複雑・ファジー小説

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タビドリ
日時: 2017/07/20 01:34
名前: 月白鳥 ◆8LxakMYDtc (ID: NStpvJ0B)
参照: http://www.kakiko.info/upload_bbs3/index.php?mode=image&file=141.jpg

次は此処へ行こう。
次は其処へ行こう。

逢いたくなれば逢いに行こう。
別れを聞いたら花を捧げよう。

森に、海。光の先や、闇の彼方へ。
時の許す限り、何処までも行こう。

この身に刻む全てが、貴方の未知と願いつつ。

***

【挨拶】

 初めまして、月白鳥と申します。
 人外主人公の話が書きたくなって立ち上げた次第です。
 主人公と同じく、行き当たりばったりのスローペース、マイペースで進めております。
 粗の目立つ文章ですが、良ければ冷やかしついでにどうぞ。

 尚、この物語を書くにあたり、様々な方からキャラを御譲りいただきました。キャラの投稿者さんにこの場を借りて御礼申し上げます。

***

【注意】

・ この小説は「全年齢」「洋風ファンタジー」「一人称」「人外もの」「投稿オリキャラ登場」「ごく軽微な流血・死亡描写」の要素を含みます。この時点で無理! と言う方はUターンを推奨します。
・ 作者は非常に神経が細いので、刺激の強い描写はぼかしてあります。首狩り万歳のグロテスクもの、読後感最低な胸糞話、SAN値暴落必至の狂気乱舞等、刺激的な文章を見たい方はUターン下さい。
・ 小難しい設定や用語が沢山出てくるので、キャラと用語の簡単な設定一覧を挟む予定です。文章の中だけで全部読み解いてみせる、と言う方は、目次よりそのページを避けて閲覧下さい。
・ 誤字・脱字・文章と設定の齟齬・その他不自然な文章については発見次第修正していますが、たまに修正し忘れていることがあります。そのような場合はご一報くださると嬉しいです。

・ 一般に言う『荒らし行為』に準ずる投稿はお止めください。本文に対する言及のない/極端に少ない宣伝、本文に関係のない雑談や相談もこれに該当するものとさせていただきます。
・ 更新は不定期です。あらかじめご了承ください。
・ コメントは毎回しっかりと読ませて頂いていますが、時に作者の返信能力が追い付かず、スルーさせていただく場合がございます。あらかじめご了承いただくか、中身のない文章の羅列は御控え頂くようお願い申し上げます。

***

【目次】

キャラクタープロフィール
 →Book-1 >>38 >>64
用語集
 →Book-1 >>39 >>65
地名一覧
 →Book-1 >>40 >>66

Book-1 『鍛冶と細工の守神(The Lord of all of smith)』
Page-1 『翠龍線上の機銃(The strafer on the battlefield)』
>>1 >>2 >>3 >>6 >>7 >>8 >>9 >>10 >>11 >>12
>>13 >>14 >>15 >>16 >>17 >>18 >>21 >>22 >>23
>>26 >>27 >>28 >>29 >>30 >>31 >>32 >>33 >>34
>>35 >>36 >>37

Page-2 『彷徨い森のファンダンゴ(Fandango in the forest maze)』
>>41 >>42 >>43 >>44 >>45 >>46 >>47 >>48 >>49
>>50 >>51 >>52 >>53 >>54 >>55 >>56 >>57 >>58
>>59 >>60 >>61 >>62 >>63

***

【御知らせ】
・ >>16に挿絵を掲載しました。(H.27.12/10)
・ 狐さんがラミーのイラストを描いてくださいました! URLからどうぞ。(H.28.2/13)
・ >>17に挿絵を掲載しました。(H.28.5/2)
・ >>37に挿絵を掲載しました。(H.28.5/22)

Re: タビドリ ( No.42 )
日時: 2016/02/19 04:15
名前: 月白鳥 ◆8LxakMYDtc (ID: E8T1E3Rb)

 翠龍線の東側、その麓に広がる針葉樹林。別名、『彷徨いの森』。
 密生した陰樹が欝々と枝葉を伸ばし、昼の日中にあっても薄暗い森は、時に遥か上空を渡る鷹の勘さえ狂わせる。俺には生憎とその感覚は分からないが、コンパスの針が彷徨いの森に入った直後から北を探し始めたのを見るに、この辺りに在るある種の“乱れ”は相当に強いものらしい。
 方位磁針が役に立たないのでは仕方ない。大人しくコンパスを鞄にしまい込み、前を行く遣いとラミーの方へ眼をやった。
 二人の道行きには一切の迷いもなければ躊躇いもない。この薄暗く奥深い森の中にあって、二人には俺と違う光景(もの)が見えているようだ。ラミーは時に俺の視力ですら何も見えない暗闇を指して首を傾げ、遣いはそれにあまり見るなとばかり答えていた。
 つまんないの、とラミーは頬を膨らませる。その後に漂う静寂を、俺はふと思いついた疑問で打ち破った。

「なぁ、遣いよ」
「何であらせられましょう?」
「ベルダンが四十年前にやった決断って、ありゃ何だ?」

 多くを裏切り、より多くを救った英断。そりゃあ、ベルダンも完璧ではないのだから、多少の犠牲を含んだ決断を下すこともあるだろう。だが、話題に出されただけで、あの彼があんな苦悶の表情をするなんてのはそうそうあることじゃない。
 だが、だからと言って、俺がベルダンにしてやれることなど何もないに等しい。仮令遣いからどんなに惨いことを聞いたとしても、俺は彼に慰めの言葉一つ掛けることも出来なければ、力添えしようなどと提案すら出来やしないのだ。当人も、そんな表面だけの同情など必要とはしないだろう。
 ——詰まる所、俺は単なる好奇心の為だけに、個人の過去を暴き立てようとしている。
 遣いはそんな俺の意図を見抜いたか否か。その視線は俺の方を一顧だにせず、放たれる声は相変わらず慇懃で冷淡だった。

「御存知無いことを前提として御話ししますが、ベルダンは元々砲兵部隊の長を務めておられた方。あの方は、往時の者はほとんど持ち合わせていなかった、正確な砲撃の技術と状況把握力の高さを買われておりました。軍力で犬族や猛禽に後れを取る猫族が、現在までこのプレシャ大陸に一国を持てたのは、あの方の活躍あっての事と言って過言ではありますまい」
「ベルダンはアエローに乗ろうが乗るまいが英雄だったってか」
「そうとも言えましょう。……しかしながら、我々猫族は数量も技術も他に劣る身。一人の英雄が幾ら力を振るった所で、我々の劣勢は覆せるものではありませんでした。空襲ともなれば猶更にどうしようもない」

