ダーク・ファンタジー小説
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- バッドエンドアリスの招待状
- 日時: 2021/02/02 23:46
- 名前: 立花 ◆FaxflHSkao (ID: vQ7cfuks)
僕の親愛なるアリス。
どうしても君に真実を伝えることができない。本当に申し訳ないと思っている。
君の悲しむ顔を見たくないだけなんだ。
どうか、君が何も知らないまま幸せに生きてくれることを願う。
ねえ、アリス。ずっと君はそのままで。何も知らない幼気な子供のままでいてくれ。
秘密は絶対に解き明かしてはいけないよ。
「 お客様 」
すーぱーうるとらすぺしゃるさんくす!!!!!!!!!!!!!!(意味不明)
コメントありがとうございます。励みになります。
読んでくださる皆様もありがとうございます。もしよろしければ、もう暫くお付き合いくださいませ。
■電波 様
□小夜 鳴子 様
藍色の宝石 【中編集】/5作品目
(1作品目)優しい蝉が死んだ夏 >>003
(2作品目) 深青ちゃんは憂鬱だ。 >>029
(3作品目) 意地悪しても、いいですか。 >>039
(4作品目) 恋のつまった砂糖菓子 >>057
- 010 ( No.49 )
- 日時: 2017/12/15 08:57
- 名前: 立花 ◆FaxflHSkao (ID: /48JlrDe)
今更ながら、お互いに名乗りあってないことに気付いた生徒会長は微笑むように唇を横に広げて自己紹介した。初めまして、城谷スバルです、と。
正直な話をすると、私は他人にわざわざ個人情報を渡したくはなかったのだが、相手が名乗ったから一応私も名前を名乗った。初めまして、朝比奈真尋、です。名乗らずとも兄の名前を言ったのだから私の苗字が「朝比奈」であることは分かっているだろうし、生徒会長とでもなれば、苗字さえわかればクラスや出席番号もすぐに見つかるだろうに。
私が「朝比奈浩輔」の妹と知った瞬間に態度を大きく変えてきたこの男に、私は嫌悪感を抱いていた。
「そっかー、浩輔くんに妹さんいるなんて知らなかったぁ。あれぇ、でも彼は一人っ子だったはずなんだけど」
「はぁ。間違った情報でも入手されていたようですね」
「ううん。違うよ、事実だよ」
城谷スバルは私の目をじっと見つめて、ゆっくりを息を吸った。
「だって、浩輔くんが言ったんだもん。一人っ子だって」
□ □ □
あのおしゃべりが、と浩輔の失言にとうとう堪忍袋の緒が切れた。私が妹という事実は戸籍上だけ。私は浩輔の本当の妹ではないし、浩輔だって私を妹なんて思っていない。そもそも私が浩輔と同じ高校に入ると話した時に妹という設定でいきたいと彼に命令したのだ。仲のいい兄妹。私のあこがれていたシチュエーション。
浩輔は私に逆らうことはなかった。嫌な顔をしながらも、学校では私のことを妹として扱ってくれていた。
口外はするなとあれほど言ったのに——。満面の笑みでこちらを覗く城谷スバルの顔はやっぱりうざかった。
「知ってる? 浩輔くんのお父さんは殺人事件の加害者なんだよ。彼は最初は施設に入っていたけれど、あるとき一人の男性に引き取られた。彼の名前が朝比奈、だから浩輔くんの今の苗字が朝比奈なんだよ。
で、その朝比奈って男、実は事件の被害者の知り合いで。浩輔くんが加害者の息子だからって不憫に思って引き取った風に見せかけている。けど、本当は違うんだ」
べらべらと話し続けるその口は腹が立つぐらいに饒舌だった。
誰の知るはずのない私たちの話を語る彼の表情はとても楽しそうで。私の背筋が凍った。
「ねぇ、待って……それ浩輔から聞いたわけじゃないっ」
「で! その本当の理由っていうのが!」
「だから待ってよ」
いわれるのが怖くて私は彼の口を手のひらで覆った。
城谷スバルはまばたきを一つして、ふーとひとつ深呼吸をした。私を見る目は変わっていない。とても冷たい瞳。
「朝比奈真尋、本名、宮下真尋さん。俺は君の秘密をすべて知っている。ばらされたくなかったら、俺のウソに付き合ってくれないかい」
