ダーク・ファンタジー小説
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- 君がいたから、ようやく笑えた。
- 日時: 2023/05/14 19:12
- 名前: しのこもち。 (ID: 6l7YToHw)
-序章-
『何もかも、私を苦しませるもの全てがなくなってしまえばいいのに。』
いつからこんなことを思い始めてしまったのだろう。小学生の頃、友達と喧嘩した時から?中学生の頃、親に対して反抗期が始まった時から?
いいや、違う。私の運命は生まれた瞬間から決められていたようなものだから。
親が今まで敷いてきたレールの上をただひたすら、操り人形のように歩くだけ。
そんな私の人生なんて、価値がない。色なんてない、白黒だけでできた世界なのだ。
でも、そんな私に君は手を差し伸べてくれた。白黒だけの私の世界に、色を塗ってくれた。
そうだ、そうなんだ。
-君がいたから、私はようやく心から…笑うことができたんだ。
【追記】
自己紹介忘れてました笑笑 私、しのこもち。と申します。
このような場で小説を投稿させていただくのは初めてなのですが、
初心者なりに精一杯頑張ります!!!
- Re: 君がいたから、ようやく笑えた。 ( No.3 )
- 日時: 2023/05/19 07:53
- 名前: しのこもち。 (ID: bEtNn09J)
- 3.出会い -
どこか虚ろな瞳で花壇の花たちを見つめる彼の横顔はまるで絵画に描かれたようで、同じ人間とは思えないくらい美しかった。
形の良い、涼し気なアイスブルー色の大きな目と薄い唇。透き通るような白い肌には、ほくろひとつない。まさに”綺麗”という言葉が似合う人だ。
「……さっきから何じろじろ見てるの」
あまりの美しさに思わず見惚れていると、いつの間にか彼がこちらを怪しげに見つめていた。
「…あっ、ごめんなさい」
私は彼に話しかけられて、ハッとした。思わず謝ると、彼が急に笑いだした。
「ははっ。何か君、面白い」
「へっ…?」
口を開けば何を言うかと思ったら、おかしなことを言われたので、迷わずきょとんとしてしまった。初対面で赤の他人に、面白いなんて初めて言われたので、驚いた。
「で、君も入学式サボったの?」
そんな私を差し置いて、どんどん話を進めていく彼。あまりの会話の速さに、頭が中々ついていけない。
「…あ、えっと…別にサボった訳じゃなくて」
「じゃあ何で保健室になんかいたの?」
「……ちょっと、具合が悪くなっちゃったので」
具合が悪くなったのは本当のことだが、彼にはあまり深いところまでは話さなかった。
「………ていうか、私いたの気付いてたの!?」
「まぁね。最初から気付いてたけど」
「最初からって…」
平然と話す彼を見て、私は心の中でため息をついた。ピアノを弾いてテレビまで出ている身なのに、こんな人に気付かれていたことに気付いていなかったなんて、恥ずかしすぎる。というか…。
「まさか、私のことを知らない…?」
私はそう口に出して、すぐに後悔した。これじゃあ、ただの自意識過剰野郎ではないか。
「んー…君と会ったことなんかあるっけ?」
私は首を傾げる彼の様子から、すぐに察した。やはり、この人は私のことを知らないのだ。
「こんな人、初めて見たかも…」
自意識過剰だとは分かっているが、私は全国で知らない人は殆どいないと言えるくらい、知名度は高いはずだ。街を歩いていても、必ず数回は声を掛けられていた。
「えっ何、その目は。本当に君は誰なの?」
今度は彼の方がぽかん、としている。何だかその様子がおかしくて、少し笑ってしまった。
「…ふふっ。私は誰かって?」
では、今度は私が驚かす番。そう思って私は、その場でくるりと回った。その勢いで、春風に乗せられながらスカートがひらりと翻る。
「そう!私の名前は、世にも有名な天才ピアニスト 水瀬怜愛なのである!」
私は自分の方に指をさしながらそう言った。案の定、彼は呆気に取られてぽかん、としている。
「……初めて聞いた名前だなぁ。あと、そのキャラ付けなんなの」
「……さぁ」
驚いてくれたと思ったら急に冷たい目で見てくる彼の掴み所は、未だによく分からない。
「てか、もう入学式終わったかなぁ」
花壇に再び視線を戻して、彼はそう言った。
「それより、あなたの方こそ入学式サボってたんじゃないの?」
ずっと疑問に思っていたことを聞くと、彼は図星とでも言うかのように肩をビクッと震わせた。
「…まぁ、そうかもしれないね。…嫌だったし」
「人のこと言えないじゃん」
「確かに」
そう言って彼はまた笑いだした。それにつられて、私も思わず吹き出す。
「まぁ、お互い様ということで」
私は手を叩くと、彼の手を引っ張って立ち上がった。
「私も本当は帰りたくないけど…一緒に戻ろう」
そう伝えると、彼の瞳が少し揺らいだ気がした。そりゃあ、今頃戻ったって嫌かもしれないけど、戻らないと色々面倒くさいだろうから。
「大丈夫。2人なら今更戻ったって、恥ずかしくないでしょ?」
私は無理やり彼の腕を引っ張りながら、教室へ向かった。
٭•。❁。.*・゚ .゚・*.❁。.*・٭•。٭•。❁。.*・゚
偶然と、彼も私と同じクラスだったみたいだった。だから2人で一緒に教室に入った。それからはもう大惨事で。
クラスメイトには質問攻めされるし、先生には遅いと注意されるし、それはもう大変だった。
でも、それは彼も同じだったみたいで、丁度私の斜め後ろの彼の席にも、生徒がたくさん集まっていた。
