複雑・ファジー小説

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タビドリ
日時: 2017/07/20 01:34
名前: 月白鳥 ◆8LxakMYDtc (ID: NStpvJ0B)
参照: http://www.kakiko.info/upload_bbs3/index.php?mode=image&file=141.jpg

次は此処へ行こう。
次は其処へ行こう。

逢いたくなれば逢いに行こう。
別れを聞いたら花を捧げよう。

森に、海。光の先や、闇の彼方へ。
時の許す限り、何処までも行こう。

この身に刻む全てが、貴方の未知と願いつつ。

***

【挨拶】

 初めまして、月白鳥と申します。
 人外主人公の話が書きたくなって立ち上げた次第です。
 主人公と同じく、行き当たりばったりのスローペース、マイペースで進めております。
 粗の目立つ文章ですが、良ければ冷やかしついでにどうぞ。

 尚、この物語を書くにあたり、様々な方からキャラを御譲りいただきました。キャラの投稿者さんにこの場を借りて御礼申し上げます。

***

【注意】

・ この小説は「全年齢」「洋風ファンタジー」「一人称」「人外もの」「投稿オリキャラ登場」「ごく軽微な流血・死亡描写」の要素を含みます。この時点で無理! と言う方はUターンを推奨します。
・ 作者は非常に神経が細いので、刺激の強い描写はぼかしてあります。首狩り万歳のグロテスクもの、読後感最低な胸糞話、SAN値暴落必至の狂気乱舞等、刺激的な文章を見たい方はUターン下さい。
・ 小難しい設定や用語が沢山出てくるので、キャラと用語の簡単な設定一覧を挟む予定です。文章の中だけで全部読み解いてみせる、と言う方は、目次よりそのページを避けて閲覧下さい。
・ 誤字・脱字・文章と設定の齟齬・その他不自然な文章については発見次第修正していますが、たまに修正し忘れていることがあります。そのような場合はご一報くださると嬉しいです。

・ 一般に言う『荒らし行為』に準ずる投稿はお止めください。本文に対する言及のない/極端に少ない宣伝、本文に関係のない雑談や相談もこれに該当するものとさせていただきます。
・ 更新は不定期です。あらかじめご了承ください。
・ コメントは毎回しっかりと読ませて頂いていますが、時に作者の返信能力が追い付かず、スルーさせていただく場合がございます。あらかじめご了承いただくか、中身のない文章の羅列は御控え頂くようお願い申し上げます。

***

【目次】

キャラクタープロフィール
 →Book-1 >>38 >>64
用語集
 →Book-1 >>39 >>65
地名一覧
 →Book-1 >>40 >>66

Book-1 『鍛冶と細工の守神(The Lord of all of smith)』
Page-1 『翠龍線上の機銃(The strafer on the battlefield)』
>>1 >>2 >>3 >>6 >>7 >>8 >>9 >>10 >>11 >>12
>>13 >>14 >>15 >>16 >>17 >>18 >>21 >>22 >>23
>>26 >>27 >>28 >>29 >>30 >>31 >>32 >>33 >>34
>>35 >>36 >>37

Page-2 『彷徨い森のファンダンゴ(Fandango in the forest maze)』
>>41 >>42 >>43 >>44 >>45 >>46 >>47 >>48 >>49
>>50 >>51 >>52 >>53 >>54 >>55 >>56 >>57 >>58
>>59 >>60 >>61 >>62 >>63

***

【御知らせ】
・ >>16に挿絵を掲載しました。(H.27.12/10)
・ 狐さんがラミーのイラストを描いてくださいました! URLからどうぞ。(H.28.2/13)
・ >>17に挿絵を掲載しました。(H.28.5/2)
・ >>37に挿絵を掲載しました。(H.28.5/22)

Re: タビドリ ( No.47 )
日時: 2016/05/03 16:26
名前: 月白鳥 ◆8LxakMYDtc (ID: ZExdpBCU)

「御待ちしておりましたぞ、御二方」

 上等な寝台に身体を起こし、長い柘植の杖を肩に立てかけて、“猫の王”——レグルスは俺達を待っていた。
 濃い青灰色の毛並みは白髪混じり、老いて尚鋭さを秘めた緑青色の瞳は細く、膝に置かれた手は長い毛皮越しにも骨ばっているのが分かる。正確な年齢を目測するのは難しいが、それでもこの老衰加減からして、エシラよりは年上だろう。
 何にせよ、俺より何十歳も年上だ。立場的にも年齢的にも、ロレンゾに向けるような無礼は許されまい。

「お初にお目にかかります、エドガーと言います。こっちは俺の連れのラミー」
「は、初めましてっ!」

 正直むず痒く感じるのを誤魔化しながら、俺の中で目一杯丁寧に言葉を紡いだ。少し遅れて、慌てたようにラミーもぴょこんと勢いよく頭を下げる。対するレグルスは、何やら微笑ましいものを見るような表情で俺達の挨拶を受け、ラミーが頭を上げるのを待ってから、やおら背を伸ばした。
 病床に臥し、鶴のように痩せこけて尚、その空気は威厳を纏っている。猫の王と敬われるのも納得の佇まいだ。思わずこっちも居住まいを正した。

「丁寧な挨拶痛み入ります。私はレグルス——第八代“猫の王”として、『銀嶺の城』の管理長及び猫族の長を務めとる者です。此度の貴方方の働き、良う聞いとります。亡き魔導師長の分と重ねて御礼を申し上げたい」
「……大袈裟です。顔を上げてくれませんか」

 深々と頭を垂れたレグルスに、俺は思わず言い返した。
 もう何度も他に言ったことだが、俺はただの通りすがりなのだ。興味本位で戦線に割り込み、たまたま猫族の魔法使いと知り合いになって、それが偶然にも俺と面識のある奴と親友だった。それ以外に何ら特別なことはない。仮に俺以外の奴が彼と知り合っても、戦争は終わっただろう。
 しかし、レグルスは頭を下げたまま。大袈裟なものか、そうきっぱり言い切って、首を小さく横に振った。