 一息に言い切って、遣いは少しばかり言葉を区切る。
 その切れ目に、ラミーが言葉を差し挟んできた。

「ねぇ、どうしてロレンゾさんもベルダンさんも猫さんの味方なの? 私、ルディのお父さんとロレンゾさん達が逢った後から仲良くなったって思ってたよぅ」
「嗚呼——当時はプレシャ大陸全域の制空権を猛禽が握っていましてね。お二方が御住まいになっているネフラ山麓駅は、その時の空襲で相当の被害を受けたと聞いております」
「そんな風には見えないなぁ。だって石畳とかとっても綺麗だよ!」
「あの街はプレシャ大陸でも特に旅人の出入りが激しい街ですから、復興もそれだけ早かったのでしょう。……当時の猛禽は我々の敵たる犬族と同盟関係にあった。そして、猫族は犬族を、トカゲ族は猛禽を打倒したかった。利害の一致が我々に同盟を結ばせたのです」

 遣いはあくまでも問いに答える以上の無駄話はしたくないらしい。いっそ華麗なほど無味乾燥とした受け流しに、ラミーは不満げだ。
 しかし、小鳥は全く意に介さず、俺に対する返答の続きを言い放つ。

「ロレンゾがかの飛空艇を発見したのは、戦線の維持が限界に達そうとしていた時です。泉の底から引き揚げられた機体は動力炉の損傷激しく、しかも複雑な設計をしていました。その精妙さは当時我々の陣営で最も高い水準を誇っていた整備兵(メカニック)が手を付けられず、サルベージした本人までも匙を投げる有様。ですが、あの方は違った」
「砲兵だったんだろ?」
「砲兵でしたとも。ですが、当時から「砲兵より寧ろ整備兵向きだろう」と揶揄される程度には手先の器用な方でした。それに何より、あの方はあらゆる量の数値的な扱いに長け、空間の構築力に富んでおられた。……それ自体はどのトカゲ族も似たようなものですが」

 ——トカゲ族は我等が勘で捉えるしかないものを視覚や聴覚に訴える術を知っているのだ。彼は特に。

 小鳥の呟きは、微かに羨むような響きがこもっていた。
 確かに——俺も含めた——あらゆる鳥は、鋭敏で外れない第六感を持っている代わりに、それを万人と共有する術を持っていない。あんまりにも細かな情報まで分かってしまって、どれをどう伝えたら良いか分からないのだ。無理やりカタチにすると曖昧になるか雑多になるかのどちらかしかない。
 そこへ行くとトカゲは違う。自分達の感覚を、時に自分達が理解し得ない筈のことさえ、他に伝えることができる。他にもそう言った尺度を持っている種族は沢山いるが、トカゲほど合理的かつ実用的で堅牢なものを持っているのは、少なくとも“今の世界”には存在しないと言っていい。
 絶対的な基準があるということは、あらゆる方面で強力な武器だろう。揺らがないことは何に於いても大事なことだ。そしてベルダンはとりわけ明瞭で確固としたものを持っている。それは俺にも否定できない。

「で、その整備兵向きな砲兵長がどうしたって?」
「我々はあの方に飛空艇の修理を要請し、あの方は何も言わず首を縦に振った。設計が分からずとも、想像を絶する可能性を秘めていることは我々にも理解出来ていました。往時のベルダンも恐らく我々と同じことを考えていたはずです。……しかしながら、あの方が飛空艇を弄ることを反対する者もおりましてね」
「——それ、ベルダンの居た砲兵部隊の連中かい」
「おや。良くお分かりで」

 何時でも出来ること、今しか出来ない事。裏切り。多くの救い。精緻な怪物。頼み事。砲兵長時代(かつて)の部下。今まで聞いてきた話が走馬灯のように脳裏をよぎる。
 俺は部外者だ。そこはどれだけ奴等と仲良くなろうと変わることはない。けれど、そんな部外者でも断片を拾い上げることは出来る。そして拾い上げた断片は、俺の中で一つの物語(カタチ)になろうとしていた。
 その結末は。

「隊長たるベルダンが部隊から抜けてしまっては任務が十分に遂行出来ないと、砲兵部隊の兵士達が抗議してきたのです。ですが、当時あの方の率いていた砲兵部隊は我々が所有していた拠点の中でも重要な場所に置かれておりましたし、抗議は至極妥当と我々も考えざるを得ませんでした」
「それでも、アエローの有用さを無視するワケには行かなかった」
「水掛け論の押し問答です。我々は拠点を一つ潰しても飛空艇によってもう一度取り戻せると意見し、彼等は拠点を取り戻す労力を護る方に回すべきとの主張を頑強に固辞し続けた。何日も論議しましたが決着は付かず、論点と論旨を違えに違えた我々は、場の中心にいるベルダン自身に判断を仰ぐことでしか引き下がることが出来なくなっていました」

 愚かしいと笑いたいならば笑うがいいと、自嘲気味に吐き捨てた遣いへ、俺は何も言わず続きを促す。
 話を聞く限り、議論を交わすだけで回避し得た状況ではないのだろう。どちらの側の意見も間違ってはいないし、どちらかが譲歩するとも思えない。論争の中心にいる人物に決定を請うのは、確かに責任を擦り付ける愚挙と言えるのだろうが、だからと言って責められることであってはいけないのだ。
 遣いは、俺の方を見なかった。

「あの方は我々を支持しました。「飛空艇の分解と修理は今から取り掛からなければ到底間に合わない、だが拠点を取り返すのは他の拠点を奪う時にでも出来る。いつでも出来ることの為に、今しか出来ないことを放り出すわけにはいかない」と。砲兵達も反論できず、拠点に下がっていきましたが——」
「…………」
「御察しになられたでしょう、拠点は襲撃された。それが部隊長の離脱を狙ったものか、それとも単なる偶然だったかは私にも分かりませんが、相当に大規模な進攻だったことは確かです。しかし砲兵達はその拠点を捨てず、ベルダンに拠点への帰還を要請し、自身等は迎撃を行った。恐らく、実際の襲撃に際しては長とて戻ると信じたのでしょう」

 ——戻らなかったのだ。
 声には出さず、呟いた。

「……拠点は陥落。砲兵部隊全五十七名は、全員死亡しました」

 遣いはあくまでも淡々としている。
 俺も、正直どんな顔をすればいいか分からなかった。と言うより、俺がこんな反応しかできないのを見越して質問に答えたのだろう。そうでなけりゃただの好奇心だけで聞いてきた奴に、さして仲も良くなさそうな奴の過去を躊躇いもなく話せるわけがない。
 絶句する俺に、彼が向き直ることはなかった。

