複雑・ファジー小説
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- 【完結】魂込めのフィレル
- 日時: 2020/08/04 11:29
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)
——その少年の描く絵には、奇跡が宿る。
彼の描いた絵は皆実体化し、生物を描けば動きだす。
天才的な力、絵心師を持つ彼の名を、フィレル・イグニシィンと言った——。
けれど彼はある日、自身の無邪気な性格ゆえに、取り返しのつかない過ちを犯す。
自業自得から始まった長い旅。その長旅の結末とは——?
◇
まとめ読み用! >>1-76
【目次】
前日譚 戦神の宴 >>1-5
【第一部 旅立ちのイグニシィン】>>6-48
一章 イグニシィンの問題児 >>6-11
二章 悲しみの風は台地に吹く >>12-16
間章 その名は霧の…… >>17
三章 収穫者は愉悦に狂う >>18-24
間章 動乱のイグニシィン >>25-28
四章 死者皇ライヴの負の王国 >>29-40
間章 英雄の墓場 >>41-43
五章 最悪の記憶の遊戯者 >>44-48
【第二部 心の欠片をめぐる旅】 >>49-65
六章 災厄の島と伝説の…… >>49-58
七章 希望の花は、もう一度 >>59-65
【第三部 封神の旅のその果てに】 >>66-76
八章 運命神の遊戯盤 >>66-67
九章 文明破壊の無垢なる鉄槌 >>68-70
十章 戦呼ぶ騒乱の鷲 >>71-73
最終章 握った絵筆に魂を込めて >>74-76
◇
2020/7/24 完結致しました。
ここまで読んで下さった方、そして応援して下さった全ての方に感謝を。
フィレルの物語は、この話だけでは終わりません。
いつか書く続編で、またお会いしましょう……。
- Re: 魂込めのフィレル ( No.37 )
- 日時: 2019/08/05 11:47
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
骸骨が、縛った大人しそうな少女をぶん投げた。少女は紙飛行機に衝突し、生まれた炎に、悲鳴を上げながらも包まれる。そしてその隙にライヴが手で指示を出すと、
残りの少年少女の頭が、骸骨の腕で砕かれた。
悲鳴、そして飛び散った脳漿ともう頭の形をしていない歪《いびつ》な頭部。辛うじて見える虚ろな目玉が、その人がかつてその人だったことを感じさせてさらに不気味だ。その場は一瞬にして地獄と化した。思わず目を覆いたくなるような、目も当てられぬ深紅の光景。
フィレルは知っていた、物語の法則として知っていた。
——「一度死んだと思われた仲間が何らかの形で生かされ、その後に囚われた状態で再会する時。大抵の場合は殺され、助けに来た仲間に絶望を与えるためだけの道具となる」ということを。
そうさせないためにも呼び出したのに、全ては無駄だった。
悲痛な叫びが神殿を震わせ、その叫びを聞いて死者皇は笑う。
『さぁ、新たな僕の民だよ、動け』
そして頭を砕かれて死んだはずの二人が動き出す。燃え上がった少女もまた、燃えながらも動き出す。
そう、今まさに彼らを救わんとしていた、フィレルらの方へ。
フレイリアがへたり込んだ。あの強かったフレイリアが。
皆、状況が見えてきたのだ。皆、少しずつ分かってきたのだ。死者皇ライヴが三人を生かし、最終的に何をやりたかったのか。
彼はみんなの目の前で三人を殺し、その上死んだ三人に強引に生命の力を与え、自分の国民とした上で侵犯者に歯向かわせる心づもりだったのだ。そのために生かした、そのために殺さなかった。——侵犯者の心を、折るために。
『侵犯者に裏切り者が現れた。しかし裏切り者はよく知る顔だ。さてどうする? 王はただ命じるだけ、自分からは何も動かない』
「貴様ァッ!」
激怒したフレイリアが荒れ狂う風を身に纏い、爆発させた。衝撃波となった風がライヴを襲う。それを予期したのか、死者皇はすっと玉座の陰に引っ込んだ。
フレイリアは本気で怒っていた。