「虚しいことを言わんで下され、エドガー殿。貴方方がかの者の遺志を汲まねば、戦争はこれほど早くは終わらなんだ。いつかやる、誰かがやるでは、我々猫族はより悲惨な終戦を迎えていたやもしれません。或いは、終戦それ自体が夢幻の彼方に没していたやもしれんのです」
「…………」
「貴方方がロレンゾ達へ言伝したのが偶然の産物でしかないことは承知の上。終戦に直接貢献したのがあの二人とも存じとります。ですがな、それでも私は、貴方方に礼を言いたい。言わねばならない。エドガー殿、どうか我々の礼を受けては頂けませんかな」

 レグルスの声は掠れていた。
 猫族にとって、戦争を終わらせることは悲願だったのだろう。それは前時代の怪物を飼い慣らした者達によって一度は成就しかけたものの、英雄の墜落と共にいつとも知れない未来まで延ばされた挙句、古参の死によって潰えようとしていた夢だ。
 四十年前の戦線を支えた英雄が去り、それを呼び戻す手段を永久に喪ってしまった今、猫族は偶然や気まぐれに頼らねばならないほどに追い詰められていた。
 そして、俺は。

「エディ……」
「————」

 後ろから不安そうに声を投げるラミーへは、一瞬だけ目配せし。森を抜ける前から付けっ放しにしていたゴーグルとヘルメットを外して、小脇に抱える。そこでラミーもピンときたらしい、あっと小さく声を上げて、慌てたように俺の隣へ並んだ。
 ここまでの道中で乱れた衣装を手早く整え、自分なりに精一杯姿勢を正して、深呼吸を一つ。準備万端とばかりこっちに目をやったラミーと視線を合わせ、小さく首肯する。
 揃って目一杯深くお辞儀すると、レグルスは動揺したようだ。何事かとばかり揺れる空気を打ち払うように、俺は頭を上げ、言葉を紡いだ。

「十分です。俺はもう手に余るほど礼を受けています」
「しかしですな」
「レグルス王。お聞き下さい」

 ——戦争が終わり、命を落とす者が減る。その事実を知っただけで、俺は十二分に光栄です。
 ——それ以上の称賛を受けたところで、狼に狙われる身では重たすぎて、手に負えません。

「エドガー殿……」
「どうか、ご理解を」

 自分でも随分冷徹な言い方だと思うが、嘘は一つも言っていない。
 正直な所、礼を形にされたところで、旅をしている身にとっては有難迷惑なだけだ。金目の物を渡されたとて別段金に困っている訳でなし、書状を渡されても保存場所に困るし、実用品は既にロレンゾから見繕ってもらっている。受け取れるのは言葉しかない。
 レグルスは返答に窮しているようだ。けれども、そこで返事を枉げるほど俺は優柔不断な奴ではない。俺には俺なりに貫かなきゃやっていけないこともあるのだ。
 口を噤み、沈黙に佇むこと少し。
 レグルスは決意したように、手にした杖の先で床を突いた。

「では、御二方に宿をお貸ししましょう」
「宿?」
「然様。ペンタフォイル山麓駅の“紡ぎ家”——貴方方はかの者の素性も含め、よく御存知の筈です」

 言いながら、レグルスの視線は俺の背へ。
 そう言えば、ペトロからブランケットを買ったんだったか。“猫の王”としての情報網がどれだけ広いかは知らないが、ペトロの織った布は何処でも有名だし、彼自身腕の立つ魔法使いとして名が知れているのだから、レグルスが彼のことを知っていたとて不思議ではない。
 何にせよ、あの宿にはもう一度行く約束だったし、この際ちゃっかり乗っかってしまうのもありかもしれない。
 ……何より、野宿が回避できるならそれに越したことはない。こんな所で野宿出来るほど肝が据わってるわけじゃないし。
 ならば答えは一つ。

「そう言うことだったら、喜んで」
「然様ですか。それでは——」

 準備しましょう、とは、口の動きばかり。
 レグルスと、それからラミーが、同時に表情を硬くした。

「どうしたよ、ラミー」
「誰か来る……」

 人魚姫の声と横顔は、彼女らしからぬ危機感を秘め。レグルスの方を見やれば、彼もまた、険しい表情で窓の外を睨んでいる。
 誰か、とラミーが言ったってことは、少なくともそれは俺かラミーのどっちかと同族であって、全く得体の知れないものではないのだろう。だがこの雰囲気からして、決して歓迎された客人ではない。
 このことを、森の主は知っているのだろうか。

「ラソル?」

 扉の向こうに居るはずの妖精へ問いかけた、その時。
 窓の外から、銃声が響いた。

Re: タビドリ ( No.48 )
日時: 2016/04/27 11:26
名前: 月白鳥 ◆8LxakMYDtc (ID: MIY9Uz95)

 一発、二発、三発。
 乾いた発砲音が城のほぼ直下で鳴り響き、鬱蒼とした森に反響して消えていく。それは高らかでありながら危険な気配を帯びたもので——銃声を詳しく分析できるような聴力は持っていないが——ロレンゾが俺に向かって誤射したときの雰囲気によく似ている気がした。
 あの時ロレンゾが持っていたのは、恐らくはニーベル隊長のもの。それと音が似ているのなら、その銃はニーベルが使っていたのと同じものと言うことになるか。
 ……もし俺の推測が当たっていたなら、正直凄くマズい。ニーベル隊長と初めて会った時は不意を突いたからどうにかなったのであって、向こうが準備万端の状態で鉢合わせすれば、撃ち殺されるのがオチだ。
 ちら、とラミーに目をやると、彼女は黙って首を横に振った。