今思えば、城谷スバルの愛の告白は何ともくだらないものだったのか。キザな台詞ひとつくらい言ってくれてもよかったのに。そんなまたくだらないことを考えてしまう私もきっと彼の同類だと思った。
五月のゴールデンウイークが近づいてくる。偽恋しようぜ、と私を脅してきた城谷スバルは結局何をしたかったのか、どうして私たちの秘密を知っていたのか。付き合って二か月たった今でも彼は教えてはくれない。
- 011 ( No.50 )
- 日時: 2017/12/20 19:06
- 名前: 立花 ◆FaxflHSkao (ID: y68rktPl)
城谷スバルには一人、妹がいた。浩輔と同じクラスらしい。だから自分は朝比奈浩輔を知っていたと彼は言ったけれど、それは多分嘘だった。
スバルに妹がいるのは事実だったけれど、その妹が浩輔と同じクラスだったのも本当だったけれど、それでも浩輔はスバルのことは知らなかった。嘘つき。けれど、やっぱり彼がどうして私たちの秘密を知っているのかが不思議で不思議で仕方がなかった。漏れるはずのない私たちのたった一つの秘密——。
ふと気が付いたら、窓の外はもう真っ暗だった。電気をつけて時計にめをやるともう十九時を回っていた。いつもなら起こしに来る浩輔も姿を見せず、きっと今は私に会いたくないんだろうなぁと自己解決した。
服を着替えて下に降りる。リビングではパソコンとにらめっこしている和幸さんと、課題を広げてうなっている浩輔の姿があった。
「起きましたか、真尋様」
私の姿に気づいた浩輔は教科書を閉じ、立ち上がった。
「おなかすいた」
私がぼそりとつぶやくと、浩輔は「ごはん、できてますよ」と笑った。ほんの数時間前に私が浩輔を殺そうとしたの、ちゃんと覚えているのだろうか。様子を何一つ変えない浩輔は私の横をするっと通り抜けるようにキッチンに向かった。作っていたカレーをあたためつつ、炊飯器からご飯をよそう。主夫みたいだ、なんて思ってしまって私は大きくため息をついた。
こうやって幸せな日常は、私が望めばあたりまえになるのに。
——わたしはね、あなたをころしたいの
たったひとつ。わたしのねがいは、あなたのふこうなかおをみること
幼いころの自分の考えは、今でも変わっていない。あの日の約束に囚われているのは、きっと私のほうだ。椅子に座った私の前に浩輔がカレーを置く。私の大好きな中辛のそのカレーは、きっと今日も美味しいのだろう。でも、私は彼に美味しいなんていってあげない。浩輔に優しくなんてしてあげない。
浩輔の苦しむ顔が見たいんだ。浩輔のことは大好きだけど、私が彼を殺したい。私が朝比奈浩輔を、柿谷浩輔を殺したいのだ。私以外が浩輔を殺すなんて許せない。浩輔にはうんと苦しんで死んでもらいたい。私の大切だった家族を奪ったアイツの息子、たった一人の大切な息子。その命さえ奪えれば私はきっと死ねるんだ。
□ □ □
一緒に死にたかった。お父さんとお母さんと一緒に死にたかった。けれど、アイツは私を殺してはくれなかった。私を見て、ごめんねといったアイツのあの表情はいまだって思い出すたび吐き気がする。浩輔の父親は最低だった。私を殺してくれなかった。私を不憫に思ったのだろうか。私がかわいそうに思えたのだろうか。自分の息子よりも年下の、そんな子供の命を奪うことは自分には出来ないなんて、そんな偽善だ。一人殺すも二人殺すも一緒だっただろうに。それなのにアイツは私を置いて刑務所に入った。ひとりぼっちはいやなのに。あぁ、思い出したくないな。
カレーはやっぱり美味しかった。さすが浩輔だ。将来はシェフにでもなればいいのにって思いながらも口にすることはなかった。隣で作業している和幸さんは私が食べ終わったのを見て「美味しかったね」と笑った。「別に」とそっけなく返すけれどきっと和幸さんには気づかれているだろう。
私を救ってくれた和幸さん。感謝してもしきれないのに、それなのに未だにあなたのことを好きにはなれない。食べ終わってから口の中がピリピリしてきて私は水を飲んだ。福神漬けのあの味と、辛いスパイスの味が口の中に広がって気持ちが悪かった。
- 012 ( No.51 )
- 日時: 2017/12/26 22:07