「怜愛様、大丈夫だった!?」
「突然倒れて保健室連れて行かれてたから、すごく心配したんだよ!」
「てか”王子”とは一体どういう関係!?」
王子…?って誰のことだ。私は首を傾げた。
「あの…”王子”って、誰のことですか…?」
そう言った瞬間、その場の空気が固まった。私は急な状況に、1人困惑する。
「……まさか”王子”を知らない…?」
「多分…?」
私の返事に、周りにいた生徒たちは顔を青ざめた。
「…知らない人、初めて見たかも」
何かボソッと小さな声で呟かれたものなので、私はその言葉を聞き取ることができなかった。
「で、”王子”は結局誰のこと?」
私が改めてそう聞くと、その場にいた1人の女の子が代表して説明してくれた。
「”王子”っていうのは、さっき怜愛様が一緒にいた彼のことだよ。名前は蓮水陽向で、別名”蓮王子”。怜愛様と同じ、いわゆる有名人で、高校生で現役の画家をやってるの。それも、海外のベテランの画家が認めるくらいの画力で、絵の世界では知らない人なんていない、今1番注目されてる画家みたいだよ」
呪文のようにペラペラと言葉を流していくその人の口調は、まるでアナウンサーのようだった。
「へぇ、初めて聞いたかも…蓮水、陽向…」
1人でそう呟いた。すると先生に
「…いつまでお喋りをしているのかしら」
と、また注意されてしまったのだった。
- Re: 君がいたから、ようやく笑えた。 ( No.4 )
- 日時: 2023/05/19 18:32
- 名前: しのこもち。 (ID: 9K3DoDcc)
- 4.限界 -
٭•。❁。.*・゚ .゚・*.❁。.*・٭•。٭•。❁。.*・゚
「…ただいま」
3人分の靴が並んだ狭い玄関は、相変わらず居心地が悪い。私はローファーを脱ぎ、黙って廊下に出ようとした。
するとその時、父が大きな足音を立てて私の前にやって来た。
あぁ。今日は相当父の機嫌が悪い。顔を真っ赤にした父の様子を見て、一瞬で悟った。
「なぁ、今日はどうして入学式で倒れたんだ?」
胸ぐらを掴まれそうな勢いで、父が突っかかってきた。
「いつも言っているだろう?俺の娘なんだから恥じるような行動はするな、と。なのに何だ、あの情けない姿は。俺は見ていて、恥ずかしくて恥ずかしくて仕方なかったんだぞ」
「…」
呆れた。何だその理由は。というか大体、この人のせいで倒れたって言うのに、なぜ私が怒られないといけないのだろうか。
「…おい、何か言ったらどうなんだ?」
「……具合が悪くなっただけなのに、どうしてそんなに怒られないといけないの?」
私は俯きながらそう呟いた。握りしめた拳が、わなわなと震えている。
「あ?そんなの決まっているじゃないか。お前は俺の娘なんだ。俺の威厳を守るためにも、お前にはしっかりしてもらわないといけないんだよ!」
父の怒り狂ったその声は、段々と大きくなっていき、終いには髪の毛を引っ張られる羽目になった。
「大体なぁ、お前はいつから俺に口答えをするようになったんだ!誰のおかげで、こんなに有名になったと思ってる!」
痛い、痛い。髪の毛を引っ張られているせいで、頭の皮膚に強い痛みを感じた。ブチブチ、と髪の毛がたくさん抜ける音がする。
やめて、と言っても父は絶対にやめてくれない。むしろ、父の怒りを更に煽るだけだ。過去の経験から、私はそう確信していた。
「あぁ、お前も落ちたものだな。ピアノもできない、人の気持ちも分からない、言葉も通じない」
父は乱暴に髪を掴んでいた手を、急に離した。その反動で、私は尻もちをつく。
「醜いやつだ。”父親”として情けない」
父は私を思い切り睨みながらそう言い、そのまま去っていった。
٭•。❁。.*・゚ .゚・*.❁。.*・٭•。٭•。❁。.*・゚
「ご飯を食べたら、早くピアノの続きをしなさい」
何1つとして会話のない食卓。父の怒りはもう収まったのか、何かを叫び散らしてくることはなかった。そんな食器の音だけが鳴り響く沈黙の中で、母がそう言い放った。
「…」
私は母の言葉を無視し、味噌汁を飲み切る。黙ったまま食べ終わった食器を片付け、自分の部屋に戻った。
-ガチャッ。
自分の部屋に入り、速攻でドアの鍵を閉めた。私はその場でうずくまり、気付けば1人泣いていた。今朝流した涙よりも、もっと大粒の涙が頬を伝う。
「…っ」
あぁ、もう限界だ。こんな薄汚れた空気が流れている家なんて、1秒もいたくない。
”あの日”の父の姿をもう1度見てしまうだなんて、私はなんて不幸なのだろうか。
『”父親”として情けない』
別に私のことなんて自分の子供とも思っていないだろうに、何で”父親だ”なんて言って、矛盾した怒りを私にぶつけてくるのか。
意味が分からない。醜いのはどっちなんだ。
気持ち悪い、気持ち悪い。あの人の顔を思い出すだけで、恐ろしいくらいの吐き気がする。
あんな人なんて…早く死んでしまえばいいのに。
───あの時は、まだ知らなかった。
まさか私のそんな願いが…もうすぐ現実になるだなんて。
まだ何も知らなかった私は、その後1度もピアノを触ることはなく、ずっと1人で泣いていた。
- Re: 君がいたから、ようやく笑えた。 ( No.5 )
- 日時: 2023/05/21 17:02
- 名前: しのこもち。 (ID: gWkqmuUW)
- 5.不思議な夢 -
٭•。❁。.*・゚ .゚・*.❁。.*・٭•。٭•。❁。.*・゚
夢を、見ていた。とても幸せな夢だった。