「やっぱ無理そうか?」
「ごめん、エディ……結構ヘトヘトだよぅ」
「気にするな」

 尻尾をしゅんと垂らし、弱弱しく謝るラミーに、首を振って返す。
 本来なら森の只中なんて、人魚の支配圏(フィールド)をはるかに逸脱した場所だ。魔法を使うどころか、その存在を維持することだって本当は出来やしない。ラミーが人魚としては多少イレギュラーな存在だと言っても、そんな場所に長居して力を発揮できるわけがないのだ。
 ……まあ、迷子になってその長居する原因を作ったのは彼女の非だけれども、その非の半分は監督不行き届きを犯した主人(おれ)なのだから、彼女ばかり責めるわけにはいかない。
 仕方がない。心の中でそうそっと呟きつつ、俺はヘルメットを被ってゴーグルを掛け、足に仕込んだナイフを引き抜いた。
 けれどそれは、背後から伸びた何かに叩き落される。

「痛っ」

 俺の左手を軽くつついたのは、細身な柘植の杖。年季の入ったそれを辿った先では、さっきまでと同じ、柔和ながら怜悧な表情のレグルスが、緑青の瞳で俺を見つめている。
 正直、狼の当身を喰らった時の傷が癒えていない身には、さっきの軽い打撃でも結構ダメージデカいのだけども、レグルスを前にするとそんな文句も中々言えない。ただ、じんじんと痛む手を擦りさすり、顔をしかめて暗に不満を示すばかりだ。
 睨み合いが数秒。先に折れたのは、レグルスだった。

「大変失礼なこととは存じとります。ですがエドガー殿、敵意を以て刃物を持ち出すのはお止め頂きたい」
「? いくら何でも、貴方に襲い掛かるほど俺は錯乱しちゃいませんよ」
「そうではないのです。……魔法を修めたことが無い方は恐らくご存じないでしょうが、魔法使いはあらゆる概念に意味を見出し、それが持つ意味の力によって魔法を御しとります」

 ——魔法使いにとって、刃とは“切り払うもの”“断ち消すもの”の意。これ即ち、あらゆる力を切り、繋がりを断つもの。それは邪の縛鎖を消し去る一方で、良きものとの縁すら断ちかねません。
 ——そして『銀嶺の城』は、彷徨いの森の中心に位置する砦。即ち、膨大な魔力を帯びた土地に根付き、その均衡を保つもの。『銀嶺の城』と彷徨いの森は、切ってはならぬ関係にあるのです。
 ——貴方が持つ敵意の先が何であるかは関係ありません。「断ち切るべし」との意志だけでも、此処では危険な火種になる。貴方の意志とその刃が、重大な事故を起こすやもしれないのです。

 床に転げたナイフを拾い上げ、ランプの灯りに照らしながら、レグルスは独り言のように言葉を編む。
 まだ洗っていない、狼の血がべったりと付いたままのナイフ。それを無表情で見つめ続けるその眼の奥に、俺は、別れ際のベルダンと同じ苦悶の色を見た。

「銃声の主がこの地に害をもたらす者ならば、城の管理者たる我々が退けます。それが我々の役目なのです」
「でもレグルスさん、大変な病気なんでしょ? そんな時に魔法なんか使ったら危ないよ!」
「確かに、老い耄れの身には負担ですな。しかし姫様、私は」

 ——命を賭しても、この城を守り通す義務がある。

 そう、レグルスは続けようとしたのだろう。
 しかし言葉を紡ぎかけた口は、泣きそうな顔をしたラミーの手によって塞がれていた。

「あの魔法使いさんも、そう言って無茶したんだよ。その先のことなんて、王様なら良く知ってるでしょ?」
「ええ」
「なら止めてよ! どうして猫は皆そう言うの、死んじゃうのが怖くないみたいな顔してさ、自分よりも皆の為になんて言ってさ! ほんとは怖いくせにっ!」

 破れかぶれと言った風な喚き声は、まるで金槌を力一杯頭に振り下ろしたかのように俺達を叩きのめし。喉まで出かかっていた言葉は衝撃で突っかかり、声が消えた部屋は水を打ったように静まり返る。その静謐の中、ラミーは相対する老猫を、涙を湛えた目で睨み付けていた。
 海色の瞳と、緑青の瞳。それぞれが交錯すること、しばし。
 諦めたように、レグルスは肩を落とした。

「それでも、私はこの城の守り人です」

 だからって、と、叫びかけたラミーの口を、痩せた手がそっと塞ぐ。
 細められた眼は、話を聞けと言葉にせずとも雄弁に語りかけていた。

「貴方の言い分も私には良う分かります。貴方には、我々が大義名分を自殺の理由として尤もらしく振りかざしているように見えましょう。ですがな、それが我々のあり方なのです」
「それが猫族の習いなの? 何年も、何百年も、ずっとずっと続いてきた伝統だって言うつもり?」
「……そう、私は聞いとりますが」

 僅かな沈黙。
 次の瞬間、ラミーは血を吐くように叫んでいた。

「馬鹿げてる! 馬鹿がやることだよ、そんなの!」
「おいラミー、いい加減にしろ!」
「うるさいっ!!」

 怒気を込めてラミーを叱り飛ばした途端、思いっきり横っ面を引っ叩かれた。
 尻尾を飾る金の輪がちょうど頬に全速力で当たって、怪我はしなかったがひたすら痛い。それで俺の気勢が殺げた所を見計らってか、ラミーはきっと眦を決し、レグルスに噛みつかんばかりの勢いで怒鳴る。

「都合のいいことばっかり言って、自分の命をその辺の石みたいに扱って……そんなの、前時代の人間と何が違うって言うの!? そんなことがどうして良いことみたいに言われるの! 馬鹿だよ、皆馬鹿だッ!!」

 力一杯に放たれた声は、濃い静寂を呼び寄せて。広い部屋には、試すように王を睨む人魚の荒い息ばかりがよく響く。
 ラミーは返答を待ち続けた。
 けれど声を上げたのは、レグルスでも俺でもなかった。