- 名前: 立花 ◆FaxflHSkao (ID: GlabL33E)
「ねぇ、浩輔。ごめんね」
「……あ、の、俺はカレーには毒は仕込んでないはずだったんですけど」
浩輔の作るチキンカレーは絶品だ。浩輔の家ではずっとビーフカレーだったらしいのだが、私のお母さんの得意料理がチキンカレーだったために浩輔もチキンカレーを作るようになった。辛いのは私の好みの味覚に合わせてくれている。だから、いつも和幸さんは浩輔の作ったカレーを食べるたびに口の周りを真っ赤にさせる。その顔が見たくて、私は時々それ目当てで浩輔に激辛カレーを作らせる。よく酷いと和幸さんに言われるけれど、酷いのは和幸さんも一緒なのに。
私の平謝りに浩輔は予想以上に驚いた態度を見せた。何について誤っているのかはきっと浩輔にはわからないだろうなぁと私はそっと読んでいた本を閉じた。
「浩輔はいつか私の料理に毒を入れようとしていたの?」
笑って訪ねると、浩輔も笑った。それはイエスということなのだろうか。そんなこと考えても意味ないのに。今閉じた本の栞が私の腕につんと当たる。そういやページを閉じるときに栞をするのを忘れた。そんなこと、どうでもいいか。
「毒なら、簡単に死ねますよ」
微笑むその顔は私の大嫌いな表情だ。浩輔は笑った顔は似合わない。私のことを蔑むように睨み付けるあの軽蔑した目が私は大好きだ。けれど私にその表情は見せてくれない。
入れるなら媚薬にしてほしいな。浩輔に溺れてそのまま何も考えられないようになってそのまま死んでいきたい。きっとそれが本当になったら浩輔は私のことを捨てるだろうに。それでもいいと思ってしまうほどマゾな自分に嫌気がさした。踏みつけられてゴミ捨て場に置き去りにされたい。浩輔の視界に入れるなら何でもするのに。
きっとこの先も私はこの気持ちを誰にも言わない。このマゾい自分の本性を誰にも明かさずに高飛車なお嬢様としてのキャラを突き通していくのだろう。
スバルにだって気づかせない。私だけの、たった一つの秘密。
□ □ □
夜も遅く、深夜のアニメが始まる時間帯。二時過ぎごろに私は自分の部屋を出て階段を下りた。まだ明かりが点いているのはリビングだけだ。ラジオのDJの声が響くそのリビングで、彼はいつも一人パソコンと対峙している。
話しかける勇気、とかはどうでもいい。声が出るかの問題だ。
本当の私は酷く臆病で、偽りの自分がとてつもなく嫌な奴だという事実には申し訳なさだって感じてる。それでもその人だけは私の正体も、私の気持ちもちゃんと分かってくれてる。なんて変な信頼関係が出来上がってる、すこぶる気持ち悪い関係だ。
「和幸さん、まだ寝ないんですか」
声を絞り出す。震えた声は和幸さんの耳に無事届き、彼は私の方に振り返った。パソコンから手を離した瞬間に彼の手元にあった資料が落ちていき、私もあわててそれを拾いに和幸さんのもとに向かった。
「あぁぁぁぁぁぁ、ご、ごめんね。真尋ちゃん!」
「いや、別にいいけど」
何枚かまとめて和幸さんに「はい」っと渡した。にっこり笑って受け取った和幸さんは本当ごめんねーとすぐに椅子に戻りパソコンを閉じた。
見られたくなかった内容だったのか、仕事で他人に見せることのできない内容だったのか。それとも和幸さんの場合なら「真尋に見せることはできない」という選択肢もあるのかも。気になるからといって私が立ち入っていいこととは限らない。だから私たちはいつだって一定の距離を保っている。
「こんな遅くまで、仕事ですか」
「いや……まぁね。あれだよ、もうすぐ命日だし。その日に休めるように仕事を前倒し中、って感じ、かな」
ぶきっちょなその笑顔が本当は嫌いだ。
初めて朝比奈和幸と会った日から、私は彼のことが嫌いだった。それでも私に手を差し伸べてくれたのは朝比奈和幸という人間だけだったのだ。
どうしようもない人生のレールを、外れることは絶対に許されない。
お父さんの知り合いだという彼を、私はずっと否定し続けるんだ。
- 013 ( No.52 )
- 日時: 2017/12/29 22:30
- 名前: 立花 ◆FaxflHSkao (ID: lQjP23yG)
