複雑・ファジー小説
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- 【完結】魂込めのフィレル
- 日時: 2020/08/04 11:29
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)
——その少年の描く絵には、奇跡が宿る。
彼の描いた絵は皆実体化し、生物を描けば動きだす。
天才的な力、絵心師を持つ彼の名を、フィレル・イグニシィンと言った——。
けれど彼はある日、自身の無邪気な性格ゆえに、取り返しのつかない過ちを犯す。
自業自得から始まった長い旅。その長旅の結末とは——?
◇
まとめ読み用! >>1-76
【目次】
前日譚 戦神の宴 >>1-5
【第一部 旅立ちのイグニシィン】>>6-48
一章 イグニシィンの問題児 >>6-11
二章 悲しみの風は台地に吹く >>12-16
間章 その名は霧の…… >>17
三章 収穫者は愉悦に狂う >>18-24
間章 動乱のイグニシィン >>25-28
四章 死者皇ライヴの負の王国 >>29-40
間章 英雄の墓場 >>41-43
五章 最悪の記憶の遊戯者 >>44-48
【第二部 心の欠片をめぐる旅】 >>49-65
六章 災厄の島と伝説の…… >>49-58
七章 希望の花は、もう一度 >>59-65
【第三部 封神の旅のその果てに】 >>66-76
八章 運命神の遊戯盤 >>66-67
九章 文明破壊の無垢なる鉄槌 >>68-70
十章 戦呼ぶ騒乱の鷲 >>71-73
最終章 握った絵筆に魂を込めて >>74-76
◇
2020/7/24 完結致しました。
ここまで読んで下さった方、そして応援して下さった全ての方に感謝を。
フィレルの物語は、この話だけでは終わりません。
いつか書く続編で、またお会いしましょう……。
- Re: 魂込めのフィレル ( No.17 )
- 日時: 2019/06/18 09:49
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)
【間章 その名は霧の……】
風神の神殿を出て、ツウェルの町へ戻る。またイルキスと会えないかなと青みがかった銀の髪を探したが、生憎とそれらしい人物は見当たらなかった。
「まぁ、仕方ないか。風来坊を自称していたし、どこか別の町にでも移動したのだろ……——……ッ!」
言いかけて。
不意に、ロアが顔を歪めて頭を押さえた。激しい頭痛でもするのか、その顔には苦しみがあった。額には脂汗が浮いていた。
「ロア、ロア、どうしたの!?」
彼の尋常でない様子に、心配げな表情を浮かべてフィレルは近づく。フィラ・フィアは癒しの舞を舞おうとしたが、「神様封じに力を使い過ぎたわ」と悔しげに首を振った。
苦しむロア。そんな彼を前に、何もできずにおろおろするフィレル。
と。
——リン。
霧の彼方から聞こえたかのような儚い鈴の音が、ひとつ。
その音のした方を振り向けば、そこには。
「……誰?」
白の、ボサボサの長髪、冷たく澄みきった印象を与える蜜色の瞳。白のローブを身に纏い、足には白のサンダルを履いた、謎の男が立っていた。
男は、口を開く。
「——頭が、痛いか、な?」
凛とした、冷たい声だった。
対するロアは、一言も発することもできない。
男は、言う。
「だろうねぇ。その記憶、私が封じたのだから」
「あんた誰だよっ! ロアに何をしたんだよっ!」
相手の言葉に、フィレルが怒りをあらわにする。
男は泰然として、言った。
「私はそこの少年の記憶を隠した存在さ。今、記憶の一部を返したが、どうかな?」
「ちょっと待ってよ。ロアの記憶を隠した? ロアの過去には何があったの? というか、どうしてそんなことしたのっ!」
憤慨するフィレルの隣、ロアが固まっていた。