いや、もしかしたらこれは…昔の私の記憶かもしれない。
「春が来た、春が来た。どこに来た。山に来た、里に来た。野にも来た」
懐かしいメロディーを、小さい頃の私が歌っている。その傍らには母親がいて、笑いながら私の手を繋いでくれていた。
「花が咲く、花が咲く。どこに咲く」
私が歌っているのを見て、母も一緒に歌い出した。
「山に咲く、里に咲く。野にも咲く」
すると母が、私の目を覗きながら続けて歌った。
「鳥がなく、鳥がなく。どこでなく。夢でなく、笑ってなく。一緒になく」
「…あれっ?お母さん、歌詞違うよ」
歌の歌詞に違和感を覚えた私は、お母さんにそう言った。するとお母さんは、目を細めて優しく微笑んだ。
「ふふっ、そうだね。でもね、この歌はお母さんのお母さんが、よくこうやって歌ってたんだよ」
そう言って、お母さんは遠い何かを見つめるように、視線を前に向けた。
確か私が丁度このくらいの歳の時に、祖母が癌で亡くなったのだ。母は、悲しそうな目をしていた。
「『笑ってなく』って、何だか変だねっ」
子供だった私は空気が読めなかったのか、母のことなんて気にせずに、思ったことをすぐ口にしてしまっていた。
「…そうだね。でもね、鳥さんだって笑ったり涙を流したりするのよ」
「鳥さんが?」
「そう。誰だって、悲しかったり嬉しかったりする時は泣くでしょう?だからね、鳥さんも私たちと同じように泣くんだよ」
そう言った後、母は目線を私の方へ戻して、こう続けた。
「怜愛も、これから生きていく中で、笑ったり泣いたり怒ったり、色々な感情を体験していくの。そんな中でもね、あなたは楽しいことだけじゃなくて、辛いこともたくさん経験していくと思う」
母は言葉を口にしながら、私の前でかがんで真っ直ぐに私の目を見つめてきた。その瞳はすごく透明で、まるでビー玉のように綺麗な目だった。
「そんな中でも、あなたはたくさんのことを学んで、成長していく。そして辛い時は必ず、怜愛のことを支えてくれる人がきっと現れるから。鳥さんの仲間みたいに、一緒に笑って、泣いて、一緒に幸せを共にしていく人が、必ず現れるから。その時に、例えお母さんやお父さんが隣にいなくとも……」
そこで突然、母の声が聞こえなくなった。言葉の続きが気になる一方、目の前は真っ暗になり、夢に映る私は中学生になっていた。
「お母さん、お父さん…!」
目の前にいる私は、暗闇の中で1人泣きながら必死に叫んでいた。まるでその姿は、親鳥に置いてかれ、1人ぼっちになった雛のようだった。
「…っ」
座り込んでずっと泣きぐしゃる、中学生の私。
もう、あの頃の幸せは戻ってこないんだよ。夢の中にいる自分に、そう伝えてあげたかった。
そんな色のない世界に、急に光が差し込んだ。私は顔を上げ、光が差す方へ視線を移す。
「1人じゃない。大丈夫だよ」
光の中に急に誰かが現れ、その人は私に手を差し伸べた。
「色がないなら、自分で作って塗ってみればいい。1人で寂しいなら、誰かに寄りかかってみればいい」
眩しすぎる光で顔は見えなかったが、その人は確かに、私に救いの言葉をかけてくれた。
「だから、一緒に行こう」
「………うんっ…!」
私は誰かも分からないその人の手を取って立ち上がり、光の中へ消えていった。
٭•。❁。.*・゚ .゚・*.❁。.*・٭•。٭•。❁。.*・゚
-チュンチュン。
朝の訪れを伝える小鳥の囀りが窓の外から聞こえてきて、私は目を覚ました。ベッドから起こした体はなぜか制服を纏っている。おまけに変な夢を見たせいか、頬には涙が固まった跡があった。
一瞬、なぜ制服を着ているのか疑問に思ったが、すぐに昨日のことを思い出して、1人で納得した。
昨日は部屋でずっと泣いていて、そのままお風呂も入らずに、泣き疲れて眠ってしまったのだろう。
私は布団を剥がして、ぐしゃぐしゃになった髪をくしでとかしながら頬の涙を拭った。
「色がないなら、自分で作って塗ってみればいい、か…」
髪をゴムで結んで、鏡に映る自分を見つめながら、1人でそう呟いた。夢の中で出会った、あの人の言葉が今もなぜか心に残っている。
あの人は誰なのか。そして母はあの時、なんて言おうとしていたのか。私は夢のことを考えながら、朝食を食べようと階段を降りた。
٭•。❁。.*・゚ .゚・*.❁。.*・٭•。٭•。❁。.*・゚
今朝はいつもより早く起きて、学校にも早めに来てしまったこともあってか、校舎には生徒が殆どいなかった。
私は誰もいない教室に荷物を置き、暇だしせっかくなので学校内を散歩してみることにした。
静まり返った廊下に出て、とりあえずこの階を散策してみようと、そこら辺を歩いた。しばらく廊下を真っ直ぐ歩いていると『第二音楽室』と書かれた教室が見えた。
私は何となく、そこで足を止めた。この教室の扉は一部が透明なガラスでできているため、中を覗けるようになっている。興味本位で教室の中を覗くと、そこには綺麗に手入れされた大きなピアノがあった。
私は無性にあのピアノを弾いてみたい、という衝動に駆られた。気付けば私の手足は動いていて、音楽室の扉を開けてしまっていた。
-ガラガラッ。
なぜか鍵は閉まっていなくて、スライドした扉はすぐに開いた。
当然、中には誰もいない。まぁ、いるはずもないのだけれど。
私はほぼ無意識で、あのピアノに近づいた。
そっとピアノの椅子に腰を掛ける。念の為、もう1度周囲に誰もいないかを確認し、私は鍵盤蓋を開けた。
そして、鍵盤の上に指を構える。何を弾くかは何も決めていなかったけれど、今頭に浮かんだ曲を何となく弾いてみた。
