうですね。永遠に」
彼の耳に顔を近づけ囁くムース。
こうすることで不動の恐怖を煽ろうとしたのだが、彼は仏頂面を崩さない。諦めたのか小さくため息を吐き、肩をすくめる。そして間をとると、彼の顔面に強烈な蹴りを打つ。
その衝撃に不動はうつ伏せから仰向けにされてしまう。大の字になった彼に迫るは、上空から錐揉み回転しながら落下してくるムースの身体だった。
「ゴフッ」
頭で腹を串刺しにされ呻き声と血を吐き出す不動。だが、彼女の攻撃は終わらない。その細い腕のどこにそれほどの力が潜在しているのかと思われるほどの怪力で高々と不動を持ち上げ、マットに突き刺す。
マットに両足が埋まり、無理やりに直立不動となった彼を見て、ムースは天井の鉄柵に届きそうなほど高く跳びあがり、そこからドロップキックを打ち込む。
斜め上からジェット機のように襲い掛かるそれを躱せる体力は不動にはない。腕を掠めた蹴りは鎌鼬のように彼の腕を切り裂き、血を噴き出す。四方八方、縦横無尽に放たれる飛び蹴りの連射砲を食らい続ける不動に美琴が言った。
「不動さん、動いてください」
絞り出されるように言ったその声が不動に届いたかはわからない。自分の師匠のような存在の男は、無言でいいように敵に甚振られている。それが美琴には耐えられなかった。
入門した当初から圧倒的な実力を誇ってきた不動。厳格ながらも心の奥には確かな優しさを宿した不動。彼が敵に何もできずにやられている。美琴はその現実を認めたくなかった。
「こんなの、嘘です!
あの不動さんが、何もできずに倒されるなんて、そんなの不動さんじゃありません!」
鉄柵を掴み、ボロボロと涙を流しながら美琴は訴える。
「李さんを助けられなくていいんですかっ!」
すると、不動が口を開いた。
「……すまん」
彼の発した一言に美琴は耳を疑った。
あの不動さんが謝った?
これまで一度も聞いたことがない、不動の謝罪。彼の短い一言を聞き、美琴は悟った。彼は自分と相手の実力差を知っている。その上で何もできない無力な自分を恥じている。自分では彼女をどうすることもできない。そんな自分が恥ずかしくて情けないのだろう。彼の口から出た精一杯の謝罪の言葉に美琴は鉄柵から手を離した。一生懸命頑張っている相手にこれ以上頑張れと語るのは無理をさせていることになる。自分は安全なリングの外にいて、彼の苦しみを理解できる立場にない。それにも関わらず彼を励ますのは残酷なことではないだろうか。そんな思いが美琴の頭を駆け巡った。
その時、美琴は気づいてしまった。
不動の身体に異変が起きていることを。