「ベルダンは旧友の危機を知りながら自分の意志でそれを握り潰し、その結果飛空艇は嘗ての如く空を飛び制空権を奪い取った。五十七名の犠牲は大変痛ましいことですが、あの方はそれを礎に平穏を齎したのです。大局的に見れば、犠牲を最小限に抑え、より多くを救った英断と言えましょう」
「————」
「それでもあの方は、悔いておられる。自分が行けばあのような犠牲は回避出来たはずなのだと」

 終わってしまったものをいつまで後に引いているつもりなのか。呟く遣いの声には非難めいたものが混じっていた。
 瞬間、今の今まで勤労を放棄していた喉が、抜き打ちで言葉を紡ぎだした。

「戦友が一人でもあいつを恨んだなら、救われただろうに」

 一瞬、小鳥の白い身体が空中でバランスを崩す。すぐに持ち直したが、飛び方は目に見えてふらついていた。その様子に、遣いも動揺することがあるのか、とぼんやり頭の片隅で物思いながら、俺の口は更に言葉を紡ぎかけて、ハッと息を呑んだ。
 違和感に首を巡らせる。おかしい。更にじっくりと辺りを見回す。
 途端、機械的に前へ進めていた足が、凍り付いた。

 不味い。
 居なきゃいけない奴がいない。

「ぁ、あいつ何処行った……?」
「え?」

 遣いも気付いていなかったのか、前を行きながらちょろちょろと周囲を見渡し、ぎょっとしたように翼を捻ってその場に静止した。
 漂う静謐。全身の血が冷え切っていく。
 認めたくない事実が、口の端から滑り落ちた。

「ラミーが、居ねぇ」

Re: タビドリ ( No.43 )
日時: 2016/03/03 12:43
名前: 月白鳥 ◆8LxakMYDtc (ID: ZExdpBCU)

 苔むした倒木を乗り越え、湿った朽ち葉を払いのけ、顔に覆い被さる枝葉を押し退けながら、時折名を呼ぶ。残響の中に応えを探せど、返ってくるのはただ欝々とした静寂ばかり。何処まで行っても同じ風景ばかり続くその不安は、勘を頼りに進める足を引き留めようとしてくる。
 いつの間にか迷子になったラミーを探して、かなり時間が経っただろう。見上げた空は夕焼けの赤さを通り越し、暗くなりかかっていた。
 「無暗に森を歩き回るな」との遣いからの忠告を守るべきとは分かっている。長く住んでいる者の言うことを聞いた方がいいってのも承知済みだ。だが、それでも俺は、彼女を探す義務がある。従者を遭難させたままにする主人なんかいないし、それが守神のお姫様なら猶更探さなくちゃならない。

「ラミー、ラミー! おい、何処だ!?」
「もう戻って下さい、私とてこれ以上彷徨えば元の道には戻れませぬ!」
「なら一人で戻ってろ!」

 鋭く釘を刺してきた遣いを、悪手と承知で突っぱねた。
 何しろ、そこら中に嫌な気配と生臭い獣臭が漂っている。幸い腹は満たされているようで、俺を取って喰おうなんて感じではないが、それでもテリトリーを荒らされていい気分ではないらしい。そして、その数は多分、ロレンゾが孤軍奮闘してようやく捌ききれるくらいだろう。
 要するに、手の付けられない大集団ってことだ。ラミーがどんだけ魔法に卓越していたとしても、こんなものに狙われて一晩中無事でいられるワケがない。故にこそ、探すしかないのだ。どれだけ危険であろうと。

「何でこんなトコに狼が縄張り張ってるんだ」
「何でも何も、我々の方こそ居候です。狼の方が先住なのですよ」
「ゎお、マジかい」

 居候を許したってことは、交渉に応じて縄張りを譲る程度には寛容と言うことか。けれど、この雰囲気からして明らかに俺達が歓迎されてないことは確かだ。余計早く探し出さないと。
 ちらと森の暗きに目をやれば、らんらんと輝く琥珀色の双眸とバッチリ目が合う。ぎょっとしてすぐに逸らしたが、視線はべったりくっ付いて離れようとしない。歩調を速めても、それに合わせて気配も同じように張り付いてきた。何が何でも俺達を見逃す気はない、と言うことか。
 引き剥がそうとするだけ無駄だろう。一応、いざと言うときにすぐ応戦出来るように心構えだけはしながら、魔燈鉱のランタンを鞄から引っ張り出した。鞄から取り出した魔燈鉱は、普段のランプ係がやるよりはかなり弱いものの、明かりとして使うには申し分ない程度の光を既に放っている。
 光らせているのは、俺じゃない。この場所それ自体——もっと厳密に言えば、彷徨いの森を覆うトウヒの木がそうだ。

「トウヒってマジですげぇ魔力貯めるんだな……流石“杖の木”」
「関心している場合ですか。こんな物騒な所で」

 遣いが目に見えて冷たい。ラミーの助力なしで光るランタンに感心する間も与えず、彼は周囲を鋭く警戒して、さっさと先に行けとばかり無言で催促してくる。得体の知れないところに入り込んで焦るのは分かるが、ちょっとせっかちすぎやしないだろうか。
 とは言え、陽が暮れてきてそろそろ本格的にマズいのも事実。目印代わりとトウヒの枝を一本折りつつ、分厚く積もった落ち葉と小枝を払いのけ、折々に倒れて榾木(ほだぎ)と化している太い木の幹を跨ぎ越しながら、森のより深みへと足を進めた。
 鳥の勘を狂わす森の中、十年積み重ねた旅人の勘だけが、俺の頼りだ。


「あいつ、何で俺から離れやがったんだ……!」
「——だから森の奥を見るなとあれほど申したと言うのに」

 更に時間が経ち、遂に見上げても空は見えなくなってしまった。
 陽が暮れてしまうと、森は一層深く暗く俺の前に立ちはだかってくる。魔燈鉱の明かりは蝋燭などより何倍も明るいのだが、それでも足元とその少し先を照らし出すのでやっとの有様。そのくせして、依然付きまとう琥珀色の目だけは此処からでもよく見えた。
 ラミーは未だ見つからない。そして、何度か枝を折って付けた目印にすら行き当たらない。どうやら、俺も遭難に片足を突っ込んでいる状態のようだ。一方の遣いはと言えば、随分前から俺を説得するのを諦めて、今はランタンを提げる俺の翼の上に鎮座している。
 菫色の眼は深い疲労と呆れの色を浮かべていた。