頭痛は治まったらしい。その顔には驚きと困惑があった。
「……ロア? 大丈夫?」
心配げに声を掛けるフィレル。
ロアは小さく、呟いた。
「……思い、出した」
その目に浮かんだのは、郷愁のような何か。
その表情を見、フィレルはロアがどこかに行ってしまうような気がして、思わず呼び止めた。
「思い出しちゃ駄目だよ、ロア!」
ファレルもいつしか、ロアの失われた記憶について言っていた。思い出さない方が良いと。忘れてしまったということは、忘れてしまうくらいに、そうやって自己を守らなければならなくなるくらいに、嫌なことがあったのだろうから、と。ロアは失われた記憶を取り戻すことを願っていたが、ファレルはそれによって平穏が失われることを危惧したらしい。ファレルとロアは血のつながりこそないけれど、彼からすれば家族同然の存在だった。
そうやって守ってきた平穏、そうやって守ってきた幸せな日々。
けれどもそのパンドラの記憶の一部が今、謎の男によって強引に取り戻されようとしている。
ロアは呟いた。
「……ノア」
それはフィレルの知らない名前。
ロアはどこか遠くを見るような眼で、夢見るように呟いた。
「大切な存在、だった。誰だったか? 思い出せない。記憶は不完全なままだが、過ごした幸せな日々が、ぼんやりと……」
「ロアッ!」
そんなロアを、背の高いロアの頬を、フィレルは目いっぱい背伸びしてぶっ叩いた。
ぶっ叩かれて、ロアは驚いたように目をしばたたいた。
そんなロアに、フィレルはエメラルドグリーンの瞳に強い輝きを宿しながら、言った。
「思い出しちゃ駄目だってば! その記憶、思い出したらきっと、ロアは僕らから離れちゃうよ。僕はそれは嫌だし、今無事かもわからないファレル様もそれを望んではいないと思うんだ。ロア、ロアはさ、得体の知れない過去の方が、今の僕たちよりもずっと大切なの? ロアは得体の知れない過去の方を選ぶの?」
いなくならないようにとしがみ付いたフィレル。その頭をロアは不器用に撫でて、かすれた声で呟いた。
「……悪かった」
それでもその目はどこか遠くを見ていて。
フィレルは男に向き直った。
「あんた、何者? 目的は何? どうしてロアの記憶を奪っといて今更返したのさ? 答えてよッ!」
男は淡々と答える。
「私はこの世界の霧と灯台の神だよ。霧の神セインリエス、それが私の名前だ。どうしてこのようなことをしたのかと言えば……」
チャンスを与えたかったのもあるけれど、と小さく呟いた、あと。
その瞳に宿ったのは、決して癒されぬ悲しみ。
「生きているのはもううんざりだ。私を殺して欲しいと思ってね」
◇
「どういうこと!?」
驚く一同に、霧の神セインリエスは悲しく笑うだけ。
「誰も私を殺してくれない。人間種族は怖すぎる。ならば繋がりの一部を破壊したら、きっと私を殺してくれるかもしれない? そう思ったけれど一段階目で成功するとは思っていない」
いずれまた会いに来るよ、と彼は底の知れない笑みを浮かべた。
「その時は黒の少年、またあなたの記憶を返そう。ずっとずっと記憶を取り戻したかったのだろう? ならば丁度良いじゃないか。何を恐れる必要がある?」
笑いながらも、霧の男の姿は薄れていく。まるで霧に包まれていくかの様に。
「待て!」
追いかけようとしたフィレルは何かを思い出し、炎の絵を描こうとしたけれど。
既に手遅れ。霧に包まれ、男は消えていった。
ロアはまだぼんやりしていた。そんなロアにしがみついてフィレルは言う。
「思い出さなくていいんだよ。あんな奴の策略になんか乗っちゃ駄目だよ。殺してくれだって? 自殺でもすりゃあいいじゃないか。それに僕らを巻き込むなよッ!」
霧の神は荒ぶる神じゃないの、とフィレルが問うと、フィラ・フィアはいいえと首を振った。
「セインリエスは地上に害をもたらしてはいない。彼は遠い昔に死んでしまった、人間の恋人を求めて死を願うだけ。けれども彼は強すぎて、そう簡単には死ねなくて、死にたいと思いながらも何百年も生きながらえて、悲しみの歌を歌っているだけ」