「あー、あー。楽しそうな所悪いけど、姫様。もろもろ後にしてくれない?」
「ラソル!? だって、だって王様は!」
「はーいはい、そこまで。喧嘩は後でねー」

 重い扉を開け、ずかずかと遠慮も躊躇もなく入り込み、俺とラミーの間を割って仁王立つは、四枚の翅を透かす翠眼の妖精。頭に戴く花冠をちょいちょいと気だるそうに弄りながら、ラソルは顔に浮かべた面倒臭そうな色を隠そうともしない。
 君にお客様だよ。猫の王へそれだけぶつけて、ラソルはくるりと踵を返した。
 何事かぶつぶつと呟きつつ、のそのそと部屋を出ようとする小さな妖精と入れ替わり。
 ——長躯の獣が、颯爽と歩みを進めて入ってくる。

「ほう、主が此処へ来るとは思わなんだ。誰ぞに案内(あない)させた?」
「御前の代理だと言う若輩と、忌々しい蜥蜴の飛行士に」

 齢六十か、もっと上だろうか。口周りに長い髭を蓄えた、亜麻色の老犬だ。大きな垂れ耳のあちこちに光る耳飾りと言い、豪奢な赤いマントと言い、動くたびに物々しい音を立てる鎧と言い、ニーベル隊長やエレインとは一線を画した立場にいることを思わせる。
 老騎士。そんな言葉のよく似合う貫録と狷介(けんかい)な鋭さを湛え、殺気めいた冷たさを辺りにまき散らしながら、彼は堂々とした歩調でレグルスの真正面へと歩いてくる。そのアザミ色の眼は猫の王のみを捉え、俺達の方などは一瞥どころか注意や警戒の対象にすら入っていない。路傍の石と変わらない扱いだ。
 けれど、それに遺憾の意を表明することは、どうやら出来そうになかった。

「嗚呼、確かに代行を言い付けとる。彼奴等は今何処に居るのかね?」
「城の噴水付近だ。奴等の仕事は終わった、後は御前に聞こう」

 格が違いすぎる。
 俺の方になど気を払う価値すらない素振りだと言うのに、言葉を差し挟もうとしても、隙が一瞬たりと見当たらないのだ。たとえ此処で俺が飛び掛かったとして、この老犬はきっと、こっちのことなど見もせずに切り刻めるだろう。
 結局、俺はレグルスの前を開けて、ただ棒立ちになっていることしか出来ない。

「ふむ。次期“猫の王”の采配、主から見てどうだね」
「及第点だ。オレと真正面から四つに組もうとする気概は汲んでやる」
「バジャンダンからの御墨付きともなれば安泰よな」

 たじろぐ俺には全く構わず、レグルスと、バジャンダンなる名で呼ばれた老犬は言葉を交わす。どう考えても貴族の二人と、住所不定の旅鳥。同じ部屋にいるのが場違いでしょうがない。苦し紛れにラミーへ視線を送ると、彼女もまた苦く笑って肩を竦めた。
 ——とりあえず、下の噴水でたむろしてる奴に会おう。
 目配せし、頷き合って、俺達はそっと王の部屋を抜け出した。

Re: タビドリ ( No.49 )
日時: 2016/05/15 23:37
名前: 月白鳥 ◆8LxakMYDtc (ID: ZExdpBCU)

 ぐるぐると螺旋を描く回廊を渡り、階段を下りて、見慣れたはずの姿をちょっと探し。噴水の縁に座り込む猫と、傍で所在なく突っ立っているトカゲを見つけて、そちらに駆け寄る。今度も脛を蹴り上げてやろうかとちょっと思ったが、理由もないしやめておいた。
 意味もなく振り上げたい衝動に駆られる足を地面に押し付け、代わりに声を投げ飛ばす。

「よう」
「おう、半日ぶりだ」

 低くしゃがれた、けれど何処かひょうきんなものを帯びた声。やや憔悴した、けれど矍鑠とした佇まい。子供のような小狡さと、老翁らしい深謀遠慮が同居する面構え。どれも見慣れている。疲労の色は垣間見えても、ロレンゾは何も変わっていなかった。
 一方の魔法使いは、ニワトコの杖を抱きかかえるように両手で握りしめ、大理石の縁に片足を掛けて、こちらには目もくれず何事か考え込んでいる。声を掛けてもきっと気付かないだろう。考え事の邪魔をするのも気が引けるし、今は見ないふりだ。
 もう一度ロレンゾの方へ視線を戻すと、彼はラミーの頭をわしゃわしゃと撫でくり回していた。

「ロレンゾさーん、髪の毛がぐちゃぐちゃになっちゃうよぅ」
「どーせここまでの道のりでグダグダになってんだろが。俺がもっかい弄ったとこで変わりゃしねぇって」
「ぶー。ちゃんと王様に会う時に整えたもん!」

 ふわふわの髪をぼさぼさに撫で回され、けれどもラミーは満更でもない様子。本人がそれで良いなら別に構わないけど、ラミーは確かもう十七歳になるかならないかって年齢(とし)だったはずだ。頭を撫でられて喜ぶにはちょっと大人すぎやしないだろうか。
 手櫛で整える端からわしわしと撫で回し、また整えては弄び。ふざけた攻防を繰り広げる二人へ、投げ掛けた声は疲れ切って掠れていた。

「二人とも、子供じゃないんだからさ」
「何でェ、冷たい野郎だな」

 困ったように目を細め、肩を竦めるロレンゾ。しょうもない悪戯をして叱られた子供のような顔をされて、思わず溜息が零れた。
 俺より四十も年上のジジイがする表情じゃないだろ。呆れを交えて投げつけた謗(そし)りを、彼は複雑な色を含んだ笑みと共に受け流した。

「人魚ッコは手前みたいに何年も経験積んでるわけじゃねぇんだ、物騒な森に迷い込んで人恋しかったのくらい察してやれやい」
「そりゃそうだけど……」
「迷子になった挙句狼に追い掛け回されながら来たんだろ? そりゃ、忌憚なく言やァ手前は食物連鎖の一番下っ端だし、追い掛け回されたり喰われかけたりってのは慣れっこかもしれん。だが、お姫様にまで手前と同じ扱いは流石に酷だろうや」