「魔力を帯びた土地は、魔法使いの目には魅惑的に映るものなのですよ。何がどうとは言えませぬが、一度見つめてしまえば自力で抜け出すのはとても難しい。特にあの方は好奇心が強いですし——」
「入り込んだら抜け出せないだろうって? させるかそんなこと」
「……随分と人魚さんに情を傾けておられますね」
「いかがわしい言い方すんな。あいつに何かあったら俺が殺されちまう」

 友達と言うには距離が近いのは確かだが、何処まで行っても親友止まりでしかないと言うことは強調しておこう。ダチョウが人魚に恋慕って、そんな異種恋愛の気なぞ俺には断じてない。……断じてないのだ。
 無感情に言い放った遣いの言葉をぶった切り、今の今まで足元ばかり追っていた視線を上げる。魔燈鉱の光が届かぬ森の奥、まるで何かの裂け目のように、闇がぱっくりと俺の前に口を開けていた。その洞々たる黒さを見つめた途端、変な寒気が全身を走り抜ける。
 瞬間。

 ——こっちに、ラミーがいる。
 勘が働いた。ほとんど自動的に足を暗きへと繰り出す。

「エドガー?」
「シッ!」

 音を立てず、息を潜めて、けれど出来得る限り早く。
 ランタンを持つ手を左から右に換え、足元に携えたナイフを鞘(シース)から引き抜いて、何でも飲み込んでしまいそうな深淵を分け入っていく。一歩踏み出すごとに付け狙う狼の体臭が強まり、同時に殺気めいたものをこめた視線が全身に絡まりついた。
 人魚姫としての立場と魔法を取り上げてしまったら、ラミーに残るのは“か弱い女の子”の身一つ。捕食者たる狼にとって、こんなに狙いやすい獲物もそうは居ないだろう。人魚が美味しいのかは知らないが、少なくとも俺の勘は、強烈な生臭さの中心に獲物として彼女がいると告げていた。


 そして、それは的中する。

「何してんだ、てめぇ等ァッ!」

 一際立派なトウヒの幹に背をぴったり押し付け、声も出せず固まっている小さな人魚が一人。その視線の先には、今にも飛び掛からんばかりに姿勢を低くし、唸り声を上げる痩せこけた狼が三匹。絶体絶命、そんな言葉が脳裏を過ぎったその瞬間には、俺は手近な狼を横から蹴り付けていた。
 走ってきた勢いそのままにブチかました蹴りは、毛皮の下に浮いていたアバラに命中。骨のヘシ折れる形容しがたい音と感触に思わず顔が歪む。だからと言ってキャーキャー悲鳴を上げる暇もない。近くの奴等を巻き込みながら吹っ飛んでいく狼を尻目に、俺は左から飛び掛かってきた奴の顎下に潜り込みながら、逆手に握りしめたナイフを下から上に振るった。
 切っ先が捉えたのは首。ロレンゾが新調したナイフのことはまだ検めていなかったのだが、どうやらとんでもない威力のものを俺に寄越したようだ。刃は分厚い毛皮と筋肉の層を易々と突き破り、切っ先は骨にまで食い込んだ。ガチリと硬いもの同士が噛み合う感触がやたらと生々しい。

「ェ、エディ……?」
「馬鹿ッ、動くんじゃねぇ!」

 聞こえてきたか細い声には乱雑に返答し、ナイフを引っこ抜いて獣臭い身体を地面に放り投げる。ちらと俺がさっき蹴飛ばした奴の方を見てみると、まだ子供らしい狼がぐったりした巨体の下敷きになって呻いていた。親子だったのだろうか。
 声からしてかなり重そうだが、捕食者を助けられるほど俺は聖人でもなければ君子でもない。血まみれのままナイフを鞘に押し込み、放り捨てていたランタンをひったくるように拾い上げ、ラミーの頭の上に避難していた遣いへ「逃げるぞ」と一声吠える。
 返答は聞かない。そのまま一散にラミーの傍へ駆け寄り、一瞬前までナイフを握り締めていた手で彼女の腕を掴んだ。刹那。

「離してっ!」

 掴んだ手が、振り放される。
 今しがた俺が掴んだ所を庇うように抑え、背を丸めて縮こまりながら、ラミーは俺に目一杯の怯えと恐怖を向けていた。
 確かに、ほんの少し前まで狼を蹴倒したり突き殺したりしていた奴に手を掴まれたら、誰だって怖いだろう。けれど、ラミーは今までにも同じような状況は何度か経験して、その時は俺にこんな目を向けたりしなかったのだ。……従者になって三年にもなる彼女が、今更恐怖感を覚えたのか? そんな馬鹿な。
 良いからここを離れよう、と手を差し出しても、ラミーは自分の身体をぎゅっと抱きすくめたまま動こうとしない。途方に暮れ、差し出した体勢のまま棒立ちになってしまった俺に、遣いが助け舟を出す。

「エドガー、翼が血塗れです。手を取れと言われても怖いでしょう」
「え? あ、あー」

 ハッとして見れば、確かに、血糊のせいで翼どころか彼方此方が真っ赤になっている。必死になりすぎて全然気付かなかった。これじゃあ怖がられても仕方ないだろう。一応あまり血が出ない箇所を狙ったつもりだが、咄嗟のことで狙いが外れてしまったのか。
 ——なんて、今考えていてもしょうがない。
 ずっと俺を狙っていた連中が、さっきの刃傷沙汰で食物連鎖もくそもないくらいに殺気立っている。これで俺がバラバラに解体されたり踊り食いにされたり、なんてことになってラミーにトラウマでも作った日には、俺は地獄にも行けやしないだろう。

「ラミー、弁明は後でさせてくれ。早く逃げんと俺がヤバい」
「ェ、エディ〜……」

 どこぞの殺人鬼みたいな有様で言ったところで説得力は皆無だが、俺だってこれ以上狼の相手なんぞしてはいられないのだ。
 半泣きで見上げてくるラミーに、疼痛を堪えて右の翼を差し出した。ここでようやく多少は状況が掴めたか、恐る恐る差し出してきた手をがっしり掴んで、自分の手元にぐいと引き寄せ、その勢いのまま後ろに放り投げる。うわひゃあ、と甲高い声を上げつつも、彼女は上手く受け身を取ったようだ。
 何するの、とプンスカしているラミーの方を振り返る。茶色い革の鞍の上、座礁したイルカみたいな恰好で、人魚がへばりついていた。俺の意図したことは何となく汲めているようだが、何だか恨めしそうに頬杖をついている。いきなり放り投げたから仕方ないんだろうが……