彼もまた、悲しい神様なのよと目を伏せた。
「それでも、わたしたちを巻き込むのは筋違いだと思う。みんな、あの神様には気を付けて。あの神様は霧のベールに包みこんで、誰かの記憶すらも隠してしまうから」
フィラ・フィアの顔は沈鬱だった。
◇
「次に目指す場所は何処?」
気を取り直して、とフィレルが問うと、フィラ・フィアはフィレルに描いてもらった地図を眺めながらも、頷いて南の町を指した。そこには「エーファ」と書かれている。
「この町の辺りに、死の使いデストリィの神殿があるはず。彼女は決められた命だけを刈り取る死神でありながら、命を刈り取る楽しさに目覚めて関係ない人々も殺すようになり、やがて虐殺者になってしまった神様よ。今もまだ封じられていないのならば、彼女の存在はかなり危険なものだと思う」
オッケー、とフィレルは頷いた。
フィラ・フィアはロアの方を見た。
「過去が気になるのもわかるけれど、あなたはわたしたちの剣であり盾よ。いつまでもセインリエスに引っ張られていないで、しゃんとしなさい」
ロアは頷き、地図の上に鋭い視線をやった。
次の目的地も定まった。旅は順調である。
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.18 )
- 日時: 2019/06/22 17:58
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
ツウェルの町からエーファへ。エーファはそこそこ大きな町で、街道もそれなりに整備されており、旅に特に不便は感じなかった。
そしてたどり着いたエーファの町。町の入り口には大きな門があり、町の周囲をぐるりと城壁が取り巻いている。
門には番人のような男がおり、どうやらこの男に認められないと門をくぐることはできないらしい。
フィラ・フィアは難しい顔をした。
「この町に来た目的を言わないといけないようね……。でも、素直に喋ったら信じてもらえるわけがないわよね。——そう、イルキスの時みたいに」
「だよねぇ。どうすればいいんだろ? 普通に『入れてー』って言えば通してくれるかなぁ?」
「そんなので通ったら町の警備はどうなってるんだって話だよ。何か良い言い訳を考えないとな」
ロアは難しい顔をする。
街道を通る人は皆検問を受け、その後で町の中に入っているらしい。
そこでフィレルはぽんと手を叩き、小脇にキャンバスを抱えて、門番に近づいた。「お、おい?」戸惑うロアの声に、大丈夫だよと親指を立てて見せながら。
フィレルは「何の用だ」と声を投げる門番に、最高に無邪気な笑顔を向けた。
「僕はフィレルぅ! 旅の絵描きだよぅ。あのねー、今ねー、いろんな町を回っては絵を描いてるの。こっちの町の風景も描いてみたいなぁって、ね!」
無邪気に笑う少年の姿に毒気を抜かれたのか、ああ、と門番は頷いた。
「わかった、通って良し!」
「あっちの仲間も一緒でいーい?」
「構わない。次!」
言って門番は、次の通行人の検問に入っている。
仲間の元にたどり着いて、フィレルはやったねと笑った。
フィレルの明るさや無邪気さは、確かに彼に禁忌を犯させたけれど。それは意外なところで役に立った。
実際、「僕も町の風景とか描いて、記念にとっておこうかなぁ」などと本人も言う始末。これをまさか違う目的で町に入ろうなどとは思うまい。「そんな暇なんてないわ」と実際、フィラ・フィアに止められたが。
「とりあえず第一目標は達成できたわ。後は情報収集、ね!」
言葉と共に歩きだすフィラ・フィアの後に続いて、フィレルとロアは門をくぐった。
町の中に入った時、ロアは違和感を覚えた。
「ロア、どうしたの?」
ふと眉をひそめた相棒に、フィレルは気遣わしげな声を掛ける。また頭痛が再発したとでも思っているのか。