大人は理不尽だ。自分の愛のためなら何でもする。そう知ったのは、ランドセルを買ってもらった日のこと。最初から全部おかしかったんだ。可愛い娘のランドセルを買うのが赤の他人なんて、そんなの普通じゃない。
浩輔の父親に殺された私の両親は、きっと殺されても仕方がない、最低最悪な人間だった。きっと浩輔の父親が、真介さんが殺さなかったらきっと私が殺していたんだろうなって、そう思う。いつも繰り返し大好きだった彼のことを思い出してはそれを浩輔と重ね合わせて私は大きなため息をつく。
死んでしまえ、口に出すことで自分を自分で傷つけた。
□ □ □
両親がおかしかったことは、きっと私しか知らない。
うちの両親は本当に仲が良くて、父は愛妻家とか言われて、母は料理が上手で、そんな素敵な家庭だった。やさしい両親に育てられ、父親が会社を経営していたために裕福な暮らしもさせてもらっていた。そんな温室育ちのお嬢さん、それが宮下真尋だった。
「おかあさん。もうすぐ真尋ね、しょうがくせいになるんだよ」
「そうねー、もうそんな年になったのよね、真尋も」
お母さんがいつものようににっこり笑って答えた。
まだ六歳の小さな子供だ。その笑顔の裏なんて考えもしていない。
「あぁ、そうだ。今日は柿谷さんがくるわよ」
「真介さんくるのー!」
子供の私は彼の名前を聞いて無邪気に喜ぶ。真介さん、柿谷真介さんはお父さんが社長を務めている会社の取引先の子会社の社長さんだ。お父さんとは同じくらいの子供がいるということで意気投合して、たまにうちでお酒を飲んだりしていた。真介さんは子供がとても好きな人で、私ともよく遊んでくれた。私は単純だから自分のことを可愛がってくれている真介さんにすぐに懐いた。
真介さんが来る、ということは今日はお泊りするのかな。なんてそんなことを考えていると玄関のチャイムが鳴って私はすぐに駆け出した。真介さんだ! 小さい足裏で地面を蹴飛ばして、ひたすらに腕を振る。
「しんすっ——」
玄関を開けて彼の名前を呼ぼうとした。だけどすぐにやめた。
真介さんじゃなかったのだ。違う、別のお客さん。私はすぐに口元を手で覆い、恥ずかしくなってすぐにお母さんのもとに帰って行った。
お母さん、真介さんじゃなかった。そういうと、お母さんはびっくりしたような顔をして玄関に向かった。お母さんの知り合いだったのかな、って思って私は覗き見をするようにそっと玄関の様子を見てみた。
お客さんはとても若い男の人。スーツが男物だから男の人だって分かったくらいに顔がきれいで中性的なその男性は私が物陰から見ているのに気付いたのかにこりと笑った。
お母さんと楽しそうに話をする彼に私は嫌悪感を抱いた。ぐちゃっとなった自分の心は自分の意志ではきれいにすることはできずに、ひきつった笑顔で彼に笑い返した。
「初めまして、朝比奈和幸と申します」
お母さんとの玄関先での会話が終わってもう帰るのかなと思っていたらお母さんが「お茶でも」と勧め、彼は和室のほうに入ってきた。私はなんだか嫌だったけれどそれも言えずにお母さんの隣に座布団をしいて座った。
ビジネススーツを着こなす大人の男の人。朝比奈さんはお母さんのどういう知り合いなのかはわからなかったけれど、私にとてもよくしてくれた。それでも彼に最初に抱いた感情は消えることなく、なんだか嫌な人だったという印象を受けた。
朝比奈さんが帰った後に、入れ違いで真介さんが来た。けれど、お父さんと一緒にお酒を飲んでいる最中に仕事の電話が入ってきてしまい、途中で帰ってしまった。ぶーぶー言う私をたしなめていたお母さんは「そういえば」と思い出したようにさっきの朝比奈さんの話をお父さんにし始めた。
「あいつ来てたのか。すまないな、いつも迷惑かける」
「いえいえ。朝比奈さんはとても綺麗な人ですから、私も話していて何だか若返ったような気分になります」
両親の会話は正直意味がよくわからなかった。けれど一つだけ、朝比奈さんがお母さんの知り合いじゃなくてお父さんの知り合いだったということは分かった。お父さんの笑顔も、お母さんの笑顔も、なんだか気持ち悪くて。朝比奈さんに抱いた感情と同じような気持ちになった。
- 014 ( No.53 )
- 日時: 2017/12/31 17:35