「文句は後で聞くから、ちゃんと掴まれ、あんま余裕ないんだから」
「ぅうっ、エディのばかっ! いきなり投げないでよー!」
「いいから掴まれっつーの! 後で謝るから今は逃げさせろ!」

 やけになって叫んだら、返答は沈黙。拗ねたのかと横目で見れば、彼女は相変わらずへばりつくように鞍へ身体を付けたまま、両手でぎゅっと鞍を握りしめている。これなら俺が振り落とす心配もないだろう。
 ならば、俺は全力でやれることをやるだけだ。

「遣い、全力で付いてこい。俺ガチで逃げるから」
「エドガー、貴方この森の中を走る気ですか? 余計に迷いますよ」
「大丈夫、自信はある」

 勘がそう告げる。ラミーを探した時と同種の、けれど正反対の勘だ。
 この迷いの森の中、勘だけでラミーを探し当てた実績があるからだろう、遣いは何も言わず俺に尻を向けた。信頼している、と言うことだろうか。もうそう言うことにしてしまおう。
 俺を狙う気配が濃くなってきやがった。さっさと離れないと、本当に手に負えなくなってしまう。

「——こっちだ、遣い!」

 振り千切るように一声張り上げ、連なる木々の向こうを一睨み。
 姿勢を低め、湿気た土をぐっと踏みしめて、思い切り蹴り付ける!

Re: タビドリ ( No.44 )
日時: 2016/03/13 17:45
名前: 月白鳥 ◆8LxakMYDtc (ID: ZExdpBCU)

「ぉおやばッ、目茶苦茶来てやがんの……!」
「お道化ている場合ですか!?」

 湿気て滑る土をガッチリ掴み、腐りかけた倒木を一息に飛び越え、花道のように枝の間を伝う蔓草の下を潜り抜けて。たまに居るべきものが居るのを確認しながら、後ろから追い立てる獣の群れを振り千切るように、彷徨いの森を駆け抜ける。
 土を踏む重い音に混じって耳に届くのは、遠くに響く朗々とした吠え声と、背後からぐんぐん速度を上げてくる無数の足音。狼の縄張りへ勝手に侵入した挙句、その同胞を二匹も傷付けたのだから狙われるのは無理もないが、だからと言って大人しく捕まってやる気なんかさらさらない。
 鞍にしがみ付くラミーをもう一度見て、走る速さを上げる。狼の足の速さには俺だって敵いやしないけれども、持久力なら一撃必殺の捕食者よりも俺の方が数段上だ。今は調子に乗って走っているかもしれないが、同じ速度で一時間は走れまい。
 射貫くような琥珀色の視線を掻い潜り、森の中を右へ左へ。しかし、狼共はどうやら、俺より数段上手の連携を取って追いかけてくるらしい。ともすれば俺が迷いそうなほど道を迂回しまくっているのだが、後方の足音と肝の潰れそうなほどに殺気が籠った唸り声は、最早増える一方だ。

「あーくそっ、埒が明かねぇなオイ!」
「距離は離れていますが、このままでは……」
「! エディ、右ッ!」

 ラミーが悲鳴を上げる。
 その意味を俺が理解し、体を動かすより早く、俺は横からの衝撃に吹っ飛ばされていた。

「い゛ッ——!」

 ただでさえ折れて動かしたくない場所なのに、そんなトコに何か喰らっては流石に堪らない。一瞬意識が暗転し、受け身を取り損ねた俺は、思いっきり木の幹に半身を叩き付けてしまった。その衝撃は俺の頭で受け取れる限界を超えたようで、あらゆる感覚が一瞬全身を横滑りしていく。
 そんな思考と意識の空隙を縫うように、俺へ当身を喰らわせて来た奴が、上から覆い被さった。逃げなければ、と考えた時には最早遅い。毛むくじゃらの巨体に半ば圧し掛かられる形で組み伏せられ、鋭い爪の覗く手が頭を押さえ付けてくる。ぐりり、と強引に土の上へ頭を捻じ込まれて、土と黴の臭いが鼻を突いた。
 火山の底から鳴り響くように、唸り声は重く暗く。革のヘルメット越しにすら痛みを感じるほど俺の頭をガッチリと締め上げて、そいつはとっ捕まえた獲物をジロジロと眺めまわしている。悦に入っているのか、それとも何か別の目的か。意識が途切れそうな激痛の中で、思考回路だけは妙に明晰だった。
 俺をどうする気だ。何の気なしに尋ねたら、俺を見る視線が一層鋭くなった。

「質問に答えろ。その後でゆっくり喰ってやる」
「ははっ、止めとけよ。不味くて後悔すんぜ?」

 この状況でバカみたいな軽口が飛ばせるなら、余力はあるか。
 だが、狼の力は俺よりも遥かに強いし、その上俺も散々逃げ回ってかなり消耗している。振り解こうにも、身体どころか頭さえ動かなかった。逃げる余力はあってもそれ以上の馬鹿力を出せる状況にはないらしい。ちょっとくらい根性出せよ俺、と自分を叱咤激励してみても、動かないものはどうしようもなかった。
 こいつの質問に答えたら、気が変わるだろうか。そんな可能性無いのと同じだが、今の俺に「答える」以外の選択肢は用意されていない。どう足掻いても、俺が次に選ぶ言葉は一つしかないのだ。

「で? 何だよ、質問って」
「貴様等は一体何だ? 身形からしてペンタフォイルの住人ではあるまい」
「ただの旅鳥と従者だよ。色々あって“猫の王”から呼び出しを受けた」
「“猫の王”? あの耄碌猫が貴様を?」

 嘘を吐くな。冷めた声で突っ撥ねられた。
 嘘じゃない。色々の部分は曖昧になっても、そこはきっぱり否定する。

「あんた等に嘘ついたって意味ねぇだろが。それにこちとら王様からの遣い付きだぜ」
「そこで気絶している柄長(えなが)か? 冗談もいい加減にしろ」

 あまりふざけていると生きたまま膾(なます)だぞ、と、上から降りかかる声は重圧に満ち。だから本当だって、と俺が反駁しかけたのを、奴は頭を握り潰さんばかりに掴んで黙らせに掛かる。俺が何をどう言った所で聞き入れる気はない、と言いたいのか。いくら何でもあんまりだろうそんなの。
 心中で反論している間に、ぬぅ、と首元に近づく嫌ァな気配。
 喰い齧ってトドメを刺すつもりか。

「悪趣味な仕留め方しやがって……」
「一撃で息の根を止めてもらえるだけ有り難いと思え。他の奴等が貴様を捕まえたなら、間違いなく脚から齧りつくだろうさ」
「で? 好き放題喰い散らかして後は森の養分かよ。どうせ喰うならもうちょっと綺麗に——っ」