曲名は『春が来た』。あの時夢に出てきた、母と一緒に歌った曲だ。
ソミファソラ、ソミファソド。ラソミドレ。
幼い頃の感覚だけを頼りに、 旋律を奏でていく。
「……夢でなく、笑ってなく。一緒になく」
気付けば、そう口にして歌っていた。
そして、夢の中で歌っていた母を思い出す。段々、幼い頃の記憶が蘇ってきた。
そういえばこの曲は、ピアノを初めて触ってから1番最初に弾いた曲だった。
そんなことを思いながら、私はピアノを弾き終えた。まるで、幼かった子供の頃に戻ったような気分だった。
幸せだった日々。でももう、あの頃には戻れないのだ。ある日突然現れた、枝分かれの道。そこで、私と両親は離れ離れになってしまった。私たち家族は、どこから間違ってしまったのだろう。
もしあの時、道を間違えずに家族みんなで同じ方向を歩めていたら、どんなに良かっただろう。
今思えばあのことを私は少し、いや、とても後悔していた。
家族みんなで笑い合える日が、また戻ってくるだろうか。
多分今のままじゃ、一生その日はやって来ないだろう。例えどんなに過去のことを悔やもうとも、結局はどうにもならないのだから。それならいっそ、自分から期待するのはやめよう。
そう思っておきながら、反対に私の視界は滲んでいた。指を置いたままの鍵盤に涙がぽたぽたと零れて、涙の跡を作っていく。
「…春が来た、春が来た。どこに来た」
すると急に、さっきまで弾いていた曲を誰かが歌う声が聞こえてきた。嘘だ。さっきまで誰もいなかったはずなのに。
驚いて隣を見ると…そこには昨日出会った青年がいた。確か…蓮王子、だっけ?いつの間に隣にいたなんて、もはや自分が鈍すぎて笑えてくる。
彼は私の方に近寄り、歌い続けた。
「山に来た、里に来た。野にも来た」
私は彼に泣き顔を見られないように、速攻で涙を拭いた。
「君が歌ってた3番の歌詞、何か変だったね」
そう言いながら蓮水君はピアノの鍵盤に触った。
「……母が、よく歌ってた歌詞なの」
「ふぅん」
まるで興味がないかのように気だるけな返事をした後、彼は衝撃的なことを言った。
「じゃあさ、何か弾いてよ。弾き語りみたいな感じでさ」
「…えっ」
弾き語り…?そんなことをしたこともない私は、思わずきょとんとしてしまった。
「はーやーくっ」
そんな私のことなんか気にせず、急かしてくる彼。その姿はまるで、餌を欲しがっている子犬のようだった。
それにしても、弾き語りなんて何を歌えばいいんだ。どうしようかと、私は焦っていた。
すると私の中に、1つの曲が浮かんできた。ただし、この曲を弾いたことは1度もない。
ええい、この際どうにでもなれ。私は半ば投げやりな気持ちになり、鍵盤に手を置いた。
深呼吸した後、自分の感覚だけでゆっくりと前奏を奏でる。
ゆったりとしたその旋律に、少し心が軽くなった気がした。弾いている曲は、私の”大好きな音楽家”が手掛けている、今自分の中で流行っているバラード曲だ。
「……離れてゆく幸せが、離れてゆく温もりが。戻ってきて欲しいだなんて弱音、誰にも見せずに隠してきた。暗闇に差した光の中で、僕は笑えるの?笑っていいの?光のない僕に、色のない明日に。────それでも」
彼の反応など気にせずに、私は大好きなこの曲のサビを歌った。
「当たり前の毎日をちゃんと愛せるように。例えその日々が怖くて痛いものでも。君の隣で笑えるように、僕は今日も生きてゆく」
「…」
「………明日が怖くて怖くって。世界が嫌いで愛せない。────それでも。大切な人が離れていっても、君が手を繋いでいてくれるのなら。当たり前が当たり前じゃなくなっても、君が傍にいてくれるのなら。僕は今日も、歩んでゆくよ─────」
私は歌を歌い終わり、静かに伴奏を終わらせた。
【人物の心・秘話】
怜愛が歌っていたこの曲なのですが、本人は「”大好きな音楽家”が手掛けている曲だ」と言っています。この”大好きな音楽家”とは、まさしくお母さんのことです。怜愛のお母さんは前でも語っていた通り、芸能界を中心に音楽を手掛ける作曲家です。日常の中でも、特に身近で音楽に触れてきた怜愛が、母が作ったこの曲を知り、それを気に入っているようです。怜愛は昔はお母さんのことが大好きでした。でも、突然冷たくなった母に対して、悲しみを抱いているんですね。
怜愛は母が嫌いというより、本当は今でも優しい人だと思っているようにも見えます。
(何で作者が人物の気持ち分かってないんだ、と思われるかもしれませんが笑)
- Re: 君がいたから、ようやく笑えた。 ( No.6 )
- 日時: 2023/06/01 18:18
- 名前: しのこもち。 (ID: qlgcjWKG)
【Side 陽向】
─────明日が、怖い。こんな世界なんて、嫌い。
周りには強がっているくせに、1人でいる時はいつも塞ぎ込んでいた。
ヒーロー気取りかよ、笑える。
でも僕は別に、みんなに恰好つけたい訳じゃない。ただ、周りの目が怖いだけの臆病者だ。
٭•。❁。.*・゚ .゚・*.❁。.*・٭•。٭•。❁。.*・゚
「……離れてゆく幸せが、離れてゆく温もりが。戻ってきて欲しいだなんて弱音、誰にも見せずに隠してきた」
彼女の…怜愛の綺麗な歌声が、音楽室に響く。
弾き語りをして欲しいだなんて半分冗談で言ったつもりなのに、怜愛は僕のわがままにちゃんと答えてくれた。そんな彼女は、きっと誰よりも優しくて温かい心を持っているのだろう。