「死んだと——あの人たちは死んだと! 思ってたんだ、思ってたのよ! なのに生きていると希望を抱かせてその上で希望を叩き折るとか! 命を弄ぶのも大概にしなさいよねぇあなたッ!」
『命をあげるだけじゃつまらないから。奪ったり弄んだりしたっていいじゃないか。だって僕はこの王国の王様だもの』
対する返事は何処までも淡々と。フレイリアの叫びに堪える様子もないようだ。
そもそもこの神に良心の呵責なんて、そんなものなど存在しないのかも知れない。
そんな様をきゅっと唇を引き結んで見詰めながらも、慎重に舞い始めるフィラ・フィア。フレイリアとライヴが対立している内に封印を済ませるつもりだろうか。それに気が付き、ロアがそっと彼女を守るように寄り添った。イルキスは複雑な表情で神と人間との対話を見詰め、イシディアとシュウェンはまだ動揺から立ち直れてはいない。
そんな周囲に気を使う余裕なんてなく、フレイリアはただ自分の思いのたけを吐きだした。
「王様だからって好き勝手するなんてこの私が許さないッ! 許されたいなんて思ってない、ってあんたが言ったって私の気持ちは別物だッ! 私はねぇ、学院を、託されたのよ。だからこれまでずっとずっと守ってきた。でもその結果がこれなの、仲間のこんな無残な死なの!? だから私は守り切れなかった自分を許せないし、命を命と思っていないあんたを許さない。生命の神? どこが! 生命の名が聞いて呆れるわ!」
ユヴィオールに託された学院。彼との出会いと別れによって変わった自分。
フレイリアの心には強い使命感があったのに、強引な手段で大切な仲間を奪われた。
彼女の語った物語を、フィレルは思い出していた。
動きだす死者たち。それは顔を半分崩壊させてはいたが、紛れもなくその顔はフレイリアの仲間のもの。死んだ仲間をもう一度殺すなんて非道、行うのは辛すぎる。しかしこのままではこの仲間の顔をしたゾンビに殺されてしまうから、それだけは決して望まぬ結末だから。
「何、呆けているのみんな。今目の前にいるのはもう、ヴァイルでもリッカでもエレンでもないわ、みんなの顔をかぶったゾンビよ。ならば彼らを恐れる必要なんてどこにある? みんなは死んだのよ、ええ。帰らなかったあの日から!」
立ち上がりなさいと彼女は鼓舞する。
その後ろで着々と作られていく虹色の鎖。
しゃん、澄み渡った錫杖の音が狂った理性を正していく。
それに気がついた死者皇が、フィラ・フィアと彼女を守るように立つロアに金色の目を向けた。
『……不意を打って王を封じようとしたのかな封神の姫? だがそう簡単に行くと思うのは間違いだ、身をもって知るといいよ』
刹那、死者皇が、動いた。赤い裏地の黒いマントが翻る。
死者皇ライヴは生命の神。彼は死者を使役するが、その手で触れれば生者から生命力を抜き取り死者にすることもできる。その彼が、直接動いた。その意味。
『もう二度と蘇れないように、その命、食らってあげる』
高速で迫ったライヴの手。それを防ごうとロアが剣を構えるが——。
「ロア、死んじゃうよッ!」
フィレルの悲鳴。死者皇ライヴがにやりと笑った。彼のターゲットはロアに移った。ロアさえ倒せばフィラ・フィアは無防備だ、それをわかっているから。それでもロアはその場を動かないだろう。動いたら全てが終わる、それをよくわかっているから。
『邪魔をする者は全て死ぬ。王国の律法からは誰も逃れられないよ』
ライヴの手とロアの剣がぶつかった。直接触られてはいないが、ロアの表情が苦痛に歪む。破滅の未来を回避しようとイルキスとフレイリアが風を送るが死者皇はびくともせず、イシディアが炎を送ろうものならばライヴの使者たちが自ら犠牲になって食い止める。
やがて。
「く……ッ!」
ライヴの手によって弾かれた剣。銀の軌跡が宙を舞う。フィレルの悲鳴。ライヴはその口元を歪め、ロアの心臓に手を押しつけようとした、
刹那。
「——させないよッ!」
死の覚悟を秘めた声が、した。
ライヴの動きが止まる、否、強引に止められる。
イシディアが驚愕の叫びを上げた。
「シュウッ! お前——!」
- Re: 魂込めのフィレル ( No.38 )