 溜息。
 ぽんぽんとラミーの頭を軽く叩いて、彼はふいっと視線を外す。口の端には、照れくさそうな、悪戯っぽいような、寂しいような、何とも言えない笑み。

「あんまりジジイに恥ずかしいこと言わせんなィ。お子様はお子様らしく無事を喜んではしゃいどけば良いんだよ」
「そこで気難しい顔してる未成年の王様代行前にしてお子様になれって? 俺のプライドも考えてくれ」

 溜息を隠さずぶつければ、ロレンゾはいかにも面白そうな顔をして、俺のヘルメットをピンと弾いた。くつくつと喉の奥で笑いを噛み殺し、彼は顎に蓄えた白髯をいじる。

「たった三つ歳が違うだけで大人ぶりなさんな。手前とルディとじゃ過ごした時間の密度が違いすぎる」
「あのな……」
「まぁ聞け。ルディは確かにひ弱な魔法使いかもしれんが、それ以前に為政者の端くれだ。一国の存亡を掛けた外交に物怖じせず、遥かに格上の相手へ真正面から交渉を仕掛ける——外交の為に必要な作法と知識を、厳格さの塊みたいな父親から十七年教えられて育っている」

 俺を睨む金貨の色の目は、どこまでも透徹として。
 言い返せず立ち尽くす俺に、老雄は静かな声をぶつけた。

「時の速さは誰しもに平等だが、密度は生きる中で決まるもんだ。手前の生き方が穴だらけと言う気は毛頭ないが、少なくともこの場この時で言うなら、手前と人魚ッコが一番ガキんちょだ」

 プライドなんて面倒なもん考えるなよ、とロレンゾは肩を揺らし、やおら噴水の縁にどっかりと腰を下ろす。それに気を取られたのだろうか、置物のように微動だにしなかったルディカがそっちへ耳だけ向け、すぐ戻したかと思うと、身の丈よりも長い杖を一度持ち直した。
 間を置かず、わだかまるものを吹き散らすような、嘆息を一つ。杖に体重を掛け、ルディカはゆっくりと腰を上げる。
 瑠璃色の目は、何の感情も込めずに魔燈鉱のシャンデリアを見上げていた。
 一体その双眸が何を映すのか、物思う暇もなく。

<<二の導。揺り謡う木の代、碧空濁波の珠の針>>
<<『逆巻き嗤う娘(アエロー)』の子、集い来たれ>>

 良く通る低い声が、噴水の水音を掻き消す。
 それの主を探そうと背後へ首を回すと同時、かん、と硬く軽いものをぶつけ合わせる音が、再びの声と共に俺の動きを止めた。

<<見えぬ褥(しとね)を腕に抱き、荒ぶ風の内より来たれ。淡き紗を広げ、墜ち来る者の難を払え>>
<<子等よ、逆巻く風にて受け止めよ>>

 厳つい長躯、アザミ色の険しい眼、亜麻色の毛並み。頭に乗せた王冠、ビロード地の赤いマントに、物騒な音を立てる銀の鎧。腰に下げた剣はそのままに、その手が持つは、菫色の石を戴く柳の杖。
 ——バジャンダン。
 初対面で早速気圧されてしまった、あの狷介な犬だ。そう直感すると同時に、けたたましい羽音が俺の脳みそを殴りつけてきて、疲弊しきった俺の思考回路はあっと言う間に状況の把握を放り投げてしまった。
 面倒臭い。半分仕事を放棄した頭でつくづくそう噛みしめつつ、それでも音の方へ体を向ける。
 そこに立つのは、二人。

「アエローのおねぇさんだー」

 一人。
 ロール状になった白い布を両手に抱えて笑う、猫っ毛の仔羊。

「あっらー、おこちゃまの割に礼儀を弁えてるじゃないの」

 一人。
 尊大な様子で胸を張りふんぞり返る、半人半鳥の女。

「嫌いじゃないわ、坊や?」

Re: タビドリ ( No.50 )
日時: 2016/06/07 23:23
名前: 月白鳥 ◆8LxakMYDtc (ID: ZExdpBCU)

「あんた、あの宿に居た……」
「そ、そ。皆カズって呼んでるよ。今日はとーちゃんのお使いなのー」
「父ちゃん……って、ペトロか? やっぱり」
「うん。とーちゃん忙しいからねー、ぼくが来たの」

 ほやほやと呑気な風に、猫っ毛の仔羊はカズと名乗った。
 見間違えようもない、先日ペトロの宿に泊まった時、ペトロの代わりに宿泊人の見張りをしていた奴だ。あんな能天気で経営は大丈夫なのか、なんて無闇に心配したのだが、父親の手を離れてこんな所まで来られるってことは、容姿と雰囲気とは裏腹にしっかり者なのかもしれない。
 ……しかしまあ、これがあの『技工士』の倅とは。お世辞にもそうは見えない。
 そりゃまあ確かに、あの時ペトロに毛を刈られていた羊とは纏っている空気が違うけれども、言動があんまりにもふにゃふにゃしすぎじゃないだろうか。魔法使いに抱く“厳格”だの“冷徹”だの“知恵者”だのと言ったイメージとは大分かけ離れている。
 思わずがっくり首を落としたところで、カズはふにゃっと首を傾げた。

「えっと、次来るときは部屋がいいーって言ってた鳥さん?」
「そんなことも言ったっけな」
「そかそか。大丈夫、鳥さん用のお部屋取ってあるよ。あ、ロレンゾさんは雑魚寝ね」
「!?」

 傍ではロレンゾが咽る声。
 まさか自分に話を持っていかれるなんて思ってなかったのだろう、おい嘘だろ、と投げ放つ声を上ずらせ、不満を代弁するかのように、彼は尻尾で思いっきり噴水の縁を叩いた。びたーん! と中々痛快な音が吹き抜けの塔一杯に響いて、長く残響の緒を残す。
 しかし、カズは動じない。抱えていた布のロールを床に立て、空いた片手で困ったように頬を掻いた。