- 名前: 立花 ◆FaxflHSkao (ID: B7nGYbP1)
それから頻繁に朝比奈さんはうちに訪ねるようになった。父はとても朝比奈さんのことを可愛がっていて、朝比奈さんもお父さんになついていた。まるで私と真介さんのような関係だった。どういう関係なのかはお母さんは何も教えてくれなかった。ただ、お父さんの知り合いよ、と一言。ただのお客さんには見えない彼は私にもいつも優しく接してくれた。それでもなんだか真介さんとは違って嫌な感じがした。だから私は彼には懐かなかった。
もうすぐ小学一年生になる。ランドセルを買わなきゃね。
そう両親が言った。でも普通の家庭ならおじいちゃんやおばあちゃんが孫にランドセルを買ってあげるみたいな感じのはずなのに、うちはそうじゃなかった。
私にランドセルを買ってくれたのは朝比奈さんだった。お父さんよりもお母さんよりも年下の、若い青年。結局お父さんとはどういう関係なのかわからずにお母さんに言われるがままに朝比奈さんに「ありがとう」といった。
朝比奈さんは土曜日には必ず来るようになっていた。代わりに真介さんがうちに訪ねることが減って、私はまた朝比奈さんのことが嫌いになった。
取引先の人でもないと知ったのは、それからしばらくしてからだった。
ちょうど小学二年生になったころに私は衝撃的なものを見てしまったのだ。お父さんと朝比奈さんがキスをしていた。一瞬何かの見間違えかと思って私は目を閉じた。けれどそうじゃなかった。寝所で彼らがしていた行為はとても恐ろしくて私は後ろにいたお母さんの存在にも全く気付かなかった。
「まひろ」
名前を呼ばれて私ははっとした。
小学生の娘を呼ぶ声ではない。とても低く恐ろしい声。
私は鬼のような形相をしているだろう母の顔を見た。けれど、お母さんはいつもと変わらない顔をしていた。
「ごめんね。私たちを許してね」
小さな声で私に懺悔したお母さんは目に涙を浮かべていた。
七つの私には何が何だかわからなくて、たださっき見てしまったものに吐き気を感じずにはいられなかった。その日二度、私は吐いた。夜中に何度も嘔吐する私の背中をずっとお母さんはさすってくれていた。
□ □ □
「お墓参りの日、ちゃんと来れるんですか」
「うん、まぁ。この調子なら……大丈夫かなーって思ってるんだけど」
へらっと笑みを浮かべたその顔に、やっぱり昔の名残が残っている気がする。私に見せる笑顔はお父さんに見せていた笑顔にそっくりだ。私はお父さんじゃないのに。ただの「娘」に過ぎないのに。
まだ仕事が残っているから、と私に早く部屋に戻るよう勧める和幸さんは、大きな欠伸を一つしてすぐにパソコンを開いた。別にみられてもいい内容だったんだと気付いて勘ぐっていた自分が馬鹿らしくなった。
「じゃあ、私お茶でも入れてきますね」
私がそういうと、そんなことしなくてもいいと彼は冷たい口調で言った。私がとっとといなくなればいいんですか、と言い返すと彼は一言「ごめん」と謝る。そう解釈されるような発言をした癖に、謝るくらいならそんな簡単に口にしないでほしい。私はキッチンでお湯を沸かした。
浩輔が趣味で揃えている美味しいお茶の葉を私は棚の奥から出した。きっと明日私がそれに触ったことに気付いた浩輔は無言で怒りをぶつけるだろう。
「浩輔くんも、今年は一緒に行きたいって。お墓参り」
「そう、ですか」
「一緒に連れて行っても……」
「だめですよ。どうして浩輔を連れて行かなきゃいけないんですか。自分を殺した人間の息子と自分の娘が一緒に暮らしているとか、そんな笑える冗談みたいな本当を私は笑顔で両親に伝えることなんてできませんから」
やっぱり浩輔が入れたお茶の方が美味しいなと思った。お茶を和幸さんの前に出して私はすぐに部屋に戻った。これ以上話していると、何だか吐き気がしそうだったから。
和幸さんのことは好きだ。私を助けてくれた恩人、どれだけ私が彼に救われたことか。それでも私が彼に抱く感情は嫌悪なのである。
「愛人、は、どっちだったんだろうね」
まだ、私は——彼のすべてを知らない。
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