 無理やり話題を引っ張ろうとして、首を踏まれた。調子に乗って喋り倒していた最中に気道を潰され、あっと言う間に息が足りなくなる。酸欠で身体が勝手に暴れるが、狼の膂力の前では無意味に等しい。
 鋼を切るような耳鳴り。視界が一気に霞んでいく。
 頭上から毒液のように滴る声だけが、ハッキリと耳に届いた。

「貴様に言われるほどオレ達は下品な生き物じゃないんでな……」

 そこから先は、分からない。何か言われたような気もしたが、鉄の棒同士を叩き合わせたような音が間断なく頭の中で掻き鳴らされて、何も聞こえなかった。視界も鈍い色の霞に埋め尽くされて、まともな景色は何一つとして目に入ってこない。
 目の前が暗い。
 意識が急速に現実から遠ざかっていく。

 俺は、このまま——


<<起ーきろ起きろ、森の主が御呼びだぞー>>


 あらゆる感覚を超えて、響くは何処か懐かしい少女の声。
 暗きに沈みかけていた意識は、その一声で一気に表層まで引っ張り上げられた。

<<てんつくてんつく、ひょーろひょろー。寝坊助さんまでみーんな起きろー>>

 遠く近く、気だるげな声は彼方此方を飛び回りながら、歌うように降り注ぐ。
 同時に、首と頭を締め付けていた力が緩んだ。一体全体何がどうなったのかはサッパリ分からないが、とにかくチャンスだ。肺が軋むほど目一杯に息を吸い込み、両足と左翼に思い切り力を込めて、弾き飛ばすように立ち上がった。途端、ぐらりと眩暈がしてもう一回倒れそうになったが、それは堪える。
 まだ全然空気が足りてないのにいきなり身体を起こしたからか、目の前がまだチカチカしてよく見えない。耳鳴りも凄まじいし、何よりすぐに動けないほどふらふらする。けれど、俺は確かに、生きているのだ。状況の確認が覚束ないほどの息苦しさが、痛切にそう訴えかけた。
 本気で食い殺されるのを覚悟した恐怖やら緊張やら、急に全身を動かした反動やらで早鐘を打つ心臓を宥め宥め、傍に触れた木の幹に体重を少し預けて、深呼吸を数回。甲高い耳鳴りが収まり、目の前を覆う鈍色の霞が薄れた所で、木に寄り掛かったまま周囲を見回す。
 俺の少し後ろの方には、当身を喰らった衝撃で吹っ飛んだらしい、頭を抱えたラミーが、落ち葉と枯れ枝の上に丸まっている。傍では遣いが翼をぐったり広げたまま動かない。狼が気絶していると言っていたのは本当のことだったか。
 どちらも、元気はないがそう酷い怪我を負っているわけでもなさそうだ。取り急ぎ安否を確認して、視線を外した——

「!」
「わぉ」

 ——先で、緑色の目とばっちりかち合った。
 その眼の主は、一体どこから伸びてきたのか、何重にも捩じり合わされ、一本の太い茎のようになった蔓草の上。まるで当然と言わんばかりにその上に立つ、朴の木の葉より尚小さな女の子のものだ。
 カゲロウのような薄く透ける翅を背に広げた、いつも気だるそうな顔の少女を、俺はいつの日にか見たことがある。

 そうだ。
 あの日、あの時、行き過ぎた好奇心の為に消えた、あの妖精。

「ペタル?」

 問うた声は僅かに掠れ。
 緑髪の妖精は少しの間小首を傾げて目を瞬いていたかと思うと、苦い顔をして首を横に振った。

「残念だけど、守神違いかな……ボクはずっと前からこの森の主だよ」
「ぁ——ぃや、ごめん。俺こそ。助けてくれたのはあんたかい」
「んー……そだね」

 表情の苦々しさはほんの一瞬。後はどうにもこうにも眠たげに、彼女は俺の投げ掛けた問いへ答える。そして、俺の反応を待たずに蔓草の上からひょいと飛び降りて、俺の頭の上にぽすんと足を下ろした。おいこら、と声を上げてもお構いなしだ。
 話は後で、と頭上から振る声に、今の状況を思い出す。あの一瞬でこの妖精が何をしたのやら、俺を組み伏せていた狼もその同胞の姿も全く見えないが、だからと言って俺を狙う気配が消えたわけではないのだ。今は此処から離れることが最優先だろう。
 木から身体を離す。妖精と言葉を交わして多少は休憩になったか、酷く疲れてはいるがふらついたりはしていない。足取りにも覚束ないところはなし、逃げるだけならこれで十分だ。
 後は、その辺に投げ出された奴等の事だが……

「ラミー、動けるか?」
「ぅううっ、無理だよぅふにゃふにゃだよぅ」
「嗚呼もう、仕方ねぇ奴だな……ほれ、掴まれ——ってぉお?」
「ヤダよもう。エディまた投げ飛ばすつもりなんでしょ? いいもん、自分で乗るもん」

 まあ、心配ないか。
 すっかりイジけてしまったラミーは自分で背の鞍に、くたくたに伸び切ってしまった遣いは拾い上げて人魚に預け、最前まで目指していた方角をまっすぐに見つめて。頭の上で足をぱたぱたさせる妖精の気配を感じながら、まずはゆっくりと歩を進めた。
 二歩、三歩、四歩。次第に足を速めつつ、愚直には進まない。勘の狂わない範囲で少しずつ迂回しながら、歩行を疾走に変えていく。

「これでまた横から当身とか喰らいたくねーな……」
「んー、あんまり心配しなくても良いと思うよ? 追い払っちゃうから」
「嗚呼っ、私の仕事取られたーっ!?」

 茶番のような会話を挟みはさみ、足の向く先はただ一点に。
 明々と光る魔燈鉱の光を頼りに、黒々とした闇をひた走る。

Re: タビドリ ( No.45 )
日時: 2016/03/12 02:02
名前: 月白鳥 ◆8LxakMYDtc (ID: ZExdpBCU)

「なぁ、主様よ」
「ヌシサマじゃなくてラソルだよ。『大樹の彷徨(ドリュアス)』のラソル」
「じゃ、ラソル。ちょっと質問して良いかい」
「何でもどーぞ。ボクに答えられることならね」

 木の妖精、もとい『大樹の彷徨(ドリュアス)』。名はラソル。
 それが、この暗く深い森の主であり、俺の頭に腰を下ろす小さな守神の素性らしい。けれど、暗きに蠢く森の底知れなさと裏腹に、その主たるラソルは分かり易いのんびり屋だった。今だって、俺は背に付きまとう狼の気配に神経が尖りっぱなしだってのに、彼女は呑気に花冠を編んでいるのだ。
 一体何処から摘んできたものやら、時折はらはらと落ちてくるミズヒキの赤い花に正直辟易しながら、頭上の守神に問いをぶつけた。