ロアは難しい顔で答えた。
「いや……何だか、皆に見られているような気がするのだが……気のせいか?」
「外部から来た僕らが珍しいんじゃない。確かに最近はさぁ、旅の絵描きとか減ったしさぁ」
「そうだといいんだが……」
ロアは難しい顔を崩さない。
まぁとりあえず、とフィラ・フィアがまとめた。
「違和感の原因は後で突き止めるとして……今、大事なのは情報収集よね。あれから三千年。死の使いデストリィは今、どうしているのか。それが知りたいわ」
「……だな」
そこへ。
「ねぇねぇ旅の絵描きさん。今、『デストリィ』って言った? それならぼく、知ってるよ!」
会話の端を聞いて、フィレルよりもさらに幼い、可愛らしい顔をした少年が声を掛けてきた。
くるくるとカールした、癖っ毛ぽい淡い金髪、海をその奥に封じ込めたかのような、深く美しい碧の瞳。純白の衣装を身に纏った少年は、まるで天使のようだった。
彼は言う。
「旅の勇者さん、お願いなんだよ。出来るならあんな神様、倒しちゃってよぅ!」
少年はティムと名乗った。彼の話によると、死の使いデストリィは毎週一人の生贄を求めるらしい。逆らえば町の全ての住人を大虐殺する、つまり生贄は町を守るための仕方のない犠牲なのだという。そして生贄として差し出された人間は、次の週には見るも無残な姿で帰ってくるという。
「ぼくの父さん、生贄になって帰ってきたよ。見ないで、って母さんがぼくの目をふさいでたからどうなったのかは知らないの。でね、その母さんはそのまま弱って死んじゃった。今は姉さんがぼくの面倒を見てくれているの」
そう、少年は淡々と告げた。
「ずっと昔からそう。デストリィは生贄を求めるの。でも、ぼくらはそれでもこの町を捨てられないんだ。この町を見た? 海が近いから魚も取れるし、港があるから貿易も盛ん。太陽もよく当たるから農作物も立派に育つし、家畜だってまるまる太ってる。場所だけならば最高の町なんだよね」
ぼくらの祖先は、貧しかった北方から逃げてきてこの町を見つけたんだってさ、と彼は言う。
「だから今更帰れないの。だから犠牲は仕方ないもの、この町を守るための人身御供なんだってさ」
「なんてこと……」
フィラ・フィアは思わず顔を覆った。
しかしその原理は当然とも言えて。
大を生かすためならば、小を切り捨てることを厭わない。隣で誰かが泣いていても、それが集団を生かし、守る唯一の方法ならば仕方がない。
そんな負の連鎖が三千年も、この町で続いてきたというのか。否、多少町が変わっても、この地ではずっとそんなことが起きていたというのか。神に歯向かった町は虐殺という名の粛清を受けるが、土地条件が良いために、気が付いたらそこには新たな町ができている。そして神は再び生贄を求める……。
そこで、とティムは一同をすがるような眼で見上げた。
「生贄はくじ引きで選ばれるんだ。でね、先週のくじ引きでね、とうとうぼくの姉さんが、残った唯一の家族がさぁ、選ばれちゃったんだよぅっ!」
彼は泣きそうな顔をした。
歳は多く見積もっても十歳になるかならないか。そんな子がいきなり家族を全て失うことになったとしたら。そして家族のうち二人が生贄としてささげられることになったとしたら。その悲しみは、やるせなさは、いかほどのものか。
口をきゅっと引き結んで、それでも泣くまいとした少年。彼に目線を合わせ、フィラ。フィアはそっと、その細い肩に触れた。赤い瞳が純粋な怒りを宿している。
「大丈夫、大丈夫よ。わたしが封じる、わたしが何とかするから。わたしたちは今ね、悪いことをする神様を封じる旅に出てるのよ。デストリィも封じるから、安心して大丈夫。あなたの姉さんは死なないわ。約束、する」
ほんとうに? と言う少年に、ほんとうよ、とフィラ・フィアは強く頷いた。
良かったぁ、と少年は嬉しそうな顔をした。
「やったやったやったぁっ! わぁいわぁい、ありがとうっ!