「だって、今更部屋開けられないよー。誰かと相部屋にする?」
「ンなことしたら片方は確実に床だろがい! 雑魚寝と何が違うんでェ!?」
「じゃあ、早いもの勝ち」

 土の上よりは何倍も寝心地良いよ、と、あんまり慰めにもならないことをニコニコと投げつけて、カズは老雄を黙らせる。早い者勝ちと言われては最早言い返す術もないか、えい畜生と一声吠えて、ロレンゾはバリバリと面倒臭そうに頭を引っ掻き回した。
 彼には悪いが、俺だってもうクタクタだ。誰が譲ってやるもんか。
 さり気なく送られてくる怨嗟の視線から慌てて顔を背け、何とはなしに、俺はルディカの方に目をやっていた。
 ——果たして彼は、憔悴した顔にそれでも凛とした強さを含め、バジャンダンと対峙している。初めて俺の前に現れたとき、ローブに足を取られて息切れしていた奴とは、まるで別人のようだ。俺では、あんな顔をして彼の前に立つことなど、後十年経っても叶わないだろう。
 老いた犬と若い猫、二つの声が交錯する。

「レグルスに意図を確認した。後日正式に遣いを送ろう」
「分かりました、僕が此方で迎えます。御足労をお掛けしました」
「構わん。仮令今日この時でなくとも、どうせ此処には来ねばならん」

 かん、とまた乾いた音。
 バジャンダンが、自身の手にした杖で石の床を叩いたのだ。その遠く緒を引く軽やかな響きは、噴水を水鏡にして自分の顔を覗き込んでいた、あの半人半鳥の女に頭を上げさせた。

「御呼び?」

 長い雀色の髪、勝気そうな鳶色の眼、鷹の下半身に、鷲の翼。首には青い瑪瑙のペンダント、腰に水晶と玉髄の飾りを提げて、猛禽の足首には精緻な銀細工の足環を光らせている。さっきからラミーの顔が赤いのは、申し訳程度にしか隠れていない胸のせいか。
 彼女は『逆巻き嗤う娘(アエロー)』。渦巻く風の精、また或いは、夏に訪れる一時の災難。竜巻やら台風のような激しい風を司る、れっきとした守神だ。
 ——けれどもきっと、ロレンゾを知っている奴ならば、アエローと聞いて思い浮かべるのは、目の前にいるこの気が強そうな守神ではないだろう。むしろ思い出すのはかの真白い怪物、猛禽の一個旅団を真正面から相手して打ち勝った、あの『遺物』の方だ。
 果たして、守神はそんなことを知っているのか否か。噴水の縁にすとんと腰を落ち着け、人間の腕の代わりとばかりに生えた翼で水を弄びながら、彼女は尊大な様子でバジャンダンへ声を投げる。

「このアタシに何の用かしら、犬の王様?」
「移氈(いせん)の着地法に綻びがある。御前の領分だ」

 犬の王の返答はつっけんどん。だからどうした、と突っ撥ねたくなる無味乾燥とした言葉に、アエローは続きを付け足した。

「見て修正してやれって? ハッ、無理無理! この坊やが使ってる魔法は『透風蝶(シルフ)』のもの、完全に管轄違いよ。それに貴方、アタシが何者か知らないわけないでしょう?」
「…………」

 はい残念でしたー、と、嘲笑うようにカラカラ大笑するアエローを眇(すが)め、バジャンダンは無言。眉間に一層深い縦ジワを刻みつつ、杖を右手から左手に持ち替えたかと思うと、杖の先でゆっくりと彼女を指した。
 にんまりと細められた鳶色の目と、冷たく無感情なアザミ色の目が、交錯する。
 そうして睨み合うこと、
 一秒、
 二秒、
 三秒——

「そりゃっ!」
「ぅひゃんっ!?」

 張り詰めた嫌な緊張の糸を、悪戯っぽいソプラノと、甲高い声とがぷつりと断ち切る。バジャンダンはアエローの奇態に鼻白んだか、ぎょっとしたように杖の先を地面に下し、罰が悪そうに杖を仕舞い込んだ。
 一方の声の主達の方を見れば、そこには噴水の縁に頬杖をついて笑う人魚姫と、脇腹を押さえてプンスカ怒るアエローの姿。状況から察するに、ラミーがアエローの脇を突っついて飛び上がらせたようだ。
 一体何やってるのやら。呆れ半分微笑ましさ半分で声を掛けようとして、アエローの金切声に遮られる。

「ちょっと何するのよ!? 何アンタ!? ちょっと!」
「あはっ、あははは、ごめ、ごめんなさぁい! うひひひ、ひひひひ……」
「笑わないでちゃんと答えなさい!」
「うふっ、んふふふっ、ごめんね! ごめんなさい! あはっ、あははははっ」 

 素っ頓狂な悲鳴がよっぽどツボに入ったのか、アエローがマジになって怒声を張り上げても、笑声は収まらない。涙をちょちょ切れさせ、噴水の水を尻尾でばしゃばしゃ撥ね散らかしながら、時折女の子らしくない声も混ぜて、人魚姫は笑い転げる。
 辺りに漂うは変な空気。仕方なく、俺は口を開いた。

「ラミー、めっちゃ疲れてるだろ」
「いひひひっ、そんなことないよぅエディ〜。んふ、んふふふふー」

 ……やっぱりおかしい。
 普段のラミーも十分すぎるほど笑い虫で悪戯好きだが、だからと言って赤の他人にしょうもないことを嗾けて、その上笑い転げるような性格はしていない。これまで見てきた限り、その辺の分別はちゃんと付けてるはずだ。
 ラミー自身が平気と言ってはいても、やっぱり大分疲れてる——いやむしろ、疲労困憊が極まって理性のタガが何本か外れてしまっているらしい。
 これはもう、さっさと此処を出て休むに限るだろう。
 決意して、カズに目をやる。
 彼もまた、任せてとばかり指を立てた。