「どうして俺達に手を貸す気になった? こんなだだっ広い森の中で、たった一人しか居ない守神に助けられたのが偶然なんて思わんぜ」
「んー、ぶっちゃけ珍しかったからかなー。歌うたいの姫君から「誰か助けて」なんて言われると思わなくってさ」
「あ、そう言う感じ……」

 思わず、浮かべる表情に迷ってしまった。
 ラミーが救援を求めたにせよ否にせよ、ラソル自身が俺達に興味を持たなければ、俺はあの場で本当に食い殺されていたかもしれないのだ。それを考えたなら、彼女の気まぐれには笑って感謝しなきゃいけないのだろう。だろうが、やっぱり複雑な気分になってしまう。
 すぐに二の句を接げず、沈黙すること暫し。俺の足音だけが聞こえるばかりの静寂(しじま)を破ったのは、ラソルだった。

「エディ、ボクも質問していいかな」
「ペタルのことなら勘弁してくれよ」

 ややトーンを落としての質問に、素早く釘を刺す。
 それも聞きたいことだけど。ラソルの声色は変わらない。

「この森に来る前、君は一体何をしてたの」
「焦げ臭い理由を説明すりゃあ良いのか、そりゃあ」
「違う」

 ——火に焼かれただけ、煙を浴びただけで、死臭は付いたりしない。
 ——何を連れてきて、何をした。何をさせた。

 主の言葉は、俺の返答を試すようだ。
 だが、試されるほど狡猾な口は持っていない。

「昔の英雄に魔法使いが死んだって伝えただけだ。それ以上のことは何もしてない」
「昔の英雄? 飛空艇乗りのトカゲのこと?」
「嗚呼……後は全部そいつ等がやった。俺はそれを見届けただけだ」

 真実を語るには言葉が足りていないが、少なくとも嘘は言っていない。ラソルにもそのことは伝わったのだろう、そっかぁ、とやや拍子抜けしたような声で呟き、やおら俺の頭上ですっくりと立ち上がった。かと思うと、ぷちんと葉っぱか何かを摘み取って、すぐに座り込む。
 花冠の飾りに添えるつもりなのだろうか。視界の外のことをあれこれ考えつつも、足は止めずに森を走り抜ける。
 ラソルがもう一度俺に話しかけてくるまで、沈黙は長く続いた。

「魔法使いが死んで、飛空艇乗りが来て……ボク、つまんなくなるなぁ」
「そらまた、どうして」
「だって、あいつらがもう一度ここに来たら、戦争が終わるんでしょ? そしたら、飛空艇乗りが飛空艇乗りになる理由がない。戦場に行く理由がなくなっちゃうから。そしたら、あいつらがこの森に来る理由もなくなっちゃう。ボクに面白い話を持ってきてくれる人もいなくなっちゃうの」

 ——この森は広いけど、三千年を過ごすには狭すぎた。ボクと木は語らえるけど、動けない木が出来る話で過ごせる時には限界がある。狼は気難しいから他所で起こったことを中々話してくれないし、猫はボクを守神として畏れ称えるだけで親しんでくれない。
 ——森に縛られるのは退屈だ。あいつらに会う前のボクならそれでもよかったのだろうけど、今のボクは、あいつらの話を聞いてしまったボクには、もうこんな退屈に耐えられる気がしない。

 ぽつぽつと、気だるげな声に乗せて呟きながら、ラソルは足をばたつかせる。言葉の選び方にしろ、声色にしろ、それは酷く淡々としたもので、彼女にとって心情の吐露以上の意味を持ち得ていないのだろう。だからどうしたとでも言えば途端に力を失くす代物だ。
 だが。
 この俺が、目の前で退屈だと連呼されて、嗚呼そうですかなどと流せるものか。

「俺、“最高神”を一目見たくて旅してんだけどな?」
「最高神? えーとー……『全てなる父(ミズガルズ)』とか?」
「そうそう、それそれ。あんた、見たことあるかい」
「んー。どんな存在なのかってのは何となく知ってるんだけど。でもちゃんと姿を見たってことはないかなぁ」

 えっまさか、と素っ頓狂な一声。間髪容れず、にゅっとラソルの顔がさかさまに伸びてくる。やめろ前が見えん、と思わず大声を上げたら、残念そうにぶーぶー言いながらまた引っ込んでいった。
 不満を表明するように足をぱたぱたさせる妖精へ、提案を一つ。

「会えたら、その時のこと話してやるよ。どんな場所に居て、どんな奴で、それまでにどんな旅をしてきたか。皆あんたに話してやる」
「わぁお、ほんとに? 大歓迎だよ!」
「嗚呼、それであんたの退屈が紛れるなら、喜んで」

 ——旺盛な好奇心のために、その身を滅ぼさずに済むのならば。俺は何度でもここに来て、どんな話でもしよう。

 喋りながら、はしゃぐペタルの姿が一瞬脳裏を過ぎった。
 束の間、場を席巻した気まずさと静謐は、背後から上がったソプラノに打ち払われる。

「わぁ、着いた! 着いたよエディ!」
「えっ!?」
「ほらっ!」

 思わず振り返った先では、俺の背に横座りしたラミーが、目を輝かせながら遠くを指さしていた。その指先を辿って、顔を前に戻せば、俺の目に映るはただ黒々とした闇ばかり。ラミーを探し当てた時と似て非なる、寒々としたものが渦を巻いている。
 何処がどう目的地だ、と毒づきながら一歩踏み出した俺は、二歩目を踏み出すその直前に、足を地面に杭打った。
 ——何か、でかいものが佇んでいる。

「な、なっ……何じゃこりゃぁ」

 魔燈鉱の光にぼんやりと照らし出されるは、真っ白な——巨木。
 何千、いや、何万もの年を重ねたであろう、白樺の老樹だ。

「ラミー、おまっ、これが……?」
「そうじゃないかなぁ? 私良く分かんないけど、そんな気がするよ!」
「間違ってないよ、姫様。その通り」

 からからと朗らかに笑うラミーの声に、やや被せ。
 ひょいと妖精が俺の頭を蹴ったかと思うと、暗闇に慣れ切っていた視界が一瞬、真っ白に染まった。何事かと身構える暇もなく、目はすぐに元の彩を取り戻す。それと同時に、俺のすぐ前方で、重さのある何かが枝と落ち葉を踏み折った。
 目を遣る先には、ミズヒキとトウヒで編んだ花冠を頭に戴く、緑髪翠眼の少女が一人。滑らかな布を重ねたドレスを纏い、四枚の翅をランタンの光に青白く透かすそれは、さっきまで俺の頭の上に居た妖精に相違ないのだろう。けれど今のラソルは何故か、ラミーよりも背が高い——少なくとも、俺の頭の上にはどう足掻いても乗れないサイズまで大きくなっていた。
 どうやって、何の意味があって。言葉に出来ないままぐるぐると頭を巡る問いを、ラソルは一声で断ち切った。