……あれれぇ? でもさぁ、デストリィは強いんだよぅ? 町の大人たちでも倒せなかったんだよぅ? 確実に倒せるって自信はあるの?」
それは、とフィラ・フィアは言い淀みかけたが、あるよ! とフィレルが力強く笑った。
「僕はただの絵描きってだけじゃないもん。描いた絵を実体化させる、『絵心師』だもん。そこのフィラ・フィアは神様さえ封じられる『舞師』だし、ロアもすっごく強いんだからっ!」
相手の言葉を聞いて、少年はおかしそうに笑った。
「はははっ、神封じのフィラ・フィアだって? そんなのがいたら心強いねぇ」
彼は明らかに本気にしていないようだったけれど。
それでも、フィラ・フィアは強く言った。
「わたしはフィラ・フィア、神封じのフィラ・フィアよ。信じてくれなくてもいい。でも、これだけは信じて、ティム。
——わたしはこの悪夢を終わらせる」
強い決意で放たれた言葉に、お願いねとティムは頷いた。
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.19 )
- 日時: 2019/06/24 11:59
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
折角だから泊まってってよ、というティムの言葉に甘えて、デストリィ戦への英気を養うためにも、フィレルらはティムの家に一晩だけ、厄介になることにした。ティムの家はそこそこ大きく、親がそれなりに裕福であったことがわかるような作りだ。
「初めまして。ティムの姉、ティラですわ」
ティムに案内されて立派な柱時計のある応接間に通され、しばらくして、そこからティムと、一人の少女が現れた。
歳は十九、二十くらいか。艶やかで美しい黒髪を背中に垂らし、その瞳は憂いを含んだ紫。ワインレッドのワンピースに身を包み、白い靴下、黒い革靴を履いている。人形のような少女だった。
彼女は問うた。
「ティムから聞きましたけれど……あなたがたが、デストリィを倒して下さる勇者様ですの?」
ええ、とフィラ・フィアは頷いた。
「ティムと約束したの。わたしたちが、絶対にあの神様の横暴を止めてみせるって!」
「そう……」
ティラは頷き、艶やかに微笑んだ。
「それはそれは、非常にありがたいですわ。わたくしはまだ、死にたくはないのです。殺されたくはないのです。あんなに無残な姿になって、苦しみぬきたくはないのですもの。あなたがたがわたくしたちの希望の光、わたくしの未来は託しましたわよ」
「託されたわ! ええ、任せなさい!」
強く答えるフィラ・フィアに、紫の眼差しを向けて。
「では、素敵な晩餐に招待いたしますわね。ああ、遠慮はなさらないで。わたくしたちの、感謝の気持ちですの。素直に受け取って下さると助かりますわ」
言って、彼女は部屋を出た。その後ろでティムが、「しばらく待っててね。できたら呼ぶから!」と声を掛けてから、姉の背中を追い掛けていった。
「妙なことになったな」
二人が応接間の扉を閉めてから、ロアがそんなことを言いだした。
そうかしら、とフィラ・フィアが首をかしげる。
「神様に虐げられている人々がいる。ティムくんのあの表情を覚えているわよね? ならばそれを助けるのがわたしの使命よ。ツウェルでは神様を信仰していたみたいで人間と神様の関係はここほど悪くはなかった。でも、ここの神様はそうじゃないし、だからこそしっかり封じないと。何がおかしいの、ロア」
「それはわかってはいるんだが……」
彼は妙に納得のいかない顔をしていた。
「まぁ、なるよーになるよ!」
フィレルは何処までも楽観的である。
ロアは相変わらず、どこか腑に落ちないような顔をしていた。その顔がどこか遠くを見るように、ふと細められた。
「ノア……」
知らず、呟かれたのは、霧の男がロアに思い出させた名前。
フィレルの知らない過去、パンドラの記憶。