- 日時: 2019/08/07 11:45
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
シュウェンは、叫んだ。
「死んだって構わないさ! 僕の命を以てこの悪夢を終わらせられるのならば! 犠牲がなければクリアできない難題ならば、僕が! その犠牲になってやる! 僕しかいないんだ、大地使いの僕しかいないんだからッ!」
僕が死んだら医務室にはレーニャを置いてよねと彼は笑う。
そのはしばみ色の瞳の意志は、揺らがない。
死者皇ライヴがそんな彼を見て、凄絶な笑みを浮かべた。
『へぇ、邪魔するんだ、この期に及んで! ならば望み通り君には死をプレゼントしよう。そして僕の部下として使ってあげる!』
「やめろォォォォォォオオオオオオッ!!」
「シュウッ!!」
イシディアの叫びとフレイリアの悲痛な声。
ライヴに絡みついていた蔦が端から白化していき崩れ落ち、しがみついていたシュウェンに迫る猛烈な死の嵐。
シュウェンは口の動きだけでこう言った。
——『後を、託すよ』
そして次の瞬間、それはシュウェンに届いた。シュウェンの肉体が瞬く間に老いて老人のものとなり干からびて朽ちて骨になって骨さえも朽ちて、
ついには何も残らなかった。
そこにはつい先程まで、優しくやや内気な少年が、いたのに。
彼の身に纏っていた魔道学院の制服が、主を失ってはらりと落ちた。
その瞬間、完成した封神の魔法陣と虹色の鎖。フィラ・フィアは鬼の形相を浮かべながらも勝利を宣言する。
「シュウェンの死は無駄にはしないわ! 封じられよ、死者皇ライヴッ!」
虹色の鎖が回転し、忌まわしき死者の王を縛る。ライヴはそれでも笑っていた。それは最悪の笑顔だった。
何かが割れるような音がする。死者皇ライヴは禍々しい深紅の宝石となった。もう二度と悪さはしない、王国の主は封じられた、それはわかってはいるけれど——。
イシディアはよろよろと、つい先程までシュウェンが身に纏っていた魔道学院の制服を手に取った。それはまだ温かくて、ほんの少し前まではそこに、確かに命があったんだと実感させる。
「シュウ……お前、無茶しやがっ、て……!」
イシディアはシュウェンの服に顔をうずめ、声を上げて慟哭した。悲痛な長い叫びが神殿を震わせ、悲しみで全てを覆い隠していく。話しぶりからイシディアとシュウェンは一番の親友だったのだろう。だからシュウェンを死なせないためにイシディアがついて行ったのに……結局、シュウェンは死んでしまった。イシディアの嘆きは深いだろう。
フレイリアの瞳にも涙があった。しかし彼女は大きく首を振ると、強い瞳で前を向き、両の足を踏ん張った。踏ん張らなければくずおれてしまいそうだった。彼女の身体は大きく震えていた。
ぽつり、その口から呟くように発された言葉。
「死ぬ可能性は考慮してる、そうは言ったけど……言った、けど……!」
死者皇ライヴの封印により、生ける死体にされていた三人の仲間もただの死体に戻っている。この惨状では遺体を学校に運ぶことなど到底不可能だろうし、ゾンビとして操られていたなどと、彼らの家族や友人に報告できるわけがない。
「……燃やして」
ぽつり、彼女は言った。
「シュウの服は持って帰るわ。でもそれ以外は……燃やして、しまいましょう。それが私たちに出来る供養だから。このままにして帰ったら、みんなあまりに可哀想だから」
できる? と彼女がフィレルを見ると、フィレルは真剣な瞳でうんと頷いた。
スケッチブックに絵を描く、思いを込めて絵を描く。フィレルの腕は震えていて、描かれつつある炎の絵が、何度もブレる。
「……僕、さ。誰かが死んだのを見るのは、初めて。死ぬってこんなに悲しいことなんだね。僕、この光景、一生忘れないよ。こんなに悲しい光景、忘れられないよ……」
神妙な顔でフィレルは言った。
その言葉に反応し、ロアが妙な呟きをした。
「……死ぬ、か。誰かを失う、か」
「ロア、どうしたの? また“過去”のこと?」
考え込むロアに、炎を描きながらもフィレルが問うた。スケッチブックの上には繊細な作りの美しい炎が描かれつつある。