でも、歌っている怜愛の姿は誰よりも優しく、それ以上に…誰よりも悲しく見えた気がした。
「───それでも。大切な人が離れていっても、君が傍にいてくれるのなら。当たり前が当たり前じゃなくなっても、君が手を繋いでいてくれるのなら。僕は今日も、歩んでゆくよ─────」
大切な人が離れていっても、当たり前が当たり前じゃなくなっても、か…。
彼女の歌は歌詞の一つ一つが僕の心に響いたものだった。まるで、僕のために作られたような歌。僕は感銘を受けたあまり、しばらくその場から動けないでいた。
すると、そんな僕の様子を見兼ね、ピアノの蓋を丁寧に閉めた彼女がこちらを覗いてきた。
その目は心配の色で溢れていて、僕の反応を待っているようだった。
不安そうに見つめてくる彼女を見て、僕は慌てて言葉を発した。
「すごい、すごいよ」
お世辞なんかじゃない。心からそう思った。僕は咄嗟に拍手をする。
「はぁ…良かった」
安心したように笑う子供のような彼女を見て、一瞬さっきまでの歌声は嘘だったんじゃないかと思ってしまった。
「ピアノだけじゃないんだね。老後はシンガーソングライターにでもなれば?」
「残念ながら、ピアニストとして食べていけるくらいの知名度は十分あるので大丈夫でーす」
僕が冗談を言えば、怜愛も笑いながら返してくる。
このままずっと、こんな日々が続けばいいのに。”当たり前が当たり前じゃなくなる”なんて、もう二度となくなればいいのに。
目の前にいる彼女の笑顔を見ながら、不覚にもそう思ってしまった。
「というか、こんな世界的な画家がレディーに向かって失礼なことを言う人だなんてみんな聞いたら、驚くでしょうね」
そう言って彼女は笑いだした。つられて僕も笑う。こんな感じで、一時限目の授業は彼女と一緒に音楽室でサボった。
何でもないようで、在り来りな日常。でも、こんな毎日が一番幸せなんだってことを、この時の僕たちはまだ全てを理解できていなかったんだ。
- 6.居場所 -
「……違います。最後の部分はフェルマータをかけなさいと、何回言えば分かるのかしら?」
五時限目。今朝あの人とサボった第二音楽室で、私は選択授業で音楽の授業を受けている。
そしてそれと同時に、この授業を選んだことをとても後悔している。
理由は一つ。音楽の先生がめちゃくちゃ厳しい人だったのだ。
さっきから授業の一環で順番にピアノを弾いているのだけれど、生徒たちが次々に悲鳴を上げている。そんな中でも構わずに、先生が厳しく声を荒らげているという、何とも言えない光景だ。
「はぁ…。何でこんなにやる気がないの。仕方がないわね」
ため息をついてそう言った先生が、急にこちらを振り返った。
「水瀬さん、ちょっと弾いてみてちょうだい」
何を言うかと思えば、先生がそんなことを言ってくるから正直戸惑った。
でも、そんな私に構わず、みんなが一斉に私の方を向いて期待の眼差しを送ってきた。
「…はい、分かりました」
もちろん、こんな状況なので断る訳にもいかず、私は仕方なくピアノの椅子に座った。
譜面台に置かれた楽譜にしばらく目を通す。そこで、私は少し驚いた。
この曲…世界的にもめちゃくちゃ難しいと有名なクラシック曲。そりゃあ、みんなも弾けないわけだ。というか、いくら芸術学校だからと言って新学期早々こんな激ムズの曲を弾かせる先生もどうかと思うが。
そんなことを思いながら、私は鍵盤に手を置いた。幸い、この曲はこの前のコンクールで弾いたことがある。
私は視線が集まる中、ゆっくりとピアノを弾き始めた。楽譜に書いてある音符の数が尋常ではない。
右手で主旋律を奏でながら、左手で黒鍵盤と白鍵盤を連打。曲の中盤に入ると、右手を鍵盤の端から端まで一気に滑らせていき、そこから両手をクロスさせ、高低と速度のあるメロディーを弾いていく。力強く、でも少し滑らかに指を滑らせていった。
最後にフェルマータをかけながら、曲を終わらせる。曲が終わった瞬間に、教室中が拍手と歓声で包まれた。
「さすがね。皆さんも水瀬さんのように、表現力と正確さを向上させるように。では、これで授業を終わります」
するとタイミング良く、丁度学校のチャイムが鳴った。これで先生の声を聞かなくてもいいと思うと、少し安心した。
チャイムが鳴った瞬間、光の速さでいつもの女子生徒が私の方に群がって来た。
「怜愛様、めっっっっっっちゃカッコよかったです!!!」
「あの顔硬教師も怜愛様のピアノの音色に聴き惚れてましたよ!」
「あの先生がまさかあんな顔をするなんて…さすがです!」
「すごいです!もう一回弾いて欲しい!!」
次々に送られてくる賞賛の声。あぁ、ピアノをやっていて良かったと、こんな時にだけ思う私は、相当単純で都合のいい頭をしているみたいだ。
「……ありがと、うっ…」
…あれ?おかしいな。私、悲しくもないのに…泣いてる。
「怜愛様、大丈夫ですか!?」
「もしかして、体調悪い…?」
みんなが心配そうにこちらを見つめてくる。
「だ、大丈夫だよ!ありがとう」
私は顔を横に振った。なぜ、泣いてしまったのだろう。私は疑問に思いながら涙を拭った後、みんなと一緒に廊下へ出た。
٭•。❁。.*・゚ .゚・*.❁。.*・٭•。٭•。❁。.*・゚
午後の授業と帰りのホームルームが全て終わり、私は帰る支度をして校舎を歩いていた。
まだ新学期も始まったばかりなので、今日は部活動も新入生の仮入部もない。まぁ、この学校は芸術校なので、基本的に運動部はないのだけれど。強いて言うなら…吹部くらい?