ロアは、言うのだ。
「あの少年……ノアと、似ているような……? というかそもそも『ノア』って誰だ?」
思い出せない、と言うロアに、思い出さなくていいとフィレルは言った。
それでもその目は遠くを見たままで。
それはロアの問題だ。いくらフィレルが『思い出さなくていい』と言ったって、考えてしまうものは考えてしまうのだろう。
ただ、フィレルの心の内には嫌な予感があった。
——ロアが全てを思い出したら、僕らの幸せは崩れ去ってしまう。
霧の男の言い草からして、ロアの失われた記憶は決して、良いものばかりではないことがわかる。記憶を失い、自分をそうして守らなければならないくらい最悪な出来事が起きた可能性だってある。だって今は戦時中なのだ、何が起きたっておかしくはない。
それを思えば検問もなかったツウェルの町は開放的なところだったなぁとフィレルは思いを馳せた。
何はともあれ。
「ま、とりあえずご飯を待とーよ」
楽観的なフィレルは、あまり深く考えない。
◆
丁度その頃。
「入って良し!」
「どうもね」
検問をくぐってきた一人の青年がいた。
頭の高いところで括られた、青みがかった銀の長髪、海を写し取ったかのような深い碧の瞳。魔導士めいてはいるが、ローブの腰のところをベルトで留めて動きやすくし、裾もたくしあげて焦げ茶のブーツを履いている。
青の瞳の奥にきらめく諧謔の光を浮かべた青年は、町に入るとぐるり辺りを見回した。
「きっと次はデストリィだから……この町、だよねぇ」
彼は一回引き返すと、検問の人に尋ねた。
「ねぇねぇ、この町に絵描きの男の子と黒の剣士と、踊り子の少女の三人組が来なかったかい?」
「ああ、来たぞ。旅の絵描きなんて珍しいからよく覚えているんだ。知り合いかね?」
「ま、そんなものかな」
ありがとうと検問の人に礼を言い、青年は難しい顔をする。
「この町って何も知らない人には、否、この町を知っている人にだって危険なんだよね。あの一団は恐らく何も知らないだろうけれど……」
青年は右足を大地に打ち付けた。途端、周囲に冷たい風が吹く。町人たちはそんな魔法を使った青年を驚いたような眼で見つめ、青年は冷たい声を放った。
「この町についてはよく知っているよ。言っておくけれど、ぼくに手出ししようと思うなんて無謀だからね。僕の魔法ならば、人間くらい簡単に八つ裂きに出来るんだ」
冷たい声での威圧に怯え、町人たちは彼から距離を取っていく。
それでいい、と彼は呟いた。
「うう……あの毒のせいで病弱体質が復活しそうなんだけど。でもまぁ、仕方ない仕方ない。今夜は野宿するしかないかな」
その身体を震わせ、軽く咳き込みながらも青年は呟いた。
◆
- Re: 魂込めのフィレル ( No.20 )
- 日時: 2019/06/27 11:29
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
「ご飯、できたよーっ!」
それからしばらく。
天使のようなティムが、フィレルたちを呼びにきた。
「あのね、姉さんが頑張って作ったの。ぼくも手伝ったの。すっごくおいしいから食べてねっ!」
無垢な笑顔に案内されて、一同は食事の間へと向かう。
食事の間には、立派な料理が用意されていた。
子羊の照り焼き、オマール海老のスープ、新鮮野菜のサラダに特製ドレッシングがたっぷり。そして小麦のふわふわのパン。
「わぁ、美味しそうっ!」
目を輝かせるフィレルに、いつの間にか現れたティラは微笑みを向けた。
「喜んで下さって何よりですわ。さぁ、お召し上がりになって」
「みんなは食べないの?」
「客人が先に食べるのが礼儀というものでしょう」
彼女の微笑に誘われて、フィレルは料理を口にした。おいしい、と目を輝かせ、もりもり食べる。その勢いにつられてか、ロアとフィラ・フィアも恐る恐る料理に口をつけた。咀嚼して呑みこみ、それぞれに感想を言い合う。