ロアは両手で頭を抱えた。その瞳が少しずつ狂気にも似た何かに食われつつある。
「失う……大切なもの……永遠の喪失……嘆き……怒り、憎しみ!」
ロアは目を大きく見開いた。気がついてはならないものに気がついたような顔だった。
ロアの瞳は、横たわるヴェイル、リッカ、エレンを見ていた。三人の、頭を潰された無残な死に様がロアの記憶の中の誰かと重なり、それが激しく共鳴し合う。フラッシュバック。最悪の記憶がロアの中で蘇り——
「ノア……!」
「——ロア、目を覚ませぇっ!」
描き途中の絵もそのまま放りだし、フィレルはそのか弱い腕で、精一杯ロアの頬を殴った。それでもロアの瞳の狂気は変わらない。途方に暮れかけた時、不意に感じたのは湿ったにおい。そして、声。
「……やれやれ。手間が掛かるねまったく」
- Re: 魂込めのフィレル ( No.39 )
- 日時: 2019/08/09 10:27
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
声と同時、ロアの瞳が虚ろになる。
そこにはいつぞやの霧の男が立っていた。
「何しに来たの霧の神様。永遠の孤独が辛いなら、わたしが封じてあげるわよ?」
フィラ・フィアが敵意を剥き出して相手を睨んだ。そう怒らないでくれと、降参するようにセインリエスは両手を挙げた。
「封じるだけじゃあ足りないんだよ。私は死にたいんだ、封印が解けた時、また孤独を味わいたくないんだわかるかい? それに今回は記憶を返すのではなく、再び封印しに来ただけだから。“あの記憶”を今ここで戻させるわけにはいかないんだ。物事には順序ってものがあるからね」
今回だけは味方だよと、彼は底の知れない笑みを浮かべる。
「ああ、でも私が少し記憶を返しただけで、封印が結構緩くなっちゃった、ってことなのかな?
君たちに忠告だ。もしもこのままずっと幸せでいたいなら、ロアに無残な死体を見せるな。特に彼よりも幼い少年少女の死体は厳禁だ。最悪の記憶がフラッシュバックして、ロア自身が壊れるからね」
「……ロアは、さ」
フィレルが真摯な瞳を相手に向ける。
「過去に、さ。一体何があったの。どうして記憶を封じられなければならないの」
「心が壊れるほどの悲惨な出来事が」
霧の男セインリエスは、読めない表情を浮かべてそう言った。
「だから私はチャンスをあげたんだ。ロアがもう一度、幸せな人生を送れるように。でも……壊して、みたくなったのさ。ロアは今、実力の半分も出せてはいないんだよ絵心師さん。そのロアが本気を出したらきっと——私を殺してくれると、そう思ってね。だから一度壊れたのを直してまた壊し、最初に壊れたのよりもさらにひどい壊れ方をさせる。でもゼウデラが邪魔なんだよ、あの戦神が」
だからさっさとアイツを封じておくれよね、と。言うだけ言ってその姿が薄れていく。
「待ちなさい! わたしたちをさんざんかき回した挙げ句に逃げ帰るなんて許さない!」
叫び、フィラ・フィアは彼を追おうとしたけれどその手がつかんだのは湿った空気のみ。
フィレルはロアを見た。ロアの表情は虚ろで、いつもの格好よさや頼れる強さは欠片もなかった。
霧の神は記憶に霧を侵入させ、それで記憶を覆い隠すという。ロアがされたのはそういうことなのだろう。そして迂闊に正気にさせたらロアがロアでなくなるから。
フィレルは投げ捨てたスケッチブックを広い、描きかけの炎の絵を完成させた。
そして。
「イシディア、三人は火葬にするから、シュウを連れてちょっと離れて」
そう指示を出し、イシディアが三人から離れたのを確認すると、スケッチブックのページを破り、破ったページで紙飛行機を作って飛ばす。その直前、炎の絵に触れたフィレルの手が、明るい緑色に輝いた。
紙飛行機は飛んで行き、ゾンビ状態から解放された三人の上に柔らかに着地、ぱっと燃え上がり鮮やかな火の粉を散らす。
死者皇ライヴの玉座の間に上がる炎。それは場所も相まって、荘厳なほどに美しかった。
命が、燃えていく。フレイリアたちの仲間だった三人の、命が。
その炎はただどこまでも清らかで美しく、見ている者に涙さえ流させるほどだった。