「ロレンゾさーんルディさーん、こっちこっちー」
「ぁ、え? 僕もですか? 僕には普通に帰る家が」
「いーからいーから。とーちゃんが会いたいってー」
「は、はぁ」

 困惑するルディカの腕を引っ張り、ひーひーとまだ笑い転げているラミーは俺の背に載せ、しかめっ面のアエローは噴水の縁から離れた所に追い出して。てきぱきと俺達を一か所に集め、カズは丸めていた布ロールを解いてばさりと広げる。
 赤や黄、橙で紅葉を、青や緑、黒で蝶の柄を刺繍した、かなりでかい厚布だ。織りや糸の感じは俺が貰ったブランケットとそっくりだが、“紡ぎ家”のタグはどこにも付いていない。売り物にならなかったのか、さもなくばペトロの手慰みで作った布だろうか。はたまた、どれとも違うのか。
 カズが振りたくる度にちらちらと閃く模様、その鮮烈さをぼーっと眺めていると、仔羊は両手に布を引きずったまま、やおら噴水の縁に乗り上がった。

「目ぇ閉じてねー」

 何をするのかと、勘ぐる暇もなく声が掛かる。恐る恐る瞼を閉じると、ぱさりと軽い衣ずれの音がして、頭の上に何かふんわりしたものが覆い被さった。
 さっきの布を被せたのだろう。僅かな圧迫感にほんの少し身を竦ませていると、カズの声が耳に飛んできた。

「さーん」

 呑気なカウントダウン。
 ひやりとした空気が頬を微かに掠めていく。

「にーぃ」

 続けて、高いところを飛ぶような浮遊感。
 一瞬、苔のような匂いが鼻を突いた。

「いーち」

 苔の匂いが、古い木材とほんの少しの獣臭に変わる。
 きしりと、何かが足元で軋んだ。

「おっけー、目ぇ開けてー」

 カズの合図と共にそっと目を開け、瞬間広がる暗闇に目を瞬いて、暗きに慣れたところで周囲をぐるり。
 慣れないような、懐かしいような、不思議な感覚の付きまとう景色を目にして、長嘆息する。
 古びた木の床、毛足の長い絨毯、白い漆喰の壁。
 風に揺れるレースのカーテン、明かりの消えたランタンに、季節外れの風鈴。
 今まで居たはずの奴の姿はなく、やや手狭な部屋の真ん中には、俺とラミーだけがぽつねんと佇んでいる。

 ——やっと、休める。
 そう理解したのは、ホウホウとフクロウが欠伸をし始めた頃だった。

Re: タビドリ ( No.51 )
日時: 2016/06/03 03:04
名前: 月白鳥 ◆8LxakMYDtc (ID: ZExdpBCU)

 りん、りりん。
 ちりん、ちりん。
 ちりりん、りりん。

「エーディー、起きてー。もうお昼だよー」
「んー……後ちょっと……もうちょっとだから待てって」
「またそんなこと言ってぇ。もう十回目だよぅ、起ーきーてー」
「良いじゃねーかよ今日くらい……」

 少々の虚しさと、多々の冷やっこさを連れた風に、風鈴が揺れる。
 その涼やかな音を聞きながら、俺は布団の中に引きこもりっぱなしだった。蚕みたく布団を被って丸まった外からは、随分前から定期的にラミーが揺さぶってくる。けれども——普段の俺ならまだしも、今は——全く効果なしだ。むしろ、揺さぶってるのが心地よくて眠くなってくる。
 そんな俺の心境もつゆ知らず、何とかして俺に起きてもらいたいのだろう、布団を没収しようと引っ張る裾をむんずとばかり踏ん付ける。そして、引っ張られた分をもう一度頭の上までひっ被せた。

「俺疲れてんの」
「だってエディいないと暇なんだもん!」
「あーもーめんどくさ……分かったよ、俺の財布から金貨三枚持ってって良いから」

 部屋の隅っこに積んだ荷物を適当に嘴で指し、ラミーの返事は聞かずに布団を被る。
 若干面食らったものか、ふぇ、と間抜けた声を上げた彼女には、適当に続きの言葉を投げ返した。

「小遣いやるから、街にでも行け。一人じゃ怖いってんなら知り合いに案内でもさせときゃいいだろ」
「でもエディ〜……」
「十七歳の一人遊びに文句なんか言わねぇよ。暇潰せるまで遊んでこいって」

 眠いのとだるいのとで声にはやる気の欠片もないが、言ってることは嘘じゃない。
 まあ、ラミーほど生粋のトラブルメーカーを放逐するのは、本当のところちょっと怖いけれども。だからと言って、起きない俺の目覚まし時計にさせておくのはあんまりにも酷な話だ。なら、たまには俺の手を離れて自由に行動したっていいだろう。
 窓から入る柔らかい陽光を分厚い布団で覆い隠し、はよ行け、とようようラミーに声を絞り出して、重い瞼をそのまま閉じる。早速うつらうつらとする中で、ちゃりちゃりと金貨を数える音だけが聞こえた。


「しっつれーしまーす。エドさーん、もう夜だよー」
「ぁ、あー……もうそんな時間か」

 十一度寝の後、再び起こされたのは、丁度夕暮れと夜の境界の時。
 ドアのノックもそこそこに、ハゼの蝋燭を片手に入ってきたのは、猫っ毛の仔羊。もとい、カズだった。
 呑気な声に揺り起こされ、寝ぼけ眼を擦る俺に、カズはてんで構わない。小脇に携えた長い鉄の鉤を器用に使い、ランタンを下ろす。そして、鉤を抱えたままマッチを擦って蝋燭に火を点け、それをランタンに入れて再び天井のフックに吊り下げた。
 ちびだから若干大変そうではあるけれども、それにしても随分と鮮やかな働きぶりだ。小さいころからあの親父の手伝いをして暮らしているのだろうと、まだ何度と顔を突き合わせていない俺にも察せられる。
 ちょっと関心しつつ、部屋の隅に積んでいた荷物を確認。ラミーがきっかり三枚金貨を抜いていったこと以外、特に変わったところは無さそうだ——と、それだけ確認して、俺は諸々の装備品を全部身に着けた。