が、その瞬間。
「あれれぇ……?」
ぐらり、傾いたフィレルの身体。
「おい、フィレ……」
その背を支えようとしたロアの身体も、崩れ落ちた。
「……ちょっと、あなた、たち」
二人と同じく崩れ落ちながらも、フィラ・フィアは信じられないという顔をした。
「わたしたちに……毒、を?」
がたん、落ちてきた料理の皿がフィラ・フィアの銀の腕輪に当たった。当たったそこが黒く染まる。——毒がある、証拠だ。
フィレルらの視界に、姉弟の顔が歪んで映った。
「誰があのデストリィを倒せるなんて信じるかな。悪いけれど、きみたちには姉さんの代わりに生贄になってもらうから」
二人は最初から信じてなどいなかったのだ。二人は余所者が町に来たと知ったときから、計画していたのだ。
——その余所者を捕まえて、デストリィに、自分たちの代わりとして差し出そうと。
そうすれば、確実に自分たちは死なないで済む。そうすれば、確実に悲しみの未来を回避できる。
相手がいくらデストリィを倒すと口にしたって確証はない。ならば確実に、自分たちが助かる方法を——選ぶ。
その行動原理は理解できたけれど、騙された、という絶望は深くて。
しかし今更何か描いて攻撃しようにも、身体に力が入らなくて。
明滅しながら、少しずつ暗くなっていく視界。闇に落ちようとする意識を懸命に呼び戻そうとしたがうまくいかない。
「騙した、な……」
悔しそうなロアの声を耳に聞きながら。
抗えず、フィレルの意識は闇に閉ざされた。
◇
次に目が覚めた時、フィレルらは縄で縛られて、一つの部屋に転がされていた。
「調子はいかがですの?」
声に視線を向ければ、そこには黒髪の美しい少女。
フィレルは彼女に恨めしげな目を向けた。
「悪いよぅ、すっごく悪い! さっさとほどいてよっ! 僕らにはまだまだやることがあるのっ!」
「それはできない相談ですわ。ああ、でも大丈夫。『やること』なんてもう、永遠にやらなくてよいようになりますもの」
「……僕らを、どうする気」
「決まってますわ」
彼女は優雅に微笑んだ。
「わたくしたちの代わりにデストリィの生贄になっていただき、地獄の責め苦を受けていただくだけ。最終的には命も奪っていただけますのでご安心あそばせ。わたくしたちの代わりに、あなたがたは尊い犠牲になるのですわ」
「……っ、ふざけるなよなっ!」
その身勝手な言い分に怒ったフィレルは、縄から逃れようともがくが、力が入らず、その身体はただ無駄に体力を使うだけ。
「抵抗するだけ無駄ですわ。さっさと運命を受け入れた方が楽になれましてよ」
そんな捨て台詞を残して彼女はいなくなった。
「……あいつめ」
フィレルの隣で、目を覚ましたらしいロアが毒づいた。
彼も先ほどから縄から逃れようと試行錯誤しているようだが、どうにもうまくいかないらしい。
そんな二人の隣で、目を覚ましたフィラ・フィアが、ぽつりと呟いた。
「……絶対に何とかするって、約束したのに。あっちも信じてくれたはずなのに」
彼女の瞳は悲しげだ。
「わたしたちは裏切られたのね。善良そうな人たちだと、思ってたのに」
「……人は見かけによらないってことだな」
ロアは悔しそうに歯を噛み締めた。
そして、時が来た。
「生贄さーん、時間だよー」
そんな声とともに、天使のような顔のティムが扉を開けた。
彼の後ろに続くのは、何人もの大人たち。彼らは目の前に転がされているフィレルらを見、確認するように言った。
「こいつらがお前の姉さんの代わりの生贄でいいんだな?」
うん、とティムは頷いた。大人たちは「わかった」と言うと、無造作にフィレルらを肩に担ぎあげた。
「わわっ、何するんだよぅ」
「いいから黙ってろ!」
びっくりして声を上げたフィレルは頭を殴られ、涙目で大人たちを見た。
そうして彼らは連れていかれる。予期せぬ形で、全身を動けなくさせられた状態で、死の使いデストリィの神殿へと。