「これで、ヴェイルもリッカもエレンも、安心して冥界に行けるわ……」
フレイリアの呟きは、炎が爆ぜる音にまぎれていく。
戦いは激しかったが、その後に燃え上がる炎はひどく穏やかなものだった。その優しい揺らぎが、高ぶった皆の心を鎮めていく。イシディアの慟哭はいつしか嗚咽に変わり、主なき衣が彼の涙で湿っていった。
こうして第三の封印は、終わる。
「誰かを失うっていうのは、本当に、何度味わったって慣れないよねぇ……」
イルキスが、神殿の天井を仰いでいた。
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.40 )
- 日時: 2019/08/11 08:01
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
炎の前でフィレルらはしばしたたずんだ後、ロアを起こして学校に帰った。
正気に戻ったロアはそれまでのことを全く覚えてはおらず不思議そうな顔をしていたが、それはいつものロアだった。ただ、ぼんやりしている時間が多く、フィレルはロアが遠くに言ってしまいそうな気がして怖くて、黒衣にずっと寄り添い続けた。いつものロアならば「くっつくな、鬱陶しい」とフィレルを追い払うはずなのに、来ないのロアはただぼんやりとしているだけで、そんな動作を見せはしなかった。それがフィレルをより不安にさせた。
「ロア……。ロアはイグニシィンの一員だよ。どこにも行かないでよぅ?」
「…………」
「ロアぁ?」
「……! っと、悪い。ああ、どこにも行かないさ。オレはイグニシィンの一員だからな」
「…………」
そんな会話を続けつつ、魔道学院に戻る。
沈痛な表情をした一同を見、皆、何か悲しいことがあったと悟ったようだ。シュウェンの制服を強く抱きしめたままのイシディアを見、その肩を励ますように無言で叩いてくる制服姿もちらほら。フレイリアは何も言わないままで大広間に向かい、「皆を集めて」とだけ近くの生徒に指示を出し、広間にあった椅子の一つに、力なく座り込んだ。促され、フィレルらも彼女の近くの椅子にそれぞれ腰かける。
やがて一同が大広間に集まると、彼女は椅子の背につかまりながらも立ち上がり、疲れたような声音で言った。
「死者皇ライヴは封じられたわ。これ以上被害が出ることはないから安心していい。彼女は本物のフィラ・フィアだった、それは間違いないの。でも……」
彼女はシュウェンの服を抱き締めるイシディアに、片目だけになった視線を送った。
「シュウが、死んだわ。フィラ・フィアを守って。犠牲が出るのは覚悟の内だったけれど、犠牲なんて出すつもりは端からなかった。それでもシュウは死んでしまったの」
広間に悲しみの空気が漂い出す。
「シュウはいい子だった、誰にも愛される子だったわ。だから悲しいならば泣けばいい。でも!」
フレイリアはきっと前を見据えた。残された翡翠色の右目が強い輝きを宿す。
「悲しみに心を停滞させてはいけない、それを忘れないで! シュウは死んじゃったけれど、私たちは生きてるの、今現在、確かに生きてるの! だからしゃんとしなさいウァルファルの未来ある学生たち! この学院を卒業するその日まで、ユヴィオールの残した思いを忘れるなッ!」
これで話は終わりよと彼女は言った。
「今日は悲しんでいい日にする。でも明日以降も悲しみを引きずっていいのはイシディアだけ。ライヴの遺した傷跡に、みんな惑わされてはいけない。それじゃああの死者皇の思うつぼよ、忘れないで」
では、解散。
そう言って、彼女は席を立ってどこかに行ってしまった。
「……俺、部屋に帰るわ」
そう言って、イシディアは大広間から退散した。誰もその背を追わなかった。一番の大親友を失った彼は、時が悲しみを忘れさせるその日まで、ずっと停滞したままなのだろうか。
「……僕も、戻るよ。少し考えることがあるんだ」
そう言ってイルキスがいなくなると、皆も三々五々に散っていって、気が付いたら大広間に残っていたのはフィレルたちだけだった。