そんなことを思いながら、私は廊下を歩き続けた。今日はこんな感じだから、どうせなら寄り道でもしていこうかな。
家に帰っても結局、ピアノをやれだとかうるさく言われるだけだろうし。というか、あんな居場所のない家なんか帰りたくもない。
私は思い立ったまま、何となく中庭の方に足を向けた。
٭•。❁。.*・゚ .゚・*.❁。.*・٭•。٭•。❁。.*・゚
入学式の時にも来た中庭のベンチに、私は腰を下ろした。
「…」
そして一人、静かな空気が流れる中庭で私は考えた。
今日の五時限目。何であの時、泣いてしまったのだろうか。私は人前であんなに堂々と泣いたことなんかなかったのに。
『こんなことで泣くなんて、情けない。恥ずかしくないのか?』
父にはいつも、人前で泣くことなんて許されないと教えられてきた。
だから私はなるべくみんなの前では泣かないようにしてきたし、泣く時はできるだけ一人の時に泣くようにしていた。
ずっと、そうしてきたから。もう人前でなんて泣けないと思っていた。
でも違った。じゃあなんで、私はあの時泣いてしまったの?何か悲しいことでも思い出してしまったのだろうか。
『すごい、すごいよ』
『怜愛様めっっっっっっっちゃカッコよかったです!!!』
『もう一回弾いて欲しい!』
いいや、違う。悲しかったんじゃない。
私はただ…嬉しかったんだ。
親に自分の存在を認めてもらえず、何かを成し遂げても褒めてくれない。私の居場所なんて、この世界のどこにもないと思っていた。
でも、違った。私の居場所は、ちゃんとあったのだ。
周囲に評価されて、初めて気が付いた。あぁ、これが。これこそが、私が生まれてきた、今までピアノを弾いてきた意味だったんだと。
私は音楽で、大好きだったピアノで、世界中の人々に希望を与える。そのために、ピアノを弾いてきたのかもしれない。
「………あれ、また会ったね」
花壇の方から声が聞こえてきた。もう何回か会話した仲なので、誰の声かくらいはすぐに分かった。
「…あ」
声のする方を向くと、そこにはスケッチブックと鉛筆を持った彼がいた。
「ここ、僕の秘密基地だったんだけどなぁ」
残念そうにそう言いながら、彼は花壇の傍に腰を下ろした。そしてスケッチブックを開き、鉛筆で何かを描き始めた。
私も何となく彼の傍に近寄り、話しかけた。
「…何描いてるの?」
「うーん、分かんない」
のんびりした口調でそう言いながら、彼はスケッチブックに線を描き始めた。シャッシャッ、と鉛筆が紙の上を滑る、心地よい音がする。
「分かんないって…」
何ともまぁ、彼らしい返事というか何というか…。どうやったらそんな返事が思いつくのか、彼の頭の中を一回覗いてみたいくらいだ。
…って、これじゃあただの変態みたいではないか。私はなんだか恥ずかしくなって、顔を見られないように目の前に咲く花たちに視線を移した。
「………家がさ、安心するって言う人って意味分からなくない?」
ほぼ無意識で、私の口からそんな質問が零れた。そして、すぐに後悔した。私が家に対して不満を抱えている、というのを悟られてしまうかもしれない。
そんな私を他所に、彼は質問に答えずに黙ったままスケッチブックに何かを描き続けている。良かった、聞かれていなかったみたいだ。
しばらく私は、隣で集中しながら絵を描いている彼の横顔をじっと見つめた。
絵を描いている彼の表情は真剣そのもので、本当に絵に心血を注いでいるんだな、と思った。
それに比べて私は…本当にあんな理由でピアノを弾いているのだろうか。別にこれ以上ピアノが上手くなりたいとも思っていないし、ピアノを一生していたいともあまり思わない。
一方、彼はどう思っているのだろう。本当に絵が好きなのだろうか。
「……あのさ、何で絵を描いてるの?絵を描くのは、本当に好きなの?」
私は思わず、彼にそう聞いた。彼は未だに、顔を上げようとしない。集中すると、何も聞こえなくなるタイプなのだろうか。
「…………あぁ、ごめん。ちょっと真剣になりすぎたみたい」
そう言いながら彼は姿勢を正すと、また絵を描きながら質問に答えた。
「何で絵を描いているのかって?……うーん、何でだろう」
彼は鉛筆の動きを止め、しばらく首を傾げていた。
「絵を描いている時が一番、時間が経つのが早い気がするから。まぁ、それでも絵を描くことは好きかなぁ」
のんびりと答えた彼は、相変わらず絵を描くことを止めないらしい。
「…じゃあさ、あなたが絵を描き始めたきっかけは何?」
「きっかけ?そんなもの、多分ない。初めて絵に出会った時に楽しいなって思って、気付いたら絵を描いてた。何かそこら辺のテレビ番組にインタビューされてるみたいだなぁ」
彼はそう言って笑った。目を細めて微笑む彼は、本当に絵が好きなんだな、と実感した。
そして同時に…そんな自由な彼を、とても羨ましく思った。
好きなことを好きなだけできる、自分がしたいと思うことを自由にできる。自分の色なんかない私とは違う。
両親が私にピアノを始めさせたのもきっと、父がやっているから。ただ、そんな理由だけしかないのだろう。
私は父の背中だけを見て、操り人形ごとく着いて行く。道を外れて、違う景色を見ることすら許されない。ただそれだけの、つまらない人生。
「てかさ、あなたって呼ぶの何かよそよそしくない?もうこんな仲なんだからさ、名前で呼び合うくらいしようよ。怜愛」
「……え、あっ。呼び捨て…?」
男の子に下の名前で呼ばれたのなんて、これが初めてかも。私は気恥ずかしくなって、思わず目を逸らした。
「わ、分かったよ」
「ありがとう”怜愛”」
やけに私の名前を強調してくる彼…陽向に少し嫌気がさした。けどそれと同じくらい…いたずらっ子のように無邪気に笑う陽向に少しドキッとした。
「なっ…」
「どうしたんですか?怜愛様」
「べ、別に何でもないからっ」
完全にからかわれている。私はムキになってそっぽを向いた。ムカつく…。
でも陽向のおかげで、さっきまでのどんよりした気持ちが嘘のように吹き飛んで行った。
ふと、陽向が持っているスケッチブックに目がいく。私は彼の絵を見て、一瞬息をするのを忘れた。それくらい彼の絵は、綺麗だったのだ。
真っ白だったスケッチブックのページは、いつの間にか美しい花たちでいっぱいになっていた。
花壇に咲いている菜の花やたんぽぽ、色とりどりの花が、写真のように繊細に描かれている。それも花1つ1つがとても丁寧に細かく描かれていて、雄しべの本数さえも全て正確なのだ。
「綺麗…」