大人たちに連れていかれる。ティム姉弟の家の前でティムはフィレルらを見送っていた。最後、その唇が「ごめんね」という言葉に形作られた。もしもこんな形で出会わなかったのならば、彼らは友達になれたのかも知れないのに。
裏切られたことへの苦い思いはあったが、フィレルの脳裏には、ティムが最後に見せた表情が離れずに繰り返し浮かんでいた。
その表情は、罪を覚悟で、それでも自分たちが助かろうとして罪を犯した、それは一種の誇りのようなものであった。
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.21 )
- 日時: 2019/07/01 12:51
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)
どさり、投げ出された身体、感じた衝撃。石の冷たい感触、ひんやりとした空気。「一応返しとくぜ」隣に荷物も放り投げられた。
デストリィの神殿についてからしばらく。フィレルらの身体は神殿の奥にある祭壇の前に投げ捨てられた。当然ながら、縄は解かれないままで。
「しばらくしたらデストリィが来る。一週間後にはおまえたちは、見るも無残な遺体となって捨てられるだろう。この町に来たことが運の尽きだ、旅の絵描きさんよぉ? ま、せいぜい、自分の悪運を恨むこったな」
そう、大人の一人は言って、フィレルらを置いて来た道を引き返していった。
フィレルらの意識はこの頃には既に完全覚醒していたが、今の状況の打開策が浮かばない。意識はあっても毒のせいか、全身は異様なだるさに包まれていた。
そして、
◇
「——あなたたちが、今回の生贄?」
空間を裂いて聞こえた声。それは淡々とした、少女の声。
灰色の、ショートボブの髪。感情を湛えない、無機質な白の瞳。頭には黒いリボンがついていて全体に白っぽい灰色のフリルのついた、灰色のヘアバンド。胸元にはフリルのついた、手の大きさほどの黒いリボン。灰色のワンピースに、白いフリルが要所要所についている。太ももまである白のロングソックスを履き、黒の靴。ロングソックスは素肌は見えないギリギリ位までワンピースの丈はある。その手には真っ白な刃のついた、大きな鎌があった。
全体的に、どこか死神っぽい印象のある、無機質な少女だった。彼女は名乗る。
「わたしはデストリィ。死の使いにしてこの神殿の主。あなたたちがわたしのおもちゃ? ここにいるということはきっと、そういうことなんだよね」
フィレルはその意外さに驚いた。デストリィの別名は「愉悦に狂った収穫者」。そのあだ名の通りに、もっと狂った外見を想像していたのだ。
彼女は面白そうな顔で、フィラ・フィアを見た。その顔に輝いたのは好奇心。
「へぇ、あなたは封神のフィラ・フィア? 生きてたんだ。死んだはずだよね、ずっと昔に。どうして生きてるの?」
彼女の質問に、フィラ・フィアは唇をきっと引き結んで相手を睨んだ。
「あなたの質問に答える義理などないわ。そんな顔をして、あなたが散々ひどいことをしてきたのは町の人から聞いているの」
「へぇ、そう。まぁいいや。
でも、あなたたちは今回、わたしの生贄として選ばれた、わたしの玩具として選ばれた。なら……」
デストリィは面白そうに笑った。
その白の瞳に狂気が宿る。
「——壊しちゃったって、いいよねっ!」
言葉と同時、彼女は手にした鎌を振る。ぐるり描かれた半月の軌道、鎌の動きに合わせて無数の小さな白刃が現れ、縄に縛られたままの、無防備なフィレルらに迫る。
「くそっ!」
ロアが毒づき、縄の拘束から逃れようと必死でもがくが抜けられない。そして非情にも迫る刃。
その、刹那。
柔らかな風が、吹いた。
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