フィレルにとっては初めて見た死であり、ロアにとってはどこかで見た死であり、フィラ・フィアにとっては何度も見た死である。死へのそれぞれのとらえ方は全く異なっているが、心に渦巻く暗い気持ちは、変わらない。
「あーあー!」
唐突にフィレルが叫びだし、スケッチブックを机に広げて猛烈な速さで何かを描き出す。それは花だったり歌っている鳥だったり豊かな森だったりと、心穏やかになる自然の風景。
「描かなくっちゃやってられないよまったくもうっ!」
フィレルの手はスケッチブックの上を何度も行き来していた。そうやって、わだかまった気持ちを何とかしようとでも言うかのように。
皆、黙ったままだった。何も言わなかった、何も言えなかった。
今回の死者皇ライヴの封印に関する一連の出来事は、一行の間に重い影を落としたのだった。
◇
明けぬ夜はない、昇らぬ朝日はない。
翌朝、フィレルらはウァルファル魔道学校の一同にお暇をし、次なる目的地へ進むために動き出した。
フレイリアはフィレルたちを見送りに来たが、イシディアは部屋にこもったまま出てこず、「放っておいてくれ」と言うだけであるという話だ。一番の大親友を失ったのだ、そうなるのも止むなしであろう。
フィラ・フィアはフレイリアに頭を下げた。
「あの……本当にありがとう。あなたたちがいなかったらわたしはライヴを封印できなかったし、きっときっと死んでいたわ。だからとっても感謝しているの。それに……シュウを、死なせちゃってごめんなさい」
謝る必要なんてないわ、とフレイリアは首を振る。
「シュウは未来を託して死んだの。あなたがライヴを封じてくれなかったら、私たちは全滅してた。気高き犠牲なのよ、だから謝らないで」
ごめんなさいとフィラ・フィアは言った。フレイリアはそんな彼女を複雑な顔で見ていた。
そうだ、とフィレルがフレイリアに声を掛け、手に持ったあるものを渡す。
「これ、イシディアに渡して。僕も何か出来ないかなって思って……自分の得意なことで何か出来ないかなって考えて……描いたの。悲しみは、そう簡単には治らないと思う。でも少しでも元気になれるようにって」
フィレルが渡したそれは、シュウェンの似顔絵だった。気弱に見えてしっかりものだった癒し手、シュウェン。絵の中の彼は満面の笑みを浮かべていた。その周囲では花が咲いていた。
その絵を見た途端、フレイリアの残された翡翠の右目から大粒の涙がこぼれ出す。それはいくら目をしばたたいても止まらなくて、彼女の制服を湿った色で染め上げた。
「シュウ……笑ってる、ね」
「うん、笑ってる」
「花が……咲いて、いるわ」
「大地の魔導士なんでしょ? だからさ……似合うと、思って」
フレイリアは制服の袖で涙を乱暴に拭い、震える手でその絵の描かれたスケッチブックの一ページを受け取った。
「絶対に、イシディアに渡すわ。この笑顔を見たらきっと、彼も泣くと思うけど……」
もう二度と、その笑顔を見ることはない。もう二度と、その声を聞くことはない。
これが、喪失の重み。もう、二度と——。
ありがとうとフレイリアは言った。
「素晴らしいものをどうもありがとう、フィレル。あなた、立派な画家になれるわ……」
「えへへ……嬉しいんだよーっ!」
無邪気さが影をひそめた瞳で、フィレルは無理に笑った。
誰かの死を越えて、喪失というものを知って、彼はまた一つ大人になる。
もう旅を始めたころみたいに完全に無邪気には戻れない。フィレルは深淵の一部を知ってしまった。
それでも根っこは明るいから、立ち直るのは一番早いはずだ。フィレルは山火事で焼けた山に芽吹く、青々とした力強い新芽なのだ、荒れた大地でも元気よく伸びる若葉なのだ。そう簡単にはへこたれない。
「じゃ、行こうよ?」
笑って、皆を先導して学校を出る。町の外壁付近にたどり着き、門番に頼み込んで外へと。
エルクェーテの町の外には青々とした木々が。そうか、今は夏なんだと実感、深呼吸して蒸し暑い空気を胸一杯に吸い込んだ。
「じゃあ、行こう。残った神様はだぁれ? まだやることはたくさんあるんだよねぇ?」
フィレルの言葉に、ええ、と魂が抜けたような顔でフィラ・フィアは頷き、緩慢な動作で指折り数え始める。