私は思わず声を出した。この花は、どこか陽向に似ている気がする。
何よりも美しく綺麗で、何よりも…悲しくてどこか切ない感じが、彼の空虚な瞳を思い出させるからだ。
私はこの絵に感銘を受けた。これが世界に認められた画家、蓮水陽向なのだ。高校生でこんな感動的な絵を描けるだなんて、誰もが彼の画力を認めるのも納得だ。
「本当?ありがとう」
私がその絵に見惚れていると、彼は小さく微笑みながらそう言った。私はその笑顔を見て、あぁ、やっぱり彼は花なんだ。と思った。
「……やっぱり、心からこれが好きなんだってその人が思えるものの方がさ、客観的に見ても、すごく綺麗に見えるんだね。私もピアノが好きじゃなくても、ピアノを弾く理由が誰かのためにとか、そんな曖昧なものでもいいのかな…」
私は独り言のように呟いた。別に彼に問いかけたかった訳ではなかったけれど、陽向はちゃんと返事をしてくれた。
「うーん。確かに気持ちがこもっていた方が、そりゃあ綺麗に見えると思うけど、でも別にその人がそれを好きじゃなくても、他人からは違う視点で見られてるのかもよ」
言いながら、陽向は鉛筆を地面に置いた。
「例えば、僕が絵を描くことが嫌いだったとしても、僕の絵を見ている人は僕が描いた絵を見て、頑張ろうって思うかもしれない。ほんの僅かな希望を持ってくれるかもしれない、僕の絵が綺麗だって言ってくれるかもしれない。僕がどんなに絵が嫌いでも、僕と他者の、絵に対しての価値観や好意は違う。人それぞれだ」
陽向は私の目をじっと見つめながら、優しく笑った。
「だからさ、別に心からこれが好きなんだって断言できなくとも、誰かのために何かを成し遂げるっていうのも、全然ありなんじゃない?むしろ、それって1番すごいことだと思うけどね」
気ままな陽向らしくない言葉。けれど、そんな言葉が1番、私の心に深く、深く響いたのだった。
٭•。❁。.*・゚ .゚・*.❁。.*・٭•。٭•。❁。.*・゚
あの日から私は毎日の放課後、中庭に通うようになった。そこにはいつも絵を描いて待っている陽向がいて、私はその隣に座って彼と話す。そんな日々が、いつの間にか当たり前となっていた。
───そしていつしか彼とのこの時間は…私の居場所にもなっていた。
「陽向ってさ、何か猫みたいだよね」
「猫?そうかな」
「うん。何かのんびりしてるとことか、気まぐれなとことか」
「じゃあ怜愛は…鳥みたい」
「と、鳥?何で?」
「うーん、何となく?」
「…そういう所だよ、猫陽向」
「何か言った?」
「…別に」
他愛もない会話。だけどそんな一時に、私の心はどれだけ救われたか。彼には分からないだろう。
いいや、分からないとかじゃない。気付かれないようにしてたんだ。
私は彼と話しながら、心の中で祈った。
この小さな幸せが、ずっとずっと続きますように。もうこれ以上、両親のように大切な人が離れていきませんように。私の居場所が…もうなくなりませんように。
青空の下、彼と笑い合いながら、私は密かにそう願い続けていた。
- Re: 君がいたから、ようやく笑えた。 ( No.7 )
- 日時: 2023/08/02 21:04
- 名前: しのこもち。 (ID: anYeesDx)
- 7.不思議な感情 -
6月も終わりに近づき、そろそろ夏が来ようとする中…私水瀬 怜愛は今、都会でも有名な美術館にいる。
そして隣では…あの世にも有名な画家、蓮見 陽向がたくさんの人に囲まれている。
なぜこんなことになっているのか…それは数日前に遡る。
٭•。❁。.*・゚ .゚・*.❁。.*・٭•。٭•。❁。.*・゚
「ねぇ怜愛。日曜日、僕とデートしない?」
「……は?」
ある日の放課後。いつも通りの場所でいつも通りに絵を描いていた陽向が、突然意味の分からないことを言ってきた。
「ついに絵描きすぎて頭おかしくなったか…」
もしくは彼女ができた夢でも見ているんだろうか。いや、目は開いてるからそれはないか。
「何か言った?怜愛ちゃん」
効果音がつきそうなくらいニッコリと笑った彼は、絶対に怒っている。だって目が笑ってないし。
「な、何も言ってないですけど?」
誤魔化すように、陽向から目を逸らした。そんな私をよそに、彼はスケッチブックの別のページを開き、そこから紙のようなものを取り出した。
「これ行こうと思ってるんだけど」
ほら、と目の前に突き出されたのは。
「白花美術館・特別展…?」
そう書かれたポスターだった。さらに見出しの下には『未来の芸術家・世界の画家展』などと詳細が書いてあった。
「この展示にさ、僕が出るらしいんだよね」
「え?」
いやいや。そんなことさらっと言われましても。
「絶対冗談じゃんって顔してるけど、本当の話だから」
完全に疑っていた私はポスターにもう1度目を向けた。すると詳細の方には、確かに蓮見陽向という文字があった。
でも世界に認められるこの人なら、確かに美術館に展示されていてもおかしくない。
驚きを感じつつも1人でそう納得していると、陽向はポスターを閉じた。
「で、どうするの?行く?」
彼はスケッチブックの元のページを開きながら、私に問いかけた。
私はその質問を聞いて、真っ先に両親の顔が思い立った。普段の休日は、ほとんど1日中ピアノの練習ばかりしている。だからそんな貴重な練習時間をさぼるなんてことをしたら、父に何と言われるか。私の中はそのことでいっぱいだった。
「…」
「………何も言わないってことは、オッケーってことでいいよね?」
「え、ちょっ……」
「はい、決まりー」
何を言うのかと思えば、陽向はさっきまで持っていたポスターを、私に少し乱暴に渡した。
「じゃあ、日曜日の10時に駅で集合ね」
٭•。❁。.*・゚ .゚・*.❁。.*・٭•。٭•。❁。.*・゚
そんなこんなで、今私は陽向と白花美術館にいるのだ。
ちなみに親に言ったら絶対に怒られるので、父には外でピアノの練習をしてくると嘘をついた。
父に嘘をついたのは生まれて初めてだったので、今もまだバレないかと内心不安になっている。
そんな私に構わずに、誘ってきた当の本人は相変わらずたくさんの人に囲まれて、面倒くさそうに顔をしかめている。
一方の私は水瀬怜愛だとバレないように、しっかりとマスクと帽子を着用している。
「やっぱ本物じゃん!!!」
「すごい、テレビで見るより100倍イケメン〜」
「連絡先交換しませんか?」
隣の陽向は、特に若い女性や女の子の学生に人気があるみたいだ。
……というか、さらっと逆ナンされてる?