「ようこそ二人とも。生ける砦、『銀嶺の城』へ」

Re: タビドリ ( No.46 )
日時: 2016/03/20 07:52
名前: 月白鳥 ◆8LxakMYDtc (ID: ZExdpBCU)

「すっげぇ……普通に建ってる城と変わんねぇぞ、これ」
「でしょでしょー? ボクを褒めてくれたってよいのだぞー」
「何であんたを褒めるんだよ。猫が建てたもんだろーがこれは」
「何をぅ、ボクだって頑張ってるんだよ」

 端正なモザイク模様を描く大理石の床、点々と壁に灯るランプの灯、白々と光を落とす魔燈鉱のシャンデリア。広間の中央には何かの塔を模した大きな噴水が鎮座し、ざぁざぁと中々豪快な音と共に水面を照り輝かせている。白い石を組み上げた壁には瀟洒なレリーフが施され、吹き抜けの城のてっぺんまで続く回廊と階(きざはし)にも、金や銀で細やかな装飾が描かれていた。
 中の広さも、城と呼ばれるに相応しいだけの規模は十分にある。ラソルの呼称した通り、砦と言って過言でないかもしれない。……何にせよ、此処が生きて葉を付けている樹の内部だとは、言われても十中八九信じられないだろう。

「どしたの、エディ? そんなトコに立ってたら邪魔になるよ」

 そして俺達は、そんな城の出入り口で突っ立つばかり。それは、吹き抜けの塔の威容にちょっと気圧されているってのもあるし、視界一杯に広がる煌びやかな装飾に見惚れてるってのもある。けれど、一番俺の足を竦ませるのは、全身に圧し掛かる異様な静謐だった。
 ——そう、誰も居ないのだ。
 侵入者の一行を警戒して何処かに身を隠している、と言うならまだ分かるが、どんなに神経を尖らせても、それらしい気配すらしない。

「いや……あの、誰もいないのに入っていいのか?」
「構いっこないよそんなの。この城は来る人を拒んだりしない」

 出入りするのに誰かの許可が欲しいなら、森の主たる自分が許可しよう。そう言い切って、ラソルは微塵の躊躇いもなく大理石の床の上を裸足で歩く。ぺたぺたとやや湿ったような足音が、誰も居ない大広間に響き渡った。迷いも遠慮もない様子からして、よく出入りしているのだろう。
 “猫の王”は何処に、と試しに問えば、彼女はうんと背伸びをしながら、塔の最上をまっすぐに指さした。

「普段なら謁見の間に居るんだろうけど、今は具合が悪いからね。自分の部屋に居るよ。一緒に行く?」
「良いのか? 勝手にうろついたら王様に怒られるんじゃないのかい」
「なーに、ボクだってこの城の主さ」

 両手を広げ、綿毛のようにほわほわと笑いながら階段を昇っていくラソル。その歩は羽毛のようにふわふわと軽く、重量を感じさせない。その様子を眺めながら、ついていくべきか否か迷っている間に、妖精はあっと言う間に三階層分の回廊を昇り切っていた。
 これ以上離されると見失ってしまいそうだ。構造自体は単純だが、何しろ此処は生きている砦。何があるか分からない。
 意を決して、どんどん小さくなっていくラソルの背を追った。


「やっぱり、誰も居ないのかな」
「みたいだよぅ。話し声も足音も聞こえないし……」

 上へ足を進めるごとに、空気がひやりと冷たくなっていく。同時に、誰もいない重圧もまた、次第に色濃くなっていく。俺自身の呼吸音と足音、それから時折しゃらんと銀鎖の触れ合う音が響く以外には、俺の周囲に音はない。
 二段飛ばしで階を上がりながら、昇り続けて結構な時が経ったか。ふと手摺越しに見下ろせば、モザイク模様の床は目下に遠く。そして、俺と同じ目線の先には、この城を上から照らす典雅なシャンデリアがある。
 どうやら俺は、無事にこの城の最上部まで来れたらしい。結局ここまで何が起こることもなかったが、むしろ何もないってことは、一応歓迎されているのだろうか。
 頭の中でぐるぐるとものを考えながら、蝋燭のように揺らぐ魔燈鉱の光を呆然と眺めていると、ぽんと横っ腹に軽い衝撃が来た。
 そちらに目をやれば、自称城の主が眠そうに笑いながら俺の背後を指さしている。

「ほら、そこ。おっきい扉あるでしょ」
「ん? 嗚呼……」

 細く白い指の先を辿ると、そこは精緻に組み上げられた白い壁の一角。立ち並ぶ扉の中でも一際立派な、二頭のドラゴンが掘られた扉が、静かに開かれる時を待っていた。
 そこが王様の部屋かい。問いの返事は、応。

「王様にはボクにも用事があるけど、お客様のエディからどーぞ。部屋に入るときはノックじゃなくって、中の猫に声掛けてからね」
「ん、そりゃ分かってるけど——良いのか? 守神と王様の話って大事そうなニオイぷんぷんすんぞ」
「んー、まあ、王位継承しろーって催促しに来ただけだし。大事だけど急ぎじゃないよ」

 王位の継承なんて聞くだに大事そうな話なのに……すげぇアバウトだ。大丈夫なのかこれ。
 生ける城と猫の国の先行きに一抹の不安を抱えながら、恐る恐る樫の扉の前に立つ。

「“猫の王”よ。貴方が俺達の拝謁を許可なさったと遣いから拝聴し、夜分ではありますが参じた次第です。そちらに伺って宜しいでしょうか」

 声の震えを抑え抑え、慣れない敬語を紡いで、その返答を待つ。
 重く、厳かな沈黙が、暫し続いた。


「——御入り下され」

 扉の向こうから投げられた言葉の意味が、許諾であると気付くまでに、随分時を要しただろう。
 やったね。小さな歓声と共に親指をビシッと立てるラミーにただ笑いかけて、俺は金色の豪奢な取っ手に指を掛ける。
 失礼します。まだ震えの収まらない声でようよう一言紡いで、思い切り扉を押した。


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