「無邪気なる天空の破壊神シェルファークでしょ……運命を弄ぶ者フォルトゥーンでしょ……最悪の記憶の遊戯者フラックでしょ……生死の境を暴く闇アークロアでしょ……争乱の鷲ゼウデラでしょ……まだこんなに、たくさん」
疲れたわ、と溜め息をつく。それでも必死で何かを考えているようで。
「ここが死者皇ライヴの神殿なら……一番近いのは」
彼女は一つの名を告げる。
「最悪の記憶の遊戯者、フラック」
フィレルたちはまだ知らない。次の戦いで、驚愕の真実が明らかにされることを。
終わりへの歯車は、回り始めたばっかりだ。
【第四章 完】
- Re: 魂込めのフィレル ( No.41 )
- 日時: 2019/08/13 10:11
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
【間章 英雄の墓場】
死者皇ライヴの次は、最悪の記憶の遊戯者フラックだ。エルクェーテ南方にトレアーという町があるらしく、フラックはそこにいるらしい。
「フラックってどんな神様なの」
フィレルが問うと、
「最も危険な神様と言ったって過言ではないわ」
とフィラ・フィアが答えた。
彼女は道を歩きながら、複雑な表情をして語りだす。
「フラックは対象のトラウマを、封じた最悪の記憶を強引に思い出させるの。直接攻撃はできるけれどあまりうまくないし滅多にしないわ。彼が得意なのは精神攻撃。精神攻撃は厄介よ。これまでも何人もの人間が、溢れ返る最悪の記憶に狂わされて壊れていった。トラウマというのは心の傷、時間を掛けて忘れていかなくてはならないものなのに……彼はその傷を一気に押し広げて、心そのものを崩壊させてしまうの」
物理攻撃相手ならばある程度は対処のしようがあるけれど、精神攻撃相手ではそうはいかないものねと彼女は言う。
「なら、フィレルの活躍に期待だな。お前にトラウマの記憶なんてないだろう」
ロアが言えば、うん、そうだよとフィレルは頷く。
シュウェンの死は確かにショックだったかもしれないが、トラウマと呼ぶレベルにはなってはいない。対し、フィラ・フィアは大切な仲間を失った経験があるし、イルキスも何やら暗い過去がありそうである。それに、ロアは……。
フィレルはロアをちらりと見た。本人は“あのこと”を忘却しているらしいが油断はできない。無残な死体を目撃し、解き放たれようとした最悪の記憶。それはきっとロアを狂わせるものだから。
旅に出て、ロアは変わった。封じられた記憶が戻りつつある、強引に戻されつつある。そしてそれが良い結果を生まないであろうことは何となくわかる。壊れかけたロアを見て、そう、フィレルは強く思ったのだ。
「何だよフィレル。どうかしたか?」
無意識にロアのマントの裾にしがみついていたフィレルに、訝しがるような声を投げるロア。それに気づき、何でもないよとフィレルは離れる。
ロアは優しい瞳でフィレルを見た。
「だから大丈夫だって言っているだろ。フラックは物理攻撃には弱いんだな? ならばこっそり神殿に忍び込んで物理攻撃を仕掛けてしまえばいい話。確かに過去の記憶は気になるが、旅がすべて終わった後で記憶のかけらを探したっていい。オレはいなくならないから安心しろ、フィレル」
「うん……」
それでも、くっついていないと本当にどこかに行ってしまいそうな気がして、怖くなってフィレルは離れようとはしなかった。そんなフィレルに呆れた顔をし、ロアは一旦フィレルを強引に引き離すと、その漆黒のマントでフィレルを包み込んでやった。
「ほらな、こうすれば安心だろう。まったくお前は……十五にもなって、子供なんだから」
いつものフィレルならばえへへと笑って返すのだろうが、今のフィレルは無言でしがみついているだけだった。
イルキスがぽつりと呟く。
「最悪の記憶の遊戯者かぁ……。ぼくが壊れたら見捨てていいよ? ぼくはさ、ぼくの力の代償による『不幸』で、初恋の人を失っちゃったんだし……きっと現れるならそれが現れるだろうし」
それぞれ傷を抱えて生きる。
フィラ・フィアは両手を合わせて、何かに祈るような仕草をしていた。
◇
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