「……ちょっとあっち行きたいから通してもらっていい?」
いつもより低い声で彼はそう言い、群がる人たちを掻き分けながら私の方へ近づいてきた。
「…ちょっと来て」
人目が逸らされている間に、陽向は私の手をひいてエリアから離れた。
٭•。❁。.*・゚ .゚・*.❁。.*・٭•。٭•。❁。.*・゚
「だから言ったじゃん、そんな格好で行ったら大変な目にあうよって」
私は人気のない所へ連れてこられた後、すぐにそう言った。
「……だってマスクとか暑いし」
不機嫌そうにそう言う陽向は、何だか駄々をこねる子供みたいで不覚にも可愛いと思ってしまった。
「確かにそろそろ夏来るし暑いけど、じゃあ陽向はちょっと暑いのと女の子にナンパされるの、どっちが嫌なの?」
「…」
陽向は完全に黙り込んでしまった。
「……仕方ないから、今はこれあげる」
私はもしものために持ってきた予備のマスクを陽向に渡した。
「…ありがとう」
陽向は小さな声でお礼を言った後、渋々とマスクを着けた。
「じゃあせっかくだし、陽向が出るっていう特別展、言ってみよっか?」
私もマスクを着け直した後、2人で特別展を見るためにその場から離れた。
٭•。❁。.*・゚ .゚・*.❁。.*・٭•。٭•。❁。.*・゚
「凄かったね」
「…僕がいっぱいいた」
あれから私たちは特別展を見に行って、今は少し遅めのお昼ご飯を食べている。
もちろんマスクをとった姿は見られる訳にはいかないので、誰もいない公園のベンチに座った。
「僕がいっぱいいたって…語彙力小学生か」
「だってそうだったじゃん」
パンを頬張りながら、陽向はそう言う。
「まぁでも…普通に感動した、かな」
これはお世辞でも何でもない、本当に思ったことだ。
特別展では、主に世界の有名な画家たちの代表的な作品や本人の写真が展示されていて、その中に陽向もちゃんといたのだ。
彼の作品を見て、やっぱり世界に認められる画家なんだと、改めて感じた。
毎回思うが、陽向の描く絵は何か胸を打たれるようなものを感じさせられるのだ。私に語りかけてくれるような、励ましてくれるような…そんな力が、絵に秘められている気がする。
「……というか怜愛、嫉妬してくれたんだね」
「嫉妬…?」
どういう意味だ、と私は首を傾げた。
「僕がナンパされるの見て、ほんとは嫌だったんでしょ?」
「えっ…」
図星だった。今日陽向がたくさんの女の子に囲まれていて、正直少しもやもやしていたからだ。
「その反応は…もしかして図星?」
「…っ、べ、別にそんなんじゃないし!聞かないで…!」
陽向はふーん?と、にやにやしながら私の反応を見ている。
…絶対私の反応見て楽しんでるやつだ。
「怜愛ちゃんは、僕のこと好きなんだ?」
「だ、だからっ、違う!」
こんな感じで私たちはデート?を楽しんだ。
٭•。❁。.*・゚ .゚・*.❁。.*・٭•。٭•。❁。.*・゚
「今日はありがと。じゃあ、また明日学校で」
「こっちこそ、誘ってくれてありがとう」
お昼を食べてゆっくりした後、私たちは今朝集合した駅まで行き、陽向はこの後用事があると言って帰って行った。
私も彼に背を向けて、見慣れた景色の中を1人歩く。
『嫉妬してくれたんだね』
ふと、陽向の今日の言葉が頭の中で響き渡った。思い出した途端、私は自分の顔が真っ赤になるのを感じた。そんな赤い顔を冷ますように、私は反射的に顔を両手で覆う。
『怜愛ちゃんは、僕のこと好きなんだ?』
……私、陽向のことどう思ってるんだろう。今日は彼とデート?して、本当はすごく楽しかった。
じゃあこの感情は、一体…?とくとくと鳴る胸を抑えながら、私は考えた。
こんなこと、今までなかったのに。小さい頃からピアノしか弾いてなくて、他人になんか興味も持たなかったのに、本当に不思議だ。
頭の中でそんなことを考えながらしばらく歩いていると、鞄の中に入っていたスマホが急に鳴った。
スマホを取り出して液晶画面を覗いてみると、そこには『母』の文字が表示されていた。
どうせ帰ってくるのが遅いんじゃないかとか、早く家帰ってもっとピアノの練習しろとか言われるんだろうな。
そんなことを思いながら、私は渋々電話に出た。
「もしもし」
「怜愛!?」
気だるけにそう言うと、母はいつもより大きな声で話すので少しびっくりした。携帯越しでも、相当焦っているのが分かる。
「どうしたの…………って、え?」
私は思わず手に持っていた鞄を落としそうになった。なぜなら、母の電話内容は思っていたものと全く違っていたからだ。
「お父さんが………倒れた?」
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