「あれれっ、もう出ちゃうの? ラミー姉ちゃんはまだ——」
「いや、そうじゃなくて。九年前に全財産置き引きされたことがあってさ」
「……ぁ、あー、そだそだ! とーちゃんが会いたいって!」

 少々の沈黙。気まずい雰囲気を振り切るように、カズは慌てて踵を返す。タカタカと小走りに出ていく小さな背を追い、俺も足を踏み出した。
 そっと廊下から首を伸ばして見やれば、すぐ左前に続く階段と、それを軽やかに降りていくカズの後ろ姿が目に入る。俺が寝ていた部屋は、どうやら宿の二階にあったらしい。……マジであの仔羊、ここまでどうやって俺達を運んだのだろう。
 湧き上がる疑問はまだ声に出さず、俺も階段を下りる。こっちこっちと手招きされるまま、バーカウンターみたいな台で仕切られた奥まで足を伸ばせば、カズはすぐ左に設えられた引き戸を半開きにして、隙間に首だけ突っ込んでいた。

「とーちゃーん、起っこしったよーぃ」
「あいよー。そんなら先に夕飯食べといてな」
「はーい」

 手短に会話を終え、カズはするりと隙間から部屋の中に入ったかと思うと、山ほど野菜を挟んだパンと、牛乳を満たした木のマグ片手に俺の横をすり抜ける。そのまままた宿の方に消えていった仔羊を尻目に、俺は中途半端に開け放された引き戸を開け放した。

「や、おはよう」

 俺が五人いたらもう満杯になりそうな、かなり狭い作業部屋だった。
 所狭しと並ぶ棚にどでかい机、絨毯でも織るのかってくらい巨大な機織り機のせいで、狭い部屋は更にぎゅうぎゅう詰め。ちょっとでも身動ぎすれば何処かにぶつかってしまう。小柄な羊族にはちょうどいいのかもしれないが、俺にはちょっと窮屈だ。
 何しろダチョウの身体はでかい。全身を部屋に収めるだけでも難儀する俺とは対照的に、部屋の主たるペトロは悠々としたもの。何か頼まれものの最中だったのか、ステッチ入れ掛けで放り出されたストールを指先で弄びながら、飴色の目を細めて笑う。

「随分と長寝だったじゃないかい。夢も見なかったろう?」
「おかげさまで。ラミーに随分暇潰しさせちまったけど、あんた見てるかな」
「嗚呼、もちろん。カズと一緒に街まで遊びに行かせて、多分今は軍曹殿のところで遊んでるハズさ」
「軍曹?」
「ロレンゾ軍曹。“血の気の多いジジイ”がまさかあいつとはねぇ」

 ぐつぐつと喉の奥で笑声を上げつつ、技工士はやおらストールを手に取り、椅子の背もたれにぎしっと背を預けた。
 よくよく見てみれば、ストールは白地に橙の格子柄。つまり、俺がラミーに譲ってやったシロモノだ。こんだけ上物のストール貰って、その上既にサイズの詰め直しまでしてもらっておきながら、彼女はまだこれに不満があって駄々をこねたと言うつもりなのか。
 これじゃあラミーへのお仕置きも考えなきゃならんか——と、思わず顔をしかめた所で、ペトロがまあまあと手で制してきた。

「そんな顔するもんじゃない。おいさんが勝手にお嬢に頼んでやっただけの話だよ」
「ホントかァ? 信じられんなぁ、あんたお人好しだもん」
「後で厄介になる嘘は吐かんよ、兄サンみたいに疑り深い人には特にさ。……何、このストールは元々軍曹にやったものだったんだがね」

 ——あいつめ、随分乱暴に扱ってくれたらしい。あちこち破けたり接ぎ当てられたりして目茶苦茶だ。糸の新旧の違うところを見れば、どんな風に扱われたのかはすぐに分かる。きっとこれは掛け布団か何かになってて、寝相の悪さに巻き込まれたんだろうねぇ。
 ——それでも今日まで立派に布の形を保ってるのは、ローザ夫人が苦心惨憺して繕ったからだろうさ。おいさんこれでも何冊か魔法の論文を書いてるが、どうもそれを読みながら繕ったような跡が見える。
 ——しかしながら、夫人は技工士じゃない。確かにおいさんの手仕事をとても丁寧に真似てはいるけれども、あの女(ひと)の仕事でこの布に完全な魔法を戻すことはちと厳しい。
 ——技工士としては、この布は護りと癒しを与えるものであって欲しいのさ。だから、おいさんがもう一度魔法を与え直している。
 ——ただ、それだけの話さ。お嬢は何にも悪くないし、文句も言ってないよ。

 細い羊毛の糸で細かなステッチを入れながら、ペトロは顔を伏せ呟く。気取らず、気負わず、怒りもせず、低く芯のある声はどこまでも静かだった。
 そんなもんかな、と場繋ぎに一言。そんなもんさ、とからから笑って、彼は細い針をすいすいと布の上で泳がせる。細い白糸は一見無造作に布の上を這っているように見えるが、技工士的にはこれが正しいらしい。
 技工士の手仕事に俺が食い付いて眺める内、彼の中で興が乗ってきたのか、或いは衆人環視の状況で張りきったのか。ぴよぴよと口笛さえ吹いて、ペトロは手をより一層早く動かす。前にこのストールを詰め直した時と同じくらいの速さだ。
 難しいことやってるだろうに急がなくても、と、思わず声を掛けようとして。

「……ぶっ」
「おいこら、笑うな。堪えるな」
「いやゴメ、そうさね、そう言えば兄サン、今日一日なーんにも食べてないんだっけね! ぶくっ、くくっ……」
「笑うなっつーに。おい。こら! 笑うなァ!」

 間抜けな腹の虫の鳴き声と、肩を震わせて絶倒するペトロの姿に、出そうとした声はあっと言う間に押し込められてしまった。


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